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「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」劇場版雑感 「贖罪」と「救済」そして「愛」と「感謝」の物語 [劇場公開アニメ]

まだ一度しか観ていないのであれですが、ネタバレ全開でいろいろ徒然なるままに、しかも過剰な思い込みをふんだんに織り込んで書いていきたいと思います。

そのためネタバレがダメな方はこれ以上読まない事をお薦めします。

640.jpg
http://violet-evergarden.jp/
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト


映画をみて劇場を出ると、今までみていた風景が少し違ってみえることがある。
この映画もそんなひとつと言っていいのかも。

まだコロナ感染がいろいろと言われ、
自分も正直今回は初日に行こうかどうしようか躊躇ったが、
偶然にも自分の誕生日が公開日と重なっていたこともあり、初日を横浜にある劇場で鑑賞することにした。

劇場内もマスク必須で座席もひとつずつ前後左右を空けるといういつもと違う風景。
このようにいつもの半分しか座席が割り当てられていないものの、平日の昼ということもあり空席がそこそこ見受けられた。

ただ両隣が空いているというのは落ち着いて見れることこの上なしで、
マスクしながらにもかかわらず、とても心地よく140分リラックスして鑑賞することができました。


念押しですが、ネタバレのダメな方はここで終了することを再度お薦めします。


それでは始めます。


この話は冒頭、第10話の主役だったアンの葬儀のシーンからはじまる。

そこにはアンの娘や孫のデイジーもいる。

第10話はアンが七歳の時の話。
アンは二十歳で最初の子を授かっているので、これがデイジーの母親だったら、この冒頭の場面は第10話から五十年程、つまりまるまる半世紀経った時代ということになる。
(※このあたり映画で詳しく語られていたのかもしれませんが、そうだしたら自分はそこを聞き落としているようです。なのでこの辺りの年月の推移はすべて推測です)

すでに電話が普及し、郵便は伝達手段の王座をそれに譲り、字の読み書きをする人達も多くなったことで、自動手記人形も過去のものとなっていた。

話はデイジーが母親との仲違いが原因でみつけたアンへの五十通の手紙から、これを書いたヴァイオレットの足跡を辿る旅へと出かけるところからはじまる。

そして次に話は場面転換となり、18歳になったヴァイオレットの時代へと戻り、ヴァイオレットの話もここからスタートする。

(※このデイジーの声を、TVでアンの声を担当した諸星すみれさんが担当した事で、何かアンによるヴァイオレット探しの旅のような何とも言えないものも感じました)

ヴァイオレットは外伝でもすでにそうだったけど、TV版第一話に比べて遥かに大人の女性の雰囲気をもつ容姿になっていたが、喋り口調は相変わらずの「ミス・ぶっきらぼう」ぶりではあるものの、ヴァイオレットのギルベルト少佐を失ったそれは大きく、そこには常に孤独の影と、拠り所を失った、半ば抜け殻のようなものも感じられた。

ただある偶然からギルベルト少佐の生存を知り、彼に会う為ホッジンズとともに彼のいる島へと渡る。

このあたりで冒頭の半世紀後に舞台は戻り、今は博物館のようになったC.H郵便社をデイジーは尋ね、そこでかつてここで受付をしていたというネリネとあい、いろいろと話を聞く。

因みにこのネリネはTV版第一話から若き日の姿で登場し、第二話ではベネディクトに一緒に焼きそばを食べないかと誘われ、露骨に嫌な顔をして「いらなあい」と言っていたけど、現在は雰囲気もあのときの尖がったそれとは大きく異なった、いいかんじで年を召されたご婦人になっている。。

話はその後また時代を遡り、ディートフリート大佐や、不治の病に侵されたユリスとその家族や親友、そして電話の台頭とその利便性が挟み込まれ展開されていく。

そこには人間の生と死、そして戦争と平和といったものが織り込まれているが、個人的には、「贖罪」と「救済」、そしてそれを大きく包み込みそれらすべてを肯定していく「愛」と「感謝」が大きなテーマとして描かれているように感じられた。

(※この「贖罪」に関しては、TV版第5話のラストあたりの、ディートフリート大佐の言葉あたりからハッキリと描かれていったように感じられます。しかしディートリヒはTV版第8話でもまだヴァイオレットの事を「武器は武器」と相変わらずの塩対応をしてましたが、それを思うと随分この間にヴァイオレットへの印象が変わったものです)

そしてディートフリート大佐も、ユリスもデイジーも、そしてギルベルトとヴァイオレットも、時代を超越してその大きなテーマに対し苦悩していく。

それはラストに向かってより深く深刻なものへとなっていくが、このラストで、これは劇場版でも一瞬描かれていたTV版第3話、その中でルクリアの兄へ渡した、ヴァイオレット自身が初めて自分の意志で書いた手紙の言葉

「生きてくれてうれしい、ありがとう」

へと帰結していく。

ヴァイオレットの心がここで終始一貫これであったこと、彼女がそのためそこからじつはまったく先へ精神的に進むことができないものが根底にあったことを、ラスト海の中でギルベルトと対峙した時、足を叩きながら、まるで戦争中最後にギルベルトと別れた頃の、まだ少女だった頃のそれに戻ったかのような泣き方をしていたそれが強烈なまでに強く訴えかけてくる。

ホッジンズが終始ヴァイオレットを「ちゃん」付けしていたのは、自身が過保護な父親代わりというだけでなく、そこの部分を強く潜在的に感じていたからなのかもしれないと、このときちょっと思ったりしました。

そしてこれにより、ヴァイオレットは「人形」から「人間」となり、ドールを卒業し、新しい世界へと歩んでいく。


ストーリーは最後ヴァイオレットとギルベルトの指切りで終わる。

一見これは最高のハッピーエンドだけど、それはまた、一人の大人も戦争から帰還しなかった島での、ひょっとしたら自分が手にかけた人たちやその関係者の、親やその子供と生活することになるかもしれないという、これまた「贖罪」と「救済」に繋がっていくものの、こちらはより厳しく深刻な面を持ち合わせているだけに、自分には単純なそれにはみえなかった。

ただもちろん、この作品はそれらを大きく包み込む「愛」、そしてそこからの「感謝」も大きなテーマとして存在しているので、まったく悲観すべきものではないとも思っています。

デイジーがヴァイオレットの切手を見た時と、それについて島の郵便局関係者から聞いた話はそれを裏付けしているかと。

この時あの指を立てるシーンをみてふと思ったのですが、この人、ひょっとしてユリスの弟シオンかなとちょっと思ったりしました。ユリスの件から半世紀程の時期ということで、そうなると本人も五十代くらいのはずなのでなんとなくそう思ったりしまたが、このあたりはどうなんでしょう。

手紙やヴァイオレットに対する強い恩や絆みたいものも感じているでしょうし。

因みにヴァイオレットは18歳で引退し島に行ったという事になっているけど、おそらくヴァイオレットがディートフリートに「拾われた」時、まだ小学生高学年くらいで、ホッジンズに引き取られた時が中学生くらい、そして外伝と劇場版では高校生くらいという感じで解釈しています。

ある意味一番多感で心身ともに成長する時期に、心の一部だけが成長することなく、ある時期からそこに縛り付けられていた事は、ひとつの無意識に強制された「贖罪」であり、その後のそれは何年もの月日をかけての「救済」への道のりとも言えるのかも。

