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マゼールのバッハ [クラシック百銘盤]

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マゼールは1960年代半ばにかなり集中してバロック音楽を録音している。

1964年にまずヘンデルの「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」。
1965年の9月にバッハの「ロ短調ミサ」、
その翌10月に「ブランデンブルク協奏曲」、
さらにその翌11月に「管弦楽組曲」、
1966年に「復活祭オラトリオ」を録音している。

演奏はすべてベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)。

マゼールはフリッチャイの死後空席となっていたこのオケの首席指揮者に1964年から就任していることから、その直後からヘンデルとバッハに取り組んでいた事になる。

当時このオケは1962年に29歳で入団した豊田耕児氏がコンサートマスターに就任し、さらには1965年から25歳のゲルハルト・ヘッツェルが入団ということで、かなり若い力が台頭したオケという趣があった。

またバッハの三作品のソロを担当したほとんどが三十代前後で、ロ短調ミサの独唱者でもヘフリガー以外、やはり同世代の人たちが揃っている。

そのせいかこれらの演奏でマゼールはじつに他に気兼ねすることなく、思う存分自らの音楽を展開している。

特に特徴的なのは弦楽器の響きと表情。

節度とデフォルメが交錯しながらも、繊細かつ清澄な響きとリズムの良さが全編に感じられるだけでなく、それらがどの曲でも主導権を握っているのが面白い。

しかしこれほど弦が全面的に、しかも厚ぼったさや鈍さと無縁の響きをモダンオケから引き出したバロック音楽というのを、自分はあまり聴いたことがない。

なので、濃厚な表情をときおりみせながらも、とても爽やかな印象が強く残るのはそのためなのだろう。

因みにブランデンブルクの2番ではこれまた当時三十代のモーリス・アンドレが担当しているが、彼は同年イ・ムジチと、そして翌年にはシューリヒトとこの曲のソロをとり録音しているので、このあたりの聴き比べもまたなかなか面白いかも。


この当時、何故マゼールにこれほどバッハを録音させたのがちょっと不思議だったが、いろいろ調べていてなんとなくその理由の一端が分かったような気がしました。

当時これを録音したフィリップスはドイツ・グラモフォンと業務提携していたことで、マゼールの指揮がこのレーベルで実現したのだろう。

またバッハについてですが、1955年にグールドによる「ゴルトベルク変奏曲」、1958年にリヒターの「マタイ受難曲」やそれに続くバッハの名曲の数々、そしてバッハではないがイ・ムジチが1955年と1959年に録音した「四季」が、バロック音楽、そしてバッハを広め、そして「商い」になることを証明したことが大きく、フィリップスもその流れに乗ったとみるべきなのだろう。

じっさい1965年はマゼールの三作品だけでなく、イ・ムジチのブランデンブルク、ジャンドロンの無伴奏チェロ組曲、そしてヨッフムとコンセルトヘボウによる「マタイ受難曲」が録音されているし、翌年以降もマゼールの「復活祭オラトリオ」、ヨッフムの「ヨハネ受難曲」、シェリングとヴァルヒャによるヴァイオリン・ソナタ、アーヨの無伴奏ソナタとパルティータ、ヨッフムの「クリスマス・オラトリオ」等々が録音されていった。


このマゼールのバッハ。

今はほぼまったくといっていいほど省みられていない。

ただハイフェッツのバッハがシゲティのそれと聴き比べてみると

「天才はかならずしも求道者ではない」

という印象が強く残ると同じように、これらのバッハもたしかに「らしく」はないのかもしれないけど、マゼールという天才にしかできない、というかその語法を認めれば素晴らしく聴き応えがあり、そして聴いてもまるで疲れを感じさせない、じつに見事なバッハと言える。

あとマゼールのバッハ。ロ短調、ブランデンブルク、管弦楽組曲と、後に行けば行くほど、音楽がオケともども、よりこなれているのが面白い。

以上で〆

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「ジョン・ウィリアムズ&ウィーン・フィル/ライヴ・イン・ウィーン」を聴く [クラシック百銘盤]

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1. ネヴァーランドへの飛行(『フック』から)
2. 『未知との遭遇』から抜粋
3. 悪魔のダンス(『イーストウィックの魔女たち』から)
4. 地上の冒険(『E.T.』から)
5. 『ジュラシック・パーク』のテーマ
6. ダートムア、1912年(『戦火の馬』から)
7. 鮫狩り - 檻の用意!(『ジョーズ』から)
8. マリオンのテーマ(『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』から)
9. メイン・タイトル(『スター・ウォーズ/新たなる希望』から)
10. レベリオン・イズ・リボーン(『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』から)
11. ルークとレイア(『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』から)
12. 帝国のマーチ(『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』から)
13. レイダース・マーチ(『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』から)

 ジョン・ウィリアムズ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 
 アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン3 & 13)
 録音時期:2020年1月18日&19日
 録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール


というCDが発売された。

同時発売された映像には、これプラス6曲ということで、自分はコンプリードCDが出ないかと待っていたけど、さすがに一ヵ月待って我慢できなくなりCDを購入した。

なので自分は全13曲のみしか聴いていません。


ジョン・ウィリアムズが1980年にボストンポップスの常任指揮者になった時、自分は彼らの来日公演が実現できないものだろうかと期待していたけど、なにしろジョン・ウィリアムズは作曲家としても多忙なので、それはさすがに実現しないだろうと思っていた。

しかも1984年にオケの一部メンバーによる不遜な態度が、それまでも似たような姿勢に不満を持っていたウィリアムズの堪忍袋が真っ二つに切れ、辞表を事務方に叩きつけたという。

結局オケの事務方トップと、オケの該当メンバーの謝罪により最悪の事態は免れ、雨降って地固まるなのかもしれないが、その後両者の関係は1995年迄続き、その後も桂冠指揮者として関係は続いている。

そんな事件の四年後、ジョン・ウィリアムズとボストンポップスの両者ともに初来日となる公演が1987年に行われ、以降、1991年、そして1995年と三度来日することとなる。これは本当に望外の喜びでした。
(ただし初来日はボストンポップス・エスプラネードオケで、ボストンポップスは残りの二度を担当)

このうち自らの常任指揮者の最終シーズンの、その終わりに挙行された三度目の来日公演の最終日に、当時自らも初めてという、「オール・ジョン・ウィリアムズプロ」が行われた。

内容は、

6月21日昭和女子大人見記念講堂

バルセロナ・オリンピック・NBC-TV用ファンファーレ
11人のカウボーイ
JFK
スター・ウォーズ
(ダース・ベイダーのマーチ、王女レイアのテーマ、メイン・テーマ)
スーパーマン
未知との遭遇
イーストウィックの魔女たち(悪魔の踊り)
偶然の旅行者(愛のテーマ)
E.T.(地上の冒険)

