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涼宮ハルヒの憂鬱(射手座の日)そのBGM+1(改訂) [涼宮ハルヒのクラシック]

※(はじめに)
この「涼宮ハルヒのクラシック」の以下6項目は
読みやすいようにすべて上から順番に並び替えてあります。

http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/archive/c5362149
をクリックしていただくと、その五つのみ順番にみることも出来ます。

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(本題)

涼宮ハルヒの憂鬱で
6/12に千葉テレビで放送された「射手座の日」

そこでなんと大量にクラシックがBGMとして放送された。
OP前のシーンでは
ラヴェルの「ダフニスとクロエ」の第二組曲の夜明け
そして大詰めには
チャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の終結部がしっかり
しかも途中から繰り返しで使用されていた。

だがなんといっても今回秀逸だったのは
ゲームの音楽として使用された
ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。

第二次大戦中の独ソ戦における
レニングラード攻防戦のさなかに作曲されたこの交響曲
その有名な第一楽章の「戦争の主題」をモロに使用しているのだ。
(かつてシュワルツェネッガーのCM「チーチーンプイプイ」で使用されていた
と言った方が、お馴染みですし今ではとおりがいいような気がします。
因みにこのとき使用された演奏はおそらく自分は未聴だと思います。
やや早めのテンポで切れがよいという特長だけはわかるのですが…。)

しかもゲーム画面では見事にアレンジされたゲーム音が
そしてそれが場面によっては、オリジナルの音楽がそれぞれ使用され
その各々が交互に流れるのだが、
これがじつに面白いし、しかも巧妙だ。
(おまけに日露戦争や禁じ手のヤマト、ガンダムネタまで盛り込まれている。
しかし旧ソ連の曲にのって日露戦争風の訓示とは!とんでもねえぞ~!)

それにしてもこれ創った人間のBGM感覚は凄い
ショスタコーヴィチが好きなクラシックファンにはもうこたえられないし
ある意味もうこれは笑うしかない。最強だ!

しかしショスタコーヴィチ自身がこれをみたら何と思ったでしょう
それこそ呆然としてただただ画面を目で追うのみ…
天才作曲家もこれには苦笑&ダメだこりゃ!といったところでしょうか。
ほんとうに最近のアニメは手強い…おそれいりました。
あと長門がマウスをもってEDでのフリのよう仕草をしていたのも笑えました…。

(追伸)
→※7/3放送の最終回におけるクラシック音楽について。

閉鎖空間で神人登場から
マーラー交響曲第8番
通称「千人の交響曲」とよばれているそれの第一部
賛歌「来れ、創造主なる聖霊よ」の展開部付近がかかっていた。

ちょっとEVAでメサイアの「ハレルヤ」がかかっていたシーンが想起させられましたが
なるほど「創造主」か。というかんじでした。
それにこの交響曲は作曲者が「大宇宙が響きはじめる」とか「太陽の運行」ということを
例えてもちだすような曲ですし
この第一部に続く第二部が「愛」を扱った壮大なドラマであることを思うと
なるほどね、という感じでした。

それにしてもあっさり後味の最終回でした。
最終回に交響曲第8番の第一部が最後にかかっていたところをみると
このBGMの使用には
第二部があるよ、という暗示が込められていた…んでしょうか?

※以下
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-07-05
に続きます。↓


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共通テーマ:アニメ

涼宮ハルヒの憂鬱 そのBGM→追補+追加とお詫び [涼宮ハルヒのクラシック]

http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-06-12
の続きです。

最終回のマーラーの交響曲第8番。

TTT様が
>この場面で見られた脚本・コンテと音楽とのレベルの高い融合についてはまだ指摘を見かけていません。あまりに自然に、よどみなくまとめられているからでしょうか。
とおっしゃられている件ですが

自分はこの曲大好きなのですが
この長大な展開部にあるこの部分は何をどういっているのか
語学が疎いので正直全然わかりません。
大勢でワーワーガーガーと
かなりテンションの高い
それこそベートーヴェンのミサ・ソレムニスのグロリアやクレドのように
ひたすら大群衆による天への賛歌のようで
いつ聴いても巨大な音壁が幾層にも津波のように押し寄せてくる圧倒感に
なすがままに流されています。

ですので細かい描写でのそれはわかりませんが
自分もこのあたりは少々気になっていましたので
一応気づいた範囲で
拙劣ではありますが自分なりに少し書いてみたいと思います。

まず神人があらわれたときにかかったそれは神々からの聖なる光を請い求める
「Accende lumen sensibus(光もて五感を高め)」
となります。

この部分はこの交響曲前半の第一部において究極的に劇的な音楽の展開をみせる場所で、
ここにきて初めて児童合唱も投入されます。
そしてここでのモティーフ(動機)は第二部冒頭などにも受け継がれていきます。
(自分はこのアニメに第二期があると推測していたのですが、
その理由はじつはこういうところにあるのです)

その後「愛を心に注ぎたまえ」とか「(ただちに平安を与えたまえ」という部分があった後、
キョンの発言に当惑するハルヒと、暴れる神人のカットのところに、
「praevio」という歌詞が各1回かぶってくるシーンがあります。
この「praevio」という意味が将来に対する希望なのか警告なのか、
そのへんがラテン語音痴の自分には真意がわからないので
その意図がいまひとつ読みきれないものの、
とてもこのシーンは印象深いものがあります。
これはこの話しのひとの核となる部分をあらわしいるのかもしれません。

で最後に二人が神人の前で接吻するところで「来たれ、創造主なる聖霊よ」
と高らかに歌われそして「夢?」からさめるシーンへとなります。

音楽が使用されているのはここまでですが
その後じつは「天のよろこびを贈り給え」や
「われらをすべての悪より逃れしめよ」となっていくのですが、
このあたりの歌詞はその後のストーリーと重ねていくと興味深いものがあります。

