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「宮沢賢治の聴いたクラシック」の発売 [宮澤賢治のクラシック]

「宮沢賢治の聴いたクラシック」という書籍がCD付きで発売になった。
30006.jpg
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784094801866

小学館が先月発売したもので、
賢治没後80周年にちなんでの発売とのこと。

じつはこの本については事前にまったく何も情報もなく、
また発売されてからもそれについて何も知らなかった。

理由はこういうCDを聞きたいということで、
十年以上も前から、
いろいろとレコード会社の知り合いや評論家の方、
さらには古いレコードに詳しい人たちとかつていろいろとこの件で話し合ったものの、
けっきょくどこも乗り気ではなく、
そうこうしているうちに生誕百年や百十年、
没後七十年といったものも過ぎ去ってしまい、
もうこういうことは企画されないだろうと思いこんでしまったことだった。

このためもうほとんど諦めきっていた状態だったし、
収集や調査もほとんど無期休止状態となっていたことも災いした。

そんなときいきなり書籍関係からこのCDが発売されたと聞いたとき、
かなり驚いたしレコード業界の情けなさもちょっと感じてしまったものだったが、
とにかくこれはほんとうにありがたいお報せでした。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2007-10-05

上記リンク先でのそれでこのときやっと知った次第です。
我ながら情けなさ大爆発ですね…。


今回のこのCD…というよりCD付き書籍ですが、
専門的なことより、むしろ初心者にもわかってもらおうというもので、
内容はとても読みやすく、書き方もとても整理されたものになっている。
このあたりは著者の萩谷由喜子さんや、
宮沢賢治の音楽の権威でもある佐藤泰平さんの力が大きいといえるだろう。

だが特にありがたいのは、
その存在を知ってはいたがCD化されていないものの多くが今回復刻されていることで、
それらを耳にできたことは本当に素晴しいことだった。

これにはクリストファ・N・野澤氏の力が大きかったようですが、
残念ながらこ本が出版される前月にお亡くなりになられたとのこと。
逆にいえばギリギリのタイミングだったということで、
ひょっとしたら賢治が力を貸してくれたのではないかと、
そんな気さえしたものでした。

個人的にはもちろんこれは素晴しい企画ではあるものの、
今度はレコード会社側からのアプローチもぜひしてほしいところ。

五枚組三千円くらいのオムニバスで、
三枚は賢治の聴いていた曲を最新の演奏で、
残り二枚は賢治の聴いていたオリジナルの演奏でという、
そんな具合にです。

とにかく秋の夜長に、
賢治の作品を読みながら賢治の聴いた音楽を耳にするという、
とても素晴らしいことが出来るようになったこのCD付き書籍。

音質は古く、
決して今の耳からすれば聴きやすいものではないかもしれませんが、
大正から昭和の初めにかけての日本のレコード史初期を彩るった演奏の数々。

ほんとうに素晴らしい企画の実現です。

興味のある方はこの機会にぜひどうぞ。



ところでこうして整然とまとめられた賢治の聴いた音楽のそれをみると、
自分がいままで不思議に思っていた謎のいくつかが晴れたものの、
依然として…
というよりむしろ整然としたことにより、より謎にみちた部分というか、
賢治のもつ音楽的嗜好の一端がうっすらとみえてきた気もした。

なぜモーツァルトやブラームスが少ないのか、
国内盤流通後ベルリン系のオケのコレクションが目立つのは何故か、
ベートーヴェンをこよなく愛したのに、
ワインガルトナーやカペーSQが全く無いのは何故か、
ブルックナーやマーラーにはまったく食指が動かなかったのか等々。

このあたりはまた何か思うところがあったら、
いつかまた書いてみたいと思います。


最後にこの書籍の出版をご連絡いただいた横山様に、
深く御礼申しあげます。
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宮沢賢治最後のコレクション [宮澤賢治のクラシック]

賢治がクラシック音楽を愛し
そしてそれらを創作の源のひとつとしていたことは
弟の清六氏の書かれた書物からも伺える。

またその源となったレコードの内容の一端は
佐藤泰平氏の書籍に詳しく記されている。
だかそれらのすべては
賢治が最後まで所持していたものというわけではなく、
なかには手放したものも多く含まれている。

