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ゴジラのインタビューについて。 [ゴジラ]

以前AP通信から「ゴジラ」についての電話取材を受けたという、
そういうことを話したことがあった。 http://orch.blog.so-net.ne.jp/2015-05-25-2

で、その後どうなったかということを、
じつは書くのを忘れていた。

今となってはかなり遅くなってしまったが、
以下のようにそのときのことを使ったものが、
UPされていた。


Godzillas galore, including last year's Hollywood version, stomp on buildings, thrashing about and breathing fire, in a video game going on sale globally mid-July. But don't expect any references to radiation, the mutant reptile's trademark affliction.
Simply named "Godzilla," it's the first video game devoted to the irradiated creature in a decade. It's also the first such game for the Sony Corp. PlayStation 4 home machine, ensuring dazzling digital graphics.

Shunsuke Fujita, the game's producer, is flush with excitement when he speaks about how he and his team are true Godzilla believers, having grown up on the movies. They were very careful to render what he calls its "totally cool" ferocity.

In the original 1954 movie, Toho Co. studios concocted the giant animal that arose as a mutation from nuclear testing in the Pacific. That had special resonance in Japan as the only nation to have been attacked with nuclear weapons.

Gareth Edwards, the director of the 2014 Hollywood Godzilla, also made a point to include backdrop references to atomic weapons and radiation.

But the game steers clear of the horror of both topics and Fujita is reluctant to explain why. What substitutes for radiation in the game is a reference to "energy," which Godzilla sucks up to gain strength.

"We realize radiation is something that can never be disassociated with Godzilla," is all Fujita would say on the topic.

Nuclear issues have become particularly contentious in Japan after the March 2011 tsunami set off three reactor meltdowns at the Fukushima Dai-ichi power plant and irradiated the surrounding area, forcing thousands of residents to evacuate.

Fukushima people face latent prejudice in Japan because of fears, some unfounded, about radiation. Nuclear experts say the levels of exposure were not high or sustained enough to cause widespread health problems but there are some risks, such as the thyroid cancer in youngsters, which is being monitored.

Japan's 48 nuclear power reactors are now offline for a new regime of safety checks. The government wants to restart them but faces opposition from communities and others worried about radiation.

"We aimed for something that was as close to the original interpretations as possible," said Fujita, 29, proudly showing how the 1980s Godzilla can be pitted against the Hollywood Godzilla in a demonstration version of the game.

The fascination for the game developers lay in an arty duplication of the shapes and movements of the various Godzillas, and in recreating the rival monsters in the films, such as the dragon-like King Ghidora, Mothra, which resembles a moth, and the obscure Jet Jaguar, according to Fujita.

"Godzilla is not just a villain, it's also a hero everyone adores, and so this game allows the player to be Godzilla and control Godzilla," he said.

Toho Co. made 28 films in the Godzilla series, starting from the 1954 classic, until it pulled the plug in 2004. The new game allows players to manipulate the various kinds of Godzillas, including the robotic Mechagodzilla, first featured in the 1974 film.

Meanwhile, a resurgence of Godzilla worship has been increasingly visible in Japan, thanks to the Hollywood film. A new hotel in downtown Tokyo with a Godzilla head perched on it, for instance, is growing into a tourist attraction.

Man Izawa, 56, a sales clerk and Godzilla fan, who believes Godzilla is "the biggest star to come out of Japan," wonders how the sensitive themes will get addressed when Toho releases a new Godzilla film next year.

"It will be the first Japanese Godzilla after 3.11," he said, using the widely used term for the Fukushima disaster.

Decommissioning the Fukushima reactors is expected to take about half a century, and scientists are only starting to examine what state the melted cores might be in.

He doesn't blame people wanting to avoid controversy in a game, which could crimp sales, but he marvels at the courage of the first Godzilla film that wasn't afraid to take a stand on nuclear weapons, barely a decade after the end of World War II and the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki.

"The appeal of Godzilla can't be easily explained in words. It's not just about being scary and strong. It's also about its ambiance, its shape, its beauty, like being in awe of a samurai castle," Izawa said.

Fujita is confident the game will be a hit with fans.

"This is a game, made by people who love Godzilla, in which the love for Godzilla has gone wild. I know people who love Godzilla will feel that love," he said.

http://www.thestar.com/business/tech_news/2015/06/01/godzilla-stomps-breathes-fire-in-new-game-tiptoes-around-nuclear-issues.html

その中で自分の登場するところは
赤字で記した「Man Izawa」という部分から後のところだ。

年齢が56になっているが、
これはゴジラ松井の背番号55を思い出し、
洒落てそれにブラス1して56にした次第。
実年齢ではありません。悪しからず。


ここで自分は今回の東宝ゴジラが
311以降初めて東宝がつくるゴジラということで、
多少デリケートな問題がでてくるが、
それをどうやるんだろうということを、
インタビューの中で疑問として提示した。


2014年のアメリカ版のように、
最初にある程度提示しておいて、
その後はゆっくりと色合いを薄めていくのか、
それとも真正面から当たるのか、
もしくは無視するのか、
このあたりがちと心配だったのだ。


ただ1954年のファーストも、
原爆や東京大空襲から10年もたたないうちに、
放射能をまとった怪獣が東京を火の海にするという、
当時としてはよくこんなものつくったなあという、
そんなかんじのところもあるので、
決して前例が無いというわけではない。


これを思ったとき、
今度のゴジラは311の福島原発の被災者のことを思うと、
このへんどうするんだろうということと同時に、
1954年のこの映画の時は広島や長崎、
さらには第五福竜丸の関係者の方々はどう思っていたのだろうという、
そんなことも浮かんできたものだった。


自分はこのあたりのことを自分としてはかなりあいまいな状態で、
このインタビューを受けていたような気がする。

というか結論を出せないままインタビューを終えてしまった、
といった方がいいのかもしれない。


ゴジラはたしかに娯楽映画であるが、
そこには反核の精神がベースにある。

これをはたして今度のゴジラはどう対処するのか、
自分としてはこのあたりお手並み拝見といったところだ。


あとゴジラの魅力については、たしか、

「怖い強いだけではこんなにファンはつかない。
ゴジラには姿や身のこなしに一種の様式美のようながある。
それは城郭や戦艦の魅力と通じるものかもしれない。」

といったような記憶があいまいだがある。


ようするにゴジラはアナログであり保守的なキャラといっていいだろう。

もちろん口から放射能を吐いたり、
それ以前の恐竜や怪獣とはスケールの大きさが違うが、
それは要素としては全体の一割程度。

あとの9割はけっこう古典的な怪獣なのだ。

そういえば今回監督を務める庵野監督のEVAも、
考えてみれば古典的ともいえるやり方に、
ポイントポイントで新しいものを付加したものに感じられる。

EVAもゴジラも不特定多数から支持されているのは、
そういう共通要素によるものなのだろうが、
そんな庵野監督がゴジラをやるというのも、
ある意味当然といえば当然なのかもしれない。


