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ミンコフスキ指揮東京都交響楽団を聴く。(6/26) [演奏会いろいろ]

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2023年6月26日(月)
サントリーホール 19:00開演 

曲目:
ブルックナー/交響曲第5番 変ロ長調 WAB105(ノヴァーク版)
指揮/マルク・ミンコフスキ


自分はブルックナーの第五交響曲は、曲のつくりや作曲時期からみてベートーヴェンに捧げた作品だと思っている。

なのでこの日のミンコフスキの広がりをもった大きさや宗教性にそれほどこだわらず、狂熱的といえるほどの生々しいくらいの感情の吐露を押し出したような激しいタッチの演奏は大好物。

最初から最後まで大満足の演奏でした。

この日の編成は木管を倍増、トランペットホルンと一人ずつ増やしての演奏で、このためかなり厚めの響きが全体を支配していた。

ただだからといって厚ぼったい感じはなく、むしろシャープで明晰な響きの方が印象深く、金管などピカピカに感じるくらいの輝きをもっていました。

ただそれ以上に印象に残ったのはチューバとコントラバスなどから聴かれる低音部の強靭な音。

例えば第二楽章第二主題。それまでの第一主題が弦のピツィカートからして快適なくらいのテンポだったのが、いきなりフルトヴェングラーとBPOを想起させるかのような凄みのある低音が地鳴りのように雄大に響いてきた時、一瞬会場の空気が変わったというくらいの強烈なものがありました。

こういう凄みのある低音がこの日は随所に聴かれましたが、この日は弦のリズムがかなり執拗な程強く、しかも表情豊かに刻んでおり、それかが先の低音のそれとうまく調和することで、この曲他のブルックナーの交響曲と些か雰囲気が異なる作品であることを印象づけるものとなっていました。

それにしてもミンコフスキは表情を凝らすのが上手く、これほどこの曲がすべてに渡り表情豊かに描かれた演奏も稀という気がしました。

そしてそれらすべての総決算となったのが第四楽章。

冒頭のベートーヴェンの第九を想起させるような部分こそ普通に出だしたものの、フーガに入った瞬間「第九から大フーガになだれ込んだ」というくらい鮮烈かつ強靭な入り方で、まさに度肝を抜かれるような演奏でした。

そしてそこからはフーガとブルックナーのベートーヴェンに対する心からの愛情を感じさせるメロディの歌い上げ、そしてオルガン的な分厚い響きがこれ等と交錯調和することで、かつてそのオルガン演奏で聴衆を熱狂させ、最後は聴衆に肩車をされ担ぎ上げられた「演奏者ブルックナー」の姿が浮かび上がってくるという、作曲家ブルックナーだけでなく演奏者としてのそれまでも同時に生々しく描かれているかのようだった。

また今回の演奏はそれらが非常に鮮やかかつめくるめく様に描かれていたせいか、ちょっとブルックナー版「英雄の生涯」という感じすらしたものでした。もっともこちらでの英雄は自分自身ではなくベートーヴェンではあるのですが。

とにかく途方もなく情報量の多い音楽がクリアかつ鮮やかに描かれ、それらが最後ひとつの巨大な松明に火をともしたかのように、圧倒的な光と力に満ちながら頂にひたすら登り詰めていくかのようなその様は、胸いっぱいになるくらいのブルックナーの想いの丈が伝わってくるかのようで、終演後の熱狂的な歓声と拍手も当然という感じでした。

しかしミンコフスキの見事な指揮もそうですが、都響がとにかく凄い。

かつてドヴォルザークのチェロ協奏曲の第三楽章冒頭のホルンがまともに吹けなかったオケが、半世紀で世界のどこに出してもおかしくない程の演奏をするオケに進化したことに今更ながら驚きを覚えしまう。

継続は力なりというけど弛まぬ努力を現場も事務方もしてきたんだなあと、あらためて敬服してしまうほどこの日の都響は「上手い」のではなく「凄い」演奏を聴かせてくれた。これだけでも大満足。

とにかく予想をはるかに上回る圧倒的な名演でした。

因みに演奏時間はだいたいですが、

第一楽章が19分、第二楽章が15分、第三楽章が13分、第四楽章が21分、という感じでしたが、聴いているともっと時間がかかっていたかのように感じました。

あと第二楽章と第三楽章は続けて演奏されましたがこれがとても素晴らしい効果を出しており、第三楽章の活き活きとした素朴な舞曲感がより強く押し出された気がしました。そのせいかこの第三楽章。まるでベートーヴェンの「田園交響曲」の第三楽章をちょっと想起させられました。
(それとテンポの動かし方にちょっとヨッフムと相通じるものも感じました)

ミンコフスキのブルックナー。また機会があればぜひ聴いてみたいです。できれば9番の四楽章版とか。

以上で〆

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三ツ橋敬子指揮東京交響楽団を聴く。(5/5) [演奏会いろいろ]

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2023年5月5日(金)
東京国際フォーラム ホールA 15:15開演 

曲目:
ベートーヴェン:「騎士バレエ」のための音楽 WoO1
ベートーヴェン:交響曲第6番 へ長調 op.68 「田園」


四年ぶりに再会されたLFJ。

さすがに四年前のようなフルサイズとはいかなかったけど、それでもようやくこの規模で開催された事は素直に喜びたい。

来年にはフルサイズでできる事を期待。

自分が今回聴いたのは三ツ橋敬子さん指揮する東京交響楽団によるベートーヴェン。

滅多に演奏会でかからない曲と、ベートーヴェン全作品中五指に入る大名曲との組み合わせ。

まず最初にベートーヴェンが20~21歳頃に書いた若書きの音楽。「騎士バレエ」のための音楽。

全8曲で演奏時間約十分というが、聴いていてもっと長く聴いていたように感じるほど充実感のある響きがのっけから素晴らしい。

これを聴いていて、ちょっと原田慶太郎さんの音の創りと似たものを感じたけどオケが東響だったということもあったのだろうか。

とにかく透明感とブレンド感が絶妙にミックスされた安定感と見通しの良さが素晴らししく、しかもときおり後のベートーヴェン作品の息吹きのようなものも聴こえてくるかのようで、何故この曲がもっと演奏されないのかと思ったくらい、とにかく聴き応えのある曲に仕上がっていました。

この後オケの人数が増えた後いよいよ「田園」。
(編成は通常の「田園」よりホルンのみ1名増員)

第一楽章はかなり早い。といっても急いでいるというのではなく、音楽の自然な流れを呼び込んだら必然的にこの流れが出来ました的な演奏で、作為も何もないじつにストレートな演奏だった。もっともときおり強めの表情をみせたりするので、ただただ流れに任せたという類の演奏ではなかったです。因みに反復は無し。

第二楽章もまたさらさらと快適にすすむ。ちょっと往年のボールトを思わせるような感じだけど、透明度の高い弦の背後から木管が美しく浮かび上がってくる様はなかなか味わい深く、それが最最後の鳥の囁きを表す木管の表情がより際立って鮮度の高さを感じさせるものに繋がっていました。

