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狂言をみにいく。(2019年4月横浜能楽堂「唐相撲」他) [いろいろ]

このまえひさしぶりに横浜能楽堂に狂言をみにいった。

内容は以下のとおり。

kyou01.jpg
kyou02.jpg

自分はかつて落語や狂言といったところを、
けっこうよくみにいったけど、
ここ十年ほどはご無沙汰になってしまった。

ただ今回は「唐相撲」がをやると聞いて、
さすがにこれはみのがせないと思った。


「佐渡狐」とか「棒縛」のように、
この演目はそうそうできるものではない。

というのも登場人物が三十人を超えるという大編成。

しかもその人数分の衣装も必要なのだから、
これはなかなか揃うものではない。

このため現在みの出し物をやれるのは、
ごくわずかの所だけで、
今回はそのひとつの大蔵流茂山千五郎家が行った。


この日は満員御礼。
当然お目当てはこの「唐相撲」だけど、
前半の「独り松茸」もじつはこれも楽しみだった。

何しろ最初から最後までたった一人で演じ切るため、
なかなかそうそう出てくる演目でもない。

一人で延々というと、
「木六駄」というものがあるけど、
あれも実際は他に数人共演がいる。

そんな「独り松茸」を今回は茂山あきらさんが演じたけど、
主人公(シテ)の少し粗忽で飄々としたそれを、
じつに絶妙に演じ、そして唄いそして舞った。

特に驚いたのは、
座ったまま唄ったときのその声の通り。

ちゃんと能楽堂内に見事に響き渡っていたのには、
当然かもしれないけどさすがに驚いた。

ところどころアドリブを取り入れ観客を沸かせたけど、
「唐相撲」を目当てにに来ていた人が多かっただけに、
よりこれは新鮮に映ったのでないだろうか。


25分程で前半が終了。

このあと15分間休憩となるが、
五分程前半が早く終わったたため、
五分余計に休憩をとる形をとった。

そして後半の「唐相撲」。


もうただただ圧倒されてしまった。

舞台から橋掛かりにかけて全31人が勢揃い。
他に囃子方と後見をあわせると39人。

一時的に重要文化財の上に四十人近くが乗るというもの。

しかも途中かなりのドタバタがある。

組体操あり、バク転側転あり、
さらに投げられて一回転して舞台から橋掛かりまで飛ぶものあり、
あと二人で輪になってぐるぐる回りながらそのまま幕口から外に消えて行ったり、
もう伝統芸能という範疇を超えた、
狂言の中にコントとサーカスを入れたらこうなりましたというくらいの、
もう大ごった煮大会状態。

正直、伝統芸能というと小さな動きしか想像できない人が多いと思うけど、
ここでは誰がいちばん普段から鍛錬しているかを、
まるで競い合っているかのように、
とにかく動いて動いて動きまくる。

正直これだけどったんばったんやってると、
能楽堂の関係者は舞台がやられるんじゃないかと、
かなりひやひやしたことだろう。

ただこれでも一部NGが出たため、
一部やれないものがあったというのだから、
リミッター外したらどうなっていたことか。

正直本当にあんぐりというかんじだった。

まだそれ以外にも怪しい歌詞だけど、
なんものすごく迫力と思わず聴き入ってしまう見事さを兼ね備えた、
全員による大歌唱や単調だけど全員でやると妙に説得力のある動きなど、
とにかく見所がこれでもかとある。

とにかくクラシック音楽の演奏会でいえば、
「千人の交響曲」や「グレの歌」にあたるのだろうけど、
ほんとうによく舞台から人が飛出さなかったという感じでした。

今回これをやるにあたり、
茂山千五郎家総動員といった感じで、
親子四代、上は七十代半ばの方から、
下は公演数日前に八歳になった方までと、
太平洋戦争中に生まれた方から、
311の後に生まれた方までと、
まるで日本の戦後史がそのままできてしまうほどの、
年齢層の幅広さ。

そういう人達が一堂に会して演じたこの「唐相撲」。
(因みに、前半でていた茂山あきらさんも、後見として舞台に上がられていました)

なんか平成の最後を飾るに相応しい演目で、
これで愉しく令和を迎えられそうに思った公演でした。

終演後はそれまで降っていた雨もほとんど上がり、
観客全員が笑顔で帰路についたこの日の公演。


演者の皆様、ほとんうにありがとうございました。


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阪神淡路大震災について覚えている話。 [いろいろ]


これは2006年の1月16日に書き込んだものを何度か書き直したものです。
今回久しぶりに文面を追加しました。
以下本文です。

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1995年1月17日火曜日午前5時46分52秒、
淡路島北部を震源として発生した直下型の大地震が
関西近畿圏を襲った。
場所によっては震度7という烈震が襲ったわけですが
この凄まじい揺れとその後の状況は後日いろいろな話を聞きました。

当時大阪に勤務していた同僚が
凄まじい揺れとと同時に目の前を小型の冷蔵庫が飛んでいくのを目撃したこと。
そしてその同僚は地震の備えで最も効果的なのは
部屋に何も置かないことだと真顔で話していました。

自宅が崩れたため
半日以上家に閉じ込められ救助を待ったという
関西のクラシック愛好家の方は
倒壊と火災の恐怖と戦いながら待つということが
いかに精神的に追い詰められたかを淡々と語ってくれました。

また奈良に住んでいた知人は
激震と同時に屋根瓦が落ち、幸い怪我こそなかったものの車がやられてしまった
と笑いながら話ていましたが
目がまるで笑っていなかったところに
その時の恐怖がみてとれるおもいがしたものでした。

あとTVでコメディアンの間寛平さんはその揺れの瞬間
家の下から何かが飛び出してきたのかとというほどの衝撃を受けたと語り
その凄まじさと恐ろしさを真剣に語っていましたが
ふだんどんな状況でも人を笑わせるひとたちを
ここまで一瞬にして恐怖に陥れたその震災に
あらためてその恐ろしさを痛感させられたものでした。

いずれも今でも昨日のことのようにその語っていた姿を思い出しますが
それ以外にその後のいろいろな方たちのこの震災にまつわる話を聞きました。

このとき大阪にいたビリー・ジョエルはその日のコンサートは中止したものの
2日後には余震が続く中、危険をかえりみずコンサートを開き
ミュージシャンとして被災者にできうることを全うし、
プロレスラーのジャイアント馬場さんは
震災後まだ交通網が寸断されている中を電車を乗り継ぎ
自分の会社である全日本プロレスの地元後援会の何人もの人達に
自ら救援物資をとどけ続けました。

