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マリス・ヤンソンス氏死去 [お悔み]

旧ソ連ラトビア出身の世界的指揮者、マリス・ヤンソンスさんが11月30日、サンクトペテルブルクの自宅で死去した。76歳だった。首席指揮者を務める独バイエルン放送交響楽団が12月1日、発表した。(朝日新聞)


マリス・ヤンソンスの名前が日本で知られたのは、
1971年のカラヤン国際指揮者コンクールで二位になった時だと思う。

それ以降彼はムラヴィンスキーに評価され、
レニングラードフィルの副指揮者となるかたわら、
彼の助手としても活動したという。

次に彼の名前が日本で聞かれたのは、
1974年に翌年来日する予定のモスクワ放送響の同行指揮者に、
フェドセーエフとともに名前がクレジットされた時。

ただしこれも結局はフェドセーエフ単独による公演となり、
ヤンソンスの初来日は流れてしまった。

そして1977年のレニングラードフィルの来日公演に、
ヤンソンスは同行しついに初来日を果たすことになる。

その時の初日のプログラムがこれ。

9月26日:東京文化会館
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ラザール・ベルマン)
チャイコフスキー/交響曲第4番

ただこの公演はベルマンの初来日の方に話題が向き、
ヤンソンスは多少その陰にかくれてしまった。

しかもヤンソンスというと、
当時はまだ父アルヴィドの方が知名度も人気もはるかに高く、
ヤンソンスというとほとんどの人が父を想起した時代だった。

ただ自分はこのときヤンソンスが、
ムラヴィンスキーが初演したのに早々とレパートリーから落とした、
ショスタコーヴィチの交響曲第9番を
その当人が同行した公演でかなり集中的に演奏していたことが、
とても強く印象に残った。

できれば聴きにいきたかったけど、
当時は諸事情で断念した。

その後1986年ようやく彼の指揮を初めて聴いた。

それはムラヴィンスキーの代役として指揮した、
ショスタコーヴィチ生誕80周年記念演奏会と銘打たれた公演の後半の、
チャイコフスキーの5番。
(※前半のショスタコーヴィチの6番は仕事が長引き聴けず)

演奏は若干ムラヴィンスキーに比べると小ぶりだけど、
その圧倒的ともいえる気迫と力強さは強く心に残るものがありました。

そのため次回来日したら今度はちゃんと行こうということで、
1988年のオスロフィルとの初来日公演には二度出かけ、
グリーグ、ドヴォルザーク、シベリウスを聴くことができた。

この時の演奏はときおり一本調子になるところが気になったものの、
なかなか前回同様熱い演奏を聴かせてくれました。

特にサントリーホールでは、
「悲しきワルツ」「眠りの森の美女」から二曲、
そして「山の魔王の宮殿にて」の四曲をアンコールでやり、
その四曲が極めて圧巻の演奏となった。

だが演奏の好調さとは裏腹に、
この年の1月に亡くなったムラヴィンスキーの後任に、
彼が選ばれることはついになかった。

このとき自分のところには、
テミルカーノフのよからぬ噂が山のように流れ込んできたり、
彼がロシア人でないから外されたという話が伝わったりと、
じつにいろいろなそれがあったけど、
その後の彼のそれをみると、
そんなことなどどうでもいいくらいの実績と信頼、
そして地位をヨーロッパ全土で築いていった。

特にコンセルトヘボウとバイエルン放送という、
世界的にみても屈指の二大オケのトップに同時に立ち、
その両方から大きな信頼を得、
聴衆からも強く支持されたことは、
いくら称賛されても足りないくらいのものがありました。

日本にも1990年以降、
サンクトペテルブルクフィル、オスロフィル、モスクワフィル、
ピッツバーグ、ベルリンフィル、コンセルトヘボウ、バイエルン放送と、
世界各地の名門オケとともに来日し好評を博し、
それは2016年秋まで続いた。

昨年6月にはウィーンフィルから名誉団員の称号を授かり、
秋には来日公演も予定されていたがそれは健康上の理由で来日中止、
そして2020年秋のバイエルンとの来日もかなわぬものとなってしまいました。

ヤンソンスはもともと父同様心臓に爆弾を抱えていたようで、
1996年にオスロで指揮の最中に倒れ緊急入院。
一命はとりとめたもののやはりこのままではということで、
ピッバーグで胸部にペースメーカーを埋め込み、
これによりようやく健康を回復しました。

ただ今年に入り健康状態が悪化、
一時回復したものの、
11月に入りキャンセルが連続し心配されていましたが、
心不全で30日に亡くなられました。


自分にとってヤンソンスは、
メータやハイティンクさらにブロムシュテット同様、
学生時代からよく耳にし、
そして演奏会で聴いた指揮者だっただけに、
やはりとても寂しいものがあります。


自分が最後に聴いたのは2004年のコンセルトヘボウとの、
ベートーヴェンの2番と「英雄の生涯」。

指揮者の十八番とオケの十八番ということで、
とても期待して聴きに行き、
そしてその期待通りの名演だったことで、
ヤンソンスが押しも押されもせぬ名匠になったと、
それを痛感させた忘れ難いコンサートとなりました。

