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311から8年が経ちました。 [震災]

毎年3月11日はかならずどこかでお参りしている。

そしてその多くは鎌倉の長谷寺。

ここは震災発生時間に追悼の鐘をつき、
観音様の前で読経をあげている。

今年もまた長谷寺に行った。

じつは自分は311のちょうど一か月前に身内を亡くしている。


311当時は通夜や葬儀をすまし、
これから四十九日の法要などいろいろとこれからのことを、
ちょっとぼんやりというか、
深く考えることができないというか、
まだ多少どこか夢の中のような、
現実をしっかりと受け取っていない時だった。

そんなことを遅い昼休みにぼんやりと考えていた時、
あの地震がやってきた。

あの日のことは、
https://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-03-12
に書いてあるけど、
正直言うと自分なんかはまだお別れが出来た分まだいい。

311の場合は、
それすらできない、
というよりまったく予期しない状況で断たれた方も大勢いるだろう。

それを思うとなんとも言えないものを自分はそこに考えてしまう。

自分が毎年神社仏閣に行き、
そこでその時間に手をあわせるのはそういう部分もあるからだろう。


この日はまったく晴天だった。
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以前はここで追悼式典をしていましたが、
今年はここではやらないようです。

その後長谷寺へ。
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時間が近づくと鐘を鳴らし読経をあげるので、
ぜひ黙祷の後お参りをしてくださいという呼びかけがあった。

ただ今年は英語での呼びかけもあった。
昨年はあっただろうか。

ちょっと記憶にない。

午後二時四十六分。
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鐘の音が鳴ると同時に一斉に多くの方が黙祷。

外国から来た方も手を合わされていました。

その中で観音堂の中から読経が聞こえだした。
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鐘の音と読経の声が静かに響いていきました。
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もう八年なのかまだ八年なのかは自分には分からない。

ただ自分はこれからも311になるたびに、
その時間どこかでこれからも祈り続けることになると思います。

自分の中で311をいつまでも風化させてはいけないという戒めも込めてです。
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静岡県沼津市総合防災訓練(2017)に行く。 [震災]

平成29年度静岡県・南駿地域総合防災訓練に行く。

これは静岡県各地で行われたが、
自分が行ったのは一般が見学できる、
静浦小中一貫校で行われた、
津波避難訓練と緊急物資受け入れ訓練。


静浦小中一貫校は、
自分が沼津~内浦・西浦まで歩く時、
その途中にある学校で、
全行程で沼津からみて四割くらいのところにある、
かなり目立つ建築物だ。

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初めて見た時からそのすぐそばにある、
静浦地区センタ同様津波避難ビルも兼ねているようにみえていた。

今回はそこでの訓練ということで、
ときおりその前を歩いているものとしては、
一度はみておかねばという気かし、
今回見学させてもらった。

もっとも地元以外の一般の人間で、
今回のこれをに参加したのは自分だけだったようにみえた。

まあふつうはそうだろう。


この日は学校の生徒さんも多く参加されていた。

余談ですが、
ここは一貫校なので、
中学生にあたる人たちは
ここでは七年生、八年生、九年生とよばれている。

この日は幅広い学年で参加されていたようです、


午前九時になると近くから放送で、
地震が発生したという訓練の放送が流れる。

このとき自分は上記の写真よりも、
やや校舎に近い所にいた。

この日県と市からも担当の方がいらっしゃっていて、
県の方のしゃがんで上からの落下物に備えて頭をかばうようにという、
そういう指示があった。

ただ正直言うとふつうはそれでいいけど、
これだけ校舎に近いと、
むしろ校舎の中に避難した方がガラス等の落下物を思うと、
まず校舎の中に避難すべきというのが、
実際は正解とおもうけど、
ここは基本姿勢の徹底という事でこういう指示だったのだと思う。


このとき防災無線の指示等で、
地区センターから外に机が搬出され、
受け入れ準備がされていたようだけど、
自分のところからは校舎の陰になっててみえなかった。


このあと全員で津波到来に備えて校舎屋上にいく。
ビルでいうと五階にあたる場所だ。

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校舎にある屋上へ行ける外階段の入口。

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外階段。段差が小さく幅広い年齢層に配慮されている。
とにかくなかなか上りやすい段差と階段で、
五階まで上ったという感じがあまりしなかった。

ただ年齢の高い人にはそれでもなかなかたいへんかも。

屋上。
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見晴らしがとてもよく、
海や街の状況がはっきりと見渡せる。
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ここにライブカメラを海や414、
さらには注意すべき崖のある方向などに向けておくと、
三の浦全体だけでなく駿河湾方面もかなり見渡せるので、
現状を掌握するには最高の場所のひとつという気がする。

できればここにもカメラを備え、
その画像が地区センターだけでなく、
県庁、各市役所、そして気象庁等ににもリアルで配信されると、
ひじょうに大きな力となるような気がする。

それともどこかにもうすでに設置されているのだろうか。


このあとヘリによる救出訓練が、
この屋上で行われた。

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ヘリのピタリと空中で静止するそれに感心。


その後場所を変えて、
自衛隊のトラックから積んできた緊急支援物資を、
地区センターの倉庫まで運ぶ訓練が行われた。

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最初はトラックからセンターの前まで、
そしてそこで個数チェック後、
センター内の倉庫までと、
二度にわたるバケツリレー方式による搬入が行われた。