アンコールのみ他公演でもアンコールで演奏されたスーザのマーチだったけど、とにかくこれが彼の初のオール自作自演プロとなった。

当然会場は沸きに沸き、誰もが大満足の公演となりました。


月日は流れ、2019年の3月に世界的名指揮者ドゥダメルが手兵LAPOとともに、オール・ジョン・ウィリアムズプロをアメリカでウィリアムズ自身を招き行われ、その後ウィリアムズは同行しなかったものの、同内容の公演が日本でも行われた。

これはアメリカでも日本でも、当然のごとく大きな話題になり、アメリカ公演はライブ盤として来日時に緊急発売され、日本公演はNHKで放送され、さらに異例ともいえる再放送まで行われた。

そして今年1月。

とうとう作曲者自身がウィーン・フィルを指揮して、オール・ジョン・ウィリアムズプロを、ウィーン・フィルの本拠地、ウィーン楽友協会大ホールで演奏した。

四半世紀前には、本人すら想像できないことだっただろう。

ウィーン・フィルのジョン・ウィリアムズというと、10年前の6月に行われたシェーンブルン宮殿夏の夜のコンサートにおける、当初はジョン・ウィリアムズの招聘が予定されていたコンサートにおける、ウェルザー=メスト指揮の「スター・ウォーズ」が有名だけど、そこでの曲も今回メイン・テーマや帝国のマーチなどが演奏されている。


今年88歳となるジョン・ウィリアムズが自作を、あの楽友協会大ホールでウィーン・フィルを指揮。そしてゲストにムター。

もしこれが日本で実現していたら、かつてのカルロス・クライバーのウィーン国立歌劇場との「ばらの騎士」並みの入場料金(最高ランクで6万5千円)でも瞬時に全席完売していただろう。

そんな超がいくつついても足りないようなスペシャルコンサートだけど、過去二度この組み合わせが流れた事と、この二か月後に新型コロナによりウィーン・フィルのコンサートが長期休止に追い込まれたことを思うと、まさにこの時期しかないというタイミングによる、それこそ奇跡のようなコンサートといっていいのかもしれない。


演奏を聴いてすぐに1974年にマゼールがウィーン・フィルを指揮して録音した、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を思い出した。

確かあれも同曲をウィーン・フィル初の録音ということで、かなりユニークな演奏となっていたが、これも同様に過去のジョン・ウィリアムズの曲の演奏としてはユニークな感じがした。

特にときおりウィーン・フィルをはじめ、いくつかの古い語法を守っているオーケストラがみせる、楽譜としてはズレながらも音楽としては合わせるという独特の技術が随所で散見され、ときおりそれによりリズムの明晰さやキレが後退する場面があり、けっこうそこで好き嫌いが分かれるのでは?という気がした。

ただそれ以外では聴きどころ満載!

「フック」や「ジュラシック・パーク」の冒頭のホルンなど、ホールの響きも相まった、いかにもという光沢と膨らみをもった豊かな響きが魅力的だし、ゆったりとしたメロディの歌い方など、いかにもオペラで多くの場数を踏んできたオケだけあって、米英のシンフォニックな歌い方とはまた違った味のあるそれを聴かせている。

そしてリズムが重い。

これは前述したズレとも関係しているが、ひとつひとつの音は太くないし重くもない、むしろ音質としては軽い部類だろうけど、それがひとつになり、そしてリズムを刻むと、独特のズレとそれに乗っかる各パートのバランスにより、独得の質感の重さがでてくる。

これが随所で力を発揮し、マーチ系ではときおりボストンあたりよりも重い響きが聴こえてくる。

またホールの残響な豊かなこともあって、打楽器群の重低音のそれがかなりの迫力で響いてくる。ただこれまたホールの特性からだろうか、ボストンあたりの録音に比べると、やや横の拡がりが窮屈に感じられる時がたまにあるけど、聴き進めていくうちに気にならなくなっていくのは、やはりそれらを乗り越えてくる、圧倒的な情報量と魅力がそこにあるからだろう。

指揮のジョン・ウィリアムズ。

彼の指揮は1980年頃に比べると年々遅く、そしてやや穏やかにものになっていく傾向があり、それがここでもときおり感じられるけど、それは他の高齢な指揮者に比べるずっと小さいといっていいと思う。

確かに曲によっては、もう少しはやい演奏を、オリジナル等に耳が慣れた人には感じられるかもしれないけど、個人的には数回聴いたら、あまりそのあたりも気にならなくなった。

また遅くなったことが、曲によってはウィーン・フィルの前述した重さと相まって、他の演奏では感じられない、独得の凄みと迫力を生んでいて、それがこのアルバムの大きな聴きものとなっている。


とにかく全体的に、今までのジョン・ウィリアムズのアルバムとしては異色かもしれないけど、予想以上に聴きどころの多いものとなっている。

しかしウィーン・フィルによるジョン・ウィリアムズを聴いていると、ワーグナーがもしあと百年遅く生まれていたら、彼もまたウィリアムズと同じ道を辿ったのではないかと、ふとそんなことを思ってしまいました。


以上で〆

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「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」劇場版雑感 「贖罪」と「救済」そして「愛」と「感謝」の物語 [劇場公開アニメ]

まだ一度しか観ていないのであれですが、ネタバレ全開でいろいろ徒然なるままに、しかも過剰な思い込みをふんだんに織り込んで書いていきたいと思います。

そのためネタバレがダメな方はこれ以上読まない事をお薦めします。

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http://violet-evergarden.jp/
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト


映画をみて劇場を出ると、今までみていた風景が少し違ってみえることがある。
この映画もそんなひとつと言っていいのかも。

まだコロナ感染がいろいろと言われ、
自分も正直今回は初日に行こうかどうしようか躊躇ったが、
偶然にも自分の誕生日が公開日と重なっていたこともあり、初日を横浜にある劇場で鑑賞することにした。

劇場内もマスク必須で座席もひとつずつ前後左右を空けるといういつもと違う風景。
このようにいつもの半分しか座席が割り当てられていないものの、平日の昼ということもあり空席がそこそこ見受けられた。

ただ両隣が空いているというのは落ち着いて見れることこの上なしで、
マスクしながらにもかかわらず、とても心地よく140分リラックスして鑑賞することができました。


念押しですが、ネタバレのダメな方はここで終了することを再度お薦めします。


それでは始めます。


この話は冒頭、第10話の主役だったアンの葬儀のシーンからはじまる。

そこにはアンの娘や孫のデイジーもいる。

第10話はアンが七歳の時の話。
アンは二十歳で最初の子を授かっているので、これがデイジーの母親だったら、この冒頭の場面は第10話から五十年程、つまりまるまる半世紀経った時代ということになる。
(※このあたり映画で詳しく語られていたのかもしれませんが、そうだしたら自分はそこを聞き落としているようです。なのでこの辺りの年月の推移はすべて推測です)