その後はなかなか都合がつかなかったり売り切れたりと、
ついに聴くことができなかったのが心残りです。

心の強さと温もりを強く感じさせる指揮者でした。


謹んで哀悼の意を表します。

合掌


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自分が初めて購入したヤンソンスの音盤。

ムラヴィンスキー時代最後の録音で、
オケの巨大さと情報量に前半圧倒されていたものの、
後半指揮者がそんなオケを強くドライブした好演となった音盤。

1988年に発売された当時は、
まだオーケストラの方が扱いが大きかったのが目立ちます。
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ドヴォルザークのイギリス [クラシック百物語]

といってピンとくる人はかなりのご年配だと思う。

例えば画像検索でやってみると
かなりそれらのものがヒットしてくるはず。

かつてはこのように、
どうしてそうなったかは分からないけど、
今では死滅したいろいろな謎の表題というか、
いわゆるサブタイトルが目についた。


これはマーラーも例外ではなく、

第四交響曲に
「大いなる喜びへの賛歌」
というのがかつてはごく日常につけられていた。

これは終楽章の歌詞の誤用という説があるらしいけど、
ただ1950年代の日本の音楽辞典には、
同曲にそのような表題はないので、
誰かが勝手に流布したのかもしれない。

第三交響曲にも
「夏の朝の夢」
というものがつけられていたけどそれはかなりレアで、
これは早々に目にしなくなった。

ただ上記したその音楽辞典にも、
不思議なそれがいくつか見受けられる。

例えばマーラーの第七交響曲「夜の歌」は
「ロマンティック」となっている。

そしてその「ロマンティック」とついている第四交響曲を作曲した、
ブルックナーの項をみていると、
00番と0番の両方に「リンツ」というタイトルがついている。

またボロディンの第二交響曲には「英雄」とついているが、
ショスタコーヴィチの第五交響曲に「革命」とはついていない。

ハイドンの交響曲をみると

一番「ルカベック」
十三番「ジュピター」
二十六番「クリスマス前夜」
(現在では二十六番は「ラメンチオーネ」[嘆き])

となっている。


こうしてみていると、
いろいろと情報不足の時代にはびこっていた、
不確定要素の大きな情報によってつけられたものや、
意味がないということで切り捨てられたタイトルが、
けっこうあったことが如実にわかる。

またかつてタイトルをつけることで、
多くの聴き手に興味を抱かせよう、
もしくは印象づけさせようとしたものが、
その役目を果たし看板をおろすことで、
本来の形に戻ったというものもあったように感じられた。

今後まだこれらの流れによって淘汰されるものがでてくるのか、
それともいったん終了かは分からないけど、
それだけ聴き手が内容勝負にこだわってきた、
もしくはネットでいろいろと聴くことができたり、
その曲の情報をいろいろと仕入れるようになったことで、
今後増えるということはないと思う。


ただ正直言うと、
あまりかえりみられていない日本の作曲家による交響曲等は、
ひょっとしてこういうものがまだ必要なのかもと、
そんな気もちょっとしたりしています。

もっとも「勝鬨と平和」のように、
今となっては内容的に、
むしろ誤解を生むかもしれないようなものは、
さすがにもうこりごりという気はしますが。

〆です。
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大嘗宮一般参観に行く。 [いろいろ]

https://www.huffingtonpost.jp/entry/news_jp_5dd5f1a5e4b0e29d727e9e1b
ハフポスト日本版編集部より

午後時間が空いたので大嘗宮一般参観に行く。

天気も予想以上に好天となったものの、
平日ということもあり待ち時間は三分ほどだったと思う。

多少の人出はあったものの混雑というまでは感じられなかった。

ただ今週末から乾門通り抜けがはじまると、
土日などはかなり混雑が予想されます。

a11.jpg
宮内庁HPより大嘗宮の平面図。

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本丸跡付近からみる大嘗宮。

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正面からみる大嘗宮。このあたりは入り口が狭く多少混み合います。

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手前が「小忌幄舎」、向こう側に「風俗歌国栖古風幄」。

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左が「衛門幄」、右が「庭燎舎」。

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「南神門」。奥にあるのが「殿外小忌幄舎」。

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手前の右側にあるのが右から「衛門幄」、その左に「庭燎舎」。
さらにそこから少し離れた左側に「楽舎」。
そしてその奥にある大きなそれが「主基殿」。

a08.jpg
左側が「廻立殿」、右側が「主基殿」。

a09.jpg
「廻立殿」後方より。


意外な程いろいろと見入ってしまい、
それほど人が多くないのにいつのまにか一時間近く経っていましたし、
写真もその間に百枚ほど撮っていました。

しかしこれも参観が終わると取り壊してしまうとか。

確かに維持するのもかなりしんどいものがありますので、
もし可能であれば災害被災地の助けにしてもらえないかと、
ちょっとそんなことを考えてしまいました。

その方が陛下の御心に沿った使い道となるような、
そんな気がしたものですから。

以上です。




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声優の中村正さん死去 [お悔み]

 中村 正さん(なかむら・ただし=俳優、声優)11日午前9時10分、胆のう炎による敗血症のため神奈川県内の病院で死去、89歳。名古屋市出身。葬儀は近親者で済ませた。

