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桑島法子一人語り SORA TO KAZE (9/15) 感想 [朗読夜]

桑島法子 一人語り SORA TO KAZE

(会場)
熊谷文化創造館さくらめいと 風の劇場
(座席)
M列8番

(読目)
高原
岩手軽便鉄道の一月
いてふの実
一本木野
どんぐりと山猫
(休憩)
松の針
雨ニモマケズ
稲作挿話
永訣の朝
くらかけ山の雪
なめとこ山の熊

原体剣舞連

 桑島さんによる賢治作品の一人語りに行った。じつは賢治の本を読むとき、その言葉を聞きその響きを聴くという感覚が自分にはあります。自分以外の人がそれを読んだ時、自分のもつそれらに対するイメージが損なわれないだろうかという部分がたいへん心配で、今までこういう企画にあえてでかけなかったのですが、桑島さんは賢治の作品に並々ならぬ熱意をもって取り組んでいることを知り、今回あえて会場がやや自宅から遠かったもののでかけることとしました。籠原までは自宅から電車で二時間以上。おかけで賢治ゆかりのクラシック音楽でもある、ハーティの新世界、フルトヴェングラーの運命、プフィッツナーの田園、そしてフリートのベートーヴェンの第九を車中で聴きながらの、のんびり道中とあいなりました。

 今回は野外でしかも駅から15分以上歩くという場所でしたが、風も心地よく虫の鳴き声も聞こえ空を行く雲、そして次第に夕暮れのかたすみが引かれることにより夜に向かうという、じつにいい時間帯に行われたこともあり、たいへん心地よく、しかも自分の座席も最後列通路側ということで自分にとっては最適の場所でこの会を迎えることとなりました。(途中やや強い風が吹いたりし、特に舞台付近は建物の関係か風向きによっては風が強く舞っていたようで、これだけはちょっとついてないなという気がしたものでした。この日「風の又三郎」が読まれてたら雰囲気は最高だったかもしれませんが。)

 冒頭舞台袖から「高原」を語りながら桑島さんが登場、続けて「岩手軽便鉄道」が語られここでご挨拶となったのですが、ここで感じたのは今回のそれが自分などが考えていた朗読という淡々としたものではないということで、かなり現代的という感じがしたのですが、「いてふ」に接したとき、桑島さんは劇的かつ視覚的な語り、そして登場人物をはっきりと描ききった生々しく鮮烈なものに感心したと同時に、童話ならこれもありだろうし、囲炉裏できくのどかな語りとはこれは違うのだと、あらためて感じたものでした。

 続く「一本木野」と「どんぐり」は視覚的かつ芝居風のものに遊びの要素も入れたなかなかにぎやかなものになりました特に「どんぐり」はそれが極まった感があり、随所に日常会話的のような話し方を織り込み、緩急をつけていたのが印象的でした。また「とんぐり」で「白いきのこが、どってこどってこどってこと…」というところの「どってこどってこどってこ」というところが、ちょっとおもしろいアクセントをつけた喋り方をしただけでなく、そこだけやや早めに、しかもちょっと素っ気ないくらいにすぐ次のフレーズをかぶせるように話していたのがおもしろく、そこの部分だけがそのため別世界のような雰囲気を結果としてもったことは、この話しがこのあたりから次第に一郎が別世界のちょっとたのしい世界へと踏み込んでいくそれの前ぶれのようにも感じられ、このあたりなかなかよく考えられているなあと、ここでまたひとつ感心してしまったものでした

 ここで休憩となったのですが、ひとつ感じたことに、桑島さんの賢治像と自分のそれに少なからぬ差異が生じ、いろいろと考えさせられることになったことがありました。これは桑島さんという解釈者を通したために生じた当たり前の出来事なのですが、いろいろと感じさせられたのはこの差異が、じつは他ならぬ自分の賢治像に対する具体的な姿であって、桑島さんの賢治像に接することにより、結果自分のもつ賢治像をまるで鏡にうつったそれのように向き合うことになったということ。これによって自分の賢治に対するスタンスが改めて再確認させられたことはじつに大きなものとなりました。もちろん、桑島さんのそれによって自分の知らなかった賢治像を知り感じられこともまた大きな収穫だったのですが。

 因みにこの感覚が生じた原因のひとつに桑島さんの解釈云々もそうなのですが、自分が賢治にもつ感覚「賢治はすべてのものから平等に等距離の場所に位置しなおかつすべてのものに対して最も最短距離にある」というものが、桑島さんの引力に引っ張られた分そういう部分で均衡が崩れたためと思われます。賢治はある意味すべてに束縛されることなく、等しく平等に密接に関わっており、それがドイツやウィーンというものにとらわれることがなかった、自由人ベートーヴェンに強く惹かれることになったというのが自分の持論のひとつにあるのですが、ここから先は脱線も甚だしいのでこれまでということで…。

