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「最近の声優って技術力&マナーが低下してないかい? 」を読んで。 [声優]

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「声優活動よもやま話5 ~最近の声優って技術力が低下してないかい? 2~」
https://orch.blog.so-net.ne.jp/2018-09-13
でもふれたそれの続編を読む。

ここでは前回の積み残した部分が語られた。

内容としては

「声優業界が歌手から声優をつくろうとしていることの弊害」
「キャラと声優の関係」
「別撮りの弊害とそれによるマナーの低下」

というこの三つについて語られている(…ようにみえた)

今回はこの本に対する感想というより、
そこからいろいろ感じたことを書いていきたいと思います。

前回書いた事とダブるかもしれませんがご了承を。


正直、今の声優の現状というのは、
かつての声優とはかなり質が変貌してきている。

特に気になるのは、
かつて声優はキャラに命を吹き込む仕事といわれていたのが、
今はキャラが声優に命を吹き込んでいるように感じられること。

それはかつてより絵も音楽もストーリーも至れり尽くせり状態になったことから、
声優にかつてほど強い個性を必要としない、
むしろキャラのそれを邪魔しない声を要求、
これによりキャラが声優を支配し命を吹き込むような形になったと、
そう自分は感じていた。

そしてそれはあのジブリが声優を排斥していた道と、
極めて近しい道を通っているようにも感じられた。

ジブリの作品は絵や音楽だけで完成されすぎてしまい、
作品とそぐわない個性より「棒」の方がましみたいなところがあり、
それが今のアニメとその点何か妙に重なるところがあるように感じられるのです。

だからといってジブリが「棒」を肯定、
もしくは「棒」でもアニメができるということを広めたわけではないと思います。

もっとも声の技術にあまり長けていないにもかかわらず、
人気や知名度や話題性だけで俳優や歌手をキャスティングする、
劇場版アニメの最近のそれには充分影響を与えているとは思います。


もっともこのあたりはジブリ側も与えられているのかも。



話を戻しますが、
このキャラによって吹き込まれるということは、
じつはそれ以前にもいろいろとあって、
かつては「水野亜美」での久川綾さんや、
「涼宮ハルヒ」の平野綾さんが、
これにより些か難しい問題に直面したことがありました。

だけどそれでもこのお二人はその後もいろいろと作品に出演しましたし、
存在感のある役をいくつも演じているのですが、
今の人たちは下手するとその後があまり続かず、
ある意味「一発屋」に近い状態になりつつあるように感じられます。

この原因は最初単なるギャラやローテみたいな関係なのかと思っていたのですが、
主役を演じたキャラと切り離された瞬間、
その声優にそのときキャラによって吹き込まれた命が、
かなり無効化しされてしまったんじゃないかという気がしてきました。

だけどその理由というのがいまひとつぼんやりしていて、
何かもやもやとした状況だったけど、
この本で指摘された「不適材適所」「不適材不適所」の項で、
かなりその要因のようなものが、
なんとなくだけでみえてきたのはありがたかったです。

命を吹き込むはずが、逆に吹き込まれる。
これがきっかけとなることに関してはいいことなのかもしれませんが、
結局それに支配されるということが、
この作品終了後に顕著になっていく。

ちょっと話がとっちらかって支離滅裂な書き方になってしまいましたが、
けっこうこれは根が深い話のような気がします。

機会がありましたら、
もう少しすっきりと見通しよくこの事について書いてみたいと思います。


続いて。

別撮りシステムが常態化し若手ばかりで収録する事が増え、
ベテランと共演する機会が激減したため、
その技術を勉強したりマナーを教えてもらったりすることが、
ひじょうに機会として薄くなったことが、
「別撮りの弊害とそれによるマナーの低下」
というところで触れられている。

自分はそれもまた、
前述した「不適材適所」「不適材不適所」とあわさって、
この「一発屋」減少に拍車をかけているのではと思っているのですが、
じつはこの別撮りの弊害というものは、
昨秋大洗である方と徹夜でアニメについて語った時にも出て来た内容で、
(あの「大洗の一夜」を記録してたらかなり面白い内容だっただけに、あれを録音しなかったのは本当にいまでも残念)
かなりその方もこの現状を憂いていました。

そしてこの「一発屋」が次々と生まれる事は、
そのまま一人の声優が育つことを阻害しているに他ならず、
自分はそこの部分にかなり不安を抱いています。

つまりひとりひとりが育つ前に次々と日替わり定食のように変えていかれ、
(これについては現在の、特に深夜アニメにおける需要と供給も大きくかかわってはいるのですが)
その人がその後、よりレベルの高い声優になったとしても、
もう出番がまわってこないということがそこにある。

これはじつに忌々しき問題で、
屍累々のようなじつに残酷な様相を呈しているといってもよく、
まるで恵方巻の大量消費大量廃棄と同じようなそれに、
声優業界の将来に悲壮感さえ感じるようになってしまいました。

このあたり「運」とかそういう問題でかたづけるのではなく、
何かもっと根本的なシステム上の、
もしくはこの本で語られている製作者側の意識改革がおきないと、
ほんとうに近い将来、より厳しい状態になってしまうかも。

もっともそれが日常とこの業界に入ってきている人にとっては、
これが当たり前とそう割り切られてるいるかもしれませんが。


ただこれがじつは現在毎年、
大量に養成所から声優の卵が輩出されていることと密に関係しているとすると、
ちょっとこれまた根が深刻なものを感じてしまうのですが、
このあたりはもう推測の部分が多いのでこれ以上は語りません。


ところでこの本には、
「無個性」と演技力の低下に触れられているので、
これについて私感をちょっと書きたいと思います。


確かに昭和や20世紀平成の頃の声優さんと比べると、
個性という意味では全体的にやや薄くなった、
もしくは粒が小さくなったと感じられない事もない。

ただこれはもちろんすべてが演技力の低下とイコールではない。

こういう無個性といわれる人にも演技の上手い方がおり
演技の上手い人はその後ありとあらゆる役を次々と演じ、
それらをみな高いレベルでこなしてしまうため、
ふりかえるとどれもが代表作のひとつになったり、
いい仕事の数々になったりもするし、
それにより忘れがたいキャラも生まれるものの、
あまりにも多種多様に数多く演じられているため、
(しかも多くがワンクール作品)
かえってそれらの各作品によって、
この声優さんの個性や特長となると「はて?」と考えさせられてしまうという、、
そんな状況が続いているといっていいのかもしれません。