 東京俳優生活協同組合(俳協)に創立時から所属。主に声優として活躍し、米ドラマ「奥さまは魔女」のナレーション、「チャーリーズ・エンジェル」のチャーリー役などで知られた。近年は細田守監督のアニメ映画に出演し、昨年の「未来のミライ」では新幹線役を務めた。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112201024&g=soc

自分にとって中村さんはある意味特別な存在だった。

というのも自分の少年時代、
今より地上波のテレビでは、
昼でもゴールデンでも、
今とは比べ物にならないくらい、
吹き替えによる洋画やアメリカのテレビドラマが、
じつに多く放送されていました。

そしてそんな中でも、
中村さんの声の存在感というのは、
図抜けて強く印象に残るもので、
そのどことなく気品とユーモアを兼ね備えたそれは、
デヴィッド・ニーヴンの吹き替では特に秀逸でした。

他にもフレッド・アステアのそれでも、
(「足ながおじさん」や「タワーリング・インフェルノ」等)
やはりいい味を出していました。

「奥様は魔女」のナレーションも、
もちろん印象に強く残っています。

ただ時には凄みのある怖い役もしていて、
「サブウェイ・パニック」における、
ロバート・ショー演じるMr.ブルーでは、
冷酷な犯人役のそれを見事に演じていました。


そんな昭和の時代に特にお世話になっていた中村さんが、
令和初の誕生日で卒寿を迎えられるということだったのですが、
本当に残念なことになってしまいました。


心より深く哀悼の意を表します。

本当に今迄ありがとうございました。

合掌


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水戸から大洗までのバスについて [大洗とその周辺 (oarai)]

自分が大洗に行くとき、
好天時に時間に余裕があるときはいつも水戸駅から歩くことにしている。

時間は北口から水浜線跡を通っても、
南口から備前堀を通って行っても、
だいたい涸沼橋まで寄り道をしなければ二時間半。

(因みに自分の歩行速度はだいたい時速五キロ前後)

ただ正直たまに途中まで来てダレるときもある。

水戸→大洗の行程は、
途中個人的に些か単調に感じられるところがあるので、
距離以上に長く歩いているような気持になってしまう。

そういうときはまだ使ったことはないけど、
バスで一部カットしたいと思ったことが少なからずある。

ここでいうバスとは、
茨大前営業所から水戸駅北口を通って国道51号を走り、
涸沼川を渡って大洗に入り、
エコス前を通って曲松から磯前神社前を通ってアクアワールド、
そしてその後海門橋を渡って那珂湊まで行くバスのこと。


大洗詣でのビジターはほとんど臨海線を使って大洗に行くため、
このバスを利用して行くという人はほとんどいないと思う。

確かに水戸駅入口~大洗駅入口まで乗ると、
時間もかかるし運賃も高いし、
それ以上に本数が少ないためあまり大勢が利用しているとはいえない。

大洗の中も走ってはいるが、
コースが多少重複する同じバスの海遊号の方がお徳用価格なので、
ここでもそれほど街中の移動に利用しているビジターはいない。

またこのバスも臨海線同様SuicaやPASMOが使えないので、
ここでもアドバンテージのようなものはない。


ただ自分のように水戸→大洗を早い時間に歩く人間には、
それほど疎遠な存在ではない。

自分は8時に水戸に着く電車を利用するが、
ここから水浜線跡経由で行こうが備前堀経由で行こうが、
歩いて一時間程で六反田付近の51号あたりに到達する。

じつはここを通る水戸から大洗方面に行くバス。

土日はこの九時頃からこのあたりを通りはじめるが、
普段は一時間に一本くらいしか来ないのですが、
この九時台のみ約二十分起きに水戸方面から三本走ってくる。

なので、六反田、稲荷第二公民館前、栗崎、という、
この六反田から栗崎の間にある三つの停留所のどこかで、
この三本のバスのうちどれかひとつに乗ることができる。

また運賃ですが、
六反田バス停から涸沼橋を渡ったところにある平戸橋バス停だと、
臨海線水戸~大洗と同じ330円で行けますし、
少し足を延ばして栗崎の停留所から乗ると290円とむしろ安い。

またこの栗崎からだと、
若見屋の交差点付近にある磯浜新道バス停まで330円で行けます。

このようにいろいろと歩いて、
水浜線跡や備前堀をみていく人にとっては、
通る時間によってはとにかくなかなか使えるバスです。

また「あんこう祭り」の日もそれほど混んでませんでしたし、
運が良ければガルパン仕様のラッピングバスにも乗ることができます。

因みに2019年のあんこう祭りの日は、
六反田を9時22分に通るバスがそれでした。


自分もいつか歩くのがかったるくなったら、
このバスを利用しようかと思っています。

以上で〆


しかしこのバス停。

oarai 022.JPG

涸沼橋と橋には明記してあるけど、
このバス停の名前は平戸橋。

以前地元の方からもご指摘を受けていたけど、
地元では涸沼橋というのが一般的らしいとのこと。

未だ自分には謎の停留所です。
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ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団を聴く(11/16) [演奏会いろいろ]