それを思うと今度のゴジラはとても古典的だけど、
ポイントに新しい要素が巧みに付加された作品となるのだろうか。

ただ庵野監督はときおり結論を視聴者に投げすぎる時があるので、
それがはたしてゴジラではどうなるのか、
これまた興味津々といったところだろうか。

というわけでインタビューの件の後日談でした。

因みになんで急にこれを思い出したかというと、
8月6日午前8時15分に黙とうをし終わったとき、
ふと「あれ?そういえば…」となった次第。

うーん、なんかいろんな意味で申し訳ない気持ちです。

それにしても昭和29年「ゴジラ」公開時、
広島、長崎、の被爆地や被爆者の方々は、
「ゴジラ」にどういう印象をもたれていたのでしょうか。

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「ゴジラ」についての取材を受けた。 [ゴジラ]

どうしてそうなったのかはわからないが、
AP通信の影山さんから電話取材を受けた。


それが「ゴジラ」についてである。
正味一時間くらいだろうか。
とにかくなかなかオーソドックスな切り口ながら、
ちょっとユニークかつ捻った質問を受けた。


まあ自分としてはこの手の取材は二度目なので、
そんなに緊張はしなかったけど、
いろいろ話している途中でちょっと面白いことに気が付いた。

それは自分のゴジラに対する考え方に、
矛盾したものが存在するということだった。


そのひとつは自分にとってのゴジラは
第一作から第六作くらいまでがそのほとんどで、
あとはあまりゴジラとして評価していないということ。

だがもうひとつとして、

どの作品もゴジラには変わりない、
観る人それぞれの立ち位置が異なるだけで、
ゴジラには違いない。


というものだ。

ようするに「こだわり」と「愛情」が、
別々の答えを引き出してしまっているのだ。

自分はこの後者の話を取材者の方に話をしたとき、

「1950年のベルリンフィルのベートーヴェンも2000年のベルリンフィルのベートーヴェンも、どちらも形が若干違うとはいえ、ベルリンフィルのベートーヴェンには違いない。ただそれが立ち位置によって見え方や価値観が違ってくるだけだ。」

という意味のことを話した。

(ただひじょうに説明の仕方が良くなかったので、はたしてそのとおり伝わっているかどうかは不明。)

これはじつはそのまま前者における自分のゴジラの考え方も、
そういう立ち位置から来ていると言うことを込みで言いたかったのだが、
やはりそこには何か矛盾したものが感じられて仕方がない。

確かにそれらの矛盾をひっくるめて呑み込んでしまうような、
そんな大きさというか野放図さがゴジラにはあるので、
それがそういう不可思議な考えに繋がってしまうのかもしれないが、
なんともこれだけはおかしな気持ちがしたものでした。


またこのとき原発や放射能の話も絡んできた。

そして今度東宝がつくる新作が311以降はじめての東宝ゴジラであり、
放射能等をどう扱うのか、
なかなか脚本の妙が問われる作品になることも話として出た。

これをアメリカ版のように最初だけそこそこ扱うものの、
その後はうまくフェードアウトさせてしまうのか、
それともけっこういろいろとこのテーマにこだわるのか、
そんなかんじのことが憶測としていろいろと話したりした。

質問者は確かにゴジラのことを聞いているのだが、
そこからマニアの心理だけでなく、
今の日本がつきつけられていることや、
被災地ではない地域における現在の放射能や原発に対する考えというもの、
さらには日本の政府のそれなどもそんなに深刻ではないが、
さらっとだが触れてきた。


このとき、
ああこの取材してきた人はかなり外国というか、
日本を外からみることに長けた方だなあという気がしたものだったし、
言い方は柔らかいが、
けっこうスキが無いというかキレる感じの人という印象も受けた。

そしてそこには日本人に対してのクールな見方も感じられた。

そのため聞いていて、
ああなるほどこういう観方こういう話の展開のしかたがあるのかと、
とても面白く感じだと同時に、
自分探しというか、
自分の中の棚卸みたいなこともしているような気になったものだった。

これはとても貴重な体験だった。


ただ意外だったのはゴジラのことだけでなく、
庵野監督やゲームについてもいろいろと知っていたにもかかわらず、
初代ゴジラの東京蹂躙コースが、
昭和20年3月10日の東京大空襲の米軍の爆撃コースから来ているという、
けっこう有名なエピソードを知らなかったということ。
(ただこれもじつは正確なエピソードではないことをその後知った)

じつはこれが分かった時に、
この人は日本を外から見ることに長けているのかも、
ということに気が付いた次第。

他にもゴジラには「お城」や「戦艦」みたいな、
ひとつの様式美があるという意味の事も話した記憶がある。

音楽について話したかどうかは記憶にない。


まあとにかくいろいろと勉強にも、
そして貴重な経験にもなったひと時でした。

ちなみにこの取材が何時どういう形で表にでるのか、
それとも没になるのかという、
けっこう大事なことを聞き逃してしまいました。

なのでおそらくこれが表に出たとしても、
自分が知らない間に知らない所ででることになる可能性が高いですが、
詳細が分かりましたら掲載いたします。

以上です。
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ゴジラが出た [ゴジラ]

かつて新宿コマ劇場のあった跡地に、
TOHOシネマズ新宿が4月17日、
ホテル・グレイスリーが翌週24日にオープンした。

そしてそこに名物もあらわれた。

靖国通りを渡り西武新宿駅に以降とした途中、
その跡地方向をみるとそれはいた。

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ひたすら近づいていきます。

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でました
GOD.jpg

すでに話題となってるのでご存じの方も多いかと。

それにしても自分以外にも写真とってる方がものすごく多いです。

しかも外国の方もかなりいらっしゃいます。

ゴジラはやっぱり日本最大の国際的スターだったということを再認識。


それにしてもまわりのビルがでかいせいなんでしょうが、
ゴジラの初期原寸ってこんなものかとちょっと意外。

だけど銀座で和光の時計台がまわりのビルに囲まれて、
すっかり小さくなってしまってることを思うと、
東京がここ半世紀でどれだけ大きくなったのか、
それがなんかよくわかるような気がしました。

