「涼宮ハルヒ“聖地”高校の憂鬱 無断撮影や巨大落書き」について。 [涼宮ハルヒの雑感]
「若者に人気のSF系学園小説「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」の舞台モデルとなった兵庫県西宮市の県立西宮北高校が、一部のファンのマナー違反にさらされている。「聖地巡礼」として訪れたファンが無断で敷地内に侵入し、グラウンドに白線で巨大文字を落書きしたり、校舎内に入ろうとしたりして警察が出動する騒動にも発展。同校もホームページに警告文を掲載。「生徒に直接被害が出ないか心配」としている。」(以下略)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/100506/gam1005061130000-n1.htm
(以上 MSN産経ニュースより。)
※記事をそのまま貼るのは本当はいけないことなのかもしれませんが…
これが本当だとしたら
じつに情けない話です。
これでは以前問題となった
イタリアの歴史的建造物に落書きした阿呆や
最近の線路内への無断立ち入りで
JRに少なからぬ損害を与えぬ一部の心ない鉄道マニアと
それこそ大同小異だし許されないことだろう。
だいたい本来聖地巡礼というのは
本来その聖地を崇めそして敬うという心あってのものだ。
それを思うといやしくも「聖地巡礼」と言われる行為を行うのであれば
少なくともそれら建造物やその所有者
さらにはそれらに現在進行形で関わっている方々に迷惑がかかる行為など
絶対あってはならないだろう。
無断侵入や落書きなどもってのほかだし
間違ってもそれらを「聖地巡礼」などといってほしくない。
他のアニメファンにも大迷惑なこれは行為だ。
自分はここでときおりこの「聖地巡礼」についてふれ
そしてそれを奨励してきた。
だがそれはファンと地元の信頼関係と
変に特別扱いをしない自然な関係の上に成り立っているのであって、
今回のこのような行為が派生した場合
それらは一気に瓦解しかねない危険性をはらむことになる。
ほんとうに憂慮すべき行為なのだ。
またこの話を聞いたとき
じゃあ鷲宮や豊郷は今大丈夫なのだろうかと
こちらもまた心配になってしまった。
ひょっとするとこちらが見落としているだけで
同じようなことがすでに起きているのではないかと
こちらもまた心配になってきてしかたなかった。
まあたしかにこれらは一部の暴徒ともいえる輩の行為なので
これによってファン全体がどうこうということはないが
やられた方はかなりナーバスになっていることは想像に難くないだろう。
それを思うと今後こういう「聖地巡礼」全体に暗い影がおとされることも
充分考慮していかなければならないことになるだろう。
この「聖地巡礼」
たしかに多少みてくれや行為に怪しいものが一般からみるとあるかもしれないが
それがここまでいろいろといい意味でみられていたことは
そこにいるファンが礼儀正しいし、案外普通だからということが前提にあったからだ。
だがそれらによってこつこつとつみあげられてきたことを
これらの蛮行はすべてぶっ飛ばしかねないくらいのことをしてしまった。
幸い上に書かれていたサイトでは
比較的事実をそのまま書いてくれるという
たいへんありがたい姿勢に基づいた記事を書いてくれているが
以前だったらもっと酷い
それこそ「だからアニヲタは…」という論調が
あちらこちらで盛大に花を咲かせていたことだろう。
とにかくこういう行為はもうけっこうだし
今後絶対起きて欲しくない蛮行であり愚行である。
大多数の一般ファンを悲しませないためにも
そして「聖地」に関わるすべての方に不安やご迷惑をかけたり
作者に対して恩を仇で返すようなことをしないためにも
こういうことはもうこれっきりにしてほしい。
そしてもしまだなら
これらを起こした当事者は関係者すべてに
真摯に謝罪すべきだろう。
それが最低限のファンというより人としてのマナーであり常識なのだから。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/100506/gam1005061130000-n1.htm
(以上 MSN産経ニュースより。)
※記事をそのまま貼るのは本当はいけないことなのかもしれませんが…
これが本当だとしたら
じつに情けない話です。
これでは以前問題となった
イタリアの歴史的建造物に落書きした阿呆や
最近の線路内への無断立ち入りで
JRに少なからぬ損害を与えぬ一部の心ない鉄道マニアと
それこそ大同小異だし許されないことだろう。
だいたい本来聖地巡礼というのは
本来その聖地を崇めそして敬うという心あってのものだ。
それを思うといやしくも「聖地巡礼」と言われる行為を行うのであれば
少なくともそれら建造物やその所有者
さらにはそれらに現在進行形で関わっている方々に迷惑がかかる行為など
絶対あってはならないだろう。
無断侵入や落書きなどもってのほかだし
間違ってもそれらを「聖地巡礼」などといってほしくない。
他のアニメファンにも大迷惑なこれは行為だ。
自分はここでときおりこの「聖地巡礼」についてふれ
そしてそれを奨励してきた。
だがそれはファンと地元の信頼関係と
変に特別扱いをしない自然な関係の上に成り立っているのであって、
今回のこのような行為が派生した場合
それらは一気に瓦解しかねない危険性をはらむことになる。
ほんとうに憂慮すべき行為なのだ。
またこの話を聞いたとき
じゃあ鷲宮や豊郷は今大丈夫なのだろうかと
こちらもまた心配になってしまった。
ひょっとするとこちらが見落としているだけで
同じようなことがすでに起きているのではないかと
こちらもまた心配になってきてしかたなかった。
まあたしかにこれらは一部の暴徒ともいえる輩の行為なので
これによってファン全体がどうこうということはないが
やられた方はかなりナーバスになっていることは想像に難くないだろう。
それを思うと今後こういう「聖地巡礼」全体に暗い影がおとされることも
充分考慮していかなければならないことになるだろう。
この「聖地巡礼」
たしかに多少みてくれや行為に怪しいものが一般からみるとあるかもしれないが
それがここまでいろいろといい意味でみられていたことは
そこにいるファンが礼儀正しいし、案外普通だからということが前提にあったからだ。
だがそれらによってこつこつとつみあげられてきたことを
これらの蛮行はすべてぶっ飛ばしかねないくらいのことをしてしまった。
幸い上に書かれていたサイトでは
比較的事実をそのまま書いてくれるという
たいへんありがたい姿勢に基づいた記事を書いてくれているが
以前だったらもっと酷い
それこそ「だからアニヲタは…」という論調が
あちらこちらで盛大に花を咲かせていたことだろう。
とにかくこういう行為はもうけっこうだし
今後絶対起きて欲しくない蛮行であり愚行である。
大多数の一般ファンを悲しませないためにも
そして「聖地」に関わるすべての方に不安やご迷惑をかけたり
作者に対して恩を仇で返すようなことをしないためにも
こういうことはもうこれっきりにしてほしい。
そしてもしまだなら
これらを起こした当事者は関係者すべてに
真摯に謝罪すべきだろう。
それが最低限のファンというより人としてのマナーであり常識なのだから。
涼宮ハルヒの消失とサティの謎 [涼宮ハルヒの雑感]
最近公開された「ハルヒの消失」
そこでなぜサティを使用したかということについて
みなさんで考えてください
みたいなことがパンフにあった。
というわけでいろいろと考えてみた。
サティは19世紀後半から20世紀前半にかけての作曲家で
その活動時期はマーラーとかぶっている。
そうあのハルヒ第1期で使用された
あの千人の交響曲の作曲者だ。
じつはサティとマーラーに交流があったということは
あまり知られていない事実ですが
あるときサティはマーラーにひとつの手紙を託している。
それはサティが冗談半分に書いた内容ではあるが
次に大きな星が地球をよぎる時は
「この世界がすべて変わってしまうようなことが起きる」
というものだったという。
マーラーはサティが変人だということは知っていたが
神経質なマーラーはそれが気になってしかたがなかった。
このため1909年にハレー彗星があらわれたとき
マーラーは酷く狼狽し神経を病んだが
その治癒にあたったのがフロイトであり
そして初演されたのがあの千人の交響曲だった。
だがマーラーはその後持病が悪化し翌年に死去してしまった。
だがサティのマーラーに話した予言はその後次々と当たった。
第一次世界大戦の勃発やスペイン風邪の大流行が
それから数年後に次々と起きた。
だが話はこれだけではすまなかった。
もうひとつの話はドビュッシーとサティのこと。
サティのジムノペティを編曲したドビュッシーは
その二番だけを編曲しなかった。
これもサティの発言がからんでいたという。
「三つすべてを編曲したら天からの使徒が歴史を変えるだろう」
とドビュッシーがサティのジムノペティを編曲するとき
サティから言われた一言がそれだ。
ドビュッシーはこのためこの曲の一番と三番だけオーケストラ用に編曲した。
だがその後二番がどうしても気になったドビュッシーは
サティあの一言が気になってはいたが
どうしても二番の編曲のことが気になり
二番の編曲を後年病をおしてついに完成させた。
ドビュッシーはそのことをサティに連絡すると
サティは数日後彼の家に意外にも笑顔であらわれた。
体調のすぐれないドビュッシーの前に
サティは一部の新聞を置いた。
ドビュッシーはその下の方にある小さな記事をみて一瞬気を失いかけた。
それはポルトガルで起きた
ファティマにおける聖母奇跡の出現に関する記事だった。
ドビュッシーはすぐにそのスコアを破り捨てたが
この後ドビュッシーの病状は急速に悪化。
翌年の春に死去してしまった。
今回の「消失」では
その問題の第二番が編曲されている。
「天からの使徒が歴史を変える」
この天を宇宙と変えたら
サティを使用することがじつにふさわしいことではないだろうか。
しかもそこにはマーラーとフロイトもかかわっている。
「この世界がすべて変わってしまうようなことが起きる」
と。
とにかくそういう極めてマイナーなネタが
今回使用された理由だと自分は思います。
以上です。
4/1限定で〆
-------------------------------
※
上記のそれは2010年4月1日にエイプリルフール企画で書き込んだものです。
そこでなぜサティを使用したかということについて
みなさんで考えてください
みたいなことがパンフにあった。
