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ハトとヤマバト [ひとりごと]

ハトというと自分にはよく街にたむろしている「カワラバト」、
いわゆるハトと呼ばれるそれがすぐ浮かんでくる。

1024px-Columba_livia_in_Japan.jpg
wikiより

平和の象徴というけど、
じつは自分には「はとバス」には申し訳ないけど、
印象はかなり芳しくない。

それは糞害等の問題もあるけど、
人が外で何か食べているとすぐさま足元によってきて、
そのおこぼれにあずかろうと群がってくるからだ。

そこに最初はハトがいないものの、
食事をしだすと1分も経たないうちに近くに飛び降り寄ってくる。

それは横浜の帷子川でパンを食べていても、
秋葉原でケバブサンドを食していてもまったく変わらない。

自分はそのためこれらのハトを、
「物乞いバト」もしくは「乞食バト」と呼び、
ひじょうに忌み嫌っている。

以前はよくノラネコが嫌らしく喉を鳴らしながら寄って来たけど、
最近はハトが別の意味で喉を鳴らしながらやってくる。

ほんとうに人に媚びた生き物と自分にはうつってしまう。

というわけで自分はこれら通称ハトとよばれているカワラバトが本当にダメ。


因みに余談ですが上でちょっと触れた糞害だけど、
このカワラバトは伝書鳩やレース鳩としても使われているが、
Wikiによると
「地磁気を鋭敏に感知できる生体磁石の能力も持っている」
という能力がそれに関わっている可能性があるようで、
そのせいか磁気に弱く磁石を忌み嫌うらしく、
それを利用して寄り付かないよう糞害の対策をしているところもあるとか。


そんな自分の家の近辺にはカワラバトはほとんどおらず、
かわりに通称ヤマバトと呼ばれている「キジバト」がよくいる。

キジバト.jpg
wikiより

これらは本来山間部に住んでいるため、
自分のような山がそこそこ近い郊外では珍しくない。

たまに電線の上などに止まっているが、
近くで見れば首にカワラバトでみかける緑のラインがないので分かるが、
遠くからみているとカワラバトとあまり見分けがつかない。

ただあの独特の鳴き声、
特に山などにハイキングにいくとよく耳にする声を聞くと、
これがキジバトかどうか遠くでもすぐ分かる。

それは誰もが耳にしたことがあると思われる独特の

「くぅおくおぅ、ほうーほうー。くぅおくおぅ、ほうーほうー」

というこの特徴あるリズムと節回しのそれを何度も繰りかえすそれ。

※これはwikiでは「ホーホーホッホー」「テーデー ポッポー」といように、
いろいろと表現されている。
https://www.youtube.com/watch?v=qYAOo43QQYo

このキジバトはカワラバトほど人になつかないため、
農業を営んでいない自分には直接利害はなく、
またその鳴き声もよく山中で聞くせいか、
個人的に近所で聞いても森林浴的な心地よさを感じてしまう。

なのでそのイメージは個人的にはすこぶるいい。

同じハトなのにと思うかもしれないけど、
やはり個人的な体験というものが大きいのだろう。


因みになんでこんな事をいきなり書いたかと言うと、
今日もまた近くでずっとキジバトが、
そのやや籠り気味の中音域で朴訥に鳴いているのが聞こえたので、
とりとめもなく書いた次第です。

しかしなあ、
シェーンベルクの「グレの歌」に「山鳩の歌」というのがあるけど、
あれにそんなものが歌えるようなイメージは少なくとも自分にはわかない。

そういう意味では、それを考え出した人の感性はある意味只者ではないと思う。



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この夏のマスクとの付き合い方 [ひとりごと]

「最初にお断りしておきますが、自分は医療関係の人間ではないので、あくまでも一般素人の発言としてみてください」

これより本文


なんとなくだけどコロナに関するそれが全国的に一息ついた気がする。

ただまだワクチンも特効薬も無いという状況は変わっていないので、何かが大きく好転したという気は正直しない。むしろまったくの現状維持状態が続いていると言っていいのかもしれない。


ただそんな中でようやくだけど自分なりにあることがようやくつかめるようになった。

それは「マスク」の使い方…というよりそれとの付き合い方。

medium.jpg

自分はマスクというのは感染を防ぐというより、感染をさせないためというふうに考えていた。

確かにそれは間違ってはいないけど、それは二次的なものということに最近気づいた。

つまり感染しない感染させないための最大のそれは、

「人との距離をしっかりとること」

※今はやりの、そして自分はあまり好きではない言い方でいえば「ソーシャルディスタンス」ということと同じかと。

ということでこれが最優先でありメインだということ。

そしてあくまでもマスクはそれが出来ない時につかう非常手段であり、しかも効果は「他人に感染させないということ限定」ということをしっかりと意識するということ。

だからマスクを買うために距離を詰めて長時間並ぶなどというのは、本末転倒も甚だしい愚行と自分は考えている。

(もっとも自分の近所の薬局やスーパーには、3月以降一度これを書いている6月下旬に至る迄マスクが店頭に並んだのを自分は見た事がないので、自分にとってはあまり関係のない話ですが)


なので今年の夏はマスクはそういうものと考え、とにかく意味なく惰性でつけず、人との距離がとれない非常手段時(室内や車内、そして混雑時等)のみに補助的に使用することで、間違っても熱中症などにかからないようにするという、そんなやり方でお付き合いしていきたいと思っています。

もっともお店などは例え空いていてもそういうことに平常時からかなり気を使っているので、屋外屋内を問わずマスクをつけるようにしている。これは感染云々だけでなく、接客業の人に対する最低限のマナーであり心遣いかと。


だから同じ理由で、ちゃんと人との距離を考えて歩いてる人なら、屋外でマスクをしていなくても自分は何とも思わない。もっともマスクもしないで平気で人との距離を詰めたり、お店の中でガンガン喋る人には正直?となってしまいますが。


あとここからは勝手な思い込みなのですが、自分は今回のコロナは、コロナのウイルスを「浴びる」もしくは「浸かる」ような状況じゃないかぎり、そう簡単に感染しない、もしくは重症化しないのでは?と思っています。

つまり至近距離でマスクをしない状態の人から大きな咳やくしゃみ、またはガンガン語られる時に飛び出す飛沫とともに排出される大量のコロナウイルスを「浴びる」、もしくは室内でウイルスをもっている方が排出したことで、室内に大量のコロナウイルスが滞留している中に「浸っている」状態がとにかく危険なのではと考えています。

「人との距離をとること」「部屋の換気をこまめにしっかりとる」ということを最近しつこいくらい専門家の方が言ってるのも、じつはそういうことが大元にあるんじゃないのかなと。

もちろんだからといって手洗いの励行を疎かにしては駄目だけど、自分はとにかくそう考えるようになりました。


自分は専門家ではないですし、特に後半は勝手な思い込みだけど、そう思うようになってから、ちょっと気持ちに余裕ができるようになった。もちろんそれは油断とは別のものだけど、不必要に恐れることはなくなりました。


最後に繰り返しになりますが結論として、

①とにかく「感染しない」「感染させない」ためには人との距離をとることが最優先。
②マスク着用はそれが出来ない時の「人に感染させないため」の非常手段。
③お店に対しては気遣いとマナーの意味から上の事とは関係なくマスク着用。

が、自分のこの夏のマスクとの付き合い方です。

とにかくマスクが原因で熱中症で倒れ、結果ただでさえ疲弊している医療関係者の方々に、余計な負担をかけないようにしましょう。

以上で〆
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アベノマスクの必要性 [ひとりごと]

以前はアベノマスクが来たら捨てるとか雑巾として使うとか言ってる人がいたけど、寄付の流れが出来てからそういう発言は影を潜めた。

ただ自分はそういう流れが出来る前から、自分の税金がこういう形でその一部が返ってくるという事を思うと、それを捨てる等という発想はまったくなく、むしそういうことを平気で言う人達の、税に対する考えの欠如に疑問を持ったものでした。


ところでのこのマスクだけど、正直マスクはアベノマスクに限らず、来るべきコロナ第二波だけでなく、震災等の災害時において発生する煙や、災害後の後片付けや、資源ごみの置き場等から発生する粉塵除けにも必要不可欠なので、今後30年に7割の確率で発生が予想される東南海連動地震の事を思うと、マスクはいくら手元にあっても自分はいいと思っている。


コロナ第二波、季節性インフルエンザ、台風における災害の後処理時、そして東南海や首都直下、さらには宮城県沖をはじめ大地震等、今後マスクは本当にフル回転必要になってくると思いますし、特に広域災害の場合は、その供給も厳しくなることが予想されるので猶更です。

アベノマスクが来ても決して無下に捨てたり雑巾代わりにすることなく、来るべき非常時への備え、もしくはそれらがそのとき限りなく必要となる施設への寄付をぜひお願いします。


