SSブログ

「『ゴジラ』シリーズをめぐる言説の変化と問題点」という発表を聞く。 [ゴジラ]

「『ゴジラ』シリーズをめぐる言説の変化と問題点―一九五四年から現在の新聞報道を軸として―」
神谷和宏(北海道大学国際広報メディア・観光学院博士後期課程/北海道公立中学校教諭)


平成最後の「あんこう祭り」を泣く泣く蹴ってまで行ったそれ。

二日間にわたって行われた「コンテンツ文化史研究の十年」の、
その二日目の午前中の二つ目のそれとしてこれは行われた。


自分はあるきっかけから、
1954年11月3日から公開されたこの「ゴジラ」の、
その公開直後に最初に書かれた作品評を、
東京で発行されていた一般紙6紙とスポーツ紙3紙から拾い、
それをみながらいろいろと考えたことがある。

その時の雑感と9紙の内容は、
https://orch.blog.so-net.ne.jp/2016-08-14
に書いてあるが、
今回の発表でその時氷解しなかったいくつかの疑問や、
もやもやとした部分がかなりスッキリとした。

また発表終了後、講師の神谷さんとお話しした時、
ちょっとこちらの思い違いもあったので、
ここで今回そこから受けた感想のまとめをここに書くこととしました。

ただしこれは神谷氏の発表を評しようとしたものではありません。
あくまでも私感との突合せにより徒然的な感想文です。念のため。


神谷氏は今回「読売」「毎日」「朝日」の主要三紙のそれをとりあげ、
以下のように三つに細分化した。

① 人間が描かれるドラマ部分への批判
② ゴジラに性格が絵かがれていない部分への批判
③ 「キングコング」や「放射能X」など外国産SFに比べた際の稚拙さ。


神谷氏は①と②に関しては現代の視点からみるとあまり的確とは思えないものの、③に関しては後の「ゴジラ」の多様さを引き出す要因になったこともあわせると、的確ではなかったかと考えるという意見に達している。


またこれ以外にもこの三紙であげられた「科学的でない」という批判や、1954年以降の「ゴジラ」に対する紙評の変遷についてもいろいろと論じられた。

その中にはゴジラは何故皇居を襲わなかったかというものなども含まれ、なかなか興味深く、そして自分が抱いている疑問等に抵触するものもかなり多く、とにかくとても有意義なものとなった。


最初に神谷さんがあげられた三点+「科学的」云々の計四点について。

正直、この四つに分けてもらったのはとても的確で、こちらもとても考えが進めやすくなった。これはありがたかった。

実際神谷氏の指摘は、素っ気ない「サンケイ」を除けば、日経、東京も、先の三紙とだいたいよったりだ。ところがスポーツ三紙となるとやや状況が異なる。

確かにとってつけたように「性格」「稚拙」という部分にも気持ち触れているけど、それは論点というほどでもない。面白かったのは三紙とも、「もっと弾けた作品になってほしかった」という意味の事を書いているということ。

難しいことなど正直「どーーーーでもいい」という感じで、「徹底的にゴジラに話を集中させろ」「意表を突け」「理屈抜きの見世物にしろ」と、見方によっては神谷氏が指摘した、それこそ一般紙の見方(ある意味減点方式と言っていいのかもしれない)よりも、かなり積極的にこの作品を見ていた姿勢が伺える。

そしてこのスポーツ紙のそれを受けたかのように、翌年の「ゴジラの逆襲」は「ゴジラ」よりもふんだんに怪獣にスポットを当て、理屈抜きの見世物にしようとしたかのような作品となっている。

そういえば自分が小さい時にこの二作品をテレビで見た時、最初の一時間こそ面白さは互角だったけど、後半三十分は「見せ物」として圧倒的に「逆襲」の方が面白かったという記憶がある。

これが可能だったのも神谷氏が指摘した③の要素あればのそれだったのかもしれない。


また「科学」云々ということだが、このことに関しては1956年の「ラドン」以降にかなりの要素が付加されていく。さらに「地球防衛軍」以降は政治家や軍人よりも科学者の方が主人公やストーリーの主導権を握るケーズが急速に増えていく。

そして何故かそれを指摘されたゴジラそのものは、じつはその後1962年まで7年間の眠りについている。「ゴジラ」がこの時期作られなかったのは、他に作りたい企画がたくさんあったからという話を以前聞いたことがあるけど、ひょっとしたら「ゴジラ」と科学というのが、あまり作り手にとって相性がよくなかったのかもしれない。

実際1962年の「キングコング対ゴジラ」は、確かに科学者はでてくるけど、それほど科学者としての大きな存在感はなく、科学そっちのけで、二匹が当時のプロレスブームを反映しての、どったんばったん的な歴史に残る怪獣プロレスを展開している。


大気圏内ではあいかわらず各国が盛大に核実験を行い、前年にはベルリンに「壁」がつくられ、この年の11月には「キューバ危機」があった。そんな時代に科学とは無縁のこれなのだから面白い。やはりゴジラはいろんな意味でその存在そのものがシンプルすぎるため、主義主張とはあわないのだろうか。

もっともそれも二年後の「三大怪獣」で「気が短くて力持ち」的な性格を吐露するシーンがあらわれたことで性格づけされたことから、急速に科学やSF的な世界に足を踏み入れていく。このあたりを前述した神谷氏の指摘と合わせて考えるとじつに面白いものがある。

「ゴジラ」と「科学」そして「性格」という分析は今後このシンブルな怪獣の魅力と危険性を解くカギになるかもしれません。


あとこの新聞評については、いろいろと具体的な理由が欠如している事や、他の作品との対比が浅く、そのため話が深くならず単なる感想に堕しているため、書き手の熟練度が不足しているのではないかという事が発表内だけでなく、質疑応答でも指摘された。

確かに原稿の文字数等の兼ね合いもあり、そのへんを端折ったという同情的な見方もてきるけど、話のあらすじや出演者の名前等で埋めている所を大幅に削れば、このあたりも何とかなったのではないかという気がする。

ただこの当時、書き手は映画に限らずクラシック音楽でもその傾向はあり、そのことは当時来日していた外国の指揮者からも指摘されていた。ようするに経験値が少ない「井の中の蛙」的な部分がそこにはあったのだけど、映画評でもこのあたりがそのときあらわれていたのかもしない。作品以上に書き手が稚拙だったらそれこそお笑いものであるが、このあたり実際はどうなのだろう。


ところで書き手の話が出たのでついでにするが、これも質疑応答で出たけど、「何故9紙が揃ってゴジラが東京を炎上させるシーンで、誰も不快感や不道徳感みたいなものに言及しなかったか」という点が疑問としてあげられた。

これは書き手にそういう意識が無かったのは当然なのだろうけど、その要因が空襲の被害者は主に女性であったため、書き手がそこまで想いが廻らなかったのではないかという事が意見としてあがってきた。

聞いた話だけど、戦中、男子の中間層は戦地や基地に殆ど配属となり、老人と子供と女性が町に残るよう形となっていた。しかも子供は疎開させられていたため空襲にあった男性は女性に比べると確かに比率的にはかなり低くなる。

おそらく9紙の書き手全員が、戦争末期にちょうど動員されていたか、疎開していた年齢だったのだろう。だがそうだとしても、やはりあの炎上シーンは、東京をはじめ多くの都市が焼け野原となっていた現実を思うと、直接炎上を目にしていなかったにせよ、そこまで気持ちを巡らせないのは、書き手としていかがなものかと思う。

もし「シン・ゴジラ」で東京炎上だけでなく、ゴジラ上陸の余波で、鎌倉に大津波が押し寄せるようなシーンがリアルに挿入されていたらどうだっただろう。「のぼうの城」の津波シーンでの自粛したそれとは時期も違うので一概には比べられないけど、あのラストシーン等と合わせてみると、多少は何か声が上がってもおかしくなかったような気がする。

それを考えると、例え否定的な意見ではないにせよ全く触れなかったのは、前述した「書き手が未熟であり稚拙だった」という意見を含めて考えると、そのあたりは多少合点がいくような気がした。

また他の作品で空襲シーンがあるから当時はそういうものはタブーではないという意見も出たけど、自分には些か疑問が残る。特に「ゴジラ」は作品が作品だけに、そこで放射能バラまいてとどめに首都大炎上なのだからなおさらだ。

それとも一度地獄をストレートに観てしまうと、そういうことに平常時で育った人間とは違う感覚が生じてしまうのだろうか。それとも「あんなもの大空襲と比べたらおもちゃみたいなシーンだよ」というのが見た人たちの本音なのだろうか。確かに映画「パール・ハーバー」級の特撮ではないことは確かだけれど。

