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エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団を聴く。(12/20) [演奏会いろいろ]

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2022年12月20日(火)
東京芸術劇場 14:00開演 

曲目:
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》
フランク:交響曲 ニ短調

ピアノ/マルティン・ヘルムヒェン
指揮/エリアフ・インバル


来年初来日から50年を迎えるインバルは現在86歳。

1980年に86歳で来日したカール・ベームが椅子に座った指揮姿と、音楽にも多少の衰えを感じさせていたことを覚えている者としては、インバルのこの日の指揮姿と音楽に微塵の衰えもみせないそれには、いくら世代が違うとはいえ驚きすら感じてしまった。

これからもブロムシュテットかそれ以上に末永く元気に指揮を続けてほしいものです。

因みに初来日時のインバルは読響に客演しマーラーの5番を演奏しているが、その時一緒に演奏した曲が、別の日にブルックナーの前に演奏されたウェーベルンの6つの小品だった。来年の来日が無いので一足早くその時の曲を思い出のそれとして取り上げたのだろうか。

というわけで前半のベートーヴェン。

とにかく雄弁かつ剛直で構えの大きなインバルのそれにちょっと驚く。また細かい表情、特に弦の動きがとてもクリアに聴こえ、そのせいかときおり室内楽的な雰囲気も醸し出すようにも聴こえ、ある意味とても新鮮な感じすらした。

ヘルムヒェンのピアノは詩的ともいえる繊細な表情と流動感がクリアな響きの中に織り込まれた好感のもてるものだったけど、インバルのあまりにも堂々とした演奏のため、自分の聴いていた場所のせいか、ピアノがやや圧倒されかけているように聴こえることが多く、インバルの「皇帝」の様相を呈したかのように聴こえてしまった。

聴き応えはあったが、正直インバルの音楽のみかなり強く印象に残った演奏となりました。

このあとヘルムヒェンのアンコールとして、シューマの「森の情景」より第7曲「予言の鳥」が演奏されたが、こちらの方が自分はヘルムヒェンの音楽をより強く感じる事が出来た。彼の演奏でシューマンはもちろんだけど、グリーグの作品集も聴いてみたいと思った。


この後20分の休憩の後フランク。


ブルックナーを得意とする指揮者の多くがブルックナーと同時代の、そして同じく傑出したオルガン奏者でもあったフランクを指揮しているが、インバルは録音されていないこともあって強く興味を持ったことと、2018年にプラッソンと新日本フィルで神懸かり的ともいえる空前の大名演に接して以降、この曲に対しての印象が大きく変わった事もあり、今回の演奏は自分の中でさらにどう化学変化を起こしてくれるのかという楽しみもありました。

そしてこの日のインバル。

それはプラッソンを聴く前のこの曲のイメージに近いものだった。ただこの曲のもつ晦渋的な雰囲気はここでは皆無で、おそろしいくらい潔く表情のふっきれた、それでいて前半のベートーヴェン同様、雄弁で剛直なそれが圧倒的なまでに迫ってくるようで、クレンペラーの音盤に匹敵するほどのこの曲のエネルギーを引きずり出したかのような演奏となっていた。

また他の演奏以上にパイプオルガンの音を想起させるような響きが管楽器から聴こえてきて、曲もタイプも違うけど、ちょっとティーレマンで先日聴いたブルックナーを思い出してしまった。
(この時なぜかこの曲の作曲次期がブルックナーが第八交響曲を書いていた時期と重なっていることを思い出した)

この全曲の半分近くを占める第一楽章も、そのせいかどこかブルックナー風の趣が感じられ、最後の方の押しては返す大波のような音楽がさらにそれを強く感じさせられました。

続く第二楽章。プラッソンの時は神懸かり的なイングリッシュホルンのソロを軸に詩的かつ崇高な音楽が紡がれていったのとは違い、イングリッシュホルンのソロも大きな音楽の中に包括させ、オケが一丸となって築き上げていくそれもプラッソンとはまた違った素晴らしさがありました。

またインバルはこの日のフランクでかなり緩急をつけた演奏を展開しており、この曲をブラームスに近しいとよく言われるそれとは真反対の、むしろワーグナーに強い影響をうけていると言わんばかりの濃い表情をつけていたのが面白く、これがこの演奏を他のフランクの演奏とかなり異なるイメージを与えていたようにも感じられました。

そして終楽章は今までのそれらすべてがひたすら最後に向かって高揚していくようで、最後はじつに輝かしく充実した響きに達していました。この終楽章も今迄はブルックナーとイメージ的あまり重なる事はなかったのですが、今回はブルックナーの1番のウィーン版となんとなくイメージさせられたりで、そういう意味でかなりユニークかつ強力な説得力をもった演奏だったという気がしました。

プラッソンがフランスの立ち位置からみたそれなら、インバルがドイツの立ち位置からみたそれというかんじで、しかもブラームスよりはブルックナーに立ち位置が近いという意味で、独得なものだったという気がしました。

しかし正直かなりタフな演奏で、ホルンを一人増員させていたものの、かなりオケもしんどかったのではと思いましたが、それを感じさせない熱演となりました。

四年前のプラッソンとはまた違った満足感を得られましたが、プラッソンとインパルと真反対ともいえるこの曲の名演を聴いたことで、この曲のもつ奥深さと難しさというのもなんとなく分かったような気がしました。

この曲、想像以上に新しさと古さを絶妙なバランスで同居させた曲で、しかも下手なドラマを持ち込む事なく、音そのものをしっかりとらえていくことで音楽の深部に辿り着く事ができるような、ある意味ハイドンと近しい性格も結果的に持ち合わせた曲なのかもしれません。


尚、この日はカメラやマイクがあったので、来年あたり放送されるかもしれません。このあたりは楽しみに待ちたいと思います。


というわけで今年の演奏会はこれで終了です。

来年はソヒエフとフルシャを予定していますがその後は予定なし。まあコロナで三年も苦しんだのでこの三か月は自分としては異例な程演奏会に行きましたが、これからはまた静かになると思います。

しかし8月のポベルカから本当にいい演奏会ばかりに恵まれ本当に幸運でした。ありがたいことです。

以上で〆


と、綺麗に終わりたかったのですが、そうも行きませんでした。


とにかくこの日終演後の聴衆の多くが掟破りのオンパレード。

コミケでこれやったらスタッフがブチ切れまくる事必至といったほど、主催者のお願いを黙殺するは無視するはで、ほんと情けないにも度が過ぎるという悲惨なものでした。

年をとると日本人にもかかわらず日本語が分からなくなってしまうのかなあと、かなり愕然とさられました。ほんと酷かったです。


あと都響の現在の当日券対応。

その日の一時間前迄にweb受付のみの対応というのはやはりいただけない。

これでは急に都合がついた、開演少し前に偶然会場前を通りかかって初めて知った。というこういう人たちに門前払いで「お帰り下さい」というのと同じで、あまりにも一人一人のお客様に対して不遜だし、民間なら頑張って一枚でも多く売ろうという努力を必死でするところを、都響みたいに公的な所におんぶにだっこされてるところは、そういう苦しみとは別世界の殿様商売でもしているのだろうかと、そう勘繰りたくなるほど血の通ってない悪い意味でのお役所対応にみえてならない。

これが2020年頃ならともかく、行動制限をかけない時期でもこれというのは本当に正解なのだろうか。

自分は正直これには強い疑問と不信感をもっています。

もっとも嫌なら来るなと言われればそれまでなので、その場合は二度と来ません。

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サンフランシスコ人

セザール・フランク生誕200年記念でしたね...
by サンフランシスコ人 (2022-12-22 05:28) 

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