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ラブライブ!:「μ’s」が紅白初出場へ [声優]

大みそかに放送される「第66回NHK紅白歌合戦」の出場者が26日発表され、人気アニメ「ラブライブ!」の声優陣によるユニット「μ’s(ミューズ)」が初出場することが決まった。同日、NHK放送センター(東京都渋谷区)で開かれた会見で発表された。

 会見で新田恵海さんは「私たちは普段声優として活動してますが、紅白に出場というのは本当にうれしいことで信じられない気持ちでいっぱい。アニソンの素晴らしさが、『ラブライブ!』の魅力がたくさん伝わるように、精いっぱいパフォーマンスしたいと思います。楽しみというか、今でもみんな緊張していて、ガクガクブルブルなんですけど」と喜びを語った。

 「ラブライブ!」は東京都千代田区の伝統校・音ノ木坂学院の統廃合の危機を救うために立ち上がった女子高生のアイドルユニット「μ’s」の活躍と成長を描いた作品。グループ名の「μ’s」は、英語で“女神”を意味し、架空のアイドルユニットであるのに加え、主人公・高坂穂乃果の声優を務める新田さんら声優陣によるユニットとしても活動している。メンバーは新田さん、南條愛乃さん、内田彩さん、三森すずこさん、飯田里穂さん、Pileさん、楠田亜衣奈さん、久保ユリカさん、徳井青空さんの9人。会見には南條さん以外の8人が参加した。

 「第66回NHK紅白歌合戦」のテーマは「ザッツ、日本! ザッツ、紅白!」で、白組司会を「V6」の井ノ原快彦さん、紅組司会を女優の綾瀬はるかさん、総合司会を黒柳徹子さんとNHKの有働由美子アナウンサーが務める。昨年に引き続き、歴代最長タイの午後7時15分~同11時45分(途中、5分間ニュースで中断)で放送される。

http://www.yahoo.co.jp/

「けいおん」の時も、
こういうことがあるんじゃないかと言われてましたが、
今回はとうとうこうなりましたか。

というかんじです。

いっそのことこれネタにしてOVAひとつつくればいいのにと、
ちょっと無責任に一言。

水樹奈々さんは今回でませんが、
この人のつくった実績は大きいなあとあらためて感じました。


それにしても最初紅白のニュースみてたとき、
何かずいぶん派手なグループがいるなあと思ってたら、
それがμ’sだった。

最初申訳ないが全然分からなかった。すみません。

乃木坂46にくらべると、
服のせいか妙に身体が大きくみえたけど、
まあ…らしいかなということで。


緊張するなという方が無理なので、
その緊張感を楽しんできてください。

とにかくおめでとうございます。


http://orch.blog.so-net.ne.jp/2015-11-29
↑この紅白出場に対する否定的報道への雑感
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「声優同好会」をちょっとのぞいてみた。 [声優]

というわけで、
何日か前の某大学の学祭で、
声優同好会なるものをちょっとのぞいてみた。

じつはたいていの声優云々という部やサークルは、
イベント系に特化していて、
外野からはその実態がよくみえない。

いっちゃ悪いけど、
声優でもお笑いでもレスラーでも、
ぶっちゃけ誰でもいいのでは?
といいたくなるような感すらあり、
ちと正直この傾向にはついていけないものがある。

で、今回のぞいたそれは、
そういうことはせず、
冊子を発行して配布し、
訪ねてきた人と会話いろいろと楽しもうという、
じつにいい意味で、
アマチュア精神にあふれた同好会。

ただ自分にとって困ったのは、
あつかってるのが「男性声優」のみということ。

察しの言い方はもうお分かりと思うが、
そういうところに男が単独で行くというのは、
じつにきつーいものがある。

小学生の時ひとりで職員室に行くあれとか、
甲子園球場で巨人を応援するあれみたいで、
とにかくアウェー感が半端ないものがある。

なので入り口で冊子をもらったあと、
15分ほど中でちょっと場所を借りて、
ひとやすみさせてもらったあと、
そそくさと退出させていただいた。

ただなんというのだろう。

この雰囲気。

正直こういう類の集いというのは、
10年前も20年前も30年前も、
ぜーんぜん変わらないのにちょっと安心。

そして某名門大学だろうがコミケの入場待ちだろうが、
言ってることは同じだあ~ということ。


ただひとつ勉強になったのは冊子の中身。

声優との接点がアニメではなく、
ドラマCDやゲーム、
それにイベントが圧倒的ということ。

おそらく最初はアニメかもしれないけど、
アニメだけだとやはり量的に欲求が満たされず、
こういうジャンルに流れていくのかと、
なんとなくわかってはいたけど、
いざそれを文字媒体で確認したことで、
時代の流れと移り変わりを痛感させられたものでした。