尚、映画ではヴァイオレットがまだ健在なのか、島にまだ住んでいるのか、それともなのかは描かれていませんが、すでにある意味過去の人、そして語り伝えられるべき人になってはいるようです。

ただ話からしてすでに島にはおらず、そこを離れるときに、島の人達からの感謝の気持ちにより、あの切手が発行されたのかも。


余談ですが、この映画のラスト近くで、TV版第1話、ヴァイオレットが病院のベットの上で手紙を書いているシーンの一部が流れるけど、これをみて、かつてブラームスが晩年クラリネットソナタを書いた時の「蛇が尾を噛み、環は閉じられた」という言葉を思い出しました。


最後に。

自分はこの作品をみるといつも心に温もりを強く感じる。

それはストーリーのそれもあるけど、手紙が電話とは違い、相手がその人の都合に合わせて読むことが出来る、ある種の思いやりのある伝達手段であるという、その特質が色濃く全体に反映されているのかもしれません。TV版第10話などその結晶ともいえるような気がします。


以上何の脈絡もなくだらだらと書き進めてしまいました。

あと劇場版をご覧になったら、テレビ版をできれば全話見返す事をお薦めします。各話からのこの映画に織り込まれたテーマやメッセージがいろいろと発見できるかと。


これで以上です。


誤字脱字はご容赦を。

あと再度劇場に出かけみることがありましたら、その時まだ付け加えたり訂正をかけたりするかもです。


最後にこの作品の制作に関わったすべての人たちに深い感謝の意を捧げます。

ありがとうございました。


〆です。


※少し一部書き直しました。(2020 9/20)



公開されて一週間程経ちましたので白状しますけど、自分はこの映画の二つのシーンで胸が締め付けられるようで、思わず必死に涙をこらえたシーンがありました。

それはヴァイオレットのお墓参りのシーンと、島の亡くなった方への花環を海に捧げるシーン。

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この作品の制作に関わられたすべての皆様に神の祝福がありますように。


(2020/10/13)

二度目を見に行きました。

ヴァイオレットの背中と足元の表情が秀逸で、これほど顔以外で強く感情の微妙な陰影や揺らぎを描いた作品って他に何かあったかなあと、ちょっと唸ってしまいました。

あと、ほんとうにどうでもいいことですが、ギルベルトがつくったあの手動リフト。

あれ、これからはヴァイオレットが回す係りになるんだろうなあと、ちょっとそんなことを思ったりしました。

しかし正直言うと、人の死を描かれると、若いときは涙と感動をすぐ覚えたのですが、年をとってきて、何人もの人を見送る経験を積んでくると、ちょっと辛いものも感じます。

またヴァイオレットが戦場で次々と兵士を殺害するシーンにおける、殺される兵士ひとりひとりの命と、ユリスやアンやその母の命と、本当はそこには差があっていけないものの、そこにどこか「個」における差をつけて知らず知らずのうちにみている自分にも、何か釈然としないものを感じてしまいました。

(2020/11/10)

これは劇場版のことではないですが、
ヴァイオレットのトレードマークのすべてが、じつは自分が選択したものではないということを最近初めて知った。

第一話でエヴァ―ガーデン婦人から手袋。
第二話ではホッジンズから服とリボン。
第三話ではホッジンズ、もしくは会社から鞄。
第六話ではオスカーから日傘。

決して自分の意志でのそれではないが、それが「人形」というモチーフにも、そして人は支えられて生きている、もしくは「愛」というモチーフにもかかっているのは、今考えるととても意味深だったと思いました。


最後に。

映画でのヴァイオレットとギルベルトのラストの抱擁シーン。

あの姿をみたとき、ユリスの「冷たい手」という言葉がかぶってきて、何とも切ないものをかんじてしまいました。

一見よくありがちな構図なのですが、ヴァイオレットが顔を近づけたのは、腕では温もりが感じられないという、ここにきて今迄分かってはいたけど、それをこれほど強く、そして切なく感じたことはちょっとなかったです。

特にギルベルトがヴァイオレットの腕に対して強い責任を感じ、会う事を強く避けていた動機のひとつとしていただけになおさらでした。

このあたり、あまり深く突っ込むと泥沼にはまりそうなのでここで終了します。
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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』を見て [劇場公開アニメ]

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http://www.violet-evergarden.jp/sidestory/

正直に言うとこの作品、
もっと落ち着いた状況でじっくり見たかったけど、
残念ながらそれは7月のあの日に微塵に砕かれてしまった。


そのためこの作品と対峙したとき、
はたして自分はこの作品に冷静に向き合えるのかと、
正直自分自身に対してとても危惧していた。

もしこの作品が「墓標」のようにかんじたらどうしようと、
そんなことばかり考えていた。

だがそれは始まってしばらくするといつのまにか霧消していた。

そしてあっという間の90分。

さすがに公開されたばかりなのでネタバレはできないけど、
ここには人の命云々といった、
TV版の10話11話のようなああいう感じの話はない。

確かに思わず涙腺が緩みそうなシーンもあったけど、
運命とは決して変えることのできないものなのか、
人にとって希望や生きる糧とは何なのか、
幸せとはいったいどういうものなのかという、
そういうものがテーマになっていて、
見終わった後不思議なほど気持ちがすっきりと、
それこそ目の前のものが活き活きと晴朗感に満ちたものにみえてくるような、

「今生きるすべての人たちへの思いの丈が詰まった手紙」

もしくは

「これからを生きる人たちへの希望を託した手紙」

というものに感じられた。


「墓標」ではなく「手紙」。


おそらくその思いの丈はこれから多くの人に受け継がれ、
また大きな花を咲かせてくれることだろう。

特にラストではどこまでもその声が届くかのように感じられたこともあり、
この作品は終わりではなく希望のはじまりなのだと、
そんな風に語りかけてくるようにさえ最後は感じられた。

本当に胸いっぱいになる作品でした。


あとこれもとても感心したのですが、
音楽がとても絵にマッチしていたこと。

薄っぺらい音ではなく、
中低音が質量とも豊かに響くアコースティックなそれは、
ある意味洋画感覚ともいえるもので、
それが作品により奥行きと幅の広さ、
そして風の吹き渡る感覚や空の高さをより実感させる、
そんな印象を強く残すものでした。

これはとても秀逸で気に入りました。

また声優さんもみなさん好演で、
安心して作品に没入することができました。


ただいくつかのシーンでちょっと心の変化や機微が、
些か唐突に感じられたシーンが散見したことや、
ある音の使い方がとても気になった部分があり、
そこだけがちょっと引っ掛かりました。

ただ外伝ということもあるので、
次の劇場版へのいろいろとしたものが含まれているかもしれないので、
それを見るともうちょっと違ったものがじつはあるのかもしませんし、
音に関してはスクリーンによっては聴こえ方が違うのかも。

因みにその劇場版は「鋭意制作中」とのことですので、
こちらもじっくりと待ちたいと思います。


三週間だけの公開というのがかなりもったいない作品ですが、
限られた期間という制約はあるものの、
機会のある方は劇場での鑑賞をお勧めします。


まだ公開中なので以上で〆。


※追加

最初の頃、
冷たくて無機的にみえたヴァイオレットの義手が、
じつにやさしく血が通ったような、
とても温かさを感じさせるシーンが強く印象に残った。

あとヴァイオレットがけっこう男前だったことと、
彼女のまわりがみなそこそこ背が高かったことに今更気づいた。


ひとつネタバレ。

ヴァイオレットがエレベーターを「新しい兵器」というシーン、
そしてガス灯が電気灯に変わったというシーンがあるけど、
ヴァイオレットのあの高性能の義手を思うと、
ちょっと世間の文明のそれと噛み合わない気がするが、
第一次大戦時に戦車が登場して戦っていた時期にも、
録音はまだアコースティックの時代が長々と続いていた事を思うと、
そんなに矛盾した事柄ではないのかなという気がした。