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地区センター

自分もこれに参加したが、
トラックの大きさからみてそんなり量があるとは思えなかったが、
これが想像以上にあり、
けっこういい運動になりました。

じっさいは余震との戦いにもなるので、
なかなかこううまくはいかないかも。


こうして物資はすべてセンター内にある備蓄倉庫へ。

センター内備蓄倉庫の状況。
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今回はエクアドルからの視察団の方々も来ていました。

エクアドルもここ70年間に、
少なくとも七回の大きな地震に見舞われているので、
いろいろと日本のシステムで、
参考になるものはどんどん取り入れようという、
そういう姿勢が強くあらわれての今回の視察なのだろう。

といったところで一通り終了。

地元の放送局の方も来ていて、
関係者の方や地元の方にインタビューをされていました。


なかなかな密度の濃い訓練でしたが、
ちょっと一部進行がよくわからないところがあり、
一時的に?というところがあった。

たしかに事前に訓練行程表を熟読すればある程度はわかるけど、
このあたりもう少しわかりやすくなったのでは?
という気が少しだけしました。


ただそれ以外は得ることが多く、
とにかくいろいろと参考になる訓練でした。

ひひでこのとき見たり聞いたりしたことで、
少し気になるとろこがあったので、
それだけを最後にここに記しておきたいと思います。



津波避難用の外階段が狭い。
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一斉にここに集中した場合がとても怖い。

以前、津波が来て特定の避難ビルに避難が集中、
このため階段の下の部分で溺死者がでたという、
そういう話をここのブログで伺ったことがある。

それを考えるとちょっとこのあたり怖いものがある。

当日どれだけ迅速かつ冷静に動けるかという、
そういうことに尽きるかもしれないが、
三階や四階に校舎内に行けるドアがあるので、
当日はそこのドアを開放してもらえると、
中から屋上にも行ける階段があるので、
そことうまく併用し、
階段でのそれを多少緩めることができるかもしれません。



山や高台に逃げられる避難路やマウントが、
足の弱い方や車いすの方には無理というお話を聞いた。

たしかにここの階段もそうだし、
また避難路でも、
内浦の弁天島神社の道を挟んで反対側にある、
山側へ行ける避難路などはまるで獣道のようで、
ここを逃げるのはかなりしんどい気がした。

こういうところがけっこう他にもあるとしたら、
この話はとても心配だ。

また獅子浜付近の414号だけでなく、
三の浦の17号でも感じたが、
歩道の幅が狭いということ。

これだと車椅子で、
この二つの道沿いに避難するということはかなり厳しい。

近くにこれらの道とは無縁に、
高台への避難ルートがある場合は、
付き添いの方がいればなんとかなるかもしれないけど、
このあたりはいったいどうなっているんだろうと、
かなり心配になってしまった。

観光者目線でみていた自分としては、
やはりこのあたりへの注意が希薄になっていたことに反省。



津波発生後のライフラインの確保が不透明ということ。

これは現地でも聞かれたけど、
津波発生後の414の状況。

予想では吉田町以南は津波浸水域で、
御用邸以南はさらに浸水域が大きくなるし、
志下以南は明確に津波浸水深が深くなる。

そうなると東海道方面からくる支援物資が、
少なくとも志下あたりで止まる可能性がある。

また来たとしてもどれだけの規模の物資がくるかもわからない。

そうなると一定期間は籠城戦、
それこそ豊臣軍の小田原攻めを、
北条方からみたようなかんじになる覚悟も必要かも。

そのときここにどれだけの人が避難しているのか、
また今回は役所の人や消防の人も大勢いたけど、
沼津市消防本部南消防署静浦分遣所があるとはいえ
当日こんなに潤沢な状況とは思えない。

そのときの対応やシステムはどうするのか。

このあたりもいろいろと課題となると思うが、
今から細かくきっちりと決めるというより、
もっと基本部分だけ大きく方向性を決めるという、
そういうものにした方が、
次々とおきる想定外の出来事に
柔軟に物事に対処できるような気がしたがはたして。



じつはこの裏にあたる場所に、
南部浄化センターがある。

ここも避難ビルに指定されているかなり大きな所だけど、
この浄化センターとこの学校とは、
地震発生以降連動することになるのだろうか。

じつはこの二つの避難ビルを通り過ぎると、
もう淡島の先まで避難ビルはひとつもない。

ここより以南は、
江浦湾においては避難した人は、
みんな避難路を山に向かって各自避難することになる。

それだけにここは、
その周辺の津波否浸水域を含むと、
もっとも大きな拠点になる可能性が高いため、
それを基にした避難計画によって、
この二つを連動させた、
より大規模な避難訓練もいつかは行ってほしいと、
そういう気持ちが強くしました。



内浦の長井崎中学が避難ビルに指定されていないのが不思議。

近くにはヘリの着陸できそうなグランドがあるけど、
何か問題でもあるのだろうか。

津波到来以降港はすべて機能していないと思われるので
空路からの受け入れの可能な場所が、
内浦小学校と西浦小学校との間にないようにみえるのは、
現実問題としてちょっと不安に感じられる。

