ゴジラの歩いた道を行く。 [ゴジラ]
今年(2014)ゴジラ生誕60年ということですが、
いよいよ「ゴジラ」の新作が今夏公開される。
https://www.youtube.com/watch?v=MhAQT9ybsqg
もうすでにアメリカでは公開されているが、
そんなこともあり少し前ですが、
1954年のゴジラが東京に上陸したコースを一部歩いてみた。
ゴジラは1954年版では二度東京に上陸している。
最初は品川付近にちょこっと上陸した程度ですが、
挨拶がわりに品川の操作場と八ツ山橋がやられている。
現在は上の通り橋もかつてとは雰囲気も変わり、
あのときの雰囲気もすでに一変している。
そして二度目の上陸。
こちらはもう少し北の田町付近からの上陸といわれている。
途中いろいろなものがある。
上陸したあたりは第一京浜が走っている。
ゴジラはその後、銀座新橋方面に向かうため自分もこのまま北上する。
田町付近
金杉橋
新橋駅付近
ゴジラはこの間いろいろとビルを倒し
そして口から放射能をまき散らし火の海にしていく。
GHKのアナウンサー曰く。
「今やゴジラの通過したあとは炎の海と化し、見渡せば銀座尾張町から新橋、田町、芝、芝浦方面はまったくの火の海です。」
この台詞の前にゴジラ二つのものを壊していく。
ひとつは銀座松坂屋、そして和光の時計台。
だがなんと松坂屋は解体されていて今は無い…!
もちろんタイアップによって倒壊を免れた、
あの森永の広告塔もすでにかなり以前に無くなっている。
だがあの和光の時計台は健在だ。
ここにくるとゴジラの大きさがじつに実感できる。
その後ゴジラは有楽町の日劇を尻尾で一撃くらわす。
たが今はもうそこも様変わり。
ゴジラが感電したJRの高架線は今も健在。
その後ゴジラは国会議事堂を壊し
皇居を迂回した後上野浅草方面から隅田川を南下、
勝鬨橋をひっくり返して海に消える。
今回自分はこの新橋まで終了。
すでに国会議事堂も勝鬨橋もふだんから何度も行ってるので、
今回は割愛しました。
因みにこのゴジラ街道は、
かの東京大空襲のと時B29の通った飛行コースと同じとのこと。
最初はただゴジラによる東京の名所めぐりかと思ってました。
しかしあの空襲から10年も経たないうちに、
再度東京が火の海になるような作品をつくるとは。
当時はこういう火災に対する嫌悪感はそのため今以上にあったようで、
前出の松坂屋や和光は大クレームを東宝に入れたそうです。
それにしても今やゴジラの破壊した遺構で現存するのは、
時計台、国会議事堂、勝鬨橋、といったところくらいでしょうか。
さすがに60年という年月は長いものです。
ちょっと今回は最後しんみりとなった旅でした。
因みにこういうものが公開されます。
http://godzilla1954.jp/
いよいよ「ゴジラ」の新作が今夏公開される。
https://www.youtube.com/watch?v=MhAQT9ybsqg
もうすでにアメリカでは公開されているが、
そんなこともあり少し前ですが、
1954年のゴジラが東京に上陸したコースを一部歩いてみた。
ゴジラは1954年版では二度東京に上陸している。
最初は品川付近にちょこっと上陸した程度ですが、
挨拶がわりに品川の操作場と八ツ山橋がやられている。
現在は上の通り橋もかつてとは雰囲気も変わり、
あのときの雰囲気もすでに一変している。
そして二度目の上陸。
こちらはもう少し北の田町付近からの上陸といわれている。
途中いろいろなものがある。
上陸したあたりは第一京浜が走っている。
ゴジラはその後、銀座新橋方面に向かうため自分もこのまま北上する。
田町付近
金杉橋
新橋駅付近
ゴジラはこの間いろいろとビルを倒し
そして口から放射能をまき散らし火の海にしていく。
GHKのアナウンサー曰く。
「今やゴジラの通過したあとは炎の海と化し、見渡せば銀座尾張町から新橋、田町、芝、芝浦方面はまったくの火の海です。」
この台詞の前にゴジラ二つのものを壊していく。
ひとつは銀座松坂屋、そして和光の時計台。
だがなんと松坂屋は解体されていて今は無い…!
もちろんタイアップによって倒壊を免れた、
あの森永の広告塔もすでにかなり以前に無くなっている。
だがあの和光の時計台は健在だ。
ここにくるとゴジラの大きさがじつに実感できる。
その後ゴジラは有楽町の日劇を尻尾で一撃くらわす。
たが今はもうそこも様変わり。
ゴジラが感電したJRの高架線は今も健在。
その後ゴジラは国会議事堂を壊し
皇居を迂回した後上野浅草方面から隅田川を南下、
勝鬨橋をひっくり返して海に消える。
今回自分はこの新橋まで終了。
すでに国会議事堂も勝鬨橋もふだんから何度も行ってるので、
今回は割愛しました。
因みにこのゴジラ街道は、
かの東京大空襲のと時B29の通った飛行コースと同じとのこと。
最初はただゴジラによる東京の名所めぐりかと思ってました。
しかしあの空襲から10年も経たないうちに、
再度東京が火の海になるような作品をつくるとは。
当時はこういう火災に対する嫌悪感はそのため今以上にあったようで、
前出の松坂屋や和光は大クレームを東宝に入れたそうです。
それにしても今やゴジラの破壊した遺構で現存するのは、
時計台、国会議事堂、勝鬨橋、といったところくらいでしょうか。
さすがに60年という年月は長いものです。
ちょっと今回は最後しんみりとなった旅でした。
因みにこういうものが公開されます。
http://godzilla1954.jp/
1954年の「ゴジラ」をみると当時の東京と現在のそれとの違いが分かりなかなか興味深いものがあります。この当時の特撮はけっこう当時の街の様子がいろいろと細かく描かれていてけっこうそういうところにも関心の対象が個人的にはあります。それにしても意外に品川から有楽町まで歩くとけっこうな距離があったように感じられました。でかいビルが多いからでしょうか。
makimaki様、いつもnice! ありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2014-05-22 23:42)