因みに外形は「ゴジラVSスペースゴジラ」のそれらしいけど、
http://livedoor.blogimg.jp/early_ak/imgs/2/f/2fe3bdd9.jpg
というところをみると大きさはそれとは違い、
むしろ初期の頃のそれを踏襲しているみたいです。

地上から約40メートルのところに高さ12メートルのヘッドですから
だいたいそうなのでしょう。

大洗や鷲宮あたりにつくったらデカくみえるでしょうね。

自分にもしお金があれば、
実物大のゴジラを福島県のいわき市付近につくって、
観光と街おこし、そして復興や被災者援助の役にたてたいところですが。

福島第一原発の方向を睨みながら立っているゴジラの図というのもいいでしょう。

もちろん津波が来た時の避難場所込みなので、
一挙両得といったところです。

そんなことも考えながら〆
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「ゴジラの逆襲」についての雑感。 [ゴジラ]

「ゴジラの逆襲」(1955)という映画がある。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%81%AE%E9%80%86%E8%A5%B2

前作「ゴジラ」が前年の11月に公開。
空前の大ヒットを受けて急きょ制作された続編で、
今回は大阪が舞台というもの。

ただこの作品、
制作期間がわずか三か月程という突貫作業でつくられたため、
かならずしも細部まで詰めた名作とはいえない部分があり、
現在でもあまり評判がよろしくない。


たしかに今みると、
ちと設定に無理があるといったシーンや、
演出的にまぎらわしいシーン、
そして最近知ったのですが、
冒頭に本来あるべきシーンがカットされてしまったため、
その後に登場するいくつかの台詞が、
やや意味不明的な要素を含んでしまったことなど、
決して完成度が高い作品とはいえないし、
ゴジラの造形もやや粗いかんじがしないでもない。


だが自分はけっこうこの作品が好きだし愛着がある。

というのもじつは自分が初めてみた「ゴジラ」映画がこれだったからだ。

この当時まだ小さかった自分は、
じつはガメラは知っていたがゴジラは知らなかった。

自分は当時、
よく宣伝していた「ガメラ対パルゴン」を観に行きたかっのですが、
そのときちょうどテレビでゴジラを夜放送したときがあった。

それが「ゴジラの逆襲」だった。

このとき自分はゴジラを初めてしりそしてそのファンになった。

子供心にみた「ゴジラの逆襲」はとにかく面白いという印象だけが残った。

それから数年が経ち、
ようやく初めてテレビ放送だが第一作「ゴジラ」をみた。

確かに緊張感もあり面白かったが、
ゴジラの二度目の東京襲撃以降からラストまでが、
とにかくなんかダレてしまった。

ゴジラの面白さが人間ドラマで薄められた。
そんなように感じられたのだ。


もちろん今はそんなことはないが、
まだ小さかったころの自分にとって、
最初の「ゴジラ」の後半はかなりつまらなく感じられていた。

それはゴジラが死んだことの衝撃よりもはるかにイメージとして強く残った。


で、最近またこの二作を見返してみたが、
どうも「ゴジラの逆襲」は子供受けがいい作品のような気がしてきたことと、
最初の「ゴジラ」は最近映画館のリバイバルで、
隣に座っていた子供がすぐに飽きだして、
結局東京上陸前に母親とともに帰ってしまったことを思い出し、
ひょっとするとこの二作品、
結果的に見せる年齢の対象が違うのではないかという気がしてきたものでした。


おそらく「ゴジラ」は大人の、
特にけっこううるさ型(失礼)の人には理詰めで、
しかもしっかりとした人間ドラマもあるということで、
受けも評価もいいのかもしれないが、
子供にとってそのあたりが正直邪魔。

「ゴジラの逆襲」のように細かい事にこだわらず、
サクサクと話が進んでいき、
なおかつアンギラスとの怪獣格闘と、
そのときおりみられるスピード感のある戦い方。
(これが編集ミスが生んだ効果というのも面白い)

大阪炎上と神子島でのロケット攻撃という、
二つの特撮の見せ場の存在、
そして何よりもゴジラが早々と登場してくれることなど、
子供にとってはこのサクサク感は、
ある意味ちょっとしたスピード感にも繋がっているように感じられた。

「ゴジラ」のようにじっくりと進められると、
想像以上に子供にはつまらなく作品がうつってしまうということだ。


確かに「ゴジラの逆襲」はいろいろと批判をされているが、
冗漫とか緩慢とかいわれたことは無い。


このあたりが自分は子供受けする要因だと思っている。

はっきりいってしまえば人間ドラマが前作より稀薄で、
その分ストーリーが軽く、
しかもその分怪獣のそれに時間を割いていることが、
この作品の批判の原因であり特長であり、
子供に受ける要因なのではないかということだ。


しかし実際どうなのだろう。

この意見はあくまでも自分のそれだけによるもの。

今の小学生くらいの子供にこの二つを観てもらった場合、
正直どちらを面白いというのだろうか。

じつに興味深いものがあります。


あとこの作品はいろいろとユニークな面もある。


まずゴジラの鳴き声が他の作品と異なっていること。

諸般の事情で本多監督や伊福部昭氏がかかわっていない。

そして時代劇ファンにとって嬉しいのは「透明人間」にも出ていたとはいえ、
これがゴジラシリーズ唯一の登場となった名優澤村宗之助さんの出演。

GS.jpg

東映の時代劇ではあまりにも有名なこの方が出演しているのは本当に驚きだ。
それだけでも必見というものだ。

その他にもいろいろとじつは見所があるのですが、
なんか手厳しい評価が若干独り歩きしているこの作品。

もしまったくみるべきの無い駄作なら、
800万人以上もの観客を動員できるわけはないです。

前作に比べるとたしかに人の入りは86%どまりではあるが、
それでも確かシリーズ第三位の動員数のはず。

まだテレビが一般に普及してなかった時期とはいえ、
やはりこれは凄いというもの。


必要以上に再評価する必要はないが、
なぜ子供の目には前作より魅力ある作品として映ったか。

ぜひそのあたりも意識してみていただくと、
いろいろと穴や突っ込みどころはあるものの、
なかなか楽しめる作品なのではという気がします。


以上です。


因みに今年(2015)の4月24日で公開からちょうど60年、
そしてヒロインの山路秀美役を演じられた若山セツ子さんが、
同じく今年の5月9日に亡くなられてちょうど30年になります。