N響.jpg

NHK交響楽団第1925回 定期公演 Aプログラム
2019年11月16日(土)NHKホール
開場 5:00pm 開演 6:00pm

◎ステンハンマル/ピアノ協奏曲 第2番 ニ短調 作品23*
(P): マルティン・ステュルフェルト

◎ブラームス/交響曲 第3番 ヘ長調 作品90  

指揮: ヘルベルト・ブロムシュテット


半年ぶりの演奏会。

ここまで大きく空いたのは、
いろいろと大きな事件や災害が起きたことで、
とても演奏会に行く気持ちになかなかなれなかったことが大きい。

近年特に聴く力が落ちていることもあり、
それをモチベーションでカバーしているような自分には、
こういうことがかなりこたえてしまう。

というわけで今回やっとというわけですが、
好事魔多しというか、
当初予定されていたレーガーの協奏曲が、
ゼルキンの来日中止で曲目も変更となってしまった。

これにはかなりがっかりだったが、
代わりにステンハンマルの協奏曲がきたのには正直驚いた。

というより望外の喜びだった。

前回来日時ステンハンマルの交響曲を、
ブロムシュテットが待望の指揮をしてくれたものの、
会場がサントリーホールということで入手できず、
ほんとうに辛い思いをしたのですが、
まさかこういう形でブロムシュテットのステンハンマルを聴くことになるとは正直思いませんでした。


その前半の協奏曲。

中止になったレーガーのそれとほぼ年代の同じこの作品は、
ブラームスをリスペクトした作品ということで、
彼の最初のピアノ協奏曲を想起させられるような作品だった。

もっともあれよりはずっと聴きやすく、
北欧の抒情的な美しさと、
ちょっと崇高ともいえる祈りのような要素も感じられる作品で、
ひょっとするとこれを機に、
日本で演奏される頻度が上がるかもしれません。

ただこれはこの日のソリストと指揮者が、
曲をしっかりと掌握していたから成立したからそう思えるものであって、
そうでないとかなり散漫になる危険性をともなう、
なかなか手強い面もあるように感じられました。

尚、協奏曲終了後にアンコールとして、
ステンハンマルの三つの幻想曲から第3曲。

これも素晴らしく心に響く演奏でした。


後半のブラームスはじつに正攻法。

決して声高になったり、
過度にロマンティックになったりすることもなく、
ひじょうに力強い内面と、
意外な程静かな外面が見事に両立した、
ある種の清澄感を湛えた演奏となっていました。

バランスもホルンを除く金管をほとんど響きにブレンドさせ、
突出させることをしないよう注意を払っていたことや、
第一楽章でみせた驚くほどの弱音によるニュアンス付け、
第二楽章のコントラバスの細やかな表情をもったピツィカート、
そして第二楽章以降が続けて演奏されたこともあり、
この曲としてはかなり流動感に富んだ趣がしてたこと等々、
いろいろと印象に残りました。

それ以上に印象に残ったのが第四楽章最後に、
第一楽章の主題があらわれる前に聴かれた弦の一瞬みせた響きの美しさ。

それは「幽谷」とも「霊魂不滅」ともつながるような、
それこそクレンペラーがブルックナーの9番で聴かせたような、
そんな次元の響きだった。


自分はこの曲の楽章がなぜ静かに終わるのかが、
ずっと疑問に感じていた。

この曲が完成した年の初めに亡くなったワーグナーの死を意識したのか、
それとも五十歳をちょうど迎えた自分にとって、
最後華々しく終わることにかえって気が引けたのかと、
いろいろと思いを巡らしたりしていたのですが、
この日のこの音を聴いた時、
この音を書いてしまったことで、
この後に曲が続けようがなくなってしまったのではないかと、
そんなことがふと脳裏をよぎったものでした。


とにかくこれが聴けただけでも充分満足のいく演奏でした。

全曲終了後再度第三楽章がアンコールで演奏されたようですが、
久しぶりの演奏会ということでちょっと疲れてしまったので、
自分はその前に帰途につきました。


ブロムシュテットは前回に比べて、
歩き方が気持ち慎重になった以外は本当に元気で、
年を取ることを忘れてしまったかのような感さえありました。

これからもぜひ健康で末永く指揮を続けてほしいです。



最後に。

ちょっと聴く姿勢がなってない年配の人が目につきます。

正直こういう醜態を目にするとまた演奏会から足が遠のきそうです。
これも老害のひとつでしょうか。

若い方は決して恥知らずなことをされませんように。




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ウィーンフィルは本当にこの百年間ダメになり続けているのか [クラシック百物語]

じつは前々からこのことは書こうと思っていた。


なんか少なくとも日本ではそんな雰囲気が長い間続いている。

古くは1930年代後半に書かれた、
野村あらえびす氏の「名曲決定盤」にて、
ウィーンフィルは昔の方がうまかったという意味の、
そんな一文があったことからだった。

あらえびす氏は実際のウィーンフィルを聴いていないので、
おそらくこの「昔」とは、
1920年から30年代初めのまだ常任指揮者がいた時代、
つまりシャルクやクラウスの録音時のそれを指してのそれだと思う。

