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宮沢賢治の世界 [音楽]

大阪コレギウム・ムジクムの公式サイト
http://www.collegium.or.jp/index.html

ここに今月と来月に渡り「宮沢賢治の世界」という演奏会の情報が掲載されています。

http://www.collegium.or.jp/archives/2007_09_03_02_26.html
京都公演(邦人合唱曲シリーズVol.13)
「宮沢賢治の世界 その一」

◎2007年9月30日(日) 午後5時開演
会場:京都府立府民ホール アルティ

高田三郎/
 混声合唱組曲「心象スケッチ」より「水汲み」
鈴木輝昭/
 童声(女声)合唱とピアノのための「イーハトーヴ組曲」より
  「星めぐりの歌」、「ポラーノの広場」
鈴木輝昭/
 混声合唱のための組曲「原体剣舞連」より「原体剣舞連」
鈴木憲夫/
 混声合唱組曲「永久ニ」
千原英喜/
 混声合唱組曲「雨ニモマケズ」(世界初演)

http://www.collegium.or.jp/archives/2007_05_25_00_26.html
第17回現代音楽シリーズ
「宮沢賢治の世界 その二」

◎2007年10月27日(土)午後6時開演
会場:いずみホール

ゲスト朗読:常田富士男
照明:船阪義一

木下牧子/「原体剣舞連」
 (混声合唱とオーケストラによる、改訂版)
千原英喜/
 器楽アンサンブルと混声合唱のための
 「原体剣舞連」(世界初演)
林  光/
 「海だべがど」(「高原」合唱版)
 「星めぐりの歌」(バイオリンオブリガート付)
 「冬と銀河ステーション」
 「鳥のように栗鼠のように」
西村 朗/
 同声(女声または男声)三部合唱とピアノのための組曲
 「永訣の朝」より

です。

関西でなければぜひ行きたかったのですかが…。
いい企画ですね。ぜひ関東でもやっていただきたい企画です。

詳細は上記しました大阪コレギウム・ムジクムの公式サイトをご参照ください。


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サリエーリ音楽塾の運命コレクション [音楽]

去る8月18日有明で゜行われたコミックマーケットに行ってきました。

じつはそこでどうしてもほしいソフトが販売されていた。
こういう場所では珍しいクラシック音楽を扱ったサークル
「サリエーリ音楽塾」が出した「運命コレクション」というもの。

つまりベートーヴェンの運命の出だしをいくつも集め
それを聴き比べしてみようというものだ。
けっこうこういうことはいろいろな人が考えていて
かつては「春の祭典」最近では「幻想交響曲」の「断頭台への行進」の
その聴き比べのCDがあった。

だがなぜか運命の出だし聴き比べというのはみたことがなかったし
ある意味自分がこの手のものとして一番欲していたものでもあったので
これはどうしても聴いてみたかった。

で、早速聴いてみたがこれがなかなか面白かった。
ちょっと解説がどうしても聞きづらいものがあったものの
選んだ演奏といいその解説といい
入門用としてはよく出来ていた。
というよりそれ以上に聴き込んでいる人にも
充分楽しめる内容になっているといえるだろう。

これを製作した方々の努力に敬意を表したいと思います。

それにしても新旧いろいろな演奏の運命の出だしを聴いていると
なかなか興味深いものがあります。
できれば次回はレニングラードの戦争の主題の聴き比べとか
チャイコフスキーやラフマニノフのピアノ協奏曲の出だし比べなどが聴ければいいなと
そんな期待もしています。

それにしてもコミックマーケットでこういうものが出てくるとは
時代も変わったものです。


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羽田健太郎氏死去。 [音楽]

ピアニストであるだけでなく、
作曲家、編曲家、としても有名だった羽田健太郎氏が
去る6月2日、午後11時53分、肝細胞癌のため、
東京都新宿区の病院で死去されました。享年58歳。

初めて羽田さんを聴いたのは
音楽コンクールで三位入賞をした後
NHK交響楽団と共演し
ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏した、
その放送をFMで聴いたのが初めてでした。