もっともそういう上手い声優さんを自分などは無個性とは思わず、
「癖の無いスタイル」「多様なスタイルに対応できる方」「職人」
と思っているのですが、
はたしてそれは多数派の意見なのかどうかは不明。

ただとにかくこういう演技の上手い人たちと上であげた「一発屋」さん、
そしてビジュアル的に人気はあるけど、
声的には上であげた人たちとそれほど大きな差がないアイドル声優さんたちで、
今のアニメ(特に深夜枠)の声の部分はかなり構成されているといってよく、
このためこれらの状況からベテランの声優さんからみると、
「今の若手は無個性」とうつるのでしょう。



しかしこれらを文字に起こすと妙に現在は現在で充分個性的なのではないかなと感じられてしまうのがなんとも。あとそういう無個性といわれる実力のある声優さんに限って、代名詞的作品が初期の出演作品に多いというのが面白い。もっともそこから脱却できたから(脱却するための手段だったともいえますが)、いろいろと多くの役を演じられているのでしょうが。



こういう「無個性」のようなそれは音楽でもかつてじつはあったことで、
1920年代に生まれた指揮者は個性が弱いと言われた事がありました。

じつはそれ以前の世代がひじょうに個性の強い人が多かったため、
それと比較しそのように言われたのですが、
後にそれらの多くは「職人タイプ」、
もしくは「玄人受けするタイプ」とよばれました。

この世代はたいへん堅実な音楽をつくり、
また大器晩成の方が多かったことから、
彼らが円熟期に入った1980年以降、
音楽界はたいへん芳醇な時代を迎えました。

ただそれ以前の個性的なタイプが巨匠と呼称されていたせいか、
彼らより前の世代の多くが亡くなると、
「巨匠の時代は終わった」と、
1920年代の人たちが大輪の花を咲かせていたにもかかわらず、
今の時代の人たちと真摯に向き合う事を拒否したような、
そんな酷い物言いが横行してしまいました。


これらの事をふまえて今の声優をみてみると、
昭和の頃から平成の前半に活躍した声優さんが一線を退いた時、
じゃあかつての音楽でのそれのように、
「巨匠の時代」は終わったみたいな風潮になるでしょうか。


自分はそうはならないと思っています。

というより、
その頃は声優の個性がかつてよりも必要ではない、
むしろベースとなる演技力に比重がかかった時代になると思ってます。

そうなると今はかつてよりは無個性と思われていても、
しっかりとした実力をもった方なら、
これからはむしろその活躍の場がふえ、
そして多くのファンから評価し支えられることにより大輪の花を咲かせ、
これからの業界を支えていく存在になって行くのではないかと、
自分はそう考えています。



本来「個性的」と「無個性」は何がどう基準としてあるのかという、そういうかなり基本的なものの考えや尺度、それに発言者の立ち位置や価値観とそれを育んだ環境と年代、さらにその当時のアニメの技術的にものというのも、これらの問題にはいろいろと大きく影響されてきますが、今回そういう部分はザックリと切り捨てて、漠然とした書き方に終始しました。ちょっとそれまで書き出すととんでもない文量になりそうですので。



この本では最初に
「声優業界は歌手から声優をつくろうとしていることの弊害」
について述べている。

じつはこれについて自分は若干意見を異にしている。

自分はもし歌手の人のそれが駄目だとしたら、
それは歌を歌う時と台詞を喋る時のメリハリというか切り替えが曖昧だから、
そういうことが起きていると考えています。

かつて小林克也さんが、
「日本語で喋る時はそれが英語表記であっても日本語として喋り、英語を喋る時のみ英語の発音で話す」
と話されていたことがあった。

これなんだと思う。


「宿屋のかたき討ち」という作品が落語にあるけど、
これを三代目桂三木助と十代目柳家小三治で聞き比べると、
三木助はまるで小唄を唄うかのような歌曲的ともいえる語りで聞かせるのに対し、
小三治はドラマのような、ある意味オペラ的ともいえる語り口で話を聞かせる。

でもどちらも甲乙つけがたい語りであるし、
しっかりとした感情表現もそこには織り込まれている。

たしかに落語と声優のそれは違うといえばそれまでだけど、
歌心と声優魂はその切り替えや昇華のしかたによっては、
まったく乗り越えられない壁ではないのではないかと、
そういうことからも自分は考えている。

特にアニメのナレーションなんかは、
ある種の歌心が試されるようなものが時としてあるように感じられ、
これまた切り替えというのが要求されるのではないのかなと、
個人的には考えています。

それがうまくできると例え「歌手」側から出発しても、
それこそ演技力が低くない「個性的」な声優さんになれると思うのですが。

因みに自分が強く演技に棒を感じるのは、
以前も言いましだか台詞の方向性が全体的にみえないときと、
自分の話した台詞のフレーズの音の流れとあわない、
もしくは方向性とあわない終わらせ方をしたときです。

もっともこれにはリミッター云々も多少かかわってくる場合もあるので、
そういう部分は自分もこの本に書かれていることに同意です。


最後にマナーのこと。

この本でも指摘されているけど、
ベテランから仕事場で教えられるはずのマナーを、
今の若い人たちがそれを教えてもらう場の欠如。

たしかにこれが現場でマナー低下をよんでいるのかもしれないが、
だとするとこういう人達が中堅を占めた場合、
はたしてそこはどうなってしまうのかという、
ものすごく不安なものもより強く感じてしまう。

