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賢治の第九 [宮澤賢治のクラシック]

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Lotte Leonard (ソプラノ)
Jenny Sonnenberg (コントラルト)
Eugene Transky (テノール)
Wilhelm Guttmann (バス)
Bruno Kittel Choir
Berlin State Opera Orchestra
Oskar Fried (conductor)

1929年に録音されたベートーヴェンの第九。
当時58歳の名指揮者オスカー・フリートが
名門ベルリン国立歌劇場管弦楽団と
ドイツ最高の合唱団のひとつといわれていた
ブルーノ・キッテル合唱団を使って録音されたものがこれ。

ときおり前のめりになりそうになるくらい
速めのテンポでぐいぐいおしてくるような演奏だが
過剰な劇的表現などはあまりない。

テンポの変化もかなり見受けられるものの
とにかく前へ前へというかんじの演奏だ。
ところが第四楽章になると雰囲気がかわってくる。

突如音楽がどっしりとした構えをみせ、
地を足につけたような
この曲のもつ巨大な威容のようなものが浮かんでくるような、
そんな音楽となっている。

ただし奇をてらったような無理な威容感はそこにない。
自然な雰囲気の中でそれらが紡がれているといったところだろうか。

そして歌が入ってくるとさらに音楽が変化する。
まるで独唱も合唱も挑みかかってくるような、
かなりの激しさがそこに加わってくる。

それにしても合唱がすばらしい。
多少音程的にあれな部分はあるものの
強さと表現の多彩さが
素晴らしい統一感の中でとても見事に描かれている。

そしてそれらを当時としてはなかなかの音質で録られているのが
このフリートの第九だ。

じつはこの第九を賢治は所持していたという。
SPでかなりの枚数になるこの大作を聴くというのは、
スイッチを入れると一気に最後まで聴くことができる、
今のそれとはかなり違う。

それこそある種の決意の中で聴くというものがそこにはあり、
ひとつの儀式的のようなものさえ感じられる。

だが賢治の作品の中には、
そのような状況下で聴いていたばすの、
この第九に対する記述のようなものがない。

賢治が敬愛したベートーヴェンの、
その最後にして最大の交響曲、交響曲第9番。
これに対しておそらく賢治は
ある種の畏敬の念をもっていたのかもしれない。

同じ「第五」については
自分の目指すべきところはここだとまで言っていたというが、
さらにその上に位置するようにさえ感じられる
この第九についてはそういうことを言うことさえ
憧れと同時に恐れ多いと思っていたのかもしれない。

それだけに賢治がさらに長く健康でいられたら、
その後この曲に対してどう向き合っていったのか、
とても興味深いものがある反面、
それがかなわなかった残念なものも
この演奏を聴いていると感じられてしまうし、
賢治にとって第九はひとつの
それこそ永遠に追い続けた理想であり
ひとつの夢でもあったのかもしれないという、
そんな気持ちにもなってしまいます。

ただもちろんこれらはすべて自分の推測ですし、
賢治がこれをどう思っていたのかは自分は知りません。

賢治の白鳥の歌「銀河鉄道の夜」の向こう側にみていた
ベートーヴェンの交響曲第9番。
賢治にははたしてどのようにうつっていたのでしょうか。

このフリート指揮の第九を聴くたびに、
そういう想いにかられる自分がいます。

最後に余談ですが
「宮澤賢治 その愛」という映画にも
賢治が第九を聴いているシーンがあります。
ただそこでかかっていた第九は
ひょっとするとこのフリートの第九ではないかもしれません。
このあたりはちょっとあれかもしれませんが、
ただそのときの三上博史扮する賢治の表情は、
なにかとてもよくわかるような気がしたものでした。
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