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巨匠の響きよ永遠に!藝大に遺されたレコード2万枚の危機を救う [クラシック百物語]

2013年に、世界的なSPレコード研究家、クリストファ・N・野澤氏(1924-2013)が半世紀以上にわたって収集したクラシック音楽のSPレコードコレクション2万枚以上と、愛用の蓄音機が東京藝術大学附属図書館に寄贈されました。

このコレクションは、クラシックでは国内最大級の規模を誇り、歴史的に貴重な音源が多数含まれています。しかも、SPレコードを蓄音機で聴くと、とても豊かでリアリティのある、素晴らしい音がします。

現在、コレクションの1割程度が利用可能な状態で、これらを使用して蓄音機コンサートを開催しています。しかし、残った9割のSPレコードは段ボールに入ったまま地下倉庫や図書館事務室に積んだままになっています。

2017年から2018年にかけて、現在、書架が満配の図書館が改築・改修され、レコードを保管する場所の目処が立ちました。これを機会にレコードを棚に並べたいのですが、重く、割れやすく、反りやすいSPレコードは、LPと違い縦置きの保存ができません。横向きに10数枚ずつ積んで保存する必要があるため、保存箱に収納して書架に並べる予定です。しかし、2万枚のSPレコードを保存するには、保存箱1箱に15枚入れたとしても1300箱が必要な上、何箱か重ねて収納できる丈夫さも求められます。

SPレコードを段ボール箱から保存箱に入れ替えることができれば、レコードリストを作る作業を始められます。また、リストが完成すれば、様々なテーマで蓄音機コンサートを開催することができます。2015年から蓄音機コンサートを10回以上開催していますが、使用したいレコードが見つからないことが頻繁にあります。

全てのレコードが使えるようになれば、蓄音機コンサートが開催できるだけでなく、演奏史の研究や、演奏家の研究に役立てることができるようになります。

そしてそういった活動や研究を通して、SPレコードと蓄音機というメディアの素晴らしさ、過去の大演奏家や忘れられた演奏家の素晴らしさを多くの方に知っていただきたいと考えています。


「 巨匠の響きよ永遠に!藝大に遺されたレコード2万枚の危機を救う」(クラウドファンディング - Readyfor のサイトへ)にぜひともご支援をお願いいたします。


(photo : 東京藝術大学 デザイン科 視覚伝達研究室 叶子萌)

http://geidainozawa.tumblr.com/


SPレコード2万枚という物凄さは、
ちょっと想像を絶するものがある。

しかもSPはひじょうに割れやすいし欠けやすい。

保存には細心の注意が必要だ。


しかもSPの多くは、
CDはもちろんLPにも復刻されていないものが山ほどある。

野澤さんのコレクションはあまり把握していないけど、
宮沢賢治のクラシック本の音源を提供してくれたのが、
他でもない野澤さんだったことを思うと、
その内容の貴重さはもう言わずもがなだろう。


それにしてもこのコレクションが藝大に行ってたことさえ、
自分はぜんぜん知らなかった。

とはいえ知っていたとしても、
何か自分にできていたとはとても思えない。


とにかく現状をこのように伝えるのが、
今自分ができることのひとつ。


ただ本当はレコードはどんどん消耗していくので、
できれば同時進行で、
CDに復刻されていないものだけでも、
どういう媒体でもいいから、
音だけでも保存したいところ

中にはひょっとして、
世界にこれが最後の一枚みたいな、
とてつもなく貴重な音源もあるかもしれない。


ほんとうは藝大だけでなく、
NHKや国会図書館、
さらには東京文化会館資料室あたりと共同して、
保存データ化すべきではないだろうか。


まあ外野の意見なのであれなのですが、
とにかく現時点での最良の保存状況をなんとか確保したいものです。


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南西ドイツ放送交響楽団 [クラシック百物語]