このあたりももう少し突っ込んだそれが必要だと思うけど、ただ自分にとっては、ちょっとしたきっかけにはなったような気がした。


「炎上」の話繋がりだけど、上でも述べたように、「ゴジラは何故皇居を襲わなかったのか」というそれもいろいろと出て来た。

自分はこのとき聞いた意見も踏まえた上で言わせてもらうと、ここには政治意図というものは皆無。

単純に名のある神社仏閣を壊す事同様「怖れ多い」「罰当たり」的な感覚があったからだと思っている。実際ゴジラは名のある神社仏閣は壊してないはず。もし壊していたとしても、それを明確かつ具体的に描いたシーンは無かったと思う。

まあ映画の撮影の無事やヒットを祈願して、スタッフ一同が撮影前に神社や祭壇を前にお払いをすることが多い業界が、よりによって名のある寺社をぶっ壊すという、「恩を仇で返す」ような事はさすがにできないだろうけど、それと同じことを皇居にも感じていた事は充分考えられるし、やはりそこはタブーというべき事柄なのだろう。それは右翼とかそういうこととはまた次元の違う話だと思う、もちろん興行成績にも響く事は確実だし、その後の東宝の各興行にも影を落としかねないものがある。

それじゃあ皇居が天皇及び皇族のお住まいでなければ壊したかという、じつはそこにも疑問は残る。ゴジラが炎上させたのは「銀座」「日劇」「国会議事堂」「勝鬨橋」と当時東京の名所や名のある建造物であったという事。浅草が無いのは斜陽になっていたという事もあるが、50mもある怪獣にとって壊しがいのある建造物がなかった事もある。これがもし「凌雲閣」が現存していれば間違いなくやっていただろう。

皇居も浅草同様に壊しがいのある建造物がじつは無い。ゴジラはこの作品の後三作品で、連続して三つの城を壊している。「大阪城」「熱海城」「名古屋城」だ。この三つの城に共通しているのは「天守閣」があること。

ところが皇居には江戸城時代の天守閣が無い。「ゴジラ」が制作される約三百年前にあった明暦の大火で焼失した後再建されなかったからだ。そうなると50mの怪獣が壊すだけのものがここには見当たらない。逆に国会議事堂が壊されたのは壊しがいのある高さと大きさがあったというのが理由だろう。

余談だが、松本人志さんが「ゴジラはなんで和歌山に上陸しないのか」と言ってまわりから笑いを誘っていた事があったけど、天守閣を有する和歌山城があるかぎり皆無とはいえない。はたしてゴジラはいつ和歌山に上陸するのだろう。

というわけで、こと皇居炎上シーンが無かったのは、別に政治的なものとかは関係ないというのが持論。


なんか雑談ばかりになってしまったけど、最後にひとつ感じたこと。


それは神谷氏によって提示された、1975年のシリーズ空白期の論評について。

これを見ていて思った事に、書いている人たちの世代がここでガラリと変わってしまったように感じられた事。

それまでの書き手は初代「ゴジラ」から順にリアルタイムで見てきた人だったのに対し、この頃から、ゴジラがガメラあたりに影響され、かつてのような恐怖の対象ではなく、子供たちのヒーローや人類の仲間となっていく過程のゴジラからリアルタイムで見始め、それと同時かやや遅れてテレビ等で「怖いゴジラ」を追体験していった人によるそれが感じられ始めた。

なんといっていいのだろう。確かに味方やヒーローのゴジラも親しみやすくていいけど、怖い時のゴジラのもつ圧倒的な凄さと様式美みたいなものを再認識し、そこに惹かれたことでゴジラのルーツを辿り、その変遷などを他者の要素と絡めながら考察するという、過去のゴジラに「劇場で巻きこまれながら見た」層ではなく、テレビで見たことで、それよりは少し退いたというか、やや冷めた眼差しで考察できる立ち位置からみ見る事が出来た世代に変わっていったという気がした。

そしてこの層はそのためか、けっこう「怖いゴジラ」の姿を新鮮に受け取り、その姿に対しての憧れと復権を強く思っているように感じられた。

1983年「ゴジラ復活フェスティバル」や「伊福部昭・SF特撮映画音楽の夕べ」が、あれほどのエネルギーを持ち合わせたのも、そういう事に対する強い欲求が原動力としてあったからだろうし、1970年代には「ゴジラは子供がみるもの」という決めつけや呪縛から解き放ったのも、この世代の積極的な動きがあればこそという事が、この日神谷氏が指摘した事や提示した資料等により、より明確に感じられる気がした。

庵野監督や樋口監督もおそらくこのあたりの世代だろう。だからこそ「シン・ゴジラ」は初代「ゴジラ」をリスペクトしながらもその問題点や可能性も入れ込んだ、あれだけエネルギーにみちた作品となったのだろう。

※1
(なお「ゴジラ復活フェスティバル」で上映された10作品は以下の通り。

「ゴジラ」(1954)
「空の大怪獣ラドン」(1956)
「モスラ」(1961)
「キングコング対ゴジラ」(1962)
「海底軍艦」(1963)
「モスラ対ゴジラ」(1964)
「三大怪獣地球最大の決戦」(1964)
「怪獣大戦争」(1965)
「キングコングの逆襲」(1967)
「コジラ対メカゴジラ」(1974)

というもので、特に「ゴジラ」ものに関しては、「モスラ」とゴジラ生誕二十周年記念作品となった「対メカゴジラ」を除けば、すべて田中友幸、本多猪四郎、円谷英二、伊福部昭、の四者が、それぞれ制作、監督、特技監督、作曲として参加した作品となっているのが興味深い。この上映内容が自分が上で、『「怖いゴジラ」の姿を新鮮に受け取り、その姿に対しての憧れと復権を強く思っているように感じられた』と思う要因となったもののひとつです。余談ですがこのとき「ゴジラの逆襲」が無かったのが今でも正直残念。)

G001.jpg


※2
(因みに神谷氏は1964年の「モスラ対ゴジラ」では、読売新聞の記事における書き手の姿勢には「外国市場に実績のある映画なのだから、この財産を大切にしてほしい」という記事にふれている。このシリーズ空白期にあらわれた新しい世代の人たちはこの姿勢を引き継いだ、それこそ「新伝承派」というべきひとたちなのかもしれません。)


なんかかなりとっちらかった、しかもしっかりとした神谷氏の論文に対して、自分の経験からきた憶測やイメージが主体となった感想文になってしまったけど、今回神谷氏のそれを聞いただけで、これだけの事がいろいろと思い浮かんだ次第。本当にいろいろと考えさせられ、そしていくつかの疑問が、かなりスッキリした感じになったのは本当にありがたかった。

尚、今回この会で配布された「予稿集」には本論の「まとめ」がある。これがなかなか的確で示唆にとんだものだけど、さすがにそれをここにそのまま書くことはできない。もしみる機会がありましたら、ぜひその「まとめ」はもちろん、その全文を読んでいただきたい。

とにかく神谷氏には感謝のそれしかあれません。この場を借りて心から御礼申し上げます。

ただ今回はそれ以上にいろいろと新しい疑問も湧いて来たけど、それはもう少しいろいろと精査した上での機会にということで。

以上です。


あとさらに余談ですが、初代「ゴジラ」が公開されて十年程経った頃、自分が子供の時母親から、「雨の日に傘を差さないで外に出ると頭が禿げる」と叱られた事があった。

これが何を意味するかは分かる方にはあれだと思われますが、大気圏内核実験が中止された後でも、このような会話が日常で行われていました。

それより十年前。大気圏内で盛大に核実験が行われていた時代にとって、核実験が一般家庭にとってどういうものだったか。そういえば前述した空襲もそうだけど、この放射能のシーンもよくよく考えると、それほど圧倒的に深刻に描かれていたとは思えない。一般紙の当時の酷評もこのあたりが感覚的に働いていたのかもしれないが、これも空襲と同じような理由なのだろうか。


最後にもうひとつ余談。

「ゴジラ」の評についての一般紙のそれを読むと、1956年に全米で大絶賛された後に若干流れが変わった感がある。

1952年のジーン・クルーパの来日公演、1955年のシンフォニー・オブ・ジ・エアの来日、1950年代全般に行われた日米野球やハリウッド映画の公開等々、このあたりじつはアメリカからのそれが雪崩のように日本に来た時期でもある。

このあたりは藤田文子さんの「アメリカ文化外交と日本」にもあるけど、こういう流れにも多少影響されたのではないかという感がある。

ただ当時はこの流れに反して、反資本主義的な論調も多く、アメリカ礼賛を良しとしない人たちによる、その流れというものを真向から頭ごなしに否定するものもあり、その立ち位置にいる書き手にとっては、例えアメリカで絶賛されても「ゴジラ」は1954年から、その否定的なそこからは動かなかったような気がするが、このあたりもあくまで推測でしかない。