というわけでいろいろと考えてみた。
サティは19世紀後半から20世紀前半にかけての作曲家で
その活動時期はマーラーとかぶっている。
そうあのハルヒ第1期で使用された
あの千人の交響曲の作曲者だ。
じつはサティとマーラーに交流があったということは
あまり知られていない事実ですが
あるときサティはマーラーにひとつの手紙を託している。
それはサティが冗談半分に書いた内容ではあるが
次に大きな星が地球をよぎる時は
「この世界がすべて変わってしまうようなことが起きる」
というものだったという。
マーラーはサティが変人だということは知っていたが
神経質なマーラーはそれが気になってしかたがなかった。
このため1909年にハレー彗星があらわれたとき
マーラーは酷く狼狽し神経を病んだが
その治癒にあたったのがフロイトであり
そして初演されたのがあの千人の交響曲だった。
だがマーラーはその後持病が悪化し翌年に死去してしまった。
だがサティのマーラーに話した予言はその後次々と当たった。
第一次世界大戦の勃発やスペイン風邪の大流行が
それから数年後に次々と起きた。
だが話はこれだけではすまなかった。
もうひとつの話はドビュッシーとサティのこと。
サティのジムノペティを編曲したドビュッシーは
その二番だけを編曲しなかった。
これもサティの発言がからんでいたという。
「三つすべてを編曲したら天からの使徒が歴史を変えるだろう」
とドビュッシーがサティのジムノペティを編曲するとき
サティから言われた一言がそれだ。
ドビュッシーはこのためこの曲の一番と三番だけオーケストラ用に編曲した。
だがその後二番がどうしても気になったドビュッシーは
サティあの一言が気になってはいたが
どうしても二番の編曲のことが気になり
二番の編曲を後年病をおしてついに完成させた。
ドビュッシーはそのことをサティに連絡すると
サティは数日後彼の家に意外にも笑顔であらわれた。
体調のすぐれないドビュッシーの前に
サティは一部の新聞を置いた。
ドビュッシーはその下の方にある小さな記事をみて一瞬気を失いかけた。
それはポルトガルで起きた
ファティマにおける聖母奇跡の出現に関する記事だった。
ドビュッシーはすぐにそのスコアを破り捨てたが
この後ドビュッシーの病状は急速に悪化。
翌年の春に死去してしまった。
今回の「消失」では
その問題の第二番が編曲されている。
「天からの使徒が歴史を変える」
この天を宇宙と変えたら
サティを使用することがじつにふさわしいことではないだろうか。
しかもそこにはマーラーとフロイトもかかわっている。
「この世界がすべて変わってしまうようなことが起きる」
と。
とにかくそういう極めてマイナーなネタが
今回使用された理由だと自分は思います。
以上です。
4/1限定で〆
-------------------------------
※
上記のそれは2010年4月1日にエイプリルフール企画で書き込んだものです。
「涼宮ハルヒの弦奏」DVD雑感 [涼宮ハルヒの雑感]
というわけで「涼宮ハルヒの弦奏」DVDをみた。
けっこういろいろと面白いところがあった。
すでに演奏会そのものや
CDの雑感である程度書いているので
今回はDVDをみて気づいたことを少々。
今回の演奏会
やはりかなり管楽器の消耗が激しかったこと。
特にホルンはたいへんだったようで
ホルンが前半から頻繁に楽器をひっくりかえして
中にたまった唾を外に出しているのがみてとれる。
まず舞台横のPA。
これは本来マイク用のそれなのかもしれないのですが
ひょっとすると本番中オケの補正をやっていたのかもしれません。
というのもこのホールは1961年開館の年代物。
このため残響が現在のホールよりも少ないため
音の潤いが低下してしまうという欠点があります。
しかもホールが満員ということでさらにその傾向を増しているため
なおさらという気がします。
ただこのあたりはCDを聴いても
ホールで当日自分が聴いていた二階でも
そういうものにつきものの不自然感がなかったので
ここの部分は従来のクラシックコンサートとはかなり異質なものの
これはこれでOKと思いました。
続いてカメラワーク。
指揮者よりもオケのソロをUPしたり
舞台下から移動カメラで撮影したりというのは
あまりクラシックコンサートではみかけないもので
特に後者はまずふつうはクラシックコンサートではないものです。
これはカメラの移動音がうるさいという以上に
カメラ越し前列の方にかなり邪魔になったのではと
ちょっと心配になったものでした。
続いて平野さんとこのオーケストラのコンサートマスター。
最初の「でしょでしょ」のときの平野さん。
目が泳ぎ気味であきらかにかなり緊張している。
歌い出してもまだ緊張気味だが
ここでコンサートマスターが
少し大きめにリズムを体でとっている。
これが平野さんの目に入っていたかどうかわからないが
コンサートマスターが緊張している平野さんために
リズムにのれるように
そういう動きをしているようにみえた。
これに対して二曲目となった「LOST~」では
かなり緊張がとけたせいか
もうそういう素振りをみせてはいない。
そのかわり平野さんの調子がでてきたとき
バックアップとして体を大きく動かして
オーケストラ全体を平野さんのノリにあわせて引っ張ろうという
そういう部分がみえていた。
このとき何度もオーケストラ全体をみていたのも印象的だ。
このあたりきっちりと仕事をしているのはみていて嬉しい。
そして特典映像。
こちらはいろいろと面白いことがあった。
あまり書くと見たときの面白さが半減するのであれなのですが
いくつか書くと、
まずひとつに平野さんや茅原さんがやたら緊張していたけど
この原因のひとつにオーケストラの練習音がある。
じつはオーケストラのメンバーが
各々勝手に出している音が
けっこうなれないゲストを緊張させるという。
ようするに「いよいよ」感のようなものを煽るのだという。
以前このことをある人にいわれたことがあるけど
今回それをあらためて再確認させられたものでした。
あと神前さん。
「バート・バカラックの~」はないだろう。
正直みていたTVに頭から突っ込みそうになったものでした。
そして最後になぜあのような締まらない事がおきたか。
なるほど後でみかえすとたしかに白石さんの足が一瞬止まりかけていた。
こりゃ可愛そうだ。
というわけで事の顛末は本編を見てください。
ということで、とにかくなかなか面白い内容でした。
本編では登場シーンの少ない茅原さんは
メイキングにはそこそこ出ています。
因みにDVDはこのコンサートをほとんどノーカット収録しています。
CDではカットされたMCから
白石さんを一瞬地獄に突き落としたラストまで
とにかくドキュメントとしてもなかなか楽しめる内容となっています。
以上です。
それにしてもそんなにクラシックのコンサートと緊張するもんでしょうか?
まあもっとも、自分もアニメのイベントに行くと緊張するので
このあたりはお互い慣れなのでしょう。
〆です。
ハルヒ(アニメ)って何だろう。 [涼宮ハルヒの雑感]
いききなりだが
もう一度「消失」を見に行く前にひとくさり。
以前ちょっとふれたけど
ハルヒというアニメは
徹底的にこだわりのアニメだし
ある意味内向きだけの
それこそ閉鎖空間的アニメといっていいのかもしれない。
ただその空間に入ったら
かなりの確実でみなその虜というか餌食になっている。
それくらい強い魅力というか毒をもっている作品といっていい。
そういう作品だから
これが劇場作品になるというのには正直ビックリした。
で、できた作品はやはり閉鎖空間的アニメだった。
なにせ初めて見た人には何の説明もくそもない。
TV版すべてみてから来い
といわんばかりの出来だった。
もうこれだけでいかにも閉鎖的なアニメだけど
そのスタイルを貫いたことはむしろよかった。
劇場だからと変にスタイルを変えたらそれこそ?だ。
ところでこのアニメ
よくEVAと比べる人がいるけどどうだろう。
まあ内容はさておき
アニメの立ち位置としてはかなり違う作品といっていいだろう。
それはかたやVHF局で18:30(関東)から放送され
何度となく放送されていたのに対し
かたやUHF局のみで
しかも再放送は新作を含め一度きり。
またEVAはヤマト、ガンダムという
アニメ以外の層を巻き込むアニメではあったが、
ハルヒはそういうものではなかった。
EVAとハルヒの間には10年という年月があった。
そしてその間にアニメは
というより世の中全体が
世紀を挟んで価値観の細分化に走っていった。
それは放送時間の変更や
UHFのアニメ増大にも拍車をかけることにもなっていった。
それはある意味
プロレスの歴史とちょっと重なるところがあるけど
そのあたりはまた機会があったらということで。
ハルヒはそんな中で生まれ
そして見事にその土壌で花開いた作品といえるだろう。
で、EVAもEVAでガンダム同様
世紀を超えていまだヒットメーカーとなりうる力を
劇場版のヒットで見事証明してくれた。
そしてそのつくり方もハルヒと違い
初見の方もついていけるような作り方となっていた。
アニメというのはその時代を「うつす」鏡といっていいと思う。
もちろん他にもそういうものはあるけど
アニメはかなりその時代をうつしているといっていいと思う。
EVAはそういう意味でその時代を多少のモデルチェンジだけで
見事に乗り越えてきたのは本当は凄いことなのだが
その性格的なものを考えると
ある意味それは当然の結果といえるのかもしれない。
だけどハルヒはどうだろう。
「エンドレス・エイト」以降
たしかに味噌をつけてしまった感があるが
それもまたこの作品の宿命だったのかもしれないし、
それがあろうがなかろうが
この作品がEVA同様あと十年後また復活するかというと
自分はいささか首をかしげてしまう。
それはそのときの価値観の変動が今の自分には読めないし
それにハルヒが順応するとはとても思えないものがあるからだ。
だけどこの作品が今の時代に少なくともマッチしているのは確かだし
それをみて楽しんでいる人も自分も含めて少なからずいることも事実。
だからそのうちハルヒが次第に新しいファンから価値の外にはじきだされ
今までのファンも次第に減っていくことになるとしても
ひとつの時代の鏡のひとつとしてその存在価値は失わないだろうし、
同じ時代を生きた人の中に
かけがえのない楽しくも充実した思い出を残してくれることだろう。
もっともそれはハルヒだけに限ったことではないし
むしろ大多数のアニメにいうることなのだが
それもまたいかにもハルヒらしいといえるだろう。
だいたい主人公の涼宮ハルヒ自身