すっかり忘れていたけど、
先月(2016年9月)シュトットガルトで、
南西ドイツ放送交響楽団の第一回演奏会が行われたという。



このニュースを聞いて

「?」

と思われた方も多いかもしれないが、
じつは今年の7月をもって、
「シュトゥットガルト放送交響楽団」
(Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR)
「南西ドイツ放送交響楽団  バーデン=バーデン・フライブルク」
(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg)
この二つが合併
南西ドイツ放送交響楽団
「SWR Sinfonieorchester」
となった。

ようするに南西ドイツ放送の傘下のオケが、
ひとつになったということだ。

かつては三つあったというこの放送局のオケは、
これでついにひとつとなった。


かつてこのオケの合併に反対、
著名な指揮者を含む多くの反対署名が行われたが、
けっきょく経費削減のそれには勝てず、
こういうことになってしまったとか。


両オーケストラとも録音も多く、
また来日公演もしたことがあり、
おなじみのオケだっただげに、
この合併は正直ショックの方も多いだろう。


これにより音楽という面での文化が、
この地域にどう変化をもたらすかはわからないが、
未だ音楽監督が不在というのが、
今のこのオーケストラり現状を物語っているといっていいのかも。

第一回の演奏会はエトヴェシュ・ペーテルが指揮したらしいが、
彼が就任するのかというとどうなのだろう。

ステファヌ・ドヌーヴやフランソワ=ザヴィエー・ロトの、
どちらも続投しなかったのは正直いたいことだろう。


とにかく早くこのオーケストラの次の舵取りを決め、
再度この地域の主軸となってほしいところです。

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マーラーの「復活」の自筆譜競売へ。 [クラシック百物語]

m5.jpg

【8月18日 AFP】クラシック音楽界の巨匠グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860~1911年)の希少な直筆の楽譜が競売にかけられることになり、香港(Hong Kong)で17日、公開された。

 競売を主催するサザビーズ(Sotheby's)によると、この全232ページの楽譜は交響曲第2番「復活(Resurrection)」の完全な自筆譜。英ロンドン(London)で年内に競売にかけられ、落札予想価格は手書きの楽譜としては史上最高値の350万ポンド(約4億5600万円)。

 オーストリアの作曲家・指揮者マーラーは10曲の交響曲を手掛けたが、サザビーズによると、完全な楽譜が競売にかけられたことはこれまでに一度もないという。「これは本当に優れた歴史上の偉人の手書きの楽譜を手にする一生に一度あるかないかというチャンス」と担当者はコメントしている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3097863?pid=


凄いニュースだけど、
こういのって、
国と企業等がお金出し合って然るべきところで保管、
資料館等で常設展示、
中身をすべてネットでみることができるという具合に、
人類全体の遺産として管理公開すべきではなかろうか。

凄いニュースだけど、
ちょっと複雑な気持ちです。

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バカどもに蹂躙される演奏会 [クラシック百物語]

音楽評論家の東条碩夫さんが、
その演奏会のリポートを書き込んでいくサイトがある。

自分のように演奏会に行かなくなった人間にとって、
それはとてもありがたいサイトで、
いつもけっこう楽しく読ませていただいている。


だが最近その東条さんの文に、
ここ数年一部の聴衆のマナーに言及することが増えてきている。


しかもときおり、
かつてみられることのない厳しい発言もみかけるようになった。

そして最近ついにこういう発言があった。

「「トリスタン和音」が解決し、消え去るように終ったあとの感動的な静寂を破った狂気じみた下品な声のブラヴォーの主は、全く人間性を疑われるべき、音楽テロリストと称してもいいほどの輩だが、不快な体験の記憶は早く消し去り、演奏の素晴らしさだけを心に残すことにしよう。」
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-2483.html