あと余談ですが、あまり言われないけど、震災等の災害時に絶対必要なもののひとつに「目薬」があります。

これはマスクは同様、煙や粉塵などにより目に埃が入ったり充血したりしたの治療用ですが、特に子供は大人より目の位置が低く、砂ぼこりが目に入りやすく、こすって充血したり目から菌が入ってたいへんなことになりかねないのでとても大事です。

マスク同様、こちらもぜひ非常時用に常備しておいてください。

以上です。
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今回の夏コミ(C96)で起きたことについての雑感。 [ひとりごと]

今回の夏コミ。
正直無事に終わらなかった。

すべては三日目に起きたそれのことなのですが、
見ていて運営に同情できる部分とできない部分の両方を感じた。

この三日目。

とにかくかなりの暑さの中で行われた。

じつはコミケの数日前にこのような記事があった。

「猛暑の搬送者、前週の5倍 9月上旬まで暑さ続く見通し」
9日も列島を高気圧が覆い、全国的に猛暑となった。35・6度を記録した東京都心や京都市などで今年の最高気温を記録。全国926カ所の観測地点のうち約9割が30度以上となった。10~12日の連休中も東日本から西日本にかけて35度前後の暑さが続くという。(以下略)
https://www.asahi.com/articles/ASM894111M89UTIL00Y.html

この暑さについては連日ニュースでも触れられていた。

なのでコミケ当日も当然かなりの猛暑になることは予想できたはず。

そしてこの日も朝からとにかく暑かった。
朝の7時くらいまではまだ過ごしやすかったけど、
8時を過ぎると急に世界が変わったように感じられるくらい、
どんどん気温が高くなってきた。

そしてそのころから暑さがらみのツイートと並んで、
徹夜組の異常なまでの数と膨大に膨れ上がった待機列、
そしてその列の最後尾に対するそれが次々と流れてきた。

ただそれらをみていて、
待機列に対する準備会のそれに、
若干危ういものも感じ始めていた。

このとき公式サイトには、
「青海展示棟(企業ブース)待機列はガンダムロード(準備会スタッフ用語で公称ではございません)からテレコムセンターへ。最後尾の位置は刻々と変わりますのでご注意ください!」
というのが流れてきた。

だが南や西のそれには具体的に触れられていない。

このころと前後して、
南と西の待機列は夢の大橋では支えきれなくなり、
東駐車場を開放しそちらでも受けるようになった。

この指示そのものは間違ってはいなかったが、
ここへの移動もたいへんなことながら、
急遽開けた東の環境はけっこう厳しかったらしい。

だがここで最大の問題が起きた。

ここに待機させられた人たちが、
夢の大橋の待機列がはけた後にすぐ入場できず、
その後にきた一般の人たちが先に入りはじめ、
ここに並んだ人たちが後回しにされるという、
あってはならない事が起きてしまった。

この無駄に長時間並ばされたことによるものなのか、
熱中症で倒れる方がここでは相次いだとか。

この日の最高気温は36度を超えていたが、
下がコンクリートのこの場所では、
おそらく四十度をはるかに超える過酷な状況だっただろう。

これにはもはやかける言葉もない。


コミケは確かにあまりにも巨大すぎ、
準備会スタッフが足りないと思われることが、
ここ数年自分は何度かみかけている。

特に問題だったのは、
東館への入場口が変更になった時のこと。

このとき東館の6ホール付近にある入り口から最初は入場できていたのが、
それが急遽ここを閉鎖しエトランスホール側へと変更になった時のこと。

これそのものは至極正しい判断だが、
それに対するフォローや発信が何もなく、
多くの一般参加者が東京ビッグサイト前の交差点から、
東館6ホール付近までの外の歩道を、
延々と歩かされることになってしまった。

本来なら先の交差点に一人のスタッフが立ち、
入口変更のそれをやってくる参加者に言えばいいものだが、
何故かとにかくそれはなされなかった。

これは次のコミケでも改善されず、
近くの警備の人に聞いたところ、
どうもスタッフが足りなくてしかたないとのことだった。


自分はこのときようやくスタッフ不足を認識したし、
また導線の細かい変更、
というか事前にそうなるであろうことが予測されるそれに対し、
まるで手がうてない現状に一抹の不安を覚えてしまった。

そして今回、
その不安がより大規模かつ深刻な状況で再発してしまった。

さらにさきの東待機列までの誘導に、
夢の大橋から一時間かかったというのも驚いた。

ここは三十分もあれば移動できるはずなのだが、
それがその倍もかかるということは、
それだけ現場が混乱し、
またその混乱を収束させられるだけのスタッフがいないことも、
容易にこのことから想像できた。

この間ツイートでもこのあたりの発信もなく、
現場と本部が乖離しはじめていたのも問題だった。

というより、もはやいっぱいいっぱいだったのだろう。

そしてこのことが先に述べた東側入場遅延の、
ある種の導火線となっていたのかもしれない。


だがこの悲劇は防ごうと思えば防げたはず。

というのも東側を開ける指示を出した責任者がいなければ、
当然東の駐車場が開けられるわけがない。

自分はじつは1986年からコミケに一般で参加しているが、
ときおり企業側、サークル側、そしてスタッフ側からも参加している。

そのスタッフで参加したとき、
それ以前に入場順で大きなトラブルを起こしたことから、
とにかくこの件にはかなり気を使っており、
自分もこのあたりを徹底的に指示された記憶がある。

そのためこの時は何ごともなくうまく進んだが、
もっともそのときはスタッフの数も多く、
一般参加数も今より少なかったこともあった。

だがこのときの意識の高さが、
今回スタッフ全体にあったらはたしてこんなことが起きたただろうか。

あとこれは自分がかつて会社で新人の時言われたことだが

「指示を出したら、それが有効な間はその指示に責任をもて。それができないようなら指示を出す資格はない。というより出すな」

と厳しくしつけられたことがあったし、
それは今でも常識であり当然だと自覚している。

指示は人を動かすことを意味している、
つまり自分以外の人の動きを自分がコントロールすることになる。

それがどれほどの責任をもつかは、
そのときそのときでいろいろと変わるだろうけど、
規模の大小を問わず責任は指示を出したものが負わねばならない。

もし今回東を開ける指示を出した責任者がこのことを自覚し、
さらにその後の段取りを自分だけでなく、
他の人にもちゃんと伝え理解させていたなら、
すくなくとも今回のようなことは起きなかっただろう。

また起きたとしても一時的なものですみすぐ対応できたはず。

起きたことはもう取り返しはつかないので、
今回の責任者は次回から今回の反省を踏まえ、
二度とこういうことのないよう、
指示を出す事への責任の所在を含め自覚し行動してほしい。


ところで今回熱中症で倒れた人を自己責任というけど、
すべてをそう言い切るのは無理がある。

確かに事前からこの暑さは想定できていたので、

「首筋まで隠れるようなつば付きの帽子の着用」
「風と押しのいい服装」
「保冷剤の携帯」
「水分と塩分のこまめな補給」
「寝不足などしていない状況での参加」

は当然のことながら心がけていたと思う。

これらを甘く見て蔑ろにしていたら、
確かに自己責任を問われてもしかたないし、
一度列から抜けるか並ぶことを断念するという、
そういう決断をしなかったことも責められるだろう。


だがそれらをちゃんとやっていて、
尚且つ準備会の不手際による意味のない長時間の待機が、
予想以上に生じたことが原因だとしたら、
それは自己責任ではなく人災に近いものがある。

このあたりはちゃんと精査しないとダメだと思う。


次回は12月の冬コミだけど、
熱中症は無いが低体温症がこちらはある。

また寒さということもありトイレもまたかなり必要となる。

ただ今回夏コミで起きたことへの反省が出来ていれば、
次回は今回みたいなことは起きないだろう。


あと徹夜組。じつに六千以上。

三日目の参加者の約3%がそれだったとか。

ただ六千人以上というと渋谷のNHKホールどころか、
パシフィコ横浜ですら入りきれない人数となる。

これはもはや常軌を逸しているし、
災害級の規模といっていいのかもしれない。

ただいろいろ考えてみると、
やはり徹夜組はいなくならない。

夜間戒厳令でも出ていればとにかく、
追い払っても分散するだけで、
各施設や一般の住民の方にも大迷惑。

それこそ警察沙汰になりコミケ当日中止になってもおかしくない。

個人的には始発組が常にこのためバカを見るようなことのない、
そういうシステム程度なら浮かんでくる。

しかもそれによって徹夜組が減るか増えるかは未知数で、
なんともいえないし、逆効果になる可能性もある。

また徹夜組を一掃できる可能性大のやり方もあるが、
そのためには始発組をはじめとして、
かなりの負担を強いることになるしスタッフもたいへんになるので、
それは甚だしく現実的ではない。