昔から変わることの無いファンの雰囲気と気質。

だけどその中身は大きく変わっていっている、
声優のファンの今の状況。

ラジオの出演なんかも、
20年前の雑誌をみると、
もう信じられないくらいの質量とも違いがある。

でもやはりどこか広く浅く的な女性声優の使われ方に対し、
男性声優はそれに比べると狭く深く的な、
そんな感じの使われ方がしているような気がする。

このあたりのことは、
じつはやはりあるところでも話題にでたけど、
ここでの同好会では、
そういう話なども話題になったりしていたのだろうか。

「ヘヴィーオブジェクト」の二人の演技なども、
ちょっと感想を聞きたかったけど、
さすがにそういう雰囲気ではなかったなあ。

ということで〆。

でもこういう雰囲気は自分としては買いです。

ただできれば「女性声優」でも同じような同好会、
つくってもらえないかなあ。

やっぱり入るのに、
驚くほど度胸が入りますし敷居高いです。

以上。

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アミューズメントメディア総合学院東京校学院祭2015に行く。 [声優]

tag.jpg

数年ぶりに行った。

ここ数年いろいろとあって、
みることがかなわなかったけど、
ようやく今年久しぶりに観ることができた。

みたのもののひとつが声優科の本科一年の朗読劇。
かならず今まで観てきたもののひとつ。

一年のこれは前回みたものと同じようで、
群読→ひとりひとりの詩の暗唱、
そして全員によるリーディングライブとなっていた。

ただ最初の群読を聞いたとき、
「あれ?声が小さい」
と思ってしまった。

いつもは耳が痛いほどの音圧みたいなものが、
多少力んだような部分はあるものの、
かなりの力感で迫ってきていた。

だが今回はそれがなかった。
ただし声の粒がひとつひとつ聞き取れるような、
そんな響きになっていた。

じつはいままでこの一年の公演、
各クラスが二回公演を行うのですが、
その最初しか観たことがなかった。

今回初めて二回目の公演を聞いたのですが、
二度目ということで、
初回とは違って力んでないので、
こういうふうになったのかなと思ったりもしました。

これはなかなか面白かったです。

やはりこういうのは条件を変えてみないと、
なかなかわからないもの。
いつかまるまる聞き比べをしてみたいものです。

じつは今回この前日に,
本科二年選抜のライブも観せていただいた。

そこで思ったこと。

「たった一年で今風のアニメ声になっちゃうんだ」

ということ。

本科一年のそれは、
良くも悪くもいわゆる普通の人たちのそれと、
じつはあまり変わり映えはしていない。

自分の個性そのものでやっているというかんじなのだ。

だが二年のそれはもう完全に、
そのまま今放映のアニメに出てもいいくらい、
完全にそういうタイプの声に仕上がっていた。

おそらくこういう声の演技ができるよう、
いろいろとそのテクニックを教えているのだろうけど、
これには正直驚いた。

しかもそれらの上に、
画面上の演出にもしっかりあわせていた。

あるシーンで、
キャラが実際は静態しているのに、
最初は右から左に表情をとらえ、
次のカットでは左から右へと、
今度はややupでとらえているのをみて、

「これ弦のあげ弓さげ弓と同じだなあ」

と思わず思ってしまうようなところがあったり
演技者のマイク前での出入りが激しく、
まるでモーツァルトの「フィガロの結婚」を、
ものすごい早回しでみせられているような、
そんなかんじの動きも要求されるようなところありと、
これはなかなか厳しいのを選んでるなあと、
ちょっと唸ってしまったものの、
それらにもある程度ちゃんと対応していた。

他にも
全体的にアンサンブルが多用されたものと、
作品が演技者を引っ張ってしまう力が強いものという、
なんともやってる人にとって、
その実力がもろにみえてしまうものが選ばれていてたが、
これらもやはり見事に演じていた。

「自分のところの生徒に自信があるんだろうな」

とこのときそれらの作品を通して、
そういうこの会社の自負もなんかみてとれるものがあった。

余談ですが、
それらが10年近く前のもの、
そして20年前の作品でありながら、
今の若い人たちがそれらの中で、
何の違和感なく演じているのをみて、
ああやっぱり声優って伝統芸能なんだなあと、
あらためて再確認させられたものでした。

※このとき、「シン・ゴジラ」の庵野樋口コンビの旧作が、この若い人たちの声で放映されていたが、やっぱすげえ作品だ!と思ってしまった。ゴジラ、いい作品に仕上がってほしいなあ…。


ただ二年は数年前、
その卒業公演をみさせていただいたことがあるのに、
今回のような感想はじつはなかったと記憶している。

これは今年の選抜がそうなのか、
それとも舞台と画面の前では演技が変わるのか、
ここがなんとも気になってしまいました。

今年の卒業公演、
できればこのあたりの確認込みで、
なんとか観に行きたいところですが…。

ところでここからは公演とは直接関係のない雑感。

こういう形で今のアニメに対応できる声をつくる。

確かに需要にマッチしない声を供給しても意味がないが、
だけどここまでパターン化されていくと、
はたして行き詰らないかなあと、
正直心配してしまう。

今秋のアニメの学園ものなど、
どれがどれなのか区別がつかない作品がある。

それはあまりにも似た設定似たキャラ、
そして当然のごとく似た声が出ているからだけど、
こういう状況がこの先延々と続くのかなあと思うと、
うーんとやはりなってしまう。

