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『桑島法子 朗読夜 ~春~2011・rebirth』雑感 その弐 [朗読夜]

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-08-21-1
(上より続く)


文化会館につく。

驚くほど客層の幅が広い
老若男女を問わずとはこのことか。
ツアーのバスらしきものも駐車場についていた。

当初自分もツアーも考えていたが
どうせ行くならいろいろなところもついでにという、
いわばスケベ心が勝ってしまったための単独行とあいなった。

KW.jpg

花巻市文化会館は地方都市によくある典型的な多目的ホールだ。
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bkkaikan/index.html
会場となった大ホールは、
一階席のみのつくりで千人以上が入れるキャパ。
この日は後ろの数列が空いていた以外はほぼ満席というもの。

当日の演目は以下のとおり。

------------------------------

桑島法子 朗読夜 ~春~2011・rebirth

○第一部


雲の信号
洞熊学校を卒業した三人

○第二部

いてふの実

岩手軽便鉄道の一月
曠原淑女
稲作挿話

停留所にてスヰトンを喫す

雨ニモマケズ
永訣の朝
告別

原体剣舞連

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パーカッション:佐藤唯史
ベース:大本政知
ゲスト:牛崎志津子/原体剣舞保存会

今回は自分が聞いた前回の能楽堂とはかなり違う。
(※表参道ラパンエアロの公演は自分は聞いていません。)
というより、前半と後半を入れ替えたような、
そんな構成に今回はなっていた。

このため今回はのっけから重たい話が前半で来た。
「洞熊学校を卒業した三人 」
桑島さんはこの話にかなり力を入れているようです。

記録をみると最初に登場したのが2003年頃のようですが、
今回は2009年の能楽堂公演から間一公演を挟んでの再登場。
これには正直驚きました。

この話、童話としてはたしかにブラックというかシュールだ。

という前に、ところで洞熊って何?
それに洞熊先生っていったい何を生徒に教えたの?
と今回いまさら考えた。
じつは洞熊は熊ではない。イタチ系のアナグマで夜行性の生き物だ。
洞熊先生が眩しくて云々というのはこのことなのだが、
もっと重要なのは洞熊の洞がホラ吹きのそれと同じということ。
しかもこの動物はムジナとも呼ばれていたという。

そうなるともう話がかなりみえてきてしまった。
はっきりいうと三人の生徒もある意味犠牲者なのだ。

そう考えるとこれほど残酷で子供向きと思えない話が
一転だからこそ子供に聞かせるべき童話となるという、
この逆転的な考えがこの話を見事に成立させている。

桑島さんのそれがドロドロとしたことを取り去り
陰鬱さを避けとにかく子供向きの童話としてその解釈を向けたことは
こういうことからじつは転じているのだろう。

だがそれでも前回能楽堂と今回はかなり趣が違った。
前回はやや幻想的なものであったのに対し、
今回はホールのこともあってかよりテンポが早く、
しかもかなりリアルな表情が目立っていた。

おそらく前回と今回でこの話の持つふたつの面、
幻想的な面と、ややリアルに描いていくそれを
あえて自分でこの話の再検証をやったかんじがした。

もちろんどちらが正しいとかそういうことではなく、
この話の深奥には何がひそんでいるのかということを
いろいろと描き出そうというそれは一環という感じがした。

ところでこの前半でひとつ辛かったことがあった。
最初その観客席側にいた桑島さんを照らすライトが
自分のいた場所にひどく眩しかったことと、
ベースとパーカッションの音がかなり大きかったため、
台詞がよく聞き取れなかったこと。
ともに途中からは是正されたことでその後はなんともなかったのですが
これにはちょっと辛いものがありました。

この後15分休憩の後後半。

後半はまずゲストとして登場した牛崎志津子さんとのお二人による、
「いてふの実」
こうして二人で読まれると独特の立体感が出ることに感心。

ただこの話でも聞かれる賢治のもつ独特の
風のもたらす浮遊感というか疾走感というものが
賢治の愛聴していた曲、
リヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」と
どこか重なるものがあった。

