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『桑島法子 朗読夜 ~cobaco.12~』雑感。 [朗読夜]

『桑島法子 朗読夜 ~cobaco.12~』第三夜
12月12日(水)ティアラこうとう 小ホール
B列24番

(朗読作品)
コバルト山地
鈍い月あかりの雪の上に
過去情炎
岩手軽便鉄道の一月
林と思想
雨ニモマケズ
稲作挿話
セロ弾きのゴーシュ (VC/五十嵐あさか)
松の針
※(VC/五十嵐あさか)
永訣の朝
原体剣舞連

今回は以上の作品を正味100分強、
休憩無しのノンストップで行った。

しかしキャパが小さい。
140名のホールと聞いてはいたが、
いざ実物をみるとこんなに小さいのかと少々驚いた。
舞台のつくりが少し東京文化会館小ホールに似ている。

朗読会というよりリサイタルという雰囲気に近い。

今回なんというか三日続きの馴れというものだろうか、
桑島さんのリラックス度がかなりピークに達していた。
とにかく喋りが長い、しかも面白い。
それになんというのだろう、
内容はともかく、とにかく間がいい。
例えると十代目小三治師匠の枕みたいなかんじだった。
下手するとほんとに「師匠」とよんでしまうかもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=cZRNNAoib5k
(小三治師匠。さそがにここまで笑いをとりにいってはいませんが。)

さすがに師匠のように枕が三十分超えるということは無かったが、
それでも最後はそれがらみで若干おしてしまった。

桑島さんの朗読夜というのはある意味ストイックというか、
ちょっとピリピリした感覚というものがそこにはあります。
それは心地よい緊張感といっていいのかもしれません。

ところがこの日はそのストイック感というのがあまりなく、
ピリピリした感覚というのもあまりなかった。
その分ひじょうに穏やかな雰囲気がこの日はありました。

そのせいか今回桑島さんのそれは
今まで聞いた中で最も緩急強弱の振幅が大きく、
しかも表情も極めて多彩かつ大きなものがありました。
それは気負ったというよりも、
より柔軟になったところからきたようなものという感じがしました。
ただそれでも細部に神経を細かく凝らしているところはあいかわらずで、
そのあたりが疎かにならないのは桑島さんならではという気もしました。

そしてそれらが「ゴーシュ」において際立ったというかんじがしました。

宮沢賢治の作品は読んでいると、
その書かれに文字の形によって表現しようとするものもあれば、
言葉となったときの響きとそこからくる視覚的な感覚、
さらには色彩感や質量感をともなわせることにより、
具体的にそれらをステレオ的ともいえる感覚で、
読者にそれらを三次元的立体感覚として、
さらには可能なことなら四次元的なものまでを、
読者に感覚として伝えようとしているところが多々あります。

賢治は無類の音楽好きでしたが、
彼はその聴いた音楽からただその響きだけでなく、
そこから感じられる形や色彩、さらには風景のようなものにも、
深く関心を抱きそして惹かれ感銘を受けていた節があります。

そのため賢治はその作品からその自分が音楽から感じた事象のようなものを、
すべて一度文字に転化し言葉に出すことにより
読者にそれらと同じような体験をさせるために
じつに巨大かつ多彩な手法をとっていることがあります。

しかも「ゴーシュ」はある意味もうひとりの賢治であり、
音楽と自分の対話を解説的ともいえるそれを、
童話として読むすべての人たちに、
さも賢治自身が音楽を聴いたときの追体験のようなものを感じてもらおうと、
ありとあらゆる手法を尽くした作品でもあります。

桑島さんはそんな「ゴーシュ」を
まさにその持てる手法の多くを動員して
奥行と多様を駆使し、視覚的ともいえる「ゴーシュ」を再現していました。

ところでこの日桑島さんの「ゴーシュ」における指揮者の団長の話し方のところ。
じつは「ゴーシュ」のこの指揮者の団長さんは、
かの小澤征爾さんの師匠にあたる斎藤秀雄氏の若き日のそれが、
じつはモデルではないかといわれているのですが、
なんか桑島さんのその話し方がどこかその斎藤先生を、
なんとなくですが想起させるところがありました。

かつて「鬼のトーサイ」とよばれ、雪の日に弟子が裸足で外におん出されたという、
練習も厳しいがそれくらい怒ると斎藤先生はもの凄く怖い先生でした。

ただそのためなのでしょうか、
あるとき指揮をしていたときその厳しい練習に怒った団員達が、
指揮者の斎藤先生を無視してバラバラになってしまったことがあったといいます。
そのときの斎藤先生は悔しさで唇を強く噛みしめ譜面台に血を滴らせたといいます。
それくらい激しく怖い方だったのですが
桑島さんのそれもたしかに童話の枠内での表現ではあるものの、
ひょっとして斎藤先生のことを多少イメージしていたのでは?
と思わせるものがありました。
しかも最後にゴーシュを誉めるあたりのそれも、
斎藤先生のもうひとつの姿である優しさを表出しているかのようで、
そのあたりもまたそう感じさせられるてしまうものがありました。

あとこの日はチェロの五十嵐さんも特筆すべきだったと思います。

例えばカッコウとのやりとりのとき、
チェロがかっこうの鳴き声にあわせてゴーシュが弾くチェロを模したときの音。
「ああ、そういえばベートーヴェンの第六交響曲の第二楽章ではかっこうが鳴いていたなあ。」と思わず感慨にふけってしまったものでした。

またある箇所でまるで先代の高橋竹山の津軽三味線を思わせるような、
そんなフレーズが一瞬やはりチェロから聴かれました。
「東北だ」と思わず聴きいってしまいました。

それにしても賢治の作品にこんなにチェロの音があうとは思いませんでした。
これは今回のとても大きな発見でした。
これは「ゴーシュ」だったからでしょうか。

そうなると「松の針」や「永訣の朝」はバイオリンなどもあうのでしょうか。
今回はこの二つの作品の間を五十嵐さんのチェロが繋いでいましたが、
聴いていてそんなこともふと考えさせられてしまいました。

「ゴーシュ」がある意味賢治が描く自らの肖像画であったのに対し、
続いて読まれた「松の針」や「永訣の朝」は妹トシの肖像画でもあります。

今回の桑島さんはそれらを表情は大きいものの、
どこか解説的とも達観的ともいえるように読まれていましたが、
それがまた先の「ゴーシュ」とうまくマッチしたようにも感じられました。

この日いつもの「原体剣舞連」のあと、
終演後ちょっとした観客席からの「贈り物」が桑島さんにありました。
本人もこれには舞台裏から急きょ再度登場し驚いていましたが、
このとき「クラシックだとここでスタンディングオベーションだよな」と、
最初立って拍手しようかとも考えたのですが、
「賢治の朗読でスタンディングってどうなのかなあ?」と一瞬考え、
けっきょく座ったまま拍手しましたが、
やっぱり立った方がよかったかなあと、ちょっと軽く後悔しています。

ところでこれは個人的なことですが、
じつは公演前日から高熱がひかず
「インフルエンザ?それともノロ?」と心配、
当日急遽病院に行ったのですが、
幸いそういうものではなく解熱剤をもらったもののなかなか体調が戻らず、
開演5分前まで外で薬を飲んだりしていたのですが、
終わったころにはすっかりと体調が元に戻っていました。

