「ゴジラ」についての取材を受けた。 [ゴジラ]
どうしてそうなったのかはわからないが、
AP通信の影山さんから電話取材を受けた。
それが「ゴジラ」についてである。
正味一時間くらいだろうか。
とにかくなかなかオーソドックスな切り口ながら、
ちょっとユニークかつ捻った質問を受けた。
まあ自分としてはこの手の取材は二度目なので、
そんなに緊張はしなかったけど、
いろいろ話している途中でちょっと面白いことに気が付いた。
それは自分のゴジラに対する考え方に、
矛盾したものが存在するということだった。
そのひとつは自分にとってのゴジラは
第一作から第六作くらいまでがそのほとんどで、
あとはあまりゴジラとして評価していないということ。
だがもうひとつとして、
どの作品もゴジラには変わりない、
観る人それぞれの立ち位置が異なるだけで、
ゴジラには違いない。
というものだ。
ようするに「こだわり」と「愛情」が、
別々の答えを引き出してしまっているのだ。
自分はこの後者の話を取材者の方に話をしたとき、
「1950年のベルリンフィルのベートーヴェンも2000年のベルリンフィルのベートーヴェンも、どちらも形が若干違うとはいえ、ベルリンフィルのベートーヴェンには違いない。ただそれが立ち位置によって見え方や価値観が違ってくるだけだ。」
という意味のことを話した。
(ただひじょうに説明の仕方が良くなかったので、はたしてそのとおり伝わっているかどうかは不明。)
これはじつはそのまま前者における自分のゴジラの考え方も、
そういう立ち位置から来ていると言うことを込みで言いたかったのだが、
やはりそこには何か矛盾したものが感じられて仕方がない。
確かにそれらの矛盾をひっくるめて呑み込んでしまうような、
そんな大きさというか野放図さがゴジラにはあるので、
それがそういう不可思議な考えに繋がってしまうのかもしれないが、
なんともこれだけはおかしな気持ちがしたものでした。
またこのとき原発や放射能の話も絡んできた。
そして今度東宝がつくる新作が311以降はじめての東宝ゴジラであり、
放射能等をどう扱うのか、
なかなか脚本の妙が問われる作品になることも話として出た。
これをアメリカ版のように最初だけそこそこ扱うものの、
その後はうまくフェードアウトさせてしまうのか、
それともけっこういろいろとこのテーマにこだわるのか、
そんなかんじのことが憶測としていろいろと話したりした。
質問者は確かにゴジラのことを聞いているのだが、
そこからマニアの心理だけでなく、
今の日本がつきつけられていることや、
被災地ではない地域における現在の放射能や原発に対する考えというもの、
さらには日本の政府のそれなどもそんなに深刻ではないが、
さらっとだが触れてきた。
このとき、
ああこの取材してきた人はかなり外国というか、
日本を外からみることに長けた方だなあという気がしたものだったし、
言い方は柔らかいが、
けっこうスキが無いというかキレる感じの人という印象も受けた。
そしてそこには日本人に対してのクールな見方も感じられた。
そのため聞いていて、
ああなるほどこういう観方こういう話の展開のしかたがあるのかと、
とても面白く感じだと同時に、
自分探しというか、
自分の中の棚卸みたいなこともしているような気になったものだった。
これはとても貴重な体験だった。
ただ意外だったのはゴジラのことだけでなく、
庵野監督やゲームについてもいろいろと知っていたにもかかわらず、
初代ゴジラの東京蹂躙コースが、
昭和20年3月10日の東京大空襲の米軍の爆撃コースから来ているという、
けっこう有名なエピソードを知らなかったということ。
(ただこれもじつは正確なエピソードではないことをその後知った)
じつはこれが分かった時に、
この人は日本を外から見ることに長けているのかも、
ということに気が付いた次第。
他にもゴジラには「お城」や「戦艦」みたいな、
ひとつの様式美があるという意味の事も話した記憶がある。
音楽について話したかどうかは記憶にない。
まあとにかくいろいろと勉強にも、
そして貴重な経験にもなったひと時でした。
ちなみにこの取材が何時どういう形で表にでるのか、
それとも没になるのかという、
けっこう大事なことを聞き逃してしまいました。
なのでおそらくこれが表に出たとしても、
自分が知らない間に知らない所ででることになる可能性が高いですが、
詳細が分かりましたら掲載いたします。
以上です。
AP通信の影山さんから電話取材を受けた。
それが「ゴジラ」についてである。