ただクラシックではそういう評があちこちで散見された。特にそれは1960年代に顕著に見かけられたように感じられた。

このあたりもまたいつか論じられる事を期待したい。
nice!(2)  コメント(2) 

「GODZILLA 怪獣惑星」をみる。 [ゴジラ]

1.jpg
http://godzilla-anime.com/smph/
※公式サイト


「GODZILLA 怪獣惑星」をみた。

最初この作品が発表されたとき、
個人的にはいまひとつどころか、
ふたつもみっつもピンと来なかった。

その最大の理由が、
ゴジラはアニメ化できる対象にはならないのではというもので、
あの重量感と大きさ、そしてその存在感が、
アニメで表現しきれるのかという事。


ゴジラをアニメ化するという必然性を、
正直自分は感じられなかったし、
それは「007」や「横溝正史シリーズ」をアニメ化するより、
もっと「誰得」なのかという雰囲気が強く感じられた。


またアニメファン側からの期待感があまり感じられず、
東宝側もそのあたりを意識してか、
スタッフ、声優ともかなり名のある、
もしくは人気のあるメンバーを集めていた。


とにかく正直自分はまったく期待せずに見に行った。


で、見た感想としては、

「よくここまで出来たなあ」

という感じかと。


前半なかなかテンポよく、
また設定もユニークだったが、
正直「まあふつうの劇場版アニメかなあ」
という感じだった。

だがゴジラが出てきてから雰囲気が一変した。

見せ方が上手い。

重量感もかなり表出されているし、
戦闘シーンもなかなかなスピード感と迫力、
そして叩き込み感がある。

このあたりは「シン・ゴジラ」をかなり意識しているように見えたし、
実際設定もかなり「シン・ゴジラ」をベースにしているように見えた。

またいろいろと昭和ゴジラのエキスもあちこちに散りばめられていて、
そういう部分にも「シン・ゴジラ」のそれを強く感じられた。


特に最後の15分が凄い。

途中からそうじゃないのかなと、
うすうす感じられていた展開ではあったけど、
それを上回る怒涛の出来だった。

期待をいい意味で裏切ってくれたけど、
ただこれはゴジラ目線で見た場合であって、
はたしてアニメ目線ではどうだっのかなあと、
そのあたりはちょっとなんとも言えなかった。


この作品、一応全三部作ということで、
自作は来年5月公開予定とのこと。


そのため最後はそこへ繋がるシーンもあったけど、
正直あそのあたりがいちばんアニメ色が強く感じられた。


あと最近のこのタイプのアニメに感じられる、
若干なんともいえない不自然な動きや表情が、
人類側のキャラクターに感じられ、
そのあたりがアニメをあまり見ていない人には、
どうみえたのかなあという不安が多少感じられた。


ただ救いは肝心のゴジラが、
人間よりもはるかに自然かつ巧妙に描かれていて、
まったくといっていいくらい不満が無かったこと。

首の太いゴジラは好みじゃないけど、
それを除けば本当にこのあたりはよく描けていた。

また音楽もたまに伊福部サウンドをイメージさせるような部分もあり、
ここにも「シン・ゴジラ」の影響を感じられた。



と、ざっとこんな感じでした。



最後に今回のゴジラをみていちばん感じたのは、

「日本のアニメの本気になった時の凄さ」

というところだろうか。


特にゴジラの描き方にそれを強く感じられた。

ゴジラもここまでアニメで描けるんだと、とにかく感心しました。


ただこれは映画館の大画面や大音響にかなり助けられてる部分もあるので、
できれは映画館で見る事をお勧めしたい。


以上です。


god9990.jpg
予告編より


ps

ゴジラがまったく「海」と絡まなかった作品というのも珍しい。
nice!(0)  コメント(0) 

ゴジラ、江の島~鎌倉、そして丸子橋をいく。[シン・ゴジラ聖地巡礼] [ゴジラ]

というわけで、
「シン・ゴジラ」では、
江の島~鎌倉にかけてゴジラが闊歩する。

自分にとっていつも歩いてるコースなので、
このあたりをあらためてチェックしてみました。


最初ゴジラは江の島方向から稲村ケ崎に向かって歩いてくる。
ゴジラが相模湾にあらわれたという直後のシーンだ。

現地に行ってみて、
そのときのシーンに近い場所から撮ってみた。
映画におけるこのときの撮影位置は、
おそらく稲村ケ崎公園の山側の上に上がる階段付近からだろう。

a03.jpg

この左の木と正面にある江の島の間から、
こちらに向かって歩いてくるかんじたった。

SG0007.jpg

それ以前のシーンは無いが、
おそらく江の島横あたりから出現したのではないだろうか。
g07.jpg

ちなみに江の島の展望台最頂部の海抜高度は、
ほぼ今回のゴジラの身長と同じくらいです。

尚、稲村ケ崎公園の場所は地図のの所。
g08.jpg

[交通] 江ノ電「稲村ケ崎」駅から歩いて7~8分くらいです。


この後ゴジラは稲村ケ崎をかすめて鎌倉へ。


その上陸しようとする遠景をとらえた光明寺裏の高台からのそれ。

ag001.jpg


a05.jpg
http://komyoji-kamakura.or.jp/
※光明寺公式サイト

ここの本堂右横に高台に行く道がある。
a06.jpg

その高台に簡易な展望台。
a10.jpg

そしてそこからみた風景。神奈川の景勝50選にも選ばれた場所。
a11.jpg

ここからあの圧倒的なシーンを撮影したものと思われます。

光明寺.jpg

[交通] 鎌倉駅から京急バスの[鎌40]系統「逗子駅方面」行きで10分程、 「光明寺」というバス停で降りてすぐ、 歩くと35~40分ほどかかる場所にあります。


ところで映画では見えなかったけど、
おそらく庵野監督は、
富士山をバックにしたゴジラをいろいろと撮影したかったのかもしれない。

この光明寺上陸シーンや、
最初の方であげた江の島横での出現シーンも、
ともに右横に好天なら富士山がじつは見えていた。

それこそ「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏.」のゴジラ版みたいな。

ゴジラは富士山大好きですし。

ただ残念ながら鎌倉ロケ時は一度順延したにもかかわらず、
けっきょく曇天でのロケとなりました。

もちろん富士山など望むべくもありません。

だとしたら庵野監督、
このあたりけっこう心残りだったかも。


このあとゴジラは由比ヶ浜の鎌倉海浜公園付近に向かって上陸してくる。

Ck5xuhvUYAAYiWN.jpg

おそらく角度からいって、
この公園「芝生の広場」最頂部の丘の上より、
高い位置にカメラがあったようです。

公園最頂部付近より上陸地点をみる。
a05.jpg
向こうにみえる地下道入口の屋根がみえる付近の、
その向こう側あたりに上陸してくるようにみえます。

地図上にのあるところです。
公園はそこから地図上では右斜め上あたりにあります。
g09.jpg

[交通] 江ノ電「由比ヶ浜」駅から歩いて7~8分くらいです。


しかしこりゃ怖いわ。

というかどっちに逃げるか判断が割れるところ。

極楽寺へ行くか逗子方面へ行くか難しいところです。


そしてゴジラ第四形態の上陸第一歩となった海岸シーン。
SG0008.jpg

このシーンの場所は由比ヶ浜海岸の坂の下ビーチ。

ポイントとしては坂ノ下交差点直近の、
海岸へ降りられるスロープを降り切った付近と思われます。
a04.jpg

ここからみる海岸は砂浜がとても広いので、
上陸第一歩にひじょうにふさわしい場所かと。

a12.jpg
※左下にある星印の付近です。

[交通] 江ノ電「長谷」駅から徒歩5分程の所に当たります。


このあとゴジラは上陸後やや向きを一度北に変え、
その後すぐ東に転じたようです。

途中、由比ヶ浜商店街の、
「文学館入口」交差点付近を歩くシーンがあります。
g03.jpg

このほぼ正面のやや向こう側を、
江ノ電に沿って鎌倉駅方面に向かっていきます。

sg0005.jpg

g10.jpg
「松沢松林堂」という字の上にある付近です。

[交通] 江ノ電「由比ヶ浜」駅から歩いて5分くらいです。


途中にある御成通り商店街付近を通過。
SG01.jpg

位置的にみて、
江ノ電と横須賀線が並行しているあたりを、
ゴジラは通過していると思います。

そして現地。
g02.jpg
g11.jpg

このあたり上空をゴジラの尻尾が通過します。
sg06.jpg
撮った写真が失敗したのでGoogleより現地写真を。
sg07.jpg
右の家がひとつ上の現地写真の左端にある家です。