なのでこのあたり、
そろそろ一般公募で対応案を募集する時期なのかも。

みんなでつくるコミケなら、
これが一応筋のような気がするが、
それすら今迄しなかったというのには、
徹夜組を無くせない何か理由があるのかもしれない。

一部には耳を疑う話もあったけど、
自分はそれを確認していないので何とも言えない。

ただもしそれがスタッフの不足からくるものだったら、
これはかなり深刻な問題かと。

このあたりいったい本当はどうなっているのだろう。


巨大になりすぎたコミケ組織だけに、
なかなか小回りもきかないだろうし、
スタッフも不足気味というけどいささか暗澹たるものがあるけど、
ここは何とか乗り切ってほしい。

ただダメなら一度休んでみるというのも手かもしれないし、
夏コミの開始時間を、1~2時間前倒しするというのも、
可能ならありかもしれない。


参加に危険を伴うイベントなど、
いつかは足元をすくわれかねないものがある。

とにかく大勢で知恵を出し合い、
今回のような事態を二度と起こさないにしてほしい。


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京都の事件に今思うこと。 [ひとりごと]

京都の事件から一週間経ちました。

あっという間という気がする。

この間自分はいろんなことを考えていたけど、
最近この事件に対してある考えが浮かんできた。


そのきっかけは犯人が、

「小説を盗んだから放火した」

と、そう言い放った一言。

正直言いがかりも甚だしいし、
なんの明確な根拠もないたんなる思い込みで、
こいつはこんな理由で多くの人を死に追いやったのかと、
愕然としたしあらためて怒りも湧き上がってきた。

だが次の瞬間あることが脳裏をよぎった。

「誰々が書いているから」とか、
「ネットいろんな人が書いているから」みたいな、
そういうしっかりとした根拠や出典元が示されていない、
単なる噂話のレベルにのみ基づいて、
勝手に自分に心地よいドラマをつくりあげ、
それに沿った流れに身をまかせて、
勢いとノリと思い込みで他人の書き込みを炎上させる、
そんなよくSNSでみかける一部の人たちと、
この犯人いったいどこが違うのかということだった。

確かに今回の無差別大量殺人犯と、
SNSのそういう人たちを同列に論じるのは言い過ぎかもしれないけど、
だがSNSのそれも場合によってはそれで心が深く傷つき、
不登校になったり命を絶とうとした人もいる。
(実際絶った人もある)
それを思うとこの二つは本質的に同じではないかという気がして仕方がない。

そう考えると、
そんな炎上や攻撃を繰り返す人たちにとって心地よいSNSと、
それに栄養を与え続けているその土壌というものに、
自分も心地よく身を任せながら、
見て見ぬふりをしてそれを知らず知らずのうちに、
無意識に助長し養分を与えていたのではないかと、
そんな気持ちになってしまった。

そしてその考えに辿り着いたとき、
あの犯人もそんなSNSでの炎上や攻撃をし続ける人のように、
明確な根拠も精査せずに勝手な思い込みとドラマによって、
他人を炎上さるかのようにあの凶行に走ったことを思うと、
あの犯人を育んだ土壌も、
炎上や攻撃を繰り返す人たちを育むSNSの土壌も、
じつはまったく同一のものであり、
その土壌を日常として無神経に受け入れ、
そのSNSに栄養を与え育んでいた土壌に養分を与えていた自分も、
じつはあの事件とまったく無関係ではないのではないのかと。

そう思ったら、
この事件と自分の間になんともいえないものを感じてしまい、
最近は自分に対する嫌悪感のようなものすら感じるようになってしまいました。

今回の事件に対する募金等をすることはもちろん大切なことだけど、
荒れた書き込みや推測憶測やノリと流れだけで、
正義という名で人を攻撃するという風潮に対しても、
今一度考えてみることも大切なことなのではないかと、
自分は今そう感じ考えています。

ただじゃあそれはどうしたらいいかは未だわかりません。

でも今回の被害にあわれた人たちのためにも、
せめてこのことをこれからも強く意識していきたいと、
今はそう考えています。


〆です。

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京都の事件とこれから。 [ひとりごと]

京都アニメーション第一スタジオで起きた、
この単独犯による無差別大量殺人事件によって
相模原障害者施設殺傷事件や秋葉原通り魔事件 、
そしてあの津山事件をも超える人命が天に召された。


自分はこれをちょうど家を出る準備をしている時に知り、
最悪の状況にはならないでほしいと願い外出したが、
その願いはかなわなかった。

34人という掛け替えのない尊い人命が失われた事実に、
正直翌朝もそのショックは尾をひいていた。


この日の横浜は久しぶりに青空がのぞいたり、
大桟橋にはダイヤモンドプリンセスが来航していたけど、
それらをみてもいつものように心おどることもなかった。

このときちょうど前を通りかかった横浜海岸教会が
礼拝堂の一般公開をしていた。


自分はめったに教会などに足を向けないのだけど、
このときは何故か吸いこまれるように教会を訪ねた。

時間的に昼休み礼拝には参加できなかったけど、
中をしばらく見学させてもらう。

自分は礼拝堂の三階にも上がり、
そこにあった椅子に座ると、
手をあわせしばらく昨日亡くなられた方々に黙祷を捧げた。

そのせいかようやく気持ちが少し凪いできた。
ここがこの日公開されていて自分は本当にありがたかった。


おかげて気持ちが大分落ち着きあらためてこの事件について語る前に、
今は負傷された方の早期回復を祈り、
亡くなられた方には深く哀悼の意を深く表したいと思う。


ただそういう言葉だけではとてもあらわしきれない思いの丈が、
やはり今の自分にはある。

確かに人材的にみて日本だけでなく世界的な損失という部分はあるものの、
それ以上にまだまだ希望にみちた人生を、
これからも末永く歩もうとしていた若い人たちが、
こんな理不尽な形でそれを断たれたということに、
もうどうしようもなくたまらないものがある。

犯人には確かに何か理由があったのかもしれないが、
人の命を奪ってまでいい理由などこの世のどこにも無い。

あるはずがない。

犯人にはぜひその口から動機を語ってもらい、
その後然るべき厳粛な裁きを受けてもらいたい。


灯油とガソリンの区別もつかない、
頭の悪い犯人のことはあとは司法に委ねるとしてて、
問題は残された人と会社のこれから。

重傷者はもちろんだけど、
他の方も精神的にそう簡単に立ち直れるとは思えない。

また資料やデータも一切合切消失したということも、
本当に痛恨の極みだけど、
あの第一スタジオそのものも解体し、
再建をかんがえなければいけない。

またいろいろな機材設備も一から揃え直さなければならない。

そして重傷の方を中心とした治療費や、
亡くなられた方の遺族への支援も考えると、
一億二億ですむ話とはとても思えない。

「アニメを日本の文化」と政府が位置付けるなら、
なにか特別な援助を資金面、資材面、技術面等々で援助するとか、
京都市や電気ガス水道の各社は、
税金を一定期間免除をするとかしてほしい。

また事故にあわれた方への精神的ケアも行ってほしい。

そして放送局には、
京アニの作品を再放送することで、
そこからの放送料を支払う機会を増やす。

作家さんには京アニで手掛けた作品に関する何かを一同にもちより、
それらをオークションにかけ落札額を全額寄付する。

そして声優さんたちは何かできる事を考えていらっしゃるのなら、
一同に会してNHKホール等を使ってのチャリティをするという手もある。
(NHKもできればホール使用料は無償にしてほしい)

場合によってはラジオ+テレビ+ネット同時で、
24時間チャリティをするというのもありかもしれない。

もし問題があるとしたら、
誰がどうそれらをひとつの力にまとめることができるかという部分だけかと。


あとそれ以外にもコミケや土師祭でも募金等をできればしてほしい。

他の京アニと関係があるようなイベントもこれに続いてほしい。


このようにやること手段は山ほどあるけど、
問題はそれでも果たして金銭的な面をカバーできるかは疑問。

とにかく多くの方たちでできるかぎり知恵を出し合い協力しあい、
京都アニメーションを助けてあげてほしい。

それが今まで勇気や希望を与えてくれた、
この会社へのせめてもの恩返しになるのではないだろうか。


あと失われた人材。

確かにこれはもう取り返しがつかない。

ただかつて全日本プロレスも、
1990年に多くの主力中堅若手がごっそり抜け、
将来を危ぶまれた事があったが、
その後残された選手の頑張り、
若手の成長と外国人選手の活躍で、
武道館も毎回満員、
そして東京ドームでも興行をうてるほどに復活した例がある。

楽観などはできないが、
残された人々、
これから京アニに就職しようという人、
そしてその人たちを支えるファンがいる限り、
その道は険しいかもしれないが、
決して希望が先に見えない道にはならないと思うし、
結果これからをまた日本のアニメ界をリードする会社のひとつとして、
間違いなく復活するであろとう自分は確信している。