またロシアから来ていたバレエ団付きの若き指揮者アニハーノフは
団とともに関東にいたため被災はしなかったものの団員が恐怖を感じ
一部のダンサーはもう国に帰りたいと泣きだすものが出はじめると
「自分達はプロなのだから、こういうときこそしっかり舞台をつとめなければならない」
と、全員に強く語ったといいます。

このようにいろいろな方が当時いろいろな状況でこの震災に遭遇したのですが
自分はこのときその前日
ちょうど出雲大社にお参りに行っており
途中、米子や松江へ寄ろうとしたものの天候が不順だったため立ち寄らず
そのため当初は京都で一泊することを考えていたのですが
そのとき必要な宿泊カードを横浜の自宅に忘れてきてしまい
京都で新幹線を下車せずにそのまま帰途についてしまいました。
このおかげで自分は震災にあわずにすんだのですが
途中、新神戸駅に午後三時過ぎに停車した新幹線に自分は乗っていたので
そのとき新神戸駅で多くの方達が下車していく姿をそのときみていました。

それだけにその方達がその後どうなったのか
それをおもうとたしかにそれは仕方ないのかもしれませんが
なんとも辛い気持ちになったものでした。

自分はかつて幼少の時、新潟地震にあったことがあります。
当時この揺れで自分は道路に座り込んで立つことが出来なくなり
直後に砂埃があがったため目が開けてられなくなったことに加え
硝子の割れる音や、あちこちから聞こえる悲鳴が
視覚を奪われたこともあってたいへんな恐怖を感じたことが
今でもかなり鮮明にはっきりと記憶に残っています。

それだけに地震というと
いつも他の災害とは違った気もちになってしまうのですが
この阪神淡路大震災はその直前にその現場を通っていたこともあり
さらにいたたまれないものをいつも感じてしまいます。

あれからはや15年がたちました。(2010年)
この震災は大きな爪あとと同時に多くの教訓を残しました。
仮設トイレの不足からくる水分摂取を控えたことによる障害を防ぐために
マンホールとテントを使用した仮設トイレの設営や
電話の不通や身内の安否を知るためにたいへん必要となる
災害用伝言ダイヤル「171」の新設など
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-01-07-1
それらの教訓から得たことのひとつです。

阪神淡路のその後の対応はけっして南海道、東海沖、南関東、等の
現在心配されている大地震の予行的なものではありませんが
この災害をたんなる記憶や記録にとどめことなく
後世に多くの教訓とともに語り伝え、そして対策を生み出すことも
被害に遭われた方々の事を無駄にしない行為であるという、
そのように考えています。

ほんとうに恐ろしい震災ですし
特に亡くなられた方々にはこれからも深くご冥福をお祈り申し上げます。

(これは2006年1月17日に書き込んだものとほぼ同文です。
2010年1月現在いろいろと大きな地震があり、
最近ではハイチでもかなり大きな地震がありました。
今は多くの国からの迅速な援助体制が出来つつあるようですが
やはり事前の準備や心構えが大切なことにはかわりありません。
ハイチや四川での被害拡大はそれらが少なからずあったと思います。
日本はたしかに他の国の水準からみると、
心構え等はかなりの高さの水準にあるとは思いますか、
これらはいくら高くても万全になりすぎるということはありません。
阪神淡路大震災の教訓等をこれからも大事に活かす糧のひとつとなるように
今年は震災から15年ということもあり
当blogのトップ付近に一時的にもっていくようにしたいと思います。
ご了承ください。)

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上の文は2010年1月にUPしたものです。
東日本大震災前年ということで、
そのことについては触れられていません。
それを思うとこの5年間もまたなんと重い5年間だったことか。
多少いじってはいますが、
ほぼ当時のままここに再度UPさせていただきます。
あれから20年です。

以下2019年1月17日追加

今年(2019)で24年が経ちました。
今回ちょうど地震が起きた時間に起きていたので、
TVで追悼式典の中継をみながら一分間黙祷をさせていただきました。
ですが関東でこの時間中継をしていたのはわずか数局。
しかもひとつは黙祷の途中で画面を変えてしまいました。
これが24年という年月なのかとちょっとショックでした。

そんな中、夏目アナウンサーが涙ながらにこの中継をしていた。
箕面出身でこの震災はこの人の人生に大きな影響を与えたという。
それをみたとき、この震災はまだ過去のそれにしてはいけないと、
強く再認識させられました。
来年はあれから25年。
あえて思い出したくない人もいるだろうけど、
風化させないためにも今年よりはしっかりと各局とりあげてほしいです
稀勢の里の引退だけとりあげればいいという話ではないと思います。


安田さんについての雑感 [いろいろ]

「身に起きた事に対しての自己責任という部分を、本人自身が自覚していたのはその発言で分かる。問題はいざそれが起きた時、それは否応なく安田さん自身だけの問題ではなくなってしまうという事まで読み切れなかったこと。ここの部分に対しての自己責任を世間は注視している。
ようするに「ジャーナリスト」としての安田さんと、「日本人のひとり」としての安田さん。この二つに対しての各々の「事故責任」というものをはっきり分けて安田さんが説明しないと、世間は安田さんの仕事や姿勢に理解も共感もしないと思う。「使命」なのか「無謀」なのか。難しいとは思いますが。」

「今の自分の安田さんに対するそれは、『無事帰って来てよかった、お疲れ様。ただジャーナリストとして行ったその志は立派だし分かる気はしますが、結果的に多くの人に迷惑をかけた事に対しては今後どう対応しますか』というかんじ。責めるというより、その姿勢とこれからの展望を聞いてみたい。」


と、自分は過去安田さんに対してのそれを書いた。

ところが最近、テレビ朝日の玉川さんに言わせると、

「日本人のひとり」とか「多くの人に迷惑」というのは、いわゆる「村社会」的発想であって、日本のそれが成熟していないあらわれということだった、


なるほどなあと思ったと同時に、今回の事で考え直さなければいけない事がひとつ浮かんだ。

今回の件、自分は最初これを、

「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告していたにもかかわらず、登山に入って熊に襲われ遭難した大馬鹿者」