ものごとが全て横並びには文明は進化しないんだなと、
ちょっとそんなこともこのとき感じられました。
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「天気の子」は「令和の日本むかし話」 [劇場公開アニメ]

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https://tenkinoko.com/

公開され二週間経ちようやく観に行きました。

じつは新海監督の前作「君の名は。」が、
正直自分が若い時にみていれば違ったかもという感じで、
かならずしも作品と自分の相性が良くなかった。

なので今回ちょっと観に行くのを躊躇していました。

で、ネタバレを含むみた感想ですが、

「令和の日本むかし話」

というのが正直なそれ。

なので「君の名は。」よりも自分にはしっくりしましたし、
相性の悪さも感じられませんでしたし、
若い時にみていればという気にもなりませんでした。


新海監督はこの作品を、
セオリーから外れた作品みたいなことを言われているようですが、
確かにふつうのよくあるストーリーからみれば、
ちよっと異形なアンハッピーエンドとも感じられるし、
個人を助けることで多くの人たちに不幸に繋がりかねない代償を払わせるという、
主人公たち以外の人からみれば、
迷惑このうえない決断のツケを払わされた、
そんな異形な作品という見方もできる。

だがこれを昔話のセオリーに置き換えると、
かならずしもそうとはかぎらない。

日本のむかし話には、
「鶴の恩返し」「かぐや姫」「浦島太郎」みたいに、
最後悲しいとも残酷ともいえる終わり方をしているものがある。

だけどよくよくこれらを読み返してみると、
それらは「本来のあるべき姿に戻った」、
もしくは「それらが起きる前の状況にかえった」
というようにもみてとれる。

これは「天気の子」本編でも
冨美や神主も同様の発言をしており、
これらとの共通性もそこからうかがうことができる。

また「天気の子」は、
一見不可解なこの狂った状況の具体的説明等もいっさいなく、
自然のあるがままの姿とその修復のひとつという部分と、
神社への信仰(かな?)がそれらを解くカギになってる程度で、
そういう部分の曖昧さ大らかさ、
そして素朴な自然信仰的な部分も、
これまたむかし話の要素と酷似している。


話もいたってシンプルだけど、
そのシンプルなモチーフがいくつも重なっているので、
ちょっと入り組んでいるようにも見えるが、
どの登場人物の行動原理も単純明快なものが多いせいか、
このあたりもかなり見通しがよく、
それもむかし話を想起させられてしまう。

さらにこの話にはいろいろと教訓めいた要素もあり、
これもまたそこの部分が重なってくるものがある。


とにかく途中からそれらのせいで、

「これはまぎれもなく日本人がつくった作品」

という感覚もとにかくすごく強く感じられた。


あとこの作品のタイトル。

これは「晴れ女」でも「雨女」でもない、
「天気の子」となっている部分もラストまでみているとよく分かる。

確かに雨が続くと晴れを欲し多くの人がそれを望んだが、
雨が何年も徹底的に降り続くと、
それはそれでけっきょくみんなそんな東京で、
またそれに応じた日常を過ごしている。

そしてそれらの要因の多くを帆高も陽菜も担っている。

二人で「雨」「晴れ」あわせた「天気の子」ということなのだろう。


だがこの二人にはそのことへの後悔や、
雨が降り続いていることへの悔恨の念が、
確かにラストで陽菜がもはや力が無いにもかかわらず、
天に向かって祈っているシーンがあるものの、
ことさら深刻には描かれていない。


自分はここの大らかさというか、

「そしてみんなは楽しく暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

といういろいろ細かいことはすべてどっかにおいといて、
天気が晴れであろうが雨であろうが、
すべてうまく収まりました的な、
帆高や陽菜の笑顔で締めくくられた大団円も、
もちろん設定その他は現代に置き換えられているけど、
ここにもまたむかし話的大らかさというものを感じさせられました。

なので個人的にはとても懐かしい、
そして親子でみても楽しめる作品という気がしました。


あと余談ですがこちらを先にみて、
それから「君の名は。」をみると、
案外そっちも違ってみえてくるようにも感じられました。


絵も綺麗でしたし声優陣もうまくハマってましたし、
見終わった後も心地よい清涼感が残るのも相変わらず。

ただラスト付近で主要登場人物のほとんどが、
結果一斉に警察のご厄介になったのにはビックリ。

現代もしくは近未来を扱った劇場アニメでこういうのってあまり無いのでは?


といったところです。

まだ一度しか観ていないのであれですが以上です。



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「薄暮」とその使われた音楽への雑感。 [劇場公開アニメ]

山本寛監督が、
原作、脚本、音響監督も手掛けた新作「薄暮」を観に行く。

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https://www.hakubo-movie.jp/index.html

公開からこれだけ観るのが遅くなったのは、
「どうせ横浜でも公開するだろう」
と油断していたため。

「ジャック&ベティ」あたりでやると思っていたのですが…。

作品はとてもシンプルで、
今の福島のある日常を描いたもので、
確かにそこには311が現在進行形として存在しているものの、
作品そのものは「学園もの」「青春もの」を、
ほとんどど真ん中になんの外連味もなく投げ込んだようなかんじ。

ただその作品の立ち位置からか、
ちょっと「この世界の片隅に」と重なる部分も感じられました。

シンプルでこれといったドラマはないものの、
見終わった後にとても前向きというか、
ひとつ先へと歩き出していける力をもらえたような、
そんな余韻をもった作品。

大作や超話題作というわけではないかもしれませんが、
ひじょうに心に残る美しい、
そして根底に強い力強さを感じさせる作品でした。

そしてラスト。

薄暮の時間が終わったことで、
満天の、
それこそ天から音符が降ってくるような星空があらわれたとき、
正直何とも言えない強い感動と感銘を自分は覚えました。


もっと早く観に行けばよかったと後悔しきり。


あとはこの作品をみて極私的に自分が好き勝手に感じたことを。

この作品でも山本監督のこだわりのある音楽が随所にしきつめられている。

主人公の友達と先輩によって奏でられるのが、
あのベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番。

連続した七楽章からなる、
ベートーヴェンの快心作といわれているだけでなく、
弦楽四重奏曲史上最高の傑作のひとつとまで絶賛されている、
ある意味究極の作品といわれているものだ。

正直これが出て来た時、
確かにシューベルトやシューマンからは絶賛されたけど、
そのあまりにも強烈な作風からか、
初演当時は相当否定的な意見も出たというこの難曲を、
今は一般高校生が学祭の発表でできるようになったのかと驚いてしまった。

日常的な作品で唯一非日常的なのがこのシーンといったら怒られるだろうか。

この映画に描かれている美しい自然の中、
何の変哲もない穏やかなストーリーの中、
この強烈な曲はかなり異彩を放っており、
それがこの作品の中で強いアクセントをつけているだけでなく、
人間のもつ生命力というものを描いているかのようで、
それはあたかも災害から立ち直り歩き出そうとしている人たちの姿、
もしくはその姿へのエールを作者がおくっているようにも感じられた。