宮崎駿監督はこのあたりのことも嫌なんで、
声優を使用しなくなったんだろうなあと、
ちと思ってしまった。


また今回二年が使った、
過去のアニメ作品も現在と同じく、
やはり女性に主要な役が多い。

それを思うと今後も
男性は少数精鋭になる傾向が続くし、
女性は逆に広く浅い使われ方をされるだろう。

それを思うと男女とも声優はたいへんだなあという、
そんな気があらためてしたものでした。


最後に舞台終了後の休憩室での出演者の挨拶。

一年と二年の差はかなり歴然としていて、
ああこれはやっぱりしかたないかと思ってしまった。

初々しさをとるか手馴れ感をとるかは好き好きですが。

とにかくこういう養成所の公演はいつみても、
いろいろと新しい発見と楽しみがあります。

若い人にはどんどんでてきてほしいところです。

が、

これからどんどん少子化が進んでいきますが、
問題なのはそれ以上に
アニメ好きの年寄りがどんどん増えていくこと。

ようするに口うるさい保守的な外野が増えるということ。

これらの人の中には、
育てようという気持ちが皆無で、
むしろ潰そうとしてるんじゃないかという、
マイナスポイントのみをあら捜しして、
古い価値観や好みで物言いしてくることがままあります。

正直そういうものに押しつぶされることなく、
ただしそういう人たちも、
悲しいかなじつはお客様だということを認識し、
これからを頑張ってほしいです。

しかしなあ。

あまりにも需要と供給の比率が悪すぎるよなあ。
しかたないとはいえ、
それを思うとちといつもこういう公演をみてると、
気持ち的に辛い部分があるのも事実。

全員に頑張れとはいえるけど、
負けるなとは言いきれないこちらのむずかしさ。

ほんとたいへんです、声優の世界は。

以上、とりとめもなく〆。
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大塚周夫さんの最後の録音と告別式。 [声優]

大塚周夫 テレビ東京「1位じゃなくっていいじゃない」

 大塚周夫がナレーションを担当する番組が放送されます。
 これが、生前最後の仕事となってしまいました。
 1月15日に行われた収録の後、本人は「ナレーションではなく芝居をしてやった」と
 楽しそうに話しておりました。
 放送は、1月25日(日)よる7時54分~9時48分です。ぜひご覧ください。

http://www.aoni.co.jp/

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15日に虚血性心不全で亡くなった、声優で俳優の大塚周夫(ちかお)さん(享年85)の葬儀・告別式が23日、東京・青山葬儀所で営まれた。この日は大塚さんがねずみ男を演じた「ゲゲゲの鬼太郎」で主人公鬼太郎を演じた声優野沢雅子と、山田伝蔵先生役を演じたNHKEテレのアニメ「忍たま乱太郎」の原作の漫画「落第忍者乱太郎」の作者・尼子騒兵衛氏が弔辞を読んだ。

 野沢は「チカさん、呼びかけても、今日はもう返事ないね。ひどいわよ。私に別れの言葉を言わすなんて…どうしたらいいの?」と涙ながらに祭壇に語りかけた。尼子氏は「中学の頃、洋画が大塚さんとの出会い。“ひと聞きぼれ”という言葉があっていいと思うほどほれ、アイドルを追いかけるように追いました。『忍たま乱太郎』がアニメ化される時『ワガママは申しませんが、伝蔵先生の声は大塚さんで』とお願いしました」と涙した。

 喪主を務めた長男で声優の大塚明夫は、父の遺影に向かって「おやじ…僕がこの道(声優)を始める一歩を踏み出して、父と子だったもの(関係)が師匠と弟子に変質し、おやじの背中を見て育ったのか師匠の背中を見て育ったのか…。弟子として…と言うより、子から親へ一言だけ。おやじ…ありがとう。そして、お疲れ。ほんじゃあ、またな」と語りかけた。

 この日は野沢のほか井上喜久子、田中真弓、平田広明、森田成一、山寺宏一、田中理恵夫妻ら、声優界を中心に約250人が参列した。関係者によると、大塚さんは戒名はつけなかったという。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20150123-1425327.html

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15日に虚血性心不全で亡くなった、声優で俳優の大塚周夫(ちかお)さん(享年85)の葬儀・告別式が23日、東京・青山葬儀所で営まれた。

 大塚さんがねずみ男を演じた「ゲゲゲの鬼太郎」で鬼太郎を演じ、この日、弔辞を読んだ野沢雅子は、大塚さんが地下鉄の中で急逝していたことを明かした。当日、大塚さんはナレーションの仕事が終わった後、所属の青二プロダクションの新年会に出席。同席だった野沢と役者談議を交わした中で「俺、死ぬ時は知ってる人がいないところでパーッと死ぬんだ」と語ったという。大塚さんは終了後、帰宅するため地下鉄に乗った直後、車内で倒れたという。野沢は「何も実行することはないのに…どうして?」と涙した。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20150124-1425547.html