そのため賢治が最後まで愛聴し
手元におき生涯をともにしたアルバムとなると、
それらがすべてというわけではない。

しかも賢治の死後残っていたレコードの多くが
終戦五日前の花巻空襲で大半が焼失、
残ったのは
○ベートーヴェン交響曲第6番「田園」指揮プフィツナー
○シューベルト交響曲第7番「未完成」指揮クレンペラー
○Rシュトラウス交響詩「ドン・ファン」指揮コーツ
○ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」指揮Aヴォルフ
の四点のみというものだった。

このため賢治が最後どのようなレコードを所持していたかは、
すでに清六氏も亡くなられた現在となっては、
ほとんどが憶測によるものでしかなくなってしまった。

だがいくつかのものはある程度は推測できる。
たとえば「銀河鉄道の夜」に登場したドヴォルザークの「新世界」。
賢治が好んでいたというベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。
そして賢治が「田園」や第九と並んでその購入を喜んでいた、
ベートーヴェンの「荘厳ミサ」がそれだ。

だが問題はそれが誰のものであったかとなると難しい。

賢治は大正七年頃からレコードの収集をはじめたらしいが、
その頃は国産ではなく輸入もののレコードを国内で販売していたが、
その価格はかなり高価だったため、
賢治もレコード収集に力を注いでいたものの、
後年のようにそれほどカンガン購入はまだしてはいなかったようだ。

賢治が本格的に購入しだすのは昭和二年以降。
国内盤として洋楽を扱うレコードメーカーができはじめた頃だ。
この時期は録音方法がアコースティック方式から電気式になり、
このため革新的なほど録音がよくなったため、
オーケストラものを中心とした大編成ものの録音が本格化し、
賢治が大好きなオーケストラものの新譜が大量に出回ることとなった。

だがここでひとつ面白いのは
前述した佐藤泰平氏の書籍に掲載されていた資料によると、
賢治のそれのビクターとポリドールが多いことだ。

特にポリドール。
これはポリドールがビクターやコロムビアに比べて早く発売を開始したことや、
ビクターに比べて価格が安かったということもあるだろうが、
やはり天下のベルリンフィルやベルリン国立歌劇場管弦楽団による演奏が、
ズラリと揃っていたこと、そしてそのサウンドが賢治の嗜好性にあっていたのたろう。

そしてなにより交響楽好きの賢治の心をとらえたとみるべきだろう。
それは後にポリドールから花巻のレコード店に感謝状が贈られるという、
形となってそれはあらわることになる。

だが感謝状が贈られるという規模の購入とはいったいどういうものだろう。
それこそひょっとすると
ポリドールから出ていたオーケストラ関係のものを
ことごとく購入していたということだろうか。

そうなると賢治の購入していたそれは、今現在資料として残されているものよりも、
想像以上にかなり幅が広いものと考えていいと思う。
ひょっとしたらベートーヴェンの交響曲全曲を揃えていたかもしれない。
それどころか古くはマタイ受難曲から
シベリウスの交響曲にまで手が伸びていたかもしれない。
だがそれらはあくまで憶測なのでなんともいえない。

話を戻すが、では前述した「荘厳ミサ」「新世界」だが、
これらがもし最後までほんとうに手元あったとしたたら、
その指揮者は誰かということ。

最初のミサは間違いなくブルーノ・キッテル盤だろう。
発売当時SP11枚組にもかかわらず1千セットも売れたという。
賢治のリストにあるベートーヱ゛ン「弥撒(ミサ) 」は、
間違いなくポリドールのこれと断言していいだろう。

問題は「新世界」」だ、

「新世界」は1924年のハーティ盤を当初所持していたがこれを譲渡している。
ということはおそらく賢治はこれに変わるものを入手したであろうことは、
「ドン・ファン」でもそういう痕跡がみられるので、
ほぼ間違いないとみていいだろう。
手元に「新世界」の現物が無いまま銀河鉄道に着手するとは考えにくい。

候補としては以下の三つ。
○ストコフスキー指揮フィラデルフィア
○エーリヒ・クライバー指揮ベルリン国立歌劇場
○ハーティ指揮ハレ(1927再録)
と思われる。
ベストセラーになったストコフスキー。
賢治が好きなポリドールノのクライバー。
かつてもっていたハーティの再録もの。

正直どれが最後まであったかはわからないが、
個人的にはクライバーかハーティではないかという気がするが、
賢治のコレクションにはメンゲルベルクやストコフスキーといった、
濃厚な味付けの指揮者による交響曲ものが出てこないところがある。
そのためストコフスキーを外したのがはたして…。