単純にフランクにすぎるというのならまだしも、
そういう「自由」さが「無秩序」と履き違えられ、
それが温床となり陰湿な「苛め」みたいなものが横行した場合、
もはやそれを止めることも叱責することすらもできない、
かなり若手にとってしんどい場所になってしまうかもしれない。


そういえば昭和の時代、
かつて日本のプロオケで年代は違うが、
オケ内での酷い苛めの話を自分は直にいくつか聞いたことがある。

それは主に中堅、
特に「勉強不足」の中堅が若手によくしていたという。

それを慣習や洗礼という言葉で表現した人もいたが、
そんなものは悪しき行為以外の何ものでもなく、
それが若くて有能な演奏家を潰していることにきづかないのかと、
正直愕然としたことがあった。


自分は声優の現場には立ち合ったことはなく、
そこではじっさいどうなのかということは分からないので、
これらとの単純な比較はできないけど、
そんなことがこのようなことから将来的に起きたり慣習化したりといった、
そんな世界になってほしくないなと正直思うし、
それは声優業界にとってもまったくためにならない事だと確信しています。

そういう意味でも、
別撮りシステムの常態化というのは、
もちろん養成所でベテランの方からいろいろとそういう面のお話はあるだろうけど、
現場でもそういうものを口述伝承していくという意味において、
多少一考を要すべきものなのかもしれません。

ただ伝統墨守にすぎて旧い慣習を後生大事にとなると、
それはそれでどうなんだろうという気もしますが、
そこの書き出すとこれまた長くなるのでこの話題はここで終了。


かなり脱線したりとっちらかったりしましたがこんなところです。


自分は前にも言いましたが、
声優という仕事は伝統芸能だと思っています。

ただ同じ伝統芸能である落語や狂言も、
時代と共にいろいろと違う分野にも積極的にうってでるようになりました。

なので声優がそういう意味でいろいろな分野に進出し、
そのことにより質的変化をしていくのは当然の流れだろうし、
広い意味で肯定すべき事柄でしょうし、
そこから派生する、
歌って踊れるアイドル声優も自分は「有り」だと思っています。

ただそれもこれも「声優」という本業を疎かにしないという大前提あっての話。

そこが枯れてしまうと、
「歌って踊れる……、ところであんたはいったい何」
となりかねないものがあり、
じゃあ声優じゃなくてもいいじゃないということなって、
結局声優として立ちいかなくなってしまう危険性大。


とにもかくにもよりよい環境が今後築かれなければ、
上であげたいろいろな問題点は、
そのまま延々と悪い意味で引き継がれていくでしょうし、
それはまったく声優にとっていいことではない状況を野放しにすることでしょう。

それはこれを書かれた方も意見は同じなのではないのかなと思いますし、
そういう部分への提言込みでこの本は書かれているのではと、
そう自分は勝手に思い込んでます。


ほんとはこれに椅子取りゲームの話や1950年代の北米オケにおける指揮者選定の話も混ぜたかったのですが、文量もそこそこ多くなったので以上唐突に〆です。

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「最近の声優って技術力が低下してないかい? 2」を読んで。 [声優]

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「声優活動よもやま話5 ~最近の声優って技術力が低下してないかい? 2~」(ま~坊・著)というものを夏コミで購入、ようやく先ほど読ませていただきました。

内容はあまり細かく書けないし、
このシリーズを他にまったく読んでいないので、
そのあたりの繋がりも分からないので迂闊な事は書けないけど、
かなり興味深いものがありました。

特に「棒読み」と「棒演技」についてのそれはとても興味深いものがありました。


自分はどちらかというと音楽畑の方なので、
このあたりの事は専門域ではないけど、
個人的には「無表情」と「平板」のそれに近しいものを感じた。

また音の高低にも考察を拡げていたけど、
自分はそれと同時に、
台詞におけるワンフレーズは飛行機の飛行と同じで、
離陸と着陸、
つまり台詞の入りと出の表情の付け方と方向性で、
その多くが決まってしまうと考えている。

じっさい多くの人たちが、
「この声優下手だなあ」
と感じる理由は台詞の最後の〆方、
もしくは次の台詞への流し方での、
妙なぶっきらぼう感にあるのではないかと思っている。

このあたりはなかなか言うは易し行うは難しでして、
じゃあ台詞にやたら表情をつければいいかというと、
それもまたポイントが見えづらくなってしまう。

あまりいい例ではないかもしれないけど、
よくお店に行くと「ポップ」というものかある。

「大特価、バナナ何本、何百円」

というあれです。

じつはあれにはある法則があって、
特に使う色は三色以内というのが原則と自分は説明を受けたことがある。

理由はそれ以上色を使うと、
何を本当にいいたのかがかえって伝わらなくなるとのこと。

シンプルかつ最も言いたい事をいかにコンパクトに大きくアピールするかが、
とにかく大事なのだという。


台詞もやはり同じで、
沢城みゆきさんや、最近の悠木碧さんも、
よく聞いてると使ってる色や引き出しはあまり多くない。

逆にいうととてつもなく引き出しや色を「基礎」を鍛え実践で蓄えているため、
あとはそれを精査しコントロールして、
シンプルに調合し表情豊かで相手に伝わりやすい台詞が可能という事ができる。

アイドル声優と言われている人で、
長続きしている人をみているとこのあたりに長けた人がとにかく多いし、
またそのことによって
「上手いなあこの人」
と感じさせない共通点も持っている。


ただよくよく考えてみると、
表現力にせよ演技力にせよ、
最後は「受け手」のそれがすべてであって、
そこへの働きかけをどうすれば最善になりうるかという、
そのゴールから逆算していけば、
自ずから声優のそれというのも見えてくると思う。

そういう意味では上のそれらの多くは、
そこへ至るための手段や枝葉であるともいえるので、
声優というのは本当に奥が深いと思う。


作曲家の芥川也寸志さんは、

「感動と言うのは精神の風車を廻すことである。たとえば、私たち音楽を愛する者が楽器の技術は拙くとも練習に練習を重ねて、僕等のつたない精神の風車を廻す練習をし、ある作品を舞台で演奏すると、その廻る風車の風に吹かれて客席のみなさんの精神の風車も徐々に廻り始める。さび付いた風車も、普段から手入れの行き届いた風車も勢い良く廻り始める。これが感動と言うものだと思う。だから自分の風車をまず廻そう」