[交通] JR&江ノ電「鎌倉」駅から歩いて5分くらいです。


ここで困ったことが起きた。

じつは映画では先に御成通り、
続いて由比ヶ浜とシーンが続いていることに今更気づいた。

これだとどう考えても上陸地点から考えると、
辻褄があわないし、
コースとしても不自然極まりない。

だいたいこんな江ノ電の沿線ばかりを、
意味もなくウロウロほっつき歩かれたら、
それこそ近所迷惑もはなはだしいし、
映画も遅々として進まない。

それこそ

「ゴジラに江ノ電をみせてはいけません。ますます喜ぶばかりです。」

になってしまう。

まあ庵野監督のゴジラらしいといえばらしいのですが…。


おそらく演出の関係でこうなったんだろうけど、
走ってる江ノ電を見たくてそわそわしてるのならともかく、
現実には映画の順でゴジラが歩くことはまず無い。


なのでここの二か所は、
場所特定のみでコースはこの通りではないというこを、
ちよっと書き添えておきたいと思います。

この鎌倉ロケは以上のようにかなり細かく場所が分かれており、
各場所でいろいろとたいへんだったようです。

またエキストラさんたちもあちこちに集合していたようで、
鎌倉駅西口の鎌倉駅旧駅舎時計台前の広場にも、
マスクをつけたエキストラさんが大勢当日待機していました。

一か所でどーんと撮るタイプとはまた違ったたいへんさがあったようで、
車をときおり止めて撮影を行ったときなど、
運転者さんから文句を言われたエキストラさんもいたとか。

とにかくいろいろとあったようで、
海岸沿いの道路付近で黄昏ていた樋口監督の姿は、
そのたいへんさを物語っていたのかもしれません。


閑話休題


駅を通過したゴジラは今度は横須賀線沿いに北上。
今度のゴジラはどうもかなりの鉄オタのようです。

ラストのヤシオリ作戦は、
さぞ本人にとってご満悦のひと時だったことでしょう。

横須賀線「扇ヶ谷ガード」付近のゴジラ。
SG04.jpg

現地です。
g01.jpg
g12.jpg

さっきより北鎌倉に近いですが、
鎌倉駅からの方が距離的には徒歩で5分程近くにあり、
化粧坂切通し経由で源氏山公園に行く途中に、
このポイントはあります。

[交通] JR&江ノ電「鎌倉」駅から歩いて15分くらいです。


あとゴジラは映っていませんが、
江ノ電が右折しながら消えていったあと、
避難する人達が映るシーン。
2016-01.jpg

最初これは長谷駅と御霊神社前の踏切の間の区間で、
長谷駅の方から写したものと思っていました。
god01.jpg

ちょっと写真が映画のそれと似てないものの、
映画では少し編集してると思っていましたが、
上記のそれはその後誤りがあることが分かりました。

この件につきましては、
https://twitter.com/bakasazu/status/828262141681479680
をご覧ください。

正直驚きました。

最初に間違った情報を流して申し訳ありませんでした。


映した場所はより鎌倉・由比ヶ浜方向よりで、
おそらくこのあたりからかと。
2016-02.jpg

kama01.jpg
※当初この踏切をひとつ長谷よりの踏切にマークをつけしまいました。申し訳ありません。

これを遠近圧縮編集すると上記のシーンになるとか。
今の技術、もう凄すぎて分かりません。

[交通] 江ノ電「長谷」駅から歩いて5分くらいです。

尚、ここを撮影する場合は電車はもちろん、
通行する車両にも充分ご注意と配慮願います。


鎌倉に旅行、もしくは修学旅行等で訪れた際に、
もしろよろしければ参考にしてください。


こうしてゴジラは鎌倉を闊歩していきました。

この映画をみてからこれら該当地区を歩くたびに、
しょっちゅう上の方をみるようになってしまいました。困ったものです。

鎌倉でゴジラ焼きとか出してくれないかなあ。


あと完全なこれは与太話ですが、
鎌倉幕府は以前「1192年」にできたというのが、
今は「1185年」の方が説として本命になっているようです。

1185…今回のゴジラの体長は118.5メートル。

まさかそれで?


因みにこの後のルートですが、
おそらくゴジラは亀ヶ谷坂の切通付近を通り、
北鎌倉から大船方面へ向かうものの、
途中、六国見山を沿うようにして右折し北上、
大長寺のあたりからまた右折し桂台上郷方面へ。

g13.jpg
桂台付近のゴジラ。

その後の描写はあまりありませんが、
映画では釜利谷を通ったという台詞があるので、
その後釜利谷を通り洋光台付近を通過。
sg0002.jpg

このゴジラが遠景に見えている印象的なシーンは、
洋光台五丁目のバス停から歩いて少しの所で撮影されたようで、
地元ではけっこう有名なポイントのようですが、
角度的にみて一般の人には撮影できないポイントかと。


このあとゴジラは横浜あたりを蹂躙、
川崎の工業地帯に接近、
go102.jpg

それから南武線沿いに北上、
途中から府中街道を少し歩いた後、
綱島街道沿いに北上し武蔵小杉に到達。

という感じで移動していったと思われます。

武蔵小杉の高層ビル群突入寸前のゴジラ。
SG02.jpg

その後自衛隊の攻撃を受けながら丸小橋へ。
g14.jpg

自衛隊を一蹴した後、
多摩川浅間神社を左にみながら多摩川を渡河し、
世田谷区目黒区を通過後、
新橋銀座霞が関永田町付近を火の海にし、
東京駅付近へ到達というかんじで進んでいったのではと、
個人的に推測しています。


この後武蔵小杉に行く。

タバ作戦の行われた場所。

武蔵小杉の高層ビル群。
ks01.jpg

丸子橋、ゴジラにぶっ飛ばされた橋。
ks02.jpg

ちょっとファーストゴジラで壊された、
隅田川の勝鬨橋を思わせるような形状です。

ただファーストの時は
「はい、ちょっくらごめんなさいよ。」
というかんじでいそいそとひっくり返されてましたが、
こちらの方は問答無用で、
思いっきり下からぶっ飛ばされてた違いはありますが。


指揮所のあった多摩川浅間神社。
http://www.sengenjinja.info/
ks03.jpg
ks04.jpg
ks09.jpg

ここには多摩川方面を臨める展望台があります。かなり広いです。
ks05.jpg
この場所に基地がおかれ、
ここから指示が直接出されていたようです。
映画ではここの赤い柵も映ってました。

その展望台から丸子橋方面を臨む。かなり近くみえます。
ks06.jpg
最後この展望台真横をゴジラは通過していきます。
この場所で下からゴジラを仰ぎ見るシーンもあります。

因みにこの展望台は、社務所の屋上のことです。
ここには本殿のある場所から行くことができます。

丸子橋の先にある多摩川河川敷。戦車隊がいたところ。
ks08.jpg

対岸の小杉方面を臨む。
ks07.jpg

想像以上に奥行きのある場所での展開となってます。

因みにこの丸子橋と浅間神社は武蔵小杉駅から歩くと、
意外と距離がありますので、
東急の「多摩川」駅の方がはるかに近くて便利です。

ks00.jpg
地図です。この下の方にかかっている橋が丸子橋です。

[交通] 東急「多摩川」駅から多摩川浅間神社は徒歩5分程の所、丸子橋は徒歩6~7分程のところにあります。


間違ってるところがあったらすみませんが、
聖地巡りの参考になったら幸いです。

というわけで以上です。

「ゴジラ・フェス2017」に行ったけど [ゴジラ]

今年初めて行きましたが
入るのに一時間以上かかったのでなんか疲れてしまい、
そのため写真撮ってとっとと帰ってしまいました。

花澤さんが来ていたようですが外に並ばされていたのでよくわかりませんでした。

写真だけだらっと掲載して今回は終了です。
しかし毎年こんなかんじで人を捌いているんだろうか。

だとしたら来年からは申し訳ないけどパスです。

a-08.jpg
a-07.jpg
a-04.jpg
a-01.jpg
a-02.jpg
a-03.jpg
a-06.jpg
a-05.jpg
nice!(2)  コメント(1) 

ゴジラ(1954)最初の一週間 [ゴジラ]

