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鈴木秀美指揮山形交響楽団を聴く(07/30) [演奏会いろいろ]

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2030年7月30日(日)
ミューザ川崎シンフォニーホール 15:00開演 

曲目:
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61
(カデンツァ: 松﨑国生&石上真由子)
シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D. 944『ザ・グレート』

ヴァイオリン:石上真由子
指揮:鈴木秀美


山響を聴くのは15年前の飯森さんとトリフォニーでやったブルックナーの4番以来。
指揮者の鈴木さんとソロの石上さんはともに初めて。

特に指揮者の鈴木さんは7年前のサマーミューザでハイドンとメンデルスゾーン聴く予定だったのが、その前に前後してあったノットとフルシャの対抗意識バチバチの2つの演奏会で疲れ切ってしまい泣く泣く断念したという痛い思い出があったので、今回はとにかくという気持ちだった。

15年ぶりに聴くこの日の山響の弦編成は、対抗配置で8-7-5-5-3、というもので、15年前のブルックナーが10-8-6-6-4、の通常配置でコントラバスのみ最後列に横一列というものだったことを思うと、時代に合わせて編成を刈り込んできたという感じにみえた。
(と書いてその後確認したら現在の楽団員数が49名なのでこれがレギュラーなのだろう。失礼しました)

最初にベートーヴェン。

団員が舞台上に揃い指揮者とソリストを待つタイミングの時に一部客席でトラブルらしきものが起き、係員の方の声が大きくはなかったもののホールに多少響き、舞台上にいた団員の方が気にするそぶりをみせていて心配したが、指揮者とソリストが登場後は何事もなく無事演奏がスタート。

今回の鈴木さんのベートーヴェンを聴いていたら1989年にホグウッドがハジェットをソリストに迎えての同曲の指揮を思い出した。

クリアな響きの中に活気あふれる音楽づくり、木管の表情づけの細やかさ、そして終楽章のソロとオケの丁々発止のやりとりのようなそれがあの時を思い出した。

しかしそれにしても山響の木管がこの日はとにかく抜群だった。

というか山響の木管はこんなに凄いのかとかなり驚いた。ひとりひとりが上手いのはもちろんだけど、パートごと、そしてセクション全体がとにかく息が合っている。

ある時は弦とそしてある時はソロと絶妙に掛け合うような表情を随所にみせるそれは、この曲の魅力をフルに発揮させる大きな力となっていたように感じられた。
(もっとも弦楽器が総勢28人という、それこそ19世紀前半のオケの規模に近しいそれでやったから、ここまで素晴らしい効果が聴きとれたということもあるのかもしれない)

特に終楽章は絶品で、まさに「楽興の時」という感じでした。

このオケに対しての石上さんのソロは正確かつキッチリ弾こうというものよりも、ノリと流れに重きを置きながら、オケとのやりとりを紡いでいくといった感じの演奏で、ときおり「踏み外したくてしょうがない」といった部分も散見できるなかなか個性的なものでした。

そしてその思いの丈のようなものは三つの楽章に各々あるカデンツァでフルに発揮されることになりました。

とにかくいい意味であざとくお約束的な聴かせどころ満載、そして聴衆とのやりとりや反応を楽しむかのようにグイグイ仕掛けてくるこの日のカデンツァは、19世紀の頃の名人芸的なヴァイオリニストはこういうカデンツァで聴衆を惹きこみ自分を装い、そしてともに音楽を楽しんでいたのかもなど思わず想像させられるほどのものでした。

それはとても新しい、けど考えようによってはある意味古いタイプなのかもしれないし、ひょっとした原点回帰的なものだったかもという、とにかく貴重なカデンツァを聴かせてもらったという感じでした。

この後ソロでアンコールが一曲。
ベートーヴェン(松﨑国生編/石上真由子委嘱):メヌエッティシモ。

この後休憩時間20分そして後半。


そういえばこの日チュラル・トランペットとナチュラル・ホルンを使っていたように見えたけど、これもなかなか貴重な体験だった。

モダン楽器の中にこういう楽器を混ぜるのは、最近でもエメリャニチェフがシューベルトのグレイトでもやってるので目新しい事ではないのかもしれないけど、自分は実演ではこの組み合わせを聴くのは初めてで、音的に不自然さのようなものは感じられなかった。

しかしこの日のグレイトは目の覚めるような演奏だった。

反復をすべて行っていたように聴こえたけど、演奏時間は55分ほどで、これは同じく反復を行っていた往年の名盤でもあるボールト盤とほぼ同じというもので、明晰で颯爽かつ快活、しかも熱量も素晴らしい。

そして何より良かったのはそのリズムの強靭な弾力性。

自分はこの曲のリズムには、骨太のスプリングのようなものが仕掛けられていて、それがオケが地面に足をつけるかつけないかというところで、足腰の強い跳ね上がりのようなものを利かせるようにいつも聴こえてしまいます。

そのためそこの部分が感じられないと、なんか腰砕けで音楽が不安定に聴こえてしまうのですが、この日の鈴木さんの指揮はこの強さと弾みが存分に感じられ、もうそれだけでも大満足となってしまいました。

しかも前半でもものを言っていた木管がここでもとにかくよく歌いよく弾む。

そのせいかいつもはこの曲がシューベルトがベートーヴェンの影響をもろに受けた曲と感じられるのに、ここでは影響をモロ受けしながらも、むしろ作風的には3番以前の若き日のシューベルト的な音楽にパワー&スケールアップしながら戻ってきたように感じられ、とても興味深いというか、この曲の今迄見えていなかった魅力が感じられ、ちょっと感激すらしてしまいました。これには山響の弦のクリアな響きが大きく作用していた事も大きかったと思います。

そして最後の「同音連打」もとても総勢四十数名でやっているとは思えないくらいの、充実かつ大きな力を含んだ音がホールに鳴り響いていました。(因みにこの人数は1956年にウィーンフィルが初来日した時の人数とほぼ同じ。もっともあの時はトロンボーンがいませんでしたが)

それにしても鈴木さんの指揮の見通しの良さと音楽の躍動感もさることながら、細やかな表情付けは耳を何度もそばだてられたほどで、特に弱音のそれが際立っていました。これがおそらくこの人数でもダイナミックレンジが広く感じられた大きな要因なのかもしれません。あとシューベルトの終楽章ではかなり気合が入ったせいか「シュッ」という息遣いが聞こえてきましたが、往年のクルト・ザンデルリンクが読響とブラームスの1番をやっていた時、こういう息遣いをしていたことを思い出しました。
(「グレイト」とブラ1という、関係深い曲同士ということも思い出した要因のひとつかも)

終演後の熱狂的な聴衆の反応に応えてアンコール。

ベートーヴェン:オーケストラのための12のメヌエットWoO 7より 11番。

これもなかなか乙なものでした。

この日はとにかくいろいろと新しい発見みたいなものがあって、演奏の素晴らしさもありとても充実したものがありました。

暑さでちとバテ気味でしたが、これでまたしばらくは持ち直せそうです。

以上で〆

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