そういえば前回朗読夜で「原体剣舞連」の後、
近くにいた方が「これを聞くと元気がもらえる。」と言っていましたが、
まさにそのとおりになりました。
薬が効いたからだけだろうと言われれば、
それはそれでなんとも反論のしようがありませんが、
今回は桑島さんのおかげと自分ではそう納得しそして感謝しています。

それはさておき今回はとにかく今まで以上に桑島さんのもつ賢治感が、
ひじょうにストレートにより強く感じられたものとなりました。
それは大胆というよりも、
なんというかリラックス感からくる伸びやかさというものかもしれません。
「ゴーシュ」には特にそういうことがよい方に作用したように感じられました。

それにしても毎回ほんとうに桑島さんのそれは多くの発見があります。
次回は今年(2013)の春頃に予定がわかるとのこと。
まだ行かれていない方はぜひ一度行かれることをお勧めいたします。

「アニメの声優なんでしょ」
というだけでなんとなく避けてしまう方、
たしかにそういう面もありますが、
ひとりの舞台人がそのライフワークとして取り組んでいるその舞台、
一度見聞してからでも結論は遅くないと思います。

特に若い方は桑島さんのその歩みをこれからもぜひ一緒に紡いであげてください。

以上で〆です。


(追伸)


因みに本日地元江東区の方は2名ご来場、初日は0名、二日目は1名とのことでした。


本日ゲストのチェリスト&作曲家の五十嵐あさかさんの公式サイト。
http://www.geocities.jp/asakaigarashi_cello/

同じくTwitter。
https://twitter.com/asakaigarashi

とにかくこの日の桑島さんと五十嵐さんのチェロとの絶妙なコントラストによるコラボレーションがとても素晴らしかったです。できれば再演をお願いしたいものの、五十嵐さんが今年から本格的に南米に移住されてしまうので今後はちょっと難しいとか。残念です…。

最後に。

賢治は晩年敬愛する作曲家ベートーヴェンの特に後期晩年の作品を愛していたといいます。
そんなベートーヴェンの後期晩年の作品に後期弦楽四重奏曲集とよばれるものがあります。
それは弦楽四重奏第12番から第16番までの全5曲の弦楽四重奏曲をさしますが、
賢治はどちらかというとその主力は交響楽にありましたが、
晩年はこのあたりの曲にも耳を傾けていたのではないかと個人的には考えています。

そんな作品群のひとつである弦楽四重奏曲第15番。
その第三楽章には「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」、
という題名が付されています。
ベートーヴェンが重病から回復したことによる神への感謝を表現をしたといわれている作品で、
ベートーヴェン自身が亡くなる二年ほど前につくられた作品です。
http://www.youtube.com/watch?v=FXiOrAwLlOA
(「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」)

今回桑島さんの「松の針」や「永訣の朝」を聞いていて、
なぜかふとこの曲が気持ちの中に響いてきたものでした。

そういえば今年(2012)は賢治の妹トシが亡くなられてちょうど90年目にあたっています。


(12/14追加)

ある方から今回、桑島さんが随分今までよりミスが多かったような気がした。
という意見をいただきました。

個人的には自分はミスはあまり気にならない、
むしろミスを気にするあまり「流れ」が悪くなったり、
覇気が乏しくなる方がはるかに気になるタイプなので、
正直あまりそういうことに関心がありません。

まあこれは聞いている方の価値観や立ち位置の問題だと思いますし、
音楽でも日常茶飯事におきていることです。

これが録音セッションだとさすがに聞くたひに同じところでキズがあると、
些か気になってしまいますが、
これは一期一会の一回かぎりのライブなので、
とにかく自分はあまり気にも関心にもなりませんでした。

ただ若い時はそうでもなかったですけどね。
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「桑島法子 朗読夜~nocturne~銀河鉄道の夜」雑感。 [朗読夜]

ほんとうに桑島さんのこのイベントは天候に恵まれる。
今日もじつにいい天気だった。
※夕方からちと曇りましたが…

自分の住まいから片道三十分もかからない所での公演。
しかも待望の銀河鉄道の夜。
願ったり叶ったりの公演だった。

ついたのが近くということもありギリギリの開演5分前。
会場内はほぼ満席に近い状態だった。
空いてたのは後方列の一部くらいだったような気がした。

a000004.jpg

1月14日(土) 湘南台文化センター 市民シアター
http://www.kodomokan.fujisawa.kanagawa.jp/theater/top.html

6列9番

「永訣の朝」
「冬と銀河ステーション」
「銀河鉄道の夜」roudokuya special edit
「原体剣舞連」

ひじょうに考えられた作品が最初読まれている。
ある意味賢治の死生観と銀河鉄道の夜への序というべきこれらが最初におかれたことで、
この日の桑島さんの座標のようなものがうかがうことができた。

(ひょっとすると桑島さんはカンパネルラと賢治の妹トシとの重ね合わせをここで暗示させていたのかもしれません。)

そしてなにより大作「銀河鉄道の夜」に
じつに自然に入ることがこれで可能になったといえます。

因みに「冬と銀河ステーション」ででてきた人名、
「Josef Pasternack」
このジョセフ・バスターナックとは
1881年7月7日- 1940年4月29日
ポーランドの指揮者で戦前アメリカで活躍した指揮者ですが、
現在はカルーソの伴奏等でしかあまり知られていない指揮者です。
ですが賢治は当時かなり彼を敬愛していたようです。

そんなパスターナックが
1916-1917にかけて録音したベートーヴェンの第五は
彼のお気に入りのもののひとつでもあったようです。
http://www.youtube.com/watch?v=v78KJeiK0ZI
にその終楽章がUPされています。

この後、いよいよ「銀河鉄道の夜」
まず前半は「鳥を捕る人」まで。
十五分の休憩の後
後半は「ジョバンニの切符」以降。
つまり章立てによる区切りが無くなる以降すべてというもの、

今回はroudokuya special editという短縮版ということで
「北十字とプリオシン海岸」のほとんどと
後半の「新世界交響曲」や原稿の欠落部の前後などが
今回は割愛されていた。

賢治の作品に手を入れるとは何事だ!
と顔をしかめる方もいらっしゃるかもしれない。

たしかに「北十字とプリオシン海岸」は
けっこう重要なことが書かれているし、
新世界交響曲はインデアンとのかかわりあいもあり、
じっさいはあると無いとでは
そのイメージに大きな違いがでてしまいかねないが、
全体の見通しやポイントをどこにおくかによっては
このカットもたしかに理解できるような気がした。

ただひょっとするとこのあたり、
まだ桑島さんの中で解決できていない部分があり、
それがこういう形になったのかもという気もしたのですが、
さすがにそれは本人にしかわからないことなので、
これ以上の詮索はここで終了します。

また今回は桑島さんの希望でピアノが使用された。
ただしこれはいいところと感覚的にそぐわないところが
個人的には相半ばするものがあり、
いい悪いとかいうことよりも、
なかなか難しいものがあるという気がしたものでした。

この作品には賢治の音楽観といいますか、
晩年の音楽を聴くことは体力的には厳しくなったものの、
それまでに賢治の体内に蓄えられた音楽の数々が、
まるで泉のように内面から湧き上がるものが随所に感じられるため、
それがときおりピアノの音で相殺されてしまうような
そんな気がしてしまったからです。
特に賢治がこの作品を書く原動力に
自分はベートーヴェンのミサ・ソレムニスがあったような
そんな気がするだけになおさらでした。
(これについてはまたいつか詳しく書くことにいたします)