たがこういう論調はこれではすまなかった。

その後第二次大戦後も、
ウィーンフィルは戦前の方がうまかったという話があった。

それはワルターヤワインガルトナーの時代も含めたものだったが、
それはあらえびす氏がうまくなくなったというその時代も含まれているようだった。

そしてこれはさらに続く。

ステレオ録音の1960年代ごろになると、
ウィーンフィルは戦前やモノラル時代の方がよかったというそれが、
評論家やマニアからもけっこうよく出てきたという。

それは1970年代になっても続いたし、
ショルティやアバドとともに来日したときにも、
やはり同様のそれが聞かれた。

1975年にベームとともに来日したとき、
ようやくそれに歯止めがかかったようだったが、
1980年代に入ると、
またまた「昔はよかった」「ベームと来た時の方がうまかった」という
そういう感じの空気になっていった。

ヘッツェルが事故で急逝したときも、
そのせいかかなり危惧されたものの、
クライバーが「ばらの騎士」で世紀の名演をやったことで、
その空気は一度消えたけど、
今世紀に入って、
やはり「昔はよかった」と、
今度はかつてダメになったといわれた、
1970~1990年代とも比較されても言われるようになった。


これをみていて、
確かに峠の上り下りみたいな部分はあるけど、
とにかくひたすら前の時代に比べダメになったというそれが、
幾年月がひたすら過ぎようと、
少なくとも日本では常につきまとっているように思われた。


似たようなもので
「ニューヨークフィルはトスカニーニ時代が最強」
「コンセルトヘボウの最盛期はメンゲルベルク」
「クリーヴランドはセルの時が頂点」
というものがあるけど、
ウィーンフィルのそれは、
前の時代に比べて「下手になった」「味がなくなった」という、
そういうものが短いスパーンで繰り返し繰り返し続けられ、
(50年代より40年代、40年代より30年代、30年代より20年代という具合)
これが何年何十年と時代が過ぎても続いているため、
ちょっと前の三者とは違っているように感じられた。

なんかそれをみていると、
「ウィーンフィルってこの百年間ひたすらダメになっているのか?」
という疑問が湧いてきた。

しかもその百年間ダメになりつづけているオケが、
未だにベルリンフィルとともに世界最高峰に君臨しているということは、
じゃあ今のオケのレベルっていったい何なんだという疑問が湧いてくる。

日本のオケのこの半世紀の進化はすさまじいものがあり、
海外の一流オケと比較しても遜色ないレベルの演奏を聴かせることも、
今は決して珍しいことではない。


にもかかわらず上であげたような図式があるということは、
かつてのオケは人知を超えたレベルだったということなのか、
それとも今のオケはじつは本当はダメなレベルで、
それに耳が慣れた我々の錯覚なのかと、
正直???状態なのです。


この「ウィーンフィルがひたすらダメになり続けている説」の検証を、
音楽評論家やジャーナリストがやったというのを、
自分はまだ残念ながら目にしていないけど、
この件について一度ぜひ専門家に詳しく論じてほしいです。

おそらく技術的というより音楽的、
もしくは質的な変化がそういう基なのかもしれませんが……。

因みに自分が最後に聴いたウィーンフィルは、
かなり以前のラトル指揮のベートーヴェンだったけど、
それの四半世紀前に聴いたベームのベートーヴェンと比べて、
そんなにオケがダメになったかというと、
じつは全然そういう印象が無い。

指揮者のせいか雰囲気は変わった気はしましたが。

それだけにこれについては本当に?なのです。

じっさいどうなんでしょう。

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「ぬいツーリズム」と「街回遊型コスプレイベント(街コス)が地域活性につながる要素」 [いろいろ]

という二つの発表を聞いた。

最初の巽渓さんによる「ぬいツーリズム」のこと。

この話を聞いていて、
「ぬいツーリズム」がいろんなものの本質とかなり密接に繋がっていて、
話を聞きながらいろいろとノートに書きこんでいたら、
あっという間に見開き二頁にぎっちりになってしまった。

これ、
じつは今沼津でけっこう問題になっている件に密接に絡んでいて、
何故ああもいろいろと厳しい状況になってしまったか、
そしてそれを今後防ぐにはどうすればいいかが、
かなりおかけでハッキリみえてきた。

できれば沼津の関係者に聞いてほしい内容だった。

ただこの「ぬいツーリズム」はそれでけでなく、
聖地巡礼や声優ブームともまた密接に絡んでいるので、
このあたりちょっと迂闊に今は持論を展開できない状況。

今言えることは、
「ぬいツーリズム」は創作行動ともいえるものがあり、
そのため回りから見ている人には、
風景を描いている人に気軽に声をかけ難いそれと、
かなり酷似しているのではないかということ。

これが沼津で周囲とのいろいろな問題を引き起こす、
ひとつのトリガーにもなっているのではないかと。


とにかくとんでもなく示唆にみちたお話でした。
これけっこう根が深いです。


その後志塚昌紀線セスによる、
「街回遊型コスプレイベント(街コス)が地域活性につながる要素〜埼玉県宮代町の事例から〜」
を聞く。

これがまた今の沼津がかつて通ってきた道とあまりにも似ていて、
こちらもまた沼津の関係者に聞いてもらいたい内容でした。

ただこういう話を聞いていると、
以前も言いましだか、
初めて聖地になることで困惑している関係者の方に、
他の「聖地」での比較的普遍的なエピソードや対応等を、
気軽に調べられるか尋ねられる組織やサイトがやはりほしい。