続く第三楽章は洗練された感じの演奏だったけど、第四楽章に入るなりティンパニーがかなり激しく硬めに強い打ち込みをみせていた。

それは今までの雰囲気を鮮烈なほど一変させるほどで、まるでこの全曲の頂点がこの楽章にあるかと思われるくらい凄まじいものがありました。

この後最後の楽章はまた最初の二つの楽章の雰囲気に戻りながらもよりさらに輝かしくなり、最後大きく高揚した後は今迄と打って変わり、ゆったりと静かに、それこそミレーの「晩鐘」のような音楽へと流れていくそれは、感動的ともいえるくらい心温まる素晴らしいものでした。

この「田園」。

演奏時間は約40分という時間だけみればかなり早めの演奏だけど、決して急がずよく流れ爽やかによく歌うといった感じで、ひじょうにストレートな「田園」だったと思います。

しかしここまでストレートで、曲の良さや魅力を大袈裟を避けつつ過不足なく描いた「田園」というのもとても久しぶりという気がしました。

三ツ橋さんは今回初めて聴きましたが、まだできればもっと条件の良いホールでじっくり聴きたいと思います。

それにしても返す返す丹沢音楽祭での三ツ橋さんの第九を聴きに行けなかったのが残念。



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大野和士指揮東京都交響楽団を聴く。(4/13) [演奏会いろいろ]

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2023年4月13日(木)
サントリーホール 19:00開演 

曲目:
マーラー/交響曲第7番 ホ短調「夜の歌」

指揮/大野和士

大野さんは2015年の都響音楽監督就任記念公演でもこの曲を指揮したという。

その曲を就任から9年目のシーズン開幕で取り上げるのだから、これは普通で終わるとは思えない。

ただ今回は名古屋や大阪でも公演をうつということなので、東京はこの日のみという事で自分は既に売り切れたと思い諦めていたが、前日に当日券が出るという嘘のような本当の情報が流れ、それで急遽聴きにいく事にしました。

ただホールの中は「完売御礼」ではあっても「満員御礼」というわけではなかったようで、けっこうあちこちに空席が見られたのは意外だった。「夜の歌」が難解と感じ敬遠した定期会員の方が少なからずいたのか、それともコロナや黄砂で体調を崩された方が少なからず出たのかは分からないけどこれには正直驚いた。こればっかりは今のシステムではどうにもできないことなのかも。

さて演奏の方は演奏時間が80分を超えるくらいだったので、時間だけみると普通かもしれないけど、今回の演奏はそういう時間とは関係なく、とても濃密で情報量の豊かな演奏だったが、印象としてはそういうことよりも「ハートフル」「ファンタジー」そしてスコアを深く読み込む事で辿り着いた「シンプル」さがより強かった。

そしてそれらは弦を軸にした、ある時は悠揚にそしてある時は繊細に表現の多様を尽くしたようなそれが大きく物を言っていた。

この曲、じつは管楽器や打楽器の多彩な使い方の方に意識が今迄言っていたのですが、今回のそれはこの曲がじつは弦が驚くほど雄弁に物語る曲だという事を強く感じさせられるものがあり、そういえばマーラーの母国ボヘミアは「弦の国」と言われ、この曲を初演したのはその国のチェコフィルだったことを思い出させられたものでした。

そんな弦を主軸にし、それに管を絶妙にブレンドしたような響きのこの日の「夜の歌」は、ひとつのドラマとかそういうものではなく、マーラーの溢れんばかりのありったけのインスピレーションを、前述したようにまるで五つの楽章からなるファンタジー色の濃い、ハートフルかつ視覚的な音画に仕上げたような趣さえ感じられ、聴いていてただただその音楽の描き出す温かくも幻想的な世界にどっぷりと浸ってしまうような、そんなかんじのものとなっていました。

(極端な事を言うと、ディズニーの「ファンタジア」でこの曲の一部が利用されても違和感がないくらいに感じられたもので、ある意味この曲が苦手な方にこそ聴いてもらいたいような演奏でもありました)

このためあの先行した四つの楽章に比べ、唐突感が半端ない終楽章も今回はそういう感じがあまりせず、ティンパニーも抑制がきいていたこともあり、先行した楽章とも違和感なく連続していました。

ただしこの楽章の終盤、鐘が出てくるあたりからはさすがにこの楽章独得の明るさを増し、以降は素晴らしい高揚感を伴いながら、それでいて狂騒にはならず、どこまでも「ハートフル」で「ファンタジー」な雰囲気を保ちながら力強く全曲がまとめ上げられていました。

そのためか聴き終わった後なんともいえない幸福感を覚えましたが、それと同時にふとクリュイタンスがパリ音楽院を指揮して録音した、ラヴェルの「マ・メール・ロア」を聴き終えた後の感覚を思い出してしまいました。この曲を聴いてそんな事を思ったのはこれが初めてでした。なんとも不思議な体験です。確かに今回の演奏ではクリュイタンスのラヴェルとはまた違った意味で「音楽細工」的な部分を感じたことは確かなのですが。

もっともこれは自分が聴いた場所も影響しているようにも何となくですが感じられ、違う場所だともっと管が強く前面に出てきたもっと違った印象を受けたかもしれません。この公演はTV収録されていたようなので、後日そのあたりも確認してみたいと思います。

しかしこの曲は本当に大変で、管楽器の一部はこの日の黄砂の影響もあったのか、かなりしんどそうな音が第一楽章を中心にちらほら聴かれました。ただ普通ならそれらに気を削がれるところ、この日は弦がとにかく大きく物を言いながら、情報量の多い濃密な音楽を次々と押し寄せにかかったため、そういう部分に気持ちが引っ張られる暇が無かったことや、しんどそうな音を出しても、その音が大野さんの創る音楽の方向性をしっかりと守っていたため浮いた感じにならなかったこともあってか、時間が経つにつれだんだんしんどそうな音のイメージが自分の中から消えかかっています。

この後の名古屋や大阪ではきっとこのあたりは解消されることでしょう。

それにしてもこの曲、こんなに楽しく温かい曲だったのかと、本当にとても新鮮な体験をさせてもらいました。おそらくこういう演奏ができたのも、指揮者とオケが創り上げた事による膨大なエネルギーの下支えがあればこそなのかも。

そしてこの曲が第三交響曲同様、前二つの交響曲によって誘発されたマーラーのありったけのインスピレーションと感情の爆発がいかに凄いエネルギーを持っていたかという事も改めて痛感させられました。

欲を言えば、できればもう一日東京でやってほしかったです。

以上で〆



都響は若杉弘、ベルティーニ、インバルという偉大なマーラー指揮者によって、日本屈指のマーラーオケと言われていますが、じつは都響のマーラーを実演で聴くのはこの日が初めて。

今回聴いて「なるほど」と思った次第。来年(2024)のインバルの10番もぜひ聴きたいものです。

あと今回、何故かこの曲が「幻想交響曲」を多少意識して書いたのではないかとちと思ってしまった。何となくですが。

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交響組曲「キャプテン・ハーロック」 [アニメ(20世紀)]

※2010年4月4日に書き込んだものです。多少加筆改訂しました。

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キャプテン・ハーロックというキャラクターは
おそらくあまりにも有名なキャラクターであり
それは松本零士作品だけにとどまらず
日本のアニメにおいても
ルパンと並んで屈指の名キャラクターだと自分は思っている。