その後いろいろな分野で活躍され
TVにもよく出演されていました。
自分が初めて羽田さんの実演を聴いたのは三年前。
そのときは羽田さんを初めて耳にした
あの「ラプソディー・イン・ブルー」が演奏され、
それはいまでも印象深いものとして記憶に残っています。

またその翌年にも
モスクワフィルと共演した演奏を聴きましたが
このときアンコールで弾かれた「星に願いを」は
最後に「きらきら星」のフレーズが挿入された
とても美しいものでしたが、
これが自分にとって最後の羽田さんの実演となりました。

そのときはまだまだ元気だっただけに、
ほんとうに驚いていますし残念でなりません。

できればもう一度ぜひ実演を聴きたかったものです。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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YASUAKI SHIMIZU/CELLO SUITES [音楽]

YASUAKI SHIMIZU & SAXOPHONETTES
による
バッハの無伴奏チェロ組曲。

かつて1996年にその1番から3番
そして1999年にその4番から6番までを録音したセッションを
一組にまとめたアルバムが出た。


(VICP-63779~80)

正直たまに音楽におけるジャンル分けというものが
ひどく邪魔というかうっとおしくなることがある。
このアルバムもそのひとつ。

なんといいますか
サックスでやるバッハとはなんと不謹慎!
と眉をひそめるかたもいらっしゃるかもしれない。

たしかにカザルスあたりのそれと比べれば
別世界の演奏といえるだろう。

だが別世界ということは
ようするにそういう通常のものと比較対照することなどかなわない。
ここには素晴らしい音楽というものがあるだけ、
と言い切れることもまた可能というものだろう。

それにしてもなんと詩的というか
不思議なほど響きの静寂と清澄を感じさせられる演奏だろう。
しかもバッハより以前の時代を想起させられるような趣すらここには感じられる。

これまたバッハを冒涜しているといわれるかもしれないが、
ひょっとしたらバッハがこの曲を書きながら
本来思い浮かべていた過去の時代へのオマージュというものを、
この演奏は忠実に再現しているのではないかと、
そんなふうにさえかんじさせられるものがあった。

たしかにこれをバッハではないと言うのは簡単でしょうが
これもまたバッハと言えることもたしかだと思います。

ありとあらゆる環境下で録音されたこれらバッハの全6曲。
そしてそれらがひとつの世界で共鳴しているようなこの演奏。

音楽、じつにいろいろあります。


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ダーティ・ダズン・ブラスバンド [音楽]

じつは残念なことに
このグループにの実演には接したことがない。
斑尾のジャズフェスで会場を練り歩きながら演奏している光景や
ニューオリンズでのフェスティバルでの演奏をTVでみただけなので
正直その素晴らしさというのはあまりわかっていないと思う。

だけどそれをみていると
そのテンションの高さ
そしてテクニックと抜群のコンビネーションからくる
荒くしかも完璧に気持ちとノリがあった演奏が
とんでもないくらい強烈なパッションをもって迫ってくる。
凄いなんてもんじゃなかった。

特にスネアドラム、バスドラ、そしてスーザフォンからなる
ここのリズムセクションはとにかく強烈で
三者が完全に一体となって
うねるように猛烈なビートを叩き出してくる。
この爆発的なパワーはまさに壮絶だし
しかも最高に心地よい。

そんなこのグループの演奏のCD
自分は恥ずかしながら1枚しかもっていない。

ただこれがあまりにも凄くて
満足しきってしまったということもあるのですが…。

その一枚が1985年の7月にスイスのモントルーでのライヴ。

Live: Mardi Gras In Montreux/Dirty Dozen Brass Band

1. Who Took The Happiness Out?
2. Mardi Gras In New Orleans
3. It Ain't What You Think
4. Do It Fluid / Do It Again
5. Flintstones Meet The President, (Meets The Dirty Dozen)
6. Night Train
7. Blue Monk / Stormy Monday
8. Lickity Split
9. Blackbird Special Part 2

一曲目からエンジン全開で
とにかく最高にノリがいいアルバムです。

特に四曲目から繋げて演奏される五曲目
「Flintstones Meet The President」。
日本で「原始家族フリントストーン」といわれていた
あのアメリカの有名なアニメのテーマ曲と
なんとアメリカ国歌がメドレーのように演奏される。
これがまた最高にご機嫌で
会場からもかなりの歓声があがっている。