ただ自分としてはこれらの歌詞と画面のそれよりも
今年がじつはマーラーがこの交響曲第8番の作曲を開始して
ちょうど百年目にあたっていたことと、

戻ってきたキョンが
ハルヒとのドーン!の嫌悪感から「フロイト先生も爆笑だっぜ」といったのが
じつはマーラー自身がこの交響曲第8番を初演する前に
フロイトの治療を受けて精神の不安定から立ち直り
無事その初演の指揮をミュンヘンで執ることができたという
このエピソードからきたということに

畜生そこまで考えてたのかよ!という感じで
かなり脱帽させられたものでした。

ところでこの涼宮さんのアニメ
それ以外にもじつに音楽に凝ってまして
例えばあの文化祭のバンド演奏における
音楽と演奏を極力あわせようとしていたそれには
正直ぶったまげてしまいました。

ふつう音楽の演奏シーンはいつも音と演奏がまったくあってなくて
イライラしてしまうことがあっただけに
これにはかなり驚いてしまったものでした。

しかしまいったアニメですし
この作品の音楽を担当した方はかなりの猛者です。
素直にこの凄さに脱帽したいと思います。
(また他のblogにおきましては
「射手座」で長門が使用していたパソコンの描写の細かさと
その機種についても触れていたものがありました。
この作品、まあ当然といえば当然なのかもしれませんが
細かいというか拘っているものは音楽だけではないようです。)

今後上の件でなにか追加があったらまた書き込みますが
正直ちょっと疲れました。

それにしてももし第二期があるとしたらどんな音楽が使用されますことか
シェークベルクの「ヤコプの梯子」とか
ヤナーチェクの「タラス・ブーリバー」
さらにはヴォーン=ウィリアムスの「天路暦程」
ひょっとして伊福部昭の「釈迦」あたりまでも候補になるかもしれませんし
そもそもクラシックという枠にとらわれない
もっと意外なジャンルの曲が登場するやもしれません。

と、あるかどうかもわからない第二期の予測話をしながら
今のところはこれで〆です。

(7/24追加)

上記でふれました本編で使用されています演奏についてここにまとめました。

まずチャイコフスキーにつきましては
ペリー様からいただいたコメントにもありますように

◎ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル

の1960年録音のドイツ・グラモフォン盤にほぼ間違いないようです。
繰り返し使用されている部分から最後までの時間が55秒とぴったりなのが決めてでした。
ただそれにしてもやはり音質がかなり違って聴こえました。
ムラヴィンスキーのこの録音はデッドで古い音質という印象がつよいものの
TVではよりマイルドで聴きやすい音質になっているように感じました。
他の効果音や台詞等がそういう部分を多少包んでしまったからでしょうか?わからないものです。
参考CD、POCG-90514

ついでショスタコーヴィチのレニングラード
これもペリー様のおっしゃるとおりでして

◎ヴァレリー・ゲルギエフ指揮のキーロフ歌劇場&ロッテルダムフィル

だと思われます。
これはもう同じシーンにCDを同時にかぶせるというやり方で確認しました。
参考CD、UCCP-1073

ですが
たった今最悪なことが発覚してしまいました。
なんとほぼ間違いないと言ってしまったマーラーの8番が
バーンスタイン盤ではなかったことが判明してしまいました。
最初のところはぴったりだったのに
(TV版で冒頭付近に聞こえるノイズのタイミングも含めて)
途中から微妙にバーンスタインの方が早くなっていき
最後のリタルダントはこんどはバーンスタインの方が大きいという
なんということだと もう言葉もありません。

間違って購入された方もいただろうし
もう最悪ですし謝罪の言葉もありません。
申し訳ないではすまされませんが
とにかく深くお詫びいたします。

以下に続きます。↓
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-07

※お断り

 最近ある方から対訳等のUPは著作権に抵触するのではという、ご心配のメールをいただきました。自分としては卒業論文と同じで、出典元を明記し、金銭がからまなければよいのかな?と思っていましたがどうもそうではないようです。このため、歌詞対訳の部分を大幅に削除いたしました。ちょっと残念ですが、こういう考察を加えるにも今後いろいろと工夫を加えなければいけないという、いい教訓になりました。正直ちょっと残念ではありましたが…。

 以上、ご理解とご了承のほどよろしくお願いいたします。

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※(補説)
この「涼宮ハルヒのクラシック」は全部で5項目からなっています。
読みやすいようにすべて上から順番に並び替えてありますので
このままスクロールしても次の項目に行けますが
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/archive/c5362149
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ラトル盤?(ハルヒBGM最終報告…) [涼宮ハルヒのクラシック]

涼宮ハルヒの最終回で使用したマーラー。
その後いろいろと聴いた中で
バーンスタイン以上…
というかとにかくかなりよく似た演奏にでっくわしました。
ためしに画面に音をかぶせてみたら
かなりの点で一致していました。

自分はDVDではなくVHSのしかも三倍速でこの話を残していたため
かなりテープが消耗しているせいなのか
多少画面の方がCDよりも音に微妙に遅れが生じたりする部分があるものの
バーンスタイン盤には無くTV版にあった3分すぎにあるルパートがこの盤にはあること。
さらにこの曲の出だしの表情やその後の加速
そして特徴的な最後の大リタルダントもTV版同様あること。
さらにそのリタルダント部分を含む全体のタイムが
バーンスタインよりもTV版によりあっていること。

とにかくこの盤はTV音源の演奏にかなり近いという気がしますし
もう正直これで違うといわれたら自分には探す術がないというくらい
よく似た演奏となっているという気がします。