最後に、
この映画で歌われていた星野みよ子(星野美代子)さん。

後にライオネル・ハンプトンの楽団に所属するなど、
ジャズ歌手として活躍されています。
https://www.youtube.com/watch?v=vVoOvFsJ97o
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「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」をあらためてみた。 [ゴジラ]

2001年暮れに公開されたゴジラシリーズの映画、

「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」

をひさしぶりに観た。


自分はゴジラというと昭和につくられた最初の6作品と、
「ヘドラ」「ビオランテ」を含む8作品以外ほとんど興味が無い。

…というより評価していないというのが本音。

ただ最近いろいろと見返していて、
二つの作品がこの8作品と同じくらいの興味ある作品となってきた。

ひとつは「ゴジラ2000」。

そしてもうひとつが「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」。


「2000」は確かに作品全体としては地味だし見所もそんなにあるわけではないが、
往年の「火星人大襲来」を思わせるようなUFOの存在感や、
根室を蹂躙したあと燃える街をバックに平原を歩くゴジラの姿が、
とても強く印象に残るものがあった。

これで音楽がもっと重量感を強調したもので、
さらにUFOがもっと怖く、
しかも精神的攻撃を仕掛けてきたらさらに面白い作品になったかもしれないが、
これはこれでけっこう自分の興味にあう作品だった。


そしてもうひとつの

「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」

はさらに自分にとって興味深い作品となった。


この作品は平成ガメラシリーズの金子監督が監督だけでなく、
脚本にも加わっていることで公開当初から話題となり、
21世紀に公開された東宝ゴジラでは最高の興行成績を出した。

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ここでのゴジラはとにかくかつてないほど容赦ない、
冷血残忍ともいえる怪獣と化しており、
何か宇宙から来た恐竜型殺人エイリアンというかんじすらするものだった。

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ごらんのように眼が完全に白目となっているし、
今回のゴジラは表情もほとんど無い。

とにかく逃げ回る人間に対しても、
直接的に強烈な放射能熱線を吐きまくる。

しかもそれが強力極まりない。

清水市(付近)ではそれがキノコ雲となって表現されている。

ここまで残忍かつ冷血なゴジラというのは、
かつてなかったのではなかろうか。

最初のモノクロ二作品や「モスラ対ゴジラ」でも、
ここまでの描き方はしていなかった。

そんなゴジラだが、
ガメラの金子監督のいろいろな意味でのゴジラに対する、
思い入れみたいなものがみえてくる。

特に第一作に対するリスペクト感が半端ではない。
箱根に山越しに姿をみせるシーンや、
立花准将の昭和29年の回顧における台詞など、
金子監督に対するゴジラへのイメージが強く投影されている。

また篠原ともえさん演じる女性も、
これまた第一作で山本廉さん演じる大戸島の漁師のリメイクであることも、
それを強く感じさせるものがある。

ラストの二人で海中のゴジラに攻撃をしかけるところや、
最後海に向かっての敬礼シーンも、
第一作のそれぞれオマージュだろう。

ここまで第一作を色濃く意識して制作された作品が、
はたして他にあつただろうかというくらいとにかく色濃くそれらが投影されている。


またゴジラをとにかく「見せる」ことも秀逸で、
ゴジラが焼津の街を歩く遠景や、
タクシーの中からゴジラが歩いてくるときの見え方、
(このシーンはのちのスピルバーグの「宇宙戦争」にも似たようなシーンがあった)
さらにはゴジラとバラゴンが箱根で初めて対峙したときの、
とにかくゴジラが大きくみえる構図など、
ゴジラを夜でのシーンばかりでみせようとしていたかつてのそれとは違う、
ゴジラは白昼でも見せ方ひとつで凄みが出せるという、
そういう監督の自負とゴジラへの信頼のようなものも感じられた。

またゴジラがかなり前傾姿勢で、
ちょっとガメラの動作や姿勢を思わせるものがあった。

そのせいかこの作品でのゴジラは、
ややガメラに似たような姿勢と立ち振る舞いのある、
それでいてその存在は真逆という、
ゴジラを外からみてきた人の感覚というのも感じられた。


そしてここまでゴジラを血も涙も無い怪獣としたため、
その最後もまた容赦がなく、
なんとほとんど木端微塵にゴジラを最後消滅させている。

全体におかしな最新兵器などもなく、
ミニラやベビーなどもすべて削ぎ落した、
じつに緊張感のある作品となっている。


ただそれでもいくつか個人的には残念に思うところもある。

焼津にあらわれたとき海上で真下からゴジラを見上げるシーン。

あれはいらなかったような気がしたけど、
それよりも気になったことがいくつかある。

ひとつは音楽は軽い事。

ゴジラの重さのひとつにはその音楽もある。

伊福部さんの旋律を短く切りながら、
それをブロック状に構築することにより、
メロディを形成しながらも同時に重量感も与える。

特に中低音域の楽器を軸としたそれの効果は抜群で、
これはゴジラ第一作公開当時の映画の音響が今ほどよくなく、
当時のオケの楽器も貧しかったことから、
それらの弱点も補うことを考えてのそれもあったのだろうが、
そこからくる迫力と凄みは無類のものがあった。

だが最近のゴジラのそれはそこの部分が欠如してしまっていて、
なんとも不満大爆発なのだ。

特にバイオリンの薄っぺらい音がメロディを朗々とやられてしまうと、
もういきなり田舎の学芸会なみの陳腐さに陥ってしまってたまらないものがある。

この「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」も、
やはりそういうかんじの音楽で、
そこのところは正直残念なものがあった。

あとこれは趣味の問題だろうが、
このときのゴジラが妙にがに股で歩くのが気になった。

これがガメラならともかく
ゴジラになるとなんかただガサツな雰囲気がして、
それが妙に気になってしかたなかった。

ゴジラは意外と真っ直ぐに足をすり足的に運ぶこどか多く、
それが独特の様式美的なものを感じさせ、
そこから戦艦や城郭と相通じる偉容と荘厳感を感じさせたのだが、
今回はそれがまったく無かった。

ただそのためゴジラがより無慈悲で残忍に感じられるという、
そういうものに繋がったのかもしれないので、
このあたりは最初に書いたように趣味の問題なのかもしれない。


あとこれを観ていてふと思ったのは、

もし「ガメラ対ゴジラ」が金子監督のもとでできたら、
そのときのゴジラはまさに今回のゴジラがイメージされるんだろうなあと、
そんなかんじがちょっとした。

この作品はそんな金子監督の願望のそれも含まれていたのかも。

それと最近「ゴジラ対~」というのが常態かしてるけど、
この作品では久々に「~対ゴジラ」というかんじのゴジラをみたような気がした。

ガメラの場合は間違っても「~対ガメラ」というのは無い。

それもこれも正悪どちらもこなせる…といいますか、
そういことなどどうでもいいところに、
ゴジラというのは存在しているんだなあということに、
なんかゴジラの普遍性のようなものをみたような気がしました。