じっさいのところどうなのだろう…と思っていたら、
ここは津波の指定緊急避難場所と指定避難所になっていた。

ただこのあたりいろいろと複雑に指定があるので、
いまいちわからない。

ここを今度一覧にしようと思う。



静浦にはかなりの長さの堤防がある。

御用邸付近~静浦小中一貫学校くらいまでの間を、
高さ6メートル以上の堤防が続いている。

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ただここに到来する津波予想よりは若干低く、
最終的に最大波は乗り越えてくるだろうが、
乗り越えてきた押し波のかなり多くは、
堤防が破損しないかぎり、
引き波になったときは多少そこでせきとめられ、
比較的長い期間滞留することになると思われる。

これもまた漂流物とともに道の開通を、
長期にわたって妨げる要因になってしまうかもしれない。

ただ先の訓練場所だった一貫校の先でそれは切れているため、
一貫校付近ではあまり津波の引き波が残る事はないと思われるけど
その分波が予想外の動きをするかもしれないのでそこが心配。



最後に夜間にもし地震が起きた時。
照明関係がこのあたりどうなるのか。

深度5以上の地震にみまわれ、
停電等が発生した場合、
地区センターに照明が自動的に入り、
それがまわりへの目安になるとか、
そういものが備わっているのだろうか。

学校が深夜等で開いてなかったとしても、
地区センターへはたどり着けることが可能なので、
そういうものがあるととても助けになると思う。

明治と昭和の三陸地震は、
前者は午後七時半すぎ、
後者は午前二時半と、
どちらも夜の時間帯に発生し、
ともに津波で甚大な被害を生じている。

特に明治は311に近い死者行方不明者を出している。

もし414沿いにある全電柱に非常灯がそなわっていて、
それが地震後の夜間停電時に即点灯するようなシステムがあれば、
それを目印に避難場所へ行く助けになるだろう。

電気の無い夜の道が、
想像以上にたいへんなのは自分も311で経験していますので。


費用や管理的にかなり難しいかもしれないけれど。
あくまでも「心配事」に対する提案のひとつとして、
ここにあげておきたいと思います。

以上です。



余談

バケツリレーによる物資移動。
今になってあちこち身体が痛い。
運動不足を痛感しています。
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地震の予兆 [震災]

今年は311から6年。

そしてこの震災で亡くなられた方たちの、
ちょうど七回忌にあたる。


自分は今でも我ながら悔しいのは、
あのときなんで数日前からの異常に気が付かず、
のほほんとその日その日を暮らしていたかということだ。

じつは
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/earthquake/
というサイトがある。

そこの今から6年前の今の時期のそれをみてみると、
311-13.jpg

という感じで、
別段これといった異常はない。

だが地震発生の50時間前から状況は一変する。

震度5強でM7クラスの地震が東北で起きた。

その後の数字はまるでその後の余震のように見える。

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だけどもしこの時熊本のような例を自分たちが知っていたら、
もう少しなんとかなったかもしれない。

これは異常だと。

または熊本の時、
この例をもっと声高に叫んでいれば、
救えた命もあったかもしれない。

それを思うと今でも「なんであの時と」
悔しいおもいに今でも苛まれる、


そしてこの約50時間後、

311-12.jpg

となる。

確かに最初のそれは見分けられないけど、
その後の動きは今考えるとやはりそこから、
より慎重に警戒をするべきだったのかもしれない。


ただひとつ大きなものが来たからもう来ないというのはダメ。


過去の例からみても、
未知の断層というのは確かに存在しているのだ。

とにかく大きなのが来た、
でも数日中にはさらに大きなものが来るということを、
自分たちはもっと肝に銘じなければならないのかも。

震災は常に想定外の事がかならず起きる。

最悪の上の最悪は常に想定しておくべき。

自分は今でもそれを思いながら、
できるかぎり毎日上記の地震情報をみることにしています。
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内閣府の出している南海トラフと首都直下地震の映像。 [震災]

南海トラフ巨大地震、首都直下地震の被害と対策に係る映像資料

南海トラフ巨大地震編
https://www.youtube.com/watch?v=mP6F4Uupe3U&feature=youtu.be

首都直下地震編
https://www.youtube.com/watch?v=4gaMMnHPUH0&feature=youtu.be

※地震・津波対策のページ
http://www.bousai.go.jp/jishin/index.html


最低でもこのあたりは一度見た方がいいと思う。

正直一秒後に来ても誰も文句いえないと思う状況が、
もうここ数年続いているといっていい。


自分がウォーキングや聖地巡礼するとき、
特に海岸に近いところを歩くとき、
避難経路や対策がどうなってるのか、
いつも気になってしかたがない。

鎌倉、江の島、大洗、三の浦。

自分は地元の人ではないけど、
観光者としてやはり気になったことは、
どんどんここに書いていくし、
役に立ちそうなことも書いていく。


そういえばこの前の福島沖のM7.4の直後、
このサイトの

「鎌倉駅~江の島、津波が来たらどうするか。」
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2012-09-05

がいきなりアクセス数がけた違いに跳ね上がった。

これは熊本地震の時もそうだった。

やはりこのあたりの人たちも心配なのだ。


ただ上での拙サイトのそれは建造物を入れておらず、
しかもUPしたのがかなり以前なので、
正直心配なところもある。

そのため今年(2016)避難場所や避難ビルを中心にまとめた
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-04-23
をUPしたが、
こちらもやはり多少アクセスが増加した。