そういえばこの曲が書かれた当時、
ヨーロッパはナポレオン戦争から十年程経ち、
戦禍から立ち直りゆく時代だった。

この映画の舞台も311からおそらく八年程後と考えると、
何かここに不思議な偶然みたいなものを感じてしまう。


それは作品全体が水彩画のような雰囲気で自然が描かれているのに、
祐介のスケッチブックの絵はなかなか色彩が強烈という、
対比ともまた重なって見えてくる。

この作品の素晴らしさはシンプルさの中に、
幾重にもそのようなシンプルな対比が織り込まれていることもあると思う。


水彩画で思い出したが、
佐智が口ずさんでいる曲は、
水彩画のような曲想が印象的な、
ディーリアスの「春初めてのカッコウの声を聴いて」の、
ヴァイオリンが奏でるメロディの一部。

じつはこの曲はディーリアスと親交をもち、
自身に強く影響を与えたグリーグが、
ディーリアスと親交を結んだ後の時期に作曲したピアノ曲、
「伝承によるノルウェー民謡」の第14曲、
「オーラの谷で、オーラの湖で」というものに使われている民謡からきている。

この民謡の歌詞はかなり悲劇的なもので、
子供が突然いなくなりそれをみつけるため教会の鐘を母が鳴らすが、
子供はついに帰ってこなかったというもの。

グリーグはそれをピアノに編曲するとき、
随所にその鐘の音を織り込んだという。

自分はその原曲民謡を聴いてないので分からないが、
あるサイトではそのグリーグの折り込んだ鐘の音の部分を、
ディーリアスは郭公の鳴き声に置き換えたのではと推察されていた。

もし山本監督がそこまで考え、
この曲のメロディを佐智に口ずさませていたとしたら、
この作品のもつ背後にある311というものが、
また違った形で作中に影をおとしているようにも感じられた。

このあたりはいったいどうなのだろう。


しかしディーリアスは本当に一般的になった。

昭和の頃、ディーリアスというか、
イギリス音楽はまだ一般的でなく、
知られているのは「惑星」「威風堂々」「グリンスリーヴス」、
そして「青少年のための管弦楽入門」くらいだったと思う。

それが1980年代前半にLPで、
「音の詩人ディーリアス1800」というシリーズが発売され、
そのあたりからじわじわと認知度が高まっていった。

あれからもう三十年以上が経ち、
今では高校生が口ずさむようになったかと、
佐智の口ずさむディーリアスを聴き、
イギリス音楽好きの自分にとっては感無量。


そして最後エンディングが流れ終了となるのですが、
何故か自分の頭の中には、
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第五楽章が鳴り響いていた。

あの曲もじつはベートーヴェンにとってたいへんな時期に作られた曲で、
そのためあの第五楽章には、
ベートーヴェンのある種の渾身の思いの丈のようなものが、
張り裂けんばかりに詰まっているのですが、
それがとにかく何故か延々と、
それこそ劇場を出てもそれが鳴り響いていた。

確かに映画では自然が美しく描かれていたし、
ラストにみえた星空の高く澄んだ星空も心の底まで照らされるようで、
ほんとうに素晴らしいシーンがいくつもいくつもあったものの、
この作品の根底のテーマは、
ベートーヴェンの「田園」の第五楽章のような「人間賛歌」であり、
そして「不滅」というものではないのかと、
勝手にそう最後は強く感じさせられた。

これはもちろん自分勝手な思い込みもあるし、
自分語りのレベルの話だけど、
シンブルすぎる話なだけに、
観る人観る人によってこんな感じでいろいろな感想をもち、
そして考えさせられ感じさせられるのもありかなと、
そんなことも思った次第です。



というところで以上です。


素晴らしい作品をありがとうございました。



追伸

薄暮(はくぼ)は、日没後の黄昏を指す。一般的には、日没後の太陽が地平線より6度程度下にある時間帯である。屋外で物体の区別はできるが、屋外で活動するには光の量が十分ではない。
(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%84%E6%9A%AE

薄暮って、とても微妙で儚い時間帯。

それだけにかけがえのない時間帯。
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「青ブタ」+「ガルパン」を観る。 [劇場公開アニメ]

ブタ.jpg
「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」
https://ao-buta.com/

ガル.jpg
「ガールズアンドパンツァー『最終章』」第2話
http://girls-und-panzer-finale.jp/

がこの日(2019、6/15)公開になった。

じつは前日から
「劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ マジ LOVE キングダム 」
「Fate/kaleid liner Prisma☆Illya プリズマ☆ファンタズム」
の二作品も公開されており、
しかもこの日は前者の応援上映や舞台挨拶中継もあって、
横浜の映画館はチケット発券所やグッズ売り場はもちろん、
どこもかしこも大混雑の大入り満員状態になっていた。

自分は発券の為正午少し前に劇場に到着、
発券した後パンフを買いに列に並んだけど、
思ったほど混雑はそのときしていなかった。

ところが並んで五分もしないうちに、
一気に列が伸び入場制限がかかった。

後はもうどの時間をみても終始大混雑。
発券機にも長い列が出来ていた。

横浜は天気予報ではこの日は暴風雨状態といわれていたけど、
午前中は雨風ともそこそこあったけど、
午後もしばらくすると風も止み雨も小雨になったのはよかった。

おかけで「ずぶ濡れブタ野郎」も
「びしょ濡れガルパンおじさん」も出なかったのは助かりました。

さすがにここでネタバレはあれですが、


まず「青ブタ」。

「感動しなかった、というよりテーマが重すぎて辛かった。あと時間軸絡みの話は演出が難しいとあらためて痛感。無理して劇場感覚にしなかったのは大正解。あと三分程最後の方に尺が欲しかった気がした。もう一度観に行きたい作品」

とツイートしたように、
普段着の作品に徹した事がとにかくよくて、
それだけでも安心して見ていられましたが、
ただテーマがとにかく上記したように重く、
こんなこと突きつけられたら感動するというより、
自分自身に対して、

「お前ならどうする」

と言われているようで、
じつに厳しいものがありました。

「自己犠牲」とも「二者択一」とも微妙に違う、
しかも過去のTV版で問われたテーマが、
ここでも形を変えながらあらわれてくるため、
人が何者なのかという根源的な事まで問われているようで、
とにかく自分には重く感じられました。

それだけに個人的にはもっと最後、
それらを払拭するほどのカタルシスが欲しかったのですが、
このあたりは個人的な感覚の問題といえるでしょう。

ただじゃあつまらなかったというとそんな事はなく、
また観に行きたいと思わされる作品でした。

90分という尺でしたが、
体力的にはそんな感じなのですが、
充実感は二時間越えの大作を見たような気さえするほど濃密でした。

しかしキャラの掘り下げも深かったなあ。

梓川と翔子さんはもちろんだけど、
桜島先輩も双葉も思いの丈の描写は圧倒される程秀逸。

一方は表に強烈に放射され、
一方は内に強く刻み込むような、
とても対照的な描き方だった。


あと古賀の存在はかなりの清涼剤だし救われた。

どかちゃんは相変わらずどかちゃんペースでした。

因みに上里沙希がストーリーに全く絡まなかったので、
まるで国見の彼女が双葉みたいにみえたのが面白かった。

まあこれはこれでいいのかもしれないけど。

しかし梓川と桜島先輩は似た者同士だなあ。


続いて「ガルパン」。

「今度のガルパンはミュージカルだ!……と言いたくなるような作品。ただ1話に比べてなぜか「このあとどうなるんだろう」というワクワク感があまりしなかったのは意外。大洗のこの後の対戦校がだいたい読めるような作品。あいわらず高い水準で安定した面白さを維持しているのには感服」

