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マゼールの「ダフニスとクロエ」全曲録音とその頃のマゼール&クリーヴランドのこと。 [クラシック百銘盤]

マゼールガ1974年に録音したものの中に、
ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」の全曲というものがある。

RAVEL.png

じつはこの録音はこの前後にあったいろいろな事柄をみてみると、
なかなか興味深いものがあります。

少し時代をさかのぼってみたいと思う。

1970年5月。

待望のクリーヴランド管弦楽団が初来日した。
指揮はジョージ・セルとピエール・ブーレーズ。
当時の日程はごらんのとおり。

5月15日:フェスティバルホール/セル
ウェーバー/オベロン、序曲
モーツァルト/交響曲第40番
シベリウス/交響曲第2番

5月16日:フェスティバルホール/セル
スメタナ/売られた花嫁、序曲
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番(P/ゲイリー・グラフマン)
ベートーヴェン/交響曲第3番

5月17日:フェスティバルホール/ブーレズ
ワーグナー/パルシファル、第1幕への前奏曲
バルトーク/ヴァイオリン協奏曲第2番(VN/ダニエル・マジェスケ)
ドビュッシー/管弦楽の為の映像

5月18日:フェスティバルホール/ブーレズ
シューベルト/交響曲第2番
ドビュッシー/海
アイヴス/ニューイングラドの三つの場所
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲(1910)

5月20日:京都会館/セル
スメタナ/売られた花嫁、序曲
ラヴェル/ダフニスとクロエ、第2組曲
ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」

5月21日:愛知県文化会館講堂/セル
スメタナ/売られた花嫁、序曲
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番(P/ゲイリー・グラフマン)
ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」

5月22日:東京文化会館/セル
ウェーバー/オベロン、序曲
モーツァルト/交響曲第40番
シベリウス/交響曲第2番

5月23日:東京文化会館/セル
ベルリオーズ/ローマの謝肉祭
シューマン/交響曲第4番
ウォルトン/ヒンデミットの主題による変奏曲
ラヴェル/ダフニスとクロエ、第2組曲

5月24日:東京文化会館/ブーレズ
シューベルト/交響曲第2番
ドビュッシー/海
アイヴス/ニューイングラドの三つの場所
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲(1910)

5月25日:札幌中島スポーツセンター/セル
ウェーバー/オベロン、序曲
モーツァルト/交響曲第40番
シベリウス/交響曲第2番

5月26日:東京文化会館/セル
スメタナ/売られた花嫁、序曲
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番(P/ゲイリー・グラフマン)
ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」

というもの。

この公演は圧倒的な賞賛が指揮者とオケにともに贈られ、
伝説的な公演と言われるようになった。

そしてこの公演以降しばらく、
「世界最高のオケはクリーヴランドとフィラデルフィアだ」とまで言われた。
特にこの意見はプロの日本のオケの団員からも多く聞かれた。

だがこの公演から二か月ほどしてこのオケの常任だったセルが急逝した。

このことは楽団や楽界に激震が走った。

EMIとのセルの予定されていた録音はすべて白紙となった。
またセルをもってしても楽ではなかった楽団経営も不透明となり、
定期会員が減少するということが起き始めたという。

セルに来日公演時同行し、
この前年には同オケとあの名盤「春の祭典」を録音したブーレーズは、
1971年のシーズンからBBCとNYPOに行くことが決まっているので、
セルの後任には当然ならない。

このため楽団はセルの後任に、
有能で実力があるだけでなく、
人がよべる知名度がある指揮者を緊急に選出することが求められた。

この間に楽員投票が行われ、
そのときには1929年生まれの、あのイシュトヴァン・ケルテスが選出された。

だかこの投票には何の拘束力もなく、
あくまでもひとつの参考意見とされるにとどまった。

こうしているまに1971年のシーズンも終了。
クリーヴランドにとってタイミングが悪いことに、
この少し前に多くのアメリカのメジャーオケの指揮者交代があり、
シカゴにショルティ、サンフランシスコに小澤、ニューヨークにブーレーズと、
実力のある指揮者が次々と就任していったため、
これらの指揮者が選択肢から早々と落ちてしまったことだ。