ですが自分はバーンスタインでものすごく迷惑をかけた人間ですし
上記したようにうちの再生装置上の問題なのかもしれませんが、
スピードがCDとVTRが完全には一致していない部分もあり
そのため「これが使用されています」と言えないものがあります。

(それにTV版冒頭の音楽の背後にかすかに聞こえる
 会場ノイズのような音がこのCDには無い。
 これが一番じつはひっかかっていますし
 また雰囲気もTVとCDのそれに多少の違和感を感じている部分もあります。
 だが他人のそれを借りるようで卑怯かもしれませんが
 この演奏をTVでの使用盤として紹介しているblogもあったので
 自分と同じ感想をこの盤にもっている人がいることもたしかのようです。)

ですが、もう自分ではこれ以上探せない、といいますか
とても同曲の存在しているCDを全部を聴くことはできませんし
とにかく自分にはこれがせいいっぱい。というのが本音です。
逃げるような姿勢ですし、開き直りとも下駄を預けような姿勢ともとられるようで
ほんとうに申し訳ないのですが
あとはこの演奏を聴いて皆様に判断していただきたいというのが
現在の偽らざる心境ですし
正直これであってほしいと願っています。

一応この盤のことを以下に書き込んでおきますので
聴く機会がありましたら
ぜひご感想をお聞かせいただければと思います。

(演奏)
指揮:サー・サイモン・ラトル (ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者兼芸術監督)

バーミンガム・シティ交響楽団
バーミンガム・シティ交響楽団合唱団
ロンドン交響楽団合唱団
バーミンガム・シティ交響ユース合唱団
トロント児童合唱団 他

(メーカー)EMI
(録音)2004年
(CD番号)
国内盤/TOCE-55716
輸入盤/EMI 5579452

※因みにラトルは「冥王星」付き「惑星」の録音で最近話題にもなっています。

ですがそれにしても演奏としては正直バーンスタイン盤の方が
TV版により近いはずのラトル盤よりも
TV版に印象というか雰囲気が近いという気がします。
TVのそれとCDのそれでは違うと言われてしまえばそれまでですが
じつにこれは不思議な気がしました。

それにしても誰かこのラトル盤を持っている方で
TVと付け合せをされた方がいるとほんとうはたすかるのですが…。
バーンスタインのあの一件以来
もうこの手のことにあまり自信が無いというのが偽らざる本音です。
なさけない話ですが…。

このあとよろしければ追加編に続きます。
(すみません、ここで最終となりませんでした…)
以下に続きます。↓
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-10

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※(補説)
この「涼宮ハルヒのクラシック」は全部で5項目からなっています。
読みやすいようにすべて上から順番に並び替えてありますので
このままスクロールしても次の項目に行けますが
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ハルヒのクラシック追加編+1 [涼宮ハルヒのクラシック]

ここで少なからず追加を…。

「射手座の日」の冒頭に使用された音楽。
これはラヴェルの「ダフニスとクロエ」の中の一部分で
第三部(第二組曲)の「夜明け」に当たる部分が使用されています。

この曲は過去四十年以上
アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団という
超大名盤がいまだ金字塔として絶大な地位を保っている。
録音こそ最新のものではないが
その千変万化する究極の音楽細工的な音の響きと陰影や色彩は
もはや神がかりといってもいいとおもいます。

そのためこの曲がかかった瞬間自分などは
そこで使用されている演奏がなんであれ条件反射的に
その演奏しか頭に響いてきませんでした。
とんでもないことかもしれないがこれは正直な話です。

それにしてもなぜこの曲が使用されたのか?
こだわりのアニメなのでなんらかの理由があるはずでずが
なかなかそこのところは読み解けないものがあります。
海賊に誘拐されたクロエと再会するダフニスが
その直前に祭壇の前で眠っているシーンでかかる曲ですが はたして…。

続くショスタコーヴィチとチャイコフスキー
ここで使用された演奏がゲルギエフとムラヴィンスキーであるという前提で話します。
(ほぼ間違いないはずですが、前科もちは断言は許されない…)

じつはゲルギエフ指揮のショスタコーヴィチのレニングラード
特にゲームシーンで使用された「戦争のテーマ」の演奏は
他のいろいろな演奏に比べると
やや早めの演奏でしかもかなり明確に小太鼓を叩かせた演奏になっています。
じつは他のこの曲の演奏ではもっとゆっくり叩いたり、他の楽器の音に埋没気味になっていたり
粘るような表情をつけたり、テンポをかなり揺らしたりという演奏があるのですが
ゲルギエフのそれは明快かつ粘らず
気持ち他の多くの演奏に比べ早めに運んでいるのが特長で
颯爽としたある意味の格好よさを兼ね備えた演奏となっています。
小太鼓もリズミカルに軽く明確に刻まれ最後跳ね上げるような
じつに小気味よいリズムが際立っているように感じられますがどうでしょう。
これが画面のゲームのそれとうまく合うことになってもいるようです。

因みにこのゲームで使用された「戦争のテーマ」は
この交響曲第一楽章の中間に使用されていますが
ここでゲルギエフとそれ以外の何人かの指揮者による演奏の

①第一楽章全体と
②小太鼓のリズムにのって弦のビィツィカートが「戦争のテーマ」を奏ではじめてから
その小太鼓が音楽が大きく盛り上がったところでリズムを刻むのを止めるところまでの

それぞれの時間を参考までに記しておきたいと思います。(多少の誤差あり)

◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団       ①28:48 ②11:29
◎ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル ①26:59 ②10:43
◎ノイマン指揮チェコフィルハーモニー     ①26:37 ②10:36
◎コンドラシン指揮モスクワフルハーモニー  ①26:29 ②10:46
◎スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団 ①28:20 ②11:25
◎ヤンソンス指揮レニングラードフィル     ①25:54 ②10:49
◎バーンスタイン指揮シカゴ交響楽団     ①31:43 ②11:21
◎スヴェトラーノフ指揮ハーグ・レジデンティ  ①26:11 ②11:04
◎バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団    ①26:20 ②10:39