すでに電話が普及し、郵便は伝達手段の王座をそれに譲り、字の読み書きをする人達も多くなったことで、自動手記人形も過去のものとなっていた。

話はデイジーが母親との仲違いが原因でみつけたアンへの五十通の手紙から、これを書いたヴァイオレットの足跡を辿る旅へと出かけるところからはじまる。

そして次に話は場面転換となり、18歳になったヴァイオレットの時代へと戻り、ヴァイオレットの話もここからスタートする。

(※このデイジーの声を、TVでアンの声を担当した諸星すみれさんが担当した事で、何かアンによるヴァイオレット探しの旅のような何とも言えないものも感じました)

ヴァイオレットは外伝でもすでにそうだったけど、TV版第一話に比べて遥かに大人の女性の雰囲気をもつ容姿になっていたが、喋り口調は相変わらずの「ミス・ぶっきらぼう」ぶりではあるものの、ヴァイオレットのギルベルト少佐を失ったそれは大きく、そこには常に孤独の影と、拠り所を失った、半ば抜け殻のようなものも感じられた。

ただある偶然からギルベルト少佐の生存を知り、彼に会う為ホッジンズとともに彼のいる島へと渡る。

このあたりで冒頭の半世紀後に舞台は戻り、今は博物館のようになったC.H郵便社をデイジーは尋ね、そこでかつてここで受付をしていたというネリネとあい、いろいろと話を聞く。

因みにこのネリネはTV版第一話から若き日の姿で登場し、第二話ではベネディクトに一緒に焼きそばを食べないかと誘われ、露骨に嫌な顔をして「いらなあい」と言っていたけど、現在は雰囲気もあのときの尖がったそれとは大きく異なった、いいかんじで年を召されたご婦人になっている。。

話はその後また時代を遡り、ディートフリート大佐や、不治の病に侵されたユリスとその家族や親友、そして電話の台頭とその利便性が挟み込まれ展開されていく。

そこには人間の生と死、そして戦争と平和といったものが織り込まれているが、個人的には、「贖罪」と「救済」、そしてそれを大きく包み込みそれらすべてを肯定していく「愛」と「感謝」が大きなテーマとして描かれているように感じられた。

(※この「贖罪」に関しては、TV版第5話のラストあたりの、ディートフリート大佐の言葉あたりからハッキリと描かれていったように感じられます。しかしディートリヒはTV版第8話でもまだヴァイオレットの事を「武器は武器」と相変わらずの塩対応をしてましたが、それを思うと随分この間にヴァイオレットへの印象が変わったものです)

そしてディートフリート大佐も、ユリスもデイジーも、そしてギルベルトとヴァイオレットも、時代を超越してその大きなテーマに対し苦悩していく。

そしてそれはラストに向かってより深く深刻なものへとなっていくが、このラストで、これは劇場版でも一瞬描かれていたTV版第3話、その中でルクリアの兄へ渡した、ヴァイオレット自身が初めて自分の意志で書いた手紙の言葉

「生きてくれてうれしい、ありがとう」

へと帰結していく。

ヴァイオレットの心がここで終始一貫これであったこと、そして彼女がそのためそこからじつはまったく先へ精神的に進むことができないものが根底にあったことを、ラスト海の中でギルベルトと対峙した時、足を叩きながら、まるで戦争中最後にギルベルトと別れた頃の、まだ少女だった頃のそれに戻ったかのような泣き方をしていたそれが強烈なまでに強く訴えかけてくる。

ホッジンズが終始ヴァイオレットを「ちゃん」付けしていたのは、自身が過保護な父親代わりというだけでなく、そこの部分を強く潜在的に感じていたからなのかもしれないと、このときちょっと思ったりしました。

そしてこれにより、ヴァイオレットは「人形」から「人間」となり、ドールを卒業し、新しい世界へと歩んでいく。


ストーリーは最後ヴァイオレットとギルベルトの指切りで終わる。

一見これは最高のハッピーエンドだけど、それはまた、一人の大人も戦争から帰還しなかった島での、ひょっとしたら自分が手にかけた人たちやその関係者の、親やその子供と生活することになるかもしれないという、これまた「贖罪」と「救済」に繋がっていくものの、こちらはより厳しく深刻な面を持ち合わせているだけに、自分には単純なそれにはみえなかった。

ただもちろん、この作品はそれらを大きく包み込む「愛」、そしてそこからの「感謝」も大きなテーマとして存在しているので、まったく悲観すべきものではないとも思っています。

デイジーがヴァイオレットの切手を見た時と、それについて島の郵便局関係者から聞いた話はそれを裏付けしているかと。

この時あの指を立てるシーンをみてふと思ったのですが、この人、ひょっとしてユリスの弟シオンかなとちょっと思ったりしました。ユリスの件から半世紀程の時期ということで、そうなると本人も五十代くらいのはずなのでなんとなくそう思ったりしまたが、このあたりはどうなんでしょう。

手紙やヴァイオレットに対する強い恩や絆みたいものも感じているでしょうし。

因みにヴァイオレットは18歳で引退し島に行ったという事になっているけど、おそらくヴァイオレットがディートフリートに「拾われた」時、まだ小学生高学年くらいで、ホッジンズに引き取られた時が中学生くらい、そして外伝と劇場版では高校生くらいという感じで解釈しています。

ある意味一番多感で心身ともに成長する時期に、心の一部だけが成長することなく、ある時期からそこに縛り付けられていた事は、ひとつの無意識に強制された「贖罪」であり、その後のそれは何年もの月日をかけての「救済」への道のりとも言えるのかも。

尚、映画ではヴァイオレットがまだ健在なのか、島にまだ住んでいるのか、それともなのかは描かれていませんが、ただすでにある意味過去の人、そして語り伝えられるべき人になってはいるようです。

ただ話からしてすでに島にはおらず、そこを離れるときに、島の人達からの感謝の気持ちにより、あの切手が発行されたのかも。


余談ですが、この映画のラスト近くで、TV版第1話、ヴァイオレットが病院のベットの上で手紙を書いているシーンの一部が流れるけど、これをみて、かつてブラームスが晩年クラリネットソナタを書いた時の「蛇が尾を噛み、環は閉じられた」という言葉を思い出しました。


最後に。

自分はこの作品をみるといつも心に温もりを強く感じる。

それはストーリーのそれもあるけど、手紙が電話とは違い、相手がその人の都合に合わせて読むことが出来る、ある種の思いやりのある伝達手段であるという、その特質が色濃く全体に反映されているのかもしれません。TV版第10話などその結晶ともいえるような気がします。


以上何の脈絡もなくだらだらと書き進めてしまいました。

あと劇場版をご覧になったら、テレビ版をできれば全話見返す事をお薦めします。各話からのこの映画に織り込まれたテーマやメッセージがいろいろと発見できるかと。


これで以上です。


誤字脱字はご容赦を。

あと再度劇場に出かけみることがありましたら、その時まだ付け加えたり訂正をかけたりするかもです。


最後にこの作品の制作に関わったすべての人たちに深い感謝の意を捧げます。

ありがとうございました。


〆です。

※少し一部書き直しました。(2020 9/20)