遠い価値感より近くの楽しみをとるタイプだし
作品そのものもありきたりのアニメではなかったというオマケつきなので
本人もむしろこういう形での評価の方が本望だったかもしれない。
宇宙人、未来人、超能力者、
どれもありきたりだけど
それらを創造者が巻き込んで
それにちょっと変わった一般人をからませてきた。
こんな設定が後世に影響を与えるはずがない。
だけど今がそれで楽しければいい。
とにかくハルヒはそういう意味で
後世に影響とかそういうものよりもその場を楽しく、
そして他の誰よりも面白くなることを
徹頭徹尾目指し追求したアニメといえるだろう。
そこにちょっとした各人の知識を刺激する毒もある。
そんな魅力的な
各人にとっての極私的おたのしみアニメ。
ハルヒってそんなアニメなのかもしれません。
〆
もう一度「消失」を見に行く前にひとくさり。
以前ちょっとふれたけど
ハルヒというアニメは
徹底的にこだわりのアニメだし
ある意味内向きだけの
それこそ閉鎖空間的アニメといっていいのかもしれない。
ただその空間に入ったら
かなりの確実でみなその虜というか餌食になっている。
それくらい強い魅力というか毒をもっている作品といっていい。
そういう作品だから
これが劇場作品になるというのには正直ビックリした。
で、できた作品はやはり閉鎖空間的アニメだった。
なにせ初めて見た人には何の説明もくそもない。
TV版すべてみてから来い
といわんばかりの出来だった。
もうこれだけでいかにも閉鎖的なアニメだけど
そのスタイルを貫いたことはむしろよかった。
劇場だからと変にスタイルを変えたらそれこそ?だ。
ところでこのアニメ
よくEVAと比べる人がいるけどどうだろう。
まあ内容はさておき
アニメの立ち位置としてはかなり違う作品といっていいだろう。
それはかたやVHF局で18:30(関東)から放送され
何度となく放送されていたのに対し
かたやUHF局のみで
しかも再放送は新作を含め一度きり。
またEVAはヤマト、ガンダムという
アニメ以外の層を巻き込むアニメではあったが、
ハルヒはそういうものではなかった。
EVAとハルヒの間には10年という年月があった。
そしてその間にアニメは
というより世の中全体が
世紀を挟んで価値観の細分化に走っていった。
それは放送時間の変更や
UHFのアニメ増大にも拍車をかけることにもなっていった。
それはある意味
プロレスの歴史とちょっと重なるところがあるけど
そのあたりはまた機会があったらということで。
ハルヒはそんな中で生まれ
そして見事にその土壌で花開いた作品といえるだろう。
で、EVAもEVAでガンダム同様
世紀を超えていまだヒットメーカーとなりうる力を
劇場版のヒットで見事証明してくれた。
そしてそのつくり方もハルヒと違い
初見の方もついていけるような作り方となっていた。
アニメというのはその時代を「うつす」鏡といっていいと思う。
もちろん他にもそういうものはあるけど
アニメはかなりその時代をうつしているといっていいと思う。
EVAはそういう意味でその時代を多少のモデルチェンジだけで
見事に乗り越えてきたのは本当は凄いことなのだが
その性格的なものを考えると
ある意味それは当然の結果といえるのかもしれない。
だけどハルヒはどうだろう。
「エンドレス・エイト」以降
たしかに味噌をつけてしまった感があるが
それもまたこの作品の宿命だったのかもしれないし、
それがあろうがなかろうが
この作品がEVA同様あと十年後また復活するかというと
自分はいささか首をかしげてしまう。
それはそのときの価値観の変動が今の自分には読めないし
それにハルヒが順応するとはとても思えないものがあるからだ。
だけどこの作品が今の時代に少なくともマッチしているのは確かだし
それをみて楽しんでいる人も自分も含めて少なからずいることも事実。
だからそのうちハルヒが次第に新しいファンから価値の外にはじきだされ
今までのファンも次第に減っていくことになるとしても
ひとつの時代の鏡のひとつとしてその存在価値は失わないだろうし、
同じ時代を生きた人の中に
かけがえのない楽しくも充実した思い出を残してくれることだろう。
もっともそれはハルヒだけに限ったことではないし
むしろ大多数のアニメにいうることなのだが
それもまたいかにもハルヒらしいといえるだろう。
だいたい主人公の涼宮ハルヒ自身
遠い価値感より近くの楽しみをとるタイプだし
作品そのものもありきたりのアニメではなかったというオマケつきなので
本人もむしろこういう形での評価の方が本望だったかもしれない。
宇宙人、未来人、超能力者、
どれもありきたりだけど
それらを創造者が巻き込んで
それにちょっと変わった一般人をからませてきた。
こんな設定が後世に影響を与えるはずがない。
だけど今がそれで楽しければいい。
とにかくハルヒはそういう意味で
後世に影響とかそういうものよりもその場を楽しく、
そして他の誰よりも面白くなることを
徹頭徹尾目指し追求したアニメといえるだろう。
そこにちょっとした各人の知識を刺激する毒もある。
そんな魅力的な
各人にとっての極私的おたのしみアニメ。
ハルヒってそんなアニメなのかもしれません。
〆
「涼宮ハルヒの消失」雑感 [涼宮ハルヒの雑感]
ようやくみにいきました。
長い作品なのでなかなか時間がとれなかったのですが
ようやくという感じです。
結論からいうと
二時間四十分という時間を
全然感じさせない出来でした。
それにしても160分というとちょっとしたオペラより長いし
TVアニメ6-7本分ある長さだが、
これがほんとうにあっという間だった。
こんなシーンなくてもいいのに、というシーンもなければ
急いで詰め込んだようなシーンもない。
またTVアニメが劇場版になったときの悪癖ともいえる
やりすぎ感や
大風呂敷を広げすぎた感もない。
じつにいつもの光景が
いつもより切れ目無く
ゆったりかつ静かに流れていくという
そんな感じの作品となっていました。
そのため「ここ」という時の動きが
じつにインパクトが十二分に伝わってくる。
そういう配分というか
寸法取りもじつに自然体でできあがっている。
これがこの長編を飽きさせなかった要因だろう。
内容的に長門とキョンが中央に置かれるため
当然茅原さんと杉田さんに負荷がかかる。
しかも途中杉田さんはじつに長いソロがある。
ここがもし砕けると作品が崩壊してしまう危険もあるところだったけど
ここを杉田さんはじつに蕩々とソロをとっていた。
これは特筆すべきことだと思う。
音楽は全体的にいつものBGM+サティの曲、
+オケものでだいたいは成り立っていたけど
動きのあるシーンでの曲のいくつかが
ちょっと「千と千尋」のBGMに似ていた。
そういえばあれも異世界での話だった。
何か意識するものでもあったのだろうか。
まあ上映中ということもあり
あれもこれもといろいろ書けないけど
とにかくよく出来ている作品だった。
またOPが「でしょでしょ」だったため
劇場でみているにもかかわらず
すぐに作品に溶け込めたのも嬉しかった。
自分は原作を読まない主義なので
原作との比較はできないけれど
とにかく自分はこの作品
とてもたのしめたし
少なくともこの日劇場でみていた多くの人は皆口々に
「おもしろかった」
「長門が可愛い」
「また見に来たい」
など、じつにいい印象を作品に持たれているようだった。
しかしそれにしても人がけっこう入ってたなあ。
公開されて二週間たち
しかも平日の昼過ぎからの上映だったのに
けっこう大きなホールが六割前後入っていたような。
これにはけっこう驚きました。
まあとにかくこれをみていると
まだまだハルヒは終わらないといいますか
また何かの形で新作が出来る日がくるんだろうなと思ったものでした。
最後に劇場で買ったパンフレットのキャラクターのところをみて一言。
「国木田」はどうした?
以上で〆です。
http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/movie/
(公式サイト)
長い作品なのでなかなか時間がとれなかったのですが
ようやくという感じです。
結論からいうと
二時間四十分という時間を
全然感じさせない出来でした。
それにしても160分というとちょっとしたオペラより長いし
TVアニメ6-7本分ある長さだが、
これがほんとうにあっという間だった。
こんなシーンなくてもいいのに、というシーンもなければ
急いで詰め込んだようなシーンもない。
またTVアニメが劇場版になったときの悪癖ともいえる
やりすぎ感や
大風呂敷を広げすぎた感もない。
じつにいつもの光景が
いつもより切れ目無く
ゆったりかつ静かに流れていくという
そんな感じの作品となっていました。
そのため「ここ」という時の動きが
じつにインパクトが十二分に伝わってくる。
そういう配分というか
寸法取りもじつに自然体でできあがっている。
これがこの長編を飽きさせなかった要因だろう。
内容的に長門とキョンが中央に置かれるため
当然茅原さんと杉田さんに負荷がかかる。
しかも途中杉田さんはじつに長いソロがある。
ここがもし砕けると作品が崩壊してしまう危険もあるところだったけど
ここを杉田さんはじつに蕩々とソロをとっていた。
これは特筆すべきことだと思う。
音楽は全体的にいつものBGM+サティの曲、
+オケものでだいたいは成り立っていたけど
動きのあるシーンでの曲のいくつかが
ちょっと「千と千尋」のBGMに似ていた。
そういえばあれも異世界での話だった。
何か意識するものでもあったのだろうか。
まあ上映中ということもあり
あれもこれもといろいろ書けないけど
とにかくよく出来ている作品だった。
またOPが「でしょでしょ」だったため
劇場でみているにもかかわらず
すぐに作品に溶け込めたのも嬉しかった。
自分は原作を読まない主義なので
原作との比較はできないけれど
とにかく自分はこの作品
とてもたのしめたし
少なくともこの日劇場でみていた多くの人は皆口々に
「おもしろかった」
「長門が可愛い」
「また見に来たい」
など、じつにいい印象を作品に持たれているようだった。
しかしそれにしても人がけっこう入ってたなあ。
公開されて二週間たち
しかも平日の昼過ぎからの上映だったのに
けっこう大きなホールが六割前後入っていたような。
これにはけっこう驚きました。
まあとにかくこれをみていると
まだまだハルヒは終わらないといいますか
また何かの形で新作が出来る日がくるんだろうなと思ったものでした。
最後に劇場で買ったパンフレットのキャラクターのところをみて一言。
「国木田」はどうした?