◎ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団 ①27:38 ②9:54

これをみるとゲルギエフは、①の演奏時間そのものは目立ってはいないのですが
②の「戦争のテーマ」だけ、唯一10分台を切っているのが際立っており
これが上記の要素を部分的ですが時間的にも裏付けているように感じられます。

ひょっとするとこれは狙って選ばれた演奏なのかもしれません。

この演奏を受けて長門とキョンの対話から音楽はチャイコフスキーのそれとなるのですが
正直言ってムラヴィンスキーであるとは指摘されるまでまるでわかりませんでした。
ムラヴィンスキーのこの演奏は1960年の録音で
かならすじも最近のものではなく、
しかも音質もやや古く硬めの音質という印象が強く
このTVで聴かれた演奏の方が遥かに柔らかく柔軟に聴こえたものでした。
じつはムラヴィンスキーはこの時期
このチャイコフスキーの交響曲第4番を自分のレパートリーから外す直前でして
そういう意味ではあまり気乗りしなかったセッションだったのかもしれませんが
結果はいつものムラヴィンスキーらしいキビキビしたものとなっています。

ムラヴィンスキーのこの曲の演奏、特に使用された部分のそれは
いろいろな演奏ある中でもトップクラスに早いテンポで演奏されており
音のキレと跳ね上がるような勢いが素晴らしく
それがまた画面に勢いと追い込みを与えることとなっています。

ここでお気づきになったかもしれませんが
「跳ね上がる」
という共通項がここでこの両曲の演奏にあるのですが
それもそのはず
ムラヴィンスキー(1903-1988)とゲルギエフ(1953-)は歳こそちょうど五十歳違うものの
同じサンクト・ペテルブルク(旧レニングラード)を本拠地とした指揮者というだけでなく
ゲルギエフはムラヴィンスキーの門下生でもあるのです。
 (しかもゲルギエフはムラヴィンスキーに捧げる演奏会を日本でも演奏するほど
 その音楽を慕っているようです。スタイルそのものは多少の相違はありますが…)

このあたりもひょっとして師弟連結を狙っていたのかもしれませんが
はたしてこれは考えすぎで偶然の産物だったのか
とにかく油断も隙もない作品なので
あえてこのことも提示しておきたいとおもいます。

マーラーについてはすでにいろいろ書いてあるし反省しきりですのでここでは省略します。
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-07-05

以上です。
続編についてはいろいろと飛び交っているようですがほんとうはどうなのでしょうか?
こちらの方は今後の推移を見守っていきたいとおもいます。

それにしても「射手座の日」の射手座って
ゲームだけでなくハルヒのこともいってたんですね。
おそまきながら今知りました。
まったくよく考えていますよ、この作品は。

しかしここ数日のアクセス数が尋常ではない。
何があったのだろう…?

+1=(8/15追加)

上でダフニスの演奏について「何がかかってもクリュイタンスと言ってしまう」と書きました。
そんな人間なので正直言いきりたくはないのですが
今回の涼宮で使用されたそれはどうもそのクリュイタンス盤のような気が本気でしてきました。
演奏時間、音を重ねての聴き比べ
そしてフルートソロの雰囲気やクラリネットの音など
かなりの部分でよく似ているという感じがしているのです。

ただ何度も言いますが前科もちですのではっきりとは言い切りません。
しかも極度の刷り込みがある演奏と曲ということなので、さらに…な部分もあります。
EMIからでているこの

◎アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団による1962年録音の演奏。

これも機会があったらぜひ聴いてみてください。
因みにTVでの使用場所は第三部における「夜明け」の冒頭部です。

この後「考察+推測編…」があります。
いままでの部分と多少重複している部分もありますが興味のある方はご覧ください。
ただしかなりの長文になりますのでご了承ください。
以下に続きます。↓
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-15-1

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※(補説)
この「涼宮ハルヒのクラシック」は全部で5項目からなっています。
読みやすいようにすべて上から順番に並び替えてありますので
このままスクロールしても次の項目に行けますが
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/archive/c5362149
をクリックしていただくと、その五つのみ順番にみることも出来ます。


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涼宮ハルヒのクラシック「射手座考察編」+その他推測編 [涼宮ハルヒのクラシック]

人気TVアニメーション「涼宮ハルヒの憂鬱」で使用された
そのクラシック音楽にまつわる、かなりの思い込みを混ぜたこれは考察+推測編。
(最初「目明し編」にしようと思ったのですが「○ぐ○○の~」の大パクリになるのでやめました)

この件はすでに
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-06-12
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-07-05
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-07
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-10
そして
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-07-11
で二ヶ月にわたり延々と語られているのでほんとは〆てもよかったのですが
ちょっといくつか置いてきたものもありますし
こだわりの作品にはこちらももうすこしこだわったみようかなということで
今回は共通テーマも「アニメ」から「音楽」に変更しての仕切りなおしです。

今回このアニメで使用された曲は全部で4曲

「射手座の日」では
①ラヴェル「ダフニスとクロエ」第三部より「夜明け」冒頭
②ショスタコーヴィチ交響曲第7番より、第一楽章冒頭と「戦争の主題」
③チャイコフスキー交響曲第4番より、第四楽章の終結部付近
「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅳ」では
④マーラー交響曲第8番より、第一部「Accende lumen sensibus(光もて五感を高め)」