このようにやはり、
何かあると情報が欲しいというのは
誰にもこれらのことが他人事ではなく、
いつくるかわからない恐怖というところが大なのだろう。

そのために得られる情報は今のうちにという、
そういうことなのだと思う。

自分もこれらの所を歩く時は、
ある程度万が一の覚悟というか心構えをしているので、
とにかく何かあったらこのブログに書き込んでいきたいと思う。

それにしても伊豆半島先端付近での、
津波20メートルというのはどうしたらいいんだろう。

また鎌倉~江の島や静岡三の浦の10メートル強の津波も大問題だ。

震度でいえば大洗も首都直下では震度6クラスという、
311かそれ以上の揺れがくるというのだから、
ほんとこのあたりはいくら事前に、
準備や情報を仕入れていても損なことはないだろう。

とにかくまずは上のリンク先の、
内閣府のそれくらいは一度みなさんに見ていただきたい。

以上です。
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<大川小保存>民間が寄付 企業ふるさと納税活用 [震災]

東日本大震災の津波で児童ら84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の市立大川小の校舎保存に向け、大手建設会社など複数の民間企業が維持費を負担する方針であることが17日、分かった。「企業版ふるさと納税制度」を活用した寄付を石巻市が依頼し、内諾を得た。震災の記憶を伝える遺構の保存へ官民が協力する。
.
 石巻市は同日までに、企業版ふるさと納税による寄付を受け取るのに必要な「地域再生計画」を内閣府に提出した。内閣府は計画に問題がないか点検し、8月に可否を判断する。
.
 大川小校舎の保存を巡っては、住民の間で賛否が分かれていたが、亀山紘市長が今年3月、保存方針を表明した。現状のまま残すため初期費用は不要だが、維持費が年間1100万~1700万円かかると見込まれる。企業側は、この一部を負担する見通しだ。
.
 企業版ふるさと納税は今年4月に新設された。企業は寄付金の約6割が納税額から差し引かれるほか、地域貢献によるイメージアップという利点がある。過度の減税を防ぐため、内閣府が地域再生計画を認定しなければ寄付できない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160618-00000012-khks-soci


地元は保存と廃止で意見が真っ二つ。

個人的にもいろいろと複雑なものを感じるけど、
今はいろいろとあるかもしれないが、
半世紀後にはおそらく遺してよかったと思われると思う。

広島の原爆ドームと同じとは言わないけど、
このような悲劇を二度起こさないためにも、
これでよかったという気がする。


もちろん正しいとか正しくないとか、
そう簡単にいいきれるものではないし、
遺族の方には思い出したくないものを、
延々と見続けなければいけないという痛みと重さがある。

でもこれがもし無くなると、
そこにはほんとうに痕跡がなくなってしまう。

碑をたてればいいというかもしれないけど、
かつての三陸津波の碑が、
それをたてた人の意志がどれだけ311のとき、
多くの人たちに伝わっていたのだろうかと考えるとき、
今はともかく、
将来のことを考えると語り部が亡くなり、
過去の現実が歴史へと風化されてしまっていくことを思うと、
やはりそれに素直に賛同することは自分はできない。

自分は津波にもあってないし、
身内を311ではなくしていないので、
はたしてどこまで発言する権利があるか分からないけど、
今はこれでよかったと思っています。


来年(2017)は311で亡くなられた方の七回忌。

できれば一度被災地をその頃訪ねてみたいと思います。
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大洗の津波発生時の避難場所 [震災]

大洗に久しぶりに好天時に行った。

今回は二つの目的があった。

そのうちのひとつがこの町の津波に対する対策。


311の時、
この町は東北ほどではないにせよ、
やはり津波により少なからぬ被害を被った。

そんなこの町の、
津波発生時の避難場所や避難ビルの現況が気になった。

この町は三方が海と川に囲まれているため、
大きな津波の場合はかなり危険をともなう。

また地震ではなくとも、
台風による豪雨のによって生じる洪水や水害の心配もあり、
じっさい1986年の台風10号では、
やはりかなりの被害をこの町は被っている。


このためこの町の津波発生時の避難場所等がとても気になっていた。

で、今回分かったことは、
ここは鎌倉や藤沢と違い、
比較的近場に海抜20m以上の場所がいろいろとあるため、
地区ごとにどこへ逃げるかが決まっているということ。

そしてそこにビルは無い。

大洗ホテルとか避難ビルかと思ったが、
一応大洗ゴルフ倶楽部が避難場所となっている。

ただ311の時は緊急を要するということで、
このあたりの宿泊施設の中には、
より近い磯前神社に宿泊客を避難させたところもあったらしい。

町にはこのようなものが見かけられた。
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また311時の津波を忘れないためのひとつとしてこういうものがあった。
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上記の消防署にある
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というもの。

また大洗海岸付近ではこういうものをみかけた。
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その裏側である海岸に向いている方の面。
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こういうものは他所にもあった。
因みにこのそばを走ってる108号付近は海抜14m以上ある。