以上で〆です。
http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/movie/
(公式サイト)
「涼宮ハルヒの消失」雑感…続き [涼宮ハルヒの雑感]
続き
ここから先はネタバレ込みで…
この作品は前述したとおり
賑やかシーンが多いのに
じつに静かな作品というイメージがある。
それはメインに据えられた長門のイメージ
それが作品自体を支配しているからだろう。
またビートの効いた音楽というのも
あまり使用されていなかった気がする。
そして随所に流れるサティのジムノペティ。
古代の祭典ジムノペディアを描いた壺
その壺からインスピレーションを得たこの作品。
似たようなメロディを基に
三つの音楽が展開されるこの作品。
これを聴くと
憂鬱と消失という
二つの舞台を基にした主題と変奏を暗示し
そして消失におけるゆったりとした流れと静寂を表出するという意味で
一番適した作品がこの作品だった
という気にさせられた。
ということはジムノペディは三つからなる作品
するとこの続きがもうひとつあるということか。
たしかに階段落ちしたキョンや
刺されたキョンに話しかけるキョンらしき人物などについての
綺麗なオチがまだついていないので
それはこれからなのだろう。
あとこれだけの力を長門がもっているのなら
なぜ長門の上のそれはハルヒを消そうとしないのか。
ひょっとしたらハルヒがいない世界というのを
あえてこういう形で試してみたのではないかと、
そしてそれは長門のバグという形を借りたのではないか。
そんな疑問も沸いてきてしかたなかった。
もっとも長門が最初からハルヒを消そうとしていたら
それこそルルーシュの前にデスノートがおちてきたらみたいな
三秒で終わるコードギアスみたいになってしまうだろう。
まあそんな夢のない話はともかく
とにかくいろいろとこのあたりは深読みしたくなるところ満載
というかんじのつくりだった。
ハルヒと小泉のいない学校
みくるも部外者となり
残るはキョンと人となった長門のみ。
これは長門の望んだ世界なのか
それとも誰かによる実験的な世界の構築なのか
とにかくそれはなされてしまった。
キョンにとってはそれこそ
「人生とは巨大な冗談なのではないか」
どころの騒ぎではなかっただろうが
とにかく世界で一人だけ
前の世界を記憶をもった人間として
その場に放り出されてしまった。
キョンは「憂鬱」のときの手がかりを軸に
この難局をひとつひとつ乗り越えていく。
もっとも巻き込まれながらという言い方が正しいかもしれないけれど。
あと何度か足が動かなくなるシーンがあるけど
あれは「エンドレスエイト」で
喫茶店で出行くハルヒを呼び止めようとするとき
何を話して良いのかわからず
キョンが金縛りにあったかのように固まってしまうそれと
妙に重なる部分があった。
あれは何かの暗示だったのだろうか。
それとこれをみてて思ったことに
ハルヒってどう終わらせられるんだろうという
もの凄い不安というのも感じています。
実際原作も止まっているらしいので
作者さんもいろいろと考えているのかもしれません。
ただそれ以上に終わる必要もない
そんな作品なのかもこれはしれませんね。
それにしても消失がなんで人気があるのかようやくわかりました。
長門の健気さみたいなものがベースに盛り込まれ
それがまた何とも言えない儚さと危うさにみちている。
そんなところにも強く多くの方が惹きつけられたのでしょう。
これってある意味
バグという名の長門にとっての夢でもあり
ファンにとってのひとつの夢のあらわれでもあるようにも感じられました。
でもその夢or現実の儚さ。
「儚さ(はかなさ)」って人偏に夢って書くということもあらためて感じさせられました。
(夢って予定調和的な現実における人間におきるバグなんでしょうか)
とにかくいいアニメでした。
久しぶりにもう一度映画館でみたい
そしてDVDの発売が決まったら予約したくなるアニメでした。
発売はいつかなあ…、7月7日だったりして。
因みに自分が印象に残ったシーンは
長門が現状書き換えによってふつうの女の子になった瞬間
ガクっと力が抜けたようになったあのシーン。
長門に重くのしかかっていたすべてのものが
普通の人間になった瞬間一気に消え去ったような
そんなふうに感じられました。
あと長門が入部届けを断られその用紙を受け取ろうとして一瞬掴み損なうシーンと
それと対になっていた長門の自宅から出て行こうとするキョンの服を掴むシーン
そしてキョンがEnterを押すシーン
それらも印象に強く残っていたからでしょうか
自分にはあそこがなんかとても悲しいシーンに感じられました。
それだけに病院屋上での雪のシーンは救われる思いがありましたし
最後の図書館のシーンでの長門の表情には…
これにて〆です。
PS(2/20)
それにしても朝倉とキョンのエレベータのシーンの長いこと長いこと。
さらについたのが下りなのに五階とちとびっくり。
どんだけ遅いエレベータなんだろうか。
最後に
この作品を見終わった後、
なんか妙に自分が以前より少し優しくなれそうな気がした。
キース・ジャレットのソロでも聴こうかな。
ここから先はネタバレ込みで…
この作品は前述したとおり
賑やかシーンが多いのに
じつに静かな作品というイメージがある。
それはメインに据えられた長門のイメージ
それが作品自体を支配しているからだろう。
またビートの効いた音楽というのも
あまり使用されていなかった気がする。
そして随所に流れるサティのジムノペティ。
古代の祭典ジムノペディアを描いた壺
その壺からインスピレーションを得たこの作品。
似たようなメロディを基に
三つの音楽が展開されるこの作品。
これを聴くと
憂鬱と消失という
二つの舞台を基にした主題と変奏を暗示し
そして消失におけるゆったりとした流れと静寂を表出するという意味で
一番適した作品がこの作品だった
という気にさせられた。
ということはジムノペディは三つからなる作品
するとこの続きがもうひとつあるということか。
たしかに階段落ちしたキョンや
刺されたキョンに話しかけるキョンらしき人物などについての
綺麗なオチがまだついていないので
それはこれからなのだろう。
あとこれだけの力を長門がもっているのなら
なぜ長門の上のそれはハルヒを消そうとしないのか。
ひょっとしたらハルヒがいない世界というのを
あえてこういう形で試してみたのではないかと、
そしてそれは長門のバグという形を借りたのではないか。
そんな疑問も沸いてきてしかたなかった。
もっとも長門が最初からハルヒを消そうとしていたら
それこそルルーシュの前にデスノートがおちてきたらみたいな
三秒で終わるコードギアスみたいになってしまうだろう。
まあそんな夢のない話はともかく
とにかくいろいろとこのあたりは深読みしたくなるところ満載
というかんじのつくりだった。
ハルヒと小泉のいない学校
みくるも部外者となり
残るはキョンと人となった長門のみ。
これは長門の望んだ世界なのか
それとも誰かによる実験的な世界の構築なのか
とにかくそれはなされてしまった。
キョンにとってはそれこそ
「人生とは巨大な冗談なのではないか」
どころの騒ぎではなかっただろうが
とにかく世界で一人だけ
前の世界を記憶をもった人間として
その場に放り出されてしまった。
キョンは「憂鬱」のときの手がかりを軸に
この難局をひとつひとつ乗り越えていく。
もっとも巻き込まれながらという言い方が正しいかもしれないけれど。
あと何度か足が動かなくなるシーンがあるけど
あれは「エンドレスエイト」で
喫茶店で出行くハルヒを呼び止めようとするとき
何を話して良いのかわからず
キョンが金縛りにあったかのように固まってしまうそれと
妙に重なる部分があった。
あれは何かの暗示だったのだろうか。
それとこれをみてて思ったことに
ハルヒってどう終わらせられるんだろうという
もの凄い不安というのも感じています。
実際原作も止まっているらしいので
作者さんもいろいろと考えているのかもしれません。
ただそれ以上に終わる必要もない
そんな作品なのかもこれはしれませんね。
それにしても消失がなんで人気があるのかようやくわかりました。
長門の健気さみたいなものがベースに盛り込まれ
それがまた何とも言えない儚さと危うさにみちている。
そんなところにも強く多くの方が惹きつけられたのでしょう。
これってある意味
バグという名の長門にとっての夢でもあり
ファンにとってのひとつの夢のあらわれでもあるようにも感じられました。
でもその夢or現実の儚さ。
「儚さ(はかなさ)」って人偏に夢って書くということもあらためて感じさせられました。
(夢って予定調和的な現実における人間におきるバグなんでしょうか)
とにかくいいアニメでした。
久しぶりにもう一度映画館でみたい
そしてDVDの発売が決まったら予約したくなるアニメでした。
発売はいつかなあ…、7月7日だったりして。
因みに自分が印象に残ったシーンは
長門が現状書き換えによってふつうの女の子になった瞬間
ガクっと力が抜けたようになったあのシーン。
長門に重くのしかかっていたすべてのものが
普通の人間になった瞬間一気に消え去ったような
そんなふうに感じられました。
あと長門が入部届けを断られその用紙を受け取ろうとして一瞬掴み損なうシーンと
それと対になっていた長門の自宅から出て行こうとするキョンの服を掴むシーン
そしてキョンがEnterを押すシーン
それらも印象に強く残っていたからでしょうか
自分にはあそこがなんかとても悲しいシーンに感じられました。
それだけに病院屋上での雪のシーンは救われる思いがありましたし
最後の図書館のシーンでの長門の表情には…
これにて〆です。
PS(2/20)
それにしても朝倉とキョンのエレベータのシーンの長いこと長いこと。
さらについたのが下りなのに五階とちとびっくり。
どんだけ遅いエレベータなんだろうか。
