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宮沢賢治最後のコレクション [宮澤賢治のクラシック]

賢治がクラシック音楽を愛し
そしてそれらを創作の源のひとつとしていたことは
弟の清六氏の書かれた書物からも伺える。

またその源となったレコードの内容の一端は
佐藤泰平氏の書籍に詳しく記されている。
だかそれらのすべては
賢治が最後まで所持していたものというわけではなく、
なかには手放したものも多く含まれている。

そのため賢治が最後まで愛聴し
手元におき生涯をともにしたアルバムとなると、
それらがすべてというわけではない。

しかも賢治の死後残っていたレコードの多くが
終戦五日前の花巻空襲で大半が焼失、
残ったのは
○ベートーヴェン交響曲第6番「田園」指揮プフィツナー
○シューベルト交響曲第7番「未完成」指揮クレンペラー
○Rシュトラウス交響詩「ドン・ファン」指揮コーツ
○ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」指揮Aヴォルフ
の四点のみというものだった。

このため賢治が最後どのようなレコードを所持していたかは、
すでに清六氏も亡くなられた現在となっては、
ほとんどが憶測によるものでしかなくなってしまった。

だがいくつかのものはある程度は推測できる。
たとえば「銀河鉄道の夜」に登場したドヴォルザークの「新世界」。
賢治が好んでいたというベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。
そして賢治が「田園」や第九と並んでその購入を喜んでいた、
ベートーヴェンの「荘厳ミサ」がそれだ。

だが問題はそれが誰のものであったかとなると難しい。

賢治は大正七年頃からレコードの収集をはじめたらしいが、
その頃は国産ではなく輸入もののレコードを国内で販売していたが、
その価格はかなり高価だったため、
賢治もレコード収集に力を注いでいたものの、
後年のようにそれほどカンガン購入はまだしてはいなかったようだ。

賢治が本格的に購入しだすのは昭和二年以降。
国内盤として洋楽を扱うレコードメーカーができはじめた頃だ。
この時期は録音方法がアコースティック方式から電気式になり、
このため革新的なほど録音がよくなったため、
オーケストラものを中心とした大編成ものの録音が本格化し、
賢治が大好きなオーケストラものの新譜が大量に出回ることとなった。

だがここでひとつ面白いのは
前述した佐藤泰平氏の書籍に掲載されていた資料によると、
賢治のそれのビクターとポリドールが多いことだ。

特にポリドール。
これはポリドールがビクターやコロムビアに比べて早く発売を開始したことや、
ビクターに比べて価格が安かったということもあるだろうが、
やはり天下のベルリンフィルやベルリン国立歌劇場管弦楽団による演奏が、
ズラリと揃っていたこと、そしてそのサウンドが賢治の嗜好性にあっていたのたろう。

そしてなにより交響楽好きの賢治の心をとらえたとみるべきだろう。
それは後にポリドールから花巻のレコード店に感謝状が贈られるという、
形となってそれはあらわることになる。

だが感謝状が贈られるという規模の購入とはいったいどういうものだろう。
それこそひょっとすると
ポリドールから出ていたオーケストラ関係のものを
ことごとく購入していたということだろうか。

そうなると賢治の購入していたそれは、今現在資料として残されているものよりも、
想像以上にかなり幅が広いものと考えていいと思う。
ひょっとしたらベートーヴェンの交響曲全曲を揃えていたかもしれない。
それどころか古くはマタイ受難曲から
シベリウスの交響曲にまで手が伸びていたかもしれない。
だがそれらはあくまで憶測なのでなんともいえない。

話を戻すが、では前述した「荘厳ミサ」「新世界」だが、
これらがもし最後までほんとうに手元あったとしたたら、
その指揮者は誰かということ。

最初のミサは間違いなくブルーノ・キッテル盤だろう。
発売当時SP11枚組にもかかわらず1千セットも売れたという。
賢治のリストにあるベートーヱ゛ン「弥撒(ミサ) 」は、
間違いなくポリドールのこれと断言していいだろう。

問題は「新世界」」だ、

「新世界」は1924年のハーティ盤を当初所持していたがこれを譲渡している。
ということはおそらく賢治はこれに変わるものを入手したであろうことは、
「ドン・ファン」でもそういう痕跡がみられるので、
ほぼ間違いないとみていいだろう。
手元に「新世界」の現物が無いまま銀河鉄道に着手するとは考えにくい。

候補としては以下の三つ。
○ストコフスキー指揮フィラデルフィア
○エーリヒ・クライバー指揮ベルリン国立歌劇場
○ハーティ指揮ハレ(1927再録)
と思われる。
ベストセラーになったストコフスキー。
賢治が好きなポリドールノのクライバー。
かつてもっていたハーティの再録もの。

正直どれが最後まであったかはわからないが、
個人的にはクライバーかハーティではないかという気がするが、
賢治のコレクションにはメンゲルベルクやストコフスキーといった、
濃厚な味付けの指揮者による交響曲ものが出てこないところがある。
そのためストコフスキーを外したのがはたして…。


とにかくこの問題は今のところ堂々巡り。
それこそ新しい証言や記録が出てこないかぎり、
これは永遠の謎といったところだろう。

本当はもっとこのあたり専門家に詳細してほしいところだが、
なかなかそういう企画もないようだ。
どこか賢治の没後百年までなんとかしてくれないだろうか。

もっともその頃は自分も生きているかどうかは疑問ですが。
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