大洗ホテル付近の3m少々とはかなり状況が違い、
もうこのあたりでもOKという感じではあるが、
それでもさらにその上のゴルフ場を避難場所に指定している。

これをみてると、
鎌倉や藤沢よりもかなり津波に対しての対応が厳しいという気がする。

しかも避難所の海抜高度も記している。

これは鎌倉や藤沢がどちらかというとビルに重きを置いているのと違い、
高台がらみということでこうなっているのだろう。

これはじつに分かり易く、
また避難する人の目安にもなっていると思う。

http://www.town.oarai.lg.jp/manage/contents/upload/5382b4a10ca48.pdf
大洗のハザードマップ

それを思うと、
鎌倉や藤沢はビルが避難場所のメインではあるが、
各ビルの立地している場所の海抜高度。

そして海抜15m以上はそのビルの何階以上なのかという、
このあたりのことも各々明記してもらうと、
そのビルの人も対応しやすいし、
逃げる人の行動も多少変わってくると思う。


大洗と鎌倉・藤沢はかなり対照的な地域なので、
すべてが役に立つわけではないかもしれないが、
上記した部分などは、
鎌倉や藤沢にも取り入れてほしいと思っています。


以上です。
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続・鎌倉駅~江の島、津波が来たらどうするか。 [震災]

「鎌倉駅~江の島、津波が来たらどうするか。」

というのを以前2012年にupした。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2012-09-05

それが今年に入ってから急激にアクセス数が増えている、
特に熊本地震以降それが顕著で、
あの「ガルパン劇場版」の雑感よりもアクセス数が多い。

このため自分も何か急にこのことが心配になり、
急遽鎌倉から江の島まで再度これについて、
考えながら歩くことにした。

ただし今回は、
鎌倉市と藤沢市が指定している、
津波緊急避難所の確認をすることにした。

最初が八幡宮から若宮大路の先端、
つまり滑川交差点のあたりから八幡方面を歩くことにした。

このあたりの海岸ら八幡宮までだいたい2キロ。
歩いて25分くらいというところ。

もし100mを20秒前後で走れるようなら、
7分くらいで八幡まで行ける計算になるが、
おそらく地震の後は歩道が避難する人であふれかえるので、
それはもう事実上不可能といっていい。

それでこの交差点から八幡方向に歩きながら、
津波避難ビルと津波来襲時緊急避難空地を探しながら行ってみた。
因みにこの交差点付近は海抜6.1m。

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まず交差点から八幡方向をみると、
道路向うの左側に大きな公園がみえる。

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ここが緊急避難空地のひとつ、
由比ヶ浜地区の鎌倉海浜公園。

ここは入口から中へ向かって地面がかなりかさ上げされていて、
ここのベースと思われるところの高さは8.2mとなっていた。

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そしてその中央部は10mはあろうかという高さになっていた。
だただしこの最頂部はそれほど広くない。

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確かにそこそこの広さもあるので避難所としては最適かもしれないけれど、
鎌倉市は最大14.5mの津波を予想している。

それだとこの高さははたしてどうなんだろう。

確かに8m未満の津波ならなんとかなるかもしれないけれど、
鎌倉市の最大想定だとここはひとたまりもないような気がする。

はたしてここの津波緊急避難空地としての定義というか、
選定理由はどういうものなのだろうか。

自分の見間違えかなあ。

正直東南海地震の時、
自分はここを利用する気にはなれない。

このあと八幡宮に向かって21号を北上する。
ここではほとんど八幡に向かって右側に避難ビルがある。

鎌倉消防署

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しばらく歩いてガソリンスタンドのななめ右側に
由比ヶ浜コーポ

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そしてこのあたりでは最もしっかりとして高さもある
ザ・パークハウス鎌倉若宮大路

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※なぜか写真が消えていたのでここはグーグルの写真をお借りしました。


このあと警察署の先に、
21号の左に第一小学校があり、
(じっさいの小学校はこの左手奥にあります)
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そして右に鎌倉女学院。
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ただ学校は開いている時はいいが、
夜間や休日はちょっと問題があるような気がする。

このあたり非常時は8分以内に開放できるのだろうか。


このもうすこし先に、
下馬交差点を右折し川を渡ってすぐのところにあるのが、
カドキホール。
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このあとじつはしばらく距離があく。

そして雪ノ下教会を挟んで、
手前に鎌倉彫会館、
094.JPG
奥側に鎌倉春秋スクエア。
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とこんな感じで八幡宮まで津波避難ビルが点在している。

だがちょっとじつは不満がある。

それは消防局以外、
学校は確認しなかったけれど、
他のビルにこれが避難ビルだという、
そういう印があまり見当たらなかったということ。

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これのこと。

ひょっとすると自分の見落としかもしれないけれど、
とにかくあったとしても、
ちょっと見つけづらいものがある。

このあたりを正直なんとかしてほしいと思った。

地元の人たちはともかく、
この日も観光客や修学旅行の生徒さんたちが、
じつに大勢鎌倉に来ていた。

はたしてこの人たちにはそれらが容易に分かるのだろうか。

自由行動になったらグループ単位でバラバラになるし、
はたして地図上で理解していても、
目印がこういう状況でわかるのだろうか。

いつかもう一度このあたり確認してみたいと思う。

(後日)

その後確認したら、自分の見落としがけっこうあり、ちゃんと津波避難ビルの目印が貼ってあるところもありました。ただ名前は言いませんが、貼ってはあるものの、木の陰に隠れてて注意しないと分からないというところもあり、やはりちょっと問題かなと思いました。カドキホールなど二か所も貼ってあり、ちょっとビルによってこういう物に対する認識の温度差がけっこうあるようです。