あとこの作品で焼津をゴジラの上陸地点に設定したのは秀逸だ。

というよりなんで気が付かなかったのだろう。

焼津はあの核実験で被爆した第五福竜丸の所属していた港で、
作品内でもその写真が写されていた。

今までゴジラと放射能云々といってきたのなら、
この焼津とゴジラを結び付けてこなかったのは、
自分も含めてそのあたりの意識が欠落していたのだろう。

この映画はいままでゴジラをみてきた自分たちにも、
ちよっと反省をさせられるものがあった。


因みに焼津にある「焼津市歴史民俗資料館 」には、この第五福竜丸のコーナーがあります。
https://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/index.html

そして福竜丸そのものは東京夢の島にある第五福竜丸展示館にあります。
http://d5f.org/

それともうひとつ。

半世紀たつとゴジラがどういうものか、
もうほとんどの人たちからその詳細な記憶が失われているということ。

ただ巨大でまわりを壊しまくる生物という、
そういうイメージでしかもう残っていないということが、
いろいろなシーンで強調されている。

これなどは災害や戦争、さらには事件などが、
当時はいろいろと騒がれそして語られるものの、
年月が経つにつれそれが薄れていくということに対する、
ひとつの警鐘なのかもしれない。

311も次第にそうなりつつあるような気配があるので、
このあたりはなんかこちらも戒めとして感じられるものがあつた。


話はそれましたが、
そういうわけで久しぶりにみたこの

「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」

はいろいろと興味深く、
そして個人的なお気に入りの作品となりました。

しかし、ゴジラ、ガメラ、ガンダム、ジャイアンツ…。

昭和はなんでこうも不思議と子供に人気のある「G」が多かったのでしょう。

謎だ。


〆です。
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ゴシラ(2014)をみてきた。 [ゴジラ]

godz.jpg
http://www.godzilla-movie.jp/

まず最初に自分が好きなゴジラ映画というと、

「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」
「キング・コング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」「地球最大の決戦」「怪獣大戦争」
「ゴジラ対へドラ」それに「ゴジラ対ビオランテ」

ほとんど昭和ゴジラのものが中心だ。

自分は個人的に「スーパーX」とかいうのが嫌い、その呼称も嫌い。
またミニラやベビーも嫌い。

だからそうとう偏っている。

そういう人間が書いたという前提で了解していただきたい。


因みにネタバレ全開で以下すすみます。


とにかく見せ方がうまい。

だけど正直スピルバーグの「宇宙戦争」や「ジュラシックパーク」を思わせる所が…。

また新怪獣ムートーは「宇宙戦争」のトライポッドや
「ガメラ2」のレギオンの合体型みたいな怪獣だが、
これがギャオスみたいに平気で人間を襲う「悪」として描かれる。

(ただし求愛行動などで生物として描くことも忘れてはいない。もっともエイリアンにはみえてしまいますが。)

これと戦うゴジラは人間には無関心で、
ムートーとの戦いのみに専念するものの、
結果的に人間をかばったり助けたりするような所がある。

これはゴジラの綴りにある「GOD」のそれとひっかけた、
いわゆる荒ぶる神の使いみたいにしようとしているのか。

ただそれだとゴジラよりも大魔神になってしまうし、
初期ゴジラのもつ放射能云々のメッセージも稀薄になってしまうし、
なにより芹沢博士の広島の時計もいまいち生きてこない。

このへんは痛し痒しといったところか。

もっともこの互いのそれを明確にしたため、
作品としては明快になった分とっつきやすく、わかりやすい。

これがヒットした最大の要因だと思う。

他にも旧ゴジラを意識したシーンもいろいろと散見できる。

特にゴジラが海から尻尾を高く伸ばすシーンは、
今から50年前の「モスラ対ゴジラ」のゴジラ登場シーンの、
そのオマージュなのかもしれません。

またおかしな新兵器がでてこないところもいい。

あくまでも通常兵器で戦うそれは、
かなりのリアル性をもたせてくれている。
もっともそれはアメリカだからできるのかもしれませんが。

ただこの通常兵器に頼ったことで、
アメリカ映画得意のアクション要素を強く盛り込んだタイプの領域に、
この映画を引きずり込んだことで、
いい意味のアメリカ風ゴジラができたことも確か。

このあたりの勘所の良さとツボの抑えどころの旨さは、
今の邦画にいちばん欠けてるところかもしれません。


あといかにもアメリカだなと思うところも多い。

主人公がとにかく大活躍して怪獣と闘うといったところ。

このあたりは平成ゴジラのパターンが導入されているようだが、
その描き方がいかにもという感じのアクション満載で、
そういう部分もこの124分という長丁場を飽かさずみせてくれる要因となっている。

考えみると「ゴジラ」で二時間超えという作品は意外と少なく、
あとは­FINAL WARSとエメリッヒ版のそれくらいだろうか。

ゴジラって案外長丁場は経験値が少ないんですよね。

またゴジラが熱線を吐くシーンは意外なほど抑制されているが、
(本来昭和のそれはこんなものなのですが…)
それをみていた兵士のリアクションがいかにもというかんじで、
アメリカでは昔からゴジラのこの熱線を吐くシーンがけっこう受けてるのかなと、
ちょっと気になったりした。

それとエメリッヒ版でも感じたけど、

「アメリカ人のゴジラって爬虫類なんだなあ」

ということ。

日本はどちらかというと哺乳類ぽい、

初代ゴジラのしても爬虫類と哺乳類の中間型といわれながら、
その動きにどことなく様式美と優雅さがあり、
それがまたどことなく哺乳類っぽい印象を与えてくれる。

だが今回もアメリカ版は爬虫類ぽい

下半身が太く首も太く頭が小さい。

これだけだとキンゴジみたいだけれど、
咆哮している顔はまるでビオランテのようだし、
ムートーとの戦いの後倒れているときの顔など、
完全に爬虫類だ。

あと肩から首にかけても爬虫類的な雰囲気が強い。

やはりどこかオオトカゲ状態だが、
本来ゴジラの当初案はその形があのキノコ雲だったとか。

初代のそれをみるとなんとなくわかる気がするが、
やはりこういう核兵器的なものを強くするとアメリカでは受けない…
というか世界的に受けないのだろうか。

平和で戦争もない時代ならともかく、
今のように戦乱とその火種が充満している時代にもかかわらず、
そういうことは受けないというのでそれに背をむけたとしたら、
これはちょっと考え物だ。