最後に
この作品を見終わった後、
なんか妙に自分が以前より少し優しくなれそうな気がした。
キース・ジャレットのソロでも聴こうかな。
「涼宮ハルヒの弦奏」CD雑感 [涼宮ハルヒの雑感]
「涼宮ハルヒの弦奏」のCDが出た。
LACA-5920
なんとこの日演奏された曲目すべてが収録された。
じつにありがたい。
この演奏会の感想は
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2009-04-30
にすでに書いていますので今回は割愛。
ここでは今回このCDを聴いての感想中心に書いていきたいと思います。
さて今回このCDを聴いて
まず嬉しかったのはその音の情報量の多いこと。
BGM風の綺麗だけど薄い録音ではなく、
多少バランスが悪くても分厚い、
当日の贅沢なほどの豪華なアレンジを
できるかぎり臨場感豊かに再現してほしいと思っていただけに
この音はうれしかった。
パーカッションの生々しい音質も最高ですし、
管楽器の質感もじつにいい雰囲気でしっかりと収録されてます。
ただこのホールの残響の少なさからか
弦楽器がときおりきもち粗く響くときがありますが
これも当日のそれを忠実に再現したということではOKだと思います。
曲によってはハリウッド映画のサントラみたいな、
そして大作ミュージカルのインストみたいな気さえした、
あの日の演奏会がじつによく再現されていて
ほんとにこれがとにかく嬉しかったです。
そして驚いたことにヴォーカル付の曲において
あえてヴォーカルを前面に強く出さず
オケと同列のようなバランスで収録していたこと。
このためファンの方にとっては
ややオフな声に聴こえたかもしれませんが、
このことによりバックのオーケストラがよく聴こえるため
平野さんと茅原さんが
オケとどのように耳をかたむけバランスをとり
そして音にのっていったかが伺えるような
そんなバランスで収録されているため
ファンの方にとっても
繰り返し聴くととても面白いものがあると思います。
またこのCDを聴くまでは自分はどちらかというと
平野さんが度胸でガーンとマイペースでおしていって
茅原さんが細かく歌いこんでいったという印象が
当日はけっこうあったのですが、
今聴くと平野さんもけっこうオケの変化に
神経を尖らせていたようです。
このあたりのことがわかったのも
この日の演奏会がCD化されたおかげといったところでしょうか。
またお二方の歌ですが
いつものスタジオ録音やライヴとは違った雰囲気の
一種の他流試合的緊張感からくるいつもとは違う独特の高揚感からか
ふだんより完成度という点では多少キズがある歌だったかもしれませんが、
オーケストラの情報量というかそのキャンパスの豊かさにあわせ、
ふだん以上にそれに負けないように表情づけが豊かな、
ある意味おもいきっていたような歌に感じられました。
それはオーケストラの中から自分の声を立ち上がらせようとするかのようで、
聴いていて爽快かつ圧巻とすら思えたほどでした
これも今回のCDであらためて感じさせられたものでした。
ただひとつ欲をいえば茅原さんにもう一曲ほど歌ってほしかったものです。
もっともどこかの某深夜アニメのように
「残酷な天使のテーゼ」を歌ってくれとまではいいませんが…。
尚、曲ごとの拍手は最後の曲以外すべてカットしていますが
その処理が自然なので違和感はありません。
そして以前お願いしていた
各曲の編曲者名がクレジットされていたのがほんとうに嬉しかったです。
(作曲)
神前暁 (1,2,4,5,8,9,10,11,13,15)
田代智一 (3,12,14)
冨田暁子 (6)
ショスタコーヴィチ (7)
(編曲)
岩崎文紀 (3,12)
松尾早人 (2,10,14,15)
浜口史郎 (1,4,5,8)
澤口和彦 (6,9,11,13)
※(7)は一応編曲無し。
最後に今回のCDジャケは長門だけど
演奏会宣伝用のポスター等に使用されていた
あのハルヒの指揮姿なのですが、
実在した指揮者の指揮姿に似ている気がしているのですが
いまだ誰かはわかりません。
ふつうこの手のイラストだと
ハルヒが両手をあげるかもしくはそれに近い位置に手をもってきて
しかも目を閉じて指揮しているような
そんなイラストがきそうなのに
このハルヒの指揮姿は
その余裕ありげな表情といい指揮姿といい
ちと壮年期より年がいっている指揮者のそれを
どことなく髣髴とさせられるものがあります。
なんか誰かをモデルにして書いたようにも感じられるのですが
モデルがいたとしたらいったい誰なのでしょう。
左手がクーベリック、右手がノイマンのようにもみえるので
チェコ系かスラヴ系の指揮者のような気もするのですが…
もし偶然にでもみかけたら
またこのサイトでご報告でもさせていただきます。
以上です。
LACA-5920
なんとこの日演奏された曲目すべてが収録された。
じつにありがたい。
この演奏会の感想は
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2009-04-30
にすでに書いていますので今回は割愛。
ここでは今回このCDを聴いての感想中心に書いていきたいと思います。
さて今回このCDを聴いて
まず嬉しかったのはその音の情報量の多いこと。
BGM風の綺麗だけど薄い録音ではなく、
多少バランスが悪くても分厚い、
当日の贅沢なほどの豪華なアレンジを
できるかぎり臨場感豊かに再現してほしいと思っていただけに
この音はうれしかった。
パーカッションの生々しい音質も最高ですし、
管楽器の質感もじつにいい雰囲気でしっかりと収録されてます。
ただこのホールの残響の少なさからか
弦楽器がときおりきもち粗く響くときがありますが
これも当日のそれを忠実に再現したということではOKだと思います。
曲によってはハリウッド映画のサントラみたいな、
そして大作ミュージカルのインストみたいな気さえした、
あの日の演奏会がじつによく再現されていて
ほんとにこれがとにかく嬉しかったです。
そして驚いたことにヴォーカル付の曲において
あえてヴォーカルを前面に強く出さず
オケと同列のようなバランスで収録していたこと。
このためファンの方にとっては
ややオフな声に聴こえたかもしれませんが、
このことによりバックのオーケストラがよく聴こえるため
平野さんと茅原さんが
オケとどのように耳をかたむけバランスをとり
そして音にのっていったかが伺えるような
そんなバランスで収録されているため
ファンの方にとっても
繰り返し聴くととても面白いものがあると思います。
またこのCDを聴くまでは自分はどちらかというと
平野さんが度胸でガーンとマイペースでおしていって
茅原さんが細かく歌いこんでいったという印象が
当日はけっこうあったのですが、
今聴くと平野さんもけっこうオケの変化に
神経を尖らせていたようです。
このあたりのことがわかったのも
この日の演奏会がCD化されたおかげといったところでしょうか。
またお二方の歌ですが
いつものスタジオ録音やライヴとは違った雰囲気の
一種の他流試合的緊張感からくるいつもとは違う独特の高揚感からか
ふだんより完成度という点では多少キズがある歌だったかもしれませんが、
オーケストラの情報量というかそのキャンパスの豊かさにあわせ、
ふだん以上にそれに負けないように表情づけが豊かな、
ある意味おもいきっていたような歌に感じられました。
それはオーケストラの中から自分の声を立ち上がらせようとするかのようで、
聴いていて爽快かつ圧巻とすら思えたほどでした
これも今回のCDであらためて感じさせられたものでした。
ただひとつ欲をいえば茅原さんにもう一曲ほど歌ってほしかったものです。
もっともどこかの某深夜アニメのように
「残酷な天使のテーゼ」を歌ってくれとまではいいませんが…。
尚、曲ごとの拍手は最後の曲以外すべてカットしていますが
その処理が自然なので違和感はありません。
そして以前お願いしていた
各曲の編曲者名がクレジットされていたのがほんとうに嬉しかったです。
(作曲)
神前暁 (1,2,4,5,8,9,10,11,13,15)
田代智一 (3,12,14)
冨田暁子 (6)
ショスタコーヴィチ (7)
(編曲)
岩崎文紀 (3,12)
松尾早人 (2,10,14,15)
浜口史郎 (1,4,5,8)
澤口和彦 (6,9,11,13)
※(7)は一応編曲無し。
最後に今回のCDジャケは長門だけど
演奏会宣伝用のポスター等に使用されていた
あのハルヒの指揮姿なのですが、
実在した指揮者の指揮姿に似ている気がしているのですが
いまだ誰かはわかりません。
ふつうこの手のイラストだと
ハルヒが両手をあげるかもしくはそれに近い位置に手をもってきて
しかも目を閉じて指揮しているような
そんなイラストがきそうなのに
このハルヒの指揮姿は
その余裕ありげな表情といい指揮姿といい
ちと壮年期より年がいっている指揮者のそれを
どことなく髣髴とさせられるものがあります。
なんか誰かをモデルにして書いたようにも感じられるのですが
モデルがいたとしたらいったい誰なのでしょう。
左手がクーベリック、右手がノイマンのようにもみえるので
チェコ系かスラヴ系の指揮者のような気もするのですが…
もし偶然にでもみかけたら
またこのサイトでご報告でもさせていただきます。
以上です。
「涼宮ハルヒの弦奏」雑感(番外編) [涼宮ハルヒの雑感]
あれから十日ほどたったということで
番外編雑感を少々。
この演奏会のチケットはけっこう激戦だったとか。
自分も最初の抽選販売に、
第一希望S、第二希望A、で応募した。
だけどこれはあっさり落選。
その後先着先行販売があったが
これは発売日が出勤と重なっていたため早々断念。
このためもう無理と判断して
当日はもう別の演奏会の予定を入れ、
あとは購入するだけだったのですが、
再度抽選販売のメールが来たため、