と同じ図式にとらえていた。

だが実際には、

「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告している中で、災害にみまわれその被害に苦しみ、しかも熊によって孤立している集落の、その現状を知るため取材に入り、熊に襲われ遭難した人」

という図式だったようだ。

確かにこれだと最初のそれとはかなり様相が違うし、ある意味しかたないという部分もあるけど、それでもやはり「心配をかけさせるな」という部分は人によっては感じるだろう。

そこの部分を玉川さんは「村社会」と言ったのだと思う。

ただ、ならば村社会なりに納得させる。もしくはここまでのバッシングに至らせない手はなかったものかという気もする。

個人的には最初の時に「謝罪姿勢」がハッキリみえなかったことがある。

確かに「誰のための謝罪」とか「わざわざ心配しなくても、これは自己責任だから」と本人が覚悟していた部分を考えれば、そんなこと必要ないかもしれないが、「一応心配」をほとんどの人たちが捕まった時にしていたことを思うと、感謝と謝罪はやはりあって然るべきというのが、日本における「礼儀」であり「奥ゆかしさ」からくる「常識」としてあることは否定できない。

日本が村社会なら、郷に入れば郷に従えということくらいは、帰ってくるときにやはり一考を要してほしかった。ただこれも、ふつうの環境ではないところに三年以上もいたのだから、本人も解放されたとはいえ、まだ通常の神経ではなかったはずなので、そこの部分は大目にという事も言えると思う。なのでそういう部分はマスコミがうまくフォローしてほしかったとも言える。そこの部分は玉川さんはどう考えていたのだろうか。


ただ安田さんに一言言いたいのは、正直、自分の命を少し軽んじていなかったかということ。

かつて冒険家の植村直己さんは「必ず生きて帰ることが本当の冒険」と言われていたとか。

それを思うと、そこまでの考えや覚悟が果たして、そのとき本当に安田さん自身の中で常にあったのかということ。それに対し、安田さんは帰国後、かなり後悔されていると感じられる部分が発言の中にあったので、今後は二度とそういうことがないよう、より厳しく自分をコントロールしてほしい。


今回の件で得た情報や体験、そして反省を広く知らしめることが、これからの安田さんの本当の仕事となるだろう。自分はそこの部分でのこれからを評価したい。

あとこれはハッキリ言うけど、安田さんは英雄ではないし、賢明とも言い難いところがあったし、もしもの事があったら、正直「過失による犬死」になりかねないところだった。運悪く拉致されたものの運良く生きて帰って来た。それ以上でもそれ以下でもない。

そこの部分を安田さんは今回の事のそれとして生涯肝に銘じておいてほしいです。それが生きて帰って来た人としての、せめてもの姿勢だと自分は思います。

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病院での話 入院時の話 [いろいろ]

病院の話

自分はかつて6回泊まり込みで病院送りになったことがあるし、
身内の看病等で長期間病院に通ったり泊まり込んだこともある。

病名も病院も、また入院期間もまちまちだったけど、
そこでちょっと病院での入院生活について書きたいと思う。

病院は手術絡みの場合はその前日に入院となるけど、
全身麻酔等をするような規模の大きな手術になる場合は、
その数日前だか数週間前だかに
採血、採尿、心電図、レントゲン、その他諸々の検査がある。

それで手術OKかどうかの最終判断みたいのをするらしい。

そして入院。

生活サイクルはほぼどこの病院も同じで、
手術当日とか翌日は違うけど、
それ以外だいたい次のようになる。

6時起床。すぐに体温を自分で測り看護師さんが来たらそれをみせる。

8時朝食。

午前中に診察があり、外来の人と同じ場所で診察を受ける。

12時昼食。

18時夕食。

21時消灯。


と、だいたいこんな感じ。

あとはただ寝てたり、テレビをみたり、本を読んだりみたいな自由時間。

もちろん病状によってはその間も点滴をしてたりと、
いろいろあるけどだいたいはこんなところ。

このため正直ちょっと夜型人間には辛い。

特にテレビに関しては、
今はだいたいどこの病室にも個人用のテレビがあるけど、
21時消灯のため、深夜アニメどころか、ドラマやEテレのクラシック音楽、
さらには21時以降のニュースすらみることができない。

音はイヤホンなのでいいと思うかもしれないけど、
画面から出る光は消灯されるとかなり目立つ明るさになるので、
いろんな意味でそっと見ようというのは無理なので、
とにかく21時以降のテレビは諦めるしかない。