だけどそのハーロックが初めてTVにあらわれた
1978-1979に放送された
「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」を
実際どれくらいの方がみたか
もしくは今の新しいファンがみているかと思うと
それは「ヤマト」や「999」に比べて
かなり少ないのではないかと思う。

でも個人的には当時これをリアルタイムでみていた自分にとっては
たしかに多少説明がほしかった部分もあるけど
そんなことどうでもいいくらい
このアニメは強く心に残った作品となった。

どっちが善だとか悪だとかという
そう単純な図式が成り立たない構図が次第に明らかになり
それでも自分が守るべきものに対し
一途にその信念を貫くハーロックに
自分はひじょうに強く惹かれたものでした。

この姿勢、じつは「カリオストロの城」のルパンと
ひじょうによく似たものがあるように感じており
この「ハーロック」終了後の10ヶ月後に「カリオストロ」が公開されていることを思うと
宮崎さんも隠れハーロックファンだったのかな?と
ちと思ってしまったものでした。

ただ悲しいかなこの二人の一途なキャラを描いたアニメが
それぞれ興行成績や視聴率でかなり伸び悩んだのには
当時はこういうタイプのキャラが受けなかったのだろうかと、
ちょっと今でも?なものを感じています。

さてこの作品がらみで当時あるLPが発売されている。
それは主題歌等によって構成されたアルバムとは違ったもの、
「交響組曲キャプテン・ハーロック」だ。

このアルバムについては以下のサイトにその詳細がある。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~maja/index.htm

このサイトはたいへんハーロックを強く敬愛しているサイトで
上記のアルバムについても詳細に語られている。

特に現在発売されているCDには
当時のLPのような詳細な解説等が無いため
余計これはありがたい。
たいへん素晴らしいサイトなので
ぜひ一度お立ち寄りください。

ところでこのアルバム、
まず驚くのがその参加メンバーが凄いことだ。

まずピアノの羽田健太郎さん。
数年前に亡くなられたあの羽田さんだ。
当時はポピュラーとクラシックの両方を演奏されていたようで
自分はこの録音の数年前に
N響とガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏していたのを
今でもはっきり記憶している。
それはなかなかストレートでしかもちょっと粋な演奏だった。

それからマリンバの安部圭子さん。
押しも押されもせぬ当時最高のマリンバ奏者だ。
現代音楽のマリンバとなるとかならずといっていいほど
安部さんがそこにいたものだった。

そしてコンサートマスターでソロもとられている小林武史さん。
かつて東響や読響のコンサートマスターを歴任された方で
60年代はN響の海野さんと並ぶ日本人の名コンマスのひとりだった。

さらにはやはりN響の首席だった
霧生吉秀さんや菅沼準ニさんの名前もある。
常光誠治さんは大阪フィルの首席だった方。

またドラムスの石川晶さんの名前もあるし
後に演歌のそれでさらに有名になった木村好夫さんもいる。

ホーンはクラシックとジャズのプレイヤーが混在しているようですが
とにかく他にもいろいろなところで名前をお見かけした方が多い。

ある意味ドリームオーケストラみたいな感じだったわけです。

そのオーケストラが熊谷弘さんの指揮で演奏しているわけですから
悪かろうわけがない。

たしかに多少今聴くと
ちと時代を感じる部分もあるように聴こえるかもしれませんし、
音質も今のそれ、
例えば「涼宮ハルヒの弦奏」あたりとはかなり違う。
聴きようによっては拡がりはあるけど薄い音に細工された音質と
そう感じられるかもしれませんが
それでもなかなか聴き応えのあるサウンドとなっています。

特に冒頭のあの「果てしなき宇宙の海」は
数あるアニメのBGMの中でも最高のもののひとつだろう。

あれを聴いただけでもう気持ちは宇宙という大海に乗り出したような
そんな素晴らしいこれはサウンドだ。
こういう音楽はクラシックでもヴォーン=ウィリアムスの大曲、
「海の交響曲」の冒頭くらいだろうか。

そして終曲の「歓びの賛歌」。
羽田さんのピアノが大きくフューチャーされているこの曲で
このアルバムは終わるのだけど。
聴き終わると、何か今から幕が上がりドラマがはじまるといった、
それこそ
「これって50分近い八部構成の壮大な序曲だったのかな?」
と思われるような出来となっている。

自分はTVをみてこのLPを買ったのですが
ひょっとするとこれを聴いてから
この作品をみた方もいらっしゃるかもしれません。

現在このアルバムはCD化されていますが、
限定ということですのでお買い逃しないように。

因みにこれは自分が初めて購入したアニメのLPです。
(「999」の劇場版サントラとほぼ同時に購入したので、正直言うとどちらが先かはちょっと曖昧です)

指揮
熊谷弘

演奏
コロムビア・シンフォニック・オーケストラ

(メンバー)

ヴァイオリン
小林武史、堀江悟、黒柳方晶、大沢浄、大松八啓、公門俊之、中瀬裕道、田淵章、角田智寿子、石岡則子、金田幸男、板橋健、田中栄一、藤米田健生。古田中達男、川畠正雄、多田義徳、古谷方一

ヴィオラ
菅沼準二、平井光、伊藤正、久里登、林勝彦、小橋行雄

チェロ
矢島富雄、藤沢敏樹、茂木新緑、館野英司、藤本英雄、矢島三雄

コントラバス
田中雅彦、瀬戸川道男、新納益夫、建部欣司

フルート
衛藤幸雄、旭孝、相馬充

クラリネット
宮島基栄、奏中司郎

ファゴット
霧生吉秀、大畠條亮

オーボエ
常光誠治、山本洋一

トランペット
羽鳥幸次、村田文治、野村毅

トロンボーン
新井英治、平内保夫、岡田澄雄

ホルン
山口弘治、下館広起、塚田彬、笠原長久

チューバ
久保修平

ピアノ
羽田健太郎

ギター
木村好夫

ベース
寺川正興

ドラムス
石川晶

ラテンパーカッション
瀬上養之助

パーカッション
安倍圭子、山本直喜、瀬戸川正

ハープ
木村マリ


※2023年2月21日追加。

2月10日に松本零士さんがお亡くなりになられました。

ここに謹んで哀悼の意を表します。

今迄本当にありがとうございました。深謝です。
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トゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団を聴く。(1/21) [演奏会いろいろ]

ソヒエフ.jpg

2023年1月21日(土)
NHKホール 14:00開演 

曲目:
ラフマニノフ/幻想曲「岩」作品7
チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」

指揮/トゥガン・ソヒエフ


ソヒエフにとってこの1年は激動の年だった。一挙に手にしていた二つのポストを不本意な形で手放したことがそれだが、それでもこうして活動を続けられているのは本当に嬉しいし有難い。

この公演も昨年早々と決定し発表されたことは本当に嬉しかった。これはN響にも大きな賛辞を贈りたい。


この日はラフマニノフとチャイコフスキーがともに二十代の時に作曲した若き日の作品。

まず最初にラフマニノフ。

冒頭からおそろしく雄弁な低弦の歌声からはじまったこの演奏だが、終わってみると暗いながらも瑞々しい雰囲気に満ちた演奏に仕上がっていた。ラフマニノフだとけっこう陰鬱な表情に引っ張られる傾向が強くなりがちだけど、今回そうはならなかった。あと木管のとても冴えた響きが印象に残った。