今度は倍率が低いであろうA一本で応募。
これが結局当選し、当日行けることとあいなりました。
最後までSに固執していたら果たして行けたかどうか。
因みに自分はこういう抽選販売に
かつて一度も当選したことはありません。
ほんとうに今回は運がよかったといったところでしょう。
さて今回公演前にグッズ販売をしていましたが、
このときパンフを入れる袋に
けっこう音がする材質のものが使われていました。
クラシックの演奏会でも
かつて他の公演の宣伝パンフを入れる袋に、
けっこう音のする材質が使用されており、
それがけっこう問題になったことがありました。
現在ではこのため音のしないビニール袋になっていますが、
今回はそういうこととあまり縁のない主催ということで
こういうことがけっこう平然と行われていました。
ですがこの心配をよそに少なくとも自分のまわりでは、
これらの袋による雑音はほとんどありませんでした。
自分が以前この日の聴衆に感心をしたのは
このことも含めてのことでして、
かつてこの種の雑音に辟易としていた自分としては、
ほんとうに驚きすら感じたものでした。
これは特筆すべきことだったと思います。
さてこの日唯一演奏された純然たるクラシック。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番。
演奏されたのはその第一楽章の戦争のテーマの前半。
じつはこの日のチュウさんのその指揮にちょっと驚いた。
テンポそのものは標準的だったのですが、
その弦楽合奏によるテーマの歌わせ方がじつに個性的だった。
かなりクセのある歌いまわしだったけど、
そんなことよりそのメロディの幅がじつに広かったということ。
あんなにたっぷりと歌った戦争のテーマというのも珍しい。
だけどそのわりには粘ったり重ったくなったりはしないという、
ちょっと独特なものだった。
この人でコープランドやRシュトラウスを聴きたいと言ったけど、
それ以前にこのショスタコーヴィチをコンブリードで聴いてみたいと思った。
実際どういう演奏になるのだろう。じつに興味津々だ。
ところで演奏がすべて終わり平野さんと茅原さんを交えて
照明の下りた舞台で司会の方々とともにこの日の感想をはじめたときのこと。
しばらくしてオーケストラが静かに引き上げていく光景をみて、
「ここなんとかならなかったのかなあ」
とちょっと残念に思ってしまった。
出てくるときに拍手を送ったオーケストラに
最後もう一度拍手を送りたかった方も少なからずいたと思う。
この演奏会で自分がもしひとつ?をあげるとしたら、
この一点につきると思うし、
白石さんたちの司会も印象も
また違ったものになっていたような気がする。
どこかで、再度
「本日の演奏は東京フィルハーモニーのみなさんでした。
最後盛大な拍手をお願いいたします。」
と白石さんか松元さんがアナウンスしたらどれだけ綺麗に〆られたことか。
これだけはほんと残念だったし、
このあたりをもう少しちゃんと打ち合わせしてほしかった。
さて今回の演奏がCD化されるについて、
ちょっと心配なのはその音質。
これは自分の考えなのですが、
音をイージーリスニングのような綺麗な音優先にせず、
音の厚みや大きさ、それに奥行きを優先したような、
いわゆる一般クラシックと同質の音質のようなものに、
できればしてほしいと強く希望したい。
というのもアレンジの人も
このフルオーケストラ用にアレンジしているのですし、
じっさい約80人のフルオケで演奏されたのですから、
そのよさというものを最大限に活かしてほしいし、
特に打楽器の低音の響きなども
曲によってはCD用のバランスよりも、
当日のそれらしく「ズトーン」と鳴るようにしてほしいところ。
初めてフルオケを聴いた人の多くは、
この打楽器の低音の響きの大きさと豊かさにかなり驚き、
そして新鮮に感じる人が意外に多いと聞いたことがあります。
そのときの印象を再現するためにも、
バランスをあまり綺麗にとろうとするのではなく、
ここというときは、きもち大きく音を収録してほしいです。
奥行きと大きさのある音質を期待します。
ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス級の音質でしたら
文句なしなのですが…。無理ですかねえ。
というところで以上です。
番外編雑感を少々。
この演奏会のチケットはけっこう激戦だったとか。
自分も最初の抽選販売に、
第一希望S、第二希望A、で応募した。
だけどこれはあっさり落選。
その後先着先行販売があったが
これは発売日が出勤と重なっていたため早々断念。
このためもう無理と判断して
当日はもう別の演奏会の予定を入れ、
あとは購入するだけだったのですが、
再度抽選販売のメールが来たため、
今度は倍率が低いであろうA一本で応募。
これが結局当選し、当日行けることとあいなりました。
最後までSに固執していたら果たして行けたかどうか。
因みに自分はこういう抽選販売に
かつて一度も当選したことはありません。
ほんとうに今回は運がよかったといったところでしょう。
さて今回公演前にグッズ販売をしていましたが、
このときパンフを入れる袋に
けっこう音がする材質のものが使われていました。
クラシックの演奏会でも
かつて他の公演の宣伝パンフを入れる袋に、
けっこう音のする材質が使用されており、
それがけっこう問題になったことがありました。
現在ではこのため音のしないビニール袋になっていますが、
今回はそういうこととあまり縁のない主催ということで
こういうことがけっこう平然と行われていました。
ですがこの心配をよそに少なくとも自分のまわりでは、
これらの袋による雑音はほとんどありませんでした。
自分が以前この日の聴衆に感心をしたのは
このことも含めてのことでして、
かつてこの種の雑音に辟易としていた自分としては、
ほんとうに驚きすら感じたものでした。
これは特筆すべきことだったと思います。
さてこの日唯一演奏された純然たるクラシック。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番。
演奏されたのはその第一楽章の戦争のテーマの前半。
じつはこの日のチュウさんのその指揮にちょっと驚いた。
テンポそのものは標準的だったのですが、
その弦楽合奏によるテーマの歌わせ方がじつに個性的だった。
かなりクセのある歌いまわしだったけど、
そんなことよりそのメロディの幅がじつに広かったということ。
あんなにたっぷりと歌った戦争のテーマというのも珍しい。
だけどそのわりには粘ったり重ったくなったりはしないという、
ちょっと独特なものだった。
この人でコープランドやRシュトラウスを聴きたいと言ったけど、
それ以前にこのショスタコーヴィチをコンブリードで聴いてみたいと思った。
実際どういう演奏になるのだろう。じつに興味津々だ。
ところで演奏がすべて終わり平野さんと茅原さんを交えて
照明の下りた舞台で司会の方々とともにこの日の感想をはじめたときのこと。
しばらくしてオーケストラが静かに引き上げていく光景をみて、
「ここなんとかならなかったのかなあ」
とちょっと残念に思ってしまった。
出てくるときに拍手を送ったオーケストラに
最後もう一度拍手を送りたかった方も少なからずいたと思う。
この演奏会で自分がもしひとつ?をあげるとしたら、
この一点につきると思うし、
白石さんたちの司会も印象も
また違ったものになっていたような気がする。
どこかで、再度
「本日の演奏は東京フィルハーモニーのみなさんでした。
最後盛大な拍手をお願いいたします。」
と白石さんか松元さんがアナウンスしたらどれだけ綺麗に〆られたことか。
これだけはほんと残念だったし、
このあたりをもう少しちゃんと打ち合わせしてほしかった。
さて今回の演奏がCD化されるについて、
ちょっと心配なのはその音質。
これは自分の考えなのですが、
音をイージーリスニングのような綺麗な音優先にせず、
音の厚みや大きさ、それに奥行きを優先したような、
いわゆる一般クラシックと同質の音質のようなものに、
できればしてほしいと強く希望したい。
というのもアレンジの人も
このフルオーケストラ用にアレンジしているのですし、
じっさい約80人のフルオケで演奏されたのですから、
そのよさというものを最大限に活かしてほしいし、
特に打楽器の低音の響きなども
曲によってはCD用のバランスよりも、
当日のそれらしく「ズトーン」と鳴るようにしてほしいところ。
初めてフルオケを聴いた人の多くは、
この打楽器の低音の響きの大きさと豊かさにかなり驚き、
そして新鮮に感じる人が意外に多いと聞いたことがあります。
そのときの印象を再現するためにも、
バランスをあまり綺麗にとろうとするのではなく、
ここというときは、きもち大きく音を収録してほしいです。
奥行きと大きさのある音質を期待します。
ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス級の音質でしたら
文句なしなのですが…。無理ですかねえ。
というところで以上です。
白石稔さんの衣装姿… [涼宮ハルヒの雑感]
声優の白石稔さんのブログをみていたら、
「涼宮ハルヒの弦奏」での衣装姿みた。
http://yaplog.jp/minorunrunba/archive/256
しかしどっかのオーケストラで、
こんな顔の若手首席奏者をみたことがあるような…
案外東京フィルの中でも
同じことを考えている人がいたりして。
孫にも衣装…
馬子にも衣装じゃなくて?
うーん…
「涼宮ハルヒの弦奏」での衣装姿みた。
http://yaplog.jp/minorunrunba/archive/256
しかしどっかのオーケストラで、
こんな顔の若手首席奏者をみたことがあるような…
案外東京フィルの中でも
同じことを考えている人がいたりして。
孫にも衣装…
馬子にも衣装じゃなくて?