トラブルの中には、
以前他地域でそれと同じようなものに対応した例というのもあるので、
無駄な気苦労や心配事を抱え込んだり悩まないためにも、
こういうしっかりとしたシステムをぜひ早期につくってほしい。


あとこれはそのときに
コンテンツツーリズム学会理事の菊地さんからでた話とも関係しますが、
聖地等はなかなか深化せず一過性になるケースが多く、
ここにどう対処対応するかが大きな今後の問題点のひとつになるのではと、
このときもまた話題になった。

自分もこれはどうしようもない事とは思っているが、
規模の縮小や内容の変質、
さらに今回の発表でも指摘されていた、
行政、住民、商業の垣根を超えた繋がりというだけでなく、
別の聖地との連帯連携、
それをさらにひとつのパッケージとして県単位の行政支援、
さらに他ジャンル聖地との邂逅や、
それら聖地との商業的等の部分での繋がりなどを押しす進めれば、
大きなひとつの共栄圏みたいなものが可能なような気がする。

おそらく今それをかなり意識しているのは、
京都と埼玉のような気がするけど、
それが全国的にもっと進化していけば、
一過性の問題も多少は軽減できるかも。


また長い年月地道に聖地をやっているところは、
それを日常として育ち、
なんの偏見もなく受け入れてくれる世代が出てくる可能性がある。

そうなれば、
さらにその連携もスムーズになるかもしれない。

などと思ったりもしました。


今回もいろいろと勉強になりました。

ただもったいないのは、
こういう内容こそ、
今、聖地で賑わってる現地関係者の方に、
ぜひ直接聞いて質疑応答とかしてほしかったです。

そこだけは残念。

それくらいこの日のそれはかなりシンプルかつ深いテーマと内容でした。




しかし選択肢が潤沢な土地は聖地になり辛いという話があったけど、
横浜とか江ノ島、
それに鴨川とかみてるとあまりにも頷けてしまいました。

a03.jpg


※発表内容にほとんどふれていないのは、いろいろとした理由のためです。ご了承ください。

しかし今回のこの内容。もう一度どこかで再度やってほしい。そして聖地に関係している人みんなでいろいろと考える場をそのとき質疑応答という形で設けてほしい。

これこそ一過性ではあまりにももったいない。誰か企画してくれないだろうか。
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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』を見て [劇場公開アニメ]

ve02.jpg
http://www.violet-evergarden.jp/sidestory/

正直に言うとこの作品、
もっと落ち着いた状況でじっくり見たかったけど、
残念ながらそれは7月のあの日に微塵に砕かれてしまった。


そのためこの作品と対峙したとき、
はたして自分はこの作品に冷静に向き合えるのかと、
正直自分自身に対してとても危惧していた。

もしこの作品が「墓標」のようにかんじたらどうしようと、
そんなことばかり考えていた。

だがそれは始まってしばらくするといつのまにか霧消していた。

そしてあっという間の90分。

さすがに公開されたばかりなのでネタバレはできないけど、
ここには人の命云々といった、
TV版の10話11話のようなああいう感じの話はない。

確かに思わず涙腺が緩みそうなシーンもあったけど、
運命とは決して変えることのできないものなのか、
人にとって希望や生きる糧とは何なのか、
幸せとはいったいどういうものなのかという、
そういうものがテーマになっていて、
見終わった後不思議なほど気持ちがすっきりと、
それこそ目の前のものが活き活きと晴朗感に満ちたものにみえてくるような、

「今生きるすべての人たちへの思いの丈が詰まった手紙」

もしくは

「これからを生きる人たちへの希望を託した手紙」

というものに感じられた。


「墓標」ではなく「手紙」。


おそらくその思いの丈はこれから多くの人に受け継がれ、
また大きな花を咲かせてくれることだろう。

特にラストではどこまでもその声が届くかのように感じられたこともあり、
この作品は終わりではなく希望のはじまりなのだと、
そんな風に語りかけてくるようにさえ最後は感じられた。

本当に胸いっぱいになる作品でした。


あとこれもとても感心したのですが、
音楽がとても絵にマッチしていたこと。

薄っぺらい音ではなく、
中低音が質量とも豊かに響くアコースティックなそれは、
ある意味洋画感覚ともいえるもので、
それが作品により奥行きと幅の広さ、
そして風の吹き渡る感覚や空の高さをより実感させる、
そんな印象を強く残すものでした。

これはとても秀逸で気に入りました。

また声優さんもみなさん好演で、
安心して作品に没入することができました。


ただいくつかのシーンでちょっと心の変化や機微が、
些か唐突に感じられたシーンが散見したことや、
ある音の使い方がとても気になった部分があり、
そこだけがちょっと引っ掛かりました。

ただ外伝ということもあるので、
次の劇場版へのいろいろとしたものが含まれているかもしれないので、
それを見るともうちょっと違ったものがじつはあるのかもしませんし、
音に関してはスクリーンによっては聴こえ方が違うのかも。