とにかくこの問題は今のところ堂々巡り。
それこそ新しい証言や記録が出てこないかぎり、
これは永遠の謎といったところだろう。

本当はもっとこのあたり専門家に詳細してほしいところだが、
なかなかそういう企画もないようだ。
どこか賢治の没後百年までなんとかしてくれないだろうか。

もっともその頃は自分も生きているかどうかは疑問ですが。
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賢治の第九 [宮澤賢治のクラシック]

OF.jpg

Lotte Leonard (ソプラノ)
Jenny Sonnenberg (コントラルト)
Eugene Transky (テノール)
Wilhelm Guttmann (バス)
Bruno Kittel Choir
Berlin State Opera Orchestra
Oskar Fried (conductor)

1929年に録音されたベートーヴェンの第九。
当時58歳の名指揮者オスカー・フリートが
名門ベルリン国立歌劇場管弦楽団と
ドイツ最高の合唱団のひとつといわれていた
ブルーノ・キッテル合唱団を使って録音されたものがこれ。

ときおり前のめりになりそうになるくらい
速めのテンポでぐいぐいおしてくるような演奏だが
過剰な劇的表現などはあまりない。

テンポの変化もかなり見受けられるものの
とにかく前へ前へというかんじの演奏だ。
ところが第四楽章になると雰囲気がかわってくる。

突如音楽がどっしりとした構えをみせ、
地を足につけたような
この曲のもつ巨大な威容のようなものが浮かんでくるような、
そんな音楽となっている。

ただし奇をてらったような無理な威容感はそこにない。
自然な雰囲気の中でそれらが紡がれているといったところだろうか。

そして歌が入ってくるとさらに音楽が変化する。
まるで独唱も合唱も挑みかかってくるような、
かなりの激しさがそこに加わってくる。

それにしても合唱がすばらしい。
多少音程的にあれな部分はあるものの
強さと表現の多彩さが
素晴らしい統一感の中でとても見事に描かれている。

そしてそれらを当時としてはなかなかの音質で録られているのが
このフリートの第九だ。

じつはこの第九を賢治は所持していたという。
SPでかなりの枚数になるこの大作を聴くというのは、
スイッチを入れると一気に最後まで聴くことができる、
今のそれとはかなり違う。

それこそある種の決意の中で聴くというものがそこにはあり、
ひとつの儀式的のようなものさえ感じられる。

だが賢治の作品の中には、
そのような状況下で聴いていたばすの、
この第九に対する記述のようなものがない。

賢治が敬愛したベートーヴェンの、
その最後にして最大の交響曲、交響曲第9番。
これに対しておそらく賢治は
ある種の畏敬の念をもっていたのかもしれない。

同じ「第五」については
自分の目指すべきところはここだとまで言っていたというが、
さらにその上に位置するようにさえ感じられる
この第九についてはそういうことを言うことさえ
憧れと同時に恐れ多いと思っていたのかもしれない。

それだけに賢治がさらに長く健康でいられたら、
その後この曲に対してどう向き合っていったのか、
とても興味深いものがある反面、
それがかなわなかった残念なものも
この演奏を聴いていると感じられてしまうし、
賢治にとって第九はひとつの
それこそ永遠に追い続けた理想であり
ひとつの夢でもあったのかもしれないという、
そんな気持ちにもなってしまいます。

ただもちろんこれらはすべて自分の推測ですし、
賢治がこれをどう思っていたのかは自分は知りません。

賢治の白鳥の歌「銀河鉄道の夜」の向こう側にみていた
ベートーヴェンの交響曲第9番。
賢治にははたしてどのようにうつっていたのでしょうか。

このフリート指揮の第九を聴くたびに、
そういう想いにかられる自分がいます。

最後に余談ですが
「宮澤賢治 その愛」という映画にも
賢治が第九を聴いているシーンがあります。
ただそこでかかっていた第九は
ひょっとするとこのフリートの第九ではないかもしれません。
このあたりはちょっとあれかもしれませんが、
ただそのときの三上博史扮する賢治の表情は、
なにかとてもよくわかるような気がしたものでした。
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宮澤賢治とパスターナックのベートーヴェン [宮澤賢治のクラシック]

宮澤賢治の心象スケッチ「春と修羅」

その中の「風景とオルゴール」の中に
「冬と銀河ステーション」という作品がある。

その中の一説に

あゝ Josef Pasternack の 指揮する
この冬の銀河輕便鐡道は
幾重のあえかな氷をくぐり

という部分がある。

Josef Pasternack

賢治が敬愛した指揮者の名前だ。
Josef Pasternack
(ジョセフ・パスターナック)