クラシック音楽の聴衆のマナーとモラルの低下は、
ここ数年特にいろいろと言われるようになっている。


しかもその問題行為をしている人は、
初心者や若い人たちではなく、
すでに中高年といわれる人であり、
クラシック音楽をある程度聴いている人たちがほとんどと聞く。

こういう人たちは、
そこそこプライドが高いせいか、
あまり人の意見を聞かない傾向がある。

だがだからといってやっていいことと悪いことがある。


自由と無秩序を単純にただはき違えているのか、
それとも「精神の叫び」ならすべてが正当化されると、
本気で勘違いしてるのかはわかりませんが、
鉄オタが線路内に不法侵入して列車を止める蛮行とこれはまったく同じ。

いやもっときついことを言わせてもらうなら、
炎上覚悟で言ってしまうが、
これはオウムのサリンやISの自爆テロと、
正直行動原理はまったく同じといっていいと思う。

自分がスッキリすればあとはどうなってもいいのか。

他人の感動をぶち壊し、
心の中を土足でズケズケと踏み込むような、
そういう行為をしてもいいのか。

自分以外はみんなクズとか、
自分は他人より感受性豊かな優れた聴き手だからしかたないとか、
そういう傲慢な思考がベースにあるから、
他人のことなどおかいましなのではないか。

そんな人としておかしな考えに凝り固まった、
自分よければすべてよしみたいな、
そんなバカで非常識な考えで演奏会になど絶対来るな。

聴衆というより、
それ以前に人としてやりなおしてから来い。

おととい来やがれだ。


多くの評論家がこういうことに対し、
「声明」を連名で出さなければいけないのかもしれないが、
ただそれはそれで情けないし救いがたい話ではありますし、
ごくごく一部のおかしな人たちへのメッセージということを思うと、
そんなことしても肝心の当人たちには、
まったく効果が無いのは火をみるより明らかだ。


いったいいつまで、
こういう一部の輩の暴挙に、
その他大勢の真面目な聴き手が巻き込まれ、
我慢しなければならないのか。

サッカーみたいに、
こういう人はフーリガンとみなして出禁にしなければならないのか。

ただそうするにしても、
こういうものの線引きってとても微妙でデリケートな問題だし、
そう簡単にできないのはこちらも分かっているし、
だからこそこの問題が今の今まで、
手がなかなかつけられないということにもなっている。


それにしてもどうしてこんなことになってしまったのだろう。

おそらくどこかにそういう聴き手に共通した、
致命的な勘違いの元凶があるような気がするのだが、
それがなかなかわからないというのも我ながら情けない。

一度こういうこに関して、
精神医療の関係の方から意見を聞いてみたいものです。


ああしかし、
こんなことを言わなければならない時代になったとは…
東条さんの嘆きが聞こえてきそうです。
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ニューヨークフィルの次期音楽監督にヤープ・ファン・ツヴェーデン決定 [クラシック百物語]

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Jaap van Zweden wordt dirigent van het New York Philharmonic, een van de meest gerenommeerde symfonie-orkesten ter wereld. Van Zweden (55) volgt Alan Gilbert op, die het orkest sinds 2009 leidt en eind volgend jaar terugtreedt. Over zijn opvolging werd al bijna een jaar lang gespeculeerd. Van Zweden begint in het seizoen 2017-2018 en wordt een jaar later chef-dirigent.

http://nos.nl/artikel/2083173-jaap-van-zweden-naar-new-york-philharmonic.html


ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンとは驚いた。

現在いくつかポストを持っているが、
そこから一足飛びでアメリカのトップオケのひとつのシェフになった。


そんなに派手ではないけど実力のある指揮者という、
そんなかんじを受けていたけど、
かなりアグレッシブな感じの演奏もしているということなので、
そういう意味では面白い人選なのかもしれないが…。


しかしこのオケとの客演はともかく、
果たしてトップに立つとなるとどうなんだろう。


ひじょうに興味深い、
正直にどっちに転ぶか分からないけど、
とにかくここはひとつじっくりと様子をみたいところです。


MTTじゃなかったんですねえ。

とにかくちょっと驚いてます。


http://nyphil.org/
NYPOの公式サイト
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年末に第九を聴くと…。 [クラシック百物語]