正味一時間くらいだろうか。
とにかくなかなかオーソドックスな切り口ながら、
ちょっとユニークかつ捻った質問を受けた。
まあ自分としてはこの手の取材は二度目なので、
そんなに緊張はしなかったけど、
いろいろ話している途中でちょっと面白いことに気が付いた。
それは自分のゴジラに対する考え方に、
矛盾したものが存在するということだった。
そのひとつは自分にとってのゴジラは
第一作から第六作くらいまでがそのほとんどで、
あとはあまりゴジラとして評価していないということ。
だがもうひとつとして、
どの作品もゴジラには変わりない、
観る人それぞれの立ち位置が異なるだけで、
ゴジラには違いない。
というものだ。
ようするに「こだわり」と「愛情」が、
別々の答えを引き出してしまっているのだ。
自分はこの後者の話を取材者の方に話をしたとき、
「1950年のベルリンフィルのベートーヴェンも2000年のベルリンフィルのベートーヴェンも、どちらも形が若干違うとはいえ、ベルリンフィルのベートーヴェンには違いない。ただそれが立ち位置によって見え方や価値観が違ってくるだけだ。」
という意味のことを話した。
(ただひじょうに説明の仕方が良くなかったので、はたしてそのとおり伝わっているかどうかは不明。)
これはじつはそのまま前者における自分のゴジラの考え方も、
そういう立ち位置から来ていると言うことを込みで言いたかったのだが、
やはりそこには何か矛盾したものが感じられて仕方がない。
確かにそれらの矛盾をひっくるめて呑み込んでしまうような、
そんな大きさというか野放図さがゴジラにはあるので、
それがそういう不可思議な考えに繋がってしまうのかもしれないが、
なんともこれだけはおかしな気持ちがしたものでした。
またこのとき原発や放射能の話も絡んできた。
そして今度東宝がつくる新作が311以降はじめての東宝ゴジラであり、
放射能等をどう扱うのか、
なかなか脚本の妙が問われる作品になることも話として出た。
これをアメリカ版のように最初だけそこそこ扱うものの、
その後はうまくフェードアウトさせてしまうのか、
それともけっこういろいろとこのテーマにこだわるのか、
そんなかんじのことが憶測としていろいろと話したりした。
質問者は確かにゴジラのことを聞いているのだが、
そこからマニアの心理だけでなく、
今の日本がつきつけられていることや、
被災地ではない地域における現在の放射能や原発に対する考えというもの、
さらには日本の政府のそれなどもそんなに深刻ではないが、
さらっとだが触れてきた。
このとき、
ああこの取材してきた人はかなり外国というか、
日本を外からみることに長けた方だなあという気がしたものだったし、
言い方は柔らかいが、
けっこうスキが無いというかキレる感じの人という印象も受けた。
そしてそこには日本人に対してのクールな見方も感じられた。
そのため聞いていて、
ああなるほどこういう観方こういう話の展開のしかたがあるのかと、
とても面白く感じだと同時に、
自分探しというか、
自分の中の棚卸みたいなこともしているような気になったものだった。
これはとても貴重な体験だった。
ただ意外だったのはゴジラのことだけでなく、
庵野監督やゲームについてもいろいろと知っていたにもかかわらず、
初代ゴジラの東京蹂躙コースが、
昭和20年3月10日の東京大空襲の米軍の爆撃コースから来ているという、
けっこう有名なエピソードを知らなかったということ。
(ただこれもじつは正確なエピソードではないことをその後知った)
じつはこれが分かった時に、
この人は日本を外から見ることに長けているのかも、
ということに気が付いた次第。
他にもゴジラには「お城」や「戦艦」みたいな、
ひとつの様式美があるという意味の事も話した記憶がある。
音楽について話したかどうかは記憶にない。
まあとにかくいろいろと勉強にも、
そして貴重な経験にもなったひと時でした。
ちなみにこの取材が何時どういう形で表にでるのか、
それとも没になるのかという、
けっこう大事なことを聞き逃してしまいました。
なのでおそらくこれが表に出たとしても、
自分が知らない間に知らない所ででることになる可能性が高いですが、
詳細が分かりましたら掲載いたします。
以上です。
今夏も、サンフランシスコの近くで、ゴジラ祭りがあります.....
http://www.baltheatre.com/event/2f856263236f9de06b853073a3406bea
by サンフランシスコ人 (2017-04-19 07:45)