ですが演奏者の方(勝又隆一さん)の力量からでしょう。
作品としっくりいっているところがかなり感じられ、
これがまたある意味なかなか難しいと、
違った意味で感じさられることになったものでした。

また星めぐりの歌のような賢治の作品が挿入されることもありませんでしたが、
これは残念でもあり納得でもありました。
このあたりの微妙なそれがまた難しいところでもあります。

ただし初めてこの作品に接する方にとっては、
無伴奏による銀河鉄道というのはいささか酷という気もしますので、
今回のこのやり方を自分は否定しようとは思っていません。
これもまた難しいところです。

ところで今回の桑島さん。

正直かなり気持ち的にいろいろなものがあるのでしょう。
服装が妙に夏っぽかったのはこの作品は夏が舞台というだけでなく、
当初はこの公演が夏に予定されていた、
その時計の針を戻し再度気持ちをリセットすることにあったような、
そんな気さえしたものでした。

そのせいか桑島さんの持てる技術を総動員したようなこの作品は、
ある意味今まで聴いた桑島さんの朗読夜でも、
屈指の入魂ともいえるものがありました。
(随所で声をかぶせるシステムも導入していました)

そんな中で活版所でのシーンで
メトロノームの音を柱時計の秒針の音に使用したのは秀逸で、
この無機質ともいえる時を刻む音が、
その仕事場での奥行きのある薄暗く乾いた雰囲気と
もうすぐその「時」と離別することを、
すでにここで暗示していることを描写しているようで、
桑島さんの抑えた表現も相まって
これはなかなか秀逸ものがありました。

さらにタイタニック号のエピソードのあたりは
家庭教師の男性の心の動揺を強く表出したことで
かなり強くうったえかけてくるものがあり、
ここの部分と石炭袋付近でのジョバンニのカンパネルラとの別れは
その前の「蝎(さそり)の火」の静謐な語り口と対比されたこともあるのでしょうが、
次第に桑島さんの追い込むような感情の高ぶりと緊張感が
この日の白眉ともいうべき素晴らしさをみせていました。
※因みに今年の4/15はタイタニック号が沈没してちょうど百年となります。

また桑島さんの今回の朗読は
かなりジョバンニの存在軸というか引力が強く、
今まで自分が見たり聞いたりしていたどの銀河鉄道よりも、
ジョバンニが強くより身近に感じられたのがよく、
これにより聞き手が
よりこの作品に自らの感情を投影しやすい場をつくっていたことが、
たいへん大きな特徴としてあらわれていました。

ですからこの日の観客は
少し離れたところからこの話を傍観するのではなく、
ジョバンニの喜び怒りそして悲しみのすべてを
同じ立ち位置に立つものとして強く共感し
そしてこの状況に居合わせたかのように感じられたのではないか、
そんな気がしたものでした。

これは最初に読まれた二つの詩が
その導入にもなっていたのでしょう。

全体は4時半開始6時55分終了でしたが、
この銀河鉄道の夜は
4時50分から5時35分位までが前半、
5時55分から6時40分位までが後半という、
短縮版とはいえこれはかなりの長丁場でした。
(これが完全版でしたらおそらく二時間近くはかかったでしょう。)

落語の独演会でもひとつの作品でこれほどの長丁場はそうありません。
それを思うと桑島さんもかなり消耗されていたのではと思いましたが、
今回はテンションもモチベーションもかなり高かったように感じられ、
(ただしそれはかなり抑制が強く施されたものではありましたが)
それにる疲弊のようなものはそのあたりで補ったのか、
とにかく最後までそのようなものはほとんど感じられませんでした。

私事ですが自分は前半終了後休憩時間ロビーで、
賢治のもっていた「田園」の演奏を聴いていました。
なんかとにかく急に聴きたくなったのですが、
おそらくこれはこちらもそれにつられてテンションがあがっていたのでしょう。
こんなことはめったにありません。

その後吉例の「原体剣舞連」もいつもとは違い、
すべてを出し切った後さらに出し切るといったためなのか、
肩の力が抜けた不思議な清澄感のようなものに支配された、
それこそ昨夏あの花巻でみた穏やかな澄んだ青空のようなものさえ感じられる、
そんな趣のものとなっていましたし、
またこの日のそれはある意味「銀河鉄道の夜」の世界から
今自分たちのいる世界に引き戻されていく、
手続きというか儀式にも感じられました。

この「原体剣舞連」終了で終演となったのですが、
会場が明るくなった直後後ろにいた若い方が
「これ元気もらえるよね」
と「原体剣舞連」のことを話されていたのが印象的でした。

会場を出るとすっかり冷え込んだ夜になっていましたが、
不思議にそれほど寒さをこのときは感じませんでした。

次回の朗読夜は予定では12月上旬から中旬にかけての三日間、
ティアラ江東小ホールでの開催とのこと。
年末は忙しいので次回は厳しそうですが
「ゴーシュ」あたりが演目としてあがったらなんとか行きたいところです。

以上です。

※お断り。
自分は桑島さんが朗読中はほぼ目を閉じて聞いているのでその間の舞台での照明演出はほとんどわかりません。ご了承ください。

※追加
あとホールの内観ですが、上記ホールのリンク先の写真ではいちばん上の写真が今回の舞台状況と同じでした。ただ実際はもう少しローカルで、もう少し傾斜がきつく、もう少し座席の前と後ろが狭かったような気がしました。

舞台中央前方に桑島さんの座る椅子、向かって左側に水の入ったコップ等が置いてある机、舞台やや右奥にピアノ、そのピアノの奏者が座る椅子の手前付近にメトロノームとそれを置いた机(このあたりは自分の死角になっていたのでやや不確実です)があるという配置でした。
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『桑島法子 朗読夜 ~春~2011・rebirth』雑感 その壱 [朗読夜]

3/13に当初岩手花巻市文化会館にて予定されていた公演だが、
この公演が行われる二日前にあの大震災がおきたため順延。
そしてその振り替え公演となったのがこの日の公演。

自分は3/13に予定していたときと同様
まず平泉の中尊寺によりそれから花巻というコースを考えていた。
で、できれば水沢の天文台でのフェスにも立ち寄ろうかと。

だがこの間に平泉は世界遺産に登録されたため大混雑という、
そんな話を聞いたたため急遽コースを変更、
新花巻の宮沢賢治記念館とその周辺、
そして花巻城の城跡等を見学しようということにした。

朝四時に自宅を出発。
意外とどの電車も混んでいて新幹線も心配したが、
自由席は東京から乗る分には何の心配もなかった。

新花巻についたのは九時すぎ。
ここに来るのは十五年以上ぶり
いやひょっとすると二十年ぶりかもしれない。

あいかわらず駅前はすっきりしているが
それでも以前よりいろいろと建物が多くなった。
記念館へ向かう道路も整備され
また当時あったかな?という施設もいろいろとあった。
歩道も前よりも歩きやすく綺麗に舗装されている。