つづいてさっきの滑川交差点から、
今度は海沿いに江の島まで歩いてみた。


さきほどの由比ヶ浜の海浜公園をすぎると、
次は長谷駅近くの斉藤ビルまでじつはない。
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しかも斉藤ビルはそれほど大きくない。

なのでもし長谷駅より北にいたら、
むしろ長谷寺か鎌倉大仏の方向に行く方がいいのかもしれない。

また斉藤ビルよりも力餅屋のそばにいたら、
逆方向の山側の道へ行った方が安全かと。
斉藤ビルは個人的には、
山にも長谷寺にも行けない間に合わないという、
窮余の時の避難所というふうに考えている。

このあとまた海沿いを歩くが、
このあたりはほんとうにビルは何もない。

ここがおそらく最大の危険地帯だろう。

特に車はダメだ。
というよりもうハッキリ言ってしまうが、
八幡宮より南で巨大地震に遭遇したら、
車では絶対逃げられない。

この狭い車線、
常に渋滞が慢性化している道路、
そして三方が山に囲まれてるため、
逃げ道が圧倒的に少ない。

巨大な揺れの後、
間髪入れず大津波警報が発令されたら、
空いているならともかく、
一度でも渋滞にひっかかったら、
迷わず車を捨てることをお勧めする。

しかも海岸沿いの通りは、
海から逃げてくる人がいっせいに渡ってくる。

ゴジラで群衆が逃げるあのような感じでです。

そうしたらもう車は絶対ダメだろう。


話を戻してしばらく歩くと、
江の島方向に向かって右側に三つの避難ビルが続けてみえる。

きしろホーム
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きしろホームの後ろには、
後ろの高台へ逃げられる道がみえている。

鎌倉清和由比
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鎌倉パークホテル
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このあたりはこのあたりでは比較的安全な場所かもしれない。


問題はここから稲村ケ崎までまるで何も無いということ。

特に中間あたりはどちらに逃げるかまようところだろう。

ただこの看板の側なら鎌倉パークの方が多少近いと思われる。
055.JPG

稲村ケ崎に来るとこの山側に向かう道がある。
今回初めてここを歩いてみた。
053.JPG

急な道なのでけっこうきついが、
登るとかなり高いのでここなら安全かもしれない。
052.JPG

ただ後ろが山が迫ってるので、
がけ崩れがとても心配だ。

津波は大丈夫だけどしかし…というところか。


ここをすぎると稲村ケ崎の海浜公園となる。
047.JPG

そしてここから先はもう腰越あたりまでビルは無い。


ただし高台方向へ抜けられる道がいつもあるので、
それを通ってという感じになる。


稲村ケ崎駅方面
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鎌倉プリンスホテル方面
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七里ヶ浜駅方面
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県立鎌倉高校方面
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この道だけ道側から海方面という、
逆に撮影していますが、
じつはこの日台湾からと思われるアニメファンが、
大勢撮影していたため
顔がどうしても写りこむためこうなってしまいました。

それにしても学生服着て撮影している人もいたぞ。
凄いなあ。

ところでこの道をすぎると、
またしばらくそういうものがなく、
次は小動交差点を右折して萬福寺。
026.JPG

直進してやや道を登り
小動神社に行くということになる
022.JPG

ここをすぎるとあとは藤沢市との境界近くの、
サンクス鎌倉腰越海岸店の、
江の島に向かってやや右斜め前方にあるマンション、
江の島ビーチハウスということになる。
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このあと藤沢に入る。

ここで状況は一変する。

おそらく市の条例が違うのでこうなっているのかもしれないけど、
突然背の高いビルが、
かなり間断無く片瀬江ノ島駅まで林立している。
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もう眼前にあるほとんどのビルがじつは避難ビルとなっている。
全体が撮影しにくかったのでその入り口付近を撮影しておきました。

ホテル夕彩
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ホテルサンクルー
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鵠生園
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シルフィードタワー
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この間にひとつかなり大きなビルがあるが、
これは避難ビルに指定されていない。
何かこみいった事情でもあるのだろうか。

ルックハイツ江の島。
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江ノ島サマリーナ
※写真がなくてすみません。

江の島ビュータワー
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片瀬江ノ島駅方面からみた江の島ビュータワー
005.jpg

因みにこちらは鎌倉と違いビルの入り口のハッキリわかるところに、
津波避難ビルの印が貼られている。
010.JPG

この違いはいったいどこにあるのだろう。

尚、藤沢市の他の避難ビル等の一覧は以下のリンク先をご覧ください。
http://bosaiinfo.city.fujisawa.kanagawa.jp/index.php?module=bosai_shisetsu&gid=10005

鎌倉はこちらです。
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sougoubousai/260821open-data2.html

以上こんな感じでした。

まだザックリとしかみていないので、
8分云々ということはあまりみていませんが、
鎌倉と藤沢にこの問題に対する姿勢の違いが、
何となくですが感じられました。

これは町全体に観光客が散ってる鎌倉と、
江の島と海水浴場に集中している藤沢の違いなのかもしれませんし、
地形的な問題もあると思われます。

ただ鎌倉には、
分かり易いところはともかく、
やはり避難ビルすべてに、
より分かり易い所に避難ビルのマークを貼ってほしいと思いました。

またこれは藤沢市にもお願いなのですが、
それら津波避難ビルの印、
できれば海岸線のものだけでも蛍光にしてくれるか、
非常灯のそばに貼ってくれると、
夜中迷うことなく観光客も移動できると思います。