長期線になるかもしれませんが
今はその道を開く糧となれる事があれば、
自分もできるかぎり協力したいと思っています。


そしてそのひとつの道標が
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版公開。

いつになるかは不明ですが、
それが実現したらそれが京アニ復活の狼煙になると思います。

ただこの作品や「Free!」劇場版はクラウドファンディングにすべきかも。


以上で〆
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NGT48問題、私感。 [ひとりごと]

※最初にお断りしておきますが、かなりの長文、しかもくどい書き方をしていますので、その点ご了承ください。



まずこの問題について書く前に自らの立ち位置を書いておきます。

自分は正直この問題が新潟じゃなければそんなにここまで真剣にならなかったと思う。

というのも、
自分にとって新潟はかつて十年以上生まれ育った土地。
特に長岡には強い愛着があるけど、
とにもかくにも自分にとっては横浜とはまた違った場所となっている。

ただ、それにもかかわらず、
自分にとってNGT48には今までほとんど興味がなかった。

もともとAKBにもあまり縁が無いこともあり、
NGTが出来る以前に、
長岡まつりにAKBのチーム8が来ていた事に出くわした事が、
この種に関しての唯一の接点だったと思う。

だからこの事件が起きるまで山口さんの名前も知らなかった…、
というよりメンバーの名前も顔もまったく知らない状況で、
当然その活動の様子も人数すら全く掌握していなかった。

その状況が分かったのはこのニュースがきっかけだったといっていい。

じゃあ何故今深入りしているかというと、
前述したとおり新潟が自分にとって特別な場所だからです。

なので当初はその特別な場所での不祥事と相次ぐ運営の醜態に、
正直怒り爆発状態でした。

ただその後いろいろと感じ始めた疑問等から、
その考え方にかなりのブレが出て来ており、
今はかなり今年初めの山口さんの告発の頃とは、
考え方も立ち位置も変わってきていてます。

もちろん最大の被害者が山口さん、
最大の加害者が暴行犯とその関係者の全三人という、
この図式は不変ですが、
今はそこに新たな被害者として、
残されたメンバーが加わってしまったというのが自分のそれで、
現在はそこの救済をなんとかしてほしいという立ち位置にいます。


そんな自分が今回の問題について、
いろいろとダラダラ書いていきたいと思います。

話を時系列順に進めていきます。


2018年12月8日
この日は朝からの雪が夕方からにわか雨になったものの、
気温も4度に届かない寒さだったと当時の記録はなっており、
そんな中でこの事件は起きている。

チームGの公演が17:30に開始。
おそらく終演は19時半くらいだったのではないだろうか。
第三者委員会に終了時刻は明記されていないが、
それからまもなくした20時40分にこの犯罪行為は起きた。

これについてはいろいろな所ですでに詳細が報道され、
その後山口さんと加害者のやりとりも詳細に報道されているので割愛しますが、
そのときのやりとりをみると、
かなりの寒さの中で激しく加害者につめよる山口さんと、
最初に言い出した事が途中から変わったように感じられる加害者との、
かなり緊迫したやりとりが感じられる。

自分はこのとき加害者の一見予想外の激しい反撃に動揺しているようで、
じつはうまく山口さん達をはぐらかしいるのではないかという感覚を感じたが、
それはあくまでも感覚的なものなので確証は何もない。

ただ自分が重大に感じたのはそれ以前の

「山口さんが自宅の前で襲われた」

ということ。

土曜の夜とはいえやや人気の少ないと思われる時間帯で、
ドアを開けまさに中に入ろうとしたその瞬間、
いきなり見ず知らずの複数の男性が襲い掛かってきた。

加害者たちは脅かすつもりはなかったというが、
それなら声をかければすむことであって、
見ず知らずの女性を背後から「掴む」という行為が、
掴まれた側がどう感じるか分からないはずがない。

分からないとしたらかなりの阿呆だと思いますが、
このあたりの事は警察が現場検証でドアについた指紋等を採取しているので、
この件は明確にしようと思えばなると思う。

今でこそ結果が分かっているから「暴行」ですんでいるが、
本人にしててみれば一瞬パニックになっただけでなく、
「金銭強奪」「性的暴行」そして「殺害」も脳裏によぎったはず。

その後の山口さんの発言や対応を頑なにすぎるのではないかと、
そういうふうにみるそれもあるけど、
一瞬「死ぬ」と覚悟するほどの恐怖を味わった人間に、
それを言うのはこちらが平時に生きているからであって、
頑なとみるのは些か酷ではないかという気がします。


この異常な状況でよく山口さんは逆襲できたと、
その強さに驚いてしまうが、
さらに気丈にもいろいろと対応しながら外の公園に連れ出し、
そこで詰め寄ったという。

ただこれは今だからあれだけど、
一時的とはいえ、
この時現場は加害者たちと山口さんのみになっており、
最初から何らかの犯行目的がじつはあって、
廊下等ではわざと嘘の理由を述べ、
公園もしくは行く過程で顔をみられたという理由で、
隙を見計らい凶行に走るという可能性もあったわけで、
今考えるとひじょうに危険な行為で決して得策ではなかったと思う。

なのでこれをやってしまったということは、
山口さんがじつは冷静さを欠いていたともいえる。

ただこの冷静さを欠いているはずの状況下で、
数的不利にもかかわらず公園で山口さんが詰め寄ったことで、
加害者たちが自分にこれ以上危害を加えない事を本能的に感じ、
この状況で主導権をとったことは、
あらためてその強い精神力に驚かされてしまう。

その時の雰囲気は録音でも感じられる。

ただこれを当時の運営上層部や支配人が、
「山口は強いから大丈夫」
と誤った判断をしていたらどうだろう。

もしそう判断していたらそれはとんでもないことで、
正直かなりのトラウマができてもおかしくないし、
加害者とのやりとりでその発言を基に、
この事件のストーリーも自分なりに構築されている可能性もある。

ここで大事なのは、
まず山口さんに精神的なケアをすること。


トラウマを取り除くという専門家も含めての最初のケア、
その後山口さんの中でできているストーリーを、
一度親身にすべて受け入れ、
第三者委員会の調査等との違いを、
単純に否定するのではなく、
なぜこういうことが起きているのかを山口さんととともに考え、
より確実な真実を互いに理解と了解をしながら、
じっくりと互いの距離を詰め理解し真実と解決に向かうという、
もうひとつのケアをするということだ。

この二つ目はかなりしんどい作業になるが、
絶体手を抜いては行けない大事な部分。

このどちらかひとつが書けてもダメなのですが、
第三者委員会の報告書みると、
それをやったという記述が自分にはみつけられなかった。


前支配人も現支配人も「自分がもっと」と発言されているが、
専門家をこういう時に呼ぶのは基本中の基本。

もしこの二つのケアをするため専門家を招聘していなかったとしたら、
自分たちだけで解決をという気持ちは分からないではないが正論ではない。
厳しい事をいうがここに危機管理の弱さを感じてしまう。

メンバー一人一人は、
NGT48にとっての財産であり血液。

それが一瞬凶行で奪われかけ傷つけられたのだ。
そういう自覚がはたして当時運営全般にあったのだろうか。


その事を考えると、
1月8日の山口さんによる事件の発信
1月10日の涙の謝罪会見
この二つが上記したケアをやっていたとは自分にはとても思えない。

自分がこの事件を知ったのはこの時点だけど、
当時は第三者委員会のそれも録音の存在も知らなかったが、
ただそういう事とは関係なく、
異常な凶悪事件が起きた事と、
被害者が泣いて謝罪するという意味不明の状況は、
あまりにも自分の中で不可解に思われしかたなかった。

ここで時期が前後するが、
これに先立つ前年12月28日、
加害者グループは不起訴処分になっている。

この理由は第三者委員会も早川現支配人も知る術が無いようだ。

(因みに提訴取り下げではないので、この件についてはもう刑事では取り扱えないはずだが、検察審査会に不服申し立てをし、不起訴不当や起訴相当となれば起訴される可能性もあるとのこと。尚、後日これについて運営は民事という別の方法を選択している)

ただこれらの出来事が多くの人たちに疑心暗鬼を生む要因となり、
それがまた別の被害者を生む要因のひとつにも後々なってしまいます。

本来ここで何故取り下げられたのかを山口さんにも確認すべきだったし、
場合によっては可能なら上記手段を相談の上考えるという手もあった。

ただこれも当時したというそれが見当たらなかったので、
どうもこのあたりいまひとつ運営側の親身真剣さが見えてこない。

気のせいだろうか。


1月14日
運営責任者等がここで初めて会見。
NGT劇場支配人を今村悦朗氏から早川麻依子氏に交代となる。

2月1日
運営側が第三者委員会を設置。

2月9日
NGT48の正規メンバーの公演を再開。

ところがここで。

3月7日
元支配人の今村氏が、
AKBG前総支配人と笑顔で酒を呑んでるそれがネットでUPされた。

正直呆然としたし情けなかった。

まだ何も事件が解決していない、
しかも初期対応に失敗しているのでは?
と思われるような涙の謝罪会見がまだ記憶も鮮明なこの時期に、
これはあまりにも無神経というか危機感覚が希薄というか、

