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沼尻竜典指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団を聴く(4/20) [演奏会いろいろ]

沼尻.jpg

2024年4月20日(土)

横浜みなとみらいホール 14:00開演 

曲目:
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版)

コンサートマスター / 石田泰尚


今年はブルックナー生誕200年ということで、とにかくあちこちでブルックナーが演奏される。

これは1974年の生誕150年の時には考えられないことで、この半世紀の間にブルックナーが日本のクラシックファンにしっかり根付いたということなのだろう。

というわけでいろいろな曲が演奏されているけど、不思議な事に関東地区では交響曲第5番がほとんど演奏されないという、ちょっと意外なことになっている。今回の沼尻さんと神奈川フィルの5番はそんな間隙を突いたかたちにもなったせいか、けっこういい入りとなっていた。

開演前に沼尻さんのプレトークがあった。そしてここでも高関さんの名前があがってきた。先月の下野さんでもそうだったけど、日本の指揮者にとって、ブルックナーをやるときは高関さんの存在っていったいどれだけのものなのでしょう。などと思っているうちに開演。


第一楽章

じつに淡々としたテンポではじまった。クナッパーツブッシュがウィーンフィルを指揮して録音した大昔の演奏とほぼ同じといえば、だいたいどういうテンポだったかお分かりかと。

ただ金管のコラールが出て来るところではどっしりと構えて響かせ、運動的になるところでは小気味よく音楽を流動させという具合に、その演奏は泰然自若というより緩急自在といった方がいいかもしれない。

そういう意味ではフルトヴェングラー的というかんじかもしれないけど、あれほど熱狂的なアッチェランドを疾風怒濤のごとくかけまくるといったことはしていない。ただ緩急自在に音楽を動かし、それによって表情付けや風景の変化を描いていくせいか、ひじょうに視覚的というか、劇場的ともいえる感じのする演奏で、細かい表情をつけながらの主題の現れ方の明確な表現のしかたのせいなど、何かワーグナーの楽劇のライトモティーフを聴いているかのような気さえしてしまった。

また沼尻さんの音のつくりがとにかく丁寧。そのせいかブルックナーの持つ素朴さだけでなく、彼の住んでいたウィーンという都会のもつ洗練された雰囲気までも映し出していたようにも感じられました。これは今回のブルックナーのひとつの特長でもありました。

第二楽章もほぼこのラインに沿った演奏で、弦のとても厚みのある美しい響きも、ブルックナーらしい素朴な宗教感だけでなく、目の覚めるような写実的ともいえる印象も強く、このためこれまたワーグナーのオペラの一場面を見ているかのような趣のあるものになっていました。

もっともそこには官能的とか、かつての飯守さんのようなタッチの強い厳しいものとは違い、もっと自然体かつクリアなものがあり、そういう意味ではあまりいい例えではないのですが、ワーグナー風であっても、カラヤンやフルトヴェングラーといったものより、テンシュテットやボールトに近いと言った方がいいのかもしれません。

ここまでだいたい40分。かなり正直濃密な時間。

このあとの二つの楽章もほぼこのやり方を踏襲しているのですが、楽章が進むにつれ音楽の起伏と熱量がどんどん上がっているのが感じられ、特に終楽章は弦の動きというか生命感が素晴らしく、ブルックナーがこれを書いてる時、オルガン演奏者としてかなり狂熱的な即興演奏をしていたそれが、この曲にいかに深く刻み込まれているかということを実に強く感じさせられるものがありました。

特にこの日の神奈川フィルの中低音の弦がかなり素晴らしく、コントラバスなどときおりパイプオルガンの足鍵盤を踏み込んでいるかのような響きを随所に聴かせており、これがこの日の演奏により強い説得力を与え、そして前にも書いた奏者としてのイメージを強く感じさせていたのかもしれません。

因みにこの日神奈川フィルの弦は16型。自分がかつてよく聴いていた頃は14型だったので、これもまたうまく作用していたのかもしれません。尚、トランペットとホルンもこの日一人ずつ増員していました。

そして最後のコーダ。とにかくこのときの熱量が異常なほどで、熱狂的ではないにもかかわらずかなり煽情的ともいえるそれが圧倒的なまでに最後堂々と響き渡ったのには本当に驚いてしまいました。

それだけに最後、その余韻のすべてを指揮の沼尻さんやオケの人達にしっかりと味わってほしかったのですが、とても残念なことになってしまいました。

指揮の沼尻さんが指揮台の上で背をこちらに向けながら、両手でそれを制していたため、このフライングの拍手と歓声は一時収まり、その後しばらくして沼尻さんが構えをゆっくり解き、そこであらためて万雷の拍手と相成りました。

ふつうなら指揮者が構えを解く前の拍手歓声はご法度であり、演奏者に対するリスペクトの致命的な欠如であり、恩を仇で返す愚行と断罪されてもいいくらい最低最悪の行為なのですが、とにかくこの日の演奏は最後尋常じゃない熱量と煽情感だったので、演奏者の方には申し訳ないけど、今日に限っては仕方なかったのかなあという気もしています。

とにかく最後ちとあれでしたけど、演奏についていえば沼尻さんの指揮は言う事なしで、それを描き切った神奈川フィルも見事な演奏でこたえた、じつに素晴らしい弩級の名演だったといえるでしょう。もちろんライブにつきもののキズが多少は散見されたものの、あの熱量と情報量の膨大な演奏にとってはじつに些細なことといってもいいと思います。

演奏時間は、楽章間のインターバルを含めて80分を少し切るくらいのものでした。

ところでブルックナーは交響曲を書く時、彼の敬愛するベートーヴェンの書いた交響曲の調を強く意識していたと言います。

今回の5番は変ロ長調。ベートーヴェンでいうと交響曲第4番と同じですが、交響曲以外ではピアノ三重奏曲第7番「大公」、ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」、弦楽四重奏曲第13番とその初稿では終楽章だった「大フーガ」という具合に、各ジャンルにおける重要な大曲が勢ぞろいしています。

特に終楽章で第九を想起させる部分やフーガが使われていることから、「大フーガ」はもちろん「ハンマークラヴィーア」でも終楽章でフーガが使われていること、そして゜この作品の作曲時期が、ベートーヴェン没後50年(1877)に近しい年であったことなどから、個人的にはこの曲が天国にいるベートーヴェンに捧げるために書いた曲と思っているのですが、この日の演奏は、もしワーグナーが彼もまた敬愛していたベートーヴェンに交響曲を捧げるとしたら、じつはこの交響曲近しいものを書いたのではないかと、前で書いた事も踏まえてこの日の演奏はそんなことも感じさせてくれる演奏でした。

ブルックナーとベートーヴェンだけでなく、そこにワーグナーもまた加えたような、じつに熱量だけでなく情報量も多かったこの日の演奏。できればもう一度聴いてみたかっただけに、別公演が無いのが本当に残念。

ところでこのコンビ、次は5月25日の「昭和のレトロクラシック」を来年無期限長期休館に入る県民ホールでやるとのこと。

今回とはまったく趣向が変わるものの、今回の演奏を聴くと、どんな曲を演奏しても期待大といったところでしょう。

以上で〆
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