公開されて一週間程経ちましたので白状しますけど、自分はこの映画の二つのシーンで胸が締め付けられるようで、思わず必死に涙をこらえたシーンがありました。

それはヴァイオレットのお墓参りのシーンと、島の亡くなった方への花環を海に捧げるシーン。

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この作品の制作に関わられたすべての皆様に神様の祝福がありますように。


(2020/10/13)

二度目を見に行きました。

ヴァイオレットの背中と足元の表情が秀逸で、これほど顔以外で強く感情の微妙な陰影や揺らぎを描いた作品って他に何かあったかなあと、ちょっと唸ってしまいました。

あと、ほんとうにどうでもいいことですが、ギルベルトがつくったあの手動リフト。

あれ、これからはヴァイオレットが回す係りになるんだろうなあと、ちょっとそんなことを思ったりしました。

しかし正直言うと、人の死を描かれると、若いときは涙と感動をすぐ覚えたのですが、都市をとってきて、何人もの人を見送る経験を積んでくると、ちょっと辛いものも感じます。

またヴァイオレットが戦場で次々と兵士を殺害するシーンにおける、殺される兵士ひとりひとりの命と、ユリスやアンやその母の命と、本当はそこには差があっていけないものの、そこにどこか「個」における差をつけて知らず知らずのうちにみている自分にも、何か釈然としないものを感じてしまいました。

このあたり、あまり深く突っ込むと泥沼にはまりそうなのでここで終了します。
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ハトとヤマバト [ひとりごと]

ハトというと自分にはよく街にたむろしている「カワラバト」、
いわゆるハトと呼ばれるそれがすぐ浮かんでくる。

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wikiより

平和の象徴というけど、
じつは自分には「はとバス」には申し訳ないけど、
印象はかなり芳しくない。

それは糞害等の問題もあるけど、
人が外で何か食べているとすぐさま足元によってきて、
そのおこぼれにあずかろうと群がってくるからだ。

そこに最初はハトがいないものの、
食事をしだすと1分も経たないうちに近くに飛び降り寄ってくる。

それは横浜の帷子川でパンを食べていても、
秋葉原でケバブサンドを食していてもまったく変わらない。

自分はそのためこれらのハトを、
「物乞いバト」もしくは「乞食バト」と呼び、
ひじょうに忌み嫌っている。

以前はよくノラネコが嫌らしく喉を鳴らしながら寄って来たけど、
最近はハトが別の意味で喉を鳴らしながらやってくる。

ほんとうに人に媚びた生き物と自分にはうつってしまう。

というわけで自分はこれら通称ハトとよばれているカワラバトが本当にダメ。


因みに余談ですが上でちょっと触れた糞害だけど、
このカワラバトは伝書鳩やレース鳩としても使われているが、
Wikiによると
「地磁気を鋭敏に感知できる生体磁石の能力も持っている」
という能力がそれに関わっている可能性があるようで、
そのせいか磁気に弱く磁石を忌み嫌うらしく、
それを利用して寄り付かないよう糞害の対策をしているところもあるとか。


そんな自分の家の近辺にはカワラバトはほとんどおらず、
かわりに通称ヤマバトと呼ばれている「キジバト」がよくいる。

キジバト.jpg
wikiより

これらは本来山間部に住んでいるため、
自分のような山がそこそこ近い郊外では珍しくない。

たまに電線の上などに止まっているが、
近くで見れば首にカワラバトでみかける緑のラインがないので分かるが、
遠くからみているとカワラバトとあまり見分けがつかない。

ただあの独特の鳴き声、
特に山などにハイキングにいくとよく耳にする声を聞くと、
これがキジバトかどうか遠くでもすぐ分かる。

それは誰もが耳にしたことがあると思われる独特の

「くぅおくおぅ、ほうーほうー。くぅおくおぅ、ほうーほうー」

というこの特徴あるリズムと節回しのそれを何度も繰りかえすそれ。

※これはwikiでは「ホーホーホッホー」「テーデー ポッポー」といように、
いろいろと表現されている。
https://www.youtube.com/watch?v=qYAOo43QQYo

このキジバトはカワラバトほど人になつかないため、
農業を営んでいない自分には直接利害はなく、
またその鳴き声もよく山中で聞くせいか、
個人的に近所で聞いても森林浴的な心地よさを感じてしまう。

なのでそのイメージは個人的にはすこぶるいい。

同じハトなのにと思うかもしれないけど、
やはり個人的な体験というものが大きいのだろう。


因みになんでこんな事をいきなり書いたかと言うと、
今日もまた近くでずっとキジバトが、
そのやや籠り気味の中音域で朴訥に鳴いているのが聞こえたので、
とりとめもなく書いた次第です。

しかしなあ、
シェーンベルクの「グレの歌」に「山鳩の歌」というのがあるけど、
あれにそんなものが歌えるようなイメージは少なくとも自分にはわかない。

そういう意味では、それを考え出した人の感性はある意味只者ではないと思う。



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この時期のオーケストラの演奏会に思う事とご提案 [演奏会いろいろ]

コロナ大流行の長期化によって、クラシック音楽の演奏会、特にオーケストラの公演はかなりの被害を受け、しかも大きな制約を課せられる状況になっている。

管楽器の飛沫の飛び方、そして奏者間のソーシャルディスタンスなどがそう。

これらは基本的な配置、さらには奏者が長年アンサンブルの基本として培ってきた「理想的かつ効率的な感覚」的なものが絡んでいるので、これはかなりしんどいものがある。

もし野球で各塁間をすべて1m伸ばしたら守備側も走塁側もかなりたいへんな事になると思う。それと同じかと。


とにかくどこのオケも四苦八苦してるし、特に編成の大きな曲や合唱付きの曲はさらに過酷な状況になっているといっていいと思う。

そのため多くのオケが編成を刈り込み、小ぶりな曲を中心に演奏する傾向が強くなっている。


ただこのご時世だからこそやれるやり方というものもある。

例えば最近注目されはじめている、シェーンベルクによって設立された「私的演奏協会」が演奏していた、多くの作曲家の管弦楽曲や交響曲を室内楽編成に編曲した版による演奏。

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※CDもいろいろと出ています。

これは最近ペトレンコが指揮したものがテレビで放送されたものを見た方もいらっしゃるだろうし、以前バイエルン放送響のメンバーが日本でもこの版による演奏会を開いた事があるので、御存知の方も多いかと。


このあたりを取り上げるのも今の時期だから可能かと。

あとバッハのブランデンブルクやモーツァルトのハフナーセレナード、そしてビゼーの「アルルの女」の原典版を、指定された楽器数でやるというのも面白いと思うし、ブラームス、そしてブルックナーの中期くらいまでの交響曲を二管遵守、そして弦楽器を作曲された当時の欧州の一般楽団の平均に近い、四十名程におとしてやるのも新鮮でいいかもしれない。