「もう自分には関係ないからいいや」

みたいな感覚大爆発でさすがに「無責任」と感じられてしまった。
空気を読む力が欠落しているのだろうか。

3月13日
AKBが選抜総選挙を今年は開催しないと発表。

3月21日
第三者委員会が調査報告書をNGT公式サイト等で発表。

そして問題の翌22日
あの運営による第三者委員会の調査報告書の説明会見があった。

このとき第三者委員会の人が誰も出席していない事に違和感があったが、
そこで何があったかはもうあらためて説明する必要もないと思う。

山口さんがリアルで否定ツイートを連発したことで、
運営はこの半年山口さんのケアに関しては、
ほぼ何もしてなかったという事が自分には強く感じられた。

特に株式会社AKS取締役兼運営責任者の松村氏のそれは、
どうしてあのようなものになったその真意は分からないが、
あまりにも他人事的に感じられる受け答えが随所にみられ、
事の大事をここに至ってまだ理解してないのかと、
正直怒りを通り越し情けなくなってしまった。

そしてこの日以降、
多くの企業等から契約や関係を外され続け、
NGTそのものも劇場公演すらうてなくなった。

これが何を意味するかはもう説明の必要もないかと。

その後は山口さんを含む三人の不本意な卒業公演まで、
まさに手をこまねくだけの一本道を運営は惰性で転がり続けたように見えた。


自分はこの少し前の時点までは
被害者である山口さんが、
加害者と運営に二度殴られたかのような感覚を受け、
運営の対応の片手落ち的とも見えるような酷さにかなり激高し、
正直NGTは新潟から出て行ってほしいとさえ思っていた。

ツイートで
「NGTにおける運営の初期対応を何かに例えるとしたら、放火された家にやってきた消防隊員が、消化活動をする前に近くにいた放火犯から火をもらってタバコを一服してるようなもの。これで怒らない被害者や目撃者がいるか?」

また、

『もし新潟市が、山口さん長谷川さん菅原さん村雲さんにあらためて新潟市のキャンペーンをオファーしたらどうなるんだろう。

本人たちが受ける受けないは別として、その瞬間NGTは本当に詰んでしまうだろうなあ。

親父に女性に手をあげる奴はクズと教わって来た自分としては、ここの運営の姿勢がまったく理解できないし、しようとも思わない。
だいたいファンあっての商で、そのファンやスポンサーを敵に回すその非常識さも異常にすぎる。
事実と現実に真摯に対峙できない者は誰からも信頼も信用もされない

「けもフレ2」の時も思ったけど、ファンは餌をばらまけば金を落す生き物と思ってたら大間違い。
ファンをなめるな!
あと「再出発」と「取り繕う」は意味が違いますから。

ファンはみんなそれを知ってます。

なのにもし運営はそれが分からず、今の今までこんなことしてたとしたら、運営の責任者はプロとして失格。そしてほんと申し訳ないけど、運営には今後二度と関わらないでほしい。

誰も幸せにできないでしょ』

とさえ当時書き込んでいる。

被害者の山口さんにだけ厳しく、
加害者は野放しと、自分にはそういう構図に感じられたからです。

また秋元康さんも実権がないとはいえ、
何かしっかりとしたコメントを出していれば、
また違った風が流れていたのではないかという気が今でもしている。

拘束力はないかもしれないけど、
毅然とした態度はやはりとるべきだったと思うし、
不本意な卒業という最悪の事態にも一石が投じられたかもしれない。

もちろん絶対そうなったとはいえないけど、
多少の可能性への道筋や救いの姿勢を、
自分はあのときに正直秋元さんには取って欲しかったです。

今でもあれはじつに残念。


その後ネットでの凄まじいまでのバッシングがメンバーに向けられはじめた。

ふつうなら自分もいつもなら同調するのですが、
自分は「ちょっとこれは違うのでは?」という気が、
今回は強く感じ同調することができなかった。

確かに山口さんの弁を聞けばそれをする理由は分からないでもないが、
第三者委員会の内容に再度目を通し、
あの運営の記者会見や山口さんと加害者の録音を再度みていると、
じつは明確に誰々がという部分が明らかになっていない。

山口さんのコメントも、
具体的に出てきたのは松村氏とあの会見にいた残り二人くらいで、
複数回登場したのは松村氏くらいだろうか。

録音では実名が飛び交っていたようだし、
山口さん自身のツィッターでフォローを外したメンバーがいるとか、
考えようによっては何とでもとれる事案はあるにはあるけど、
公式にメンバーの実名が飛び交ったというものを自分はみていない。

山口さんからもそれが出ていないのは、
おそらく第三者委員会のそれでも明確化できなかったことで、
限りなくクロとは思っているメンバーがいるにはいるが、
完全に詰め切れていないことも理由としてあるのかも。

「疑わしきは罰せず」

これは刑事裁判の大原則だけど、
これを山口さんはギリギリの所で遵守されているのかもしれない。


にもかかわらず、
ネットでは出処不明もしくは推測憶測の類と、
自分達がそれらを基に作り出したストーリーが、
少なからず飛び交った。

自分はじつはこういうのが一番嫌いで、

その後ツイートで、

『「事実という点と点を想像という線で結んだのが小説、より細かい事実という点を敷き詰めて繋ぐのが論文。読んでいて楽しませるのが小説の仕事。真実を突きとめるのが論文の仕事」と昔大学の先生に教わった。

正直後者のような作業をしないまま、解散だ加害者だと発言するなど自分には出来ない。

またその真実も「自分が真実とする説と反するものをぶつけ、否定に否定を重ね、否定しきれなくなったところで、ようやく真実の一端を掴むことができる」とその先生に教わった。

面倒くさい奴と思われるけど、そこまで詰めて納得できない限り自分には支配人やメンバーを攻める事は出来ないのです』

そして、

『そもそもネット上の文字の一部を切り取り、その人一人の全人格まで否定するのは些か疑問。そこまでその人のすべてや行動原理や思考、そして判断基準をこちらがそんな極一部の、しかも表情の読み取りが難しい文字だけの情報で完全掌握できるものなのだろうか。

そんな単純なものではないと思う。

それにこういう流れはひとつ間違えると「虐め」や「魔女狩り」に流れていく可能性がある。いや、ひょっとするともうそうなりつつあるのかも。

自分はそういうおかしな、そして「今あいつらを叩けば俺は正義、俺は勝ち組」みたいな流れは正直嫌い。

あと、やはり自分のドラマやストーリーに何でも乗せようというのは、確かに楽だしカタルシスも感じるだろうけどダメだと思う。

ひとつの行動を頭から否定するのではなく、まず全部を一度受け入れて、そこから肯定と否定をつきあわせていくのが筋。それが誠意というものかと。

本来それを今回の山口さんの件で求めている人たちが、結果いつのまにか流れに流され、虐めや魔女狩りに走っていくのはやはり悲しい。

それに誠意がないとどうなるかは、今回の件でAKSの運営が如実に実践しています。

結果的にあれと同レベルになるようなことはやはり避けてほしいです』

またNGTのメンバーと懇意にしている声優さんを、
これまたただそれだけの理由で人格否定をしかけている人がいた。

これに対しても自分は、

『もし、自分の親友がネットで犯罪者だと叩かれながらも、本人が自分は潔白だといってきたら、この時点であなたはその場で親友と縁を切ったり、即疎遠になれるだろうか。

当然信頼できる人間には、ネットでは絶対明かせないような深刻かついろんな部分も告げているだろう。

それは場合によってはこちらの想像と大きく異なる真実が含まれてるものもあるかもしれない。

そこの部分まで思いやらないで、それでも何が何でもまず糾弾ありきという姿勢はどうなのかなと思うし、糾弾者にも後々かなりの危険をともなうかもしれない。

そういう部分も含めて今の流れはとても怖い。

かつて障害者郵便制度悪用事件の村木厚子さんや、構造計算書偽造問題での木村建設元東京支店長など、最初に流れた情報と真実がぜんぜん違った冤罪事件があった。

あの時は自分も騙された側だったので、この時から確認できないネット情報のみで決めつけをしてはいけないと思うようになった』

さらに、

『卒業した人にとってはひとつの区切りかもしれないけど残った人たちにとってはこれからの話。心配なのは山口さん支持派やその反対派でもない「何をどうしていいのか分からない」メンバーの人達の事。