若い声優さんにはそんな事もちょっと心にとどめておいてほしいかなと。


かなり脱線してしまいましたが、
この本ではまた画一化された需要へのそれと、
現場への苦言も呈されている。


自分は声優は伝統芸能だとずっと言い続けているので、
このあたりの言いたいことはじつによく分かる気がした。


またこの反動でジブリがアニメに声優を使わない一端も垣間見られたけど、
ただジブリのそれは、
同じオペラでもトスカニーニのそれとセラフィンのそれが、
大きくコンセプトが違うように、
同じアニメでももう考えたが根本的に違うから仕方がないだろう。


ただジブリが若手声優さんを「ガヤ」等で積極的に使ってくれていたら、
若い声優さんにとって大きな財産になったような気がする。

そこの部分は未だにとても残念な気がするし、
否定だけでは正直何も生まれないといういい例かもこれはしれない。



ところで今の声優界をみると、
自分はある海外のオペラハウスの関係者の言葉を思い出す。

「今の時代は何でももっている人でなければ通用しない」

これについてある音楽評論家の方が、

○歌手のマルチタレント化。
○「見せる」ことを意識した演出。
○バックステージの可視化。

などがライブビューイング等でかなりクローズアップされたという事を話されたあと、

「声に加えて、容姿、演技力、さらに、ライブビューイングのインタビューにこたえられるような頭の回転の速さなど、現代のスターにはさまざまな要素が要求されるようになった事が大きい」

とのことだった。


ようするに要求されているものが途方もなく広く大きいのだ。

もっともそのため歌唱力や演技力が疎かになっては本末転倒もいいとこなので、
そのあたりももちろんしっかりとやっていくという前提でのこれは話です。

そしてこれは今の日本の声優さんにもかなり当てはまるものがある。

だが今の若手声優さんにいきなりそれを要求するのはさすがに重い。


それを踏まえてこの本の後半を読むと、
なんとも内容的に考えさせられるものがある。

これは多少構造的なものもあると思う。


自分は最近こそあまり行ってないけど、
かつてよく養成所の発表会を観に行っていた。

そこにもやはりこの本の中味に抵触するようなものをいくつか見かけたことがある。


確かに時代が変化すればニーズも変化するし、
声優さんへのそれも実際変化していった。


それは1970年代半ば、1980年代半ば、
そして21世紀に入ってからの直後の計三度、
かなり大きなそれがあったと自分は感じている。


そのたびに声優は次第にショーアップしていき、
特にその影響からか、
今世紀に入ってからは演技力や個性がいろいろと言われるようになった。


本当はこのあたりを大学の声優同好会が、
秋の文化祭に論文として出してくれると面白いけど、
イベント開催が主軸のものがほとんどでそれはなかなかかなわない。


そういうことがもっと積極的に多くのサークルがしていくと、
声優に対しての本著で指摘された危惧のようなものに、
小さいながらも一石を投じてくれるものになるのではないかと、
個人的には思っています。

そのためにもこの本を一読していただくと、
なかなか面白い動きが将来みえてくるのではないのかなと。


最後はまた脱線してしまいましたが、
とにかくこの本はなかなか興味深く示唆に富んだ、
そして何より声優を大事にする姿勢が感じられるものがあります。

とにかくとても参考&勉強になりました。


以上で〆。


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「声優ユニット「WUG」突然の解散発表」についての雑感。 [声優]

同名アニメの出演声優で結成された女性7人組声優ユニット「Wake Up,Girls!」(WUG)が来年3月いっぱいで解散することが15日、分かった。同日、公式サイトで発表された。

 今年4月1日に結成5周年を迎え「皆さまのあたたかい声援、支えがなければ辿り着くことはできなかったと思います」とまずは感謝の言葉を記し「本日は皆さまへ大切なお知らせがあります。声優ユニット『Wake Up, Girls!』は、2019年3月をもって解散することとなりました」と発表した。

 アニメ作で監督を務めた山本寛氏(43)は同日、自身のツイッターを更新。「今ごっつ腹立ってる。」「奪い取って、挙句に殺す気か!」「ハラワタ煮えくり返るのに身体中の血液が持ってかれて手が痺れてる。」とユニット解散についての反応とみられるつぶやきを行った。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/06/15/kiji/20180615s00041000275000c.html


正直このニュースを聞いて、
意外というそれと当然というそれが去来した。

「新章」のあの終わり方をみると、
こういう流れなど想像もつかなかったし、
当然まだ続くだろうとは思っていた。

だけどその反面、
「新章」での「RGR」との扱いの温度差というか、
動かし方の違いをみていた時、

「やっぱりWUGは他人の娘なのかなあ」と、
「新章」スタッフのそれを強く感じてしまった。

逆にいうとそれくらい山本監督の色が、
動かしたとき想像以上に強く縛りとしてあったのかもしれない。


ただやはりだからといって、
「新章」がいきなり「最終章」になってしまったのはいただけない。

これではただ「RGR」の踏み台と最後なっただけで、
新しいスタイルもつくれないままに解散という、
メンバーにとってもはなはだ不本意というか、
消化不良なそれとしか言いようがないだろう。

いまさら山本監督のところで再出発できるわけでなし、
退路を断っての出発どころか、
梯子を外され道まで閉ざされたという、
ほんとうに「こんなはずでは」というところだろう。

もっとも「こんなはずでは」は、
「新章」をやっていた時も、うすうす感じていたとは思うので、
そういう意味ではまったく意外ではなかったかもしれないけど、
それでもせめてもう一度くらいチャンスは欲しかったのではないだろうか。

それともそれも出来ないくらい、
それこそ「WUG」のメンバーの中で、
修復できない亀裂ができてしまったとでもいうのだろうか。

とにかく正式発表したということで、
泣いても笑ってもあと一年も無いけど、
最後位は自分たちが今までやりたくても出来なかったような事を、
思い残すことなく好き放題やってほしい。