ただそれ以上にこんなに坂がきつかったっけと思うことしきり、
あらためて自分の年齢を思い知った次第です。

それにしてもこの日は気候がよかった。
前日までは猛暑や大雨だったというのに、
この日は夏にしては涼しくしかも湿度も低く、
ときおり吹いてくる風の爽やかさは最高だった。

空は一ノ関過ぎまでは曇っていたが、
こちらにつくと多少晴れ間もみえ、
時間がたつにつれ雲が薄くなり晴れ間も広がり、
いろいろと見て歩くには最高の環境となった。

そういえば自分が桑島さんの朗読に行くときは
いつも天候にも気温にも恵まれている。
偶然とはいえありがたいことだ。

こうして記念館に到着。
前回来たときはほんとうにとんぼ返りだったので
今回はいろいとじっくり見ていくことにした。

http://www.city.hanamaki.iwate.jp/sightseeing/kenjimm/
(宮沢賢治記念館公式HP)

そしてここで賢治のチェロやレコードと久しぶりの対面となった。
ただチェロが以前よりもずいぶん光沢があるように感じた。
そういえば数年前このチェロを藤原真理さんが弾いたことがあり、
手入れをすればまだまだ大丈夫というこを聞いたことがあった。
その後手入れが以前よりもされているからなのだろうか。
妹トシの愛用したヴァイオリンが横によりそっている光景がまた微笑ましい。

また賢治が製作設計したといわれる四重奏用の鉄製の譜面台もあったが、
前回これをみた記憶が無いので、
おそらく自分が見落としてしまったのだろう。 
やはりこういう所には時間をかけないといけない。
この館は来年で開館三十周年ということなので
なにかまた記念式典みたいなものでもあるのだろうか。

『遠野と賢治「ぼくらの方の、ざしき童子のはなしです」』
という企画展もされていたのでそちらも見学。
ノートに簡単な書き込みをした後館を出る。

その後しばらくいったところにある胡四王神社に行く。
本殿は来年で建立百年を迎えるというが、
拝殿を含めなんかとても寂しそうな佇まいだった。
いろいろとおもうこともありここでお参りをする。

その後新花巻駅まで てくてくと戻る。
ここで以前から気になっていた釜石線に乗る。

以前来たときはそのローカルな単線の雰囲気と
おっそろしくシンプルな駅の佇まいが
すぐそばの新幹線とその駅との対比でより際立っていたため
ここの駅から列車に乗りたいとずっと思っていた。

今回は念願かなってついに乗ることができた。

電車が来るまで隣の新幹線新花巻駅の待合室で
この日の高校野球決勝をみる。
日大三校が圧勝しゲームセットとなったとき、
妙に待合室が静かな雰囲気となった。

「ああそうだ、ここは岩手だったんだ」とこのときあらためて気づく。
これがふだんいる横浜なら歓声がそこそこおきるのですが、
ここは日大に負けた青森の隣の県。
ちょっと喜ぶに喜べず肩身が狭くそのまま退出。

このときテレビに
アナログ放送が来年三月に終了というテロップがでた。
横浜あたりではもう震災が少しずつ過去のものになりつつあるが、
ここ岩手ではまだ震災は現在進行形なのだということを
あらためて認識させられた。

このあと釜石線の駅に行く。
ほんとうにローカルな駅で、
かつて自分の地元にあった
軽便鉄道、越後交通栃尾線のそれを思い出してしまった。

来た電車は快速だったせいかとても綺麗な列車だったが
その乗り心地はなんとなく幼い時にのった栃尾線のそれに似ていた。
そういえば栃尾線の速度はたしか時速四十キロだった
それよりは早いかもしれないけど、だけどとにかく似たものがあった。

この釜石線もかなりの被害を震災で蒙ったという。
だけどこうしてまた交通機関は少しずつ復旧している。
全体の復興がより一日でも早く進むことを願わずにはいられない。

花巻について花巻城へ行く。
すでに明治二年に取り壊されているため
その佇まいをみることはもうできないが、
(賢治ですらすでにその全容をみることができなかった)
それでも随所に当時を偲べる巨大な石垣がまだ現存している。

花巻市有形文化財となっている数少ない遺構のひとつ円城寺門をみるが、
以前にかなり痛んでいた時期があったためか、
いろいろと修復されてはいるがやはり痛んでいるという気がする。
それにその修復のしかたもかなり応急的なものがあり、
みていて少し痛々しいものがある。
どこかがもう少しなんとかしっかりと復旧させてほしいものだ。

ここでお隣の鳥谷崎神社にもお参り。

このあといよいよ会場の文化会館へ向かう。

空からセスナ機が今日行われる地元花火大会のお知らせと
駐車場がないという注意をよびかける。
今日じつはこのよぴかけを何度も聞いた。
よほど人出の多い大会なのだろう。

途中「いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチ」に参加されている
ウォーカーの方々に何度も出会う。
この日の20キロコースは
「賢治文学散歩の道コース」だったことがあとでわかった。
いつかこういうものにも参加してみたいものだ。

このときあちこちでいろいと閉まった状態の店をみかける。
中には店の内部ががらんとしたとこもある。
市街地に正直こんなに閉まったお店があることに
軽いショックを覚える。

これは震災の影響だけではもちろんないし、
それ以前の慢性的な地方を襲う不景気というものもあるので、
震災以前からこうなっていた部分も少なからずあるだろうけど、
この光景には心穏やかならないものがあった。

震災からもう五ヶ月以上がたったものの、
急速に復旧が進んでいるところがある反面、
まだ全然すべてが進んでいないところもあるという。

しかも以前から地方の景気は決してよくないのに、
この震災がさらにそれらに追い討ちをかける。
震災の直接的なものだけでなく、
それらによって好転できなくなったものまで含めると
いろいろな面でまだ厳しい現状があることをあらためて思い知らされた。

こうしていろいろと花巻巡りをした後いよいよ文化会館へ向かう。


しかしここまであまりにも書くことが多すぎて
完全に花巻一人旅の巻となってしまいました。
申し訳ありません…。


(以下に続く)
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-08-21
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『桑島法子 朗読夜 ~春~2011・rebirth』雑感 その弐 [朗読夜]

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-08-21-1
(上より続く)


文化会館につく。

驚くほど客層の幅が広い
老若男女を問わずとはこのことか。
ツアーのバスらしきものも駐車場についていた。

当初自分もツアーも考えていたが
どうせ行くならいろいろなところもついでにという、
いわばスケベ心が勝ってしまったための単独行とあいなった。

KW.jpg

花巻市文化会館は地方都市によくある典型的な多目的ホールだ。
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bkkaikan/index.html
会場となった大ホールは、
一階席のみのつくりで千人以上が入れるキャパ。
この日は後ろの数列が空いていた以外はほぼ満席というもの。

当日の演目は以下のとおり。

------------------------------

桑島法子 朗読夜 ~春~2011・rebirth

○第一部


雲の信号
洞熊学校を卒業した三人

○第二部

いてふの実

岩手軽便鉄道の一月
曠原淑女
稲作挿話

停留所にてスヰトンを喫す

雨ニモマケズ
永訣の朝
告別

原体剣舞連

-------------------------

パーカッション:佐藤唯史
ベース:大本政知
ゲスト:牛崎志津子/原体剣舞保存会

今回は自分が聞いた前回の能楽堂とはかなり違う。
(※表参道ラパンエアロの公演は自分は聞いていません。)
というより、前半と後半を入れ替えたような、
そんな構成に今回はなっていた。