この「何をどうしていいのか分からない」、つまり事件と接点がなく、運営からも真摯な説明もない為、動きようがない中間派の人たち迄、ネットで憶測リンチに晒される(もしくは結果的に巻き込む)事は断じて許される行為ではないはず。

前に言った事を再度またここで言いますが、自分の考えたストーリーに沿った行動はとても心地よい、だからといって出処不明のネット情報や憶測印象で、特定個人によってたかって人格否定やリンチをしかけるなど言語同断。日本は情治国家ではない。それに卒業する三人にこれらの行為は、はたして吉となるだろうか。ぜひ多くの人に再考してほしい』

と、ツイートをかましている。
(一部言葉を修正捕捉していますが内容は変えていません)

これもまた繰り返しますが、
山口さんが今回の最大の被害者であり、
暴行に加担した三人が最大の加害者であり諸悪の根源であるのは、
これから新しい事実が公に出てこない限り、
今の所動かしようのない事実だし、
運営上部の悲惨な初期対応の結果が、
さらに別の悲劇まで生んだこともまた確か。

だからといって、
不確定要素のある人たちまで推測で糾弾するのは、
もし違ったらどうする気だろうと、
やっている人たちの姿勢と覚悟に自分は疑問を感じる。

もし間違っていたら、
どう始末をつける気なんだろうと。


もし何でもありなら、

「今メンバーを叩いている人たちの中には、山口さん襲撃の実行犯が自分たちから注意を逸らすため、成りすましや友人等を使って焚きつけている可能性が高い。あれだけ姑息な事を平気でやる輩なら、これくらいの事は絶対やってるはず」

と言うのも有りとなってしまう。

だけどそれは許されないのです。


そして最近とうとう、
こともあろうに殺害予告をした人がいた。

自分はこれに対し、

『「殺害予告」はどんな理由があるにせよ立派な犯罪。

山口さんがそんなこと望んでると本気で思ってるのだろうか。これでは退団した三人のこれからの足を引っ張りかねない。

「あの三人のファンは危ない」等とこれを機に思われたら最悪だ。

やってる本人は事の重大さと影響の大きさが分からないのだろうか』

とツイートした。

捕まらないと思っていたとしたらまさに愚かな話だけど、
ここまで行かなくとも、
その少し手前まで行きそうな書き込みはかなり見受けられます。

こういうことはぜひ自重してほしいです。

自分良ければすべて良しはこの場合絶対ダメなんです。


ところでこの責任の一端でもある早川支配人の言動が、
自分にはこの記者会見あたりからあまりにも不可解に感じられた。

それは上記会見で確かに数回は発言しているものの、
ほとんど実質的な発言権が無いように感じられたこと。

前任者からいきなりバトンを渡され、
上からはいろいろと指示をされ、
下からもまたいろいろと希望を出されと、
確かにいっぱいいっぱいかもしれないけれど、
あの時の姿はまるでチェーン店における、
雇われ店長のようにさえ感じられた。

早川支配人には運営のさらに上の方から、
すべてをちゃんと説明を受けているのだろうか。

もし支配人に対し、

「お前は言われた通りにしていればいい」

というような上からの指示が存在していたら、
これはもうどうしようもなく救いがたいものがあるし、
そうだったら誰が支配人をやっても無理な話かと。

自分がそれを感じた時、
このままだと何もせずにまた支配人が交代してしまうのではないかという、
そんな予想が脳裏をよぎった。

そうなると伝言ゲームではないけど、
ますます事件のそれから遠い人が支配人になり、
さらに泥沼化していくのではないかと危惧してしまいました。

それにそんな事がもし起きたら、
早川現支配人本人もメチャクチャ悔いが残るんじゃないかと、
それに山口さん等に対してもあれがベストとは思っていないだろうと、
急にそんなことが思えてきてしまった。

おそらく何を言っても言わなくても、
早川支配人は矢面に立たされる立場である事は確か。

ただそれならそれで、、
これ以上悪くなることなどあまり考えらることなく、
もう好きにやったって後腐れなくていいんじゃないかと。

そう思うと後先考えずに撃ってしまうのが自分の習性で、
面識も無く人柄も全然知らない早川支配人本人に、
あえてツイートを通して呼び掛けたことがありました。

それはNGT公式ツィッターの何の関係もないツイートに、

「早川支配人へ。なんか上を気にしすぎているせいか、ブレーキ踏みながら前に進もうとしているようにみえて何とももどかしいです。これ以上悪くなることはないんだから、もう自分の好きなようにすればいいのではないでしょうか。むしろこの現状。みんなでやりたい事をやるチャンスという気もします。

これ以上失敗失言をしないようにという事ばかり気にしているようで、これでは全員が委縮し暗くなってしまう。むしろ今までどこがNGTはよかったのかという事を、みんなで回顧し説明しあうようなディスカッションをするべきでは。そこから自分はこの先へのきっかけが見えてくると思います。

時間は今たくさんあるんですし、悶々としているよりは遥かにましかと。 ……(中略)……、すべてはこれからだと思います。 残ったメンバーの夢と将来のためにもいろいろとお願いします」

と、やめりゃいいのに思わず言いたい砲台でぶっ放してしまった。

言うだけ言うなら正面きって意見しようということだったが、
前後して本人がツィッターをはじめていたことで、
この発言は空振りに終わってしまい大恥をかいてしまいましたが、
ただ何となく前に進もうとしている早川支配人の姿勢には少し安堵しました。

もっとも運営の手法や体制には未だ疑問は持っていますし、
今この時点をOKと思ってるわけでもありません。

依然としてメンバーが生殺し状態なのは事実なのですから、
この状況を打破しないとまったくダメな事は確か。

ほとぼりが冷めるのを待つなどあり得ない愚の選択かと。


先日メンバーのお一人が家族と相談し退団されたけど、
これに対し自分は、

『仕方ないじゃすまないと思う話。ただ辞めていく人も残っている人も、そしてその狭間に立っている人も、みんな苦しんでる事に対し、もう少しありとあらゆる立ち位置の人達は、彼女らに労りの気持ちをもってあげてほしい。
運営の上に言いたい事は山ほどあるけど、それと苦しんでるメンバーの事はまた別の話かと。

今メンバーは、良手を打てない運営のトップと、厳しい一般の意見の嵐と、この二つに両挟みの状態で、しかも発信も許されず活動も出来ずの八方塞がり状態になっている。
先の見えないこの状況で希望を持てと言うのもまたどうかと思う。でも、新潟県民は全員が潰れろとは思っていないはず。
それは今まで自分たちがやって来た事がどうだったかで分かるはず。

できれば一度メンバーも自分のやり方でそれを確認してみるのも今ならできるんじゃないのかなあと。
あととにかく早く運営トップは手をうつ。メンバー全員にのみこれ以上責任を負わせ続けるなど、プロの運営責任者として言語同断』

と、これまた直撃させてしまったけど、
はたしてこれは言い過ぎだろうか。

ただとにかく自分にはもう歯がゆくてしかたがない。

今のこの状況は、
運営は組織を守るどころか壊死させようとしてるかのようにさえみえてしまいます。

もう時間はそんなに無いです。


ところで話は前後しますが、
去る5月31日にNHKの新潟地方の番組で、

『金よう夜きらっと新潟「近すぎたアイドル ~岐路に立つNGT48~」』
※NGT48を巡る一連のトラブル。騒動の背景には何があるのか?アイドルを守る対策は十分だったのか?新潟を代表するアイドルグループの行方を見つめる。

という27分程の番組が放送された。

これを自分は観る事が出来たが、
そこには今の新潟の企業や市民の複雑な心境と立場が描かれていた。

ただ見ていて思った事は、
少なくともこの番組を作った側の人間には、
NGTの解散という意図など毛頭なく、
とにかく組織として早急に立ち直ってほしい、
というか、姿勢を正してほしいというそれが強く感じられた。

それはNHKの質問に対してゼロ回答だったという事への、
担当記者の強い不満の表情にも
そのあたりの考えがハッキリとみてとれた。

自分は正直このゼロ回答に、
「またか」と、
正直落胆してしまった。

せめて「後日書面にて回答」くらい言ってほしかったが、
そこまでの考えすら今ここの上の人達には無いのだろうかと、
さすがにこれには現場のスタッフやメンバーが気の毒になってしまいました。

これはもはや支配人レベルの話ではない、
もっと上の姿勢の問題だと正直思われてもしかたがない。

また番組ではかなりの税金がNGTに投入されているという数字が出て来た。

ネットではそれをやり玉にあげていたが、
あそこではそれを投資したことで、
どれだけの見返りがあったかということには具体的にふれていない。

もしこれを上回る膨大な見返りがあったら、
NGTを新潟がそう簡単に潰す等はあり得ないし、
また赤字だったとしても、
今潰したらそれらが回収できる見込みが今度はなくなってしまう。