だが1971年10月についにクリーヴランドは大物の獲得を発表する。

ロリン・マゼール。当時41歳。
ベルリン・ドイツオペラの音楽監督であり、
ヘルリン放送交響楽団の首席指揮者であり、
デッカのスター指揮者として活躍し、
ウィーンフィルやベルリンフィルとも録音を多くこなしていた。

しかもかつては少年時代神童としてNBC響の指揮台に立っていたこともあり、
アメリカでの知名度はもちろん抜群だった。

だがクリーヴランドとマゼールはあまり共演回数がなく、
しかも団員の中からはセルに続いてまた専制君主か!
ということでかなりの不満もあったという。

だが1972年の秋からマゼールはこのオケの音楽監督に赴任した。
常任指揮者ルイス・レーン、副指揮者マティアス・バーメルトという布陣だ。

そして翌年6月最初のシーズン終了間際にこのオケとの初レコーディングとして、
プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」全曲が録音され、
翌年の来日公演前には日本でも発売された。

この時点でクリーヴランドは録音契約こそEMIからデッカになったものの、
団員の異動はほとんど行われなかった。

長期政権直後のオケへの赴任というと、
レニングラードフィルのムラヴィンスキーの後任として赴任したテミルカーノフように、
前任者の息のかかった団員をバッサリ切って入れ替えるという例もあるが、
マゼールはそれらをいっさいせず、
自分とまったくタイプの違う「セルの楽器」をそのまま受け継ぐ道を選んだ。

これはマゼーがセルが育て培ったオケと聴衆に対し
完全アウェーとなることを意味しているが、
そんなことにはビクともしないほど、
それくらい当時のマゼールは自分に絶対の自信をもっていた。

この年の秋クリーヴランドはオーストラリア等に演奏旅行に行くが、
指揮者がマゼールだけでなく、
ラインスドルフとスクロヴァチェフスキーが同行していた。
おそらくこのツアーが決まったときまで、
マゼールが来るかどうかということや、
そのスケジュールもいろいろとみえていなかったのだろう。

この半年後マゼールはウィーンフィルと「春の祭典」を録音、
そして二か月後初の単独でのクリーヴランドとのツアーのため来日した。
約二週間で11公演という強行日程だったが、
前回の来日公演が指揮者二人態勢とはいえ、
12日間で11公演だったことを思うと、
今回の方がオケにはきもち優しい日程となっている。

この公演でマゼールは7月に録音が予定されている「ダフニス」の全曲を、
前年録音した「ロミジュリ」からのハイライトと一緒に演奏した。

合唱抜きという変わったものだったが、
演奏そのものはそういう不満をほとんど感じさせないものだった。
この演奏はFM東京で収録放送されている。


このマゼールトクリーヴランドの1974年の来日公演は以下の通り。

5月19日:神戸文化ホール
ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第5番

5月20日:フェスティバルホール
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベルリオーズ/幻想交響曲

5月21日:フェスティバルホール
プロコフィエフ/ロミオとジュリエット、第1&第2組曲より
ラヴェル/ダフニスとクロエ、全曲(合唱無し)

5月22日:フェスティバルホール
Rシュトラウス/ツァラトゥストラはかく語りき
バルトーク/二つの映像
ガーシュウィン/パリのアメリカ人

5月23日:名古屋市民会館
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベルリオーズ/幻想交響曲

5月24日:長野市民会館
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベルリオーズ/幻想交響曲

5月26日:東京文化会館
プロコフィエフ/ロミオとジュリエット、第1&第2組曲より
ラヴェル/ダフニスとクロエ、全曲(合唱無し)