うーん…
「涼宮ハルヒの弦奏」雑感+(追加) [涼宮ハルヒの雑感]
涼宮ハルヒの弦奏
フィリップ・チュウ指揮東京フィルハーモニー(4/29)
司会/白石稔、松元恵
作曲・解説/神前暁
編曲/岩崎文紀、松尾早人、浜口史郎、澤口和彦
(会場)東京厚生年金会館
(開場)17:00
(開演)18:00
(座席)2階10列52番
(曲目)
[第一部]
01/恋のみくる伝説
02/いつもの風景~激烈で華麗なる日々
03/最強パレパレード
04/非日常への誘い~悲劇のヒロイン~ビーチバカンス(VN/由良浩明)
05/好調好調~みくるのこころ~小さくても素敵な幸せ~おいおい~コミカルハッスル
06/冒険でしょでしょ?(V/平野綾)
07/ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」第一楽章より、戦争のテーマ
(休憩15分)
[第二部]
08/素直な気持ち~ある雨の日~ハルヒの想い(P/本田聖嗣)
09/ザ・ミステリアス?朝倉涼子の真実~冬の足音
10/Lost my music(V/平野綾)
11/SOS団始動~何かがおかしい
12/雪、無音、窓辺にて。(V/茅原実里)
13/のどかな商店街~ユキ登場~ピンチっぽい!~ミクル変身!そして戦闘!~大団円
14/ハレ晴レユカイ
[アンコール]
15/God knows…(V/平野綾)
(終演/20:10)
17時開場で17:20に入るも
グッズは当公演パンフレットを除いて全て売り切れ。
ホールに入ると舞台正面の壁に
ハルヒが指揮している姿の画が観客をお出迎え。
が、それ以外には舞台上にPAがある以外は
ふつうのクラシックコンサートと風景は何ら変わらない。
内容はハルヒで使用された楽曲を
フルオーケストラにアレンジしたものを中心に
曲によってはゲストを迎えて演奏していくという、
よくあるクラシックオケによるポップスコンサートみたいなもの。
(もっともベートーヴェンやハイドンの頃のコンサートというと
作曲者が自作を披露する演奏会も多かったので
今日のそれは大昔のクラシックコンサートみたいなものなのかもしれません。)
ただ驚いたのはこの種の演奏会としては
オケの約80人の編成というのはかなり大型。
(大きさは14型、木管二管、TP3、TB3、HRN4、
TUBA1、P1、HRP1、打楽器5人)
ガンダムSEEDの交響組曲など50人前後での録音だったことを思うと、
演奏会とはいえその規模が大きいことがよくわかる。
このままチャイコフスキーあたりの曲を演奏してもおかしくないくらいの編成です。
([2009:5/7訂正]:ガンダムSEEDもこの日の演奏会と同規模の編成での録音でした。お詫びして訂正させていただきます。)
またドラムやエレキギター&ベースといったものがなく
ようするにこれが純然たるオーケストラコンサートであり、
これが「クラシック」と銘打つコンサートであり
この演奏会では演奏とアレンジがかなり大きくものをいう
まぎれもなく本格的演奏会だということを
開演前にここの部分でものがたっているようで
そこにちょっとその意気みたいなものを感じたものでした。
冒頭オケと指揮者登場後、長門もなぜか登場。
指揮者とちょっとしたやりとりの後
指揮のチュウが長門からもらったステッキ?で指揮。
会場の笑いを誘い、リラックスさせたところでそのまま一曲目へ。
この冒頭一曲目。これを聴いたとき
「なんて豪華で贅沢なアレンジなんだ」
と驚いてしまいました。
もういきなりボストンポップス風の
華麗で豪華で粋と三拍子揃った音楽が客席に流れ出す。
しかもオケが14型のため弦を中心にまるで音が薄くならない。
多彩な曲想がこれでもかとガンガン変化していく。
(もちろんオリジナルを活かした方がいいものはストレートにオケに転化している。)
アレンジャーとしては、これだけのフルオケを自由に使えるということで
もう使えるアイデアをすべてほうりこんだような
とにかくどれもこれも贅沢なつくりの音楽てんこ盛りとなっていました。
(ただそのためふんだんに使用された金管や小太鼓がかなり終盤こたえていたようですが…)
もっともそこには各アレンジャーが他の三人に対して
「俺が」という意識が働いてこれだけの作品を生むという、
ちょっとしたひとつの原動力となっていたのかもしれません。
指揮のチュウさんは曲が15曲もあるため
譜面台の左右にも一段低い譜面置き場をつくり
左の置き場に演奏順に譜面を積んで、
演奏するごとにそこから譜面を一曲ごと譜面台に持ってきて、
指揮が終わるとその譜面を今度は右の置き場に積んでいくということを
じつにテキパキと行っていました。
他にもいろいろと演技?などもしていたりで
とにかく大活躍のチュウさんでしたが、
それにしてもこういう演奏に慣れているとはいえ、
ほとんどが「初演」みたいな曲をじつに聴きやすく、
しかもその魅力をひきだしているのには感心しきりでした。
この人なかなかいい指揮者です。
コープランドやRシュトラウスなんかも聴いてみたいです。
オケもけっこうがんばっていて
プログラムの関係上けっこうみんなでずっぱり状態ではあったものの
最後までいい仕事をしていましたし、
弦などはむしろ後半に行けば行くほど
充実した音をだしていました。
ゲストは平野さん以外すべて一曲のみというもの。
それだけに多少各ゲストへの簡単なインタビューなどもしてほしかったけど、
そんな限られた中でも各自個性を十二分に発揮していたのはさすが。
由良さんの存在感の強いバイオリンといい
本田さんの珠を転がすようなピアノといい
本当に印象に残るものでした。
だがそんな中でたいへんだったのが平野さんと茅原さん。
ふだんのようなバンド編成と違い
フルオケの背中から押すような音圧と膨大な音の情報量に
ちょっと緊張しているように感じられました。
特にオケが鳴り捲った時に
二人の声がオケに巻き込まれかけたりしていましたが、
占めるところをしっかり占め
終始自分のペースを貫いてオケとわたりあい
みごとに歌いきったのはお二人ともさすがでした。
最後「ハレ晴レ」がインストだったのはちょっとものたりなかったし
それならもっとノリと弾けがあるアレンジで
より長尺ものにしてもよかったのではという気が最初はしていましたが、
でもこれはこれでOKと、今は思っています。
それにしても作曲の神前さんも
各曲のアレンジの妙をくりかえし絶賛していましたが
それだけに曲ごとの編曲者の名前がどこにもクレジットされてないのが残念。
最後アンコールの後
ゲスト全員と司会者で挨拶した後
平野さん茅原さんが本日の感想を述べ
観客に挨拶して無事終了…
…とならなかったんですよ、これが!
司会の白石さんと松元さんが何曲かごとに登場し曲やゲストのアナウンス、
そして神前さんが曲のこととアレンジへの感想を述べていたのですが、
この司会のお二人がちょっと心配なほどに死ぬほどかしこまっていて、
特に白石さんはふだんの良さが背広につつまれてしまったのか、
かなりたいへんそうにみえてしかたありませんでした。
それが最後にちょっとした形でボケて出てしまったのですが、
あれをギャグで切り返せなかったのが
白石さんのこの演奏会で受けていたプレッシャーをさらに感じさせられてしまいました。
ただとにもかくにも終わってしまえばノーサイド。
お二方、ほんとうにご苦労様でした。
こうして二時間ちょっとで全て終了とあいなりました。
ふだんのライブと比べるとちょっと物足りなく感じた人もいたかもしれませんが、
平野さんと茅原さんが各キャラの声や仕草をときおりみせたりして会場をたのしませたりと
「クラシック」と銘打たれた演奏会としては
自分は今回のこれを上々の出来と思っています。
とにかく自分は充分たのしめました。
それにしても繰り返しますがアレンジがよかった。
どの曲もそれこそクラシックのサマーコンサートで
アンコールとして演奏しても何等違和感のないほどのものでした。
ぜひどこかのオケでやってほしいものです。
今回はカメラが入っていましたが
このことから自分はむしろできれば
今回の曲すべてをCD化してほしいと思いました。
これらを一晩だけの夢にしておくのはあまりにも惜しい。
ぜひ一考を要してほしいものです。
因みに前半最後に演奏されたレニングラードですが、
演奏箇所は小太鼓ソロにのってフルートソロが出たところから、
音楽が高揚してテーマに上下動する音がからみついてくる前までの
戦争のテーマのだいたい三分の二くらいのところの、
これから壮絶になっていく手前まででした。
ほんとうはフルに戦争のテーマをやってほしかったものの
オケの負担と編成を考えるとあそこでいっぱいいっぱいという感じもします。
レニングラードを本格的にやるには今回多少楽器が少ないです。
一応この曲だけホルンが4人から8人に増強されてはいたのですが、
金管などは全体的にふだんの倍はないとちょっと厳しい曲ですから…。
尚、アニメがらみの新情報はありませんでした。
まあこんなところで言うものでもありませんし…。
あと個人的には
後半11の「SOS団始動~何かがおかしい」
これが生で聴けたのがなんかえらく得をしたようで、
とにかくこれが今日聴いてて一番「うれしかった」曲でした。
じっさいこの曲のテーマが鳴ったとき、
ちょっと会場の雰囲気が変わったといいますか、
「あっ、これこれ」というような感じをあちこちから受けました。
けっこうそういう人が自分以外にも多かったかも?…です。
最後に、この日とてもびっくりというか感心したのが、
この日の観客のマナーがしっかりしていたこと。
たしかに慣れてないことからくる
ぎこちない反応もたまにはありましたが、
正直通常のクラシック演奏会の聴衆より、
しっかりしている部分すらあったくらいです。
特にうれしかったのは
オーケストラが出てきたとき
場内からごく自然に拍手がおきたこと。
じつは国内オーケストラの演奏会で
演奏前の入場時に拍手が起きるというのはあまりなく、
オーケストラ側もこのことで気持ちよく演奏に入れたのではないでしょうか。
じっさい平野さんの歌の後
オーケストラのコントラバスのトップの方が、
平野さんに弓で楽器を叩くという方法で拍手をされていました。
あたりまえのことかもしれませんが、
けっこう自然にこういうことがでていたところにもそういうことを感じました。
いい観客が演奏者とともにいい演奏会をつくった。
それに立ち会えた自分もいい経験をさせていただきました。
この日の観客の皆様にもあらためて感謝です。
以上です。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました。
(追加)
今回の曲すべてをCD化してほしいと思いました。
これらを一晩だけの夢にしておくのはあまりにも惜しい。
ぜひ一考を要してほしいものです。
…と本文で書いていたらCDが発売になりました。
(税込価格)¥3000 (メーカー)ランティス (CD番号)LACA-5920
CDの感想は↓です。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2009-06-25