その代わり朝早いので、
8時以降に放送されるワイドショーはとにかく見てしまうので、
退院するころにはやたら芸能ネタに強くなってしまう特典がある。


また、
高校野球中継、相撲中継、マラソン中継、駅伝等々、
このあたりが放送されると時間つぶしにはもってこいとなる。


そんなわけで人によっては、
生活のそれが大きく変わってしまうことになるけど、
これはもういたしかたないこと。

自分はCD派なのでよくCDを持っていくけど、
DVDが見れるテレビ付きの病院もあるので、
入院とするときこの辺りは要チェックかと。

ただ盗難に気を付けなければいけないので、
鍵のかかる引き出しのスペースの大きさ等も、
事前に聞いておいた方がいいと思う。

それによっては安心してパソコンを持ち込めない病院もあるかも。

また冷蔵庫が備え付けてある場合は、
病院によっては2リットルボトルが入らない場合があるので、
このあたりを持ち込む予定の人はここも要チェック。

あとお風呂は毎日は入浴できないところがほとんどなので、
このあたりもやはり聞いておいた方がいいと思う。

それと大きな病院だと、
寝巻、タオル、その他がレンタル会社と契約しているところがあり、
それを利用すると持ち込む荷物が少なくてすむ。

また下着も洗濯できる場所があるので、
長期入院の場合はそのやり方も聞いておいた方がいいかもしれない。


ここで全身麻酔系手術の話。

簡単な手術の場合は朝の飲食に制限がでるくらいだけど、
全身麻酔系の手術となるとそれ以外にも、
前日あたりから水分補給に制限が出始める、

もちろん手術当日は朝食無し。

そして手術が行われるけど全身麻酔はほんと一瞬。

「では麻酔を身体にいれます」
と点滴からいれはじめたそれを確認して数秒で完璧に眠りにおちた。

次に気づいた時は肩を軽く叩かれながら名前を呼ばれていた時。

この間、感覚としてはニ~三分寝てたかなと言うかんじたけど、
実際は数時間経っていた。

もちろん手術は終了。

知らないうちに口に突っ込まれていた気管チューブも、
尿道カテーテルも外されていた。

そして翌日まで絶食、絶飲、口にはずっと酸素マスク。
もちろん点滴も延々と続いている。
ただそれが苦にならないほど程とにかく翌日までなんかだるかった。

人によっては尿道カテーテルや、
口から入れた気管チューブの関係で痛みを訴える人もいるようだけど、
自分は幸いそういうことはなかった。

手術翌朝に点滴を除くすべての制限が解除されるけど、
だいたい手術前から数えて、
36~40時間くらいとにかく制限と安静が続くと思っていい。

特に術後は長く感じる。


ところで入院していると、
当然だけど看護師さんが潤沢にいる時間とそうでない時間がある。

一番潤沢なのは平日の朝食時から夕食時の間で、
この間はけっこうこちらも安心して、
ベッドに備え付けのナースコールのボタンを押す事ができる。

だけどそれ以外となると急に人が薄くなる時間帯がある。

特に夜間、消灯~起床までの時間帯はかなり薄い。

おそらくワンフロアに2~3人の看護師さんしかいない。

つまりたった数人で全病床の患者さんを管理し、
すべてのナースコールに対応することになる。

当然時間帯によってはナースコールが集中し、
ほとんど鳴りっぱなしの時もある。

正直みてて本当にたいへんとしか言いようがないほどで、
時給一万円でもいいらくらいの激務に自分には見えてしかたなかった。

なので自分は深夜帯には極力ナースコールは使わないようにしていた。
ただもちろん、これはキツイというときはしましたが。


あとこれはちょっと悲しい話だけど、
夜中に急に看護師さんが慌ただしくなると、
こちらも急に緊迫することがある。

患者さんの容態急変。

そのときは看護師さんが廊下を走ったりする音などが聞こえ、
本当に緊迫したそれが痛いほど伝わってくる。

また場合によっては、
急変した患者さんの部屋にいる、
他の患者さんを一時的に別の部屋等に移動する場合もあるという。

理由はあまり言いたくないのでご察し下さい。


そして翌朝。

前日まであまり体調が良くないと思われる方のベッドが、
すっかり綺麗になっていて誰もいないそれになっており、
部屋の入口に昨日まであった名札が無くなっているのをみると、
なんとも言葉では形容できない気持ちになってしまう。

そんな時は自分のベッドに戻るといろいろと深く考えこんでしまうので、
不謹慎かもしれないけど、
そういう時はすぐテレビをつけて何かをみたりするようにしていた。


また自分が眼科で入院していた時看護師さんに

「一緒の病室に内科の患者さんもいます。内科の方は食べたいものも食べられない方もいるので、できれば朝昼夕の食事以外で何かを食べるときは、まわりに気を使ってください。」

と言われたことがあった。
そのため差し入れで食べ物が来た時は、
部屋を出て休憩所みたいなところで食べていた。

このようにけっこう気をつかう事も多い。

あとたいへんなことといったら、
夜中に他の患者さんがかく怒涛のようないびき。

かならず6人部屋くらいになるとお一方は、
こういう凄いいびきをかかれる方がいる。

もうそういう時はひたすらこちらも耐えるか慣れるしかない。

また夜中に急に泣き出す子供や、
大きな声で痛みを何度も訴える方等々、
とにかくナースコール等も含めて、
夜の病院はずっと静かということはまずない。

また何時間かに一回はかならず看護師さんが見回りにくるので、
夜行バスにおける二時間おきのICでの停車ほどではないけど、
気になる人は気になってしまうかも。

このため最初は夜は眠れず、むしろ昼によく寝ていました。


とにかく病院はいろいろな事がありますし、
特に初めての方はかなり気を使われると思います。

ただ上で書いたことを必要以上にヘビーに考えることはないです。

また食事も想像よりずっと美味しかったです。


と、こんな感じです。

ただ中には古い所で、
テレビや各病床を仕切るカーテンが無い病院もあるかもしれませんし
これとはかなり違う形態の病院もあるかもしれませんが、
自分が知っている所はだいたいこんな感じです。


何かの参考になれば幸いです。


〆です。

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アライグマ駆除についての雑感。 [いろいろ]

rc006.jpg

上の写真、
なんとも愛くるしい写真にみえるけど、
じつは左前脚が罠にかかったアライグマで、
右前脚で握っているのはライフルの銃口。

そしてすぐ後にその銃でこのアライグマは射殺されている。

これはネットにupされていたもので、
どうもアメリカでのそれらしい。

これを見た知人は

「何も殺すことはないだろう。せめて腕切り落とすだけで逃がしてやれよ。」

と言ったが、

「いや、その方がもっと酷いだろう。」

と思わず返してしまった。


その後この手の画像が大量にupさてれいることが分かったけど、
アライグマがけっこう派手に海の向こうでは殺されまくっていることを、
このとき自分は初めて知った。

そしてアライグマの被害がアメリカではかなり深刻になっているということと、
日本でも全国各地で問題になっていることを知った。

特に自分のいる神奈川県はかなり深刻だという。

神奈川県のHPにはこういうページがある。

「神奈川県アライグマ防除実施計画について」
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/t4i/cnt/f986/p10115.html

そして捕獲数。
RC008.jpg

さらに被害件数等も明記されているが、
特に横須賀、鎌倉、相模原、藤沢、平塚が、
かなりの被害を被っている。

横浜市はざっくりと記されているが、
おそらく上記した市と隣接している区は、
大なり小なりの被害を被っていると思う。

県はこの現状からかなり積極的に捕獲を試みているが、
残念ながら数量コントロールはできていない状況にみえる。

ただ広く意識してもらうために以下のようなリーフレットも配布している。

arai01.jpg
arai02.jpg
arai03.jpg
arai04.jpg
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/t4i/cnt/f986/p10116.html