5月28日:東京文化会館
ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第5番

5月29日:NHKホール
Rシュトラウス/ツァラトゥストラはかく語りき
バルトーク/二つの映像
ガーシュウィン/パリのアメリカ人

5月30日:NHKホール
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベルリオーズ/幻想交響曲

5月31日:宮城県民会館
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベルリオーズ/幻想交響曲

6月1日:秋田県民会館
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベルリオーズ/幻想交響曲


29日のNHKホールの公演は
NHKがTVとFMで収録と放送を行っている。


この公演の二か月後マゼールは、
今度は合唱をつけて「ダフニス」の録音を行った。
マゼールとクリーヴランドによる二度目の録音だ。

クリーヴランドは同じディアギレフものとして、
すでに前述した1969年にブーレーズの指揮で「春の祭典」を録音しており、
この頃にはその録音が決定盤のひとつと極めて高く評価されていた。

またクリーヴランドは「ダフニス」と縁が深く、
1963年にセルが第二組曲を録音、
そして1970年の来日公演でも演奏している。

そういう意味でマゼールにとっては、
いろいろな意味で聴き比べをされてしまうという、
そういうところがあったものの、
この演奏では当時のマゼールらしいパフォーマンスをみせている。

決してライブ感覚あふれる激しいものではないが、
ひじょうに表情豊かでダイナミック、
しかも独特な美しさとつややかさをもった演奏となっている。


激しいといえば来日前の3月に録音した
ウィーンフィルとの「春の祭典」の方が当時のそれをよくあらわしていると思う
本当はこの曲もクリーヴランドと入れたかったのだろうが、
ブーレーズ盤の存在がそれをさせなかったのだろう。

1974年の来日公演時のクリーヴランドを、
「形から色へ」という言い方でその変貌を表していた一文があったが、
セルのときのようなエッジの鋭さや驚異的なアンサンブル感は多少大人しくなったものの、
その独特の音のふくらみや、華美には陥らない程度の色彩感など、
かつてのこのオケにはみられないものがあらわれていたことは確かだった。

そしてそれはこの録音でもじつによくあらわれていた。

特に1973年の「ロミジュリ」と聴き比べると、
プロコフィエフとラヴェルの違いがあるとはいえ、
マゼールがこの一年間でじつにこのオケを、
よりしっかりと掌握できたかをはっきりと聴きとることができる。

この録音は現在でこそあまり評価されていませんが、
以上のことから、
その後のマゼールとクリーヴランドのそれを決定づけた、
忘れ難い録音であり、
当時のマゼールのベストパフォーマンスのひとつと、
個人的には思っています。


尚、この録音、
初発売当時もそれほどじつは話題にはなっていませんでした。

それは当時この曲にしてはいささか「重い」と、
クリュイタンスあたりに比べると感じられたことが大きいようです。

それはマゼールがこの曲に、
かなりシンフォニックな意味での聴き応えを求めたことも、
そのことに大きく関係しているといえましょう。


ただ今の感覚から聴くと。
これより重い演奏など山ほどあるのに…と思ったりしてしまいますが…。



といったところで、以上であっさりと〆です。

長文になり読みにくくなってしまいました。
申し訳ありません。
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サンフランシスコ人

「オケの常任だったセルが急逝」

急逝じゃなくて、色々な人達は病死が近い事を知っていました..
by サンフランシスコ人 (2015-09-16 02:55) 

阿伊沢萬

確かに今私たちが手にしている情報と今の感覚からいえば「急逝」はありません。ですが1974年頃までは「急逝」といわれていました。といいますのも、セルの健康状態は確かに当時のセルの関係者やクリーヴランドの団員関係者に知られていましたし、NYPO行きが決まっていた゛フーレーズがクリーヴランドをすぐには離れず日本公演に同行したのも、もちろんこれらが関係していました。

ですが、セルは来日前に予定通りEMIに二つの交響曲を録音、その後来日公演をこなし、その間もそういうそぶりをみせずに宇治に観光に訪れたりしていましたし、パーティにも出席していました。

このため日本はもちろんそれ以外の一般の多くの人たちや音楽関係者の大部分もまさか離日後二ヶ月ほどで亡くなるとは思ってもいなかったと思います。しかもその死の前日には、来日公演の練習を直前までしていたバルビロリが急逝したことも影響したのでしょう、セルのそれもそれから数年間は急逝といわれるのがほぼ通例でした。