フィリップ・チュウ指揮東京フィルハーモニー(4/29)
司会/白石稔、松元恵
作曲・解説/神前暁
編曲/岩崎文紀、松尾早人、浜口史郎、澤口和彦
(会場)東京厚生年金会館
(開場)17:00
(開演)18:00
(座席)2階10列52番
(曲目)
[第一部]
01/恋のみくる伝説
02/いつもの風景~激烈で華麗なる日々
03/最強パレパレード
04/非日常への誘い~悲劇のヒロイン~ビーチバカンス(VN/由良浩明)
05/好調好調~みくるのこころ~小さくても素敵な幸せ~おいおい~コミカルハッスル
06/冒険でしょでしょ?(V/平野綾)
07/ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」第一楽章より、戦争のテーマ
(休憩15分)
[第二部]
08/素直な気持ち~ある雨の日~ハルヒの想い(P/本田聖嗣)
09/ザ・ミステリアス?朝倉涼子の真実~冬の足音
10/Lost my music(V/平野綾)
11/SOS団始動~何かがおかしい
12/雪、無音、窓辺にて。(V/茅原実里)
13/のどかな商店街~ユキ登場~ピンチっぽい!~ミクル変身!そして戦闘!~大団円
14/ハレ晴レユカイ
[アンコール]
15/God knows…(V/平野綾)
(終演/20:10)
17時開場で17:20に入るも
グッズは当公演パンフレットを除いて全て売り切れ。
ホールに入ると舞台正面の壁に
ハルヒが指揮している姿の画が観客をお出迎え。
が、それ以外には舞台上にPAがある以外は
ふつうのクラシックコンサートと風景は何ら変わらない。
内容はハルヒで使用された楽曲を
フルオーケストラにアレンジしたものを中心に
曲によってはゲストを迎えて演奏していくという、
よくあるクラシックオケによるポップスコンサートみたいなもの。
(もっともベートーヴェンやハイドンの頃のコンサートというと
作曲者が自作を披露する演奏会も多かったので
今日のそれは大昔のクラシックコンサートみたいなものなのかもしれません。)
ただ驚いたのはこの種の演奏会としては
オケの約80人の編成というのはかなり大型。
(大きさは14型、木管二管、TP3、TB3、HRN4、
TUBA1、P1、HRP1、打楽器5人)
ガンダムSEEDの交響組曲など50人前後での録音だったことを思うと、
演奏会とはいえその規模が大きいことがよくわかる。
このままチャイコフスキーあたりの曲を演奏してもおかしくないくらいの編成です。
([2009:5/7訂正]:ガンダムSEEDもこの日の演奏会と同規模の編成での録音でした。お詫びして訂正させていただきます。)
またドラムやエレキギター&ベースといったものがなく
ようするにこれが純然たるオーケストラコンサートであり、
これが「クラシック」と銘打つコンサートであり
この演奏会では演奏とアレンジがかなり大きくものをいう
まぎれもなく本格的演奏会だということを
開演前にここの部分でものがたっているようで
そこにちょっとその意気みたいなものを感じたものでした。
冒頭オケと指揮者登場後、長門もなぜか登場。
指揮者とちょっとしたやりとりの後
指揮のチュウが長門からもらったステッキ?で指揮。
会場の笑いを誘い、リラックスさせたところでそのまま一曲目へ。
この冒頭一曲目。これを聴いたとき
「なんて豪華で贅沢なアレンジなんだ」
と驚いてしまいました。
もういきなりボストンポップス風の
華麗で豪華で粋と三拍子揃った音楽が客席に流れ出す。
しかもオケが14型のため弦を中心にまるで音が薄くならない。
多彩な曲想がこれでもかとガンガン変化していく。
(もちろんオリジナルを活かした方がいいものはストレートにオケに転化している。)
アレンジャーとしては、これだけのフルオケを自由に使えるということで
もう使えるアイデアをすべてほうりこんだような
とにかくどれもこれも贅沢なつくりの音楽てんこ盛りとなっていました。
(ただそのためふんだんに使用された金管や小太鼓がかなり終盤こたえていたようですが…)
もっともそこには各アレンジャーが他の三人に対して
「俺が」という意識が働いてこれだけの作品を生むという、
ちょっとしたひとつの原動力となっていたのかもしれません。
指揮のチュウさんは曲が15曲もあるため
譜面台の左右にも一段低い譜面置き場をつくり
左の置き場に演奏順に譜面を積んで、
演奏するごとにそこから譜面を一曲ごと譜面台に持ってきて、
指揮が終わるとその譜面を今度は右の置き場に積んでいくということを
じつにテキパキと行っていました。
他にもいろいろと演技?などもしていたりで
とにかく大活躍のチュウさんでしたが、
それにしてもこういう演奏に慣れているとはいえ、
ほとんどが「初演」みたいな曲をじつに聴きやすく、
しかもその魅力をひきだしているのには感心しきりでした。
この人なかなかいい指揮者です。
コープランドやRシュトラウスなんかも聴いてみたいです。
オケもけっこうがんばっていて
プログラムの関係上けっこうみんなでずっぱり状態ではあったものの
最後までいい仕事をしていましたし、
弦などはむしろ後半に行けば行くほど
充実した音をだしていました。
ゲストは平野さん以外すべて一曲のみというもの。
それだけに多少各ゲストへの簡単なインタビューなどもしてほしかったけど、
そんな限られた中でも各自個性を十二分に発揮していたのはさすが。
由良さんの存在感の強いバイオリンといい
本田さんの珠を転がすようなピアノといい
本当に印象に残るものでした。
だがそんな中でたいへんだったのが平野さんと茅原さん。
ふだんのようなバンド編成と違い
フルオケの背中から押すような音圧と膨大な音の情報量に
ちょっと緊張しているように感じられました。
特にオケが鳴り捲った時に
二人の声がオケに巻き込まれかけたりしていましたが、
占めるところをしっかり占め
終始自分のペースを貫いてオケとわたりあい
みごとに歌いきったのはお二人ともさすがでした。
最後「ハレ晴レ」がインストだったのはちょっとものたりなかったし
それならもっとノリと弾けがあるアレンジで
より長尺ものにしてもよかったのではという気が最初はしていましたが、
でもこれはこれでOKと、今は思っています。
それにしても作曲の神前さんも
各曲のアレンジの妙をくりかえし絶賛していましたが
それだけに曲ごとの編曲者の名前がどこにもクレジットされてないのが残念。
最後アンコールの後
ゲスト全員と司会者で挨拶した後
平野さん茅原さんが本日の感想を述べ
観客に挨拶して無事終了…
…とならなかったんですよ、これが!
司会の白石さんと松元さんが何曲かごとに登場し曲やゲストのアナウンス、
そして神前さんが曲のこととアレンジへの感想を述べていたのですが、
この司会のお二人がちょっと心配なほどに死ぬほどかしこまっていて、
特に白石さんはふだんの良さが背広につつまれてしまったのか、
かなりたいへんそうにみえてしかたありませんでした。
それが最後にちょっとした形でボケて出てしまったのですが、
あれをギャグで切り返せなかったのが
白石さんのこの演奏会で受けていたプレッシャーをさらに感じさせられてしまいました。
ただとにもかくにも終わってしまえばノーサイド。
お二方、ほんとうにご苦労様でした。
こうして二時間ちょっとで全て終了とあいなりました。
ふだんのライブと比べるとちょっと物足りなく感じた人もいたかもしれませんが、
平野さんと茅原さんが各キャラの声や仕草をときおりみせたりして会場をたのしませたりと
「クラシック」と銘打たれた演奏会としては
自分は今回のこれを上々の出来と思っています。
とにかく自分は充分たのしめました。
それにしても繰り返しますがアレンジがよかった。
どの曲もそれこそクラシックのサマーコンサートで
アンコールとして演奏しても何等違和感のないほどのものでした。
ぜひどこかのオケでやってほしいものです。
今回はカメラが入っていましたが
このことから自分はむしろできれば
今回の曲すべてをCD化してほしいと思いました。
これらを一晩だけの夢にしておくのはあまりにも惜しい。
ぜひ一考を要してほしいものです。
因みに前半最後に演奏されたレニングラードですが、
演奏箇所は小太鼓ソロにのってフルートソロが出たところから、
音楽が高揚してテーマに上下動する音がからみついてくる前までの
戦争のテーマのだいたい三分の二くらいのところの、
これから壮絶になっていく手前まででした。
ほんとうはフルに戦争のテーマをやってほしかったものの
オケの負担と編成を考えるとあそこでいっぱいいっぱいという感じもします。
レニングラードを本格的にやるには今回多少楽器が少ないです。
一応この曲だけホルンが4人から8人に増強されてはいたのですが、
金管などは全体的にふだんの倍はないとちょっと厳しい曲ですから…。
尚、アニメがらみの新情報はありませんでした。
まあこんなところで言うものでもありませんし…。
あと個人的には
後半11の「SOS団始動~何かがおかしい」
これが生で聴けたのがなんかえらく得をしたようで、
とにかくこれが今日聴いてて一番「うれしかった」曲でした。
じっさいこの曲のテーマが鳴ったとき、
ちょっと会場の雰囲気が変わったといいますか、
「あっ、これこれ」というような感じをあちこちから受けました。
けっこうそういう人が自分以外にも多かったかも?…です。
最後に、この日とてもびっくりというか感心したのが、
この日の観客のマナーがしっかりしていたこと。
たしかに慣れてないことからくる
ぎこちない反応もたまにはありましたが、
正直通常のクラシック演奏会の聴衆より、
しっかりしている部分すらあったくらいです。
特にうれしかったのは
オーケストラが出てきたとき
場内からごく自然に拍手がおきたこと。
じつは国内オーケストラの演奏会で
演奏前の入場時に拍手が起きるというのはあまりなく、
オーケストラ側もこのことで気持ちよく演奏に入れたのではないでしょうか。
じっさい平野さんの歌の後
オーケストラのコントラバスのトップの方が、
平野さんに弓で楽器を叩くという方法で拍手をされていました。
あたりまえのことかもしれませんが、
けっこう自然にこういうことがでていたところにもそういうことを感じました。
いい観客が演奏者とともにいい演奏会をつくった。
それに立ち会えた自分もいい経験をさせていただきました。
この日の観客の皆様にもあらためて感謝です。
以上です。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました。
(追加)
今回の曲すべてをCD化してほしいと思いました。
これらを一晩だけの夢にしておくのはあまりにも惜しい。
ぜひ一考を要してほしいものです。
…と本文で書いていたらCDが発売になりました。
(税込価格)¥3000 (メーカー)ランティス (CD番号)LACA-5920
CDの感想は↓です。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2009-06-25