とツイート。

こちらはもういつものワールドで、
相変わらずの楽しさと緊張感、
それに見事すぎるほどの視覚効果の素晴らしさ等々、
50分程の作品ですがその濃密ぶりは健在。

しかし「ガルパン」みてて、
「カバネリ」と「夕陽のガンマン」を思い出すとは思わなかった。

分かる人にはどのシーンかはお分かりかと。

※ひょっとすると「夕陽のガンマン」ではなく「続夕陽のガンマン」や「荒野の用心棒」だったのかもしれない。名無しシリーズはけっこうイメージがダブってて分からなくなる時があるので。


あとケーキが美味しそうでした。


しかしできればもう少しだけ制作ペースを上げてほしいけど、
絵のレベルを下げるわけにはいかないだけに、
このあたりは痛し痒しか。

尚最初に第一話の纏め有り。



じつはこの日「青ブタ」が重くなる事が予想されたので、

「青ブタ」→「ガルパン」の順で見たがこれが裏目。

「青ブタ」の余韻が、
ガルパンの砲撃でかなりすっ飛んでしまうという大誤算。

しかもこの日のスクリーンの上映時間の関係から、
「青ブタ」の半分くらいの所から、
隣のスクリーンで「ガルパン」がおっばじまった為、
静かなシーンになるとズドンズドンと戦車の砲声が響いてきて、
思わず苦笑いしてしまいました。

ただそれでも「青ブタ」の感銘がかなりのものだったことで、
興ざめするような事はありませんでした。


あとこの両作品に共通すること。

それは主要登場人物がみなちゃんと機能しているので、
単なる「顔見世」のようなそれがほとんどいなかった事。

特に「青ブタ」はそれが顕著。


あとどちらの作品とはいわないけど、
個人的にノーマークだったキャラが、
突然大戦力になったのにはかなりビックリ。

だけど本編を思い出すと確かに納得。

これはファンには嬉しかったかも。

二作品とも無駄のない作りだったせいか、
ハシゴしてもほとんど疲れませんでした。

以上で〆

61501.jpg
61502.jpg

考えてみたら、
この二作品をハシゴしたら、
もれなく瀬戸麻沙美さんがついてくることが今分かった。

イメージがまったく違うから全然意識しなかったです。


あとWWFはプロレス団体の事ではありません。

確かにラリアット打ちながら言ってたので、
そう思われるかもしれませんが
一応World Wide Fund For Nature(世界自然保護基金)の事です。

確かにWWEはつかてWWFと言っていたので、
あながち間違いではないかもしれませんが。
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「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow」雑感改訂版 [劇場公開アニメ]

公開してある程度たちましたので、ネタバレ込で大幅に書き直し追加等もしましまた。

llmovie.jpg
http://www.lovelive-anime.jp/uranohoshi/sp_movie_theater.php


というわけで初日とそれからしばらく後に横浜に観に行く。

前作の劇場版初日は初回上映時間と映画館の開館時間の間が30分しかなかったことから、エレベーターでしか入る術のなかったことも手伝って、かなりの長蛇の列が映画館外にできてしまい、上映開始にみれない人が続出しかねないほどの事態が起きた。

今回は初回上映時間が前回より二時間程遅かったことから、開館時間との間も充分時間があったため前回のような事が起きなかったのはありがたかった。

本編開始前に10分程CMや予告編がいろいろとあったけど、横浜で「あわしまマリンパーク」のCMを見たのはこのときが初めて。

このあと本編が始まるはずだったのですが、思いもよらぬコーナーが本編の前にあり、これで一瞬場内がさわついた。結局本編はさらに五分程遅く開始となりましたが、それにしても映画で撮影OKなんてはじめて。なかなか考えたものです。

すでに公開からある程度の期間が経ったので、ネタバレ込みで雑感等いろいろ。


作品の構成としては「ガルパン」劇場版と「けいおん」劇場版の二つを合わせたようなかんじで、特に沼津の描写が半端ではない。「ガルパン」劇場版が大洗への今までの恩返しみたいな部分があったのと同じで、こちらも沼津に対して最大限のそれを尽くしたような感じがした。

たしかにそれは見ようによっては沼津のプロモ―ションビデオみたいにさえみえたけど、逆によくこれだけいろいろと描き込んだものだと感心さえしてしまった。

おそらく多くの方は、沼津巡礼でいろいろと見覚えのある、もしくはお世話になった場所が次々出てきて、それをみながら沼津の事を思い返していたと思われます。因みに自分は十日ほど前に沼津城跡の散策をやったせいか、「あああそこは確か三の丸、あそこは二の丸御殿、そしてここは天守台」というふうにもみえてました。

さて作品の内容としては前作の劇場版で、μ'sにあったもうひとつの道を、もし彼女等が辿ったらという、そんなアナザーストーリー的なものがベースにあり、そこにTV本編でいろいろとあった「積み残し」を丁寧に回収していったという感じのつくりとなっています。

配分としては、冒頭TV版最終話の紙飛行機のシーンを想起させるようなシーンと沼津ミュージカルからはじまり、三年生がいなくなってからの話がだいたい30分、イタリア道中記が35分、そしてSaint Snowも含めた、すべての決着とはじまりの話が残りすべてというもの。

※これ以降キャラの敬称を略しますのでご了承ください。

この最初の30分で三年生がいなくなった六人がいきなり苦境に立ってしまう。新しくいく学校から偏見の目でみられ、受け入れがいきなり宙に浮いてしまう。

それを打開するため新しい学校で六人によるパフォーマンスをみせるがうまくいかず、六人だけの再出発に対する不安を感じる。

その後六人は今の自分たちのパフォーマンスをSaint Snowにみてもらうが、そこでAqoursが三年生に大きく依存していたことを実感。ただそこで残されたものの悩みを抱いているのが、自分たちだけではないことも知る。

そこへイタリアに卒業記念旅行に行った三年生三人が行方不明になったと、鞠莉の母親が捜索を六人に依頼するため現れる。

六人は三年生に今の自分たちについてもいろいろと聞きたいこともあり、この依頼を受け入れイタリアに向かう。

というのが最初の30分のあらすじ。

ここで曜の従妹、渡辺月が登場。彼女がいろいろと六人をサポートしながら、曜が自分に話してくれている六人と、スクールアイドルについて、その目でみていくこととなります。因みに月役を演じるのは、某音楽アニメの主人公、黄前ちゃん役を演じた黒沢さん

そしてそれはかつての千歌と重なるものがあるのですが、それにより彼女が通算十人目のAqoursのメンバーになったかどうかは具体的に語られてはいませんが、充分それを感じさせる役回りを演じています。

このあたりは前作μ's版の劇場版におけるスクールアイドルの良さを、また違った形で伝えていますが、あのときのように圧倒的なパワーとスケールをもった、それこそスクールアイドルの未来までも描こうとしたものとは違い、こちらはより身近なそれとして描いているといった趣となっています。

そういう意味でμ'sのような全国区の伝説的スーパーグループとは違う、Aqoursというローカル色の濃い、あくまでもμ's以降にあらわれたラブライブ優勝チームのひとつとしてのそれをきっちりと守ったものともいえると思います。