このため今回はのっけから重たい話が前半で来た。
「洞熊学校を卒業した三人 」
桑島さんはこの話にかなり力を入れているようです。

記録をみると最初に登場したのが2003年頃のようですが、
今回は2009年の能楽堂公演から間一公演を挟んでの再登場。
これには正直驚きました。

この話、童話としてはたしかにブラックというかシュールだ。

という前に、ところで洞熊って何?
それに洞熊先生っていったい何を生徒に教えたの?
と今回いまさら考えた。
じつは洞熊は熊ではない。イタチ系のアナグマで夜行性の生き物だ。
洞熊先生が眩しくて云々というのはこのことなのだが、
もっと重要なのは洞熊の洞がホラ吹きのそれと同じということ。
しかもこの動物はムジナとも呼ばれていたという。

そうなるともう話がかなりみえてきてしまった。
はっきりいうと三人の生徒もある意味犠牲者なのだ。

そう考えるとこれほど残酷で子供向きと思えない話が
一転だからこそ子供に聞かせるべき童話となるという、
この逆転的な考えがこの話を見事に成立させている。

桑島さんのそれがドロドロとしたことを取り去り
陰鬱さを避けとにかく子供向きの童話としてその解釈を向けたことは
こういうことからじつは転じているのだろう。

だがそれでも前回能楽堂と今回はかなり趣が違った。
前回はやや幻想的なものであったのに対し、
今回はホールのこともあってかよりテンポが早く、
しかもかなりリアルな表情が目立っていた。

おそらく前回と今回でこの話の持つふたつの面、
幻想的な面と、ややリアルに描いていくそれを
あえて自分でこの話の再検証をやったかんじがした。

もちろんどちらが正しいとかそういうことではなく、
この話の深奥には何がひそんでいるのかということを
いろいろと描き出そうというそれは一環という感じがした。

ところでこの前半でひとつ辛かったことがあった。
最初その観客席側にいた桑島さんを照らすライトが
自分のいた場所にひどく眩しかったことと、
ベースとパーカッションの音がかなり大きかったため、
台詞がよく聞き取れなかったこと。
ともに途中からは是正されたことでその後はなんともなかったのですが
これにはちょっと辛いものがありました。

この後15分休憩の後後半。

後半はまずゲストとして登場した牛崎志津子さんとのお二人による、
「いてふの実」
こうして二人で読まれると独特の立体感が出ることに感心。

ただこの話でも聞かれる賢治のもつ独特の
風のもたらす浮遊感というか疾走感というものが
賢治の愛聴していた曲、
リヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」と
どこか重なるものがあった。

そういえば鹿踊りや
この日みた原体剣舞保存会の方々によるそれが
スドヴィンスキーの「火の鳥」のカスチェイの踊りの
あのリズム感というかダイナミックな響きが
こちらも不思議にイメージとして重なるものがあった。
賢治がストラヴィンスキーを好んでいたのは、
その土俗的とも民謡的ともいえる作風だけでなく、
こういう部分にも強く惹かれたのかもしれない。

こうしてみると賢治と音楽というのは
かなり根深いところで密接に繋がっているような気がする。
近いうちにこれに関しては書き込む予定があるが
今回はこれくらいということで。

この後桑島さんの震災へのおもい等を挟み
プログラムは進行。

個人的には会場に来る前に
岩手軽便鉄道の「瀬川陸橋跡」をみてきたせいだろうか、
「岩手軽便鉄道の一月」と
いままでのそれとは違い、かなり力強く決然とした雰囲気となった、
「雨ニモマケズ」
が印象に残りました。
この作品が今までと違いなぜこれほど強い力を込めたかは、
いくつか推測はできるものの今回はあえてこのことに自分はふれません。

この後の「告別」や「永訣の朝」は聞いていて
なぜ賢治のレコードコレクションの中に
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」全曲のコレクションがなかったかという、
その理由の一端がわかるような気がした。
賢治にとっては「悲愴」の、特にその終楽章はやはり辛い音楽だったのか。
妹トシの死と、「悲愴」の終楽章から受けた賢治のイメージ。
もし賢治があと十年長生きしたとしても、
同じような理由からマーラーの交響曲第9番も好んで聴くことはできなかっただろう。
賢治にとって死はあまりにも大きな慟哭であり、
ある意味その彼岸の世界を肯定することでしか解決できない、
それこそ正視することもできない深い闇の底のようなものなのかもしれません。

この後地元の原体剣舞保存会による演舞や
桑島さんの「原体剣舞連」等があったのですが、
自分は時間的な都合のためここで途中退席、

時間ギリキリまでホール外のロビーのモニターで
原体剣舞保存会による演舞を見てから帰路につきました。
こちらは自分のような横浜にいる人間にはなかなか見れないので、
ぜひ最後までみたかったのですが…。

帰りはJR花巻駅から北上駅まで在来線。
そこから新幹線に乗り換えたのですが、
新幹線に乗った直後大宮まで爆睡してしまいました。

そういえばこの日はめだった地震がなかった。
数日前には東北で震度5の地震があり、
なかなか震災後の余震や誘発地震が絶えなかっただけに
少し心配していただけにこれは幸運でした。
そろそろこちらも収まってほしいところです。

しかしそれにしてもとにかく今回は体力の衰えを大痛感。
新幹線で爆睡しただけでなく帰宅後も一時間で完睡状態、
起きたのも昼過ぎという状況。
(雑感のUPが通常より半日以上遅れたのはこのためです)
さすがにもう東北公演には行けないだろうなと思ったところ、
次回はなんと藤沢の湘南台文化センター市民シアターが会場とか。
その気になれば歩いてでも行ける場所。
日にちは来年1月14日。
今度は最後まで聞けそうです。

岩手、宮城、福島、さらには茨城や千葉と青森、
まだまだ完全復旧や復興に遠いかもしれませんが、
今日見てきた花巻の姿も一日でなったものではありません。
ですが何年か後にはかならず
後年の人たちにとってごくふつうの日常の光景が
そこにはきっと存在しているはずです。

この日会場で最後にみた原体剣舞連保存会による力強いそれが、
それを如実に証明していたといえるでしょう。

これをみれただけでもこの日花巻に来たかいがありました。
この貴重な機会を与えていただいた関係者の方々に深く御礼を申し上げます。

最後にこの公演における桑島さんのおもいが実り
被災地すべてが早期復興することを強く祈ります。

以上で〆です。
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桑島さんの「原体剣舞連」に関連しての雑感。 [朗読夜]

おととし野外で桑島さんの「原体剣舞連」を初めて聞いた。

それはとても力強く
それこそ故郷の岩手まで届けといわんばかりの
じつに見事なものだった。
その流れで桑島さんのウィキペディアを読んだが、
その中にひっかかる一文があった。

それはある俳優さんの言ったという
「『原体剣舞連』は若いうちにしかできないからやらない。」
というところだ。

狂言でも茂山千作さんが言った年を重ねてから開く作品として
「木六駄」というものをあげていた。
そして野村万作さんがその逆の作品として
「釣狐」をあげていたと記憶している。

またオペラを歌っていた方が年をとると歌曲に行くという
そういう傾向があることもたしかにある。

たしかに『原体剣舞連』のその激しさというか
生命の根源から湧き上がるような強さを考えると
若い人云々というのはなんとなくわかる、
自分もたしかに一度はそう思ったものだった。