正直この一枚でこのグループがわかったなどど
間違ってもおもはないけど
その魅力のひとつが感じられるアルバムであることはたしか。

それにしても一度生で聴いてみたいなあ。こういうサウンド…。


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ブルース [音楽]

自分がブルースを聴くようになったのは
ジャズでジョージ・ルイスを聴きはじめたのがきっかけだった。
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2007-02-13
それ以前にもBBを聴いたりしていたこともあったが
いつかブルースというものを聴いてみたい
という気持ちがわいてきたものだった。

その後自分はロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズを聴くことになった。
これらはデルタ・ブルースというものらしい。このあたりは以下の
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9
ウィキペディア(Wikipedia)を参照していただくとして、自分はその後、


THE LEGEND OF SLEEPY JOHN ESTES
スリーピー・ジョン・エスティスの伝説

1. Rats In My Kitchen
2. Someday Baby
3. Stop That Thing
4. Diving Duck Blues
5. Death Valley Blues
6. Married Woman Blues
7. Down South Blues
8. Who's Been Telling You, Buddy Brown
9. Drop Down Mama
10. You Got To Go
11. Milk Cow Blues
12. I'd Been Well Warned

というアルバムを聴いた。
これは随分前に友人に薦められたアルバムで聴いたときもう言葉がなかった。
自分にとって音楽とは何かということまでも深く考えさせられたものでしたが、
それ以上につきなみですが、月並みな言葉ではありますが
「魂の叫び」とはこのことかと強くこのとき感じたものでした。

そして偶然あるブルースマンの映像をみた。
いきなり手のドアップからはじまるその映像とその演奏!
もの凄い気迫とギターに指を叩きつけるような
ほんとうに抉りこむように歌い上げられるその声に圧倒されてしまったものでした。
それがサン・ハウスだった。
そしてすぐに自分はサン・ハウスのCDを買った。それが、

SON HOUSE / FATHER OF THE DELTA BLUES
ファーザー・オブ・ザ・デルタ・ブルース/コンプリート1965セッションズ

(DISC1)
Death Letter
Pearline
Louise McGhee
John The Revelator
Empire State Express
Preachin' Blues
Grinnin' In Your Face
Sundown
Levee Camp Moan

(DISC2)
Death Letter (Previously Unreleased Alternate Take)
Levee Camp Moan (Previously Unreleased Alternate Take)
Grinnin' In Your Face (Previously Unreleased Alternate Take)
John The Revelator (Previously Unreleased Alternate Take)
Preachin' Blues (Previously Unreleased Alternate Take)
President Kennedy (Previously Unreleased)
A Down The Staff (Previously Unreleased)
Motherless Children (Previously Unreleased)
Yonder Comes My Mother (Previously Unreleased)
Shake It And Break It (Previously Unreleased)
Pony Blues (Previously Unreleased)
Downhearted Blues (Previously Unreleased)

自分は特にこの(DISC1)をよく聴いている。

それにしても当時63歳だったサン・ハウスの歌とギターのこの気迫というか怒りというか
ちょっと言葉にならないものがある。
しかもそのギターの音がじつに澄んでいる。
澄んでいるといっても無色透明ではない
どこか音に哀愁というか泣きを押し殺したような
じつに言葉では表現できないものなのですが
雲ひとつ無い青空にものすごくあった音という言い方くらいしかできない。
そんなギターの音がこれまた心に染み渡る。

(DISC1)における「Death Letter」での強烈な気迫と疾走感。
「Pearline」冒頭におけるギターの
まるでゆるやかな風に吹かれなびく麦を思わせるようなその響き。
そして「John The Revelator」の自らの手拍子だけの伴奏による歌声は
敬虔な深い祈りとその祈りに没入せざるを得なかった人々の心の叫びのようなものが
聴くたびに強く心に突き刺さってくる。

自分のところには数えるほどしかブルースのCDはなく
そんな自分がいろいろと言えたものではないのですが
それでもこのサン・ハウス、さらには最初にふれたスリーピー・ジョン・エスティスのそれは
自分にとってかけがえのない音楽のひとつとなっています。