最近は奏法云々を当時のそれにあわせてやる傾向があるけど、ならば編成もそれにあわせるというのは、決して理にかなわない事ではないと思うけどどうなのだろう。

あとバロックはピリオド系がメインになると同時にオケのレパートリーから意味なく外される傾向があったので、この機会に再度世に問うというのもありだろう。

また編成を小さくすると全員が出られなくなるというのなら、前半と後半をメンバー総入れ替えというのもひとつの手だと思う。ただそうすると一回の手取りが減ってしまうかもしれませんが、全員の感覚にバラつきが生じないようにするにはひとつの案として有りだと思います。


とにかくこの時期だからできるものというのもいろいろとあると思うので、この状況を逆手にとって、いろいろと新鮮なそれを各団体に企画してほしいところです。



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ブランフォード・マルサリスの「Random Abstract」 [JAZZ]

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①Yes and No (Wayne Shorter)
②Crescent City (Branford Marsalis)
③Broadway Fools (Branford Marsalis)
④LonJellis"(Kenny Kirkland)
⑤I Thought About You (Johnny Mercer, Jimmy Van Heusen)
⑥Lonely Woman"(Ornette Coleman)
⑦Steep's Theme"(Branford Marsalis)
⑧Yesterdays (Jerome Kern, Otto Harbach)
⑨Crepuscule with Nellie"(Thelonious Monk)

Branford Marsalis - saxophones
Kenny Kirkland - piano
Lewis Nash - drums
Delbert Felix - bass

August 12–13, 1987


ブランフォード・マルサリスとはとにかく相性が悪い。

1985年の斑尾で聴いたセクステット。
1986年のライブ・アンダー・ザ・スカイで聴いたハービーのトリオとの共演

どちらも正直何が何やらという感じでポカーンと聴いてたという印象しかない。

なので1987年の斑尾にあらわれたこのカルテットも期待薄だった。


この年の斑尾の目玉は70歳を迎えたディジー・ガレスピーのビッグバンド。

当然これを目当てに来た人も多かったが好事魔多し。

初日最初こそ好調な滑り出しをみせたものの、途中から遠くの山から霧がすべるように近づいてきて会場全体を霧が包み込み、芝生に座っている自分の足しかみえないくらいに視界がおちた。

音は聴こえるが姿も何も見えないという、野外で大音量でCDを聴いてるような、極めて異常な状況になった。そのうち小雨が降りだしそのおかげで霧が晴れたが、今度はその雨が大豪雨に発展。

ついには舞台の天井がクラッシュし、中央の全体の1/3しか舞台が使えないという非常事態。

このためメインのガレスピーバンドは、中央の1/3にリズムセクションが固まり、その前にガレスピーが仁王立ちになってペットを吹き、他の奏者はソロを取る時のみバックステージからあらわれ、そして次の人とバトンタッチして引っ込むという、たいへんな状況になってしまった。

ガレスピーは演奏中に「雨よやめ!」と叫びながらソロを取るし、単独ゲストでこのフェスにやってきてたラリー・コリエルが飛び入りで熱いソロを取ったりと、観客もこれに皆ずぶ濡れになりながら熱狂的な反応をしたりと、とにかくかなり破天荒なステージとなった。

横では必死に天井がこれ以上崩壊しないよう補強したり、舞台上を必死に拭いているスタッフが懸命に頑張っている姿も印象に残った。


翌二日。


この日も途中濃霧に襲われたものの前日のような豪雨にはならなかった。

このフェスは連日ガレスピーバンドが昼のこのメインステージでトリをつとめたが、二日目のこの日だけはブラフォードのグループがメインだった。

じつは前日もそんなにブランフォードは印象が残っていないが、このトリをつとめた二日目のブランフォードは圧巻だった。

情けない事に何を演奏したかは覚えていないけど、演奏を始める前に霧の影響かどこかうす暗くしかもうすら寒い雰囲気だったのをみてか

「これからみんなをホットにしてやるぜ」

みたいな事を言って始めた演奏がとにかく凄かった。

他のメンバー、特にカークランドのピアノも強烈だったけど、とにかくブランフォードのソロが圧倒的で、これでもかと本当にこちらがホットになる熱いソロを吹きまくった。

聴いていて「ブランフォードってこんなに凄かったっけ」と本当に今迄自分は何聴いてたんだろうというくらいの、とにかく圧倒されるステージがこのとき展開された。

翌三日目もブランフォードは絶好調で、こちらも聴いてて凄く気持ちよかったけど、この日は途中でカンカン照りになって、暑くてボーっとしてしまったのがさらに情けなかった。


この斑尾の後。ブランフォードグループのメンバーは東京のスタジオで二日間にわたりレコーディングしたというのを、じつは自分は知らなかった。

なので翌年このアルバムが発売されたのも知らず、このアルバムの存在を知ったのは、なんと令和に入ってから。

全体で73分収録というこのアルバムだけど、フェードアウトする演奏がひとつもないせいか、ちょっとしたスタジオライブ的な雰囲気すら感じられ、そのためかあの斑尾での感覚が蘇ってくるような気がしたものでした。

特に一曲目のそれは斑尾での演奏を思い出すほど熱い演奏で、「ひょっとするとこの曲もあの時演奏していたのかも」と、ふと思ったりしました。

海外ではブランフォードのアルバムのなかで「幅広いレパートリーを披露した録音であり、最も興味深い(そしてやや変わった)録音のひとつ」と評価されているようですが、自分にとっては前述したように、斑尾で熱く圧倒的に吹きまくったブランフォードを思い起こさせてくれるアルバムとなっています。

因みにこの録音の半月後にあったニューポートのフェスでの同じメンバーによるライブがUPされています。
https://www.youtube.com/watch?v=zw_yQ3V5gEU

これもあの斑尾のそれを彷彿とさせる演奏です。

尚、このアルバムのプロデューサーとして、デルフィーヨ・マルサリスガクレジットされていますが、先の斑尾にもトロンボーン奏者として登場、日本デビューをこのとき飾っています。
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凶悪事件を眠らせるな! [凶悪事件を眠らせるな!]