1954年の「ゴジラ」、
じつはこれがいつ起きたかという日にちが、
作品中明確に描かれている。

ひとつは、
8月13日19時05分の栄光丸遭難の報。
そしてもうひとつは、
8月20日16時30分にゴジラが観音崎沖にいるという放送。

今回はここからゴジラのこの最初の七日間をみてみる。


8月13日。

栄光丸遭難の報。19時05分。
g-20.jpg
続いて備後丸も遭難する。


8月14日。

大戸島の漁船が生存者を救助という報を発表。
g-00.jpg
ちとわかりにくいけど時計の針が8時をさしている。

おそらく朝の8時だろう。

このあとこの日の夕方近くで政治が大戸島に漂着。


問題はここからでかなり無理があるけど、
8月20日から逆算する形で以下のようになると思われる。


8月15日。

シケ続き、古老がゴジラかもと発言、取材陣が来て、夜の神楽。
g-18.jpg
※政治の回復が早すぎるのが難。

そしてゴジラついに大戸島上陸。
ごじら7.jpg

このことから、
ゴジラの上陸は8月15日の終戦記念日のようです。


8月16日

大戸島の陳情団が国会へ。
g-17.jpg
※大災害の割に到着早すぎという点に難。


8月17日

朝、東京から大戸島へ。
竹芝~大島くらいの距離なら六時間ほどで着くと思われる。
g-16.jpg

そして午後、ゴジラ出現。
g-15.jpg

緊急事態のため空路帰京したと思われる。


8月18日

国会でゴジラ審議、夜、遊覧船横にゴジラ出現。
g-14.jpg
g-13.jpg


8月19日

ゴジラ東京上陸(一回目)
g-12.jpg


8月20日

16時30分観音崎沖にゴジラがいることが放送される。

ゴジラ二度目の上陸。東京炎上。
g-11.jpg


という感じになっており、


8月21日

芹沢邸でオキシジェン・デストロイヤーの使用を懇願。

という流れになる。


このあとはわからないがゴジラが三度目の上陸が描かれていないことと、
オキシジェン・デストロイヤーを砲丸大の量生産していることから、
数日後に東京湾でゴジラと対峙したとみるべきなのかも。

それを考えると十日ほどの間に、
ゴジラの物語は起こったことになる。


ただ正直※印でも書いたように、
かなり無理のある部分もあるので、
あくまでも明記されている二つの日付を軸に推測したという、
そういうものとお考え下さい。

もっとも8月20日の方は実際は「20日」としか言っていないので、
ひょっとすると9月20日かもしれません。

もしそうだとかなり大戸島と東京間の移動、
政治の回復なども無理なく運びそうですが、
ただそうなるとゴジラが大戸島から東京まで、
一か月近くかかって移動するということになるので、
今度はそれもまたどうなんだろうという気はしますが、
さてじっさいはどっちなんでしょう。


以上です。


nice!(0)  コメント(0) 

「シン・ゴジラ」の好きなシーン [ゴジラ]

ちょっとマニアックもしれないけど、
じつはこの―シーン。

好きというか最も怖かったというか…。

すでにツィッターでも書いているけど、
それはこのシーン。

sg0002.jpg

じつは下に分かり易く矢印で示しているけど、
なんとここにゴジラがいる。

SG0011.jpg

もうすぐそこまで来てるのに、
マンション等の建造物で視覚、
避難放送等で聴覚が阻害され、
ほとんどの人がそれに気づかず、
ただダラダラと緊張感もなくけだるく避難しているという、
このシーン。

311での津波のエピソードを思い出してしまうが、
このときの避難放送も、
津波襲来時の避難放送を想起させられて、
かなり重くのしかかられるような怖さを感じた。


そしてもうひとつがこのシーン。

sg0005.jpg

自分がよく行く由比ヶ浜商店街でのシーンだけど、
ちょっとわかりにくいが、
じつは左下端を人が断続的に、
ゴジラのいる所から走りながら逃げている。

SG0010.jpg

これをはじめて気づいた時、

「うわー、これは怖すぎる」

と思うと同時に、
このシーンのエキストラやりたかったなあと、
ここに映っている人にかなり羨望の念を感じてしまいました。

正直あのときエキスストラやっていた人の多くが、
こういうシーンをやりたがっていたので、
これやった人は映りは小さいけど個人的には、

「大当たり」

という気がしました。

ただ鎌倉ロケの日は、
今にも雨が降りそうな曇天だったので、
これは合成かもしれません。

でもやっぱりこういうの…やりたかったなあ。


尚、このシーンは他の鎌倉シーンが曇りなのに、
ここだけ晴天という不自然さもあったので、
残念に思ったシーンでもあります。

「かわいいゴジラ」について。 [ゴジラ]

何故かゴジラはその様式美や怖さという魅力だけでなく、
「かわいさ」のようなものが常に語られる。

ゴジラの原作を書いた香山滋氏をはじめ、

「ゴジラが殺されるのがかわいそう」

と多くの関係者が言っていたように、
東京を焼き払い奥の人命を奪った狂暴な怪獣なのに、
何故かとにかくその第一作からそのキャラクターは愛された。

第二作の「ゴジラの逆襲」では、
最初に比べるとずっとゴジラの恐怖感は後退し、
とにかく大きく強い怪獣という感じで描かれていた。

放射能や被爆のこともここではほとんどふれられていない。


この後ゴジラは7年間の冬眠に入る。

この間ゴジラに対するそれは随分ぶん変わっていった。


あいかわらず原爆実験や東西対立の構図は変わらなかったが、
ゴジラはいつの間にか放射能や核の恐怖の代名詞ではなくなっていった。

そしてプロレスブーム真っ只中の1962年。

「キングコング対ゴジラ」が公開された。

ここでのゴジラはほんとうに愛敬もあるし、
妙に可愛いところもある。

例えばキングコングに口の中に木を突っ込まれたシーン。
g-04.jpg

この焦ってバタバタしてるシーンが、
なんともかわいい。

ファーストゴジラの頃とはもはや完全に変わっている。

この二年後の「ゴジラ」公開から十年経った年に公開された、
「モスラ対ゴジラ」では、
最初の二作品の各主役を演じた宝田&小泉両氏の共演、
そして久しぶりに放射能云々が取り上げられ、
ゴジラは完全ヒールとなった…はずだった。

だがこの十年間はゴジラの完全ヒール化を許さなかった。

モスラに引っ張られ卵の上でバフンとなるシーン。
g-05.jpg

尻尾で鉄塔を引っ張ろうとしたら、
尻尾が外れてオットットになったシーン。
g-06.jpg

名古屋城の濠で足を滑らして名古屋城に激突。
g-07.jpg

この城が硬いんだこれが。

ゴジラがぶつかっても壊れないという堅牢さ。

まあゴジラにとってこれはかなり痛かったらしく、
けっきょく意地で名古屋城も壊しましたが、
ゴジラはその後お城が嫌いになりましたとさ。

それまでは大阪、熱海、と壊していたのですが…。


またモスラの幼虫に糸でグルグル巻きにされるときの、
イヤイヤポーズみたいなのが、
なんともかわいらしい。

かつてのゴジラには考えられないシーンが続出したせいなのか、
この作品を最後にゴジラの完全ヒール化は二十年ほど封印される。

そしてこの年の秋に公開された

「三大怪獣地球最大の決戦」

ラドンに頭を突かれたり、
尻尾をかまれたりしたときのその表情もコミカルだけど、
下のシーンにおけるゴジラの岩の上に腰を下ろしている、
その座り方。
g-10.jpg
このあたりで
もう完全にそのへんのおっさんになってしまいました。

しかもこの作品で、
とうとうゴジラは会話ができる、
分からず屋だけど仲間想いのキャラになってしまった。


もう怪獣というより、
かぎりなく恐竜の姿をした人間みたいなかんじで、
しかもちょっと犬っぽい頭のせいなのか、
頭が妙になでたくなるようなところがあり、
それがペット感覚的な可愛さを醸し出すようになっていった。

「怪獣大戦争」でのシェーはもはや当然の流れだろう。


本来恐怖の対象として出発したゴジラは、
その高度成長時代のそれもあったかもしれないけど、
「キングコング対ゴジラ」で、
ライトでコミカルなものに順応できると証明したことで、
何をやっても大丈夫だし受けるという、
そういうキャラに認知されシフトチェンジさせられてしまった。

ボブ・サップの一時の流れと、
このあたりよく似ているけど、
このときゴジラの無類の強さまで薄めてしまったことが、
のちのちゴジラにとって不遇の時代を迎えてしまうことになる。