1881年7月7日- 1940年4月29日
ポーランドの指揮者で戦前アメリカで活躍した指揮者ですが、
現在はカルーソの伴奏等でしかあまり知られていない指揮者です。

ですが賢治は当時かなり彼を敬愛していたらしく、
それはその詩にその名前を残すほどのものだったようです。

そんなパスターナックが
1916-1917にかけて録音したベートーヴェンの第五は
彼のお気に入りのもののひとつでもあったようです。

ですがなかなかその音源はCD化されず
その音を聴くことができなかったのですが、
なんと

JP.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=v78KJeiK0ZI

にその終楽章がUPされていました。

録音は第一次大戦中のアコースティック録音ということで
やはりその音質はかなり貧しく
現代の耳からはかなり古色蒼然としたものとなっています。

ただ録音用にオケをかなり刈り込んでいるため
そこそこ明晰な音作りにはなっているようです。

ところでその演奏ですが
トスカニーニのアシスタントをメトロポリタン劇場でしていたからでしょうか
この第五ではどこかそのトスカニーニを想起させるような
だれることなく緊張感をもった推進力のある音楽を
オケの手綱もしっかり締めた演奏で聴かせてくれています。

コーダの堂々とした運びもなかなか立派でして
こちらの予想を上回る出来となっていました。

できれば全曲がぜひ聴きたいところです。
どこかCD化してくれないでしょうか。
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賢治のモルダウ [宮澤賢治のクラシック]

宮沢賢治の故郷に北上川がある。

東北最大の流域面積をもつこの川は
その高低さがあまりない地形を流れているせいか
どこか悠揚としたたたずまいをもった川でもあります。

賢治はこの川のイメージを
ある曲にもっていました。

それがスメタナの交響詩「モルダウ」
連作交響詩「わが祖国」の第二曲目にあたる曲。

賢治はその「モルダウ」に
故郷北上川を重ねていたようですが、
賢治が当時聴いていたその「モルダウ」のSP、
それが現在CDになっています。

766.jpg

エーリヒ・クライバー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(1928年ベルリンでの録音)[NAXOS 8.110907]

録音は当時としてはまあまあのものですが、
演奏はなかなか面白いものでした。
最初はオーソドックスなものの
途中でメロディをかなり気の赴くままに即興的に歌うようなところと、
流動感のある音楽の運びが交錯しており、
しかもじっくり淡々と聴かせるところがそれらととともに同居しているといった
ちょっと個性的なものでした。
また録音のせいかシンバルや大太鼓といった打楽器があまり聴こえないことも手伝って、
音楽がかなり流れのよい流線型的な造形をもったものとなっていることと、
そのため弦の響きがじつによく聴こえるため
悠揚とした中にも奔流のような流れを感じさせるものとなっています。

ただこれを聴いていて
「ああ、賢治はこういうふうに北上川を想っていたのか。」
と当時賢治の心に映っていた北上川が
じつに美しく、そして生き生きとした表情をもっていたことと、
賢治を囲む自然の美しさがいかに素晴らしかったかを
この演奏を聴いて追体験させられたような気がしたものでした。

そしてこの演奏の最後がかなり喜々とした音楽となり
まるで音楽がしぶきを上げて跳ね上がっているような部分を聴くと、
さらにそれらを強く感じたものでした。

オーケストラは弦が独特のポルタメントをかけたり
アンサンブルに現代的な機能性と無縁だったりという部分で
ちょっと今の感覚からすると古い感じがするかもしれませんが、
これもまた当時のドイツのオーケストラのスメタナの演奏記録という意味で
貴重なものという気がします。

他に入っている曲目においてもなかなかユニークかつ聴き応えのある演奏が
(ドヴォルザーク「新世界より」、「謝肉祭」、「スケルツォ・カプリチオーソ」他)
古い録音の中にも展開されているこのCD。

賢治のモルダウを聴くだけでなく、
当時のドイツのオケによるボヘミアものの演奏、
そして若き日の名指揮者エーリヒ・クライバーの姿を知る上でも、
じつに貴重かつ味わいのあるものという気がします。
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宮沢賢治の火の鳥 [宮澤賢治のクラシック]