またこの日が来ました。
既存の項目ですが、
毎年この時期事件を風化させないためにこの場所にもってきています。
いろいろと捜査は続いていますがなかなか犯人に行きつきませんが、
逃げ得だけは絶対許せません。
一日も早く真犯人が捕まり罰られますことを願って。

----------------------------------

「大和田町スーパー事務所内けん銃使用強盗殺人事件」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E5%BC%B7%E7%9B%97%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_10/hachioji.html

https://matome.naver.jp/odai/2139683975423666701

当時あまりの酷さに憤ったものの
(平成7年7月30日午後9時15分過ぎに発生)
犯人はすぐつかまるのでは?という考えもあった。
しかしそれから世紀を超えもう25年以上たってしまった。
一時犯人を知るという人物がいる話があったが
それも今は立ち消えとなっている。
かなりの長期戦になっているがなんとか犯人を一日でも早く逮捕し
遺族や関係者のためにも解決してほしいものです。

またその翌年におきた「柴又三丁目女子大生殺人事件」
も忘れてはいけない凶悪事件だ(平成8[1996]年9月9日午後4時39分ころ発生)が
こちらも今年で24年目となってしまった

そしてこの事件の4年後の今度は年の瀬に
あの「世田谷一家四人殺人事件」が発生した。
こちらもいまだ犯人は捕まらない。

これらの事件がその後の凶悪事件の頻発
そしてそれは空巣や強盗における凶悪化への引き金になっているような
そんな気がしてしかたがない。

でもそういうことよりとにかくこれらの事件の犯人はなんとかしてほしい。
これでは被害者の親族や関係者の方々も辛いどころではないだろう。

情報や心あたり
または何かのヒントが浮かんだ人は直接警視庁等に連絡をしてください。
凶悪事件をこのまま眠らせてはいけない!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』における「世田谷一家殺害事件」

その他情報提供サイトがあったらコメントに貼り付けていただいてもOKです。

何度でも言います。

凶悪事件を眠らせるな!

因みにこの記事URLの 07-30 はこの事件が風化しないよう
「大和田町スーパー事務所内けん銃使用強盗殺人事件」が起きた日付にしています。(1995年7月30日夜)

(追補)
2020年7月29日。
「中国人の男『八王子で強殺』知人に告白」
という記事が時事通信から出た。しばらく推移を見守りたい。


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アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団 [クラシック百銘盤]

トスカニーニが1941年の11月から翌年2月にかけてフィラデルフィア管弦楽団に客演し、その時演奏した曲目の多くがセッション録音されました。

トスカニーニが何故この時期フィラデルフィアに客演したかというと、トスカニーニとNBC上層部にオーケストラ団員にまつわるいくつかの事実が発覚、それを知ったトスカニーニが激怒し1941年秋からのNBCとの契約を拒否し楽団から去ってしまったことがそもそもの発端とか。

このためトスカニーニはその機会にNBC以外のオケに客演することになるのですが、彼にとって最大のハイライトとなったのがフィラデルフィアへの客演となりました。

当時このフィラデルフィアのトップに立っていたのはユージン・オーマンディで、フィラデルフィアはボストン響と並んで名実ともに全米最高の楽団といわれていました。

オーマンディは1936年からこのオケのトップにいましたが、1940年のシーズン迄は前任者ストコフスキーとの共同だっため、彼自身が単独でこのオケのトップとなったのは、この1941年のシーズンからでした。

オーマンディはトスカニーニを生涯深く尊敬していたこともあり、その最初のシーズンにこの報せはオーマンディにとって願ったり叶ったりだったかもしれません。

トスカニーニは11月中旬にまず、

・シューベルト:交響曲第9番ハ長調 D.944『グレイト』
・ドビュッシー:『イベリア』
・レスピーギ:交響詩『ローマの祭り』

を演奏し、その直後にこれらを録音。


翌年1月と2月にはニューヨークとワシントンで三回ずつ指揮台に立ち
1月に

・ハイドン:交響曲第99番変ホ長調 Hob.I:99
・バッハ(レスピーギ編) :パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582
・メンデルスゾーン:『真夏の夜の夢』より7曲[1942年1月11,12日]
・R.シュトラウス:交響詩『死と変容』 Op.24

2月に
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』
・ドビュッシー:交響詩『海』

を演奏し、これらも1月と2月にそれぞれ録音がされました。


ですがこれらの音盤の制作過程で事故が起き、不純物が制作時に混ざったことや、戦時中ということで、素材が良質のものではなかった等の理由により、音盤はノイズの激しいものとして仕上がってしまったようです。

トスカニーニはこれを聴き一部は破棄を命じたもの、残りは許可を出したり、再録音をするということでいったんは落ち着きました。

ところが1942年から 1944年にかけて全米音楽家ユニオンによるレコーディング禁止令のため再録音が出来ず、そうこうしているうちにフィラデルフィアがRCAからコロンビアに移籍したことから、RCAはこれらをすべて廃盤扱いにし、すべてNBCと再録音することに決定ということになったようです。

このときトスカニーニはそれを聞いてかなり激怒したようですが、じつはそれくらいトスカニーニはこの録音を高く評価していたようです。

結局この録音はトスカニーニの生前ついに日の目をみませんでしたが、1962年のトスカニーニの没後5年時に、この時の録音を何とか使えないかと当時のスタッフがシューベルトのグレイトのテープを修復したものの、原盤の状態がかなり劣悪で、最初の二つの楽章だけで、修復に750時間かかるという大苦戦を強いられたとか。

最終的に残り二つの楽章を含めた四つの楽章を復刻、翌年にはこれがLPになり、それは日本でも発売されました。

その後さらに7曲が修復され1977年にLPで発売されました。

さらにその後CDの時代になり1990年の晩秋に四枚組の紙製のボックス入りでこれら全8曲が発売されました。

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自分はシューベルトのみかつて1970年代にFMで聴いたことはあるものの、それ以外はこの時初めて聴いたのですが、正直その音質の悪さ、特に盛大なノイズのそれにはかなり驚いてしまいました。また回転ムラによる音のふらつきも曲によっては散見され、正直いくらテープ録音以前とはいえ、これはいかがなものかという感じがしたものでした。

ですが、それでも演奏はかなりのものがあり捨てがたい魅力があり、手放すことはさすがにできませんでした。

ところが2006年。RCAがソニーに権利が移った事で、トスカニーニのこのセッションを再度最新の技術で復刻、さらにワルターやセルでも使用され音質向上に成果を上げたDSDも使用し、CD3枚に収めで発売されました。

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トスカニーニ没後50年に合わせてのそれということですが、これが素晴らしかった。

確かにあいかわらずノイズや原盤の傷、また以前はノイズでマスクされていた原盤の切れ目の繋ぎなどがハッキリ聴きとれるようになったという痛し痒しの部分はあるものの、とにかく1990年のCDよりはるかにノイズが後退、音の立ち上がりや質感の向上、そして緯線より管もクリアに前面に出るようになりました。

最初はその分弦が引っ込んだように聴こえたものの、聴いているうちに前の録音同様の厚みも艶も確保された音質に仕上がっていることが確認され、ようやく年代相応にほぼ近い音質にまで改善され、おかげで繰り返し聴いてもまったく苦にならず、このセッションを愉しく聴くことができるようになりました。