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大塚さんも永井一郎さん同様急だったのですね。

ご親族の皆様にあらためて深くお悔み申し上げます。

残念です。
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声優がらみについてのひとりごと。 [声優]

以前、アニメの歴史についての研究発表みたいなものを聞いたとき、
各発表者とも演出やメカデザインとか、
歴史背景や他ジャンルとの関連とかそういうものには詳しくふれていたが、
声優や音楽というもの、
つまり「視覚」ではなく「聴覚」にかかわるものに対して、
まるでふれられていないことに正直驚きと失望を強く感じてしまったことがあった。

アニメが総合芸術であるということは誰もが認めることだが、
それだけにこの状況はいただけない。

これを同じ総合芸術のオペラに例えてみれば、
それはもう一目瞭然だろう。


もしこのやり方を踏襲しオペラを語るとなると、
歌手と演奏を含む音楽すべてのことを省き、
演出と時代背景、原作と台本の差異等のことのみで、
オペラの歴史を語ることとなる。


自分は過去いろいろな書籍を読んだが、
少なくともこういうやり方でオペラの歴史の総論を書いた文献を、
一度たりとも目にしたことはない。

ヴェルディを語る時にトスカニーニを黙殺する、
Rシュトラウスを語るときクレメンス・クラウスにまるでふれない。

さらにはマリア・カラス、エンリコ・カルーソーなどの歌手も、
すべて黙殺して語ることなどはたして可能だろうか。


「いやこれはオペラなので音楽つきの劇だから話が違う」

という人もいるかもしれないが、
では、あなたはアニメをみるとき、
今までの人生すべて音を消してみてきたのですかと問われたら、
その人はどう答えることができるのだろう。

確かに指揮者と監督という部分の違いこそあれ、
このあたりのことを、
けっこう真剣に考察されていないというのは、
ひじょうに残念だし片手落ちというのが偽らざる心境だ。


最近では声優ファンの事を見下して「声ヲタ」といっているが、
それはそれでもかまわないが、
こと歴史等をコンプリートな情報で語ろうとするなら、
やはりその部分をミーハー的だからというような考えで、
素通りしたり軽視黙殺するのは研究者としてどうなのよと、
自分などは強く疑問を呈してしまう。


自分が以前、大学の声優研究会みたいなところが、
そのほとんどイベント系に特化していることを指したのは、
それそのものは悪くないが、
それ以外に声優の歴史や系譜を組み立て、
そこからアニメの歴史を補強できるようなものも制作しているところはないものかと、
ちとひとくさりしたのはじつはそのあたりのこともあるからだ。


最近自分がオペラの講義を聴講しにいってるのも、
ただオペラに再度興味がでてきたからというだけではないし、
声優養成所の卒業公演や舞台発表などをみにいっているのも、
そういう部分の補強やヒントを探しているに他ならないからだ。


これは自分が声優も日本の伝統芸能のひとつという、
そういうスタンスがあるからかもしれないが、
正直それらは無駄とは思ってはいない。


正直に言わせてもらうが、
研究者やそういう人たちはアニメにおける声優を、

「雰囲気」

としか認知していないような気がする。


それは声優のイベント時のファンの反応や、
メディアに自分が露出しているときの声優さんの、
そういう姿だけでものごとを測ろうとしているあらわれともいえるだろう。

それはつまりそういう「雰囲気」の部分だけで、
感覚的に声優をとらえているに他ならないのではないか。


ただしこちら側にも責任はある。

なにせ声優に対しての総論や歴史体系書みたいなものが皆無という、
そういう部分もあるし、
また研究していこうという人もほとんどみかけないということもある。


つまり声優を追いかける側も、
やはり「雰囲気」というものに強く支配され、
それにのみ浸かり流されているだけの状態に近いということだ。

最近は読んでないが、
以前読んだ声優を専門に扱っていた雑誌も、
やはり「雰囲気」に大きく支配されていた。

確かに「雰囲気」というのも大切だし、
それが売り上げなり人気なりを支えている要素でもあるのだから、
否定などする気など皆無なのだが、
ただそれだけにのみとらわれ気をとられているのは、
これまたどうなのよということなのだ。


すでにTVアニメの声優さんの歴史だけでも半世紀がすぎているが、
そろそろこのあたりをひとつにしたものが必要なのかもしれません。

そういえば自分がつくったクラシックサイトは、
海外のオーケストラが初来日してからまもなく半世紀が経とうという時期に、
それらの流れを簡単にみれるために、
昭和期の1955-1988までのそれをまとめたものだった。