そのためここでの本文もそれに即して急逝扱いをしました。それとクリーヴランドでセルの体調の異変に気づいていた人たちも、一部を除きまさかあれほど早く亡くなるとは思ってはいなかったようです。ただこれに関してはそう感じさせなかったセルが凄かったというべきなのでしょう。

クリーヴランドの後継が発表されるまで一年開いたのもそれが影響していのかもしれません。
by 阿伊沢萬 (2015-09-17 21:26) 

 サンフランシスコ人

「予定通りEMIに二つの交響曲を録音」

死ぬのが近いので是非とも録音を残したかったと思います....
by サンフランシスコ人 (2015-09-18 01:39) 

サンフランシスコ人

個人的にこの本を勧めます....

Discographies of Commercial Recordings of the Cleveland Orchestra: 1924-1977) and the Cincinnati Symphony Orchestra (1917-1977)
Meyers, Betty, Fellers, Frederic P
Published by Greenwood, 1978
ISBN 10: 031320375X / ISBN 13: 9780313203756
by サンフランシスコ人 (2015-09-19 02:38) 

阿伊沢萬

この時期セルが再録音したかったものが優先的に録音されたということをどこかで聞いたことがありますし、この演奏そのものだけでなくEMIの録音の質もひじょうにセルは気に入っていたようです。

セルがEMIに当初録音していたのは過去CBSで録音したことのない曲が多かったのですが、この時期に急に指揮者の方から強いリクエストが出されたようです。それは日本公演の曲目がセルの十八番で埋められていたことからもわかるように、本人にとってもうこの時期の録音や演奏会のひとつひとつが遺言のようなものだったのでしょう。

彼の死後この時期の多くのエピソードがいろいろと出てきた記憶がありますが、それを読むにつけ無理だったとはいえEMIにブラームス、ベートーヴェン、モーツァルトの主要作品を再録音してほしかったでする
by 阿伊沢萬 (2015-09-19 13:41) 

サンフランシスコ人

セル&クリーヴランドのプロコフィエフ作「キージュ中尉」を聴き直しました....すごい腕前です...
by サンフランシスコ人 (2015-11-22 07:09) 

阿伊沢萬

>セル&クリーヴランドのプロコフィエフ作「キージュ中尉」を聴き直しました....すごい腕前です...

これ超名盤です。私はこれでプロコフィエフに開眼しました。
by 阿伊沢萬 (2015-11-23 21:26) 

サンフランシスコ人

プロコフィエフ/交響曲第2番も録音してほしかったです....
by サンフランシスコ人 (2015-11-24 08:53) 

阿伊沢萬

2番はよさそうですね。セルはなかなか特定の作曲家の交響曲をコンプリートで遺さなかったですから、仕方ないと言えば仕方ないのかも。ベートーヴェン、ブラームス、シューマンくらいでしょうか、コンプリートで遺した作曲家の交響曲は。
by 阿伊沢萬 (2015-11-26 21:20) 

サンフランシスコ人

「フーレーズがクリーヴランドをすぐには....」

(クリーヴランドで)ブーレーズ/クリーヴランドの演奏会に一度だけ行きました...
by サンフランシスコ人 (2015-11-29 06:13) 

阿伊沢萬

それはうらやましいですね。自分はN響との演奏会しか聴いたことがありません。クリーヴランドとはほんとうに相性がよかったようですが、日本には1970年しかこのコンビで来日しませんでしたから。
by 阿伊沢萬 (2015-11-30 01:01) 

サンフランシスコ人

「ブーレーズ/クリーヴランドの演奏会......」

29年前?

http://www.clevelandorchestra.com/news-and-updates/news-releases/2014-releases/2014-02-03-boulez-distinguished-service/

>>In 1986, he conducted the Orchestra in two weeks of “Great Composers of Our Time” concerts featuring his music.
by サンフランシスコ人 (2015-12-01 07:22) 

