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井上道義指揮群馬交響楽団を聴く。(10/29) [演奏会いろいろ]

群馬井上.jpg

2023年10月29日(日)
すみだトリフォニーホール 15:00開演 

曲目:
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番 ハ短調 op.43

ピアノ:仲道郁代
指揮:井上道義

ショスタコーヴィチの交響曲第4番は、ヤノフスキ指揮N響の演奏をテレビで見て初めて知った曲で、それからラトルやオーマンディの全曲盤を聴き、いつか全曲を実演で聴きたいと思っていたがこの日までなかなか機会がなかった。

そんななかで聴いた井上さん指揮による4番は筆舌に尽くし難い超弩級の大名演だった。


この日はまず前半にモーツァルト。

天才の書いた曲の前に演奏するのは、これまた天才の曲しかないということなのだろうか、

このモーツァルトはじつに心地よく、そしてとても澄んだ響きによる真正直ともいえるもので、もしこの曲を初めて聴く人がいたら文句なくお薦めしたくなる演奏といっていいものだった。アンコールのブラームスの間奏曲も染みる演奏。

1月のベートーヴェンといい、この日のモーツァルトといい、仲道さんの演奏は本当に安心して聴いていられる。


ここで20分の休憩後16:00過ぎから後半となったけど、このホールはトイレが少ないのか男子のそれが大行列となっていって、自分はホール外に出て近くの商業施設のそれを使用させてもらった。


そして後半のショスタコーヴィチ。

自分はこれをマーラーの7番のように深いメッセージ性は無く、作曲者のインスピレーションと感情爆発にすべてをかけた作品であり、音の背後より鳴っている音そのものすべてで勝負したような作品と思っている。

確かに第三楽章にジダーノフ批判に対する感情が投影されているかもしれないけど、後の交響曲ほどそれは深刻になっていないような気がしている。それを本人が強く心に刻むのは、この曲を初演断念に追い込まれた練習時に起きたいろいろな出来事からなのかも。
(なので今の世界情勢におけるこの時期の日本で聴くというのは、じつは何とも言えないものを感じてしまうのですが…)

そういう意味ではこれは彼がむき出しの本音でありったけの思いの丈をぶちまけることができた最後の交響曲なのかもしれない。

そういう立ち位置の自分が聴いたこの日の井上さんの4番は、この膨大な情報量をもつ大曲のすみずみまで描き尽くし語り尽くすという、恐ろしく能弁でありながら、それでいてそれらをしっかりと掌握しているため、その音楽すべてが目の前で視覚的に繰り広げられているように錯覚させられるほど恐ろしいほどに分かり易く描かれているように感じられた。
(このためこの曲を初めて聴いた人の中にもこの曲をとっつきやすく感じられた方もいたのではないだろうか)

とにかくこれほどこの巨大な曲の全貌が見事に演奏された事って今迄あったのだろうかというくらいに正直驚がくしてしまった。

ただこれにはこの日の群響の素晴らしい演奏も大きかった。

じつによく透る弱音、圧倒的に響きながら決して汚くならない強音、対局から対局へ一気にとぶ鮮やかさ、そして展開部のフガートにおける気持ちの乱れをまったく感じさせない見事な弦など、あげていけばキリがない。

自分が前回群響をこのホールで聴いた時のドビュッシーの「海」の第二楽章も絶品だったけど、今回もまた群響の素晴らしさに感服してしまった。これだけのオケをもつ群馬の人達が本当に羨ましいと正直思ってしまった。

最後終楽章のチェレスタが意外と大きな音に聴こえたのは、こちらがオケの弱音に耳が馴染んでしまいすぎたためなのか、それともまた別の何か意味があるのかは分からないけど、これはこれでまだ何とも言えない余韻を感じさせられた。

終演後井上さんが構えを解かれた後に大きな拍手、そして井上さんが振り返ると嵐のような歓声と拍手が起きた。
(井上さんの構えを解くのが意外と早く感じたけど、かつての日比谷での同曲の録音を聴くとこれがふつうなのかも)

その後も元気そうに舞台上で振舞われてはいたしカーテンコールにも登場されていたが、ときおり少し歩く時に気を付けていたのがやはり心配になった。

開演前のプレトークでも坐骨神経痛の方を話されていたし、公式サイトでは痛み止めの薬を吞まれていたという。これ以上厳しい事にならないように今は願うばかりです。

最後に。

今回の井上さんのショスタコーヴィチ、かつて聴いたムラヴィンスキーの5番が全てを切り詰め結晶化する事で真髄に迫ろうとするのに対し、全てを描き尽くしパノラマ化する事で真髄に迫ろうとするような演奏だった。しかもそれはトスカニーニのベートーヴェンに対するフルトヴェングラーのベートーヴェンのように、ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチとある意味対極にありながら、同じ高みに到達するほどのものだったように感じられた。

井上さん引退まであと一年と少し、そして群響とはこの日の公演で最後。

はたして今後このような途方もないこの曲の演奏に巡り合う事が自分にはあるのだろうか。

因みにマイクをかなりの数見かけたので録音されていたのかも。
だとしたらCD化が楽しみです。



余談

あとこの曲の第1楽章を聴いていると、ときおりヴァレーズの「アルカナ」を感じさせるところがある。「アルカナ」はこの曲が出来る十年ほど前にアメリカで初演された作品だけど、ショスタコーヴィチはこの曲をどこかで知っていたのだろうか。ちょっと考えにくいところではあるので、偶然の産物だとは思いますが。

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