それはおそらく当時としては初めての、
そういうことを扱ったクラシック資料サイトだった。


声優…、
年齢的にちょっと不安だし資料も少ないし…、
今から自分ひとりで作れるとは到底思えないし…、


誰かなんとかしてください~…。


と、最後は他人頼みということで〆。
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「ヴィジュアル時代のオペラ」にみる今の声優の形。 [声優]

最近音楽に関する講義をいろいろと聴講しているが、
そのひとつ
「ヴィジュアル時代のオペラ」
を最近聴講した。

そこでは

○歌手のマルチタレント化。
○「見せる」ことを意識した演出。
○バックステージの可視化。

等々が語られていた。


これは今から四半世紀前には考えられなかったことで、
歌手がただ歌が上手ければよいというだけではなくなったことが、
じつに如実に感じられるものだった。

特に今回強く講師の方が語られたことで、

「声に加えて、容姿、演技力、、さらに、ライブビューイングのインタビューにこたえられるような頭の回転の速さなど、現代のスターにはさまざまな要素が要求されるようになった。」

というそれは特に印象が強く、あるオペラハウスのスタッフが語られた、

「今の時代は何でももっている人でなければ通用しない。」

という言葉もじつにまた重いものがあった。


このとき自分はこの「歌手」を「声優」に置き換えた時、
そのすべてではないけれど、
かなりの部分が驚くほど重なっているような気がしてしかたなかった。

また最近のオペラでは特定の歌手のためのプロダクションが存在しているが、
これもまたそれらを「アニメ」と「声優」に置き換えると、
やはりこれと近しい作品がいくつか浮かんでくるような気がしたものだった。


最近、よく「あの声優は仕事が最近多いがあれはコネだ」とか、
中には聞くに堪えないような発言をする人がいるが、
正直そういう人たちは、
同じ総合芸術でもあるオペラにおける歌手でさえ、
ここ四半世紀で少なからぬ大きな変質を、
その外的要因から受けていことを知っているのだろうか。

そのあたりも踏まえての総合的な見地からみてね
はたしてそのようなことを言っているのか、
ぜひ一度聞いてみたいものです。


自分も確かに歌手が変質していることは知っていたし、
演出の読み替えに大きな重心が最近のオペラにはかかっていることも、
なんとなくだか感じられたりしていた。

だが今回の講義で具体的に提示されたそれは、
想像していたよりもはるかに大きなものだった。

そしてそこには、
今の声優の変質の理由もまた同様に感じられるものがあった。

それを思うと、今の声優はじつに多くのことをじつは要求されており、
確かにそのため演技に割かれる割合が減ったことが、
声優全体を小粒化させたといわれる原因にもなっているのかもしれないが、
むしろ全体的容量はかつてよりも大きなものが要求されているという、
なかなかハードな環境にいるということも感じられてきた。


しかも時代は刻々と移り変わり、
次々と新しい形の伝達手段が出現している。

それを思うとそれらに対する頭の回転の速さと、
対応への即応スピードと順応性の高さなども、
これからより求められていくのではないかという気がする。


もっともそればかりに気がいって、
演技力が疎かになっては本末転倒もいいとこなので、
そのあたりももちろんしっかりとやっていくという前提でのこれは話です。


オペラはライブビューイングの出現等で、
歌手はいままでとはさらに違う面をみせているが、
アニメもビデオにおけるオーディオコメンタリーや、
声優メインによるテレビやラジオ番組への出演のさらなる増加。
TVアニメの劇場公開の一般化や、
作品とそれに関わる聖地との連動によるイベント等で、
声優にも歌手同様にさらに違う面をみせることを要求されている。


つくづく歌手同様、
声優にもダイナミックな要素を求められるような時代になったものだと、
このオペラの講義であらためて痛感させられた次第。

時代が動くと、何が動き変化するのか、
そしてそれらは他にどう波及していくのか。

あたりまえのことですが、
アニメや声優もそういうものとは無関係ではすまされず、
それが今のコンテンツ史学ヤコンテンツ―リズムとも作用しあい、
影響されあっているのですが、
それだけに今の声優のその姿からくる、
これまでの「歴史」とこれからの「展望と変質」というものを、
やはりどこかで明確に提示、
明文化等していかなければならない時期になりつつあるのでは?
という気もしています。

自分には正直それらを総括して一冊の本にすることなど、
とても今の知識や力量では不可能ですが、
ときおりこれらのことを断片的ではありますが、
今後もこういう形で書き記してはいきたいと思っています。