となっています。
でここでは、射手座での三曲を中心にいろいろと考察をしてみたいと思います。

これじつはすべて①から③がロシアがらみ(以前はスラヴがらみという言い方をしましたが)
①は作曲者や初演場所こそフランスですが
その初演を委託したのがロシアバレエの主催者ロシア人、セルゲイ・ディアギレフ。
②と③はもういうまでもなく作曲者も初演場所もロシアでありソ連。

ということなのでこれは②と③との兼ね合いで①をもってきたのかもしれませが
じつは「ダフニス」が書かれ初演されたフランスのその当時のことを考えてみると
ちょっとおもしろいことになってきます。

というのはラヴェルが「ダフニスとクロエ」の作曲に着手した当時フランスは
第一次モロッコ事件でドイツと不穏な関係となり
しかもこの曲の完成と前後した時期には第二次モロッコ事件がおき
仏独全面戦争寸前までいくところで
決して対外的には安定していた時期ではありませんでした。
ディアギレフの祖国ロシアも血の日曜日事件や日露戦争以降
不穏な状態が続いていました。

そしてこの「ダフニス」初演から二年後にはあの第一次世界大戦がはじまります。
この音楽があの戦闘前に流されたのは「戦争前夜」的な
そういう部分との兼ね合いがあったのかもしれません。
因みにこのダフニス初演後の翌年
つまり大戦前年にディアギレフのロシアバレエは
ストラヴィンスキーのあの「春の祭典」を初演しています。

続いて交響曲第7番レニングラード
この「射手座」で最も印象的に使用されたこの曲の使用理由は単純に戦闘というもの
そしてこの曲が今度は第二次大戦中に書かれ初演された曲であるということと
あの「戦争のテーマ」の特異なそれがあげられると思います。
この「戦争のテーマ」が前述した「ダフニス」の作曲者ラヴェルの代表作「ボレロ」の
そのやり方をそっくり拝借した手法には当時からいろいろとあったようですが
とにかく当時はそういう声よりもこれが戦意高揚の曲と
ナチスドイツと闘う強い意思表明と賛歌のようなものということで
圧倒的な人気と賛意を勝ち取ったものでした。

ですが後にこれがそのような単純な曲ではなく
ヒトラーとスターリンの両方を糾弾した内容であると
現在は偽書という説も強いヴォルコフによって編纂されたショスタコーヴィチの回顧録
「ショスタコーヴィチの証言」では語られています。
そんなこともあるのでしょうか
この擬似戦闘ともいえるゲームの戦闘シーンということで
この単純ではない、しかも聴きようによってはずいぶんくだけたテーマを使用したこの部分を
ここで使用したのかもしれません。
そしてそこで冒頭のダフニスとの「ラヴェル」繋がりもできる。

あとこの戦争のテーマでは
レハールの「メリーウイドゥ」の「マキシムの歌」が挿入されているといわれています。
それはレハールが好きだったヒトラーへの皮肉ということらしいのですが
そこで使用されている「マキシムの歌」の部分ではこう歌われています。

「そこで私はマキシム(キャバレーの店の名前)に出かける。そこの女の子とは皆親しいのだ。」

戦争とはまったく縁も所縁もないような
きわめてぶっちゃけた歌詞ですが問題はこの使用された歌詞の前の部分で、
そこでは外交官はいつも忙しくてたいへん、こういうときは気晴らしも必要と、
じつは歌われているのです。

この部分、「射手座」のラストでキョンが
長門に対しての独白内容をおもわせるものがあります。
ひょっとしたらラストの台詞から逆算して
この曲の使用を決めていた部分もあったのかもしれません。

そしてこの戦争のテーマのあと滑り込むようにして
チャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章が使用されるのですが
自らの援助者となってくれたフォン・メック未亡人への手紙で
チャイコフスキー自らがこの曲(終楽章)に対して語った言葉を次に続けます。

------------------------
あなたが自分自身のなかに喜びを見出せないのなら、
あたりを見回せばよい。
人々がどんなに生を楽しみ
歓楽に身を打ち込むかを見るがよい。
人々の幸福を喜びなさい。
そうすればあなたは
なお生きていけるのです
------------------------

この二つをペアにして順序を組み替えて読んでいくと
なぜこの作品あそこまで長門が今まで違う表情をみせ
キョンの言葉を借りれば「たのしそう」だったのか。
ほんとうにじつにいろいろと音楽上の伏線がはってあるなあというのが偽らざる心境です。

※(2008年7月7日追加)
ある方からこのチャイコフスキーについて
「射手座の日に使用したピョートル・チャイコフスキー『交響曲第4番』は
OVA銀河英雄伝説でのマルアディッタ星域会戦での自由惑星同盟軍艦隊が
銀河帝国軍艦隊に対する劣勢を挽回の序戦のシーンに使用してることに対するオマージュ。」
という情報をいただきました。
あらためて自分勉強不足を痛感です。
因みにこれは「はなもく ウィキペディア」の「涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)」の頁にあります。
ご指摘ありがとうございました。

このショスタコーヴィチにおけるレハールの裏設定的なやり方は
「涼宮ハルヒの憂鬱 VI」で使用されたマーラーの交響曲第8番でも見受けられます。
これは閉鎖空間から戻ってきてベッドから落ちたキョンが
ハルヒとのことを思い出してその嫌悪感から

「フロイト先生も爆笑だっぜ」

といったのがそれでして
これはマーラー自身がこの交響曲第8番を初演する前に
フロイトの治療を受けて精神の不安定から立ち直り
無事その初演の指揮をミュンヘンで執ることができたという
このエピソードからきたものです。

このマーラーでは歌詞と画面とのシンクロと〆に裏設定が際立っているのですが
「射手座」では音楽そのものと裏設定のストーリーとのシンクロという
じつに手のこんだことをしているというのが感想ですし
またその裏設定が随時長門にかかわっている部分が多いことから
長門に対する、愛情たっぷりの音楽表現という気がこれらから強く感じたものでした。
寡黙なキャラに対する無言の愛情表現とでもいうのでしょうか。