そういえば鹿踊りや
この日みた原体剣舞保存会の方々によるそれが
スドヴィンスキーの「火の鳥」のカスチェイの踊りの
あのリズム感というかダイナミックな響きが
こちらも不思議にイメージとして重なるものがあった。
賢治がストラヴィンスキーを好んでいたのは、
その土俗的とも民謡的ともいえる作風だけでなく、
こういう部分にも強く惹かれたのかもしれない。

こうしてみると賢治と音楽というのは
かなり根深いところで密接に繋がっているような気がする。
近いうちにこれに関しては書き込む予定があるが
今回はこれくらいということで。

この後桑島さんの震災へのおもい等を挟み
プログラムは進行。

個人的には会場に来る前に
岩手軽便鉄道の「瀬川陸橋跡」をみてきたせいだろうか、
「岩手軽便鉄道の一月」と
いままでのそれとは違い、かなり力強く決然とした雰囲気となった、
「雨ニモマケズ」
が印象に残りました。
この作品が今までと違いなぜこれほど強い力を込めたかは、
いくつか推測はできるものの今回はあえてこのことに自分はふれません。

この後の「告別」や「永訣の朝」は聞いていて
なぜ賢治のレコードコレクションの中に
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」全曲のコレクションがなかったかという、
その理由の一端がわかるような気がした。
賢治にとっては「悲愴」の、特にその終楽章はやはり辛い音楽だったのか。
妹トシの死と、「悲愴」の終楽章から受けた賢治のイメージ。
もし賢治があと十年長生きしたとしても、
同じような理由からマーラーの交響曲第9番も好んで聴くことはできなかっただろう。
賢治にとって死はあまりにも大きな慟哭であり、
ある意味その彼岸の世界を肯定することでしか解決できない、
それこそ正視することもできない深い闇の底のようなものなのかもしれません。

この後地元の原体剣舞保存会による演舞や
桑島さんの「原体剣舞連」等があったのですが、
自分は時間的な都合のためここで途中退席、

時間ギリキリまでホール外のロビーのモニターで
原体剣舞保存会による演舞を見てから帰路につきました。
こちらは自分のような横浜にいる人間にはなかなか見れないので、
ぜひ最後までみたかったのですが…。

帰りはJR花巻駅から北上駅まで在来線。
そこから新幹線に乗り換えたのですが、
新幹線に乗った直後大宮まで爆睡してしまいました。

そういえばこの日はめだった地震がなかった。
数日前には東北で震度5の地震があり、
なかなか震災後の余震や誘発地震が絶えなかっただけに
少し心配していただけにこれは幸運でした。
そろそろこちらも収まってほしいところです。

しかしそれにしてもとにかく今回は体力の衰えを大痛感。
新幹線で爆睡しただけでなく帰宅後も一時間で完睡状態、
起きたのも昼過ぎという状況。
(雑感のUPが通常より半日以上遅れたのはこのためです)
さすがにもう東北公演には行けないだろうなと思ったところ、
次回はなんと藤沢の湘南台文化センター市民シアターが会場とか。
その気になれば歩いてでも行ける場所。
日にちは来年1月14日。
今度は最後まで聞けそうです。

岩手、宮城、福島、さらには茨城や千葉と青森、
まだまだ完全復旧や復興に遠いかもしれませんが、
今日見てきた花巻の姿も一日でなったものではありません。
ですが何年か後にはかならず
後年の人たちにとってごくふつうの日常の光景が
そこにはきっと存在しているはずです。

この日会場で最後にみた原体剣舞連保存会による力強いそれが、
それを如実に証明していたといえるでしょう。

これをみれただけでもこの日花巻に来たかいがありました。
この貴重な機会を与えていただいた関係者の方々に深く御礼を申し上げます。

最後にこの公演における桑島さんのおもいが実り
被災地すべてが早期復興することを強く祈ります。

以上で〆です。
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