そのせいか前作のように終盤に向けて一気に加速して盛り上げていくということがあまりないので、前作のようなものを期待すると物足りない感じがするかもしれませんが、これはこれでうまくまとまった作品と感じました。

それとμ's版の前作は謎キャラを登場させて、それこそひとつ間違えると「穂乃果ちゃんがおかしい」みたいな、やや意味深な雰囲気と演出をみせていましたが、今回はそういう部分もなく、ちょっと大げさとお約束をいろいろと盛り込んではいるものの、全体的にはむしろけっこうシンプルで、深刻になりすぎず、明るく楽しく爽やかな印象が強く残るものともなっています。


しかしこれをみててあらためて思ったのは 穂乃果と千歌という二人のリーダーの大きな違い。

穂乃果がとにかくガンガン積極的に牽引していき、その力で各々完成されたアイドルであり、ある意味一国一城の主的存在をもったμ'sというスーパースター集団を率いていたのに対し、千歌は後ろから全体のバランスを考えながら、ややとっちらかったようなユニーク集団を、全体の雰囲気をみながら、ひとつの流れにうまくのっかるように束ねていくという、じつに対照的なそれであったこと。

(その流れをつくる部分において、かなりのところを三年生に負っていたところもそう感じる理由なのかもしれません。これはAqoursというグループが、千歌を中心にしてつくりあげた「Aqours」と、三年をで構成された「オリジナルAqours」がひとつのグループ内で存在する、二重構造的なものが要因としてあると思います。)


そういう意味では穂乃果はリーダーでありキャプテンだったけど、千歌はキャプテンではあったけど、いわゆるリーダーではなかったんじゃないのかなという感じもしました。

ただ9人という枠をストイックに守り切ったμ'sに対し、人数は決まってないというという、いい意味で緩いAqoursにとって、千歌はとにかく最高のキャプテンだったということは確かだったと。今回の劇場版をみていて、そのあたりも何かあらためて再認識させられました。


そしてSaint Snowのお二人もしっかりと、しかも予想以上に大事な役として登場しているのもうれしかったです。

ただ聖良さんの「松浦果南のリズム、小原鞠莉の歌唱力」はいいんだけど、ダイヤさんのあれは、なんか聞きようによっては、単なるナチュラルな部分だけの力押しというふうに聞こえてちょっと…。



ところでTV版同様、μ's版より低年齢層というかファミリー層に向けた部分も今回はありました。そういえば横浜で、親子連れが鑑賞に来ていて、幼稚園か小学生低学年かは分かりませんが、「○○ちゃんを応援してる」という事をご両親に話されていました。

沼津ではよくそういうシーンをみかけたのですが、横浜では初めてだったので、こういう流れは沼津だけではないんだということを初めて知りました。確かにキャラが三年を除く六人はμ'sの同学年より、若干幼い感じがするので、ストーリー展開だけでなくそういう部分もこういうところに影響しているのかも。


ここからはちょっと気づいたことです。

◎オリジナルAqoursともいえる三年生。

計算が間違ってなければ、三人が一年生の時に、μ'sの一年生組がちょうど三年だったはずで、そうなると三人が初めて東京で舞台に立った時、旧μ'sの三人とどこかで会っていたかもしれませんし、そのパフォーマンスを舞台の袖からみていたかも。そうなると、鞠莉が負傷をおしてまで舞台に立とうとしたことや、三年になって再び内浦に戻って来たこと。またAqoursがμ'sと違い、その名前を受け継いでいくことも、みんなそのあたりのことが伏線としてあったのかなと、ちょっといろいろと考えてしまいました。

あとSaint Snow。ひょっとするとオリジナルAqoursが東京でパフォーマンスをやった翌年には活動を初めていたかもしれないが、そうなるとこちらはこちらで、もしそのときオリジナルAqours同様、東京に呼ばれていたら、μ'sの妹チームとどこかで邂逅していたかも。そうなるとSaint Snowのあのストイックな姿勢もなんとなく分かる気がします。

しかしそう考えると、すべてμ'sが事のはじまりだし、その遺伝子がこうして受け継がれていくのかなあと、なんかこれらをひとまとめにすると、ちょっとした大河ドラマになりそうです。


◎三年生が抜けた後の六人の心境等。

特にSaint Snowから指摘をされたとき、自分たちが秋葉原でうけた投票者数ゼロというそれを変えるためにやってきたのに、結局自分たちだけだとほとんど上積みができていなかったという、失望感もあってのあの落ち込みだったことを思うと、ある意味三年のいない旧μ's以上にこのときは厳しい状況だったのかもしれません。

それと結果的にはその旧μ's と同じ道を歩むこととなったSaint Snowもたいへんで、理亞の苦しみというのは、ひょっとしてその後の旧μ'sの六人も、あれほどではないにせよ、似たようなそれを味わったのかもしれません。

そういう意味では「ラブライブ」というこの作品のタイトルは決して陽の当たる栄光ばかりがそのすべてではないという、いろいろなものがあることを感じさせられます。

それはラブライブで優勝しても廃校が救えなかったという部分も含められています。

そういう意味では同じ廃校からはじまった「ガルパン」のような手放しのフィナーレではないかもしれませんが、それでも後味の悪さがなかったのは、それ以上の希望と明るさがそこからさらに続くようなそれを感じさせられたからでしょう。

オリジナルAqoursが抜けた6人のAqours。

この話はその6人が集まったところからすべてが始まっていたことを思うと、そう感じられたのはその状況が一期がはじまったころの前半のあの雰囲気に繋がっていくように感じられたこともあるのかも。


この作品、最後の最後までエンドマークが出ませんでしたが、それは続編があるというより、Aqoursのそういうこれからの明るい未来はまだまだ終わらないというメッセージだったのかもしれません。


とにかくそんな感じの作品でした。


あと声優さんでは前述した黒沢さん以外に、予告編にもすでに出てきている鞠莉の母親(名前はまだ無い)役で、矢島晶子さんが今回登場している。

矢島さんがこの役をやる事を上映前に読んだプログラムで知った時、

「おらあ、鞠莉の母親だどお」

というフレーズがあの声で脳内再生されて思わず笑いそうになってしまったけど、さすがにそんなシーンはありませんでした。ただ矢島さんがなんでしんのすけ役を降りたかもなんとなく分かるそれではありました。



周りを固める他の声優陣もなかなか多彩で、前述した矢島さん、黒沢さん以外にも、RGRのメンバー、無名、魔法科の無口な子、SAGAの初代総長の娘さん、三宅島の喧嘩友達、プリパラの双子の姉弟、沼津出身でサンシャインTV版にも登場されていた方、NHKイタリア語の番組で先生をされていた方々、おそらくアニメは初めてと思われる、姉妹でモデルをされている妹さん等々。とにかく多彩なメンバーが登場していますが、残念ながらTV版に登場した各メンバーの母親役の方は母そのものがあまり登場しなかったので、今回は出番がありませんでした。


最後にひとつ。

思わず編集ミス(もしくは制作ミス)と思ってしまうような箇所があった。少し考えると演出なのかなとも理解できるけど、音響のせいもあってかちょっとドキッとしてしまった。あれはいったい演出?ミス?どっちだったんだろう。今までテレビ版ではそういう演出が無かった気がするので余計気になりました。


以下余談。


しかしなあ、この後、「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」版もテレビであるんだろうけど、今度はどうやるんだろう。もう廃校ネタは使わないだろうし。ちょっと想像がつかない。A-RISEがスクールアイドルOGとして一枚噛んできたらまったく切り口が変わって意外と面白いかもしれないけど。