それが功を奏して

「Wake Up, Girls!」が、
「Get Up, Girls!」として再出発することになったら、
それはそれでファンもまたついてきてくれることだろう。

これで終わりか、これからが勝負かは彼女たちが決める事、
ただどちらに向かうにせよ、
ぜひこれからの数か月を思い残すことなく走り切ってほしいです。


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ファンが人間をやめるとき。 [声優]

人気アニメ「けいおん!」などで知られる若手声優、竹達(たけたつ)彩奈(28)に脅迫メールを送ったとして、警視庁捜査1課は10日、脅迫の疑いで静岡県菊川市の無職、横山英彦容疑者(32)を逮捕した。横山容疑者は竹達の熱烈なファンで容疑を認めている。竹達は11日未明に自身のブログを更新し、現在の心境をつづった。

 所属事務所によると、自称「ファンクラブの元リーダー」という同容疑者は「元々はファンとしていろいろと先陣を切って活動していた」人物。竹達が過去に所属していた事務所に入社しようとしたこともあり、竹達も握手会などで覚えている。

 竹達は「この度はお騒がせしてしまい申し訳ありません。突然のことに、大変驚かせてしまったと思います」との書き出しで、「たくさん心配もおかけしてしまって、本当にごめんなさい。みなさんの優しいお気遣いとあたたかな言葉に大変救われています。ありがとうございます」とファンに感謝した。

 同容疑者は2014年から竹達の所属事務所などへ「絶対に許さない。死ね」などと20万通を超える嫌がらせメールを送り続けていたとみられ、「この数年間、怖い日々を過ごしていました。メールだけなら何万、何十万という数だと思います。他にも報道はされてないですが怖かったこともいろいろありました」と告白。「今は少しの安心と、悲しさが入り交じった気持ちです」と吐露した上で、「でも、大丈夫!私は元気です。だから安心してください。次、みなさんにお会いするときはきっと元気な姿をお見せできると思うので楽しみにしていてくださいね!」と呼び掛けた。
http://www.iza.ne.jp/kiji/entertainments/news/180111/ent18011108170002-n1.html


>でも、大丈夫!私は元気です。

いや大丈夫じゃないでしょう、どう考えても。

四年に渡って嫌がらせとか殺人予告とか、
それでどの面下げてファンとかぬかしてるのかなあと。

とにかく被害を受けた本人への精神的ケアを事務所もしっかりとしてあげてほしい。


しかしもうこれは人としてやってはいけない範疇の話というか、
踏み越えてはいけないものを踏み越えてしまった、
まさに人が人でなしになったそれという感じです。


以前自分はファンという大きな枠の中にマニアやオタクがいて、
そこの中でもピンキリ状態が存在していると言った事があるけど、

イベントを妨害したり壊しにかかったり、
さらにはアーティスト本人が嫌がることをしたり迷惑かけたりしたら、
もうその時点で自分はその人はオタクやマニアやファンの外に逸脱した、
「フーリガン」や「テロリスト」とみなしている。

今回のそれもまさにそれ。

これでファンとか言ったら真面目なファンが大迷惑。


大多数の普通のファンがこれによって、

「だからアニオタは常識が」とか
「声オタは病的だ」とか言われかねない。


熱狂するのはけっこうだけで、
狂ってしまうのと熱狂とは違う。

自分よければすべて良し、
自分の精神の欲求がすべてにおいて最優先などという、
そんなバカな事が実践されまかり通ったら、
もうライブどころか各種イベントも成り立たない。


以前某アイドルが斬りつけられたりして、
心身共になショックを強烈に受けたという事があったけど、
これも今回と同様、
狂いまくって人間をやめてしまったものの凶行といっていいだろう。


ただ狂うの勝手にどうぞだけど、
それで巻き添えを食う側はたまったものではない。


アイドルは声優は個人にとってのおもちゃではない。

ちゃんとした血の通ったひとりの人間なのだ。

にもかかわらずその人間の人格から何からすべてを支配し私物化して、
自分がやるならすべてOKなんて到底考えられない話だ。

ただここでどうこう言っても、
そういう予備軍には馬の耳になんとかだろう。

真面目な一般のファンには、
だたただそういう凶行が起きない事を願う事しかできないのだろうか。
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声優のベストみたいなものを自分で選んでみたら…。 [声優]

「人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP」を今頃みた。

異論も納得もあったけど、

試しに自分でやってみたら55人から削ることができなくなった。

中には引退同様の人もいるかもしれないけど、
できれば50人くらいに番組ではしてほしいと思ったが<
多すぎるのも問題なのかも。

自分の場合は演技に関しては素人なので、
この人の後々に与えた影響力や存在感なども、
どうしても考えてしまうので、
55人から削れないのだろう。

因みに自分が選んだ55人のうち、
25人はそっくり番組とかぶるので、
がふらなかっ30人をいかにあげさせていただきます。


麻上洋子(一龍斎春水)
伊藤静
太田淑子
大原さやか
緒方恵美
小原乃梨子
笠原弘子
神谷浩史
釘宮理恵
小山茉美
島津冴子
白石冬美
杉田智和
杉山加寿子
田中敦子
田中理恵
鶴ひろみ
古谷徹
松島みのり
山口勝平
山田栄子
山本圭子
ゆきのさつき
よこざわけい子
井上真樹夫
貴家堂子
玄田哲章
大塚芳忠
田中敦子
潘恵子