このあと一呼吸入れてチャイコフスキー。


ふつうサイズのコンサートならラフマニノフのあとさらに一曲あってその後休憩、そして後半のチャイコフスキーとなるところだけど、NHKホール改修終了後再開したN響定期では、この日のように休憩なしで70~80分ほどで終了するプロをひとつつくっており(「Cプロ」がそれにあたっています)、今回はそのためこのような流れになった次第。

そして始まったチャイコフスキー。

第一楽章はとても快適ともいえるくらいの爽快な感じではじまり、全体的にもオーソドックスな雰囲気の演奏になっている。ただとても洗練された演奏で、この曲がまだ国民楽派的要素が濃いということで、中には濃厚な演奏を仕掛けてくるケースがあるけど、初稿やその後出された初版ならともかく、今回よく演奏される三稿のようにヨーロッパを旅するようになり、作風の西欧化が強くなっていった時期に手直しされた稿を使うならば、こういう洗練されたやり方も有りという気がした。

(因みにこの曲の初稿は、第二交響曲の初稿同様第一楽章に大きな変更があるらしく全体的に曲も長かったらしい。いつか可能なら第一第二の二つの交響曲の初稿を続けて聴いてみたいものです)

続く第二楽章は一転遅めの悠揚としたテンポの演奏となる。印象としては第一楽章の倍かかったのではないかというくらいたっぷりとした感じだったけど、濃厚な油絵というよりはむしろ水彩画のような感じがする演奏で、このあたりがちょっとユニークだった。

第三楽章は第一楽章同様オーソドックスな演奏だったが、第四楽章は冒頭第二楽章のような遅めではじまるが、次第に第一楽章のように爽快になっていく。で、このまま最後までこの調子で行くのかと思ったら、コーダの終盤で大きく仕掛けてきた。

33年前に聴いたスヴェトラーノフとソビエト国立響では、スネギリョフという屈指の剛腕ティンパニ奏者がいたことから、オーチャードホールの舞台が抜けるのではないかというくらいの強靭な打ち込みを軸にした、言わば「縦ノリ」に近いような音楽で聴衆を驚かせたが(この演奏は録音されCDでも発売されたが、そこではその凄さがあまり伝わってこないのが残念)、この日のソヒエフはむしろ構え気味で。しかも途中で弓を弦にベッタリつけたような感じで大きな弓使いを要求してきたため、突然音楽の歩幅が大きく強靭になり、最後はまるで巨人の歩みのような音楽へとなっていったのには驚いた。

それはなにか大昔のソ連系の指揮者のような、それこそ先祖返りしたかのようだった。

10年前ソヒエフとN響のチャイコフスキーもかなり強烈だったけど、今回はまた違った意味で強い印象を残してくれました。

このあとソヒエフはサントリーや高崎でバルトーク、ラヴェル、ドビュッシーの公演がありますが、その後はまた来年1月のN響第2001回目の定期公演で、曲目は、ビゼー(シチェドリン編)の「カルメン組曲」、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」 と「ラ・ヴァルス」を指揮するとのこと。

次回もまた楽しみですが、その頃にはウクライナでの戦争も終結し、ソヒエフがより演奏に専念できるより良い環境になっていてほしいものです。


以上で〆。

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小林研一郎指揮ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団を聴く。(1/17) [演奏会いろいろ]

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2023年1月17日(火)
サントリーホール 19:00開演 

曲目:
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》
チャイコフスキー:交響曲第5番

ピアノ/仲道郁代
指揮/小林研一郎


ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団を初めて知ったのは、1974年にフェレンチクと初来日をしたときで(当時の名前は「ハンガリー国立交響楽団」)、その時はNHKホールで演奏したベートーヴェンの「英雄」等がテレビやFMで放送された時だった。

その同じ年に今回指揮を担当する小林研一郎さんが第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで第一位を獲得、その後このオケと半世紀近く関係を持つことになったのだが、にもかかわらずそれからじつに半世紀近く経って、ようやくこのオケの実演を今回初めて聴くことになったが゛このあたりは巡り合わせの悪さもあってしかたない部分もあった。

また小林さんがプロオケを指揮するのを聴くのも、じつに45年ぶりというのだがらこれまたあれという気はするけど、いつでも聴けるとあとあとまで伸ばすとこういう「いつのまにか」的なことが起きるという、これはひじょうに悪い例だ。

というわけで些か気まずい部分もあった演奏会だけど、この組み合わせのチャイコフスキーの5番はかつてブダペストで演奏された時、センセーショナルなほどの話題を生んだということを以前聞いたことがあり、いつか聴く機会があればということでようやく今回行くことがかなった次第。

当日券はなかなか列が切れなかったようで会場もかなりの入りだった。

前半の「皇帝」。ソロの仲道さんがこの日本ツアーに参加するのはこの日のみ。

オケは14型通常配置で演奏。

演奏は安定感のある、それでいてどこか優雅で風格のある演奏。

仲道さんのソロも爽やかで、そこにはちょっと初期ロマン派的というか、シューベルト風ともいえるような趣も添えられているようにも聴こえた。

そういう意味では歌謡性の強い「皇帝」といえるのかもしれないが、かといって場違いという感はまったくなく、むしろこれこそ王道というかんじすらした。

これには小林さんの正面から外連味なく描き切った音楽が大きかったと思う。

とにかくユニークだけど王道という、相反するような要素が絶妙にブレンドされた聴き応えのある「皇帝」でした。

この後仲道さんがアンコールでシューマンの『謝肉祭』より「ショパン」を演奏。


休憩20分。外は冷たい小雨が降っていた。

そして後半のチャイコフスキー。編成は前半と同じ14型、ホルンは通常より一人増やし五人。

しかしこれはもう小林さん会心の演奏だったのではないだろうか。

第一楽章は緩急がかなり大きい。

序奏はスヴェトラーノフの晩年なみに遅く重たく暗いつくりだが、主部に入ると一転颯爽としたそれこそ若手指揮者がとるようなテンポで音楽が進む。その後は曲想が変わる度にテンポも表情も大きく変わる。

それはまるで舞台転換が次々と行われる舞台をみてるようで、ある意味視覚的なチャイコフスキーというかんじだった。

それにしてもオケが素晴らしい。

決してパワーや音の分厚さで勝負するのではなくむしろその逆といえるオケで、線的ともいえるほどどのパートも素朴かつクリアなため決して厚ぼったくならない。また決まるところはしっかり決めてくるし、音の芯はかなり強い為どんな時も痩せたり頼りなくなることもない。そして何よりも全体の意志統一がしっかりとることができるオケのためか、小林さんの多彩などの表情付けにもしっかり全体で歌いぬいてくるので、その説得力が半端ではない。

これが第二楽章で圧倒的な説得力をもって迫ってくる。ここでは小林さんは第一楽章ほどのテンポの変化はつけていないせいかオケの歌いこみがより強く前面的に出て来るのが本当に秀逸だった。