それと、これまた余計なお世話かもしれないけど、西住まほと双璧といえるくらい妹ばなれできない黒澤姉。

東京の大学に進学というけど、結局、週末や連休等には沼津に帰京するんだろうなあ。そうなるとAqoursは当分実質7人なのかな。月が入っていれば実質8人かもしれないけど。


以上で〆。
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「ゴッホ」と「ムーミン」。二つのアニメ。 [劇場公開アニメ]

最近二つのアニメ作品をみた。

「ゴッホ ~最期の手紙~」
「ムーミン谷とウィンターワンダーランド」

の二つ。

ただアニメといっても「ガルパン」とか「ラブライブ」みたいな、
ああいうふつうのアニメではなく、
共に素材やベースが存在した上に作られた特殊なアニメで、
どちらもとても印象深いものがありました。

まず「ゴッホ」の方。

ゴッホ.jpg
http://www.gogh-movie.jp/
公式サイト
https://www.youtube.com/watch?v=hBIZI42X3eE
日本語予告編

こちらはストーリーとしてはゴッホの死後一年後に、
ある一通の手紙を託された主人公が
ゴッホの死の謎を追う事になるという話。

これはまず俳優が演技したそれにアニメを合成するというもので、
現在進行形の方はカラー、
過去の回想はモノクロというふうに描き分けられ、
合計62450枚の油絵を使用。

しかもカラーの方はすべてゴッホのタッチで描かれ、
それも130点以上のゴッホの絵をベースにして作り出されたというもの。

このため125名のペインティング・アーティストが参加、
しかもゴッホタッチにならせるため一か月以上、
いろいろと指導訓練されたという。

自分はゴッホの絵には詳しくないので、
それがどう利用されたか細かくは分からないけど、

「アルマン・ルーランの肖像」「郵便夫ジョゼフ・ルーラン」「ズアーブ兵」
「アルルのモンマジュール通りの上にかかる鉄道橋」「夜のカフェ」
「タンギー爺さん」「オーヴェルの教会 」「背景に馬車と列車のある風景」
「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」「アドリーヌ・ラヴーの肖像」
「医師ガシェの肖像」「カラスのいる麦畑」「荒れ模様の空の麦畑」
そして「星月夜」等々…

が使用されていたのが後でいろいろと確認できたけど、
アルルやオーヴェル=シュル=オワーズで描かれたものが多く使用されていたらしい。


ただこの作品はそんな「ゴッホの絵が動く」という売りより、
その人間ドラマの方に自分は強く惹きこまれた。

本作ではいちおうの結論みたいなものは、
なんとなくだが出されてはいるが、
それ以外の部分がみていて重くのしかかってきて、
見終わった後ものすごく考えさせられてしまった。

絵にせよ台詞にせよストーリーにせよ、
かなりの縛りがあるにもかかわらず、
歴史的事実をここまで見せくれたこの作品に素直に敬意を表したい。

今回は字幕版でみたけど、
日本語版はどうなのだろう。

この映画は基になった絵のイメージにあった人が、
原則キャスティングされるという徹底ぶりだっただけに、
吹き替えもかなり気になりました。

いつかそちらも見てみたいです。


そしてもうひとつが「ムーミン谷とウィンターワンダーランド」。
ムーミン.jpg
http://www.moominswonderland.jp/
公式サイト

こちらは1978年から、
原作者トーベ・ヤンソンが監修し本人も気に入っていたという、
パペットアニメによる8分程の短編シリーズ全78話のテレビシリーズ。

それを原作にあった三つの作品のストーリーを再構成したものに、
修復再編集したものが今回のこれ。

すでにこの方式で二作品がつくられているが、
ストーリーが今回は上記のように凝らされている。

また声優さんが全部で四人、
しかも主人公のムーミントロールとナレーションは各一名ずつだけど、
残りの全キャラを森川智之、朴璐美のお二人だけで演じるというもの。

感想として、
四十年近く昔の作品にもかかわらず、
画質がいいせいか古臭さは微塵もなく、
音楽も一新させたせいか、
そのあたりからもそういう雰囲気は皆無。


神田沙也加さんのナレーションも
宮沢りえさんのムーミントロールも自然で嫌味がなく、
そして何よりも森川さんと朴さんのそれが、
これまたじつに自然に多くの役を演じられていた。

もちろん朴さん独特の、
ちょっとポルタメントをかけたかのような節回しもときおりきかれ、
ファンにも嬉しいものになっている。

全体的には子供向きに作られているけど、
大人がみても充分鑑賞に堪えられるしっかりした内容になっているし、
とてもクリアな画質なので北欧の澄んだ空気が感じられるような、
そんな詩情感も感じられる瑞々しい感覚に充ちているのも素晴らしい。



というわけで、
このタイプの違う二つの「アニメ」をみてきました。

どちらも近年みたアニメの中でも
とても印象に残る作品でしたが、
残念なのは「ゴッホ」が横浜のよく行く映画館でかかっていないこと。

これを大きな画面でみたらどうなるんだろうということもありますが、
「ガルパン」や他のアニメ作品の上映前の予告編で、
この作品が上映されたらどんな反応がでるのだろうかというのも、
ちょっとみてみたかったです。

横浜のこの映画館では「この世界の片隅に」も上映されなかった。


このあたり一考をもう少し要してほしいところですが、
いろいろと大人の事情もあるのでしょう。

残念です。



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劇場版 はいからさんが通る 前編 〜紅緒、花の17歳〜』をみる。 [劇場公開アニメ]

hk.jpg
http://haikarasan.net/#cast


「はいからさんが通る」

というと今(2017)から四十年程前にテレビでみていたそれが、
自噴にとってはベースとなっている。

花村紅緒 / 横沢啓子
伊集院忍 / 森功至
藤枝蘭丸 / 杉山佳寿子

が当時の主要三人の役をされた声優さんだ。

途中で打ち切られたため、
最後なんだかよくわからない終わり方をしていたが、
それまではとても小気味いいテンポと、
各キャラクターの心のそれをうまく描いた、
なかなかの良作だった。


そんなこの作品を、
今回は前後編に分けて劇場版としてリメイクし、
40年前に積み残した部分も綺麗に締めくくるというので、
とても期待して観に行った。


正直言ってしまうと、
TV版から入った自分にはやはり詰め込みすぎというか、
時間的な問題なのでしょうがないが、
いろんな意味でサクサクと進みすぎるように感じられた。

特に各人の心的な部分の微妙な変化が、
やや唐突というか急ぎすぎているように感じられ、
なかなかな掘り下げきれないように感じられた。

またいろいろな部分を詰め込んだため、
TV版でみられた小気味いいコメディ風の味わいが後退し、
遊びの部分が小さくなってしまったのが残念。

本篇で出戻ってきた紅緒が父と、
机を叩きながら言い合うと花瓶が右や左に動くシーンがあったが、
ああいう雰囲気をできればもっと入れてほしかったけど、
さすがに97分ではそれは無理というものなのだろう。


また声優さんも早見さんがかなりいろいろと凝らした演技をしていけど、
時間の関係で演出上削ぎ落した部分があったせいか、
前半ちょっと空回り気味というか、
一本調子にならなかったのはさすがかもしれないけど、
やや映画の雰囲気とうまく噛まない瞬間がときおりあったのも気になった。