熊本地震でこのあたり、
特に最近強く感じています。


以上です。
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ちょっと気になる地震があった。 [震災]

1日昼前、三重県沖を震源とする地震があり、和歌山県で震度4の揺れを観測しました。この地震で多少の潮位の変化があるかもしれませんが津波の被害の心配はありません。


気象庁によりますと、1日午前11時39分ごろ、三重県南東沖を震源とするマグニチュード6.1の地震がありました。
この地震で、和歌山県古座川町で震度4の揺れを観測したほか、震度3の揺れを岐阜県と静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、奈良県、和歌山県の各地で観測しました。また、近畿と東海、北陸、四国、中国地方の広い範囲で震度2や1の揺れを観測しました。
気象庁によりますと、この地震で多少の潮位の変化があるかもしれませんが、津波の被害の心配はないということです。気象庁の観測によりますと、震源地は三重県南東沖で震源の深さは10キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.1と推定されています。

専門家「12年前にも大きな地震 注意を」

地震のメカニズムに詳しい東京大学地震研究所の古村孝志教授は「今回の地震は陸側のプレートに海側のプレートが沈み込んでいるプレート境界で起きた地震とみられる。この付近では12年前の平成16年9月にも大きな地震が起きるなど、これまでも地震活動が比較的活発な地域だ。また、今回の地震の震源は72年前に発生した昭和の東南海地震の震源域よりはやや南側で、南海トラフで想定される巨大地震と直接関係するかは分からない」と指摘しています。
そのうえで「12年前にはマグニチュード6から7前後の比較的規模の大きな地震が相次いで発生した。今後もしばらくは強い揺れを伴う地震が起きるおそれもある。地震の規模が大きくなると津波を伴う可能性もあるので注意してほしい」と話しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160401/k10010464331000.html


この地震、けっこう関西では揺れたらしい。

ちょっと震源域が心配なのでいろいろと検索していたら次のようなものがあった。



◎三重県沖地震は南海トラフ巨大地震の前兆!?

ミヤネ屋に出演した地震学者で京都大学名誉教授の梅田康弘氏の見解を紹介しよう。

今回の地震は南海トラフ地震の想定範囲内で発生した地震であり、その震源はユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界であった。

梅田氏は南海トラフ地震の想定範囲内が震源であり、かつ発生のメカニズムがほぼ同じであることを危惧しているという。

つまり、この三重県沖地震が南海トラフ巨大地震の前兆である可能性があるのだ。

さらに今回の地震発生のメカニズムが南海トラフ巨大地震とまったく同じため、南海トラフ巨大地震の発生を促進してしまう可能性があると、梅田教授は指摘する。

「十分に注意しなければならないし、備えなければいけないということですね?」

「そういうことです」

南海トラフ地震が来ると決まったわけではないが、十分に備えておく必要があるだろう。

http://soyokazesokuhou.com/nankaitorafu/



これをみたときちょっと気になるデータを思い出した。

それは311のあった前年、

2010年8月10日(火) 14時50分 三陸沖 M6.2 震度4 深さ約10km
震源、北緯 39.3度 東経 143.5度


という地震があった。

http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20100810145000.html?xlarge_image=1
http://jishin.go.jp/main/chousa/10sep/p06.htm


311の起きるほぼ7ヶ月前に起きたこの地震。

当時はぜんぜん意識していなかったし、

「けっこう大きいなあ」

というそれしかなかった。


だが311の震源がそれほど遠くなく、
しかも深さがほぼ同じということで、
ちょっと後々気になるものとなった。

その後翌年の2月半ばすぎに三陸沖でM5級の地震が多発。
一度鎮静化した後

翌9日の、

2011年3月9日(水) 11時45分 三陸沖 M7.3 震度5弱

を境にまた急速に地震が増えだし、
311の朝を最後にピタリと止まる。

そして14:46を迎えることとなった。


それを思うと、
今回のそれがこのときの8月の地震と、
どこか重なってみえてしかたがない。


ただ12年前はその後何事もなく鎮静化してるので、
これが前震とはもちろん言えないし気象庁も否定している。


なのでこのあたりで、
もし今後急速に地震が増えだしたら、
これはかなり注意した方が賢明ということになるだろう。


関東では

「今後30年間に首都直下型地震の確率70%」

というかなり危ない数字が最近出たが、
これと同じで、
そろそろ意識した方がいいですよという、
これもまた自然による注意喚起なのかも。


311の時は半ば不意打ちだったが、
東南海は現在もかなりの観測体制が敷かれている。


あのときのような不意打ちは無いと思うが、
絶対ということは無いので、
この機会にぜひ各家庭の非常時体制を確認すべきと思う。


因みにうちは三日分の非常食(カンパン中心)と、
一週間分の飲料水は常備している。

これでももちろん充分ではないけど、
やってないよりはマシというところ。


東南海や首都直下型。

津波だけでなく、
建物の倒壊、
液状化現象、
土砂崩れ、
広域火災やそれによる火災旋風等、
とにかくいろいろなことが起きるでしょう。


とにかく今後の有感地震にも要注意し、
非常時への備えや心がまえ等、
いろいろと平時の今のうちに準備しておいてください。
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311から5年が経ちました。 [震災]