サンフランシスコ人

ブーレーズ/クリーヴランド管の演奏会回数は220を超える...

http://clevelandclassical.com/the-cleveland-orchestra-celebrates-90th-birthday-of-pierre-boulez-a-conversation-with-principal-keyboardist-joela-jones/

>>Pierre Boulez has conducted The Cleveland Orchestra over a span of nearly fifty years. Since making his debut with the Orchestra in 1965, he has led the Orchestra in more than 220 concerts.
by サンフランシスコ人 (2015-12-01 07:38) 

阿伊沢萬

ひょっとすると ブーレーズはセル時代から影の常任指揮者として、今日に至るまでこのオケに半世紀いたようなかんじなのかもしれません。
by 阿伊沢萬 (2015-12-01 22:31) 

サンフランシスコ人

マゼールの時代に、ブーレーズは一度も出なかったはずです....
by サンフランシスコ人 (2015-12-02 06:40) 

サンフランシスコ人

1928年に、ラヴェルが指揮者としてクリーヴランド管の演奏会に出ました....

http://www.clevelandorchestra.com/About/Orchestra-Archives/from-the-archives/2015-4-14-Ravels-Conducting-Debut/
by サンフランシスコ人 (2015-12-02 07:33) 

阿伊沢萬

>マゼールの時代に、ブーレーズは一度も出なかったはずです

なんかこれを聞くと、オーマンディがブーレーズを評価しマゼールをあまり評価しなかったエピソードを思い出しました。


>1928年に、ラヴェルが指揮者としてクリーヴランド管の演奏会に出ました....

これは初耳です…が指揮がかなりあれだったのでオケもたいへんだったことでしょう。
by 阿伊沢萬 (2015-12-03 00:09) 

サンフランシスコ人

「ラヴェルが指揮者としてクリーヴランド管.........」
「初耳です....」

私は以前から知っていました..




by サンフランシスコ人 (2015-12-03 03:28) 

サンフランシスコ人

1970年にブーレーズ/クリーヴランド管の演奏会でラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」の全曲をやったようです....

http://clevelandclassical.com/the-cleveland-orchestra-chorus-mozart-ravel-january-8/

"Pierre Boulez first treated Cleveland Orchestra audiences to Maurice Ravel’s complete ballet music for Daphnis et Chloé in 1970."
by サンフランシスコ人 (2015-12-03 03:41) 

阿伊沢萬

不思議なことです。ふつうはセルとレパートリーをかぶらせない指揮者が当時は多く、ルイス・レーンも確かこのオケの試験を受けるとき、これに似たようなことを言っていたと記憶しています。セルのブーレーズに対する信頼が半端じゃなかったということなのかもしれません。逆に言うと、そんなブーレーズのかつてのこのオケにおける存在も意に介さず我が道を行ったマゼールもこれまた凄いということなのでしょうか。

ブーレーズのダフニス全曲はN響の実演で聴きましだか、N響史上最高の演奏といっていいくらい素晴らしいものでした。1995年の話です。あんなバランス感覚のとれた演奏は聴いたことがありません。ベルリンとの録音とはまた違った名演でした。
by 阿伊沢萬 (2015-12-04 00:00) 

サンフランシスコ人

「プロコフィエフに開眼しました。 ....」

アメリカではプロコフィエフを(実演で)しばしば聴けます...
by サンフランシスコ人 (2015-12-05 06:47) 

阿伊沢萬


日本のオケはかつてプロコフィエフはまったく技術的に駄目でした。今世紀に入ってようやくまともになったのかも。特に元ボリショイ劇場の監督だったラザレフと日本フィルの演奏は素晴らしかったです。ラザレフももっとクリーヴランドあたりのメジャーオケに客演できればいいのですが…。
かつてはあがってたみたいですが。
by 阿伊沢萬 (2015-12-06 01:34) 