以上30人。敬称略。


女性がかなり多くなってしまったけど、
ざっとこんな感じ。

ただこれに故人も入れていいとなると、
アニメのみとなっても、
55人のメンバーはガラリと変わる。


さらに国内で放送された、
海外アニメの吹き替えを入れると、
さらに多少変わってしまう。

おそらく100人にして、
洋画の吹き替えにおける声優さんも込みでやると、
ほとんど一新してしまうことになるかもしれない。


じつは2013年頃に、
テレビアニメの声優さんのベスト100をつくろうと思ったら、
100人でも収まらず、
123人にしたらなんとか収まったという経験がある。

しかもそれも毎日のように変わったので、
結局ついにここに掲載することはなかった。


ただ今年は100年ということなので、
もう一度それをやってみようかなと思っている。

もっともだからどうしたという類の、
趣味のそれなのであれなのですが。


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声優・水瀬いのりに殺害予告 イベント複数中止「悲しく残念」 [声優]

 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」や劇場アニメ「心が叫びたがってるんだ。」などで知られる人気声優の水瀬いのり(20)に対する殺害予告がインターネット上であったとし、今後のイベントの出演キャンセルや開催中止が25日、所属事務所と所属レコード会社の公式サイトで発表された。

 「台湾からの投稿とみられ、現在管轄警察に相談中ではございますが、本人とお客様の安全を最優先し、下記のイベントについて出演のキャンセルおよびイベントの開催中止を決定致しました」と報告。「楽しみにしていただいていたお客様、イベント出演・関係者の皆様には、ご迷惑並びにご心配をお掛けいたしますこと、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。

■リスアニ!LIVE TAIWAN Suppoeted by 戰鬥女子學園
12/3 TICC公演(台湾) 出演キャンセル
■水瀬いのり3rdシングル「Starry Wish」台湾盤 ポスターお渡し会
12/4 アニメイト台北總店公演(台湾) 開催中止
■水瀬いのり3rdシングル「Starry Wish」発売記念イベント
11/26 ゲーマーズなんば店
11/27 アニメイト広島
11/27 アニメイト小倉
12/17 とらのあな秋葉原店
12/23 アニメイト池袋本店
12/23 ゲーマーズAKIHABARA 以上全イベント開催中止

 水野は「ファンの皆さんに会いに行くことができなくなり、とても悲しく残念な気持ちです。本当に申し訳ありません。絶対次の機会を作りたいと思いますので、どうかご理解ください。これからもどうぞよろしくお願いいたします」としている。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/25/kiji/K20161125013789670.html


どんな理由であれ、
こういうテロ行為は犯人をあげて厳罰にすべき。

なんて一人の阿呆に関係ない人たちが道連れにされなければならないのか。

せめて犯人にが捕まったら、
12月のイベントだけでも再検討できないものだろうか。

こういうのほんとに腹がたつ。

自分がよければ他の人たちがどうなってもいいなんて、
正直クズ以下だ。

警察には絶対犯人をあげてほしい。
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またこういう話がでてきた。 [声優]

最近ある人気声優の過去の事を掲載した記事で、
ちょっといろいろゴタゴタしている。

別にほんとどうでもいいニュース。
別にこの声優さんが過去に犯罪やってるわけでなし、

「だから何?」

というかんじです。


これが

「あの人気声優も違法バカラ!」

とかだったら「バカヤロー」の一言でも浴びせるけどそうじゃないでしょ。

大事なのは現在であって過去ではない。

今頑張ってる人の足ひっぱって飯食ってる奴の話なんか、
事の正否にかかわらず黙殺の対象でしかないでしょ。

またそれに便乗して騒いだりあちこちにその情報を垂れ流して、
今あの声優を叩けば俺は勝ち組みたいな、
すぐ流される自分の無い輩なんか、
もうほんと救いがないというか、
自分で自分のことを

「私はすぐ流されるプライドの無い恥知らずの人間です」

といってるのと同じなんだけど、
本人これわかんないのかなあ。


それに声優になるということは前も言ったけど、
別に坊さんになるわけじゃない。

ちょっと自分の夢を過剰に乗せてる人も正直どうかと思う。


あと女性に手をあげるような男は最低!

今回の芸能誌のやってることは、
拳か文字かの違いだけで、
女性を思いっきり手加減なく殴り飛ばしたのと同じ。

ファンというよりふつうの男性だったら、
まずそこのところに抗議すべき。

しかも犯罪行為じゃないんでしょ、
その記事でとりあげてる事をやってたと仮定しても。

今回のニュースの内容はほんとどうでもいいことだけど、
女性にもろ顔面パンチを食らわせたような、
芸能誌の行為にはほんとカチンときた。

またそれにのせられて騒ぐ人たちもどうかと思う。

人として事の正否を問わず、
公然と言っていいことと悪い事が最近の人は区別つかないのかなあ。

芸能人の前に一人の女性だということをみんな忘れすぎてない?


なんか人の醜い部分、汚い部分、
そしてファンの弱い部分につけこむ姑息さというか巧さを、
じつにみせつけられた今回の一件。

踊らせる芸能誌が悪いのか、
踊らされるファンの方が悪いのか。

とにかく「またこういうニュースか」といった感じです。


しかしほんと殴り方がえげつないよなあ、
まあ毎度のことですけど。





因みに私は特定の仕事を差別してはいません。

ただ今回の芸能誌は、
そういうことに耐性の弱い声優ファンにぶつけたきたのですから、
結果的にあきらかに差別の対象となるように、
ある特定の仕事を扱っている。


ほんとこれも酷い話だ。


そういう意味も含めて、

「女性にもろ顔面パンチを食らわせたような、」

と言わせていただきました。


酷いよ、いろんな意味でこういう話。

もうたくさんです。


しかしここまで書くと

「どうでもいい話」

じゃないですね。

あいかわらずつじつまがあわなくてすみません。
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『上坂すみれ、ツイッター休止理由「心ないリプライ」』についての雑感。 [声優]

ツイッター休止を突然発表した声優の上坂すみれが、一部ファンの心ないリプライに悩まされていたことを明かした。

 上坂は3日にツイッターで、「突然ですが、諸事情によりしばらくツイッターをお休みさせていただくことになりました」と発表した。

 翌4日、上坂はブログを更新し、「以前から心ないリプライを直接送る方がちらほらいらっしゃいましたが、それが看過できない数になってきてしまっていたためアカウント休止という措置をとることとなりました」「使うのが難しいツールであることは承知の上で続けていましたが、私には難しすぎたようです…」とツイッター休止の理由を明かした。