 後半は四つの詩が続けて読まれましたが、これが起承転結のようなバランスをもって配置されており、これにより賢治の死生観を浮き立たせようとしたようでしたが、ここでその二番目に「雨ニモ」をもってきたのは意外でした。自分はこの作品を賢治のベートーヴェンに寄せた思いの丈をベートーヴェンの第五交響曲になぞらえた作品というふうにみていたのですが、ここではそういう趣はまるでなく、第五行目以降を弱音にかたむけることにより、賢治ののその静かな決意がトシの死と繋がっていることを感じさるだけでなく、続く舞曲楽章風ともいえるような「稲作」のその動的なものを印象づけるものとしていたのには感心させられたものでした。最後の「永訣」はその前の三つとのバランスもあってかマーラーの交響曲第9番を聴くかのようで、その「永訣」を読まれている間、自分の中にはこのマーラーの交響曲第9番の終楽章が延々と鳴り響くこととなりました。桑島さんのそれはまさに永訣のアダージョというべき、極めて清澄な響きに彩られた哀しみの言葉でありました。(それにしてももし賢治がマーラーの第九交響曲を聴いたらいったいどういう感想をもったことでしょう。)

 尚、この詩でも桑島さんは随所に口語的な解釈を施していましたが、これがふつうなら生々しすぎて賢治の清澄な世界を傷つけかねない危険性があったものの、桑島さんはここで清澄な声を使い、しかも弱音に傾けることにより聞き手の耳をそばだたせることにより、以降必要以上な強音を使わずにその言葉の強さを与えることを心がけていたため、その危険性を巧妙に回避していたようでした。桑島さんの清澄な声がドラマ性の包括と繋がっている源の一端をみたおもいがしたものでした。

 最後の「くらかけ山」は桑島さんの語りがじつに自然に全体を支配していたものとなっていました。おそらく先に書いた自分のそれと桑島さんのそれが、この日で最も近しいものとなっていたからでしょう。「この作品は本来こういう作品だったのかも」と感じさせられるほどのこれは秀逸な一品となっていました。ただそれだけに舞台上での炎の演出がやや唐突に感じられ、「一人語り」とは異質の、何か別のものが入ってきたような違和感を感じ、あやうく気持ちが切れそうになったもの事実でして、ここは最後まで桑島さんの語る力にすべてを預けてみるということもひとつの選択肢としてなかったのだろうかと、あそこだけは今でもちょっと個人的に些細ではありますが、不満というか解せないものが気持ちにわずかながらに残っています。(もっともこれが桑島さんのたっての願いであったというなら、これはこれで尊重すべきことなのかもしれませんが…。)

 そして最後の「原体剣舞連」では、前半の「いてふの実」以降椅子に座っていた桑島さんが立ち上がって舞台を歩きながら遠くへ向けて、それこそまるで賢治の故郷岩手にとどけとばかりにこれを読んだのですが、このとき桑島さんの心のひとつのベースが垣間見られたような気がし、なぜこの作品が毎回とりあげられのかということを、なんとなくですが納得させられる気がしたものでした。この作品は桑島さんのひとつの「本質」が思いの丈と自己回帰へのそれへと繋がっていく特別なものなのかもしれません。

 ところでこのときの「原体剣舞連」ですが、その力強さもさることながら、その節回しとリズムのとりかたに自分は驚いてしまいました。それはまるで伊福部昭の「日本組曲」の「盆踊」やシンフォニア・タプカーラの第一楽章をおもわせるようで、このとき伊福部氏の岩手と北海道の「ある共通点」をさした言葉がよみがえってきたものでした。それにしても桑島さんは伊福部氏のこれらの音楽を知っているのでしょうか。もしご存知ならぜひこれらの曲に対しての感想をお聞きしたいところではあります。

 最後の最後でびっくりするような事柄にぶつかってしまいましたが、これはこれからの課題ということで、とにかくこれは実り多き読演会でした。二日間行けなかったのがなんとも残念です。桑島さんには今後もこの企画をぜひ末永く大事に続けていってほしいものです。

 最後にこの二日間、桑島さん及び関係者の皆様、ほんとうにご苦労さまでした。
 このような素晴らしい機会をいただけましたことを心より御礼申し上げます。
 次回もまた好天に恵まれますように。

(所要時間:約二時間[休憩時間約十分強を含む])

※9/18と19に一部加筆改訂。

(追加)
余談ですが桑島さんは小さな会場、できれば野外ということをおっしゃられていたようですが
なぜか自分は次回できれば能楽堂で接してみたいという気がしたものでした。
たしかに中尊寺白山神社能楽殿のような野外能楽堂などがベストなのでしょうが
一度ぜひ能楽堂でという気がとにかくしました。
能楽堂は場所によって落語が語られクラシックも演奏されるということがあるようなので
決して能・狂言のみしか門戸を開いていないというわけではないようです。
そういう幽玄な空間で賢治の言葉がどう伝わるのか
一度でいいですから、ぜひその「気」に接してみたいものです。


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阿伊沢萬

たね様

こういう会は自分ははじめてでして、なんかちょっと自分はここには場違いかなと最初思ったものでしたが、桑島さんの語りこみにひきこまれたことにより、そういう感覚もあっというまになくなってしまいました。

ほんとうは私が桑島さんにnice!をさしあげなければならないのですが…、

nice!ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2007-09-18 21:40) 

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