サンフランシスコ人

「セルはなかなか特定の作曲家の交響曲をコンプリートで遺さなかったですから....」

セルのインタビューで、グスタフ・マーラーをもっとヤらない理由をしゃべったと思いますが.....
by サンフランシスコ人 (2015-12-09 03:45) 

サンフランシスコ人

2010年のインタビューで、ブーレーズが自分とセルの類似点を...

http://www.cleveland.com/musicdance/index.ssf/2010/01/boulez_conducts_cleveland_orch.html

"Like him, I am very sharp. If I see something in the score I want to hear, I make sure I can hear it clearly. I am not one for packing up quickly."
by サンフランシスコ人 (2015-12-09 07:09) 

サンフランシスコ人

「セルとレパートリーをかぶらせない指揮者が当時は多く....」

セルはフランスのレパートリーが得意な指揮者を探していました...
by サンフランシスコ人 (2015-12-10 03:59) 

阿伊沢萬

自分のオケの長所短所がよくみえてたんですね、セルは。
by 阿伊沢萬 (2015-12-10 20:36) 

サンフランシスコ人

批評家がセルのドビュッシー/海を批判しました...
by サンフランシスコ人 (2015-12-11 03:40) 

阿伊沢萬

そうですか、意外にもフランスでは彼のフランス音楽は評判がいいようです。人それぞれです。
by 阿伊沢萬 (2015-12-16 20:22) 

 サンフランシスコ人

(ニューヨーク?)の批評家がドビュッシー/海(La Mer)をDas MerかDas Meerと呼びました....
by サンフランシスコ人 (2015-12-17 02:31) 

サンフランシスコ人

「(クリーヴランドで)ブーレーズ/クリーヴランドの演奏会に一度だけ行きました......」

作曲家ピエール・ブーレーズの作品の『プリ・スロン・プリ』で1984年 「マラルメによる即興曲」改訂版

ピエール・ブーレーズ指揮、クリーヴランド管、フィリス・ブリン=ジュルソン(ソプラノ)

by サンフランシスコ人 (2016-01-06 07:42) 

サンフランシスコ人

「プロコフィエフ/交響曲第2番も録音してほしかったです....」

無理でした....クリーヴランド管の演奏会には、プロコフィエフ/交響曲第2番が一度も出たことがないみたいですね....

by サンフランシスコ人 (2016-05-06 01:03) 

サンフランシスコ人

「不思議なことです。ふつうはセルとレパートリーをかぶらせない指揮者が当時は多く.........」

ブーレーズ指揮のラヴェル「ダフニスとクロエ」の演奏会は1970年7月25日.....
by サンフランシスコ人 (2016-05-06 06:09) 

サンフランシスコ人

クリーヴランド管弦楽団の新譜情報.....ブラームスのドイツ・レクイエム....

http://www.cleveland.com/musicdance/index.ssf/2017/02/cleveland_orchestra_expands_ca.html

本日のクリーヴランド・プレーン・ディーラー(新聞)より...
by サンフランシスコ人 (2017-02-02 04:00) 

サンフランシスコ人

クリーヴランド管弦楽団...東京に演奏旅行....2018年6月....

http://amati-tokyo.com/performance/20110701.html
by サンフランシスコ人 (2017-09-03 03:44) 

阿伊沢萬

6番と2番の日がいちばんの聴きものになるような気がします。行けませんけど。
by 阿伊沢萬 (2017-09-06 01:57) 

サンフランシスコ人

クリーヴランド管のイスラエル公演は中止....

http://www.cleveland.com/entertainment/2023/10/cleveland-orchestra-cancels-october-tour-in-israel-because-of-war.html

Cleveland Orchestra cancels October tour in Israel because of war

Updated: Oct. 10, 2023, 9:43 a.m.|Published: Oct. 10, 2023, 9:41 a.m.
by サンフランシスコ人 (2023-10-11 02:11) 

サンフランシスコ人

"クリーブランド発 〓 癌治療中のウェルザー=メストが1月からクリーブランド管の指揮台に

2024/01/06....."

http://m-festival.biz/39698
by サンフランシスコ人 (2024-01-09 03:46) 

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