 そしてツイッターは匿名ツールゆえに「投稿内容はその人の良心にゆだねられています」として、「身元を明かさず直接誹謗中傷することも簡単ですが、公式アカウントといえども対話の相手はbotではなく普通の人間であることを念頭に置いてくださいね」と呼びかけた。

 上坂はアニメ「艦隊これくしょん-艦これ-」吹雪役などで知られ、CDや写真集をリリースするなどアイドル的な活動も行っている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160304-00000077-nksports-ent


ネットはとても便利なツールだけど、
人間の汚さというか未熟さもみせてしまう、
ひじょうに恐ろしいツールでもある。


今回のような件は決して今回が初めてではない。


他の声優さんのツィッターでも起きたことがある。

正直「またか」だ。


だいたい有名人のところで暴れる輩は二通りしかない。

ひとつは「かまってほしい」という人。
そしてもうひとつが「自分の存在を誇示したい」という人。


これが病的にねじれて現実化するとストーカーとなってしまい、
それが傷害事件へと発展してしまうこともあるが、
これなどはそのネット版というべきだろう。


ただネットならいくら暴れても、
いくら誹謗中傷を繰り返しても、
自らの経歴等偽り虚偽の発言をしても、
それが現実の生活に実体化した被害をおこさないかぎり、
なかなか罪にとわれることはない。


だから味をしめてそういうことをし続けるのだろう。

こういう人は一度やりだしたらもう歯止めがきかない、
自分に大甘なタイプなので、
やられた人はもう泣き寝入りだろう。


特に有名人のツィッター等は、
ファンサービスの一環ということもあるので、
なかなか厳しいことを言いづらい部分がある。

にもかかわらずそこで暴れるということは、
そこの部分を人質にとっての凶行ともいえる。

ある意味卑怯者だ。


だがそれらの凶行も根っこをみれば、
上記した二つがそこにあることは歴然としている。


上坂さんは

「対話の相手はbotではなく普通の人間であることを念頭に置いてください」

といっているが、
根が「甘え」と「目立ちたがり」の人に、
はたしてこの言葉が伝わるかどうか…。



正直ネットでの文字のやりとりは難しい。

会話の場合は相手の表情や話し方をみながら、
その真意をくみ取ることができるし、
冗談なのか本気なのかも理解することができる。


だがネットでは書かれた文字がすべて。

そこには抑揚も表情も無い。


それをカバーするため多様な絵文字が生まれたのだが、
それでもなかなか意思の疎通に難のある部分はある。

感情的なやりあいがBBS等で多発するのも、
そのいい例だろう。


これは匿名だと気が大きくなるということだけではない。


今回の上坂さんの件も、
大元にはそういう本質的な部分があることにはある。


だがだからといって、
じゃあそういうのがある程度大目にみられるかというと、
そこに相手への思いやりなどなく、
ただただ自分が可愛いのが第一、
「かまって」とか「目立つぞ」とかが先にたったら、
もうこちらとしては退くか叩くかしか手がなくなってしまう。


上坂さんは退くということになったけど、
結果その「心無い」行為をしたひとは、
多くのファンを巻き込んでの自爆テロをしたことに他ならなくなってしまった。

上坂さんだって人間だ。

感情もあるし仕事もしている。

そういう人がその合間を縫って、
そういう場をつくり、
ファンとの憩いの場を提供し運営していることを思うと、
そこを訪ねる人は、
まずそれに対しての最低限の感謝の念をもつべきだろう。

それが人としての礼儀だし常識だ。

ご飯を食べるときに

「いただきます」

というそれくらいの気持ちくらい最低持てということだ。


だが今回はそんなこともなく、
ただただ自分が可愛いという人の暴挙が、
すべてを巻き込んで自爆テロをやってしまった。

もう正直ちょっと言葉がない。


自分がそこを借りて遊ばせてもらってるという、
そういう基本的なものがすっぽり抜け落ちているのだ。


最近クラシックの演奏会も年々マナーが悪くなっているという。

これも正直根は同じだろう。



こういう人たちは目の前に人がいても、
キーボードを叩くと答えをくれる機械的なツールと区別がつかない…、
というか自分の思う通りにいかないと、
癇癪をおこしすぐに暴れる。

自分の思うとおりにならない。
甘えられない。
目立つことができない。


だから結果他人など完全無視で暴れてしまう。


正直それを自分がされたら楽しいかどうかと考えたら、
出てくる答えは通常の人ならひとつだろう。




とにかく今回のいちばん被害者の上坂さんにはかける言葉もない。


心当たりのある人は上坂さんのファンであるなら、
今後こういうことをしないようにお願いしたいものです。

ファンであるならですが。



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μ’s、”解散”を否定 来春のファイナルライブは「集大成」 [声優]

 人気アニメ『ラブライブ!』の声優陣によるユニット「μ’s」(ミューズ)は、来年3月31日、4月1日に東京ドームで開催されるライブ『μ’s Final LoveLive!』をもって“解散する”と一部報道で伝えられているが、高坂穂乃果役の新田恵海は「次の東京ドームでファイナルのワンマンライブですが、解散というわけではないんです」と“解散”を否定。矢澤にこ役の徳井青空も「集大成となるライブとなる予定」と語った。

 新田は「μ’sでたくさんの経験をさせてもらっていたんですけど、紅白は最たるものというか、まさかこんな日がくるなんて、という思い。とにかく精一杯思いを込めて、今まで応援してきてくれた皆さんとステージに立つ思いでパフォーマンスしたい」と意気込んだ。

 また、同ユニットは9人組だが、絢瀬絵里役の南條愛乃が、かねてから公表していた「膝蓋骨亜脱臼」および「半月板損傷」の影響で、出場辞退。新田は「いつも気持ちは9人。出られないけど、9人のステージだと思ってパフォーマンスしたい。(南條から)『頑張って』という言葉は、いつもかけてもらっている」と心境を明かした。