宮沢賢治の持っていたクラシックのレコード目録の中に
ストラヴィンスキーの「火の鳥」があったのには正直驚きだった。

持っていたのはオスカー・フリートが1928年に
フルトヴェングラー時代のベルリンフィルを指揮して録音した
1919年版の組曲によるものと思われるので
この版が完成してから9年しかたたないうちに録音された
ある意味当時としてはピッカピカの録音ということなのだろう。

それを賢治が持っていたのだからたいしたものだ。
ただストラヴィンスキーはこの録音当時47歳。
賢治の14歳年上だったが
賢治の持っていたクラシックの作曲家としては
けっこう年齢的に近いものがあり
そういうところから親近感を感じていたかもしれない。
そんな賢治がもっていた「火の鳥」の演奏が最近CDになっているのを知り購入した。


(ARB153)

録音のせいもあるのか
さすがにそれほどの迫力は感じられないし
当時最高といわれたベルリンフィルをもってしても
やはり当時はまだまだこの曲は手強い曲だったのではないかと
そう感じさせられる瞬間もあった。

たださっぱりとした演奏ではあるものの
雰囲気の作り方がななかなかうまく
緊張感の持たせ方や
「王女たちのロンド」「子守歌」などの歌わせ方などに
けっこう聴かせ上手なかんじがした演奏だった。
また終曲で通常には無い箇所でシンバルが入っていたりと
ちょっとユニークなところがあった。
これが指揮者によるものかそれともなにかまた版があるのかは
自分の勉強不足でそのあたりはわからないが
当時の再生環境からいうと
案外これは効果的なものだったようにも感じられた。

演奏時間は17分22秒。

現在はコンサートの曲目としてもスタンダードなものとなったこの組曲。
はたして賢治はそこにどのようなものを当時感じていのでしょうか。
素朴な土俗的響きに惹かれたところもあるでしょうが
果たしてそれだけだったのか。
例えばあの「魔王カスチェイの凶悪な踊り 」など
賢治の五感にどのようにうったえてきたのか。
じつに興味深いものがあります。

因みに自分はこの曲が
「風の又三郎」にちょっと影響を与えているのでは?
と考えたりしています。
そのあたりについてはまたの機会がありましたらということで。


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「宮沢賢治の聴いたクラシック」というCDを聴きたい! [宮澤賢治のクラシック]

「宮沢賢治の聴いたクラシック」

もちろんこういうタイトルのCDは現存していないし
過去にも存在していない。

だいたい賢治がらみのクラシックCDというのを
自分は見聞した記憶がない。

1996年賢治生誕百年の年にも
ついにそのてのCDは発売されなかったし
その後もそういう話は聞いていない。

賢治とクラシックというのは
かなり深いところで関わっているものがあり
逆にそれが作り手を尻込みさせているのかもしれない。

だが賢治の作品を心から慕う方たちにとって
やはりひとつはこういう企画のCDがほしいところだ。

ここ数年じつはいくつかの会社で
過去のSP盤のCD化がかなり活発に行われるようになっており
LP時代よりもSP演奏が大量に復刻されているのではないかというくらい
よく店頭でみかけるようになった。

その流れをみると
賢治が聴いていたオリジナルのSP演奏をまとめて
それをCD化することも決して無謀ではない
むしろあって当然という気が最近してきた。

ハンス・プフィッツナー指揮のベートーヴェンの交響曲第6番「田園」
作曲者Rシュトラウス自身の指揮による「死と変容」
オスカー・フリート指揮のストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」
エーケリヒ・クライバー指揮のスメタナのモルダウ

さらには録音は古いが名演とよばれている
1924年録音のクレンペラー指揮ベルリン国立歌劇場によるシューベルトの未完成

そして
アルヴェール・ヴォルフ指揮のフランス音楽や
シュナーベルのベートーヴェン、パデレフスキーのショパン
ハーティ指揮の新世界、フルトヴェングラー指揮の1926年録音の運命
バスターナックや二キシュの運命
アルバート・コーツのベートーヴェンの交響曲第7番等々

これらの音楽を一同に集めることにより
賢治の聴いた音楽を追体験し
そしてその源の一端を垣間見ようという企画は
決して単なる興味本位という以上の価値があると思うのだかどうだろう。

それが無理ならそれらの演奏は違うものの曲だけでも
賢治のその時代に沿って聴いていくというのも
また違った意味で有意義な感があるのではと思う。

とにかく自分が生きているうちに
「宮沢賢治の聴いたクラシック」
というCDをぜひ聴きたい。

なんとかその夢が叶えられないものだろうか。


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賢治がもし天寿を全うしたら [宮澤賢治のクラシック]