もちろん県でけでなく市も対応している。

横浜市では、

 神奈川県内では三浦半島周辺に多く生息していて、市内でも南部を中心に、頭数が増えています。
 横浜市では、神奈川県や近隣市町と連携して防除を実施しています。
 ご自宅の庭などで、アライグマに被害(池の鯉を捕食されたなど)を受けた場合や、ご自宅の天井裏や床下などに侵入された場合は、防除を実施いたしますので、動物園課へご相談ください。
 なお、農地における農業被害については、JA横浜・JA田奈へご相談ください。
 また、ご自身で捕獲をご希望の場合は、神奈川県アライグマ防除実施計画に基づく捕獲等届出書 にご記入の上、動物園課へご相談ください。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/yasei/gairaiseibutu.html

とし、さらに、

◎ 対策
○ 横浜市の対策事業
「神奈川県アライグマ防除実施計画」に基づく捕獲(費用は市負担)
※ 外来生物法に基づいて実施しています。


◎ 寄せ付けない工夫
○ 侵入口になるすき間をふさぐ。(縁の下、換気口、軒下、戸袋など)
○ 屋根に届く枝を切り、庭に置いたものなどを整理する。
○ ペットフードの残りや、取り残しの果実を放置しない。
○ 池には網を設置し、鳥小屋などは金網を丈夫にしてカギをかける。
○ 獣の臭い(体臭、フン尿)を消す。
→  木酢液やハーブ系の臭いが効いた例もある。
○ 追い出しには、煙の出るタイプの殺虫剤をたく。

ということを明記している。

http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/yasei/higaitaisaku.html#araiguma

そして鎌倉市のサイトでは以下のような被害が明記されている。

◎家屋へ侵入し、天井裏で糞尿をし続けられ雨漏りのようなしみができ、ひどい場合には天井板が腐るなど、張り替えを余儀なくされた。

◎天井裏に棲みついた獣の体についている蚤やダニ、天井裏の糞尿によりわいた蚤やダニに下で暮らす住人が刺され皮膚病になった。

◎家屋へ侵入し、繁殖期には天井裏で出産してしまい、幼獣を手捕りすることになった。または、天井板が薄いため天井板を切り穴を開けることになった。

◎サツマイモ、トマト、トウモロコシ、すいかなど畑や、家庭菜園の作物を食べられた。ブドウや柿など庭の果実を食べられた。

◎外に保管していたりんご等の果実を食べられた。

◎物置の戸を開けられ、保管していたドッグフードを食べられた。

◎肥料などの入った袋を噛み破られた。

◎猫や犬などのペットが襲われ負傷した。

◎家禽(鶏やアヒル)を食べられた。

◎池の鯉や金魚などを食べられた。

◎屋根の上にため糞(同じところに糞をし続けること)をされた。

◎外のポリバケツなどに入れておいた生ゴミをあさられた。市に協力して生ゴミの減量化に努力しているが、生ゴミ処理機に寄って来てあさる。

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kan-hozen/higai_araiguma2.html


アライグマは国立環境研究所によると、

◎法的扱い
特定外来生物(外来生物法).狩猟鳥獣(鳥獣保護法).移入規制種(佐賀県での放逐禁止,佐賀県 環境の保全と創造に関する条例)

防除方法
◎箱ワナ・エッグトラップによる捕獲.捕獲時期・対象個体の齢などによって実質的な効果が異なり,十分な事前調査と計画的な対策が必要.

となっている。
https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/10150.html


ちなみに環境省のそれをみるとこういう一文がある。

防除で捕獲された生物を殺処分する場合には、極力苦痛を与えないような方法で処分されることになります。このような事態が繰り返されないためにも、外来生物を放したり、逃がしたりしないように注意していくことが最も大切です。
http://www.env.go.jp/nature/intro/3control/bojooutline.html

ようするに捕獲されたらどうなるかはもう言わずもがなで、
捕まえたら飼ってもダメ、
放してもダメということになれば、
最初に数字として出ていた捕獲したそれは、
そのまま天に召されたアライグマの数という事になる。

(ただアメリカのような頭部に一撃とか、弓矢や猟犬の標的になるということはないようですが…。)


もっともこれだけ捕獲されているのに、
アライグマは天敵がいないこともあり、
着実にその数を日本各地に増大させているという。


自分が特に心配なのはこの現状で、
震災級の大災害が起きた時のこと。

当然無人になった住居や、
避難所での廃棄物等の管理によっては、
アライグマが空き家に住み込んだり、
避難場所にやってきたりする可能性が大。

それで住民が癒されればべつにOKだけど、
いきなり引っかかれたり噛みつかれたりした場合、
ただでさえ病原菌や寄生虫を媒介しやすいだけに、
そこから人に感染した場合、
通常のような手当が被災地でできるとは限らないし、
場合によっては目が行き届きにくい環境だったら、
そこから軽くない伝染病が多くの人たちに流行る可能性もある。

今は健全なアライグマの集団も、
震災等で活動域がより広まり、
そのため病気に感染している他の動物と接する可能性も高くなるため、
このあたりが本当に心配だ。


もっともこういう意見に対して、
真向から非を唱えるところもある。


神奈川動物愛護協会などがそれ。

そこには今までの人間の行動を厳しく咎め、
まずそこの部分をしっかり直視し反省すべきという意見の後に、
以下のように明記している。


報道では「アライグマは狂暴」とされていますが、けっして狂暴な動物ではありません。
非常に、極端に「臆病」な動物です。
屋根裏で子供を生み人に見つかっても、人を襲うことはなく逃げてしまう程に臆病な動物です。
ですから、捕獲されたり、逃げ場がない状況では「窮鼠猫を噛む」と同様の攻撃体制を取ることになります。
もし、アライグマに攻撃性があり「凶暴」であれば、既に多くの障害事例があるはずです。
また、飼育下での咬傷は別次元と考えます。
アライグマは飼育の歴史がなく、野生動物と考えた方が正しい状況ですから、
アライグマにとっては犬猫のように飼育者への服従という概念はないと思います。
飼育の際に、犬猫と同様に考える事が間違いであり、アライグマであることへの認識があれば問題は起こらないでしょう。

と意見を述べた後に本文では前後していますが提案として、



移入種の問題を通して「日本人は殺す事を嫌がり過ぎる」という言葉を研究者から幾度も聞きました。
しかし、それが国民性なら、日本人に合った対処方法を考えるべきで、
この為に国民の性質を変えるという方向は本末転倒と思います。
私達人間は、既に取り返しのつかない沢山の殺りくを行ない、どれだけの動植物を絶滅させてきたか知れません。
そして今、自分達の過ちの尻拭いを動物の生命を奪う事だけで片付けようとしています。
思いやる心が薄れていると言われる中、それで良いのでしょうか?
私達は、不妊化放獣や一時保護施設(現在、移入動物が逃げた場合保護する施設はありません)
を兼ねた移入種動物園といった教育施設の設置を提案しています。
https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=105442972