 『ラブライブ!』は、廃校寸前の母校を救うため、少女たちがスクールアイドルグループ「μ’s」を結成し、奮闘する青春ストーリー。2010年に雑誌『電撃G’s magazine』による読者参加企画からスタートし、13年にテレビアニメ、スマートフォンゲーム化され、人気に火がついた。紅白の舞台では、アニメ2期の「それは僕たちの奇跡」を熱唱。パフォーマンスの前には、紅白に出場するμ’sたちを描いた新作アニメも公開される。

 初めて紅白のステージに立った感想を聞かれると、新田は「何度も歌ってきた曲だけど、夢のようなこと。リハーサルもいつも以上に気合が入った」。南ことり役の内田彩も「紅白でしか見られない特別なものになる。テレビの前の皆さんに見せるのが今から楽しみ」と興奮した表情で語った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151229-00000339-oric-ent


まあいろいろあります。

契約云々はどうなったんでしょう。

これでサンシャイン編登場ほぼ確定、
ファンの方も一安心といったところでしょうか。

ただ南條さんの膝がやはり心配。

この病気、けっこう完治までに時間がかかるようなので、
無理せずじっくり治してほしいものです。

ただ「紅白」にはせめて顔だけでも出せると本当はいいのですが…・
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「μ’s」紅白出場に対しての否定的報道にいいたい砲台。 [声優]

じつは最近そういうことをやたらネットでみかける。

なんか戦前のメジャーリーグが黒人選手を排斥してるわけでなし、
その理由がわからない。

「ラブライブ」の劇場での特典商法がえげつないというが、
そうなるとAKBの総選挙における、
シングルCD商法もアウトになっちゃうでしょ。

だいたいシングルCDでひとつの曲につき、
何種類もの曲の組み合わせや、
ジャケットの種類があることを思うと、
そういうものまで全否定になっちゃのでは?
といいたくなってしまう。


それとたしかにラブライバーとよばれる人たちの中には、
常軌を逸した人もいるかもしれないが、
じゃあアニメ系以外でそういう人は皆無なのかと言うと、
そういうわけでももちろんない。

このあたりはCDの件もそうですが、
マスコミと芸能事務所の力関係、
さらにはズブズブの関係のため、
これらのことに対しての否定的な報道が、
かなり抑えられてるといっていいと思う。


けっきょくそのはけ口が「μ’s」にきてしまったとしか、
自分にはおもえてしかたがない。


だからといって一部のファンの暴走は肯定などしたくもないが、
ファンの大多数の姿みたいな色物感覚での、
最近のマスコミの報道姿勢をみると、

「おまえらそれは違うだろ」

と言いたくなってしまう。

真面目にやってる声優さんやファン対して、
どういう気持ちで責任転嫁してんだよと、
ほんと腹立たしくなってしまう。

このあたりの姿勢は、
正直昭和の頃からあまり変わってない。

こういう姿勢だからね
311やこの前の箱根のとき、
関係ない風評で苦しめられた人たちが後を絶たない、
そういうことになってしまうのだろう。

ほんと他人には厳しく自分には大甘の体質だ。


ただ正直に言って今回自分も

「えっ?μ’sが紅白初出場?」

と思ったのもじつは事実でして、

「けいおんの時でさえ駄目だったのに」

と、不思議な気持ちになったものでしたが、
これはこの数年間に水樹奈々さんがつくった実績なのでしょう。

ただその水樹さんの今年の落選は正直残念、
やはり「枠」というものがあるんだなあとちと落胆。

とにかく自分にとっても、
けっこう驚きではありましたし、
正直アニメの中だけの超大型台風という、
そんなイメージがあっただけに、
この報せはほんと驚きでした。

ただ政府もアニメは日本の文化と、
はっきり明言してるので、
NHKのそれは確かにまちがってはいない。

むしろ今回のマスコミのそれは、
それこそそういう政府の姿勢に異議を唱えているのと同じであって、
よくよく考えれば、
マスコミが政府に抗議するいつもの光景かといえないこともない。

でもそんなことに
わざわざ「μ’s」を使うなよとやはり言いたくなってしまう。


そういえば「μ’s」の登場に、
お年寄りが可哀そうといってる意味不明な輩がいたが、
「μ’s」が紅白で30分もやるならともかく、
他の出演者とそこそこ同じ扱いということを思うと、
むしろお年寄りは演歌しか聴かないと、
そういうふうにお年寄りを型にはめて、
些か舐めてんじゃないのかとこれには思ってしまった。

かつて慈善大相撲の力士と歌手による、
歌のコーナーがすべて演歌だった時代があったが、
今は若手アイドルもしっかり登場している。

マスコミが考えている以上に、
最近のお年寄りの趣味はダイナミックなのですよ。
舐めてくれてはこまります。

もっともだからといって今回の紅白に、
「μ’s」だけでなく、
「あんこう踊り」までやられたら、
正直さすがにこちらもそれには異議を唱えるだろう。

ようはそのあたりのバランス感覚なのですが、
どうも最近のマスコミ、
特に今回のマスコミはそのへんおそろしく保守的で、

「だからテレビが最近面白くないのかな」

とさえ思われてしまうものがあります。


「μ’s」のネガティブキャンペーンに、
ネタが無いからと一生懸命になって、
ファンの粗を探すのもけっこうですが、
そういうことばかりやってると、
自分たちのいる世界が、
ますます狭く面白くなくなってしまうことに、
この人たちほんと気づいていないのだろうか。

クラシックにおける、
保守的かつ頑迷な評論家と同じで、
正直ちょっと困った人たちといったかんじです。

一部のラブライバーもそうでしょうが、
あんたたちマスコミも常識わきまえて、
ちゃんとした行動言動を心がけてくださいね、
といったところです。

まあとにかく、
「μ’s」が大晦日にでることになり、
これで一つの区切りかなというかんじもします。

できればすべてのラブライバーが、
この今年最後のステージを汚すことなく、
しっかりと節度ある姿勢で応援してあげてほしいものです。


〆。

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