本来ゴジラは愛され可愛がられてもいいが、
強さとしては座頭市や花山大吉のように、
徹底的に強くなければいけない存在だった。


そこのところが作品を重ねるにつれ、
ゴジラが相手に苦戦するようになりはじめ、
どんどん脆弱化していった。

ウルトラマンや仮面ライダーは苦戦しても絵になるが、
本来ゴジラはあまり絵にならない。

そうう意味ではガメラよりも大魔神に近い存在なのだ。


そのあたりが、
当時いささか誤解されていたような気がするけど、
あの時代そこまで無敵な怪獣って、
はたして需要があったかといわれるとどうだろう。


ただ1984年の復活「ゴジラ」は、
やはり強さの復権をかなり意識したものになっていた。

このあたりは時代の変化かもしれないけど、
とにかくゴジラは再度軌道修正が施された。


そして2016年の「シン・ゴジラ」は、
ファースト以降に付加された要素を、
かぎりなくそぎ落としたゴジラ像をつくりあげた。


だがファーストの頃あった、

「ゴジラを殺すのはかわいそう」

というそれもここにはなかった。


そういう意味では、
リスペクトしたうえで新構築された、
まさしく今回のは「新・ゴジラ」というとろころか。

だがそのため見る人にとってそれは
「新」ではあるが「真」ではないし、
「神」かもしれないが「真」とは思えないという、
そういう複雑な感想も抱かせることになった。


結局のところ、
ゴジラはそれだけ長い年月、
いろいろな時代の変化にあわせてキャラを変え、
多様なストーリーに順応し、
我々の前に現れ続けたため、
これだけ多種多様の価値観を、
各自がもつキャラになってしまった。


「シン・ゴジラ」で、
ゴジラのひとつの形が描かれ、
それにより多くのファンが歓喜し、
新しいファンも生まれた。


アニメは別として、
次回作はほんとうに難しい。

はたして今回不満を感じたファン層の意図を組んで、
かつて来た道をまた歩むのか。


それとも新しいファンを開拓したことで、
今までとは違う一手をうってくるのか。


「シン・ゴジラ」の評価は、
これから問われるのかもしれません。


ただ個人的には、
異常に強くてしかも可愛気のあるゴジラというのも一度みてみたい。


「シン・ゴジラ」での
あのラストの尻尾の先から、
2メートル位の強いけど大人しいゴジラが出てきて、
町中大騒ぎなんてのもみてみたいですが…

…それやると庵野さんの努力がすべて水泡に帰すからなあ。



あと余談ですが自分が子供の時のゴジラのイメージ、
それは…

気が短くて力持ち

というものでして、
まあ性格の悪い金太郎みたいなものです。


これじゃあ正義の味方のゴジラを受け付けないわけです。


以上で〆

ゴジラの聖地、静浦へ行く。 [ゴジラ]

g4.jpg

ゴジラ映画史上屈指の名作であり人気作のひとつ、

「モスラ対ゴジラ」(1964)

そのロケ地となった静岡県沼津市静浦に再訪する。


じつは映画の中ではここは「静之浦」といわれ、
三重愛知近辺あたりという設定だったようだ。

だがこのモスラの卵が流れ着き、
最後ゴジラまでがやってくるこの「静ノ浦」は、
実際は静岡県沼津市の静浦、獅子浜でロケがされていた。


多くははロケ地イコール作品での場所なのですが、
こういうケースもあるにはあるので、
そのためちょっとこの場所はあまりクローズアップされていない、
ゴジラ聖地の中でもマイナーなものとなってしまっているようだ。


というわけで今回はこの静浦獅子浜へ。

交通は沼津駅の南口バス乗り場7番から出ている、
多比や長岡方面に行くバスに乗り、
途中の志下公会堂前で降りる。

場所がよくわからないので、
獅子浜より手前から歩く。

途中の八幡宮ではお祭り。
a-01.jpg

その後海沿いに南下した後、
海沿いの道へ向かう。

途中にあった津島神社にお参り。
a-04.jpg

津島(ヨハネ)善子ファンならお参りすべき神社かも。

しかしゴジラの聖地に津島神社。

まさにこういう図か?
pops06.jpg

この津島神社から下りようとしたとき、
ふと左の山をみて、
思わず飛び上がってしまった。

すぐに下に降りて、
もう少しこの山がよく見える所を探そうと、
よりいい場所を海沿いの道中心に探す。

a-02.jpg
この近くにいい場所がありました。

そして一枚。
a-03.jpg

これが映画ではこのシーンに。
s-016.jpg

まさにゴジラ山。

ここから覗いてきたか!
というくらいの場所だった。

とにかくなかなか絵になる場所だし、

「でてこないかなあ…」

とバカなことを思わずおもってしまうくらい、
いい雰囲気の場所だった。

因みに津島神社からみえたゴジラ山はこういうかんじ。
ゴジラ山.jpg
電線がちと邪魔だったんですね。

じつはゴジラが山から顔を出すシーンというのは意外と少ない。

第一作ゴジラの大戸島のシーン(ロケ地は石鏡)や、
「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」の、
箱根あたりが比較的有名なくらいで、
お城や電車、それに高圧線を含む電線よりは、
かなり頻度は少ないといっていいと思う。

※あと「メカゴジラ」の時もあった。

それだけにとても貴重なのです。


その後ゴジラはこの山の向こう側からやってきます。
a-10.jpg
s-017.jpg

逃げる人々、
s-014.jpg
s-015.jpg

そして現在、
a-12.jpg
a-07.jpg


かなり雰囲気が違うし、
しかも同じ場所で撮ることもほとんどかなわない。

というのも当時は獅子浜は海岸線が砂浜だったのが、
a-05.jpg

上のような防波堤が築かれ、
その外もこのように様変わりしている。
a-06.jpg

ただそれでも淡島もみえるし、
映画冒頭のこのシーンも、
s-01.jpg

現在でも山はこのとおり。
a-08.jpg

このあたりの山を含めて、
沼津アルプスというらしい。

するとこの山は小鷲頭山と鷲頭山なのだろうか。

このあたりは勉強不足でよくわかってません。


閑話休題

海岸沿いの道の海側も、
かつてここが砂浜だったことを想起させるものがあるし、
この道もおそらくあのゴジラから逃げるシーンの、
あの道だったのだろう。


あと家の間の細い道を、
町民が海に向かうシーンがあるが、
家はもちろんかわってしまっているけど、
道は今でもそれをとどめている。
a-11.jpg


ところで自分がなぜ静浦がゴジラの聖地と気づいたかというと、
以前沼津から内浦まで歩いた時にみえた淡島の姿が、
じつは自分にはとても印象として強く残った。

その後「モスラ対ゴジラ」をみてたら、
「あれ?」となった。

s-012.jpg

「この右のそれ、淡島だよね。」

というこれがきっかけだった。

そして決め手がこれ。

s-021.jpg
右端の船の浮き輪にしっかり「沼津」の文字が…。

おいおいここ名古屋近辺じゃないの?

というかんじなのだが、
かつてこの頃のTVの時代劇で、
侍の足元近くにプラスチック製の柵が映ってたという、
そういうなかなかのシーンもあったので、
これも気づかないまま完成になったのだろう。

大らかな時代です。


ほんとはこれ以外に、
淡島で撮られたというこのシーン。
s-019.jpg

これがどこかもハッキリさせたかったのですが、
ちょっとこれは難航しそうです。

というわけで以上です。


しかし静浦で「モスラの卵」とか「ゴジラ焼き」とか、
そういうものつくってくれないかなあ。




因みに場所としては、
「獅子浜北」の停留所から「獅子浜」の間くらいの、
堤防前の海沿いの道と、
そこから見える山々といったところです。

ゴジラが来るぞ 映画見ながら「その時、どうする」を読んで。 [ゴジラ]

突然現れた巨大不明生物が街やビルをぶっ壊し、政府は右往左往する。大ヒット中の映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督)はそんな作品だ。虚構のゴジラに立ち向かう人間の描き方は妙にリアルで、日本の危機対応は大丈夫か?と思わせる。ならば専門家に聞いてみた。本当にゴジラが来たら、あなたならどうする?
http://mainichi.jp/articles/20160906/dde/012/040/003000c

という記事があった。

いろいろ書いてるけど最後に、

「論争を政治家や専門家だけに任せず、権力乱用をどうチェックするか、私たちも自問してみよう。ゴジラが来たら、一市民として何ができますか−−。 」


答えはじつに簡単シンブル、

「原則、即逃げ!」

しかないでしょ。


考えるも自問もくそもない。

来ちゃったらもう逃げるしかない。

単純にかなう相手じゃないし、
そこそこの飛び道具ももってるので、
距離もある程度とらなきゃいけない。

しかも近くにいると被ばくしてしまう。


ただ地震と違って姿がみえるので位置はわかる。
また台風じゃないので高気圧や低気圧の配置で進路が変わることはない。

この怪獣、原則陸上では直進が基本なので
後ろからラドンがぶつかってこないかぎり、
一度通り過ぎるとカーブして戻ってくるということはまずない。

なので後ろをとればある程度被害からは逃げられるので、
あとは通ったところに近づかないということくらいだろう。

あとは山根博士のいうように、
光を当てると怒るのでそれもやめる。


とにかく一市民レベルなら政治もくそもない、
ゴジラがそばにいるのに、
国会の前でデモするバカがいたらこちらがお目にかかりたい。

とにかく逃げる!とにかく離れる!

