安田さんについての雑感 [いろいろ]
「身に起きた事に対しての自己責任という部分を、本人自身が自覚していたのはその発言で分かる。問題はいざそれが起きた時、それは否応なく安田さん自身だけの問題ではなくなってしまうという事まで読み切れなかったこと。ここの部分に対しての自己責任を世間は注視している。
ようするに「ジャーナリスト」としての安田さんと、「日本人のひとり」としての安田さん。この二つに対しての各々の「事故責任」というものをはっきり分けて安田さんが説明しないと、世間は安田さんの仕事や姿勢に理解も共感もしないと思う。「使命」なのか「無謀」なのか。難しいとは思いますが。」
「今の自分の安田さんに対するそれは、『無事帰って来てよかった、お疲れ様。ただジャーナリストとして行ったその志は立派だし分かる気はしますが、結果的に多くの人に迷惑をかけた事に対しては今後どう対応しますか』というかんじ。責めるというより、その姿勢とこれからの展望を聞いてみたい。」
と、自分は過去安田さんに対してのそれを書いた。
ところが最近、テレビ朝日の玉川さんに言わせると、
「日本人のひとり」とか「多くの人に迷惑」というのは、いわゆる「村社会」的発想であって、日本のそれが成熟していないあらわれということだった、
なるほどなあと思ったと同時に、今回の事で考え直さなければいけない事がひとつ浮かんだ。
今回の件、自分は最初これを、
「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告していたにもかかわらず、登山に入って熊に襲われ遭難した大馬鹿者」
と同じ図式にとらえていた。
だが実際には、
「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告している中で、災害にみまわれその被害に苦しみ、しかも熊によって孤立している集落の、その現状を知るため取材に入り、熊に襲われ遭難した人」
という図式だったようだ。
確かにこれだと最初のそれとはかなり様相が違うし、ある意味しかたないという部分もあるけど、それでもやはり「心配をかけさせるな」という部分は人によっては感じるだろう。
そこの部分を玉川さんは「村社会」と言ったのだと思う。
ただ、ならば村社会なりに納得させる。もしくはここまでのバッシングに至らせない手はなかったものかという気もする。
個人的には最初の時に「謝罪姿勢」がハッキリみえなかったことがある。
確かに「誰のための謝罪」とか「わざわざ心配しなくても、これは自己責任だから」と本人が覚悟していた部分を考えれば、そんなこと必要ないかもしれないが、「一応心配」をほとんどの人たちが捕まった時にしていたことを思うと、感謝と謝罪はやはりあって然るべきというのが、日本における「礼儀」であり「奥ゆかしさ」からくる「常識」としてあることは否定できない。
日本が村社会なら、郷に入れば郷に従えということくらいは、帰ってくるときにやはり一考を要してほしかった。ただこれも、ふつうの環境ではないところに三年以上もいたのだから、本人も解放されたとはいえ、まだ通常の神経ではなかったはずなので、そこの部分は大目にという事も言えると思う。なのでそういう部分はマスコミがうまくフォローしてほしかったとも言える。そこの部分は玉川さんはどう考えていたのだろうか。
ただ安田さんに一言言いたいのは、正直、自分の命を少し軽んじていなかったかということ。
かつて冒険家の植村直己さんは「必ず生きて帰ることが本当の冒険」と言われていたとか。
それを思うと、そこまでの考えや覚悟が果たして、そのとき本当に安田さん自身の中で常にあったのかということ。それに対し、安田さんは帰国後、かなり後悔されていると感じられる部分が発言の中にあったので、今後は二度とそういうことがないよう、より厳しく自分をコントロールしてほしい。
今回の件で得た情報や体験、そして反省を広く知らしめることが、これからの安田さんの本当の仕事となるだろう。自分はそこの部分でのこれからを評価したい。
あとこれはハッキリ言うけど、安田さんは英雄ではないし、賢明とも言い難いところがあったし、もしもの事があったら、正直「過失による犬死」になりかねないところだった。運悪く拉致されたものの運良く生きて帰って来た。それ以上でもそれ以下でもない。
そこの部分を安田さんは今回の事のそれとして生涯肝に銘じておいてほしいです。それが生きて帰って来た人としての、せめてもの姿勢だと自分は思います。