宮沢賢治がもし天寿を全うしたら
いったいその後どういう音楽を聴き
そして愛好したのだろうかという
そんなことをちょっと考えてみた。

賢治は1933年(昭和8年)に亡くなった。
現・天皇陛下が御生れになった明るい話題があった半面
日本の国際連盟脱退、小林多喜二が特高による拷問で死亡
そしてゴー・ストップ事件の発生と
次第に戦争に向かう芽のようなものがではじめた年でもあった。

賢治が天寿を全うした場合
いくつかまでを天寿というかという問題はあるが
弟の宮沢清六氏が97歳までご存命だったので
同じ年齢までを賢治の天寿と考えたら
1994年平成6年までと考えてもいいかもしれないが
このへんは曖昧にしておきたいと思う。

ただいずれにせよ賢治はその後激動の時代を体験することとなる。

く太平洋戦争の開戦、盛岡の空襲、原爆投下、日本敗戦と戦後処理
そしてその後におきる激動の世界情勢と数々の事件がそれで
それらはおそらくその後の賢治の作品に大きな影をおとすことになると思われるし、
当然聴く音楽にも変化が起きていくとおもわれる。

ここではそれも多少考慮して書いてみたいと思う。

賢治の愛聴していた音楽については
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2007-08-28
にすでに書きましたが
1930年代の後半から現在でも聴かれる多くの名盤が登場してくるようになる。

賢治の私淑したベートーヴェンに関しては
交響曲全集をワインガルトナー
ピアノ協奏曲全集とピアノソナタ全集を含むピアノの曲をシュナーベル
ヴァイオリンソナタ全集をクライスラー
チェロソナタ全集をカザルス

という具合に続々と録音されていく。
さらに戦後は録音技術のUPやLPの登場から
一時間を越える大交響曲の録音や宗教音楽
そして歌劇の全曲録音が登場
さらにはステレオ録音という画期的なものが登場してからは
ブルックナーやマーラーの録音さらには全集までも登場する。

そして1970年のベートーヴェン生誕二百年や
1977年のベートーヴェン没後百五十年では
それらが録音だけでなく演奏会にもいろいろと波及してくる。

演奏会については戦後首都圏だけでなく
地方にも次々と設立された交響楽団
さらに海外からの来日演奏者の増大も大きかった。
もちろん戦前にも大家の来日はあったが
その質量とも戦後は圧倒的なものがあった。

世相だけでなく音楽界も戦後はたいへんな激動期となるのだが
当然そうなると放送や演奏会そしてレコードの面で
賢治の接する音楽の量は膨大に膨れ上がることとなる。

シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス
ワーグナー、ブルックナー、マーラー、Rシュトラウス
そして
シベリウス、グリーグ、ラフマニノフ、と続き
ヤナーチェク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、コダーイ、バルトークと
このあたりまで賢治の聴く音楽の範囲が広がることは予想できるし、
場合によってはイギリス音楽にも入っていった可能性も高い。

また聴いていた作曲家でも
スメタナの「わが祖国」全曲、ドヴォルザークやチャイコフスキーの交響曲全曲も
賢治の愛聴曲となっていったように思われます。

特にドヴォルザークやスメタナはもちろん、それにシベリウスやグリーグ
そしてディーリアスやヴォーン=ウィリアムスなどのイギリス音楽は
賢治にとって生涯大きな影響を与えたのではないかという気がします。
また
ブルックナーの交響曲にどこまでベートーヴェンの影をみるかによっては
賢治にとってこの作曲家もまた特別の存在になる可能性もあるように感じます。

マーラーはその死生観に賢治が共感するか拒絶するかによって
微妙な関係となっていきそうですが
このあたりは妹トシとのそれが大きく関わってくるため
このある意味自分の過去を抉りかねない音楽を奏でる作曲家には
単純に心を開けない部分があるかもしれません。

そんな賢治にとって
自分はシベリウスのタピオラや交響曲第6番もそうですか
ヴォーン=ウィリアムスの交響曲第3番、第5番そして「野の花」
ディーリアスの「アパラチア」や「北国のスケッチ」「高い丘の歌」「海流」に接したとき
はたしてどのような感銘と影響を受けたかがとても気になっています。

これらの曲はドヴォルザークやスメタナとはまた違った意味で
その自然描写の感覚や「祈り」の姿勢
さらにその大気というか風に対する感覚というものに
賢治の感性のベース部分と微妙に関わっている部分があるように感じられるからです。