だけどしばらくしてある方が自分に言った言葉が浮かんできた。
それは賢治が尊敬していたベートーヴェンについてで
「ベートーヴェンの交響曲の名盤というと
すぐドイツの年齢を重ねた人ばかりを重宝し
それ以外の国とか若い人のそれを軽んじたり
低くみる姿勢というのを見受けることがある。
でもベートーヴェンってドイツじゃなきゃダメ
年くってなきゃダメ、もしくはわからないなんていう、
そんな狭い範囲でもの考えて曲などつくってないし、
もっとそういう枠をとっぱらったところで曲を書き
そして後世に残しているわけです。
そう考えない人ってベートーヴェンを
ひどく軽くみているというか
失礼な見方をしているという気がするんですよ。」
というものだった。

自分はこれと同じことをこの『原体剣舞連』にもいえると
そのときふと思ったものでした。

ただしそれが確信となったのは先日の能楽堂における『原体剣舞連』。
以前あれほど荒々しい響きをもった『原体剣舞連』が
あのとき荒々しいだけでなく
なんと美しい響きをもって能楽堂で鳴り響いたことか。

あのとき一瞬ではあるが
『原体剣舞連』を若い人にしかできないと思った自分に
じつに「狭いなあ」と反省したものでした。

たしかに『原体剣舞連』のそれは強烈だし激しい生命の律動に溢れているが、
それを育んだ東北の自然と人間のそれは
決して強さと激しさだけではない。

それ以外の要素もあるはずで、
それがあの能楽堂でその一部をみせたことに
自分は深く感銘を受け、そして反省したものでした。

賢治の作品はを自分の尺度で測るのはたやすい、
でもそれをすべてに用いるというのはやはり無理だと思う。

賢治の作品を読んでいると
いくつかの音楽を聴いているときにおきる感覚と
じつに似たものを覚えることがある。

それは膨大な量流れてくる川の水を
洗面器ですくっている自分の姿だ。

賢治のもつ膨大な情報量に対して
なんと自分の受け皿は小さく狭いものなのかとはぎしりしてしまう
そういう感覚なのだ。

能楽堂の『原体剣舞連』は
まさにそれを自分に再度痛感させたものでもありました。

桑島さんにはこの作品を生涯追い続けていってほしいと、
強く願う次第です。
そしてそれが賢治のこの作品に対しての
最大の幸せであると自分は思っています。

〆です。
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「桑島法子 朗読夜 鬼神の宴 ~キシンノエン~(1/17)」雑感 [朗読夜]

(会場)梅若能楽学院会館
(座席)桟敷席 はー1

(演目)
「春と修羅」
「岩手軽便鉄道の一月」
「ざしき童子のはなし」
「まなづるとダァリア」
「停留所にてスヰトンを喫す」
「雨ニモマケズ」
「永訣の朝」

-(十五分間休憩)=

「洞熊学校を卒業した三人」
「稲作挿話」
「原体剣舞連」

今回の会場は能楽堂。
自分がよく行く能楽堂は横浜能楽堂といって
定員450人ほどの最新施設の中に
関東最古の能舞台が鎮座しているという能楽堂。

これに比べると今回の能楽堂はひとまわり小さく
中がとても懐かしいつくりになっていた。
自分の今回のいた桟敷席などは
なんか寄席のそれみたいで妙に落ち着くものがあった。
因みに自分は舞台からみると右端奥の「はー1」というところで、
壁によりかかれる場所だった。
私事で申し訳ないが昨年膝を痛めてから
ちょっと膝に不安をかかえていたため、
この桟敷で足を伸ばせるのはとてもありがたかったです。
しかもこの「は」列のみ座布団が二枚重ね。
おそらく前の方との段差をつけるためにしたのでしょうが、
このあたりの心配りがまた嬉しかった。

それにしても自然光がやさしく舞台に差し込むつくりが
なんともいえない味わいをもった能舞台でした。

さて今回の桑島さん、
前回自分がみたい野外の公演時より舞台を広く使い
また作品によってはベースをBGMに使うなど
前回と今回しか見ていない自分にとっては
なかなかその対比が面白く感じられたものでした。
またそのベースと朗読の相性がよく、
これなどはひょっとしたら
ベースが中音域を中心に音を出していたことが
賢治が愛用していた楽器、チェロと音域がかぶったことで
賢治作品のもつひとつの側面があらわれたことかもと、
ちょっといろいろと考えさせられたものでした。

それ以外にも桑島さんの立ち位置によって
その声の響きが微妙に変化していく様がまた面白く
これもまた能楽堂で聞く朗読のたのしみのひとつ
といったかんじがしたものでした。

今回は桑島さんの作品解釈云々というより
自分はその声の響きというものを中心に聞かせていただきました。
「聞く」というより「聴く」ということに
ちょっと注意してその朗読を聞かせていただきました。

桑島さんは第一部終了後「あっという間」という言葉を使用されましたが、
じつはこの能楽堂の響き
大きな音をセーブさせ小さな音を通すという
そういう力をもったところがあります。
このため桑島さんの声の表情は多様なものの
そのダイナミックレンジがけっこう抑えられるため、
ひとつのサウンドとしての統一感が
通常の会場より強くなる傾向があります。

このためいくつもの作品を聞いてるにもかかわらず
そのサウンドの統一感からか
じつに収まりのよい癖の少ない造詣になるため
こちらも聞きやすくどんどん消化してしまうため、
「あっという間」に作品を聞きとおしてしまうのでしょう。

しかもそのサウンドの中がじつにクリアなため
桑島さんの表現がじつによく伝わってくるため
決して食い足りなくなるということもない。
このへんに能舞台のもつ「力」というものがあるのでしょう。

自分はこのあたりに「能」というもののもつ時間の流れ方と
それを客席に伝える「能舞台」との関係というものに
いろいろと考えてしまうものがあるのですが
それはまだぼやっとしたものなので今はここまでということで。

ところでこの日最大の聴き物だったのが
最後の「原体剣舞連」。
前回自分が聞いたときは野外ということもあり
じつにその強い生命感とリズムに驚かされたものでしたが
この日のそれはまるで違い、思わず

「なんと美しい歌なんだろう」

と感嘆してしまったものでした。
とにかくその詩がじつに美しく歌として響いたのです。
これが能舞台の音響が強く働いたことは確かでして、
桑島さんの舞台で踏み込む足音もまた心地よい響きをもち、
聴いていて、東北の空、山、川、が眼前に浮かんでくるような、
そしてなぜか「日本人って農耕民族なんだなあ」と
あらためて感じさせられるものがここにはありました。

ただとにかくこの激しい「原体剣舞連」が
ここまで美しく歌われたことがあっただろうかと
とにかく感涙ものの感激がそこにはありました。

これはたとえ録音してもこの感覚は再現は不可能なだけに
できればここだけその空間と時間を切り取って保存したいほどのものでした。

じっそいこれを歌っていた(というふうにさえ聴こえた)桑島さんには
このとき自分の「原体剣舞連」がどのように聞こえていたのか、
ぜひそのあたりをお聞きしたいところです。
これは自分の経験でも一生忘れることのできないもののひとつとなりました。