因みにその劇場版は「鋭意制作中」とのことですので、
こちらもじっくりと待ちたいと思います。


三週間だけの公開というのがかなりもったいない作品ですが、
限られた期間という制約はあるものの、
機会のある方は劇場での鑑賞をお勧めします。


まだ公開中なので以上で〆。


※追加

最初の頃、
冷たくて無機的にみえたヴァイオレットの義手が、
じつにやさしく血が通ったような、
とても温かさを感じさせるシーンが強く印象に残った。

あとヴァイオレットがけっこう男前だったことと、
彼女のまわりがみなそこそこ背が高かったことに今更気づいた。


ひとつネタバレ。

ヴァイオレットがエレベーターを「新しい兵器」というシーン、
そしてガス灯が電気灯に変わったというシーンがあるけど、
ヴァイオレットのあの高性能の義手を思うと、
ちょっと世間の文明のそれと噛み合わない気がするが、
第一次大戦時に戦車が登場して戦っていた時期にも、
録音はまだアコースティックの時代が長々と続いていた事を思うと、
そんなに矛盾した事柄ではないのかなという気がした。

ものごとが全て横並びには文明は進化しないんだなと、
ちょっとそんなこともこのとき感じられました。
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クレメンス・クラウスのハイドンのオラトリオ [クラシック百銘盤]

クレメンス・クラウス(1893-1954)というと、
今ではウインナワルツや、
リヒャルト・シュトラウスに定評のあった指揮者という、
その程度の知名度しかないような気がするけど、
これは1970年代の国内盤事情でもそんな変わりはなく、
同じ年に亡くなったフルトヴェングラーや、
ひとつ年下のカール・ベームに比べると、
知名度も人気も格段に日本では低かった。

そしてそれは今でもそんなに変わらないような気がする。

これは彼の遺された録音によるところも大きい。

彼の遺されたセッション録音の多くは、
1929年~1934年迄のウィーン国立歌劇場時代、
そして戦後1947年の非ナチ化裁判において無罪になり、
以降亡くなるまでの期間という、
それほど長いものではない。

しかもステレオ録音になる直前に亡くなられたことで、
さらにそれに拍車がかかってしまった。

ただそれを言えばフルトヴェングラーやトスカニーニと同じなのだが、
彼の遺したリヒャルト・シュトラウスのように、
大編成でステレオになると格段に魅力を発揮した作品が主流を占めたこと、
そして戦後ベートーヴェンやブラームスのWPOとの交響曲のセッション録音や、
得意としていたモーツァルトの交響曲やオペラがほとんど無かったことで、
この分野の欠落が特に日本ではかなり響いてしまったようだった。

もし彼があと十年長生きしてくれていたら、
デッカにWPOとステレオ録音でいろいろと遺してくれていたと思う。

その中には彼の十八番といわれたモーツァルトのオペラや、
ブラームスやベートーヴェンの交響曲も含まれていただろうし、
モーツァルトやシューベルトの交響曲の一部も収録されたかもしれない。

それを思うとなんとも残念でならない。

ただ近年彼のライブ録音がいろいろと登場したことで、
彼の再評価が高まっているのは嬉しい。

そんなことが起きる前の平成のはじめころだったと思うけど、
クラウスによるWPOとのハイドンの「四季」が発売されたという、
そんな話を当時初めて聞いた。

ただ当時はこの曲にあまり自分は深く関心を持っていなかったので、
あっさりこれをスルーしてしまった。

そしてだいぶ経ってから、
彼のこの「四季」と「天地創造」をまとめて購入した。

この二つは「四季」が1942年の6月4日頃。
「天地創造」が翌年3月28日に、
各々ウィーン楽友協会大ホールで収録された放送用録音で、
オケはともにWPO、合唱も国立歌劇場合唱団。

そして独唱者も、

トルーデ・アイッパーレ(S)
ユリウス・パツァーク(T)
ゲオルク・ハン(B)

と、両曲ともまったく同じメンバー。

このメンバーは1940年の、
クラウスがWPOを指揮したベートーヴェンの荘厳ミサでも。
三人揃って登場しており、
1944年の「マタイ」でもハンを除く二人が登場しているので、
三人ともクラウスのお気に入りだったのだろう。


クラウスはこの大戦下の時期
ベルリンフィルとフルトヴェングラーのそれに匹敵する程録音が多く、
しかもオペラをはじめとした大曲もかなり遺されている。

そこにはシューベルトの6番のミサもあるし、
「ボエーム」や「ばらの騎士」もバイエルンの歌劇場で、
「フィガロ」もザルツブルグ音楽祭のライブとして
やはりこの時期全曲遺されている。

ほんとうにこのころのクラウスは、
時代はあれだったけど本人は飛ぶ鳥を落とす勢いで、
フルトヴェングラーと対抗するほどのそれだったのかもしれない。

そんな時期にこのハイドンの二つのオラトリオは録音された。

録音は当時としてはなかなか良好で、
ホールの残響もかなり大きくとらえられている。

「天地創造」は演奏時間約一時間四十分。

61LGjEH0NxL.jpg

演奏はオケのせいもあるかもしれないし、
今のピリオド全盛のそれとはまったく住んでいる世界の違う、
あえて例えると劇場型のハイドンで、
宗教音楽という要素は二の次という感じになっている。