じつはこれは理想的正論ですし、
心構えとしては極めてまっとうな部分を包括してはいるのですが、
でははてしなく繁殖していったらどう対処するのか、
また施設ができるまではどうするのか、
病原体を持った個体によるパンデミックが起きる可能性が大きくなった場合、
これらの施設が無い現状ではどうするのかという、
そういう最悪の上を行く最悪への対応というか、
具体的なそれがここには残念ながら明記されていない。

また現状の農作物被害を被っている被害者には、
どうそれを納得させるかということも、
具体的には記されていない。


もしこれを読んでそういう部分に不満を抱き、
可愛いから可哀そうという、
そういうレベルで語っているのかと解釈され、
アライグマの方が被害を受けている農家の方より上に置くという、
ある意味綱吉の「生類憐みの令」みたいに思われたら、
それはひじょうに拙いことだと思う。


もっともこれらが、
被害を受けている人たちにもちゃんと説明し、
了承されてのそれであったらまだいいのですが、
そのあたりもここには明記されていない。

研究者に話を聞いた…、
というので終わりではなくそれを被害者にも伝え、
双方向からの意見を交錯させ精査しなければ、
とてもそれはイーブンなものとは正直言えない。


農家の方だって好きで死んでもらいたいというわけではなく、
最終的なそれはじつは環境団体と同じなのだろうけど、
そのあたりをもっと現場の方たちと話をもっと詰めてほしいし、
それができる団体だと自分は信じたいし、
個人的にはこの団体の考えている方向に、
最終的には落ち着くことが理想とさえ考えている。

だが今はまだそこへの道のりは、
お話にならないくらい途方もなく遠いのも事実。


とにかく現状はまったくよくないし、
将来的な明るい展望も具体的にないこのアライグマ問題。

意見をぶつけあうだけでなく、
より幅のある人たちの意見を聞き、
そして多くの人たちの助力も得て、
この問題をよりよい方向にとにかく早くもっていってほしい。


ネットでみたアライグマ猟が、
日本でも日常にならないようとにかく知恵を出し、
そして有効な対策を講じてほしいです。


アライグマの成獣はとても凶暴という説が強いけど、
凶暴云々にかかわらず、
こういうシーンを日本では正直みたくないです。

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余談

因みにアメリカではこの器用な指先を利用して、
餌に手を突っ込むとしっかりロックしてしまう罠があり、
それでかなり捕獲されているという。

ただ捕獲はともかく殺し方がなかなかエグい。

頭部にライフル等で一撃がほとんどですが、
そのとき多くのアライグマはバタバタとのたうちまわり、
中には足を上に突き出して痙攣しているものもいた。

ただこれはあとで食うためにはベストのそれらしいです。

他にもこん棒でぶん殴って撲殺してるのもありましたが、
そのあとまだバタバタと抵抗しているのに、
そのまんま逆さに吊るして皮剥いだのには仰天。

こりゃ愛護団体じゃなくても一言自分も言いたかったです。

尚、日本は二酸化炭素による窒息が主流らしい。


あと犬をけしかけて殺しているものもあったけど、
(おそらく猟の一環か)
犬がアライグマを駆るときは、
首筋と足の関節部を執拗に狙いにいっている。

おそらく動きを止め殺しにかかっているのだろうけど、
これをみてると犬というより狼だ。

また中には今までアライグマが、
鎖につながれているのをいいことに、
犬の餌を忍び込んでは横取りしていたところ、
ついに犬がブチ切れて、
鎖が外れていた時そのアライグマを待ち構え、
いきなり襲撃して食い殺してしまったらしいという
そんな壮絶なものもあったけどこれは自業自得か。


またこれらのタイワンリス版もかなりあり、
こっちも同じように、
頭部をライフルでバカスカ撃たれまくってました。


ただ驚いたのはこういう画像に、
驚くほど高評価がついてること。

アメリカではもはやこういうのは日常風景で、
ともに害獣に指定されていることもあり、
何の気兼ねなくバカスカ撃ち殺しているのでしょうか。

やはり日本ではこういう光景を、
日常のそれとしてはあまり見たくないです。

ほんとうになんとかしてほしい。

ただ現状では打てる手は限られているからなあ。

国会でも本格的に専門委員会を設置して、
本気でこの問題に取り組んでほしいです。


※日本自然保護協会サイトより

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https://www.nacsj.or.jp/pn/houkoku/h14/h14-no19.html
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今回の地震であらためて感じたこと。 [いろいろ]

まず最初に今回の地震で被害にあわれた皆様にはお見舞いを、
そしてお亡くなりになられた方々には深くお悔やみを申しあげます。


自分は地震をボクシングにおける相手の放つパンチに例える事がある。

つまり見えるパンチに対しては、
衝撃に対してもある程度耐えることができるし準備も可能。

また試合前にいろいろと鍛えたり備えたりすることで、
例え避け切れないものが来たとしても、
それを受けてもある程度対応できるだろう。

だけど見えないところから飛んできたパンチに対しては、
とてもそんな綺麗ごとではすまされない。

確かにボディ等はある程度鍛えられるかもしれないけど、
あごの先端やこめかみ、
さらには鼻のてっぺんやその下部の急所を含む、
首より上からとなると、
瞬時に顔をパンチが撃たれる方向へと向け、
その力を受け流すという高等テクニックもあるかもしれないが、
それでも見えないところからくるそれに対してどこまで反応できるだろう。


今回の直下型地震はまさにそれ。

毎日新聞の以下の記事はそれをまさに物語っていた。


18日朝に大阪市北区などで震度6弱を観測した地震で、気象庁は初期微動の地震波を検知してから3.2秒後、最大震度5弱以上の揺れへの警戒を促す緊急地震速報を出した。しかし、大阪府北部や京都府南部など震源に近い一部地域では、大きな揺れの到達時刻に間に合わなかった。