あとこのオケの低弦はかなり強力で、のべつ幕無しデカい音を出すわけではないが、第二楽章の冒頭など、要所要所でかなり説得力のある強い音を出している。総勢六人という人数を考えると正直ちょっと驚いた。

この第二楽章で熱演のためかヴィオラの一人が弦を切ってしまったらしく楽章終了後舞台裏に退場した。続く第三楽章と第四楽章の途中で出て来たが、小林さんが切れ目なくアタッカで行ってしまったため冒頭の音楽が演奏される中再登場となってしまった。これが正解なのでしかたないかもしれないが、聴いている側がこれによって気持ちが切れることがないくらい、第三楽章、そして第四楽章ともひじょうに濃密な音楽が展開された。

特に第四楽章のコーダは決して激しく煽ったりすることなく、素晴らしいくらいの燃焼度と輝かしさを兼ね備えたものになり、聴いていて心を鷲掴みにされるような気になったものでした。そしてここでのオケの歌いぬきもまた最高潮に達していました。

演奏時間はだいたい50分を少し切る位。

ブラヴォーは出せないものの会場はかなり湧き、アンコールとして超個性的な、それこそメンゲルベルクもビックリなみのブラームスの「ハンガリー舞曲」第五番が演奏されるなど、途中小林さんのMCを挟んで盛沢山の幕切れとなりました。

終演時間午後9時20分頃。

最近、小林さんの音楽は諄いとか暑苦しいとか、以前聴いた小林さんのイメージとは違うそれをよく目にしていたので、ちょっと気になっていましたが、今日のそれに関して自分はそういうことは感じませんでした。やはり実際聴いてみなければ分からないものです。

小林さんといい、ハンガリーフィルといい、とにかく大満足な演奏。

しかし小林さん。本当に82歳なのだろうかというくらい若々しい指揮ぶりでした。


以上で〆です。


ところでPブロックで何か手に持って広げていたけど、声出し厳禁だとこういう形になるものなのかと思ってしまった。

今年中にはコロナも一段落してほしいです。

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エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団を聴く。(12/20) [演奏会いろいろ]

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2022年12月20日(火)
東京芸術劇場 14:00開演 

曲目:
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》
フランク:交響曲 ニ短調

ピアノ/マルティン・ヘルムヒェン
指揮/エリアフ・インバル


来年初来日から50年を迎えるインバルは現在86歳。

1980年に86歳で来日したカール・ベームが椅子に座った指揮姿と、音楽にも多少の衰えを感じさせていたことを覚えている者としては、インバルのこの日の指揮姿と音楽に微塵の衰えもみせないそれには、いくら世代が違うとはいえ驚きすら感じてしまった。

これからもブロムシュテットかそれ以上に末永く元気に指揮を続けてほしいものです。

因みに初来日時のインバルは読響に客演しマーラーの5番を演奏しているが、その時一緒に演奏した曲が、別の日にブルックナーの前に演奏されたウェーベルンの6つの小品だった。来年の来日が無いので一足早くその時の曲を思い出のそれとして取り上げたのだろうか。

というわけで前半のベートーヴェン。

とにかく雄弁かつ剛直で構えの大きなインバルのそれにちょっと驚く。また細かい表情、特に弦の動きがとてもクリアに聴こえ、そのせいかときおり室内楽的な雰囲気も醸し出すようにも聴こえ、ある意味とても新鮮な感じすらした。

ヘルムヒェンのピアノは詩的ともいえる繊細な表情と流動感がクリアな響きの中に織り込まれた好感のもてるものだったけど、インバルのあまりにも堂々とした演奏のため、自分の聴いていた場所のせいか、ピアノがやや圧倒されかけているように聴こえることが多く、インバルの「皇帝」の様相を呈したかのように聴こえてしまった。

聴き応えはあったが、正直インバルの音楽のみかなり強く印象に残った演奏となりました。

このあとヘルムヒェンのアンコールとして、シューマの「森の情景」より第7曲「予言の鳥」が演奏されたが、こちらの方が自分はヘルムヒェンの音楽をより強く感じる事が出来た。彼の演奏でシューマンはもちろんだけど、グリーグの作品集も聴いてみたいと思った。


この後20分の休憩の後フランク。


ブルックナーを得意とする指揮者の多くがブルックナーと同時代の、そして同じく傑出したオルガン奏者でもあったフランクを指揮しているが、インバルは録音されていないこともあって強く興味を持ったことと、2018年にプラッソンと新日本フィルで神懸かり的ともいえる空前の大名演に接して以降、この曲に対しての印象が大きく変わった事もあり、今回の演奏は自分の中でさらにどう化学変化を起こしてくれるのかという楽しみもありました。

そしてこの日のインバル。

それはプラッソンを聴く前のこの曲のイメージに近いものだった。ただこの曲のもつ晦渋的な雰囲気はここでは皆無で、おそろしいくらい潔く表情のふっきれた、それでいて前半のベートーヴェン同様、雄弁で剛直なそれが圧倒的なまでに迫ってくるようで、クレンペラーの音盤に匹敵するほどのこの曲のエネルギーを引きずり出したかのような演奏となっていた。

また他の演奏以上にパイプオルガンの音を想起させるような響きが管楽器から聴こえてきて、曲もタイプも違うけど、ちょっとティーレマンで先日聴いたブルックナーを思い出してしまった。
(この時なぜかこの曲の作曲次期がブルックナーが第八交響曲を書いていた時期と重なっていることを思い出した)

この全曲の半分近くを占める第一楽章も、そのせいかどこかブルックナー風の趣が感じられ、最後の方の押しては返す大波のような音楽がさらにそれを強く感じさせられました。

続く第二楽章。プラッソンの時は神懸かり的なイングリッシュホルンのソロを軸に詩的かつ崇高な音楽が紡がれていったのとは違い、イングリッシュホルンのソロも大きな音楽の中に包括させ、オケが一丸となって築き上げていくそれもプラッソンとはまた違った素晴らしさがありました。

またインバルはこの日のフランクでかなり緩急をつけた演奏を展開しており、この曲をブラームスに近しいとよく言われるそれとは真反対の、むしろワーグナーに強い影響をうけていると言わんばかりの濃い表情をつけていたのが面白く、これがこの演奏を他のフランクの演奏とかなり異なるイメージを与えていたようにも感じられました。

そして終楽章は今までのそれらすべてがひたすら最後に向かって高揚していくようで、最後はじつに輝かしく充実した響きに達していました。この終楽章も今迄はブルックナーとイメージ的あまり重なる事はなかったのですが、今回はブルックナーの1番のウィーン版となんとなくイメージさせられたりで、そういう意味でかなりユニークかつ強力な説得力をもった演奏だったという気がしました。

プラッソンがフランスの立ち位置からみたそれなら、インバルがドイツの立ち位置からみたそれというかんじで、しかもブラームスよりはブルックナーに立ち位置が近いという意味で、独得なものだったという気がしました。

しかし正直かなりタフな演奏で、ホルンを一人増員させていたものの、かなりオケもしんどかったのではと思いましたが、それを感じさせない熱演となりました。

四年前のプラッソンとはまた違った満足感を得られましたが、プラッソンとインパルと真反対ともいえるこの曲の名演を聴いたことで、この曲のもつ奥深さと難しさというのもなんとなく分かったような気がしました。