このやり方としては、
メンゲルベルクの「マタイ受難曲」の例があるにはあるが、
あちらはバッハでこちらはハイドン。

特に音楽の寸法とりの確かさや、
形の美しさ等の音楽の背後にあるものではなく、
音そのもので勝負してくる要素の強い音楽なだけに、
ある意味かなり大胆というか危険なやり方なのかもしれないけど、
ここまでやってしまうと、
その手法を認めた場合もう見事と称賛するしかない。

合唱が粗いので、
そのため素人が全力で歌っているような趣があるけど、
それが妙に思いの丈というか、
音楽にすべてを託した多くの人間の心からの群衆賛歌みたいな、
ちょっと「第九」のそれと似たようなものすら感じられて、
技術を超えた感動というか訴えこみを強く感じさせられる。

この曲はある意味ハイドンのそれまでの総決算みたいな曲で、
例えばヴァントやコッホの演奏がそれらを強く感じさせる、
ある意味楷書書きのような演奏だとしたら、
こちらはそれをかなり崩した草書書きのような演奏といえるかもしれない。

しかもかなり肉厚かつ濃厚ともいえる味わいもあるので、
ある意味ベートーヴェンの出現前夜ともいえる感じのする、
そんなハイドンとなっている。

正直聴く人の趣味嗜好でかなり評価は割れるだろうけど、
クラウスの凄さを感じさせる自分は名演だと思っている。


そしてこの前年に録音された「四季」。

こちらはもっと規格外だった。

51vzCC1zGwL.jpg

演奏時間は約2時間25分なので、
遅い方の部類に入るかもしれないが、
たしかにたっぷりとした歌い方だけど、
冒頭を除けば単純に遅いというかんじはそれほどしない。

ただそれ以上に曲の性格も手伝ったかもしれないが、
「天地創造」よりもかなり思い切った演奏になっている。

「四季」は初演時「天地創造」と比べ賛否が拮抗し、
ハイドン自身もストーリー部分を含めると、
「天地創造」より下の作品と思っていた節がある。

確かにこの作品、
他の作曲家のオラトリオに比べると、
宗教的な色合いが薄く、
神やそれに準ずるものがここでは出てこない。

そういう意味では一般民衆目線の、
世俗的オラトリオといっていいものなのかもしれないが、
それが一段ランクが低いとみられた要因かもしれない。

また制作過程で、
パトロンとして作曲家への援助を惜しまなかった、
この作品の台本を書いたスヴィーテン男爵との確執も、
いろいろと本人にはあったようで、
そのせいもあってかこの作品の完成以降、
ハイドンはまるで創作の泉が彼果てたかのように元気を失っていったという。

だがそれにもかかわらず、
この作品は「天地創造」よりもある意味大胆であり、
ハイドンとしては特異な作品になったような部分がある。

それは18世紀の音楽が貴族への仕事や献呈がメインだったのに対し。
19世紀が一般民衆へのそれが主軸になっていったように、
この曲はそれまでのハイドンと違い、
上でも述べたように曲想や目線が一般民衆レベルになったことで、
作品もまた一般民衆が演奏会で聴いても肩肘はらず楽しめるような、
そんな要素が今まで以上に横溢しているとろだ。

おそらくこれはハイドンの渡英での体験も、
大きく影響していると思う。

そこの部分をここでのクラウスはかなり大きく踏み込んでいる。

冒頭からまるで19世紀のオペラのような壮大な趣きで、
ベートーヴェンの世界を先取りしてしまった感すらあるが、
第三部の「秋」以降はさらにそれらが推し進められ、
第26曲 合唱「聞け、この大きなざわめき」では、
ほとんどウエーバーの「魔弾の射手」の世界のようだし、
第28曲 合唱「万歳、万歳、ぶどう酒だ」では
ついにはワーグナーの世界にまで足を踏み入れているかのようで、
作曲が進むにつれ、
ハイドンが半世紀先の音楽を見越していたのではないかと、
そしてそこまでさせてしまったことが要因で、
この後ハイドンが疲労困憊したのではないかと、
そう思わせるくらいクラウスは大胆に仕掛けている。

また相変わらず粗い合唱も、
ここでは民衆賛歌と考えればむしろ相応しいとさえ思えるほどで、
「天地創造」以上にクラウスが存分に腕をふるっているようにさえ感じられる。


今のピリオド系の演奏、
特に人数を刈り込んでの演奏が主流となっている現在では、
こんな演奏したら笑いものになってしまうかもしれないが、
ここまでやり尽くしてしまったら、
自分としてはもう素直に脱帽するしかない。


おそらくオペラ指揮者として非凡な才を持ち、
ワーグナーやRシュトラウスを得意としていたこの指揮者の、
その独特な視点が生んだ要因かもしれないけど、
それでも同じワーグナーやRシュトラウスを得意としていた、
カラヤンやショルティ、さらにはベームとも相当違う、
かなり個性的かつロマン派的なハイドンだ。


今や絶滅したタイプの演奏だけど、
このクラウスのハイドンのオラトリオは両曲そんな歴史の証言としても、
できれば顧みてほしい演奏です。

特に「四季」はハイドンという作曲家のイメージの再考を迫るほどのもの。

フルトヴェングラーの大戦中に録音された「英雄」や「第九」と並んで、
ぜひ後世にも語り伝えてほしい演奏です。

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