今回の地震は震源が地下13キロと浅かったため、地震の初めに小刻みに揺れる速い波(P波)を観測してから短時間で、被害をもたらす強い揺れの主要動(S波)が伝わった。大阪管区気象台は「技術的な限界」と説明している。【松本光樹】
https://mainichi.jp/articles/20180619/k00/00m/040/018000c


今回のような直下型の場合、
それこそ土木的な技術云々だけで被害を抑えることなど、
もはや無理以外の何物でもない。
むろし地下にある断層すべてを詳細に地図上に明記できるような、
そういうシステムや技術の向上に資金と人材をより投入すべきだろう。

土木にせよ調査検証にせよ、
人命第一という最終目的さえ同じなら同等に重視し、
持てる力を注ぐべきかと。

だけどその両輪がうまく噛み合ったからといって、
すぐに状況が好転するかというと、
これまたそうはいかないというのが現状。

そうなってくるともはや対応のしかたというのは、
現実問題としてそういう上頼みだけではなく、
むしろ個人対応のレベルが命運を握っているといっていいのかも。


ただこれに関しても、
こういう災害が起きる度に、
同じような注意喚起が一般レベルでなされているけど、
やはりいつも同じような事故や過ちが起きている。

もちろんだからといって、
それを起こした人間全てが愚かだというのではなく、
まったく予想だにしなかったことで、
そういうことが誘発されたしまったケースもあり、
ほんとうにどうしよもないケースがあることも確かなのだ。

よく「備えあれば憂いなし」というけど、
備えあってもダメな時はダメ、
そんなときさらにどうするかという、
考えられるかぎりのケースを想定する。

そしてあまりにもマニュアル化したものではなく、
ある意味大雑把だけど方向性だけはしっかりした、
そういう避難訓練や非常時における決まり事や対応等。

ダウンしてもいいからKOされないような、
そういう粘り腰のある考え方が、
今後はより必要になってくるのかもしれません。


あと最後にこれは酷かった。



地震の発生後、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)では「電車が脱線した」「シマウマ脱走」など、さまざまなデマが相次いで投稿され、瞬く間に拡散した。在日外国人への差別をあおるような書き込みもみられ、「安易に拡散しないように」と注意を呼びかけるメッセージも広がっている。

 18日朝の地震発生直後から、SNSのツイッターには「乗ってる京阪電車が一部脱線してます」などの書き込みが。「脱線ってマジ?」などとすぐ拡散したが、脱線の事実はなかった。

 「外国人がコンビニ強盗を始める」などと、差別を扇動するような投稿も目立った。東日本大震災などでも同様のデマが広がり、各警察がホームページなどで注意を呼びかけた。

 シマウマの写真を添えて「大阪府北部の震度6弱の地震でシマウマ脱走って」との投稿も。この写真は、2016年に愛知県の農場から逃げたシマウマを撮影したものとみられる。

 16年の熊本地震では「動物園からライオンが放たれた」とのデマを投稿したとして、偽計業務妨害容疑で男が逮捕される事件も起きた。熊本市の大西一史市長はこの日、自身のツイッターで「情報の発信元には十分注意して」「未確認の情報をむやみにリツイート(拡散)せず、真偽を確かめてから責任をもってツイートしてください」と呼びかけた。【千脇康平、茶谷亮】

https://mainichi.jp/articles/20180619/k00/00m/040/046000c


さすがにこれは頭の中がお花畑ではすまない、
(人格否定発言をして申し訳ありませんが…)
とてつもなく愚かである意味卑劣な行為といっていいし、
中にはこれが本当なら、

「関東大震災時の東京じゃあるまいしふざけんな!」

と言いたくなるような、
それこそ日本そのものを貶め汚すようなものさえある。

事実なら最初の発信元を特定し厳罰に処してほしい。

ただRTした人まで連帯責任ということで罰するのは反対、
せめて厳重注意くらいにとどめてほしいところ。


それにしてもこういう卑劣な行為に加担したくはないもの、
互いに気を付けていきたいものです。
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「日本列島ほぼ全域描く、最古級の地図発見 広島の博物館」! [いろいろ]

14世紀中ごろの室町時代(南北朝時代)に描かれたとみられる、本州から九州のほぼ全域が記された日本地図がみつかった。広島県福山市の県立歴史博物館が15日発表した。現存する最古の日本地図は京都・仁和寺(にんなじ)所蔵の「日本図」(1305年)とされるが、西日本が欠けており、全体が残った地図では最古級。日本地図の変遷をたどるうえで重要な発見と注目される。

 博物館によれば、確認されたのは「日本扶桑(ふそう)国之図」(縦122センチ、横57センチ)。広島出身の収集家から博物館に寄託された。国内68カ国が描かれ、地図の欄外には国名と郡名、人口や田畑の面積、寺の数なども記された。近畿を中心に九州を上に描き、京都から各地へ街道が伸びている。当時は「琉球(りゅうきゅう)」と呼ばれ、日本と中国などとの中継ぎ貿易で栄えた沖縄も記されている。沖縄を「龍及(りゅうきゅう)国」と表現する鎌倉時代の地図の特徴と、港町の地名が多く記されるなど室町時代の特徴を備え、さらに文字の書体の古さなどから14世紀中ごろの作と判断した。

 博物館の久下(くげ)実(みのる)・主任学芸員は「鎌倉時代と室町時代の特徴がある地図は知られていなかった。空白の期間を埋める資料という点でも重要だ」と話す。

何のため作られた?

 そもそも、日本地図はいつ、何のためにつくられたのか。

 国内で初めて地図がつくられた記録が残るのは飛鳥時代。「日本書紀」は、大化改新で中央集権国家づくりを目指した孝徳(こうとく)天皇が646年、新たな土地制度を始めるため地方の国々の境界を図などで提出するように命じたと記す。「続日本紀(しょくにほんぎ)」にも、738年に諸国の地図を集めたとの記述がある。だが、現存しないため、詳細は不明だ。

 今回の「日本扶桑国之図」には、奈良時代に諸国を巡って社会事業に尽力し、大仏造営に協力した僧行基(ぎょうき)(668~749)の名が記され、行基が原型をつくったとの伝承が残る「行基図」の一種とされる。一部が欠けるが、最古の地図とされる仁和寺と称名寺(しょうみょうじ)(横浜市)所蔵の地図も「行基図」と言われる。