でもここでひとつ疑問
「射手座」の占いでよくみかける基本性格をみると
そこからはむしろハルヒのことをさしているように感じられてしまいます。
ではなぜそれなのに人物描写や音楽がこの話、
これだけ長門にからんでくるのか?
ちょっと不思議な気がするのですが
この話ひょっとして長門も含め
ハルヒワールドという異常空間でみなそれなりに自分を貫き
そしてたのしみ踊らされたり踊っていたりと
そういう状況を呈していることをゲームという枠にいれて
それを再構築再提示したものだったのかもしれません。
それで「射手座」がタイトルとして登場した。
そうなるとチャイコフスキーの発言
「あなたが自分自身のなかに喜びを見出せないのなら…」
というのは長門だけでなく、ハルヒにも
そしてここにいる全員にも当てはまってくるのかもしれません。

もっともこれはコンピ研の会長の
ハルヒに対するちょっした皮肉まじりによるゲームのタイトルづけという
ただそれだけのものだったのかもしれません。

とにかくどちらにもとれるという作り方をしている本作を思うと
最後は自分自身にすべてを帰結させるしかない
ただ面白かったもOK、自分のように深読みするもOKという
見ていた皆様ひとりひとりに
もうそれは委ねられるべき話であり領域であるのかもしれません。

とにかくどこまで考察しても限りがないので考察編はここで一応終了といたします。
それにしてもここまで考察すると
この音楽を考えた人はいったいどういう人なのだろうという気がじつにします。
ここから推測編です。

使用した演奏者がこの射手座の場合
クリュイタンスやゲルギエフ、それにムラヴィンスキーということを思うと
 (あくまでも上記の指揮者にかなり似た演奏なので
  上記の指揮者による演奏だったら…という前提で話します)
正直いろいろかなり聴きこんでいる人という気がします。

クリュイタンスのラヴェルは世紀の大名盤なのでこれはともかく
ゲルギエフのレニングラードも決して偶然にみつけたわけではなく
すでにこの演奏のCDを持っていたか
もしくは2004年の11月24日に有楽町の東京国際フォーラムホールAで行われた
ゲルギエフ指揮キーロフ国立歌劇場管弦楽団&NHK交響楽団合同公演における
「レニングラード」を聴きに行っていたか、もしくは後日NHKで放送されたものを聴いていて
そこからチョイスしてきたのでは?という気がしていますし、
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-10
の後半にもあるような理由も含めて選んでたような気がします。

(尚、ゲルギエフ指揮による「レニングラード」のCDは
 あの「911」同時多発テロのほぼ一週間後のライブ録音です。)

またチャイコフスキーにスヴェトラーノフではなくムラヴィンスキーを選んできたのも興味深く
かなり演奏者にもこだわりをみせている部分も感じます。
そうなると
クリュイタンス、ゲルギエフ、ムラヴィンスキー
そして
「涼宮ハルヒの憂鬱 VI」ではラトルと
新旧関係なくじつにバランスのよい
ただどちらかというとパワーや音量にこだわる爆演に走ったり
泥臭かったり感情移入が強烈だったりという演奏を避け
洗練された明晰かつ無駄のない、それでいて迫力にも事欠かない指揮者を好むという
そういう傾向がこの選者には見受けられます。
(これはTVのBGMとして使用するため性質上そういう音質のものを選んだという
 そういう見方もできるかもしれませんが…)

もし上での指揮者が全員ここで使用されたものと一致していた場合
おそらくこの方は

ドビュッシーではマルティノンやパレー
ヴォーン=ウィリアムスではボールトやバルビロリ
ドヴォルザークではクーベリックやセルまたはアンチェル
シベリウスではオラモかベルグルンドもしくはバルビロリ
パルトークではライナー

このあたりを好んで聴かれている方ではないか?
という気がしていますがどうなのでしょうか。
ただいずれにせよかなりの強者という気がします。

この涼宮シリーズがもし京都で第二期が制作され
音楽担当も同一人物となり
そこで再度クラシックが使用されたらまたまたいろいろと仕掛けてくることでしょうし
そのときは表裏どちらも込みの設定や歌詞にもかなりこだわったものが使用されることでしょう
(ひょっとするとその裏をかいてくるかもしれませんが…)
たのしみというか、いまからそうなることを強く期待したいものです。

余談ですかそういえば今年の4月、つまりハルヒの放送開始時期は
ハルヒ制作の京都アニメーションの地元である京都を代表するプロオーケストラである
京都市交響楽団が設立されてからちょうど50年目にあたっていました。
ひょっとしてそこまで考えてこのアニメ、終盤にクラシックを多用していたのでしょうか?
因みにこの京都市交響楽団はロシアの名指揮者ドミトリー・キタエンコの指揮で
ハルヒ放送期間中の 5 月 11日 に上記したショスタコーヴィチのレニングラードを演奏しています。
(第 488 回定期演奏会 京都コンサートホール 19 時開演)
このへんも演奏会の事前告知なども含めて案外使用の伏線としてあったのかもしれません。

尚最終回放送前後の7月4日にはネーメ・ヤルヴィの指揮でチャイコフスキーの交響曲第4番も
これまた同オーケストラによって演奏されています。もっともここまでくれば偶然でしょうが…。

それにしても京都にはディープなクラシック愛好家が多いなあ…(独白)

(関係リンク先)

「涼宮ハルヒの憂鬱」オフィシャルサイト
http://www.haruhi.tv/

「涼宮ハルヒの憂鬱」京アニサイト
http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/index.html

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「涼宮ハルヒ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%BC%E5%AE%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%92