それにしても人間の声ってなんて凄く、なんて哀しいんでしょう。


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「アルバム」とレコード生誕百年 [音楽]

よくCDで「何々のアルバム」という言葉を聞いたり使ったりしていると思います。

まあ、ふだん何気に使用しているのであまり考えないのですが
それでもなぜ「アルバム」なのだろう?…と。

これはCDはもちろんLPの時代からも使われている言葉なので
その人の記録ということでそれを「アルバム」にひっかけたのかなと考えたり、
あの大きさが写真などを収容する「アルバム」の大きさと同じような感じがするので
そこからきたものなのかといろいろ思っていたらじつはそうではなかったのです。

じつは以前昭和11年頃の記事を調べていたらこのあたりのことが偶然わかったのです。
それは…。

この当時多くのクラシックのレコード(SP)は
収録時間が直径 25 cmのものが約3分、同30 cmのものがで約5分ほどだったため
クラシックの場合1曲でも何枚ものSPにまたがることが多く
このためひとつの曲であっても複数枚にまたがる場合
一枚一枚を分売可にしてだいたい各3円として発売していました。

ただこれらををまとめて(つまり全曲)一括購入すると
価格は3円×枚数と変わらないものの、
全てがアルバム仕様として収められるように、専用のアルバムがついてきたとのこと。
これがLPやCDを「アルバム」と呼ぶ語源となったということだったようです。
(ものによっては一括購入の場合総譜がつく場合もあったようです。)

これにはびっくりというか目から鱗でした。
(最近オムニバスの語源がフランス語でいう「乗合馬車」というところからきたということにも
正直新鮮な驚きを感じたものでした。)

で、最近
http://www.niikappu.jp/index.shtml

http://www.niikappu.jp/record/

http://www.niikappu.jp/record/history/nenpyou.htm
をみていたら
来年が日本における「レコード」生誕百年だということもわかりました。

アルバムといいレコードといい
その歴史はなかなか奥深く、そして興味深さ満載といったかんじです。

http://www.tenshodo.co.jp/
(日本で最初に「レコード」という言葉を使用した天賞堂の公式サイト)


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マリアン・アンダースン [音楽]

マリアン・アンダースン      

最近あまり聞かなくなってしまった名前ですが
かつて二十世紀最大の指揮者のひとりといわれた
かのトスカニーニが「百年に一度しか聞けない」とまでいわしめた
不世出の大歌手のひとりです。

1897年にフィラデルフィアで生まれ。
アメリカの黒人アルト歌手。
故郷の高等学校を卒業後、ニューヨークで声楽を学ぶ。
ニューヨーク・フィルハーモニックのコンテストに入賞。
1929年には黒人歌手に対する当時の差別をはねのけカーネギーホールでデビュー。
1930年渡欧して各地でコンサートを開き、センセーションをまき起こした。
その深々とした豊麗な美声がトスカニーニによって
<百年にいちどの声>と絶賛されて有名になり、
彼女の黒人霊歌やドイツ・リートの歌唱は高い評価を得た。
1939年ワシントン憲法記念館への出演をその所有者である白人保守派の婦人団体に拒否され
復活祭の日にリンカーン記念館の階段から75000人もの聴衆を前に歌い
人種平等を求める闘いの世界的なシンボルとなる。
1953年5月に来日。NHK交響楽団とも共演をする。
1955年1月にニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に最初の黒人独唱者としてデビュー。
その後も世界中で活躍し1964年の引退ツアーをあのワシントン憲法記念館ではじめた後
翌年のカーネギーホールでの最終公演にて引退。
その後コネチカット州で長年暮らし
最晩年にオレゴンで甥の現東京都交響楽団の常任指揮者ジェームズ・デプリーストと暮らした後
1993年4月8日に死去。

以上、
音楽之友者:新音楽辞典(人名編)と
マリアン・アンダーソン「黒人霊歌集」のCDライナーノートを参照。

このアンダースンの素晴らしさを最初に教えていただいたのは
じつはオーティス・レディングなどを尊敬していたブルース好きの方でした。
その方は「あれは神の声」と言われたのですが
その後アンダースンの録音を聴いてまったくその言葉に納得しきってしまいました。