この曲、想像以上に新しさと古さを絶妙なバランスで同居させた曲で、しかも下手なドラマを持ち込む事なく、音そのものをしっかりとらえていくことで音楽の深部に辿り着く事ができるような、ある意味ハイドンと近しい性格も結果的に持ち合わせた曲なのかもしれません。


尚、この日はカメラやマイクがあったので、来年あたり放送されるかもしれません。このあたりは楽しみに待ちたいと思います。


というわけで今年の演奏会はこれで終了です。

来年はソヒエフとフルシャを予定していますがその後は予定なし。まあコロナで三年も苦しんだのでこの三か月は自分としては異例な程演奏会に行きましたが、これからはまた静かになると思います。

しかし8月のポベルカから本当にいい演奏会ばかりに恵まれ本当に幸運でした。ありがたいことです。

以上で〆


と、綺麗に終わりたかったのですが、そうも行きませんでした。


とにかくこの日終演後の聴衆の多くが掟破りのオンパレード。

コミケでこれやったらスタッフがブチ切れまくる事必至といったほど、主催者のお願いを黙殺するは無視するはで、ほんと情けないにも度が過ぎるという悲惨なものでした。

年をとると日本人にもかかわらず日本語が分からなくなってしまうのかなあと、かなり愕然とさられました。ほんと酷かったです。


あと都響の現在の当日券対応。

その日の一時間前迄にweb受付のみの対応というのはやはりいただけない。

これでは急に都合がついた、開演少し前に偶然会場前を通りかかって初めて知った。というこういう人たちに門前払いで「お帰り下さい」というのと同じで、あまりにも一人一人のお客様に対して不遜だし、民間なら頑張って一枚でも多く売ろうという努力を必死でするところを、都響みたいに公的な所におんぶにだっこされてるところは、そういう苦しみとは別世界の殿様商売でもしているのだろうかと、そう勘繰りたくなるほど血の通ってない悪い意味でのお役所対応にみえてならない。

これが2020年頃ならともかく、行動制限をかけない時期でもこれというのは本当に正解なのだろうか。

自分は正直これには強い疑問と不信感をもっています。

もっとも嫌なら来るなと言われればそれまでなので、その場合は二度と来ません。

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パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団を聴く。(12/8) [演奏会いろいろ]

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2022年12月8日(木)
東京オペラシティコンサートホール 19:00開演 

曲目:
ハイドン:
交響曲第102番 変ロ長調 Hob.I:102
交響曲第96番 ニ長調Hob.I:96《奇跡》
交響曲第104番 ニ長調 Hob.I:104《ロンドン


今から二十年ほど前、指揮者の飯守さんが「ハイドンをやるとお客が入らないから嫌がられる」と言った事があるけど、この日はティーレマンのブラームスあたりとぶつかったり、「驚がく」や「時計」といった人気作品を外しているにもかかわらず、ホールは意外な程人が入っていた、だいたい八割以上は埋まっていたと思う。

これにはヤルヴィの人気と信頼というのも大きかったかと。

自分はドイツ・カンマーフィルを聴くのは、ハーディングとムローヴァかがベートーヴェンをやった時以来なので21年ぶりにということになる。あの日も確か対抗配置だったけどこの日も同じ。なんかいろいろと懐かしい。

それにしてもこのプログラム。

自分はハイドンの交響曲の中で大好きな曲ベスト5のうち3曲も入っていたから狂喜したものの、「驚がく」「軍隊」「時計」といった人気曲をすべて外したこのプロには招聘した側はさぞ不安になったのではないだろうか。

とにかくなかなかの入りで開演。


この日は前半102と96。
20分の休憩後も後半が104だったのですが、一環していたのは、

フォルムがしっかりしている
オケの発する熱量、とくに管楽器が凄い
その管楽器はソロもアンサンブルも絶妙で、弦との呼吸もピッタリ
全曲を通して颯爽とした運び、それに流動感とリズムのキレが心地よい
新しいスタイルにもかかわらずどこか懐かしい旧いスタイルを想起させることもある

といったところだろうか。

特に音楽の颯爽とした運びはかなり新鮮で、本来アダージョの102の第二楽章も、他の二曲同様、まるでアンダンテのようなスピードで演奏されていた。ただそれでいて無味乾燥になることなく、常に瑞々しさと木管を中心とした洒落たニュアンスが織り込まれているのが素晴らしい。

また102と96のメヌエットのノリのいいリズムが秀逸で、思わず踊りだしたくなるほど聴き手を強く揺さぶってくるものがあった。

あと96のメヌエットでは、トリオにおけるオーボエとフルートの表情付けが絶品で、演奏終了後この二人に対する拍手がとても盛大に起きていました。

そして終楽章のスピード感もまた爽快そのもので、クライバー的ともムラヴィンスキー的ともいえる疾走感が最高。特に96のそれがホール全体を熱気に包みこむような熱演で、こちらもまた盛大な拍手が起きていました。

これに対して104は冒頭からベートーヴェンの出現を予期したかのような凄みのある音楽を、40名程のメンバーとは思えない程の強大な音でそれを見事に表現していました。
(因みにハイドンが104番を完成した年は、ウィーンでベートーヴェンがピアノ協奏曲第2番を初演しウィーンデビューを飾った年でもある)

ハイドンが訪ねたころのロンドンのオケは四十名程の編成だったので、この日のカンマーフィルとほぼ同人数だったとか。また当時のロンドンのオケはとても技術的に優秀かつダイナミックレンジが広く、ハイドンがイギリス訪問時に書いた12曲、通称「ロンドンセット」はそれを活かそうとして、それ以前の曲よりダイナミックな曲が多かったと言われており、この日のヤルヴィが味わいや洒落っ気の中にも、ダイナミックなカッコよさを織り込んでいたのはここの部分を意識していたのかも。特に104番はかなりそれが強く感じられ、終楽章の終盤に向かっての高揚感も抜群でした。

そんな感じで、三曲とも聴きどころ満載かつ、気持ちいいくらい音楽が颯爽と流れていくので、どの曲も聴き終わるのがもったいないくらい終わるのが早く感じられました。

できればまたの機会に、82、86、92、といったロンドンセット以前の名曲も聴いてみたいところです。

モーツァルトの最後の交響曲とベートーヴェンの最初の交響曲の間に位置する、これらのハイドンによる交響曲群。

これを機会に「驚がく」「軍隊」「時計」以外ももっと広く聴かれ演奏してほしいものです。

因みにアンコールは弦楽合奏の曲で、

ハンガリーの作曲家、レオー・ヴェイネル(1885 - 1960)の、

「ディヴェルティメント」第1番作品20 (1934)より 第1楽章

でした。


以上で〆


それにしても繰り返しますが本当にこの日のハイドンのオケの熱量は特筆もの。
おそらくベートーヴェンもさぞや名演になることでしょう。

聴きに行けないのがなんとも残念です。

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クリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ベルリンを聴く。(12/6) [演奏会いろいろ]