ただそういうちょっとした部分を除けば、
旧作から入った自分でも充分楽しめたし、
特に中盤以降はいい流れが出来ていて安心してみていられた。


声優さんも旧作のイメージの延長線上に近しい人が揃っていて、
こちらも驚くほど違和感がなかったのも嬉しかった。

たしかにかつての横沢さん森さん杉山さんの方が、
若干強めの光沢をもった声質のように感じられたけど、
今回の絵柄や演出にはむしろ早見さん宮野さん梶さんの方が、
マッチしていたように感じられた。


大正時代の浅草の雰囲気も上手く描かれていて、
浅草オペラのオケの音等はさすがに当時のそれを再現するのは無理だったようだけど、
それ以外は大正時代のハイカラなそれがとても心地よく感じられた。


考えてみるとこの作品は、
大正7年というから1918年からはじまるので、
来年(2018)にはちょうど百年前の話という事になる。

本当はそういうことから古臭い部分が出てきてもいいのに、
そういう部分が1970年代でも、
そして今の2010年代においてもまったく感じられないのが、
この作品はすばらしい。


そういう意味では1970年代同様、
今の人たちにも古いノスタルジックな話ではなく、
今の時代の出来事のような新鮮さをもって、
この作品は受け取ってもらえるような気がする。


最初見る前はかなりの不安もあったけど、
予想以上にそういう部分は小さかったし、
むしろ満足した部分の方がはるかに大きかった。

これで後編に対する期待、
特にTVでみれなかった大団円がどのように描かれるのか、
ほんとうに今からとても楽しみになりました。

とても見ていて明るく元気、
前向きで爽やかな作品でした。

後編は2018年公開とのこと。


最後に、
ラストのクレジットで、
ナレーションに森功至さんの名前があったように見受けられたけど、
横沢さんや杉山さんも後編に絡んでくるのだろうか。

このあたりも注目したいところです。

以上で〆。








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『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』を観て。 [劇場公開アニメ]

SOA.jpg
http://sao-movie.net/

映画の日ということもあり、
公開からだいぶたって観に行った。

TV放送時けっこう楽しくみていた作品だけど、
今回劇場版を観に行くのが遅くなったのは、
自分の中にちょっとためらいがあったからだ。


正直もう休ませてやれよという感じで、
生死を賭けた闘いと、
自分の大切なものを守るための戦いを、
あれだけ繰り広げたのだから、
もう主役二人はもちろんだけど、
その他の面々も解放してやったら?
という気持ちがあったからだ。


だけどやはり好きな作品の続編ということで、
いそいそといつもの横浜の映画館へ。


以下ネタバレ込。


冒頭けっこうゆっくりとした展開で話が進む。
途中時計をみたらまだ15分しか経っておらず、
ちょっとこの緩い展開だと辛いなあと正直思った。


そして戦闘もこれまた鈍い運び方で、
なんともみててもどかしい。

ただこのやや鈍い展開の理由が途中で分かってきた。

ようするにVRとARの体感の差異を、
観る側に伝えるための鈍さと重さなのかなと、
そんなかんじに思えてきた。


これがだいたい75分過ぎくらいまで続いていたと思う。

途中かなり緊迫したシーンなどもあったけど、
それもかなり音は大きいけど抑制されたものだった。


ただその抑制によりためにためたエネルギーが、
最後の最後で突如大爆発した。


最上層アインクラッドでの戦い。


もう唖然としてしまった。

オールスター全員集合状態のこのシーン、
もうとんでもないくらいのスピード感と迫力とキレ。

ほとんど

「トルネードアニメ」

といっていいくらいのF5スケールの凄まじさだ。


とにかく今まで思いっきりためにためこんだそれを、
短時間でしかも倍返しでフルスイングしたのだからたまらない。

ヤンキースタジアムでバックスクリーン越えの場外ホームランを、
何人もの打者が連続して初球から打ったかのような、
そんな唖然とするとにかく戦闘シーンだった。

もうこのシーンだけで全体の9割を注ぎ込んだかのような、
とにかくほんとに総力戦という言葉がふさわしい、
瞬間最大風速がマックス越えにまで達した凄まじいシーンだった。


正直このシーンの後は、
もう流れでごく自然に粛々と話が進んでいったかのようで、
なんかこっちが虚脱状態になってしまったようでした。


最後はちょっと哀しい話も織り込まれているけど、
明るくくったくのない爽やかな終わり方で、

「ああこれでみんな解放される…いい作品でした。」

と終了宣言を勝手に出してそのままみていたが、
なんと最後の最後で次の伏線が…。


「もう、みんな休ませてあげてよ…!」


と、まるで「シン・ゴジラ」のラストシーンみたいで、
さすがになんかもう可哀そうになってしまいました。


とはいえこれだけのもの見せられたら、
やっぱり見ちゃうんだろうなあという自分もまた悲しい…

…そんな感じでした。

ただこれだとリピーターが多いだろうなあという感じで、
まもなく興行収入が20億越えといのもうなずけました。

ちょっとクセになりそうな作品です。


以上です。




(苦言)


パンフレットで声優さんの名前を省略していたのはいただけない。
こういのうのは関係者の作品へのそれを疑ってしまう。

もうこれだけはとにかくやめてほしい。礼儀として最低です。


あと鹿賀丈史さん。

なんか珍しくとまどっていたというか、
キャラのそれをつかめぬまま演じていたというか。

もう少し本領を発揮してほしかったです。

ちょっと残念。

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『甲鉄城のカバネリ 総集編後編 燃える命』をみて。 [劇場公開アニメ]

カバネリ.jpg
http://kabaneri.com/

ずいぶん遅く見に行った。
TV版に比べるととてもテンションが高く感じた。


ようするに、
多少もったいない部分もあったけど、
いろいろとそぎ落とし、
所々補強することによって、
TVの時のような、
ちょっと前半のいい雰囲気が、
後半やや鈍ったというか緩んだ部分が、
ひじょうにスッキリして、
しまった感じになっていた。

ポイントを絞り込んでいたこともあるだろうけど、
前半多少動いていない所が目についたものの、
後半の旨い進行がそういうことを忘れさせてくれた。

これを見てて思ったことに、
言いたいことをあまりぶち込みすぎると、
かえって焦点がボケてしまうということがあった。


よく作曲家が最初に書いた曲は、
アイデアが豊富に詰まってはいるものの、
そのまま纏まりが悪くて冗漫になりがちなのに、
しばらく月日を置いて改訂すると、
そのあたりをうまく調整して、
ポイントがしっかりとした、
見通しのいいものになることがよくある。


今回はそのアニメ版といっていいのかも。

ラストにちょこっと後日談があり、
あれから何も変わっていないということが感じられたけど、
これはすでに二期が決まっているので、
当然の流れというところか。


ただ2018年ということなので、
そこまで持たすのも大変だけど
「進撃」が四月から二期が始まるので、
その流れで少しは話題も持っていけるのかも。


とにかくTVがあれだったので、
ほんと観るのどうしようかと躊躇ったため、
映画館に行ったのが後編のみ、
しかももう終了という時期になってしまいましたが、
予想よりはよかったので一安心。

これで二期も楽しみとなりました。


ただ…


パンフレットの価格が高いのにちょっとビックリ。

中身をみてなるほどと思ったけど、
声優専門誌の番外編みたいな感じがして、
そういうものに興味が無い人には、
これは随分高くついているのでは?
という気も強くしました。

通常版と特別版みたいに、
分けることはできなかったのだろうか。


ただ短期上映ではそれも無理か。


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