まあたしかに誰得にはならないと思いますが、
興味のある方はおつきあいしていただけると嬉しいです。

以上で〆。
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梶裕貴さんと「七つの大罪」、あと余談をひとつ。 [声優]

seven.jpg
http://www.7-taizai.net/

「七つの大罪」は深夜アニメではないが、
最近自分がよくみているアニメのひとつ。

なんとなく「ドラゴンボール」を思わせる雰囲気のアニメだけど、
それに輪をかけたのが主役のメリオダスを演じる梶裕貴さんの声。

もともと身体が小さいか華奢なキャラに強みをもっていた人だが、
ここではなんとあの野沢雅子さんのような声で演技をおこなっている。

しかも上手い。

正直、野沢雅子さんと古谷徹さんの声は後継者がでない、
いわゆるワン・アンド・オンリーのような存在と思っていただけに、
これには正直驚がくしてしまいました。

まあ確かに「絶園のテンペスト」の羽村めぐむ役を思い出せば、
決して無理ということはないのだろうけど、
ここまではまってしまうとは思わなかった。

原作者の鈴木央さんも梶さんの声に大満足されているようなので、
このラインの声が加わったことは梶さんにとってもじつに大きいことだと思う。

もっとも梶さんも今年(2014)で声優デビュー十周年ということなので、
正直昨日今日出てきた方とは違うということもあり、
その間の蓄えや練り込み方も半端ではないのだろう。


それにしてもかつては男性声優が元気が無いといっていた時期があったが、
梶さんといい松岡禎丞さんといい、
こういう人たちがでてくるとようやくそういう時代も終わったかと、
ちょっと一安心というかんじです。


ところで…


最近じつはある学園祭に立ち寄ったとき、
ちょっとしたサークルをみかけた。

声優関係を扱ったサークルなのですが、
ふつうならイベント系に走りそうなところ、
珍しくもそういうことに走らない、
出版物を出しているというサークルだった。

ただ女性ばかりだったのでさすがに入りにくい。

そこで出版物があるのでそれだけ貰いに行ったところ、
なんか長々とそのサークルの方と話し込んでしまった。

昔話ばかりでひどく退屈だったろうにと、
今になって反省しきりなのですが、
そのときそこのサークルの人との会話の中で、

「今、人気のある男性声優はほとんどの人が経歴が長い。」

ということがわかってきた。

たしかに女性声優もそういう人は多いが、
男性の方が圧倒的に経歴を積んだ方が比率的に多いという気がする。

これはおそらく女性よりも細かいサイクルでまわされていないということと、
役が女性に比べ少なくしかも要求されているヴァリエーションも案外少ないため、
その顔ぶれがある程度固定化されているためなのかもしれない。


ただそうなると今のこの熟練層を押しのけてでてくるのは、
これからの若手男性声優にとってかなりしんどいのではという気もする。

なかなか声優は女性とはまた違う意味で、
男性もたいへんだなあとあらためて痛感させられた次第です。


しかしそれにしてもこのサークルの出版物。

努力と愛情が豊かだなあと、ちと微笑ましくなってしまいました。

まだ出来たばかりということなので、
これからの活躍と発展を期待したいと思います。

ただ声優サークルって、
こういうアットホームな雰囲気のものがもっとあってもいいと思うし、
また出版物や研究書などもイベントと並行して出展展示するという、
そういう所があってもいいのでは?と今回あらためて思った次第。

どっかないもんですかねえ…。


因みに今回立ち寄ったこのサークル。

許可をとってないのでここでは名前を非公表とします。
悪しからずです。

以上で〆。
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「声優100年 声優を目指す君たちへ 」を読んで。 [声優]

81プロデュース代表取締役の南沢道義さんが書いた本を読んだ。

seiyu100nen.jpg

結論から言えば、
これは南沢氏の過去の経験と体験を元に、
随筆風に書き進められたものというところだろうか。


別段細かい技術論とか、
声優はこういう心構えでという、
そういうかんじの教則本や参考書ではなく、
読んでいる人は、そこからいろいろなものを自由に読み取ってほしいという、
とにかくそんなかんじの内容となっている。


ただ個人的にはとても面白く読ませてもらった。


というのも自分もこの業界を南沢氏よりもう少し遠巻きではあるけれど、
いろいろ携わり生活の一部にしてきたせいか、
なんか懐かしくかんじてしまったからだ。


まあ自分の場合は1980年代からの約四半世紀ほどだし、
一時そういうことから離れていた時期もあるので、
かならずしもすべてを共有しているわけではないですが…。


あと意外なくらい南沢氏とものの考え方が似ているのには、
ちょっと驚いてしまった。

特に声優を日本の伝統芸能と関連させているところなど、
自分以外にこういう考えの人がいるということに、
なんともいえない安ど感を感じてしまった。


そして声優ミュージアムのこと。


これは大賛成。

考えてみたら声優のそれを形で遺すということなど、
自分は考えたこともなかったが、
確かにこれはいい考えだ。


そして文字通り「殿堂入り」というのも悪くない。


収入が実力や実績にみあわないならば、
せめて名誉等でそれを後世に伝えても罰はあたるまい。


南沢氏がどういうものを考えているかは分からないが、
ぜひ実りあるものが実現することを期待したい。


ところでこの本の中にも「椅子取りゲーム」という言葉がでてきた。


だが最近この椅子の種類にもいろいろとあるような気がしてきた。

というのもつい先日、
TOKYOMXで、「てんとう虫の歌」をみたからだ。

今から四十年前の作品ということなので、
懐かしい声優さん全員集合状態。

つかせのりこさん、丸山裕子さん、安原義人さん、神山卓三さん、釘宮理恵さん…?