ようするに「ジャーナリスト」としての安田さんと、「日本人のひとり」としての安田さん。この二つに対しての各々の「事故責任」というものをはっきり分けて安田さんが説明しないと、世間は安田さんの仕事や姿勢に理解も共感もしないと思う。「使命」なのか「無謀」なのか。難しいとは思いますが。」
「今の自分の安田さんに対するそれは、『無事帰って来てよかった、お疲れ様。ただジャーナリストとして行ったその志は立派だし分かる気はしますが、結果的に多くの人に迷惑をかけた事に対しては今後どう対応しますか』というかんじ。責めるというより、その姿勢とこれからの展望を聞いてみたい。」
と、自分は過去安田さんに対してのそれを書いた。
ところが最近、テレビ朝日の玉川さんに言わせると、
「日本人のひとり」とか「多くの人に迷惑」というのは、いわゆる「村社会」的発想であって、日本のそれが成熟していないあらわれということだった、
なるほどなあと思ったと同時に、今回の事で考え直さなければいけない事がひとつ浮かんだ。
今回の件、自分は最初これを、
「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告していたにもかかわらず、登山に入って熊に襲われ遭難した大馬鹿者」
と同じ図式にとらえていた。
だが実際には、
「巨大な人食い熊が出るから山に入るなと、地元自治体が再三警告している中で、災害にみまわれその被害に苦しみ、しかも熊によって孤立している集落の、その現状を知るため取材に入り、熊に襲われ遭難した人」
という図式だったようだ。
確かにこれだと最初のそれとはかなり様相が違うし、ある意味しかたないという部分もあるけど、それでもやはり「心配をかけさせるな」という部分は人によっては感じるだろう。
そこの部分を玉川さんは「村社会」と言ったのだと思う。
ただ、ならば村社会なりに納得させる。もしくはここまでのバッシングに至らせない手はなかったものかという気もする。
個人的には最初の時に「謝罪姿勢」がハッキリみえなかったことがある。
確かに「誰のための謝罪」とか「わざわざ心配しなくても、これは自己責任だから」と本人が覚悟していた部分を考えれば、そんなこと必要ないかもしれないが、「一応心配」をほとんどの人たちが捕まった時にしていたことを思うと、感謝と謝罪はやはりあって然るべきというのが、日本における「礼儀」であり「奥ゆかしさ」からくる「常識」としてあることは否定できない。
日本が村社会なら、郷に入れば郷に従えということくらいは、帰ってくるときにやはり一考を要してほしかった。ただこれも、ふつうの環境ではないところに三年以上もいたのだから、本人も解放されたとはいえ、まだ通常の神経ではなかったはずなので、そこの部分は大目にという事も言えると思う。なのでそういう部分はマスコミがうまくフォローしてほしかったとも言える。そこの部分は玉川さんはどう考えていたのだろうか。
ただ安田さんに一言言いたいのは、正直、自分の命を少し軽んじていなかったかということ。
かつて冒険家の植村直己さんは「必ず生きて帰ることが本当の冒険」と言われていたとか。
それを思うと、そこまでの考えや覚悟が果たして、そのとき本当に安田さん自身の中で常にあったのかということ。それに対し、安田さんは帰国後、かなり後悔されていると感じられる部分が発言の中にあったので、今後は二度とそういうことがないよう、より厳しく自分をコントロールしてほしい。
今回の件で得た情報や体験、そして反省を広く知らしめることが、これからの安田さんの本当の仕事となるだろう。自分はそこの部分でのこれからを評価したい。
あとこれはハッキリ言うけど、安田さんは英雄ではないし、賢明とも言い難いところがあったし、もしもの事があったら、正直「過失による犬死」になりかねないところだった。運悪く拉致されたものの運良く生きて帰って来た。それ以上でもそれ以下でもない。
そこの部分を安田さんは今回の事のそれとして生涯肝に銘じておいてほしいです。それが生きて帰って来た人としての、せめてもの姿勢だと自分は思います。
soramoyouさま
自分はこの件についての、ネットでの個人攻撃も、また先日の日本外国特派員協会での会見における、外国人記者の方たちの発言や行為も、どちらも強い違和感を感じています。どちらもとても大事なものを欠落させた状態で話が続いてるというか。
とにかく安田さんのこれからを、評価していく時期にきていると思いますし、そうしないとこの三年以上が本当に無駄になってしまうと思います。
nice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2018-11-10 10:29)