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2022年12月6日(火)
東京オペラシティコンサートホール 19:00開演 

曲目:
ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ハース版)


バレンボイムが体調不良の為、指揮がティーレマンに変更。

そして曲目が6日のみ全面変更となった。


シューベルト:交響曲第7番ロ短調 ≪未完成≫作品759 
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
 ↓
ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調


自分などはこの変更に思わず狂喜してしまったが、みんながみんなそうではなかったとのことで、これが場所によって悲喜こもごもの状況を作り出したらしいけど、自分のいた所はそういうことはあまり感じられなかった。ただ妙にまわりの席がごっそりと空いていたのが、個人的には嬉しかったがこれまた妙に気になった。


ところで自分はティーレマンを実演で聴くのは今回が初めて。

過去何度が聴く機会はあったが何故かあまり積極的に聴きに行こうとしなかった。理由は、過去の彼の録音にいまいち興味を惹かれなかったことが大。

ただ一度実演で聴いてみたいという気持ちもあったことは事実で、それで今回聴きに行くことに相成りました。

シュターツカペレ・ベルリン(以下、SKBと略)を聴くのは32年ぶりで、彼らのブルックナーを聴くのは1978年以来じつに44年ぶり。その時は指揮がスイトナー、会場が東京文化会館の改修関係で各社各団体がホール不足に苦しんだ時期だったため、今では考えられないかもしれないが、かの渋谷公会堂だったという公演。

曲目は前半が「ジークフリート牧歌」、後半が今回と同じブルックナーの7番(ただしその時はノヴァーク版)、そしてアンコールにモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲というもの。

この公演もなかなか忘れ難い印象があり、そんな事も手伝い余計とても楽しみな演奏会となりました。

それにしてもこの日のプロ。

古いファンの中には、1986年のヨッフムとコンセルトヘボウの来日公演を思い出されたかもしれませんが、じつはこの日、文化会館とオペラシティの違いはあれど、このヨッフムの時と聴いていた席が今回かなり似たような場所で自分は聴くことになったので、その時の事もまたちょっと思い出してしまいました。
(あの時は開演前、立っていて膝ががくがくするくらい緊張した事を覚えています)


まず前半のワーグナー。

対抗配置のSKBによるトリスタン。

ひじょうに神経の張った弱音。その後フレーズを繋ぎながら高揚する時はやや前のめりになるほど一気呵成、鎮静化して行く時は音楽を止めようとしているかのような緩急をつけるが、わざとらしいアッチェランド等は皆無。

そして何よりもまるで部隊が見えて来るかのように劇的。この時、仕草もちょっと似ていた事から、かつて東フィルを指揮してこの曲を演奏していたハンス・レーヴラインを思い出した。音楽の構えとかはティーレマンの方が大きいけど、なんか劇場の叩き上げの共通項みたいなものをどこか感じてしまいました。

しかし聴かせ方があざといほど旨い。さすがという感じでした。


この後休憩20分。そして後半のブルックナー。


こちらも先のワーグナーで見せた特長が随所にあらわれていた。

第一楽章からいろいろと細かく弱音の表情、緩急の使い分けもなかなか計算されている。このあたりの寸法の取り方、音楽の呼吸のバランスのとり方の妙は、オペラで鍛えた手腕によるものなのかも。

第一楽章のコーダは焦らず悠揚と音楽を高揚させていたが、この日のSKBのブラス、特に低音の充実感は素晴らしいものがあった。

44年前も、同様にブラスの低音が素晴らしく、それが管弦一体となった木目の響きの中に絶妙な光彩と存在感を放っていたのですが、この日はさすがに44年前程の素朴な木造感は、その当時より洗練されたことで薄まった感じはするものの、それでも随所にかつての木目風の響きも感じられ、おかしな例えですが「落ち着いた光沢感のある総檜造りのパイプオルガン」とでも形容したくなるような、何とも味わい深い音をこの日は感じました。

第二楽章ではその特徴がさらに強くなったのですが、にもかかわらず面白い事にじつはここまでそんなに宗教的な崇高感は感じられず、むしろ強いタッチによる生々しさの方が何故か強く感じられた。

そういえばティーレマン同様ワーグナーに定評のある飯守さんも、この曲で同様な傾向の演奏をしていたのを思い出す。何かこの二人のこの曲に対するワーグナー視点からみたような共通した意識のようなものでもあるのだろうか。

ところでこの楽章。ハース版にもかかわらずあのクライマックスのところでシンバルとトライアングルが使用された(ただしティンパニーは無し)。これはなかなかユニークなものだったが、下手をするとシンバルが変に浮きかねないが、SKBの地力と尋常ではない音楽の立ち上がりがそのあたりを呑み込んでしまうような感じになったためそのような感じはせず、むしろ弦を中心とした流動感を強く感じさせる非常に新鮮な説得力の方を強く感じた。

このあとのワーグナーの葬送はティーレマンがこの日かなり拘った弦の弱音の表情の美しさが際立った。そしてワーグナーチューバの音はまるでパイプオルガンのように素晴らしい響きを奏で音楽は終了。聴き終わった後、思わずマスク越しに大きく息を吐くほど強く気持ちを集中させられた演奏でした。

続く第三楽章はかなり気合の入った演奏で、スケルツォの後半は音楽が前のめりになるくらい猛烈な演奏になり、弦楽器奏者の多くが全身で音楽を奏でているようにみえるほどの熱演と化す。ただそれでもフルトヴェングラーのような狂気の世界に突入するような事が無いのはティーレマンのバランス感覚の表れかも。

そして第四楽章、慌てることなくしっかりと歩を進めた流動感と管楽器の分厚さを交互に前面に出した、じつに聴き応えのある音楽が連続する。そのせいかこの楽章に演奏によってときおり感じる「物足りなさ」や「あっさりし過ぎ感」がまったく感じられず、先行するどの楽章にも位負けしない程の音楽がそこでは鳴っていた。

それにしてもSKBのこの日の低音はとにかく異常なくらい凄かった。ここまでの威力を感じたのは自分が聴いた中では1986,年のヨッフムが指揮した時のコンセルトヘボウくらいだろうか。

コーダ―前のトゥッティではまるでパイプオルガンが鳴り響いたかのような見事な響きだった。

そしてコーダの輝かしい高揚感も特筆ものだったが、最後の音が終わった瞬間、指揮者が構えを解く迄静かだった聴衆もブラボー。

とにかく終わってみればとんでもないくらいの凄い演奏でしたが、気づいたら最後自分はかかとを浮かせつま先立ちで聴いている事に気づいた。余程聴いていて力が入ったのだろう。こんなことはあまり記憶にないので我ながら驚いた。

ティーレマン自身もかなり会心の出来だったのか、舞台に戻る度にスタンディングオベーションをする聴衆がどんどん増えていく光景に余程嬉しかったのか、とにかく終演後は終始上機嫌にみえた。

二度のカーテンコールの間には、舞台に残っていたブラス奏者の所に小走りに賭けよったりしていた。
(はっきり見えなかったが、みんなで並んで写真をとってもらっていたようにみえた)