…んなわけないでしょ。だって釘宮さんまだ産まれてないし。

じつはここに出演していた松島みのりさんの声、
それがあまりにも釘宮さんとそっくりだったのです。

それを思うと椅子にもじつはいろいろとあって、
誰でも座れるけどお尻がすぐ痛くなってしまう椅子や、
とても座りづらいけど一度馴染むと長く座り続けることができる椅子。

いつも座る人が順番待ちの椅子もあれば、
ここしばらく座る人がいない椅子もある。

さらには座り方ひとつで用途が変わってしまう椅子等々。

とにかくいろんな椅子が声優さんたちにはあると、
そんな気が強くしたものでした。


最後は本題とは関係ない余談となりましたが、
こんなことも読んでいてそれとなく考えさせられてしまう、
そういうかんじの本だということを付け加えて〆たいと思います。

とにかく個人的にはとても楽しく読ませていただきました。


〆です。
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「売れる声優になるためにあなたが今しなければならない30のこと」を読んで。 [声優]

「売れる声優になるためにあなたが今しなければならない30のこと ~現場が欲しいのはこんな人」
平光 琢也(著)

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という本を読んだ。

ひどく長いタイトルなので、一発では覚えられないけれど、
なぜか印象に残っていた本だった。

ただその印象そのものが、
じつはつまるところ、
この本の中で結果的に求められている声優像でもあったのは、
それを狙ってのタイトルづけだったのかなあとちょっと考えさせられてしまった。


それはさておき、
まずいきなりこの本の裏に

「本気の人だけ読んでください」

とあった。

しまったと思った。

完全に自分は本気ではないので、
なんとも悪い事をしてしまったと、ちょっとばつが悪かった。


で、肝心の中を読んでみると、
まあしごくごもっともということが並んでいた。


もちろんこれを読み完全実行したからといって、
絶対売れるようになるとはやはり思えない。

筆者もこの中でそれとなく、、
やはり「運」というものが大事ということを強く匂わせている。

そういう意味では「運」をできるだけ呼び込むための本、
とこの本はいえるのかもしれません。

そのためこれを知ってると知らないとでは、
やはりちょっと違うんだろうなあという気はするし、
じっさい自分がかつて受けた演技の講義でも聞いていたことが、
ここにもいくつか散見されている。


自分がかつて

「台詞における最初と最後がいかにしっかりとコントロールできてるかで、かなりの部分演技が決まってしまう。」

と言われたことや、
音楽での話だけど、

「自分がうまくいったとき、何故うまくいったかその説明ができないとダメ。」

というそれなども、
ここでは形をかなり変えてはいるけどふれられている。

とにかくつまるところいろいろと書かれているけど、
今おきている事象をつきつめ精査していくと、
けっきょくはかなりシンプルになるということなのだろう。


ただシンプルになるというのがじつは一番難しく、
それができないから悩んでいる演奏家の卵も数多くいることを、
ここではちょっと付け加えておきます。

それといろいろと「ああ、そういうことなのか。」という、
ちょっと新鮮な驚きみたいなものも書かれているので、
声優を志す人は一度目を通しておくのもいいかもしれません。


ところで違う項目で最近自分が書き込んだことに以下のような言葉があります。


「感動と言うのは精神の風車を廻すことである。たとえば、私たち音楽を愛する者が楽器の技術は拙くとも練習に練習を重ねて、僕等の拙つたない精神の風車を廻す練習をし、ある作品を舞台で演奏すると、その廻る風車の風に吹かれて客席のみなさんの精神の風車も徐々に廻り始める。さび付いた風車も、普段から手入れの行き届いた風車も勢い良く廻り始める。これが感動と言うものだと思う。だから自分の風車をまず廻そう・・・」
(「オーケストラ・ニッポニカ」公式サイトの、芥川也寸志氏の発言より。)

これを音楽や演奏という事柄を、
アニメや演技におきかえたことがこの本でも書かれていた。

しかもここではその風が他の演者の風車も廻す事柄についても触れられている。


音楽をすることも演技をすることも、
基本は同じなのだなあと、
あたりまえだけどあらためて感じさせられた。


これを読んで納得するも反発するも、
それは読み手の自由だろうけど、
ひとつだけ確かなのは、
ここに書かれていることをすべては無理としても、
自分に無理なく最低限あてはめることができるものが、
ひとつでもふたつでもあれば、
それはやってみる価値はあるだろうということ。