桑島さんは最後「どんどんハードルが高くなるので次はふつうの会場で」
とおっしゃっていました。
まあたしかにそれはそうだと思います。
自分もよほど特別なことがなければそれでいいと思います。

それこそ「銀河鉄道の夜」をやるとき
プラネタリウムホールでやるとか
「セロ弾きのゴーシュ」をやるとき
音楽堂や奏楽堂でやるとかそれくらいだと思います。
ただ野外や能楽堂などはときおりはやってほしいなという気がします。

とにかく忘れがたいとても素晴らしい公演でした。

最後に余談ですが
この日休憩時間にスタッフの方が
舞台上の桑島さんの茶碗を交換されるため舞台の上を歩かれましたが
そのときの足音の大きかったこと!
別にドカドカと歩いたわけではないですし
舞台上では足袋をかならず着用ということで
このスタッフの方も足袋を履かれていたのですが
それでもあれだけの音がしたのにあらためてびっくり。
つまりふつうに歩いてもそれだけ響く構造に
この能舞台はなっているのです。
逆に桑島さんの足の運びがいかに静かに注意を払っていたのかも
あらためて感じさせられるものがありました。

とにかくいろいろと発見があった一日でした。

以上で〆です。
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桑島法子さんの「朗読夜2009」 [朗読夜]

桑島法子さんの「朗読夜」の来年の予定が決まった。

なんと嬉しいことに
今回はかつて自分が希望した能楽堂が会場となっている。
これはおもいっきり期待したい。

そして二日続きというのも興味がある。

というのも能舞台は立ち位置によって
じつに微妙に音が変化する。

例えば二日続きで同じ演目をやっても、
立ち位置が違うとそれだけでもう雰囲気が違ってしまう。
これは照明とか視覚的なものだけでなく、
聞こえて来る音もまたずいぶんかわってくる。
そのとき桑島さんが両日とも同じ位置でやるか、
それとも変えてくるのかも興味があります。

それにしても能舞台という幽玄な世界で
賢治の作品がどう響くのか。
ほんとうに今からたのしみです。

先日の岩手公演は
立て続けに怪我や病気にみまわれたため
早々と断念してしまいましたが、
今回は場所も都内ということで
万難を排して行きたいところです。

因みに会場の梅若能楽学院会館は
定員三百名ほどといいますから
横浜能楽堂の三分の二ほどの大きさなので
かなり座席と舞台が近い会場というのが、
また嬉しいものがあります。

ぜひ成功してほしいものです。

「朗読夜」公式サイト
http://www.mse-p.jp/roudokuya/index.htm
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桑島法子一人語り SORA TO KAZE (9/15) 感想 [朗読夜]

桑島法子 一人語り SORA TO KAZE

(会場)
熊谷文化創造館さくらめいと 風の劇場
(座席)
M列8番

(読目)
高原
岩手軽便鉄道の一月
いてふの実
一本木野
どんぐりと山猫
(休憩)
松の針
雨ニモマケズ
稲作挿話
永訣の朝
くらかけ山の雪
なめとこ山の熊

原体剣舞連

 桑島さんによる賢治作品の一人語りに行った。じつは賢治の本を読むとき、その言葉を聞きその響きを聴くという感覚が自分にはあります。自分以外の人がそれを読んだ時、自分のもつそれらに対するイメージが損なわれないだろうかという部分がたいへん心配で、今までこういう企画にあえてでかけなかったのですが、桑島さんは賢治の作品に並々ならぬ熱意をもって取り組んでいることを知り、今回あえて会場がやや自宅から遠かったもののでかけることとしました。籠原までは自宅から電車で二時間以上。おかけで賢治ゆかりのクラシック音楽でもある、ハーティの新世界、フルトヴェングラーの運命、プフィッツナーの田園、そしてフリートのベートーヴェンの第九を車中で聴きながらの、のんびり道中とあいなりました。

 今回は野外でしかも駅から15分以上歩くという場所でしたが、風も心地よく虫の鳴き声も聞こえ空を行く雲、そして次第に夕暮れのかたすみが引かれることにより夜に向かうという、じつにいい時間帯に行われたこともあり、たいへん心地よく、しかも自分の座席も最後列通路側ということで自分にとっては最適の場所でこの会を迎えることとなりました。(途中やや強い風が吹いたりし、特に舞台付近は建物の関係か風向きによっては風が強く舞っていたようで、これだけはちょっとついてないなという気がしたものでした。この日「風の又三郎」が読まれてたら雰囲気は最高だったかもしれませんが。)

 冒頭舞台袖から「高原」を語りながら桑島さんが登場、続けて「岩手軽便鉄道」が語られここでご挨拶となったのですが、ここで感じたのは今回のそれが自分などが考えていた朗読という淡々としたものではないということで、かなり現代的という感じがしたのですが、「いてふ」に接したとき、桑島さんは劇的かつ視覚的な語り、そして登場人物をはっきりと描ききった生々しく鮮烈なものに感心したと同時に、童話ならこれもありだろうし、囲炉裏できくのどかな語りとはこれは違うのだと、あらためて感じたものでした。

 続く「一本木野」と「どんぐり」は視覚的かつ芝居風のものに遊びの要素も入れたなかなかにぎやかなものになりました特に「どんぐり」はそれが極まった感があり、随所に日常会話的のような話し方を織り込み、緩急をつけていたのが印象的でした。また「とんぐり」で「白いきのこが、どってこどってこどってこと…」というところの「どってこどってこどってこ」というところが、ちょっとおもしろいアクセントをつけた喋り方をしただけでなく、そこだけやや早めに、しかもちょっと素っ気ないくらいにすぐ次のフレーズをかぶせるように話していたのがおもしろく、そこの部分だけがそのため別世界のような雰囲気を結果としてもったことは、この話しがこのあたりから次第に一郎が別世界のちょっとたのしい世界へと踏み込んでいくそれの前ぶれのようにも感じられ、このあたりなかなかよく考えられているなあと、ここでまたひとつ感心してしまったものでした

 ここで休憩となったのですが、ひとつ感じたことに、桑島さんの賢治像と自分のそれに少なからぬ差異が生じ、いろいろと考えさせられることになったことがありました。これは桑島さんという解釈者を通したために生じた当たり前の出来事なのですが、いろいろと感じさせられたのはこの差異が、じつは他ならぬ自分の賢治像に対する具体的な姿であって、桑島さんの賢治像に接することにより、結果自分のもつ賢治像をまるで鏡にうつったそれのように向き合うことになったということ。これによって自分の賢治に対するスタンスが改めて再確認させられたことはじつに大きなものとなりました。もちろん、桑島さんのそれによって自分の知らなかった賢治像を知り感じられこともまた大きな収穫だったのですが。

 因みにこの感覚が生じた原因のひとつに桑島さんの解釈云々もそうなのですが、自分が賢治にもつ感覚「賢治はすべてのものから平等に等距離の場所に位置しなおかつすべてのものに対して最も最短距離にある」というものが、桑島さんの引力に引っ張られた分そういう部分で均衡が崩れたためと思われます。賢治はある意味すべてに束縛されることなく、等しく平等に密接に関わっており、それがドイツやウィーンというものにとらわれることがなかった、自由人ベートーヴェンに強く惹かれることになったというのが自分の持論のひとつにあるのですが、ここから先は脱線も甚だしいのでこれまでということで…。