[提案]

京都市交響楽団は地元の京都アニメーションと提携して
今回使用されたクラシック音楽をメインにして演奏会を開いたらどうでしょうか?
出演された声優さんもゲストによぶとそれはそれで華があってたのしいかも…。
ただマーラーが人集めと経費がたいへんかもしれませんね。
一案としてここに記しておきたいと思います。

以上で一応〆です。

最初の「涼宮ハルヒの憂鬱(射手座の日)そのBGM+1(改訂)」から
気づいたらとてつもなく長い文面となってしまいました。
おつきあいいただいた皆様
最後まで読んでいただきありがとうございました。
お疲れさまでした。

(私的後日談)
8月中旬の二日間にあったことなのですが
このサイトへのアクセスがその二日間に約1万件もありました。
普段のアクセス数から考えると桁違いの凄まじさで
そのほとんどが「涼宮クラシック」に集中していました。
致命的なミスもやらかしていたこともあって
正直素直には喜べないものもありましたが
やはりアクセスしていただいたことには素直に感謝したいと思います。
それにしてもこの作品、地上波に降りてくる可能性があるのでしょうか?
DVDが全巻発売された後、なにか動きがあるような気がしないでもないのですが…。

※お断り

 最近ある方から対訳等のUPは著作権に抵触するのではという、ご心配のメールをいただきました。自分としては卒業論文と同じで、出典元を明記し、金銭がからまなければよいのかな?と思っていましたがどうもそうではないようです。このため、歌詞対訳の部分を大幅に削除することにしました。ちょっと残念ですが、こういう考察を加えるにも今後いろいろと工夫を加えなければいけないという、いい教訓になりました。正直ちょっと残念ではありましたが…。

 以上、ご理解とご了承のほどよろしくお願いいたします。

----------------------------------

※(補説)
この「涼宮ハルヒのクラシック」は全部で5項目からなっています。
読みやすいようにすべて上から順番に並び替えてありますので
スクロールしても上の項目に行けますが
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/archive/c5362149
をクリックしていただくと、その五つのみ順番にみることも出来ます。

※これ以前に「涼宮ハルヒ」についてに書いたことは
以下のところにまとめてあります。よろしければご覧ください。
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/archive/c10378348


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涼宮ハルヒのクラシック。(忘れられない演奏) [涼宮ハルヒのクラシック]

(以下、2007年2月2日書き込み+7月10日追加分。)

以前涼宮第一期で使用された楽曲とその演奏の考察を書きこんだけど
お薦め盤についてはまったくふれていなかった。

どれも名曲揃いなのでなかなか難しいものがあるのですが
第二期決定を機会に自分なりに「ハルヒ」で使用された同曲のCDのお薦めというより
忘れられない演奏をちょっとあげておきたいと思います。

◎ラヴェル「ダフニスとクロエ」

この曲は以前もあげましたが
過去四十年以上に渡り鉄板と呼ばれた決定盤が存在している。
それはアンドレ・クリュイタンス(1905-1967)指揮パリ音楽院管弦楽団によるもの。

これはこの曲を録音した直後に日本に来日し
「ラヴェルの夕べ」で日本の演奏会史上に残る空前絶後の演奏を行い
その影響がこの名盤を現在まで鉄板化したこともあるが、
それを抜きにしても音楽細工ともいえるこの響きは素晴らしい。
このオーケストラの解散とともに現在では完全に失われてしまった
気品と色彩、それに洒落た雰囲気が絶妙にブレンドされたその音は
ある意味二十世紀の音楽遺産といえるかもしれない。
この演奏は現在も国内&輸入ともに入手が容易だが
ステレオ録音とはいえかなり以前のものなので
最新式と同様な音質ではないのでそこのところはご了承いただきたい。

じつは白状してしまうと、これは同曲を初めて購入したLPの演奏でもあります。
初めての購入が同曲の決定盤。よかったのか悪かったのか…。
この刷り込みはけっこうデカかった。
おかけでしばらく他の演奏でこの曲を聴けなくなってしまったものだった。

尚、上記した伝説の日本公演のライブもモノラルながら残されCD化されています。

1964年の5月7日に東京文化会館で行われた演奏会のもので
スペイン狂詩曲、組曲、マ・メール・ロア、ラ・ヴァルス、クープランの墓、亡き王女の為のパヴァーヌ
そして、ダフニスとクロエの第2組曲と、アンコールが含まれたものとなっています。
これもまた貴重な記録ではあります。
因みに「ダフニス」はこの演奏会のラストに演奏され
極限的な美しさの冒頭から狂気を孕んだような凄絶なラストまで最高級の演奏を展開しています。
このクリュイタンスの二種類が自分にとって同曲の忘れられない演奏となっています。
因みにこの日本公演の三年後、指揮者クリュイタンスは癌で急逝、
オーケストラのパリ音楽院管弦楽団も解散し、パリ管弦楽団へと改組されました。

◎ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

チェコの往年の指揮者ヴァーツラフ・ノイマン(1920-1995)が
手兵のチェコ・フィルハーモニーを指揮して1974年に録音したもの。

ところでこの演奏
ひょっとするとほんとうはノイマンにとってあまり触れてほしくない演奏かもしれません。

というのはノイマンはこの録音の六年前に起きた
祖国であるチェコにソ連軍が武力介入し、民主化運動「プラハの春」を鎮圧したとき
その暴挙に抗議し東ドイツの要職を蹴ってあえて母国に戻ったという経緯があり
そのためより共産化したチェコでの活動はかなり精神的に厳しいものがあったといいます。
しかも帰国後はかなり厳しく当局にマークされ
1972年には出国許可が降りず来日できなかったという事態も起きています。