そういう柔軟性が大事なのはこの世界当然だし、
この本でもそのあたりはかなりしつこく触れている。

もっともこういう情報を頭に詰め込みすぎて、
けっきょく萎縮してしまうのはこれまた問題なので、
あくまで参考書とすべき類のものなのかもしれません。

このあたりのバランス感覚というかセンスはなかなか難しいのです。


あと本書の中でも書かれているけど、
声優の世界が「椅子取りゲーム」というふうに言っていたのは、
言い得て妙というかんじだった。


たしかに「椅子取りゲーム」なんですよね。

そしてかつては自分が取りに行ったその椅子を、
座ったその日から取られる立場になるということも、
やはり意識しなければならないのですから、
やはりこの業界はきついです。

しかもスパーンが短い。


著者は三年やってダメだと…という厳しい言い方をされているけど、
(自分も千日というのがひとつの目安となっているので)
ひょっとするとこのあたりは年々短くなっていくのかもしれません。


とにかく需要と供給が極端にアンバランスな世界なので、
この世界を志す人はがんばって運をつかんでください…、
というのをあらためて痛感させられる本でもありました。


因みに全体的な読後の感想としては、
比較的最初はシビアに現実を、
後半はやればできる的勇気づけを、
そんなものが感じられる書き方になっているので、
読み終わると元気づけられるような気持ちに書かれているのも、
個人的にはとても好感がもてました。


以上です。


尚、現在、もう一冊声優関係の本を読んでいますので、
そちらの感想はまた後日。
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聖地巡礼と声優 (追補) [声優]

今(2014年)から四年前、
自分は以下のようなことを書いている。

それは「聖地巡礼と声優」の接点のようなものだ。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2010-01-10-1

これを書いてから4年半が経った。

あれからじつに多くの聖地があらわれた。

「秩父」「鴨川」「竹原」「高山」「江の島」「湯涌温泉」「大洗」等々。

とにもかくにも各地にいろいろとあらわれた。

そして何故かこの種の作品に頻繁に登場する声優さんもあらわれたりと、
とにかくこの四年間で大きく変わってしまった。

聖地巡礼はもはやブームではなく、
もうほとんど日常と化している。

そして聖地のそれも点から面や線を軸としたものに変わりつつあり、
場所によっては県もかなりかかわっているところもあらわれている。

これには311で打撃を受けたことからの回復と復興というものもある。
大洗などはそのいい例で、
この街のもつ観光のノウハウがさらにそれらとうまくかみ合い、
2014年春現在ワンクールしか作品本編が無いにもかかわらず、
すでに放送終了から一年以上経つにもかかわらず、
その賑わいもテンションもそれほど低下しているとは思えないという、
しかも作品だけではなく町の魅力へと訪問者を惹きつけることにも成功しており、
新しい…というよりかなり理想的な展開をここでは呈している。

もちろん各地とも大洗のような理想的展開ばかりではないようですが、
とにかく「顧みてもらう」ことを第一に、
各地の多くがそれにとりくんでいるようです。

これについては、
今年のAnimeJapan 2014 ビジネスセミナーにおける項目に、
それらのこを明記していますが…。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2014-03-22

四年前に書いたそれと今回のそれを読むと、
アニメにおける聖地巡礼が、
アニメという枠だけでなく、
地元本来の魅力の伝達と再開発というだけでなく、
アニメファンの中にある他ジャンルへの興味誘導、
それが歴史であったり、鉄道であったり、建造物であったり、自然であったりと、
とにかく多様に渡っているということです。

これにはアニメファンその人その人の元からじつはもっている、
アニメ以外の趣味趣向への喚起とその抱き合わせを見据えたものがあり、
ある意味、
小売店の店頭販売における接客のそれと相通じるものがある。

それを思うと聖地にあたる方も、
相手がアニメ云々という考えで特別な身構えなどせず、
自然に他の観光客と同じ姿勢で接することが、
ごく自然な成り行きとなっていく傾向になると思う。


もちろん言うは易し行うは…という部分も多々あるけど、
かつての作品が終わると聖地はすぐに廃れるという、
そういう宿命的な問題もこれなら完全にとは言わないまでも、
ある程度までは対応できるのではないかという気がする。


ただこれらの動きはじつは声優さんのそれにもあてはまるところがあり、
それが各々のスタイルの変化や活動の多様化にも繋がり、
顧みてくれるファンの開拓や獲得へと繋がっていくとこもあるのですが、
このあたりはまだちょっと自分の中で整理が施されていないので、
この件についてはこのへんで今は終了です。


ところで以前にも書きましたが、
日本のアニメにおける声優のそれはすでに半世紀の歴史があるのに対し、
聖地巡礼の方はアニメの場合まだその半分も歴史が無いことを思うと、
まだまだこのあたりはいろいろと変化し、
そして発展していくのではと思っています。

そのため聖地巡礼というイメージに対して、
これからは従来の枠にとらわれてはいけないのではないか、
だけどある意味とらわれていく必要もあるのではないかという、
そういう微妙なバランスを各地がその特性に応じて
いろいろと考察、そして考慮行動していくことになるのだろうと思います。


最後かなりギクシャクした物言いになりましたが…、

今はこれで〆です。
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