311から5年が経った。

あっという間という気がするけど、
まだまだ住んでいた町に帰れない万単位の方々がいることを思うと、
とてもとても復興が順調に進んでるとは思えない。

そんな少し暗い気持ちでこの日寒い鎌倉にいた。

ほんとうは横浜のパンフェス(ガルパン関係ではない)に行く予定だったけど、
こういう気持ちでは行く気も萎えてしまう。

北鎌倉を降りて円覚寺へ。
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このあと円覚寺の僧の方を見かけた。

鎌倉方面に行かれるようだったのですがこれが速い。

自分し行く方角が同じだったので、
後をついていくような感じになったのですが、
時速6キロ位までピッチを上げてもついていくのがやっとというくらい速い。


その後別の僧の方々と合流したためペースが落ちたけど、
とにかくこれには驚いた。
さすがというかんじだ。

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それにしてもどこへ向かっているのかとても気になり、
ちょっと後をついていった。

すると意外にも教会に入って行かれた。
よくみると。

022.JPG

ということで、
宗派を超えての追悼集会というものだった。

それにしてもこの寒いのに、
裸足で下駄ばきで円覚寺から鎌倉の教会まで歩くとは。

自分ならこれだけでもう熱出してます。
修行とはいえたいへんなことです。

この後自分は長谷寺へ。

山門
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地蔵堂
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観音堂
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仏足石
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経蔵の中にあるものの説明
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輪蔵
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マニ車
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このあと東日本大震災の起きた午後2時46分に、
鐘を鳴らしますので黙祷を願いますというアナウンスがあった。

そういえば二年前もここで黙祷をした。
あのときは好天だった。

鐘楼
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午後2時46分。
長谷寺もそうだけど各寺の鐘も一斉になりだした。

自分もそれをききながら見晴台から海に向かって黙とうをした。
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黙祷が終わりまわりをみたら、
一部の外国からの観光客の方も黙祷をされていた。

日本語のアナウンスしかなかったので、
日本人くらいしかしないだろうと思っていたので、
これには驚いた。

ありがたいことです。

このあと観音堂で、
震災により亡くなった方々への読経が25分ほどあった。

ひじょうに力と張りのある素晴らしいものだった。


外を出ると一時止んでいた雨がまた降りだしていた。


横浜もそこそこ寒かった記憶しているが、
東北は場所によっては雪がちらついていたというくらい、
曇ってそして横浜などよりとにかく寒い日だったと聞いている。

この日の寒さはこの時の東北の寒さを感じさせるのではないかというくらい、
5年前と同じ寒い金曜日ではあるものの、
5年前より遥かに寒くそして冷たい金曜日だ。

こんな中で被災し水にぬれた方が多くいたかと思うと、
本当にわかってはいたことだけど愕然としてしまう。


自分にとって、
震災が5年前という感覚が一気に無くなってしまうような、
そんな寒い一日となりました。

震災で亡くなられた方々にあらためて哀悼の意を表したいと思います。


尚、来年(2017)はこの日亡くなられた方々の七回忌となります。
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「緊急避難所」と「避難所」は違う! [震災]

なさけないけど初めて知った。

「緊急避難所」

これは津波や火災等が起き緊急的に一時しのぎで批難する場所。


「避難所」

こちらはそういうことがようやく収まりその後避難しに行く場所。


これはNHKのニュースで放送され、
この部分が徹底されなかったため、
311の津波で亡くなられた方が少なからずいらっしゃったとのこと。

このため数年前から本格的に、
この二点をはっきりと区別するような指導や作業が行われているらしい。



さらに「緊急避難所」はその目的が各所ごとに違い、
津波用もあれば火災用もあるというので、
このあたりを事前に掌握していないとまずいという。

それとよくある

「広域避難場所」

は、多くの場合、

「大地震により発生した火災が多発し延焼拡大した場合、その輻射熱や煙から市民の生命・身体を守るために避難する場所」

ということなので、
津波と兼用されてるかどうかは、
やはり事前に知っておく必要があるだろう。

因みに上の「 」内の文面は横浜市のそれ。


ひとつ例をあげると鎌倉市は、


避難所(ミニ防災拠点)
(避難者収容施設)


津波来襲時の避難建物・避難空地
(津波の発生が予想され、緊急的な避難が必要となったときの一時的な避難施設。)


広域避難場所
(火災の延焼拡大による炎や煙などから一時的に身を守る空地)

とやはり三つに分かれている。

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sougoubousai/260821open-data2.html


因みに津波来襲時の避難建物・避難空地は下記のようになっている。

tt-k.jpg
※クリックし別画面に出たあとさらにクリックすると大きくなります。


このように目的用途によって各種避難所を使わないと、
避難所が避難所として機能しないこともある危険性があるので、
このあたりほんとに充分注意したいところです。


特に「避難所」は鎌倉市のそれをみると、

「状況により開設」

となっているので、
被害によっては無理な場所がでてくることを前提として決めてるので、
いきなり「避難所」に逃げるというのはやはりいろいろとあるようだ。


ただ広域火災のための「広域避難場所」でも、
「源氏山公園」のような高台だと津波にも大丈夫と思われるので、
その点については津波緊急避難としてもOKかもしれない。
(因みに源氏山頂上は海抜93m)


ちょっとめんどくさいかもしれないですが、
地震前にひとつ調べておくことをお勧めしたい。

このあたりはネットでもいろいろと調べられます。


備えあれば憂いなしです。
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