これ常識。これ基本。


まあいなくなるか消滅するか、
それともどこかの島にいついて定住したら、
そのときいろいろと考えるかもしれません。

以上です。

「ゴジラ」(1954)公開時の新聞評いろいろ。 [ゴジラ]

title.jpg
「シン・ゴジラ」が1954年の「ゴジラ」をリスペクトしているというけど、
じゃあそのファーストゴジラが公開された時はどうだったのだろう。

以前書いたこの項目を、
中盤以降大幅に追加加筆し改訂してupしなおしました。


この作品が公開されたのは1954年の11月3日の文化の日。

このころの日本…というか世界は、
正直一寸先は闇というかんじだった。

それは一にも二にも核兵器の存在だ。

アメリカやソ連、
それにイギリスが、
特に1950年代に入ってから毎年のように核実験を、
しかも地上でやっていたのだから、
大気圏内の放射能濃度は今の比ではなかった。

じっさいこの年の11月の新聞をみると、
金沢では連日高濃度の放射能に汚染された雨が降り、
四国高知では新米からやはり放射能が検出されている。

第五福竜丸が被ばくしたのはこの年の3月、
そしてその影響による死者が出たのは9月だった。
kaku.jpg
※福竜丸を巻き込んだキャッスル計画の実験名「ブラボー」。

前年朝鮮戦争が休止したものの、
同年3月にスターリンが死んだソ連の方向性は、
54年になってもはっきりとみえてはいなかった。


このように時代は核の恐怖に覆われ、
そして深刻な影響が出始めていた、
「ゴジラ」の公開された同月には、
東京で放射能に関する日米会議が開かれた。


映画もアメリカでは、
1953年には「ゴジラ」の元にされたという、
核実験で蘇った恐竜がアメリカを襲う、
「原子怪獣現る」、
beast.jpg

翌年には核実験で巨大になった蟻が人間を襲う
「放射能X」
3_them-three-sheet-1954.jpg
が完成上映された。
核のそれはそこまで身近になっていた。

そんな中、
水爆大怪獣と呼称された「ゴジラ」は公開された。


「銀座大通りに暴れ狂うゴジラ」
「日本を猛襲する水爆大怪獣」
「大東京ビル街全滅!」
「怪獣ゴジラの猛威」
「全国東宝系一斉歴史的大公開」


といううたい文句や、
山本嘉次郎、マキノ雅弘、高木彬光、
といった人たちの誉め言葉が散りばめられた告知が、
公開直前に新聞に掲載されていた。


そしてよく知られている通り、
それは歴史的大ヒットとなり、
半年も経たないうちに続編が公開されることとなるのですが、
新聞雑誌の評は総じて芳しくなかった。

以下、当時の主要新聞六社に掲載された評をみてみよう。


〇11/3 朝日新聞夕刊

◎企画だけの面白さ

水爆実験によって海底にひそんでいたゴジラという怪獣が、東京を攻撃して来たという空想映画。

アメリカでは「放射能X」などが作られたが、日本のは科学映画的なものに乏しい。かといって、空想的な面白さもない。

とくにゴジラという怪獣が余り活躍せず「性格」といったものがないのがおもしろさを弱めた。「キングコング」の時代と比べてもなんとかなりそうなものであったし、「放射能X」のアリのような強烈さに及ぶべくもない。

ただ企画だけの面白さはあり、一般受けはするだろう。宝田昭と河内桃子の二人の青年と娘の恋愛が、なにか本筋から浮いているが、これは構成上の失敗だった。


〇11/3 読売新聞夕刊

◎「みもの」は特殊撮影だけ

一昔前の「キング・コング」なみの怪獣映画で、一応「放射能X」同様に話の裏づけを科学的にもってゆくため水爆実験がからむ。

南太平洋の海底深く今なお生息していると伝えられる二百年前の怪獣が、水爆実験でその住まいを破壊されて登場、東京の中心地を襲うという話である。ネライは怪獣の大あばれで身のたけ五十メートルという巨大なゴジラが、恐るべき怪力と、身につけた放射能のエネルギーで、銀座を焼きはらい、議事堂をこわし、テレビ塔をひとたたきで倒すシーンが見せ場である。

特殊撮影の技術は合格点。アメリカ映画の技術とさしておとらぬ出来である。戦後日本の特殊撮影の技術がここまで復活、発達したかくれた努力はたたえたい。

欠点の第一はゴジラに性格がないことである。キング・コングには何かその動きに愛敬があり、一方またどれだけ大あばれしようとも、キング・コングそのものの悲劇がにじみでていた。悪意のある大あばれでもなく、何も知らずに環境のちがう世界でとまどっている結果の破壊として、むしろ同情さえもてた。しかしゴジラはぜんぜん無愛敬。ゴジラ自身に水爆実験のため平和な住まいを追われた悲劇味が何一つ出ていない。

映画はゴジラ対策の人間側でいろいろと芝居をもりこむが、この処理がまったく拙い。荒唐無けいなものにせず、科学的な面をみせようという手段も実に不手際。特殊撮影だけがミソの珍品である。


〇11/4 毎日新聞

◎ちょっとスゴイ!? 放射能の「怪獣ゴジラ」

六千万年から二億年ぐらい以前に地上を横行していたと考えられている恐竜の一種を模した怪物である。海底にひそんでいたのが水爆実験の騒ぎでノソノソと地上に現れて暴れ回るという着想は、これと前後して公開されたアメリカ映画「原子怪獣現れる」とあまりチエのちがいはない。香山滋の原作はむしろ「ゴジラ」というふしぎな名前そのものの魅力を最大とする。

特殊撮影の円谷英二。多くのすぐれた実績をもつ人だが、この映画でも十分に実力をうかがわせる。身の丈五十尺という怪物が口から強烈な放射能の白光をはき出して東京の目ぬきの街を焼き払い、ビルディングを軽く押し倒し、国電を食いちぎったりしながら再び海中に去る。このあたり見せ物のヤマとなっているが、あらゆる怪物映画と同じで、ゴジラが最初にどこかの漁村に上陸する部分がいちばんの興味。あらしのシカケもよくできていてちょっとスゴイ。

志村喬の学者以下人間のお話がついているが、こっちはあまりうまくない。最後にナントカという新発明の一物をもって若い学者が海底に潜って行き、ゴジラが一休みしているところへぶっつけるところなんか、やたら決死隊みたいでかえってナンセンスである。人物はどれもセンチメンタルでミミッちく人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。何となく科学的で何となく学者らしいという程度でいいわけだが、その程度の人間を出すのにも日ごろの教養ということになりそうだ。その点外国製はやはりもっともらしい。


〇11/3 サンケイ新聞夕刊

◎トリック撮影の面白味

興味の中心は怪獣ゴジラが都内を暴れ回るというトリック撮影だが、一応作りものながらうまく出来ている。水爆の恐怖ということをゴジラの話を通して描いているわけだが、少々理屈っぽいところが嫌味。

[※この評は前半が映画のあらすじのみの記述。終盤は出演者と監督の名前を記しているだけなので、その部分は割愛しました。]


〇11/5 東京新聞

◎怪獣スペクタクル和製版

古くは「ロスト・ワールド」「キング・コング」さいきんでは「放射能X」「原子怪獣現わる」などアメリカ映画の一手専売だった怪獣スペクタクル映画の和製版日本ではじめての試みというのがミソである。ただし怪獣の形や動作、それに筋書きも、アメリカ映画の模倣を出ず、珍奇な見世物映画にとってもっとも大切な奇抜な空想力や奔放な創造力の働きが乏しいのは弱みで、今後大いに工夫してもらいたいところ。

海底から出現したこの原始怪獣ゴジラはまず船舶を沈め、漁村をひともみにして、東京まで焦土と化すすさまじい暴れ方をお目にかけようというのが、最大のねらいでもあるが、もともと荒とう無けいなものだけに緊迫感よりも、滑稽な感じがさきに立つ。スリルよりもご愛敬といったところである。

特殊撮影技術はまだまだ不備なところが多いが、第一回の試みとしての努力は認めてもいい。けれど、かんじんの水底でのゴジラ退治のクライマックスがアッ気ないのは失敗である。着想を具体化する撮影技術が伴わなかったのだろう。

ゴジラ征服の研究が破壊兵器に利用されることを恐れる科学者の悩みやゴジラ退治を反対する生物学者を配合する傍筋は、いかにも当世流のとってつけたようなものである。従って見世物的興味以外は期待できない。


