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静岡県沼津市総合防災訓練(2017)に行く。 [震災]

平成29年度静岡県・南駿地域総合防災訓練に行く。

これは静岡県各地で行われたが、
自分が行ったのは一般が見学できる、
静浦小中一貫校で行われた、
津波避難訓練と緊急物資受け入れ訓練。


静浦小中一貫校は、
自分が沼津~内浦・西浦まで歩く時、
その途中にある学校で、
全行程で沼津からみて四割くらいのところにある、
かなり目立つ建築物だ。

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初めて見た時からそのすぐそばにある、
静浦地区センタ同様津波避難ビルも兼ねているようにみえていた。

今回はそこでの訓練ということで、
ときおりその前を歩いているものとしては、
一度はみておかねばという気かし、
今回見学させてもらった。

もっとも地元以外の一般の人間で、
今回のこれをに参加したのは自分だけだったようにみえた。

まあふつうはそうだろう。


この日は学校の生徒さんも多く参加されていた。

余談ですが、
ここは一貫校なので、
中学生にあたる人たちは
ここでは七年生、八年生、九年生とよばれている。

この日は幅広い学年で参加されていたようです、


午前九時になると近くから放送で、
地震が発生したという訓練の放送が流れる。

このとき自分は上記の写真よりも、
やや校舎に近い所にいた。

この日県と市からも担当の方がいらっしゃっていて、
県の方のしゃがんで上からの落下物に備えて頭をかばうようにという、
そういう指示があった。

ただ正直言うとふつうはそれでいいけど、
これだけ校舎に近いと、
むしろ校舎の中に避難した方がガラス等の落下物を思うと、
まず校舎の中に避難すべきというのが、
実際は正解とおもうけど、
ここは基本姿勢の徹底という事でこういう指示だったのだと思う。


このとき防災無線の指示等で、
地区センターから外に机が搬出され、
受け入れ準備がされていたようだけど、
自分のところからは校舎の陰になっててみえなかった。


このあと全員で津波到来に備えて校舎屋上にいく。
ビルでいうと五階にあたる場所だ。

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校舎にある屋上へ行ける外階段の入口。

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外階段。段差が小さく幅広い年齢層に配慮されている。
とにかくなかなか上りやすい段差と階段で、
五階まで上ったという感じがあまりしなかった。

ただ年齢の高い人にはそれでもなかなかたいへんかも。

屋上。
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見晴らしがとてもよく、
海や街の状況がはっきりと見渡せる。
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ここにライブカメラを海や414、
さらには注意すべき崖のある方向などに向けておくと、
三の浦全体だけでなく駿河湾方面もかなり見渡せるので、
現状を掌握するには最高の場所のひとつという気がする。

できればここにもカメラを備え、
その画像が地区センターだけでなく、
県庁、各市役所、そして気象庁等ににもリアルで配信されると、
ひじょうに大きな力となるような気がする。

それともどこかにもうすでに設置されているのだろうか。


このあとヘリによる救出訓練が、
この屋上で行われた。

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ヘリのピタリと空中で静止するそれに感心。


その後場所を変えて、
自衛隊のトラックから積んできた緊急支援物資を、
地区センターの倉庫まで運ぶ訓練が行われた。

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最初はトラックからセンターの前まで、
そしてそこで個数チェック後、
センター内の倉庫までと、
二度にわたるバケツリレー方式による搬入が行われた。

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地区センター

自分もこれに参加したが、
トラックの大きさからみてそんなり量があるとは思えなかったが、
これが想像以上にあり、
けっこういい運動になりました。

じっさいは余震との戦いにもなるので、
なかなかこううまくはいかないかも。


こうして物資はすべてセンター内にある備蓄倉庫へ。

センター内備蓄倉庫の状況。
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今回はエクアドルからの視察団の方々も来ていました。

エクアドルもここ70年間に、
少なくとも七回の大きな地震に見舞われているので、
いろいろと日本のシステムで、
参考になるものはどんどん取り入れようという、
そういう姿勢が強くあらわれての今回の視察なのだろう。

といったところで一通り終了。

地元の放送局の方も来ていて、
関係者の方や地元の方にインタビューをされていました。


なかなかな密度の濃い訓練でしたが、
ちょっと一部進行がよくわからないところがあり、
一時的に?というところがあった。

たしかに事前に訓練行程表を熟読すればある程度はわかるけど、
このあたりもう少しわかりやすくなったのでは?
という気が少しだけしました。


ただそれ以外は得ることが多く、
とにかくいろいろと参考になる訓練でした。

ひひでこのとき見たり聞いたりしたことで、
少し気になるとろこがあったので、
それだけを最後にここに記しておきたいと思います。



津波避難用の外階段が狭い。
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一斉にここに集中した場合がとても怖い。

以前、津波が来て特定の避難ビルに避難が集中、
このため階段の下の部分で溺死者がでたという、
そういう話をここのブログで伺ったことがある。

それを考えるとちょっとこのあたり怖いものがある。

当日どれだけ迅速かつ冷静に動けるかという、
そういうことに尽きるかもしれないが、
三階や四階に校舎内に行けるドアがあるので、
当日はそこのドアを開放してもらえると、
中から屋上にも行ける階段があるので、
そことうまく併用し、
階段でのそれを多少緩めることができるかもしれません。