まあ別に歴史問題化しようとまでは思いませんが…。


そんな今回のゴジラはたしかに爬虫類的雰囲気が強いが、
それ以上にとにもかくにも重厚だ。

分厚く重厚で、しかも威圧感が凄い。

これはなかなかのものがあった。

だがムートーとの戦いになるとなんか動きに俊敏性がなく、
ちょっと動きが平板な感じがする。

こいつたんなる太り過ぎなのでは?とこのとき思ったりしてしまった。

ようするに鈍重なのだ。

ムートーと戦った後崩れるように倒れるシーンなど

「太り過ぎでヒザ痛めたのかなあ…」

と思ってしまったくらいだ。


ハワイでの戦いもなんかちょこっとだけだし、
三部作の第一作ということらしいので、
多少このあたりは出し惜しみをしたのかもしれない。

ラストがゴジラの海への凱旋?シーンであっさり終わるのも、
そういうことを踏まえてのそれなのだろう。


まあお楽しみはこれからだ。なのかもしれません。

できれば「キングコング」(2005)みたいな、
派手な大暴れを期待したいところですが、
なんかコンセプトがちょっと違うので無理かもしれないですね。


とにかく映画としてはなかなか楽しめました。
ただ自分のように古いゴジラに固執している人間にはどうかな…と。

そんなところです。
でも一度映画館のスクリーンで大迫力でみることをお勧めします。

最低でもその価値は充分ありですから。


余談ですが、


なんでアメリカの怪獣映画って、
怪獣が子供を産む設定がよくでてくるんでしょうか。

「エイリアン」の影響でしょうか。
そういえば冒頭の崩落現場の地下も、
「エイリアン」の第一作のそれみたいですし…。



正直、主人公の親父さんがあんなに早く死ぬとは思わなかった。
いいキャラだったので、最後まで息子とのタッグで活躍してほしかった。

ラストの息子が救助されるシーンで、ヘリに親父が乗ってて、
最後に息子の家族とともにとゴジラを見送るようにしたら、
もっと後味がいいような気がしたのだけどどうだろう。

なんか最近無駄にキャラが死ぬの多すぎです。
イージーな手段に頼らず、
もっと一度出したキャラはその魅力をとことん引き出してほしいです。

初代ゴジラにおける芹沢博士の殉死とはあまりにも違いすぎで、
ちょっとガッカリでした。



この映画をみてある人がこの映画を軍国主義とからめて発言していたとか。

これを言った人にいえることはただひとつ

「ようするにあなたもゴジラが好きで好きでたまらないんでしょ。」

です。

この人きっと自分みたいな昭和ゴジラ大好き人間だと思います。


人類みなゴジラ好き!ゴジラに国境無しです。

…まあもっともゴジラにしてみれば国境なんか全部踏み越えていっちゃうんですけどね。
そのあたりの痛快さもまた魅力なんでしょう。

ゴジラは本来めんどくさいことが大嫌いなんです。

モンスター史上まれにみる大雑把で大らかな怪獣ゴジラ。

それだけに何でもできちゃうけど、そこのところがまた難しい。

個人的には次回は重厚なゴジラから剛直なゴジラになってほしいです。



以上で〆。


(追補)

今ようやくパンフレットを読んだ。

あんまり分厚く中味が濃厚なので読むのを後回しにしていた。

そしてひとつ遅まきながら気づいたことがあった。

今回のゴジラの鳴き方というのが、
とにかく全身を振り絞って共鳴し放出、
そして何かに向けてぶつけるように叫んでいるということだ。

これをみると初代ゴジラが大戸島の山の向こうに初めて姿をあらわし、
天空に向けて号砲一発、雄叫びをあげているあれが重なってきた。

平成ゴジラがその熱線のパワーアップによって、
そちらの方が何か強い自己主張をしているような趣があったけど、
今回は熱線を抑制し、
その咆哮ぶりにより全身を使って自己主張するようで、
原典に戻ったといえるような気がした。

そういえば初代ゴジラの最初のその大戸島での咆哮時、
その声の大きさに「ほおー…」という驚きのような声が小さく聞える。

もともとゴジラの咆哮って、
それひとつひとつがひとつの「魂」であり、
だからかつては凄みと迫力があそこまででるんだなあと、
あらためて痛感させられました。


あと暗くて云々という声をネットでみかけるけど、
「ゴジラの逆襲」よりはみやすいしそんなに気にならないし、
むしろ初期のモノクロゴジラ時に感じた、
照明の当て方のうまさによる凄みの演出のようなものが今回感じられた。

これに関してはいまやアメリカの方がそのエキスをうまくくみ取り、
そして理解し昇華し使用しているという気がした。


ただ…


やっぱり首のあたりがトカゲだよなあ。

できれば足をより太くして喉のあたりを少し細くすると、
多少雰囲気が変わると思うんだけどもう無理か。

このあたりは個人個人の好みの問題でしょう。

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上が1954、下が2014。
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「ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版」を観てきました。 [ゴジラ]

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http://godzilla1954.jp/
(公式サイト)

『ゴジラ』公開。観客は映画館に押し寄せ、渋谷・道玄坂の上映館(渋谷東宝)では次回上映を待つ列は駅前の交差点を越え、ハチ公像にまで及んだという。観客動員は961万人。縦横無尽に暴れまわるゴジラの凶暴性。見るもの全ての度肝を抜いた特撮技術。
切なさに満ちたラブストーリー。そして痛烈に込められた原水爆反対のメッセージ。
60年の時を経た今年、ハリウッド版『GODZILLA』が製作されるなど、今なお、世界中に影響を与え続けている「ゴジラ」。
「色あせないメッセージ」「時代を超えるストーリー」・・・。
そしてデジタルリマスターによって蘇る映像、音声によって「ゴジラ」は新たな伝説となる。

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と上記公式サイトにもある、
「ゴジラ」第一作が劇場で上映されるということで、
大雨警報が出て電車が徐行運転してるにもかかわらず、
桜木町の映画館まで行ってきました。