いつもあることを思い起こしてしまう。

それはシューベルトとブラームスのこと。


ブラームスはシューベルトがとても好きだったという。
ドヴォルザーク、グリーグ、ヨハン・シュトラウス二世も好きで、
親交ももっていた。

こうしてみると彼はメロディメーカーにとにかく惹かれ、
少しでも彼らのようになりたいと思っていたんだろうなあという気がするが、
残念ながらシューベルトのみ自分が生まれる前に亡くなったので、
会う事すらできなかった。

そんなブラームスの第一交響曲の第四楽章、
例の第九のメロディに似た部分があるが、
シューベルトのグレイトの第四楽章にも第九のメロディに似たところがある。
で、この二つをよく聞くと、
シューベルトは第九のメロディの前半、
ブラームスはその後半が似ている。

それを思ったら、
この曲に込めた両者のベートーヴェンへの敬愛の念もそうだけど、
ブラームスのシューベルトに対する限りない敬愛の念もとても強く感じられた。

そういえばベームがウィーンフィルと1975年に来日したとき、
この二曲を日本公演にもってきていた。

このあたりをベームは意識していたのだろうか。


第九を聴いた翌年に完成したシューベルトのグレイト。
ベートーヴェンの没後50年を翌年にひかえた年に初演されたブラームスの第一。

年末の第九の時期に、
自分がいつも思い起こしてしまう事柄です。






年末に書き込むつもりがすっかり忘れてました。
あと350日も書き込むのを待つのもあれなので、
三が日に書き込んでしまいました。
かなりケッタイな感じとなってますがご了承ください。
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オペラ講座 「日本オペラ事始」に行く [クラシック百物語]

オペラ講座 「日本オペラ事始」

というのがあった。

全五回
の内容は以下のとおり。

幕末横浜の外国人居留地にはじまって、上野、丸の内、赤坂、浅草、日比谷と舞台を移しつつ発展する、日本のオペラ上演。帝国劇場から浅草オペラをへて藤原歌劇団、二期会の創立にいたる歴史を、具体的に学びます。

(概要)

まず欧米のテノール歌手の歴史をとりあげ、オペラにおけるその重要性を学びます。続いて、日本の興行界に大きな影響を与えたアメリカの、そのプリマドンナの典型として、ソプラノ歌手ベヴァリー・シルズの生涯を追います。後半は前2回を踏まえ、日本にオペラがどのように根づいたかを、丸の内と浅草、女性歌手の登場、そして日本初のスター・テノール、田谷力三と藤原義江の生涯から追います。

opera.jpg

とても興味深い内容がならんでいる。

自分のようなオペラ音痴が興味津々というからさぞや盛況…

…と思ったらこれがちょっと寂しいことになってしまった。


正直これは内容に対しての
発信先との感覚のズレがうんだもののような気がする。

つまり日本における初期のオペラ動向、
特に浅草あたりがからんできたものは、
レベルとして拙劣下品、
内容としては色物同然という、
そういうかんじに多くのクラシック、
そしてオペラファンはみているのではないかという、
そんな感じが強くしたものだった。

だからもし今回の講師に、
昭和初期の芸能や浅草の演芸史の専門家が加わり、
そちらの分野に情報を発信していたら、
おそらく満員御礼になっていただろう。

藤原義江が「我らのテナー」といったのは、
別にクラシックファンにむけてではなく、
あれこそ一般大衆に向けてのそれだったからだ。


そういう歴史もひとつの歴史であり、
そういう部分にも目を向け興味を抱けないというのは、
これもまた日本の音楽土壌の限界というか、
西欧(特に独墺)への礼賛過多というか、
そういうものに対する劣等感みたいなものが、
影響しているといっていいのかもしれない。


日本のアニメが隆盛を誇ってるのは、
例え半世紀前の、
今よりはいろんな意味で劣っているものにさえ、
どこかで強いリスペクトを、
作品もしくは制作関係者に持ち続けているという、
そういう部分が作り手にも受け手にもある。