とにかくそんなことを感じながらたまにそれらの曲を聴くと
賢治についてまたいろいろと考えさせられてしまうものがありますが
これらは空想妄想の範囲の話しということでこんなところで〆させていたきます。

それにしても賢治が天寿を全うしたらほんとうにどこまで音楽を吸収していったのでしょうか。
そしてそれは作品にさらにどう影響を与えていったのか。

因みに1955年(昭和30年)に仙台で
海外から初めて来日した交響楽団でもある
シンフォニー・オブ・ジ・エアが公演を行いました。

5月18日:仙台市公会堂(指揮:ソーア・ジョンソン)
モーツァルト/魔笛、序曲
ベートーヴェン/交響曲第7番
ドビュッシー/夜想曲、雲、祭
ガーシュウイン/ラプソディー・イン・ブルー(P/ジョセフ・カーン)
ボロディン/イーゴリ公、だったん人の踊り

また四年後の1959年(昭和34年)には
チェコの名門チェコフィルハーモニーが来日し以下の公演を行いました。
10月27日:仙台市公会堂
スメタナ/モルダウ
シューベルト/交響曲第7番「未完成」(以上指揮/ラディスラフ・スロヴァーク)
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ヤン・パネンカ)
ドヴォルザーク/交響曲第9番(以上指揮/カレル・アンチェル)

いい曲目です。賢治が健在だったらさぞ喜んで聴きに行ったことでしょう。


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宮沢賢治の新世界交響曲 [宮澤賢治のクラシック]

宮沢賢治の愛聴したベートーヴェンの田園交響曲というと
以前も書きました
プフィッツナー指揮によるレコードですが
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2005-10-26

「銀河鉄道の夜」に登場する「新世界交響曲」にも
そのイメージとなった演奏があるようです。

それが1924年に録音されたハミルト・ハーティの指揮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3
(ハミルト・ハーティ(Wikipedia))
ハレ管弦楽団の演奏による
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」といわれています。

だが残念なことにこの演奏自分は未聴でなんともいいようがない。
録音が1925年に出現したアコースティック録音以前のものなので
音質は古色蒼然といったものだったのではないかと予想できるのですが…。

そこでこの演奏に最も近いのではないかという演奏をひとつ紹介したいと思います。
それはこの1924年と同じ組み合わせによる
ハーティ指揮ハレ管弦楽団による1927年録音の「新世界より」です。

(CD HLT 8000)

これは1924年にアコースティック録音で録音した同曲を
翌年開発された格段に優れた電機録音によって再録音したとおもわれるもので
1929年のプフィッナーの田園同様
アコースティック録音より格段に優れた音質となっています。

演奏は1924年のそれを聴いていないのでなんともいいようがないのですが
三年しか録音が違わないことを考えると
おそらくこの1927年盤は1924年のそれと音質以外
演奏的には大差は無いのではという気がします。

ただ録音に制約が少なくなった分
一度に録音できる時間制約はあいかわらずあったものの
より大胆な解釈になった可能性はあるかもしれません。

ところで演奏ですが演奏時間は
7:36,10:44,5:46,9:53
と比較的早めのテンポですが
かなり緩急の付け方が頻繁かつ大胆で
しかもティンパニーや低音弦が随所に強調された演奏になっており
オケは多少粗いものの
なかなか個性的かつ力強い演奏となっています。

有名な第二楽章は意外なほど淡々としており
力強く劇的ではあるもののそれほどロマンティックではなく
むしろ素朴な感じがしたものでした。
ただメロディの歌いこみなどはなかなか聴かせるものがあり
淡々とした中にも心からの歌が満ち溢れているような詩情を湛えたものとなっていました。
これを聴くと賢治がこの曲に歌詞をつけ
「種山ケ原」という曲をつくったというのもうなづける気がしたものでした。

ただもちろんこれはこの演奏が三年前の録音と同じという上での話しでして
あくまでも仮の上の話しということでご了承ください。

尚一説にはこの1927年の演奏こそじつは賢治が聴いた新世界そのものであるという
そういう説もあるようです。
ただ賢治の「種山ケ原」の歌詞をつくった年を考えるとどうなのでしょう。
このとき聴いた新世界がハーティのものでなければそれも有りなのでしょうが
それはそれでまた新たな疑問がわいてくるものがあります。