〇11/7 日本経済新聞夕刊

◎突飛すぎる空想

題名がユーモラスで話題となった空想科学映画。監督は本多猪四郎。特殊技術が円谷英二。同じく水爆異変を扱ったアメリカ映画が公開された後なので、技術も比較され損をしている。それにゴジラの吐く放射能や背びれの電光などは説明不十分で突飛すぎる。やはり見せ物映画でも常識的な科学の裏付けは必要なのだ。巨大なゴジラが東京に上陸して議事堂や銀座界わいのビルをたたきこわし、放射能を吐いて焼き払い、自衛隊三軍もゴジラに対しては全く無力で、都心を廃きょと化してしまう。ようやく水中酸素破壊剤で窒息死させるのだが、その発明者(平田明彦)はみずから命を断って武器に使用されるのを防ぐ。この辺が原爆の洗礼を受けた日本の映画らしい。それにゴジラを殺すことに反対する生物学者(志村喬)やその娘(河内桃子)とサルベージ所長(宝田明)の恋が織り込まれている。


以上主要六社のそれですが、
さらに主要スポーツ新聞三社のそれも以下に付け加えます。


〇11/7 報知新聞

◎秀れた特殊技術

日本で初の本格的空想映画であるというところに興味が集められたが、マアマアの成績で期待は今後にといったところ。水爆実験で二百万年の夢をさまされた怪獣ゴジラが日本に上陸しての大暴れがこの作品のみせ場。これに付けたりのように考古学者(志村喬)の娘(河内桃子)とサルベージ会社社員の恋愛が色どりとなっている。

この種の米国作品にくらべて余りソン色のない出来栄えを示した特殊撮影(円谷英二)の効果は、とかく遅れがちのわが映画界のために誉めて良い。話は余り面白くないのが当然だが、多分に説教臭が強いのは良くない。むしろ徹底的にゴジラに話を集中させた方が良かった。ただ水爆うんぬんのセリフが妙に耳ざわりだが、それならやはり水爆の被害?のゴジラにもっと性格を加味したら変わった面白味が生まれただろう。


〇11/6 スポーツニッポン

◎”着想”と”努力”を買う 意表に出る凄みが欲しい

(前半はあらすじのみの記述なので割愛)

原作は香山滋、脚本は村田武雄と本多猪四郎。この映画の狙いは戦争反対、原、水爆の使用反対をうたったもので、それゆえに、こんな目先を変えた奇想天外の映画を作ったと想像される。

その着想は幾分買えるが、これまで洋画でいやというほど空想科学映画をみせつけられてきた我々としては、少しも驚かないし、感心するトリックのなにもにない。たしかに東宝技術陣の努力や苦労は買えるが、それとても外国映画に比べると未だしの感がある。どうせ思いきったゲテモノ映画を作るなら、もっともっと我々の意表にでるようなものを作って欲しかった。少しもすごみがなく、みていてバカバカしさが先に立つのはなんといっても失敗である。


〇11/5 日刊スポーツ

◎劣っていない特殊技術

◇空想科学映画というのがアメリカでは大分盛んなようだが、これを一つやってみようというので企画されたのがこれ。原爆や水爆の実験と結びついているところも御同様だ。原作は探偵作家の香山滋、監督は本多猪四郎で、本多監督と村田武雄が脚本を書いている。特殊技術は円谷英二ほか三名。

(ここから中盤はあらすじのみの記述なので割愛)

◇…この間に博士の娘と若い技師の恋が描かれ、話がゴジラから外れてしまったりするが、日本映画の特殊技術がアメリカのそれに対して、余り劣っていないことを実証するだけの効果はあった。しかし本当は理屈ぬきの見せもの映画にした方がもっと効果的だったろう。最後の博士のいう「ゴジラがあの一匹だけで死にたえたとは思えない」というセリフで辛くも水爆実験反対の意図を表明しているが、これはどうも苦しい。あくまで空想の面白さを主体にすべきだろう。

◇志村喬の博士は悠々とやっており、新人宝田明が新▲で男性的な若さを生かされている。平田明彦の芹沢は少々怪奇味が邪魔。
(上の▲の部分は字が一文字欠損していて読めませんでした。)


以上です。


掲載は一般主要紙が公開当日11月3日の夕刊から5日まで。
(一社のみ11月7日)
スポーツ紙は11月5日から7日と、
一般紙より若干遅く書かれています。


それにしても、
どこも驚くほど壮大なネタバレ大会だ。

これから映画を見ようという人には、
はたしてこれはどうなのよという感じなのだが、
当時はこういうことに大雑把だったのだろう。


だがそれ以上に壮大なのはその映画評の内容。

正直かなりの酷評、
ハッキリ言えば特撮以外は駄作という感じのどれも表現だ。

まさにコテンパンだ。

もちろん評価していた著名人もいたけど、
映画館からかつてみたことが無いほどの大行列ができた映画も、
当時の新聞評はこうだったのだ。

今ある不朽の名作という評価など、
どこにもその欠片すら見当たらない。


そしてこのあたりは東宝も多少気にしたのか、
翌年の「ゴジラの逆襲」は、
一部これらの意見を参考にしたような部分もあるのが面白い。

このあたりのことを念頭に入れて「ゴジラの逆襲」をみると、
またちょっと違ってこの作品をみれるかも。


尚、ここに出てくる「放射能X」は6月に全米公開、
日本では8月10日という、
長崎の原爆の日の翌日に公開された。

「ゴジラ」がクランクインして十日ほど後のこと。

この映画じつはけっこう「ゴジラ」との共通点があるが、
この作品を本多監督やスタッフが意識したかどうかはわからない。

ただ正直言うと
「原子怪獣」はもちろんだけど、
この「放射能X」が「ゴジラ」に与えた影響も、
少なからずあったのではないかという気がする。


もし興味のある方は、
「原子怪獣」「放射能X」「ゴジラ」と、
続けてみることをお勧めしたい。


けっこういろいろと発見があるかもしれませんし、
「シン・ゴジラ」もまた違って見えるかもしれません。


それ以外にも東京大空襲から十年も経たないうちに東京をまた火の海にしたり、
(「また疎開か」という映画内の台詞がそれを物語っています)
この年の7月に創設されたばかりの自衛隊の攻撃もすべてブロックするなど、
当時の日本を描きながらも
いろいろと怖いもの知らずというところもある映画だったとも思います。



しかしこれを見たアメリカの映画関係者はおそらく

「やられた!」

と当時思ったことだろう。

たしかに恐竜の類は今までもあったけど、
あそこまで大きく、
あそこまで強くて無敵で、
しかも口から放射能を吐いて火の海にしてしまうというとてつもない破壊力。

ドラキュラや狼男はもちろん、
キングコングでさえここまでの規格外ではない。


だがその後の愛敬あるキュートなゴジラには、
さらにまいってしまったことだろう。

http://rocketnews24.com/2012/01/27/176365/


ただそのため、
ゴジラの本来の怖さとカッコよさが
次第に失われて行ったのも確かだったし、
あまり強くないゴジラというイメージができあがったのも、
また事実だった。

ゴジラは所詮ウルトラマンでもなければ仮面ライダーでもないのだ。

最大の売りが弱まっては、
その人気が低迷していくのも当然のことだった。


このため何度かその原点回帰、
強くて怖くてカッコいいゴジラを試みたものの、
その多くはいまいち戻りきれないものが感じられた。


庵野監督の今回のゴジラは、
この原点回帰を最大の目標にし、
さらにはゴジラの当初の存在意義を洗い出すという、
そこの部分にも力をとにかく注いでいた。


ただ面白いのは、
今回の庵野監督のそれが、
上記した1954年当時の「ゴジラ」に対する酷評に対して、

「じゃあこれならどうなんだ」

と言わんばかりのものになっているということだ。

人間ドラマを削ぎ落し、
科学の部分を強く補強し、
特撮的な見どころを押し上げるというこのやり方。

なんともじつに面白いという気がするし、
ひょっとして庵野監督自身も、
このファーストゴジラに対し、
当時のこれらの新聞評と近しい感覚をもっていた。

もっと砕いて言えば、
ファーストゴジラは名作とは思っているけど、
じつはかなり不満をもっていたのではないかと、
「シン・ゴジラ」を見て、
そしてこれらの半世紀前の評と照らし合わせると、
そういうものがみえてくるような気がしてしかたがない。


じっさい上記の九つの映画評を読んでから
「シン・ゴジラ」をみると、
ひょっとして「シン・ゴジラ」は、
ファーストゴジラをリスペクトしながらも、
大胆にその作品そのものにも異議を唱えるという、
ゴジラファンにとってタブー視されていることを、
正面きってやってしまった作品なのかもと思えてしまうところがある。


はたして、みなさまはどう感じられるだろうか。




最後に、余談ですが、
翌年四月に公開された「ゴジラの逆襲」のキャッチコピーのひとつが、

「喰うか喰われるか」

いやあ…確かにそうかもしれないけれど…、
はたしてこれはどうだろうか。

食い倒れの大阪にでもひっかけたのだろうか。

謎。