もしトスカニーニが生前このレベルの音を耳にしていたら随喜の涙を流したのではないかというくらい、とにかくようやくまともな音になってくれた。


ところでこの演奏。

聴いていて、なにかベーム指揮のウィーンフィルのセッション録音とどこか重なるような感じがした。


ベームというと初期はトレスデン、その後ウィーンフィルと録音したものの、ウィーン国立歌劇場の地位を去った頃からドイツのグラモフォンに移籍し、主にベルリンフィルと録音をするようになった。

この時期のベームを色気や柔軟性に乏しいという意見が多く、そのためウィーンとの共演は互いにかけている部分を補った演奏と、高く評価された。

このトスカニーニにとフィラデルフィアにも自分はどこかそれを強く感じる

確かにNBCのようなアタックの強さや、ティバニーの強靭な響きは感じられないものの、NBCの時の柔軟さや色彩感の不足がここでは払拭され、トスカニーニのNBCでは聴くことのできなかった、より自然な流動感、強弱のデリケートなコントロール、そして決して過度に刺激的にならない陰影の妙など、隠れた、もしくは彼本来の魅力のそれが表出されたように聴こえるように感じられた。

そしてひょっとして、もし戦後彼がウィーンフィルとこれらの曲を録音したらこんな感じに仕上がったのではないかとすら感じられたものでした。


ところで自分は最近このトスカニーニのフィラデルフィアセッションを録音された順に聴くようにしているが、それを聴いているとかつてセルの後を継いだマゼールが、クリーヴランドを指揮してその最初のシーズンの終盤に録音したプロコフィエフを思い出した。

それは最高の状態にある最高のヴィルトゥオーソオケを指揮した喜びといっていいのだろうか。無駄な練習に時間を割くことなく、自らの思う理想的な音楽を練習する以前からすでに奏でる事のできる団体と対峙することで、自分の音楽をより強くオケに投影できる満足感というのだろうか。

とにかくそういうものが、最初のシューベルトのグレイトからもすでにそれが溢れんばかりに伝わってくる。トスカニーニがこの録音を廃盤にされた怒りと嘆きがあらためて感じられるほど、とにかくトスカニーニの気持ちのノリが素晴らしい。

その軽やかな足取りと弾力性のあるリズム感、そして隅々まで瑞々しく歌いつくされたそれは、天性のメロディーメーカー、シューベルトの二十代の若々しい息吹すら感じさせるもので、これは間違いなく同曲屈指の超名演といっていいと思う。

(ただオケの方も決して通常運転でトスカニーニに対応できたというわけではなく、全団員が今迄にないほどかなり強い緊張感をもち、個人個人のレベルでもいつも以上の練習をした上でこのセッションにのぞんだようです)

この雰囲気は翌年のセッションでももちろん健在だけど、トスカニーニとフィラデルフィアが互いに手の内がつかめてきたのか、41年の11月のセッションの時のような他流試合的な緊張感よりも、共同作業的な雰囲気が若干強くなったように感じられる。

特に2月の「悲愴」はストコフスキーはもちろん、オーマンディもすでにフィラデルフィアと録音しているので。トスカニーニもフィラデルフィアの語法と伝統というものを尊重しているようなものが感じられる。ただそれは妥協とはまた違うものかと。


この時期がすぎると戦争の激化等の状況の変化もありトスカニーニは再びNBCに戻り指揮をするようになる。
(因みにあの有名なNBCとの「レニングラード」アメリカ初演はこのフィラデルフィアの「悲愴」の五か月後)

そしてトスカニーニはNBCと1954年までその関係を結び続けることになる。


もしというのはあれだけど、もしトスカニーニがNBCに戻らず、またフィラデルフィアもコロンビアに移籍しなかったら、トスカニーニとフィラデルフィアははたしてどうなっていただろう。

さらに十年以上その関係が続き、NBCとの録音されたその多くがフィラデルフィアと録音されたかもしれないし、その中にはベートーヴェンやブラームスの全集も含まれていたかもしれないし、そうなっていたら、トスカニーニのイメージは少なからず今とは違っていたかもしれない。

とにかくそんなことをふとこの一連の録音を聴いて思ったりしました。

トスカニーニとフィラデルフィア。

決して録音は多くありませんが、いろいろと考えさせられる珠玉のセッションといえると思います。


◎録音内容

① シューベルト:交響曲第9番ハ長調 D.944『グレイト』[1941年11月16日]
② ドビュッシー:『イベリア』[1941年11月18日]
③ レスピーギ:交響詩『ローマの祭り』[1941年11月19日]

④ メンデルスゾーン:『真夏の夜の夢』より7曲[1942年1月11,12日]
エドウィナ・エウスティス(ソプラノ)
フローレンス・カーク(ソプラノ)
ペンシルヴァニア大学グリークラブ女声合唱団

⑤ チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』[1942年2月8日]
⑥ ドビュッシー:交響詩『海』[1942年2月8、9日]
⑦ ベルリオーズ:『マブ女王のスケルツォ』[1942年2月9日]
⑧ R.シュトラウス:交響詩『死と変容』 Op.24[1942年2月11日]


アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団

録音場所:フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック

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「波よ聞いてくれ」第12話「あなたに届けたい」をみて。 [アニメ]

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正直言うと、最初の頃はこの話のスピードについてけなかったし、話によってはまったく合わないものもあったけど、それでもとにかく毎回見逃さずに見続けさせる何かがある作品だった。

で、今回の最終回。

今迄の11話の総括というわけではないけど、その多くのものがここに否応なくかかわる事柄がメインに据えられた話だった。

北海道胆振東部地震

2018年(平成30年)9月6日3時7分59.3秒に、北海道胆振地方中東部を震央として発生した地震。地震の規模はMj6.7、震源の深さは37 km。最大震度は、震度階級でもっとも高い震度7、北海道では初めて観測された。(以上ウィキペディアより)


それがこの日、このアニメで描かれた。

実際の地震は3時7分に起きたが、このアニメでは3時半過ぎに起きたことになっている。

なので厳密にはこれがその地震をそのまま描いたわけではないのかもしれないが、その後いろいろな描写は、間違いなくそこからのものが流用されている。


そんな地震を扱ったこの最終回。

話はいつもの面子によるいつもの雰囲気で、何事もなく日常が続いていく。

放送開始後。

ミナレの淀みの無い話もいつも通りだし、深夜ということもあり本番が始まる早々あくびをしている瑞穂の姿など、いつもと変わらぬ平和な日常。

それが放送間もなく起きた地震によりすべてが一瞬にして非日常になる。このあたり多くの人達が一気に非日常に突入する瞬間がいろいろと描かれているし、中には「おいおい」というシーンもある。

とにかくここのあたりの描写もかなり細かい。

このとき地震は3時32分頃起きたとなっているが、本編でも麻藤がスタートと言ってから1分20秒程でペットボトルの水面に小さな波紋が起きた描写があるのも細かい。

この後、話は一気に非常時に突入する。

後半、瑞穂がみている画面の時刻が3時34分となっているが、実際ペットボトルの水面のシーンからCMを挟んでこの瑞穂が画面をみているシーンまでも四分程なので、少なくともこの前後まではリアルの時間とシンクロさせている。