 後半は四つの詩が続けて読まれましたが、これが起承転結のようなバランスをもって配置されており、これにより賢治の死生観を浮き立たせようとしたようでしたが、ここでその二番目に「雨ニモ」をもってきたのは意外でした。自分はこの作品を賢治のベートーヴェンに寄せた思いの丈をベートーヴェンの第五交響曲になぞらえた作品というふうにみていたのですが、ここではそういう趣はまるでなく、第五行目以降を弱音にかたむけることにより、賢治ののその静かな決意がトシの死と繋がっていることを感じさるだけでなく、続く舞曲楽章風ともいえるような「稲作」のその動的なものを印象づけるものとしていたのには感心させられたものでした。最後の「永訣」はその前の三つとのバランスもあってかマーラーの交響曲第9番を聴くかのようで、その「永訣」を読まれている間、自分の中にはこのマーラーの交響曲第9番の終楽章が延々と鳴り響くこととなりました。桑島さんのそれはまさに永訣のアダージョというべき、極めて清澄な響きに彩られた哀しみの言葉でありました。(それにしてももし賢治がマーラーの第九交響曲を聴いたらいったいどういう感想をもったことでしょう。)

 尚、この詩でも桑島さんは随所に口語的な解釈を施していましたが、これがふつうなら生々しすぎて賢治の清澄な世界を傷つけかねない危険性があったものの、桑島さんはここで清澄な声を使い、しかも弱音に傾けることにより聞き手の耳をそばだたせることにより、以降必要以上な強音を使わずにその言葉の強さを与えることを心がけていたため、その危険性を巧妙に回避していたようでした。桑島さんの清澄な声がドラマ性の包括と繋がっている源の一端をみたおもいがしたものでした。

 最後の「くらかけ山」は桑島さんの語りがじつに自然に全体を支配していたものとなっていました。おそらく先に書いた自分のそれと桑島さんのそれが、この日で最も近しいものとなっていたからでしょう。「この作品は本来こういう作品だったのかも」と感じさせられるほどのこれは秀逸な一品となっていました。ただそれだけに舞台上での炎の演出がやや唐突に感じられ、「一人語り」とは異質の、何か別のものが入ってきたような違和感を感じ、あやうく気持ちが切れそうになったもの事実でして、ここは最後まで桑島さんの語る力にすべてを預けてみるということもひとつの選択肢としてなかったのだろうかと、あそこだけは今でもちょっと個人的に些細ではありますが、不満というか解せないものが気持ちにわずかながらに残っています。(もっともこれが桑島さんのたっての願いであったというなら、これはこれで尊重すべきことなのかもしれませんが…。)

 そして最後の「原体剣舞連」では、前半の「いてふの実」以降椅子に座っていた桑島さんが立ち上がって舞台を歩きながら遠くへ向けて、それこそまるで賢治の故郷岩手にとどけとばかりにこれを読んだのですが、このとき桑島さんの心のひとつのベースが垣間見られたような気がし、なぜこの作品が毎回とりあげられのかということを、なんとなくですが納得させられる気がしたものでした。この作品は桑島さんのひとつの「本質」が思いの丈と自己回帰へのそれへと繋がっていく特別なものなのかもしれません。

 ところでこのときの「原体剣舞連」ですが、その力強さもさることながら、その節回しとリズムのとりかたに自分は驚いてしまいました。それはまるで伊福部昭の「日本組曲」の「盆踊」やシンフォニア・タプカーラの第一楽章をおもわせるようで、このとき伊福部氏の岩手と北海道の「ある共通点」をさした言葉がよみがえってきたものでした。それにしても桑島さんは伊福部氏のこれらの音楽を知っているのでしょうか。もしご存知ならぜひこれらの曲に対しての感想をお聞きしたいところではあります。

 最後の最後でびっくりするような事柄にぶつかってしまいましたが、これはこれからの課題ということで、とにかくこれは実り多き読演会でした。二日間行けなかったのがなんとも残念です。桑島さんには今後もこの企画をぜひ末永く大事に続けていってほしいものです。

 最後にこの二日間、桑島さん及び関係者の皆様、ほんとうにご苦労さまでした。
 このような素晴らしい機会をいただけましたことを心より御礼申し上げます。
 次回もまた好天に恵まれますように。

(所要時間:約二時間[休憩時間約十分強を含む])

※9/18と19に一部加筆改訂。

(追加)
余談ですが桑島さんは小さな会場、できれば野外ということをおっしゃられていたようですが
なぜか自分は次回できれば能楽堂で接してみたいという気がしたものでした。
たしかに中尊寺白山神社能楽殿のような野外能楽堂などがベストなのでしょうが
一度ぜひ能楽堂でという気がとにかくしました。
能楽堂は場所によって落語が語られクラシックも演奏されるということがあるようなので
決して能・狂言のみしか門戸を開いていないというわけではないようです。
そういう幽玄な空間で賢治の言葉がどう伝わるのか
一度でいいですから、ぜひその「気」に接してみたいものです。


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桑島法子さんの「SORA TO KAZE」演目雑感。 [朗読夜]

9/15-16に開催される桑島法子さんの「SORA TO KAZE」の演目ですが
http://www.ms-e.jp/roudokuya/kongo.htm
Zen-A のサイトに掲載されている桑島さんの2001年以降に行われた
過去13度20回の朗読会の演目と照らし合わせると
今回の読目はここ数年の集大成といえるかもしれない。

15日公演: 
・雨ニモマケズ
は両日とも登場するがこれは2001年から8度14回に渡って読まれている。
晩年の作品中桑島さんが最も回数を重ねてとりあげている作品のひとつだが
これはこの作品が大好きなのか
それとも解決できない大きなものを感じているのか
どちらかもしくはその両方と思われる。
ある意味あまりにも知られすぎているがためにたいへんなこの作品。
そういう意味では賢治が尊敬したベートーヴェンの代表作
あの「運命」をどこか思わせるものがある。
冒頭の二行などまるで第一楽章冒頭の運命の主題そのままと感じるのは私だけだろうか。

他にも
・永訣の朝 や ・原体剣舞連 という数を重ねた作品が両日取り上げられるが、
特に・原体剣舞連 は桑島さんにとって特別な作品のひとつとなっているらしい。
このことについてはまだご存知でない方は
ttp://www.ihatov.cc/song/kembai.html
をぜひご参照いただきたい。

また初日は比較的多く演じられたものが多いのに対して
二日目は数年ぶりに再読されるものが多く見受けられるという具合に色分けがされているようで
・告別 と  ・虔十公園林 がともに六年半ぶりの再演というところにも
その特色があらわれているようです。

また両日ともに初めて読まれる作品が各一作ずつあるのもバランスがいい。
・一本木野 と ・薤露青(かいろせい) がそれ。
(※・一本木野を・いてふの実と間違えていました。謹んでお詫びいたします。)

ある意味これまでとこれからの分水嶺的な「SORA TO KAZE」
今からとてもたのしみですが(自分は初日のみ)
以前手がけたのに何らかの理由で「ねかせること」となった作品に
これからどう向き合っていくかもとてもたのしみです。

「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」などがそれですが
このあたりが次回読まれるときはぜひ万難を排して出かけたいところです。

(※因みに9/15公演の感想は
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2007-09-16
にあります。)


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