今自分の手元にある二枚のCD
ひとつは晩年の1961年と最後の録音となった1964年の録音をひとつにしたもの。
そしてもうひとつが1936年から来日直前の1952年にかけて録音されたものを集めたもの。
(上記写真のもの)

そのどちらも素晴らしいし
ある意味涙無くしては聴けないものがある。
録音的には前者の方がステレオ録音でより良好ではあるが
後者のナチス台頭から朝鮮戦争、東西冷戦の期間に録音されたもので
またかけがえのない素晴らしさがある。

アンターソンのそれはどことなく翳りのある
だがしかしなぜか一点の曇りもない晴朗感がそこにはあり、
ここに収録されている黒人霊歌を聴いていると
心に深く染み入ってくるような感覚を覚えるものがあります。

この「深い」という印象
これは同じく黒人歌手であったポール・ロブスンのそれにもどこか通じるものがありますし
ゴスペルのマヘリア・ジャクソン
さらにはその絶頂期で天逝したキャスリ・フェリアなどにも
どこか共鳴するものがあります。

1952年に録音された
「主を十字架に」と「時に母のない子のように」「お聞き、羊が鳴いている」は
その深さが極まった感さえありますし
「主がわたしの名を変えるなら」「だれも知らないわたしの悩みは」「足どりも重く」は
いつのまにか聴いていて深く頭を垂れてしまうものがあります。

それにしてもアンダースンの声の多彩さには驚いてしまいます。
アルトのような低く深い響きや呟くように語るような歌から
まるでソプラノのような可憐にして明るく跳ね上がるような歌に至るまで
自在にコントロールしながら歌い上げながら紡がれつづけていくその素晴らしさには
正直例えようがありません。
あるときは聴くものすべてを敬虔な祈りの世界へ誘い
あるときは生きているということへのありがたさを噛みしめさせてくれる
このアンダースンの黒人霊歌集。

音楽と歌の素晴らしさと尊さを表した人類の偉大な遺産のひとつ言っていいのかもしれません。

あとひとつ。
アンダースンの伴奏を担当しているビアノのフランツ・ルップ(1901-1992)。
かつてクライスラーの伴奏もつとめたこともあるこの名ピアニストのここでの素晴らしさ
これについても付け加えておく必要があるでしょう。
絶妙なリズムやタッチからくる
あるときはまるで天からの福音のように
そしてまたあるときはまるで合唱のように響くそのピアノの素晴らしさは
もうひとつのアンタースンの心の歌を具現化しているかのようで
この人がいたからこそここまで素晴らしい歌をアンダースンが歌えたのだと
そう強くおもえたものでした。
これもこの黒人霊歌集の大きな聴きものとなっています。


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BBキング [音楽]

BBキングを初めて聴いたのは1989年の5月に有明のMZAでやった
アルバート・キングとのジョイントコンサートだったと思う。

このときのBBは評判では最近歌ばっかりでギターはさっぱり
ということを聞いていたが
MZAでのBBはその噂とは完全に違っていた。

とにかくソロをとるわとるわで歌なんか全然歌わない
それは前半に登場したアルバート・キングに対するものすごい対抗意識からなのか
とにかくガンガン弾き捲くり、
チョーキングもまた随所で決め捲くっていた。
歌を歌い始めたのはかなりの曲をこなしてからで
そのためかアルバートとのジョイントはなくなってしまったものだった。
(おそらく時間が押しまくってしまったためだとおもう)

これが自分にとっての初めてのBBだったわけだが
おかけでそのインパクトは強烈すぎるくらい強烈だった。
自分はこのコンサート以降すぐにBBのCDをいくつも購入した。
特に印象が強かったのが
「ライブ・イン・クック・カウンティ・ジェイル」
あの刑務所ライブである。