 だが、多くの専門家は、都と地方を結ぶ街道が奈良ではなく、京都を起点に描かれる点などから、いずれの地図も行基のつくった可能性は低いとみる。

 黒田日出男・東京大学名誉教授(歴史図像学)は「行基図に描かれた日本列島は、密教の法具の形を意識している。行基の名が使われたのは宗教的な意味合いが強く、中世の宗教思想によってイメージされた国土を示したものだったのでは」。小野田一幸・神戸市立博物館学芸課長は「行基図の多くは寺に所蔵される。国家鎮護を目的とした祈りのために地図がつくられ、奉納された可能性もある」とみる。

戦国時代には西洋地図や地球儀も

 中世には行基図が改良されながら使われたとみられるが、南蛮船が渡来する戦国時代には西洋の地図や地球儀も伝わった。江戸時代になると、測量技術も発達し、宿場や街道情報を盛り込んだ「流宣(りゅうせん)図」、各地の地図や情報を集めて正確性を高めた「赤水(せきすい)図」などが登場。交通の発達や国防意識の高まりから精度の高い地図が求められ、1821年に伊能忠敬(いのうただたか)(1745~1818)らが海岸線を実際に歩いて測った「大日本沿海輿地(よち)全図」をつくり、現代の地図とほとんど変わらない日本地図が完成した。

 小野田さんは「地図は用途と目的にあわせてつくられるもので、必ず進歩するわけではない。その時代、時代で求められる要素を盛り込み、変わってきたと言える」と話す。

 地図は7月19日~9月24日、博物館(084・931・2513)で公開する。月曜休館(9月17、24日は開館)。(橋本拓樹、渡義人)

https://digital.asahi.com/articles/ASL6H36LKL6HPTFC009.html

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正直ビックリ!

国の名前と位置、
それに街道がメインとして描かれているようだけど、
群名も細かく外に付記されている。

沖縄を「龍及(りゅうきゅう)国」と明記してあるし、
かなり興味深いものがある。

伊豆の「田方」「那賀」「賀茂」、
駿河も「駿東」「志太」をはじめとした七郡の名前が見受けられる。


ぜひ実物をみたいけどから7月から公開とのこと。

場所は広島県福山市の、
JR福山駅から歩いて十分程のところにある、

「ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)」
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/

そういえば福山は「かみちゅ!」でも聖地として有名になったし、
「たまゆら」の「竹原」や、
「この世界の片隅に」の「呉」も在来線で行ける。

そして広島にもさらに多少足を延ばせば行けるので、
夏休みを利用していくのもいいかもしれません。



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死者・不明695人「阪神大水害」の情報求める [いろいろ]

神戸市や阪神間一帯に大きな被害をもたらした阪神大水害から80年となるのを前に、関係自治体や有識者らでつくる実行委員会が、体験談や関連資料などの情報提供を求めている。集めた情報はインターネット上に「デジタルアーカイブ」(電子資料館)として保存・公開する予定で、実行委は「わずかな情報でも貴重な時代になった。断片的な記憶でも寄せてほしい」と呼びかけている。

 阪神大水害は1938年7月3~5日に発生。降り続いた大雨により六甲山麓で無数の山崩れ、土石流が起こり、兵庫県の神戸、芦屋、西宮、宝塚の4市などで、695人の死者・行方不明者を出し、被害家屋は約12万戸に達した。

 水害を契機に、国直轄の砂防事業を行うために設置された国土交通省六甲砂防事務所(神戸市東灘区)や関係自治体によると、水害関連の記録や資料は一定量、公的に保存、管理されている。ただ発生から80年となり、当時を知る世代は急速に減少。個人の記憶や所蔵写真などを社会の教訓として引き継いでいこうと、実行委を結成し、情報収集に乗り出した。

 アーカイブには、これまでに関係機関で収集、保存してきた写真や文書など約2600点を保存。これらに、水害の体験談や地域の被害状況、伝承を聞き取る様子を撮影した動画や、写真・日記・手紙など個人の手元に残る資料を加えた形で公開を検討している。

 公開方法については、「地理情報システム(GIS)」を活用し、資料とゆかりのある場所を関連づけて地図上に表示する仕組みとし、自治体のホームページなどを経由して閲覧できるようにする予定だ。個人利用のほか、小中学校での防災・地域学習、研究者の基礎資料としての活用などを想定している。

 また、撮影場所などが不明な写真は、実行委の研究者らが位置の特定作業も行う。アーカイブ公開に合わせて、シンポジウムなどの記念行事も計画していく。

 実行委事務局を担う六甲砂防事務所の岸本健司副所長は「阪神大水害を知らない次世代が過去の災害を知るための、使いやすい道具としたい。当時を知る本人だけでなく、災害の様子を伝え聞いた家族や知人の皆さんにも協力してもらいたい」と話している。

 体験談や資料の募集は8月31日まで。問い合わせは実行委事務局(平日の午前9時半~午後5時、0120・123・464)へ。(安田弘司)

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180612-OYT1T50087.html?from=ytop_main6


この災害についてはかつて戦前の新聞を調べていた時に、
偶然この記事をみてかなり驚いたという記憶がある。

その後都賀川水難事故でもこの件が扱われていた記憶があるが、
あらためてすさまじい水害だったことが感じられる。

詳しい写真等は、
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%98%AA%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E6%B0%B4%E5%AE%B3&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjY-KKDi9DbAhUGv7wKHTRIBhYQ_AUIDCgD&biw=1112&bih=651



http://www.city.kobe.lg.jp/safety/disaster/flood/flood03_01_00.html
という 神戸市サイト内にある上記コーナー等をご覧ください。

情報のある方は上記連絡先へお寄せください。

よろしくお願いいたします。
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今年の桜いろいろ [いろいろ]

今年みた桜を今頃ちとまとめてみました。

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靖国通り

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千鳥ヶ淵

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上野公園

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坂下門~乾門

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柏尾川

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衣笠山

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小田原城

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光明寺

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境川サイクリングロード

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大岡川

以上です。


沼津や水戸が無かったのが残念。
このあたりは来年以降ということで。


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横浜からみた富士山 [いろいろ]

先日夕方に写真を撮った。

夕方なのでなんとも夕陽も綺麗でした。

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この上の写真の右上部、
最初ふたご座流星群の何かが写ったと思ったけど、
飛行機雲のようでした。

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これから空気が澄んでくるので、
ここからも富士山が良く見えるようになりそうです。
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