百人ほどのキャパの所で一日三回ほどの上映で、
自分はそのうちの午後にあった二度目に行きました。

意外にもかなりの入りで、
しかも老若男女を問わない幅広い層に、
ゴジラの不朽の人気のそれをみせつけられました。

ですが、隣にいた小学生らしき男の子にはいささかきつかったらしく、
もう私語し放題の、氷しか入っていないカップをストローで音をたてて飲むなど、
モノクロ映画ということもあり、もう観る気など早々と失せてしまったらしく、
ゴジラが最初に品川に上陸する以前に、
母親と一緒に退場してしまいました。

初期の「ゴジラ」が子供向きでないということを、
じつに如実にに証明した出来事でした。

ただそれはそれこれはこれ、
リマスターされた映像と音はかなり素晴らしく、
以前は気付かなかった背後での人の動きや、
終盤芹沢博士や尾形達の研究室での会話で、
その背後に静かに流れていたBGMが、
驚くほど強い説得力をもってしっかり耳に届いてきたりと、
いろいろなことを発見したり感じたりすることができました。

特にゴジラにあたる照明がじつに素晴らしいことを再確認。

平成ゴジラが安っぽくなってしまう要因のひとつとなっていることに、
じつは演出云々以外に、その照明がけっこう影響しているのですが、
リマスターされたことにより、
よりゴジラにあたる証明が鮮烈なほどの強さと重さをゴジラを与え、
それが凄いほどの迫力と不気味さを醸し出しているのに正直感動すらしてしまいました。

自分はこのゴジラ第一作は
演出等のかなり拙劣ともいえるシーンや、
タイアップがらみのものもあるとはいえ、
いささか冗漫に感じられるようなシーンがけっこうあり、
しかもゴジラによる首都炎上シーン以降が、
その首都炎上シーンの弩迫力の特撮シーンのために、
かなり緊張感が緩んだように感じられ、
その存在価値は不朽のものがあることは認めるとはいえ、
作品全体の完成度はそれほど高くないというふうに思っていた。

だが今回のリマスターでその印象はかなり変わった。

たしかにおかしなシーンが変わるまでもなく、
またみえてはいけないものがよりはっきりみえてしまうということはあるものの、
細部の細かい出来や、
背後からうき上がるようにより明確にBGMが聴こえるようになったことで、
演技をしっかりと音楽が支えそのため印象がかなり変わったシーンがあったり、
この映画がに対する不満がすべてではないにせよ、
かなり薄まったことは確かだった。

特に首都炎上以降にそれが顕著に感じられた。

この作品が好きな方にはぜひ一度見ていただきたい出来と、
そういえるほどのこれはなかなかのものとなっています。

因みに上映期間が二週間ほど(6/20まで)のところがほとんどなので、
そのへんを劇場に行かれる方は充分ご注意ください。


それにしてもゴジラはやはり古いタイプのキャラクターだ。
昭和の雰囲気のある街並みとゴジラはじつによくあっている。

こういうキャラに「スーパーエックス」とかいうものは、
正直子供は喜ぶかもしれないが、
やはりなんか感覚的にそぐわないという気がする。

もっともゴジラは古いけど何にでも柔軟に対応してしまうキャラでもある。

他の怪物キャラ、
ドラキュラ、狼男、フランケンシュタイン、半漁人。
またジェイソンやフレディ、それにジョーズなどは、
確かにゴジラ同様恐ろしいキャラかもしれないが、
ゴジラは彼らと違い、
子供にも大人にもどこかペット感覚で好かれるような、
そんなとっつきやすさをもっているせいか、
シリアスからコミカルなものまでなんでも時代に即応して柔軟に対応してしまう。

それは「キングコング対ゴジラ」と「モスラ対ゴジラ」という、
ある意味かなり性格づけが各々違うゴジラが登場した両作品とも、
ひじょうに高い評価を受けていることでも証明されていると思う。

それが本来全身から放射能を発散させるという、
核爆弾の化身ともいえるような存在であるにもかかわらず、
結果、ガメラと同様に、子供に受ける怪獣になてしまうという、
ふつうに考えれば有り得ないようなことを可能にしてしまった、
そんな要因のひとつにもなっていると思う。

それがゴジラにとって幸福なことなのかどうかは、
いろいろと人それぞれ意見が分かれるだろうが、
60年経っても忘れ去られることなく、
新作が作られ公開されているのだから、
それそのものに対してはじつに幸せなことだと自分は思っている。

と、とにかくそんなとめどもないことをいろいろと考えてしまうほど、
このゴジラ第一作のリメイク版は自分に強く印象を与えてくれました。

以上です。
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ゴジラの歩いた道を行く。 [ゴジラ]

今年(2014)ゴジラ生誕60年ということですが、
いよいよ「ゴジラ」の新作が今夏公開される。

https://www.youtube.com/watch?v=MhAQT9ybsqg

もうすでにアメリカでは公開されているが、
そんなこともあり少し前ですが、
1954年のゴジラが東京に上陸したコースを一部歩いてみた。

ゴジラは1954年版では二度東京に上陸している。

最初は品川付近にちょこっと上陸した程度ですが、
挨拶がわりに品川の操作場と八ツ山橋がやられている。

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現在は上の通り橋もかつてとは雰囲気も変わり、
あのときの雰囲気もすでに一変している。

そして二度目の上陸。

こちらはもう少し北の田町付近からの上陸といわれている。

途中いろいろなものがある。
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上陸したあたりは第一京浜が走っている。
ゴジラはその後、銀座新橋方面に向かうため自分もこのまま北上する。

田町付近
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金杉橋
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新橋駅付近
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ゴジラはこの間いろいろとビルを倒し
そして口から放射能をまき散らし火の海にしていく。

GHKのアナウンサー曰く。

「今やゴジラの通過したあとは炎の海と化し、見渡せば銀座尾張町から新橋、田町、芝、芝浦方面はまったくの火の海です。」

この台詞の前にゴジラ二つのものを壊していく。
ひとつは銀座松坂屋、そして和光の時計台。

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だがなんと松坂屋は解体されていて今は無い…!
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もちろんタイアップによって倒壊を免れた、
あの森永の広告塔もすでにかなり以前に無くなっている。
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だがあの和光の時計台は健在だ。
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ここにくるとゴジラの大きさがじつに実感できる。
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その後ゴジラは有楽町の日劇を尻尾で一撃くらわす。
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たが今はもうそこも様変わり。
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ゴジラが感電したJRの高架線は今も健在。
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その後ゴジラは国会議事堂を壊し
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皇居を迂回した後上野浅草方面から隅田川を南下、
勝鬨橋をひっくり返して海に消える。
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今回自分はこの新橋まで終了。
すでに国会議事堂も勝鬨橋もふだんから何度も行ってるので、
今回は割愛しました。