しかしティーレマンも素晴らしいけど、自分はSKBに心底感嘆してしまった。

もちろんオケとしての技量や味わいもそうだけど、それ以上にブルックナーをあれだけ自分達の中に取り込み一体化したかのような没我の演奏をしながら、あそこまで音楽を高みに押し上げた底力というかスピリットに感動すらしてしまった。

これが伝統をもった超一流のオケの本気なのだろう。

あと正直このプロがこれ一回だけとはほんとうに残念。

もし急遽このプロで追加公演をしてくれたら、札幌でも鹿児島でも聴きに行くと思う。本当にそこまで思わせるくらい聴かずに死ねるかレベルの超名演だった。

あとひとつ気になったのは、けっこうマイクが散見していたけど、この日の公演、録音とか正式にされていたのだろうか。録音されていたらかなり嬉しいです。

以上で〆・


しかしネットでは無料招待された子供たち云々という声がけっこうあった。当初のシューベルトとチャイコフスキーならともかく、この二曲はあまりにもハードルが高かったようです。

それこそ映画鑑賞で、当初は「ドラえもん」だったのが、都合で「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」になったようなものだったのかも。

せめて「田園」「運命」だったらよかったのかもしれないけど、それだと今度は自分が行かないからなあ。

ここの部分だけはちょっと致し方なかったとはいえいろんな意味で残念でした。

因みにこれは招待されたお子様だけでなく大人でもそこそこいたようです。これもまた残念。

あとプログラムが高いというけど、カラヤンが1977年に来日した時は、東京公演と大阪公演が各千円で別々に販売されていた。

当時の価格としてもあれだったけど、日本公演のプログラムが二つに分かれていたのにはかなり驚いた。もっとも自分の購入した東京公演のプログラムは、大きさこそ今回の物より小さいけど、厚さは数倍ありましたが。

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ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団を聴く(12/4) [演奏会いろいろ]

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2022年12月4日(日)
NHKホール 14:00開演 

曲目:
ワーグナー/ウェーゼンドンクの5つの詩
(メゾ・ソプラノ:藤村実穂子)
ブルックナー/交響曲 第2番 ハ短調(初稿/1872年)


地味だけど噛めば噛むほど味の出るようなプロ。

まず前半は藤村さんのワーグナー。

藤村さんは以前、川瀬賢太郎さん指揮する神奈川フィルとのマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」を聴いて以来。

あの時も素晴らしかったけど、今回のワーグナーもまた良かった。その深く説得力のある声は相変わらずだけど、静かに歌っていてもあの巨大なNHKホールの隅々まで無理なく届き響くその声に驚嘆してしまった。

これが世界レベルの歌なのかとあらためて納得させられたものでした。

またこのバックを受け持つルイージ指揮N響の細やかな表情と陰影に満ちたその響きが絶妙で、特に第三曲「温室で」の「トリスタン」の響きにおける、ステンドグラスに陽光が当たる事で微妙にその色合いが変化していくかのようなそれはまさに絶品で。N響がここまでの演奏ができるようになったのかと、ちょっと嬉しくなってしまうほどでした。

このあたりはルイージの卓越した指揮によるところが大だと思いますが、歌と言い指揮といい申し分ない演奏でした。

演奏は弦12型。


このあと休憩が20分。そして後半。


じつはブルックナーの2番を実運で聴くのは今回が初めて。

音盤としては1975年秋のジュリーニ指揮ウィーン響の来日記念盤として発売されたものを聴き始めて以来というからけっこう長い。

ただこの曲は当時「若書き」の曲としてあまり評価されず、日本初演もその前年のブルックナー生誕150年時に、ペーター・シュヴァルツ指揮札幌交響楽団によってようやく行われたくらい。
(N響はこの二年後にサヴァリッシュの指揮で演奏を行った)

音盤もこの当時、ジュリーニとシュタイン指揮WPO、ハイティンク指揮ACO、ヨッフム指揮バイエルン放送があったくらい。

その後は音盤も演奏会でのそれも増えたけど何故かなかなか自分は聴くことがかなわなかったので、ようやくという感じだった。

ただ今回演奏されたのはよく聴かれる1877年稿ではなく初稿ともいえる1872年稿で、第二楽章と第三楽章の演奏順が入れ替わっているのをはじめかなり1877年稿とは様相が異なっている。

特に1877年稿がかなりの素材を「作曲家」ブルックナーによって見通しとまとまりを良好にするため切り捨てられることになってしまったのに対し、この日演奏された1872年稿は切り捨てられる前に即興演奏の大家であった「演奏家」ブルックナーの閃きによって生まれた多くの素材が、バランスやみてくれそっちのけで盛り込まれている。

なので指揮者にとってこの1872年稿は魅力的な素材が目の前に多く展開されてはいるものの、手際を間違えるとかなり冗漫になりかねない曲であるだけに指揮者のそれがかなり問われるものとなっているはずなのですが、この日のルイージにはそんなことを微塵も感じさせず、じつに素晴らしい演奏を展開していました。

この日のルイージの演奏はとにかく丁寧(弱音の表情などかなり細かい)。そしてじつによく歌う。

このためこの曲がかつて言われたような若書き的弱さも感じなければ、バランスや見通しの悪さ、それに冗漫な趣も感じさせない。むしろこれで決定稿でもいいのではないかと思わせるほどの充実感がそこにはあった。

またこの演奏会では弦を中心とした濁りの無い晴朗感がじつに心地よく、特に第二楽章のトリオや第三楽章ではそれが強く感じられたが、ルイージと同じイタリアのジュリーニとこのあたりどことなく似ているような感じを受けた。ただ使っている稿が違うせいかジュリーニ程の流麗感はこの日のルイージには感じられなかった。

このような感じで第三楽章までは本当に曲への印象の再考を迫るような感じだったが、終楽章はさすがにそうはいかないくらい生煮えのような(それこそブルックナーの第九の未完の終楽章のような)部分があり、このあたりは無理せず巧みに捌いていったように感じられた。

最後、じつはちょっと注目していたコーダの弦の低音のみが第一主題を演奏するところ。

かつてアイヒホルンがこれに否定的なそれを表していたが、思ったよりはっきり聴こえたものの、やはり埋没観は否めなかった。それともブルックナーはあえてその埋没観を何某かの理由で狙っていたのだろうか。ただこの日の演奏は埋没観こそあれ、それを補って余りある高揚感が見事で、そのため物足りないという感じはありませんでした。

と、いろいろ考えさせられたものの、終わってみればじつに充実感のある中身の濃い演奏で、この稿を使ってここまでできる指揮者はそんなにいないのでは?というくらいのものでした。

ルイージとN響の今後にさらに期待を持ちたいです。それにしても本当にN響はヤルヴィ以降大進化しました。驚きです。

尚、ブルックナーの演奏時間は楽章間のインターバルを含め約70分。因みにジュリーニの77年稿ノヴァーク版による演奏は58分です。

以上で〆


といいたいところですが、一部の拍手が早いという不満も多少あったものの、それ以上に「だらしない事演奏中にするなよ」と言いたくなるような人がいて愕然。あれ。後ろに人がいたら喧嘩になっていたかも。

NHKホールの人たちは近いうちにそこそこな騒動が起きる事を覚悟しなければいけないのかも。

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