とにかく賢治が愛した新世界交響曲、
そしてその元となったハーティ指揮ハレ管弦楽団の演奏。
じっさい聴いていた演奏とは多少違うと思われますが
その一端を垣間見れる演奏として一応ここにご紹介しておきたいと思います。

ただこのCD現在廃盤とのこと、
たいへん残念ですが、ひょっとすると中古やどこかの店頭にまだあるかもしれません。


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宮沢賢治と伊福部昭 (ストラヴィンスキーと鹿踊り) [宮澤賢治のクラシック]

宮沢賢治と伊福部昭というタイトルですが
正直この二人にはほとんど共通項がない。(以下敬称略)

伊福部がうまれたとき賢治は18歳
そして賢治が亡くなったとき伊福部はまだ19歳だった。
伊福部は北海道、賢治は東北ということで地域的にも接点はなく
伊福部が東北に行ったり賢治が北海道に行ったということはあったが
賢治が亡くなったとき伊福部はまだピアノ組曲他数曲しか作曲しておらず
しかもまだそれを中央に発表などしていなかったため
その名前をいくらクラシックに対して造詣が深かった賢治とはいえ
知る由もなかったのは当然といえば当然だろう。

だがこの二人の数少ない接点のひとつにストラヴィスキーがある。

伊福部が少年時代ストラヴィンスキーの「春の祭典」から衝撃を受けたことは有名だが
賢治もストラヴィンスキーの「火の鳥」を愛聴していたということ。

ストラヴィンスキーのこの両作はともにロシアの民謡を素材にした土臭い旋律と
大胆とも衝撃的ともいえるリズムの使い方がある。
ただメロディにおいては火の鳥の方
そしてリズムにおいては春の祭典の方がよりイメージとして残る部分が多く
賢治と伊福部がストラヴィンスキーの三大バレエにおいて
各々がそれぞれの曲に強くひかれたのは
その作風からもじつに興味がひかれるものがある。

そしてもうひとつは鹿踊り。

賢治はこの鹿踊りを題材にして「鹿踊りのはじまり」を書いており
伊福部も鹿踊りを元にした音楽「日本の太鼓「ジャコモコ・ジャンコ」 」を作曲している。
(KICC-439というこの「ジャコモコ・ジャンコ」を収録したCDには
伊福部の岩手や鹿踊りに対する興味深い発言があります。)

かたや鹿踊りの起源を賢治独特の清澄かつ明晰な幻想豊かに描き
かたや鹿踊りを元にバレエ音楽を書き後にそれを純粋管弦楽として描きと
まるでその内容は違うものの
その伝わる土の香りと人間と自然の営みがどちらにもじつに活き活きと描かれていることなど
たいへん興味深いものがあります。

自分は残念ながらこの鹿踊りを一度もみてはいないのですが
賢治のその作品を読み
そして伊福部のその曲を聴くとまるで以前どこかでそれを見たことがあったような
不思議な錯覚に陥ることがあります。

また元来鹿踊りには旋律らしきものはほとんどないにもかかわらず
賢治はそこから鹿に次々とうたをうたわせ
伊福部はリズムこそ踊りからとったものの旋律はほとんど自ら作曲するという
どちらも自らがリズムからインスピーションを受けて旋律をつくりだすということをしています。

ここに自分はストラヴィンスキーに惹かれた二人の姿をみたおもいがし
しかも賢治はより旋律を伊福部はよリズムを強調するように
鹿踊りを自らの中で再構築していったように感じられ
じつにこの二人の嗜好性を強く感じた気がしたものでした。

因みに伊福部のジャコモコ・ジャンコの意味は
このときみた鶴羽衣の鹿踊りをみたとき
そのリズムを覚えるために口ずさんだ言葉ということです。

ところで鹿踊りはじっさい「鹿躍」と書くらしい。
ただ「踊り」と「躍り」では意味が多少違う。
踊るは踊りというから舞踊で音楽等にあわせて踊るというところからくるのですが
躍りだとそれは跳んだり跳ねたりというどちらかというと本能的な動きからくるもので
賢治も伊福部もともに前者のそれを文字として使っていますが
どちらもその作品に衝動的ともいえる「躍り」の要素が描写されており
二人ともこのあたりをしっかりと捉えているのにもまた共通したものを感じたものでした。

リズム主体のものから旋律を導き出し、しかもそこに躍りの要素もしっかり盛り込む二人
そしてそこにも感じられるストラヴィンスキーの影。

またしてもとりとめがなくなってしまったのでここで〆です。


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