因みにこのゴジラ街道は、
かの東京大空襲のと時B29の通った飛行コースと同じとのこと。

最初はただゴジラによる東京の名所めぐりかと思ってました。

しかしあの空襲から10年も経たないうちに、
再度東京が火の海になるような作品をつくるとは。

当時はこういう火災に対する嫌悪感はそのため今以上にあったようで、
前出の松坂屋や和光は大クレームを東宝に入れたそうです。

それにしても今やゴジラの破壊した遺構で現存するのは、
時計台、国会議事堂、勝鬨橋、といったところくらいでしょうか。

さすがに60年という年月は長いものです。

ちょっと今回は最後しんみりとなった旅でした。


因みにこういうものが公開されます。
http://godzilla1954.jp/
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ゴジラは哺乳類? 爬虫類? [ゴジラ]

くっだらねえ疑問かもしれないが、
この前四国に行く深夜バスの中、
眠れないこともありふと思ってしまったことがこれ。

たしかに設定ではゴジラは恐竜が原爆の放射能を浴びて云々、
というのがそのはじまりだった。

だがゴジラ第一作の本編や予告編をみると、
「怪獣」とはいっているが「恐竜」とはひとこともいってない。
山根博士がゴジラをみたときの第一声も

「ジュラ期の生物」と言っている。

しかもその後も「生物」と発言している。

第一作のゴジラをみてみると、
よくよく考えると衝撃的なシーンがある。

ゴジラ以前の怪獣もしくは恐竜は、
ほとんと四足歩行型のものが多く、
例え二足歩行であっても
身体を前方に倒し尻尾で前後のバランスをとるという、
そういうタイプのものがほとんどだった。

それがゴジラの最初の全身があらわれるシーンでのこと。

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いきなり垂直姿勢に近い二足歩行。
しかもそのほとんどをそれで通している。
しかも尻尾はバランスをとるということはなく、
自分の意志で動きまわるというもので、
これはほとんど哺乳類の世界というべきかもしれない。

またそのゴジラという名前も
「ゴリラ」「クジラ」「クマ」という名前が想起させられるが、
そのすべてが哺乳類。

だが自分がゴジラを哺乳類と思わせる最大の要素、
それは着ぐるみによる撮影ではないかという気がしている。
爬虫類の皮をかぶった哺乳類というべきなのだろうか、
とにかくそういう雰囲気が着ぐるみからとにかく漂ってくる。

そのせいだろうか
海外版のゴジラが著しくゴジラを想起させなかったのは、
そのスタイルや容姿だけでなく、
やはりCGという撮影によりそういう要素がなくなり、
爬虫類の要素が大きくなったことが大きかったような気がしたものだった。

平成以降のゴジラも変にゴジラの体型のみリアル嗜好になったせいか、
こちらもまた哺乳類感覚が薄れていたような気がした。

正直自分の理想のゴジラは設定やセットはリアル志向、
ただしゴジラのみは哺乳類着ぐるみ感覚を身に着けたもの、
というものなのだろうと、あらためて思った次第だった。

だから三丁目の夕日の
http://www.youtube.com/watch?v=X_uCcaaIavc
こういう雰囲気にゴジラがもう少し二本足で背筋を伸ばし、
哺乳類着ぐるみ感覚が加えられたものが自分のお気に入りなのだろう。

間違っても「~エックス」みたいな陳腐な空想兵器など
登場してほしくないといったところだ。

次回アメリカ版のリメイクゴジラ、
はたしてどちらに近いゴジラなのだろうか。
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モスラ対ゴジラ [ゴジラ]

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いきなりとんでもない顔のアップだが、
この可愛げもくそもない、
極めて性悪な顔をしたゴジラこそ
1964年に制作された「モスラ対ゴジラ」のゴジラだ。

この映画は怖くて悪いゴジラが登場した最後の作品だ。
相手がベビーフェイスのモスラということもあり、
今まで以上にヤバい顔つきにしたのだろうが、
正直壁紙にしたもののすぐにやめてしまった。

ゴジラ好きの自分でさえこれなのだから、
当時このゴジラはどう受け取られたのだろうか。
因みにこの二年前の「キングコング対ゴジラ」のそれは
以下のような顔つきだ。

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このときは世はプロレスブームということもあり、
なかなか愛嬌のある仕草をみせたりしていたが、
今回のそれはそういうことは一切無しだ。

たしかに足が滑って名古屋城に激突したり、
妙に間抜けなシーンがいくつかはあるものの、
「ゴジラの逆襲」以来本格的に子供受けしないゴジラがそこにいた。

またこの登場シーンも秀逸だった。

この映画ではその全身どころか姿の一部さえ、
本篇開始三十分以上まったく姿をあらわさない。
これはゴジラシリーズとしては極めて珍しいケースだ。

そしてその登場シーンが強烈だ。
おそらく歴代作品の中でも最も鮮烈な登場のしかただろう。
音楽の付け方がさらにそれに輪をかける。

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「いきなり尻尾かよ!」

というくらい初めてみたときはビックリした。
これ劇場で観ていた人は座席から一瞬飛び上がったのではなかろうか。

これを観ていると、これはひょっとして二年前に公開された、
「椿三十郎」のラストの三十郎と室戸の対決シーンのオマージュではなかろうかと、
そんなことすら思ったものだった。

この1964年にはじつはもう一作ゴジラ作品がつくられている。
「三大怪獣・地球最大の決戦」という作品だ。
そして後半ゴジラはついに正義の味方への一歩を踏み出すことになる。
それを思ってこの映画をみると、なんともいえないものを感じてしまう。
もうこういう怖いゴジラは登場しないのだろうか。

※「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」もそうなのかもしれませんが、でも正直言うとあれは怖いというより残忍というかんじの方が強いゴジラという気がするのですが…。

そういえばハリウッド版ゴジラの新作が制作されていることが先日発表された。
今回はかなりシリアスなものになると監督が言ってたがはたして…。
ちょっと期待して待ちたいと思う。

因みになんで急にこんなことを書いたかというと、
「モスラ対ゴジラ」の冒頭が台風のシーンだったからだ。
ただそれだけです。


あとどうでもいいことかもしれないが、
この作品で熊山役を演じていた田島義文さん。

前作と次作では自分が船長をしていた船がともにゴジラに沈められ、
この作品でもホテルで虎畑にピストルで撃たれ倒れているところを、
そのホテルごとゴジラに壊されやられてしまっている。

よっぽどゴジラに好かれていたのでしょう。
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