ここからはたんなる推測です。
このショスタコーヴィチはそんなさなかに録音されたのですが
表向きは二年後に迫った作曲者ショスタコーヴィチの
70歳を祝すための一環としてのセッションであったのかもしれませんが
ベトナム戦争でアメリカ軍がついに南ベトナムから全面撤退した翌年というこの時期、
当時まだ戦意高揚の交響曲と思われていたこの曲をわざわざ録音させたというところに
ひょっとするとノイマンにとってこの録音は当時の共産党政府からの
踏み絵的なものとなっていたのではないかという気がじつは自分はしているのです。

二年前にキャンセルせざるを得なかった日本への来日が再度目前に迫っていたこの時期
もしこの録音をいかなる理由にせよのまなかったらどうなるのか。

けっきょくノイマンはこの録音を行ったわけですが、その出来は驚くほど内容の濃いもので、
当時戦意高揚の交響曲としてしか聴かれなかった趣のこの交響曲から
過度の効果を排し繊細な美しさと哀しみを随所に絶妙に引き出した演奏となっています。
ここに自分はノイマンの自分のやり方を徹頭徹尾貫く音楽家魂というか
自らの尊厳をかけた意地のようなものを強く感じたものでした。

因みにノイマンはその後いっさい同曲どころかショスタコーヴィチそのものを録音をせず
また日本に何度も来日したにもかかわらずこれらの曲をいっさい演奏しませんでした。
そういう意味でもこの演奏は自分にとってとても忘れられないものとなっています。

◎チャイコフスキー:交響曲第4番

忘れられないというと、ここは自分の行った演奏会ということもあり
エフゲニー・スヴェトラーノフ(1928-2002)指揮ソビエト国立交響楽団による
1990年の5月24日にサントリーホールで演奏したもののライブ録音をあげておきます。

日本における史上初のソ連のオーケストラによる
チャイコフスキー交響曲全曲演奏会の一環として行われた演奏会のライヴですが、
この指揮者の古典的造型感覚と凄絶なまでの劇的感覚が
類稀な状態で一致した究極的ともいえる演奏で
特に終楽章終盤の熱狂と興奮は一線を越えたものがあります。
この曲の録音でもトップクラスの迫力あるエキサイティングな演奏となっています。
因みに、指揮者専用の扇風機の音も収録されているのがご愛嬌。

最後に

◎マーラー:交響曲第8番

ディミトリ・ミトロプーロス指揮ウィーン・フィルハーモニー、他

天才指揮者ミトロプーロスが亡くなる数ヶ月前
マーラー生誕百年記念の年(1960年)にザルツブルク音楽祭で同曲を演奏した時のライヴ。

残念ながらモノラル録音ということで
この大編成の大曲にはかなり不利な音質ではありますが
演奏がとんでもなく凄い、というかオケから合唱から、とにかく全員が気合入り捲くっている。

音楽の密度の濃さもさることながら
特に第二部の終結に向かって音楽が強大な力を持って高揚していくその様は
空前のスケール感をともなったものになっており
まさに生誕百年にふさわしい超大名演となっています。

ひょっとしたらこの大曲のもつ無尽蔵のエネルギーのようなものが
史上初めて全面開放された歴史的瞬間を捕らえたドキュメンタリーではないかとさえ感じられた
そんなまさに歴史的超名演のこれはライブ録音です。

あともうひとつあげるとしたらすでにこのサイトでもふれました
レナード・バーンスタイン指揮ウィーンフィルでしょうか。
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-07-15
こちらも三十年以上前の録音ですがちゃんとしたステレオ録音です。

こんなところが自分にとって忘れられないものとなっています。

とにかくこれら名曲は多種多様な名演揃い。
聴かれる機会がありましたら、ぜひいろいろとお聴かれになることをお薦めします。

(追補)

以前「ハルヒ」で使用されたマーラーですが
Firanne様からここで使用されたものは「ラトル盤で間違いないであろう」という
詳細な事例をあげられてのご説明がありました。
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-08-07#comments
この場を借りましてFiranne様に慎んで御礼申し上げます。

----------------------------------------------

※因みに現在ここまでで当blogにおきまして、
使用された演奏と近いとされたCDも以下にまとめて記しておきます。


◎ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲
クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団

この項の最初にある踊り子の後姿のジャケットが国内盤で
すぐ上にあるのが最近の輸入盤。ジャケットが違うのが困りもの。
1961-1962年というステレオ初期に録音されたものだが、
いまだにラヴェルの演奏における旧約聖書といわれている。


◎ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」
ゲルギエフ指揮キーロフ劇場管弦楽団&ロッテルダムフィル

これはゲルギエフがあの911の直後にオランダのロッテルダムで、
手兵のキーロフ劇場オケと、もうひとつの手兵ロッテルダム・フィル、
その合同オケを指揮して演奏した時の白熱の実況録音盤。


◎チャイコフスキー:交響曲第4番
ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー

ムラヴィンスキーが国外公演時にロンドンで録音したもので、
同曲のひとつの規範といわれている。1960年の録音。
それにしてもこれも何度も再発売を繰り返しているが、
表紙は比較的これをベースにしたものが多い。
尚同曲だけでなくチャイコフスキーの交響曲第4~6番の、
三曲をひとつにしたセットものも何度か発売されている。


◎マーラー:交響曲第8番
ラトル指揮バーミンガムシティ交響楽団・合唱団、他

すでに名門ベルリンフィルに着任していたにもかかわらず、
かつての手兵だったバーミンガムを指揮しての2004年の実況録音。
この録音によりラトルが二十年以上かけて録音し続けた、
マーラーの交響曲全集がついに完結した。ラトル渾身の演奏。

(追伸)

さていよいよ第二期が決まった
詳細は未定だがいよいよといったところ。
おたのしみはこれからですね。


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