番組では四年経ちまさにこれからというコメントがあったことを思うと、
少なくとも赤だったとしても、
これ以上のペースでその数字が膨らみ続けるという感触は、
あの番組からは感じられなかった。

とにかく番組はひじょうに真摯につくられていて、
今の新潟のそれがよく分かるつくりになっていた。

そこには「解散」という選択肢はなく、
とにかく再開してほしいというそれが強く感じられた。

が、

ちゃんとした説明責任と信頼回復なしではありえないという、
ひじょうに全うかつ正論なそれも同時に感じられた。


おそらくこれができるのはAKS取締役兼運営責任者の松村氏しかいない。

松村氏は再度第三者委員会の委員を軸とした会見を開き、
事前にマスコミ等からの質問を受けそれをすべて答えられるようにし、
それらの後、自らの不手際を認め謝罪し、
さらに必要ならばその場ではなくとも、
不本意かもしれないが、
然るべき責任を早急に取るべきだと思う。

もちろんそれまでに山口さんや卒業した二人にもしっかりとした誠意をみせての話。

そしてこれは自分の考えなので当然実現などしないと思いますが、

① 松村氏は最終的にNGTに対しての運営からは完全に外れる。
② 新しいNGTの全権限をもつ専属の運営責任者を他所から就任してもらう。
③ 何かあった場合の為、メンバーの心のケアができる専門スタッフを常駐させる。
④ また別の地区のグループから新しいキャプテン候補を数人任命する。
⑤ NGTを一度発展的に解消し、再度メンバーを公募する。もちろん今のメンバーも応募可というもの。このメンバー選考には新しい責任者やキャプテン候補も立ち合う。パリ管弦楽団方式といってしまえば、ご理解できる方もいらっしゃるかと。

そして

⑥ 秋元康氏に、アドバイザーとしての発言を今後しっかりと出していただけるような体制をつくり、重大な案件が生じた場合かならず意見等を仰ぐ事を確約する。

もちろん危機管理等も修正を施してのこれは話。

これだけの事をすれば、まったくとは言わないまでも、
ある程度は再出発できるのではと自分は考えています。

そのあとは今までお世話になっていた所へのお詫びとご報告だろうか。

新潟は本質的にはとても温もりのある街だ。
誠意を尽くせば今一度チャンスはくれるだろうし、
今までの恩も忘れてはいない。

それにあんなザルな管理でも、
山口さんの事件が起きるまでは、
強盗や傷害にも合わなかった治安のそこそこいい街だ。

今回はそこに甘えていた部分もあるので、
この機にそれをまたしっかりと締めていけばいいだろう。

ただこれだけやってもおそらくグループ内はしっくりとしないと思います。

そのためにも「人づくり」「店づくり」「客づくり」という、
接客業のプロとしての基本的な心構えみたいなものも、
これからはメンバーにも同じプロとして必要なのかもしれない。

このあたりはひとつひとつ丁寧にメンバーの方達に、
教えるというより理解してもらっていく姿勢も運営には必要。

なんでもかんでも上から規則をぶち込むのではなく、
この規則や考えはどういう理由からきていて、
そしてそれらのゴールはどこに通じているのかということも、
ちゃんと噛んで含めるようにやるのが正しいかと。

それは社会人としての常識にも通じると思います。

そしてファンを「大事にする」と「親しくなる」の、
その境界線とリスクもちゃんと説明するべきだし、
マニュアル化しておくべきだと思う。


とにかく第三者委員会のそれを読んでいて、
よくこんなザルで山口さんの件まで何も起きなかったと不思議だったし、
ひよっとして今回の事が起きなかったら、
今頃、最悪の上を行く最悪の事件が起きていたかもしれない。

それくらい酷いものだった。

このあたりも、
しっかりとした危機管理等の専門家に再構成してもらうべきかと。

とにかく時間はあまりないけど、
焦って拙劣なものをつくってはいけないので、
しっかりと再出発できる体制と姿勢を内外に示し、
またあらためて新潟ととともに歩んでくれる存在になることを、
自分は切に希望するものです。


そしてとにかくしつこく言いますが、
いつまでも全員が連帯責任を背負わされたように、
関係ないメンバーまで全員正座させられ端から横ビンタ食らわされているような、
この状況は正直どうなのかなと。

「あけない夜は無い」

とか

「夜明け前がいちばん暗い」

とか言いますが、
待てど暮らせど陽が昇ってこなければ、
よほどボーっと生きてる人じゃないかぎり、
例えチコちゃんに叱られなくても、
心配しますし危機感を強くもちます。


いっそのこと誕生日の人がいたら、
その人が希望するならソロでもスモールコンボでもいいから、
気心のしれたメンバーで「独演会」でもやるのもいいんじゃないかと思います。

もちろん無料で。

運営の責をいつまでもメンバーが被り続けるのは理不尽というもの。

握手会の類はまだ無理だろうけど、
メンバーのみなさんは人前でパフォーマンスをやるのがプロとしての勤め。

それを発信も表現も出来ないのはあまりにも酷。

せめてSNSだけでも再開させてあげてほしいです。


とにかく自分が今できることを精一杯やり、
そしてそれを発信することもまた新潟へのそれではないでしょうか。

勿論異論は多々あると思いますが、自分はそう思っています。


そしてそういうことの積み重ねは絶対報われることも信じています。

あとはどうまた走り出すか。

ただそのためにも何度も何度もしつこく繰り返すようだけど、
運営は今までにない断を自らに下さなければならない。

このあたりを自分は運営上層部に強く要望したいです。


最後に。

ここで本当にしつこく繰り返しますが、
怪しい怪しいとは言われてはいるけど、
第三者委員会の報告書からは直接の関連は現状(三人の実行犯は聞きとりを事実上拒否)無く、
山口さんからも個人の名前が出ていない今の時点では、
こちらが勝手にメンバーの誰か個人を推測で叩くのは、
自分は理にかなった行為ではないと考えています。

むしろ正義と言う名の暴力にさえ感じてしまいます。

叩くのは今後正しい情報が公式に発信され確定してから、
それから気が済むまで叩きまくっても遅くはないかと。

それなのに何でそんなに不確定要素が含まれる今現在の情報で、
そんなに急いで叩くというリスクを冒すのか自分にはちとその理由が分からないです。

それとも自分が他の人より先に叩かなければいけない理由でもあるのでしょうか。

もし自分たちの信じていたストーリーが誤っていたら、
いったいどう責任をとるのだろうか……というよりとれるのでしょう。

間違っても全員総崩れ全員負け組状態にはなってほしくないです。

あと「潰す」ことは簡単ですが、
「育てる」事はその何倍もの労力が必要です。

だから「潰散至上主義」という人ならしかたないですが、
「立ち直ってほしい」「再出発してほしい」
と考えている方は直接支配人に書面を送るのも有りかと。

そういう意見が増えてくれば、
そこから何某かの打開策もみえてくるかもしれません。

たんなる思い付きで、何の根拠もありませんが。


あとここからは余談ですが、
メンバーや現場スタッフのみなさんに今言いたい事。

それはかつてツイートした事と同じ内容ですが、

もし今時間があるなら、
新潟の街や県内のどこか
(佐渡、村上、新発田、寺泊、長岡、湯沢、弥彦、米山、鯨波、十日町、春日山、他等々)
今一度、気が向いた所を歩いてみてほしいです。

それで、
新潟のためにもう一度だけやってみようと、
メンバーや現場スタッフのみなさんが思われたら、
今のこの厳しい状況を思うと、
自分はもうそれだけでも有難いと思っています。


以上です。


長々と失礼しました。

読みづらく偏りの激しい内容ですが、
読んでいただきありがとうございました。

A14.jpg

※追補

◎2019,06/07追加。

「カネカの炎上騒動で考える、炎上時の弁護士的対応が燃料投下になる理由」
https://news.yahoo.co.jp/byline/tokurikimotohiko/20190607-00129136/
を読む。

今のNGTのそれとあまりにもダブってしまってしかたがない。
特に「対応」という部分。

もしNGTの運営の人達がここを読んでいたら、
ここでのカネカと今の自分たちのそれが、
じつはほとんど一般には変わりなく見られてるいることを、
あらためて強く認識すべきだと思うし、
「カネカ」「NGT」も炎上させてる人たちの気質はほぼ同一という、
ここの部分もあらためて意識してほしいと思います。

窮地にある自分をいちばん冷静に見られないのが、
じつはその自分自身というのはよくあるケースなのです。

これそのものは決して責められることではありません。

大事なのはいかにそれに迅速に気づき、
そして速やかに対処行動にうつすことかと。

それをしないことこそ真に責められる行為だと自分は思います。


◎2019,06/08追加。

「NGT、国民文化祭PR役を降板 新潟県が契約更新せず」
新潟県の花角英世知事は5日、今秋県内で開催される、国民文化祭のスペシャルサポーターに就任していた、新潟市を拠点に活動するアイドルグループ「NGT48」との契約更新を見送る方針を示した。