そして本当の胆振地震の時は発生後18分で道内全域が完全に停電、いわゆるブラックアウトになるのですが、このアニメでも、放送開始から20分が経った3時50分を時計が指しているシーンが来る前に、道内全域が停電している事をミナレが伝える。

またミナレが伝えた震度や、その前に瑞穂がみていた各地の震度も胆振地震で気象庁が発表したそれと同じと、とにかく細かい。

このときミナレがかなり動揺しているシーンが描かれているけど、あれが普通だと思うし、ミナレだからあれで済んだのだと思う。

またこのとき麻藤とミナレのメモと目のやりとりが秀逸で、ここでもラジオならではという感じがした。

その後ミナレは、不安になった人達のそれを情報混みでひたすらラジオで読み続ける。

このため見ているこちらにもそれがひじょうにリアルに感じられ、非常時に人間はどう動くか、そしてラジオは何ができるか、そしてプロがそこでやるべき事がじつに濃密に、そして強いメッセージも強烈に感じられた。

311の時に、そして最近のコロナの時も、右往左往した付和雷同的な報道が、己の主義出張のみを前面に出したかのように、制限なく垂れ流されたいくつかの民間放送のテレビのそれを思うと猶更でした。


地震後動き出す多くの人達の描写でこの話は閉じるけど、この最終回がいつ制作されたかはわかりませんが、何か今のコロナで厳しい状況に置かれている今の人たちにエールを送っているかのようで、ものすごく強く心に残るラストでした。



※余談をひとつ。

胆振地震の時の札幌の日の出はミナレが放送を終えた直後の5時4分なので、あの星空のシーンは地震直後に実際みえたそれをうまくこれに被せたのかも。因みに札幌の天気は前日の午後からこの日の昼までは晴れ、朝の最低気温は20度だったそうです。


※もうひとつ余談。

主役のミナレを演じた杉山里穂さんの演技力を高く評価する声をよくみかけるけど、正直にいうと自分はそのことより、それだけの人が2017年にデビューして以来、この作品まで一部のファンの方達を除けばほとんどノーマーク状態だったということに、自分はこの業界の怖さを感じてしまった。

もし杉山さんがこの役をしてなかったらはたしてどうなったのだろうかと。これだけの人がほとんどその実力を認知されないまま終わったのかもと思うと本当にきついし、また杉山さんと同等の実力のある人も、じつは以前の杉山さん同様一部のファンの方達のみにしか知られないままで現在に至っているのではないかと、本当にこのあたりいろいろと考えさせられてしまった。

これと同じことはファイルーズ あいさんにも言えるかもしれないけど、今後このあたりの人が次どうなるか、そして実力がありながら埋もれている人達はどれくらいいるのかと思うと。何かいろんな意味で怖いし考えさせられてしまいました。


以上で〆
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この夏のマスクとの付き合い方 [ひとりごと]

「最初にお断りしておきますが、自分は医療関係の人間ではないので、あくまでも一般素人の発言としてみてください」

これより本文


なんとなくだけどコロナに関するそれが全国的に一息ついた気がする。

ただまだワクチンも特効薬も無いという状況は変わっていないので、何かが大きく好転したという気は正直しない。むしろまったくの現状維持状態が続いていると言っていいのかもしれない。


ただそんな中でようやくだけど自分なりにあることがようやくつかめるようになった。

それは「マスク」の使い方…というよりそれとの付き合い方。

medium.jpg

自分はマスクというのは感染を防ぐというより、感染をさせないためというふうに考えていた。

確かにそれは間違ってはいないけど、それは二次的なものということに最近気づいた。

つまり感染しない感染させないための最大のそれは、

「人との距離をしっかりとること」

※今はやりの、そして自分はあまり好きではない言い方でいえば「ソーシャルディスタンス」ということと同じかと。

ということでこれが最優先でありメインだということ。

そしてあくまでもマスクはそれが出来ない時につかう非常手段であり、しかも効果は「他人に感染させないということ限定」ということをしっかりと意識するということ。

だからマスクを買うために距離を詰めて長時間並ぶなどというのは、本末転倒も甚だしい愚行と自分は考えている。

(もっとも自分の近所の薬局やスーパーには、3月以降一度これを書いている6月下旬に至る迄マスクが店頭に並んだのを自分は見た事がないので、自分にとってはあまり関係のない話ですが)


なので今年の夏はマスクはそういうものと考え、とにかく意味なく惰性でつけず、人との距離がとれない非常手段時(室内や車内、そして混雑時等)のみに補助的に使用することで、間違っても熱中症などにかからないようにするという、そんなやり方でお付き合いしていきたいと思っています。

もっともお店などは例え空いていてもそういうことに平常時からかなり気を使っているので、屋外屋内を問わずマスクをつけるようにしている。これは感染云々だけでなく、接客業の人に対する最低限のマナーであり心遣いかと。


だから同じ理由で、ちゃんと人との距離を考えて歩いてる人なら、屋外でマスクをしていなくても自分は何とも思わない。もっともマスクもしないで平気で人との距離を詰めたり、お店の中でガンガン喋る人には正直?となってしまいますが。


あとここからは勝手な思い込みなのですが、自分は今回のコロナは、コロナのウイルスを「浴びる」もしくは「浸かる」ような状況じゃないかぎり、そう簡単に感染しない、もしくは重症化しないのでは?と思っています。

つまり至近距離でマスクをしない状態の人から大きな咳やくしゃみ、またはガンガン語られる時に飛び出す飛沫とともに排出される大量のコロナウイルスを「浴びる」、もしくは室内でウイルスをもっている方が排出したことで、室内に大量のコロナウイルスが滞留している中に「浸っている」状態がとにかく危険なのではと考えています。

「人との距離をとること」「部屋の換気をこまめにしっかりとる」ということを最近しつこいくらい専門家の方が言ってるのも、じつはそういうことが大元にあるんじゃないのかなと。

もちろんだからといって手洗いの励行を疎かにしては駄目だけど、自分はとにかくそう考えるようになりました。


自分は専門家ではないですし、特に後半は勝手な思い込みだけど、そう思うようになってから、ちょっと気持ちに余裕ができるようになった。もちろんそれは油断とは別のものだけど、不必要に恐れることはなくなりました。


最後に繰り返しになりますが結論として、

①とにかく「感染しない」「感染させない」ためには人との距離をとることが最優先。
②マスク着用はそれが出来ない時の「人に感染させないため」の非常手段。
③お店に対しては気遣いとマナーの意味から上の事とは関係なくマスク着用。

が、自分のこの夏のマスクとの付き合い方です。

とにかくマスクが原因で熱中症で倒れ、結果ただでさえ疲弊している医療関係者の方々に、余計な負担をかけないようにしましょう。

以上で〆
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