いきなり会場の来賓に対するブーイングという異様な雰囲気ではじまるこのライブだが
演奏はその雰囲気をもおもいっきり巻き込んだかんじの
とにかく強烈な演奏だった。

それから自分はBBのライブに極力行くようになった。

1990年のレイ・チャールズとのジョイント
1991年湾岸戦争前夜ともいえる時期に行われた川崎クラブチッタでのライブ
そして同年夏の斑尾のジャズフェスでの演奏
そして中野サンプラザでのライヴと
とにかく行けるものは行きまくった。

なにがそこまで自分をBBのライブに通わせたのかはわからないが
一度このあたりに詳しい友人といったとき
いろいろと解説してもらったものの
やはりその理由はわからずじまいだった。

ただ言えることは自分はとてもついていたといえることだ。
この時期BBは年に一度、場合によっては二度三度と来日してくれたので
自分はその演奏をかなり聴くことができた。
ただ後年はライブ後半に椅子に座っての演奏となったが
それでもその演奏は健在だったしソロもあいかわらずたっぷり聴かせてくれていた。

だがその後しばらくして久しぶりに川崎で聴いたBBはそれまでと違い
かなりソロが短くなっていた。
BBもそろそろ年かなあと思ったその後しばらくして
BBの来日は突然途絶えてしまった。

そのBBを最近久しぶりにTVでみた
その姿は驚くほど老け込んでいたしちょっと疲れているようだった
たしかにもう80歳だ。
しかも当人もTVで自分は糖尿病だと歌っていたし
もう来日はないのかなと、
このときすこし寂しいおもいがしたものでした。

BBは自分みたいな一音楽ファンでR&Bにド素人な人間にも
じつにストレートに響いてくる音楽の持ち主だと思う。
それはギターでも歌でも同じで
とにかく気持ちに真っ直ぐ入ってくる音楽がじつに気持ちいい。

自分がBBを聴いたのはかなり遅いけれども
リアルでその実演を何度も聴けたのはほんとうに幸せだった。
年はとったがBBにはまだまだ元気でいてほしい。

(2015 5/15 追加)
BBが亡くなった。
体調を崩していたので心配していたのですが…。
心より哀悼の意を表します。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2015-05-15


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キング・サニー・アデ [音楽]

代々木第一体育体育館というといろんなものを観たり聴いたりしている。

BBキングとレイ・チャールズのジョイントコンサート
JBことジェームス・ブラウン
エラ・フィッツジェラルドも参加していたJATP83
NHLの日本での公式戦
マジック・ジョンソン・オールスターズの試合
さらにはソニーのアニフェス06 …

だがそれらの中でも最も強烈だったのが
1984年10月26日のジュジュのキング・サニー・アデ&アフリカンビーツによるライブだった。
(因みに大阪公演は10/22大阪城ホール)
その東京公演の模様はNHK総合TVでも1時間に収めて収録されたがそれもまた強烈だったし
翌年再来日し8/3に読売ランドイーストで行われたライブも
LDで発売され何度も繰り返し観たものだった。

このサニー・アデの名前を初めて聞いたのは来日の前年だったと思う。
アイランドレーベルから発売されたLPで
「シンクロシステム」などがとても評価が高かったが
自分もいつの間にかそのLPを聴いて
そのなんともいえない心地よいノリとリズムの洪水に次第にハマっていったものだった。

「Synchro System」

アデの海外での熱狂ぶりは
例えば松岡直也グループが参加しライブ録音も行った
1983年のモントルー・ジャズフェスティバルでのそれが凄まじかったという話もあるとおり
かなりのものが伝わってきており
アデの来日を切望する声もそのときかなり大きくなっていた。

そして1984年10月!そのアデが来日する。
しかもたった一晩だけというのだから
当日の熱気というかできあがり方はかなりのものがあった。
会場は後ろの方にやや空席があったもののほぼ満員の状態だったが
短いMCに続きメンバーの一人があらわれ
ギターで単調なメロディの反復をじつにリズムよく切りはじめると
アリーナの群集が一斉に立ち上がり
そのリズムにのってどんどん踊りながら前に動いていく。
会場の照明が落ち舞台等を照らすライトの光に濃く照らされるその光景は
ものすごいエネルギーをはらみ迫力すら感じられるものがあり
もう最初から会場はアクセルを床まで踏み抜ききったようなテンションの上がり方となっていた。