 花角知事がこの日の定例記者会見で明らかにした。NGT48を巡っては、元メンバーの山口真帆さん(23)に対する暴行問題が1月に明らかになり、3月末で終了したスペシャルサポーターの契約更新が保留となっていた。花角知事は「県民から歓迎される状態にないか」との質問に、「そうは思えない」と答えた。

 県文化振興課によると、メンバーの活動や劇場の運営が事件発生前の状況に戻っていないことや、国民文化祭までまもなく100日を迎え、イベントの構成や配布物の作製に影響することから決定した。新たにスペシャルサポーターを置く予定はないという。

https://www.asahi.com/articles/ASM653WG1M65UOHB00L.html

これは当然だと思う。

自分が知事でも同じ事をしたと思う。

ただこれはメンバーに不適格者がいるという事ではなく、
その後の運営の対応があまりにも粗忽にすぎたからで、
運営としては自業自得だけど、
メンバーとしてはさらに憔悴してしまったことだろう。

自分は今回のこの態度に一定の評価はするものの、
どこかで寛容な姿勢もみせてほしいとも思っています。

また実態と噂のレベルというものを見極め、
後々新潟県がこれらを精査せず流れに流されたと言われないよう、
NGTに対してのそれと同等に、
今のネットに飛び交う情報も真摯に精査し、
毅然としてそれらに対応する姿勢をとることも期待したいです。


確かにイメージは大切ですが、
根拠が曖昧なネットによるそれが主な原因と感じられるなら、
特にそのあたりを慎重にお願いしたいです。

貴重なものが失われ、
または潰すことになった場合、
もうそこの代わりは無いと思います。

これからは新潟が率先して育て守るという、
そういう立場を少し担ってもよいのではないでしょうか。

またそれが新しいひとつのケースとなれば、
それはそれでとても素晴らしいことだと自分は思います。


自分の中にある新潟のイメージは、
本来「温かさ」と「純朴さ」、
そして「我慢強さ」と「包容力」というものがあります。
(多少「せっかち」という部分もありますが……)

またいつか時期が来たら県とNGTが、
再度その絆を結び歩んでほしいと願う次第です。


※さらにしつこく余談。


この前劇場側の信濃川沿いを歩いた。

そこはじつに気持ちいい景色が広がっていた。

a01.jpg

そして萬代橋も少し遠くにみえていた。

いいところに劇場構えてるなあと、ちょっとそんな事も思った次第。

しかしこの日一般開放されていた劇場。

意外な程賑やかだったなあ。




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マスコミに捨てられた東京大空襲 [ひとりごと]

かつて毎年3月10日が近づいてくると、
かならずどこかの局や新聞で、
昭和20年の東京大空襲が特集されていた。

310.jpg

だが2011年の大震災以来、
突如としてマスコミから東京大空襲の文字が消えた。

確かに最初の数年はそれでもしかたない部分はあった、
というか当然という気がした。

だが2015年のあれから70年経った年も、
この傾向はあすかわらずだった。

確かに311も忘れてはいけない、
というより未だそこから時計の針が動かない方たちも、
まだまだ多くいらっしゃる事を思うと、
これに対しての特集を少なくする理由は何もない。

だがだからといって、
310の東京大空襲を忘れていいという理由にはならない。

たしかに自然災害と戦禍をひとくくりにはできないけど、
それでも311の四倍以上の方がこの空襲で亡くなられている。

まだこの空襲を経験された方も少なからずいらっしゃる事を思うと、
311が翌日だからといって決して風化させていい話ではない。


自分はこのここ数年のそれは、
マスコミが東京大空襲ではもはや話題性が乏しい、
視聴率も311に比べてとれないしネタも出し尽くしたという事で、
事実上「捨てた」ととらえている。


表向きはそんな事は無いとか、
そういう対象ではないとマスコミは言うかもしれないけど、
現状はご覧の通りということ。


所詮、東京大空襲も飯のタネに過ぎなかったというところだろうか。


まだ十年も経たない事と、
すでに七十年以上経った事を同一視できないのは確かだが、
310も311も日本の歴史上稀に見る大災禍なのだ。

それをちゃんとバランスよく、
どちらも風化させないように報道していくことも、
自分は日本のマスコミの義務だと思う。

それをいかなる理由があるにせよ、
「捨てられる」という事は断じてあってはならない。

日本のマスコミは、
もう少し目先の事や面白さや刺激ばかりを追わず、
自分たちが日本という国に根差した存在であるという事を、
もう少し自覚し行動すべきではないだろうか。
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セミがとんできた [ひとりごと]

semi5 (2).jpg

突然網戸にとまり、
またすぐとんでいった。

その透き通った姿は感動的だったけど、
そのはかない命を思うとちょっといろいろと…。

今年はなん急に涼しくなったけど、
8月15日がまたやってきました。
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認知症で徘徊事故訴訟、3月に判決 賠償責任、初判断へ [ひとりごと]

JR東海が損害賠償を求めた訴訟が開かれた最高裁第三小法廷=2日午後、東京都千代田区、諫山卓弥撮影

 愛知県大府市で2007年、認知症で徘徊(はいかい)中の男性(当時91)が列車にはねられ死亡した事故で、JR東海が遺族に約720万円の損害賠償を求めた訴訟の弁論が2日、最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)で開かれた。この日で結審し、判決は3月1日。認知症の高齢者が起こした事故の賠償責任を、介護してきた家族が負うべきかについて、最高裁が初めての判断を示す。

 JR側は、振り替え輸送費などの賠償責任が男性の妻と長男ら家族にあると主張。責任能力がない人の賠償責任は「監督義務者」が負うと定めた民法714条が適用されるかが争点となった。一審・名古屋地裁は、在宅介護をしていた男性の妻と、介護方針を決めたとされる長男に全額の支払いを命令。二審・名古屋高裁は妻のみに半額の約360万円の支払いを命じた。

 この日の弁論で遺族側は、JR側の姿勢を「障害者と健常者の共生社会を許さないものだ」と批判。「事故の損害は社会的コストとして企業が負うべきで、夫婦には相手を監督する義務はない」と訴えた。

 さらに、「認知症の人が一人で外出することは本来無害な行為で、尊厳や行動の自由の点からも世界的な流れだ」と指摘。介護が家族の犠牲と負担で成り立っていることを挙げ、「事故後に結果責任を負わせては、介護は成り立たない」とも主張した。

 監督義務者の賠償責任をめぐる裁判では、子どもが起こした事故で両親が賠償を求められるケースが多い。認知症の人の事故で介護する家族が賠償を求められた裁判は少なく、最高裁の判断が注目されている。

https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/regist/input


確かにJRの言い分は分かるし、
遅れて苛立つ乗客の対応にも神経をすり減らしていることは分かる。


だけど認知症の人を自宅で介護している人たちは、
24時間365日神経をすり減らしている。

正直最悪の引き金を引こうとした人だって少なからずいるだろう。

根をつめてはいけなく気軽にやることがコツとはいうけど、
患者への愛情と奇跡ともいえるような回復への夢をもっている人たちには、
それは無理というものだ。

どうしてもその時点での最良の行為をできるだけしようと、
そう思い行動してる人の方が圧倒的に多いはずだ。


だけど、それでもいつまでもそうはベストを尽くせない。

こちらだって気持ちが切れてしまうときがある。

もちろん意識するしないにかかわらずです。


あと徘徊する人って、
いきなり普段とは違うくらい速く動き、
外に出て行ってしまうことがある。

もうそうなると一瞬たりとも気がぬけない。


じっさい自宅ではなく、
病院の病室からいなくなった認知症の患者さんがいたというのを、
話できいたことがある。

これも一瞬目をはなした瞬間、
病室から病院の玄関まで歩いてしまったというのだ。


あれだけの施設で看護師さんも大勢いるところですら、
こういうことがある。

それを思うと、
一般家庭でどれだけそれを防ぐことができるだろう。

しかも介護している人も疲弊しているのだ。
まともな睡眠がとれないなどあたりまえ。

また起きていてもいろいろと精神的にきつい部分があるし、
心がすり減るようなことは日常茶飯事だ。


まわりの人に助けをというけど、
こちらから頼むのにやはり
「迷惑」
という二文字がどうしても頭をよぎる。

公的なヘルパーも時間もやることも限られているし、
土日は来てくれない。


これが老老介護だったらさらに事は深刻だ。


管理不行き届きというのはあまりにも酷!


24時間起きてた状態で、
東京から大阪まで休憩無しで車を運転して、
「絶対事故を起こすな」
という以上に酷だろう。

それくらいたいへんなのだ。

JRもそうだけど、
裁判所にはぜひ介護の現場と厳しさを理解してほしいものです。
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