山や高台に逃げられる避難路やマウントが、
足の弱い方や車いすの方には無理というお話を聞いた。

たしかにここの階段もそうだし、
また避難路でも、
内浦の弁天島神社の道を挟んで反対側にある、
山側へ行ける避難路などはまるで獣道のようで、
ここを逃げるのはかなりしんどい気がした。

こういうところがけっこう他にもあるとしたら、
この話はとても心配だ。

また獅子浜付近の414号だけでなく、
三の浦の17号でも感じたが、
歩道の幅が狭いということ。

これだと車椅子で、
この二つの道沿いに避難するということはかなり厳しい。

近くにこれらの道とは無縁に、
高台への避難ルートがある場合は、
付き添いの方がいればなんとかなるかもしれないけど、
このあたりはいったいどうなっているんだろうと、
かなり心配になってしまった。

観光者目線でみていた自分としては、
やはりこのあたりへの注意が希薄になっていたことに反省。



津波発生後のライフラインの確保が不透明ということ。

これは現地でも聞かれたけど、
津波発生後の414の状況。

予想では吉田町以南は津波浸水域で、
御用邸以南はさらに浸水域が大きくなるし、
志下以南は明確に津波浸水深が深くなる。

そうなると東海道方面からくる支援物資が、
少なくとも志下あたりで止まる可能性がある。

また来たとしてもどれだけの規模の物資がくるかもわからない。

そうなると一定期間は籠城戦、
それこそ豊臣軍の小田原攻めを、
北条方からみたようなかんじになる覚悟も必要かも。

そのときここにどれだけの人が避難しているのか、
また今回は役所の人や消防の人も大勢いたけど、
沼津市消防本部南消防署静浦分遣所があるとはいえ
当日こんなに潤沢な状況とは思えない。

そのときの対応やシステムはどうするのか。

このあたりもいろいろと課題となると思うが、
今から細かくきっちりと決めるというより、
もっと基本部分だけ大きく方向性を決めるという、
そういうものにした方が、
次々とおきる想定外の出来事に
柔軟に物事に対処できるような気がしたがはたして。



じつはこの裏にあたる場所に、
南部浄化センターがある。

ここも避難ビルに指定されているかなり大きな所だけど、
この浄化センターとこの学校とは、
地震発生以降連動することになるのだろうか。

じつはこの二つの避難ビルを通り過ぎると、
もう淡島の先まで避難ビルはひとつもない。

ここより以南は、
江浦湾においては避難した人は、
みんな避難路を山に向かって各自避難することになる。

それだけにここは、
その周辺の津波否浸水域を含むと、
もっとも大きな拠点になる可能性が高いため、
それを基にした避難計画によって、
この二つを連動させた、
より大規模な避難訓練もいつかは行ってほしいと、
そういう気持ちが強くしました。



内浦の長井崎中学が避難ビルに指定されていないのが不思議。

近くにはヘリの着陸できそうなグランドがあるけど、
何か問題でもあるのだろうか。

津波到来以降港はすべて機能していないと思われるので
空路からの受け入れの可能な場所が、
内浦小学校と西浦小学校との間にないようにみえるのは、
現実問題としてちょっと不安に感じられる。

じっさいのところどうなのだろう…と思っていたら、
ここは津波の指定緊急避難場所と指定避難所になっていた。

ただこのあたりいろいろと複雑に指定があるので、
いまいちわからない。

ここを今度一覧にしようと思う。



静浦にはかなりの長さの堤防がある。

御用邸付近~静浦小中一貫学校くらいまでの間を、
高さ6メートル以上の堤防が続いている。

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ただここに到来する津波予想よりは若干低く、
最終的に最大波は乗り越えてくるだろうが、
乗り越えてきた押し波のかなり多くは、
堤防が破損しないかぎり、
引き波になったときは多少そこでせきとめられ、
比較的長い期間滞留することになると思われる。

これもまた漂流物とともに道の開通を、
長期にわたって妨げる要因になってしまうかもしれない。

ただ先の訓練場所だった一貫校の先でそれは切れているため、
一貫校付近ではあまり津波の引き波が残る事はないと思われるけど
その分波が予想外の動きをするかもしれないのでそこが心配。



最後に夜間にもし地震が起きた時。
照明関係がこのあたりどうなるのか。

深度5以上の地震にみまわれ、
停電等が発生した場合、
地区センターに照明が自動的に入り、
それがまわりへの目安になるとか、
そういものが備わっているのだろうか。

学校が深夜等で開いてなかったとしても、
地区センターへはたどり着けることが可能なので、
そういうものがあるととても助けになると思う。

明治と昭和の三陸地震は、
前者は午後七時半すぎ、
後者は午前二時半と、
どちらも夜の時間帯に発生し、
ともに津波で甚大な被害を生じている。

特に明治は311に近い死者行方不明者を出している。

もし414沿いにある全電柱に非常灯がそなわっていて、
それが地震後の夜間停電時に即点灯するようなシステムがあれば、
それを目印に避難場所へ行く助けになるだろう。

電気の無い夜の道が、
想像以上にたいへんなのは自分も311で経験していますので。


費用や管理的にかなり難しいかもしれないけれど。
あくまでも「心配事」に対する提案のひとつとして、
ここにあげておきたいと思います。

以上です。



余談

バケツリレーによる物資移動。
今になってあちこち身体が痛い。
運動不足を痛感しています。
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