舞台ではギターのそれにのって次々とメンバーが一人一人とあらわれはじめ
特にトーキングドラムが鳴りだした瞬間
会場が異様などよめきと歓声につつまれたもので
そのあと四人のダンサー兼バックコーラスの男性が登場
これがじつによく動きよく踊りしかも息がぴったりとあっている。
ここでまた会場のボルテージが一段とあがったところで
最後にリーダーのアデが登場。
一度ためて四人のコーラスとともに舞台前面のマイクをつかんで歌いはじめると
もうこれ以上あがるとは思えないほど高まってる会場のテンションが
さらにもうひとつ上のところまであがってしまった。

とにかくほぼ会場の全員が踊るか身体を動かすかしており
アリーナ、一階、二階、
アフリカンビーツのその隙間の無いしかも完璧ともいえるリズムの洪水が
巨大なエネルギーとなってそれこそ大波がうねるように押し寄せ
冷静な人間などほとんどこの空間に存在しないのではというくらいの
多種多様なリズムが空間すべてを完全に埋め尽くした状態が
完全に会場内を席巻しつくしたものでした。

特に「シンクロシステム」に収められていた「マアジョ」と
当時出たばかりの曲「アシェ」はさらにハイテンションにさせられたものでしたが
予想していたとはいえ、とにかくレコードのそれよりも
すべての曲がテンポが全体的に早く、
しかも音のしきつめがより濃縮されたものとなっていたため
とにかくどんなリズム感をもった人でも
待った無しでそのリズムに有無を言わさず巻き込みさらってしまうその「力」に
ほとんどカルチャーショックのようなものさえ感じてしまったものでした。

そう、ノセるというより、あのときは会場にいた一万人を
そっくりリズムに巻き上げアフリカの大地へとさらってしまっていったような
そんな感触が今でもあります。

途中アデにトーキングドラムの奏者が楽器で何かを伝えたときのアデの仕草の面白さや
曲の間中ひたすら四人で踊り捲くり動き捲くるダンサーのエネルギーのもの凄さ
そんなものに感心しながらあっという間に1時間40分が過ぎてしまったのですが
ここで一度音楽にのりながらアデやメンバーが退場したものの
その後、メンバーが再登場、アデも登場してアンコールへ…
だがこのアンコールがじつに1時間もあった。
つまりトータル2時間40分という長尺ものとなったが
その最後
メンバーのほとんどが退場したにもかかわらず
トーキングドラムの一人だけが延々と猛烈なソロに突入
ただただ無心に没我で叩きまくる!
会場はもう大興奮
この途中ドラムを叩きすぎて壊してしまったのか音が突然でなくなると
すぐに横にあった別のトーキングドラムを使って最後に嵐のような追い込みをかけてきた。

この最後の音が力強く〆た瞬間のそのポーンと抜けたような感覚がまた最高だった。
このとき初めて会場が2時間40分に渡るジュジュ音楽の呪縛から解放されたのだが
その次の瞬間にはもうまたその音楽の中に身を委ねたくなるような激しい欲求がくすぶり
けっきょく本当に解放されるにはそれからかなりの時間と日にちを必要としたものだった。

自分にとってこのライブは生涯忘れることの出来ないもののひとつなったのですが
カルチャーショックという意味では
ライオネル・ハンプトンとの初遭遇とはまた違った意味で
最高に強烈な生涯最強の一撃となりました。

その後サニー・アデ台風は次第に沈静化し
今ではその活動もあまり聞かれなくなってしまいました。
アデも今年の9月22日に還暦を迎えるということもあり
もうそろそろ悠々自適となるのかもしれないけれど
なんかもうひと波なにか起こしそうな気がするし
そう思わせてしまうのがいかにもアデらしいといえばらしいのかもしれません。

最近は1987年のシアトルでのライブCDを聴くくらいですが
それを聴くたびにあの代々木の最強の一撃を思い出してしまいます。
できればNHKにあるそのときの音源を使用して
あの1983ライブをぜひCD化してほしいものです。

「Live Live Juju (シアトル・ライブ)」

Altusやってくれないかなあ。


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