だけど日本のクラシックはどうかというと、
作り手はまだそうでもないかもしれないが、
受け手にあたる聴衆にはどこかそういうものが希薄だ。

技術的に劣るもの古いものは価値なしというのか、
減点法的な価値観というのだろうか、
なにかあるところから、
ズバッと切り捨てているような感じがする。

そしてそれが、
日本のクラシック音楽が、
外付けされただけの文化みたいな、
そういう感じを受けてしまう原因なのかもしれない。

かつて外国の評論家とのシンポジウムで、
日本の音楽は「形」ばかりにこだわりすぎで…
みたいな発言があり、
音楽評論家の東条碩夫さんが、
それに強く異を唱えたということがあったと記憶している。

おそらくこのとき外国の評論家からみた日本のそれは、
日本土壌や根っこの部分と、
今日本が演奏しているそれの間に、
妙な乖離感みたいなものを感じていたのではないだろうか。

そのためいくら優れていても、
外の形はたしかによくできているが、
そこへ供給されている実がどこからきているのか。

はなはだこれまたとってつけたように、
他国の語法にそのまま乗っかったか、
それこそインターナショナル基準みたいな顔した、
ただのステレオタイプの語法のみしか、
それができるための大元になかったとしたら、
この言い分にも正直一理あるといえるかもしれない。

それを思うと、
日本人は自分たちの感覚、
特に西欧音楽に対しての今の感覚や価値観が、
どういう歴史を経て成長発展、
そして日本に広まっていったのか、
そこのところを知らなさすぎるというか、
あえて目を背けているのでないかという、
そんな感じも強くした。


話は大きく脱線したけど、
今回の講義の人の少なさをみて、
自分はそれがすべてではないとしても、
日本のクラシック音楽の、
ときおり感じる「砂上の楼閣」感のようなものの、
その理由の一端が垣間見られたような気がした。

だからそれだけに今回のそれは、
正直もっと多くの人に見聞してもらいたい内容だった。

ただし逆の発想で、
これらをライトユーザーの人たち、
例えば5月GWの有楽町あたりで、
オープンスペースでやったりすると、
違った形でオペラに興味をもち、
さらには西欧の音楽をより身近に感じ、
音楽のある生活をこれからもおくっていくという、
そういうきっかけになるような気がする。

自分のようにオペラがそんなに得意ではなくとも、
これだけ楽しめたということは、
そういう要素が少なからずあるということだろうし、
山崎さんあたりの本音は、

「じつは音楽はこんなに愉しく身近なものなんです」

というものなのかもしれないし、
このときの講義も、
つまるところそこが終着点だったのかもしれない。


と、
最後は適当に無責任な憶測をぶちまけましたが、
とにかく今回の講義はそういうふうに自分には感じられましたし、
とても有意義なものでした。
(ただ体調不良のため一回休んでしまいました。残念)

しかしかつての浅草って、
自分なんか想像するよりも、
けっこうダイナミックでカラフルだったようです。

それが分かっただけでも自分は大満足でした。


〆です。

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第4回クラシックソムリエ検定試験ゴールドクラスの結果がきた。 [クラシック百物語]

あまりに予想通りで笑ってしまった。

結果は

700点

またこういう綺麗な数字ですか、
といった具合で、
ほんとまたしてもあまりにもお約束通りになってしまいました。


これで、800、600、700、と三年連続端数無しなんで、
ピタリ賞とかくれないかなあ…。


今回は残念ながら平均より2点ほどショートしましたが、
過去のそれをみてもあんまり自分はそういうことに関係ないみたいです。

ただこれでやっと800を出せる目安がついたので、
来年はちょっと期待しようかなと思ってます。

因みに今回は合格者はそこそこいるようです。

受かったみなさま、おめでとうございます。


尚、来年からは受からなければ報告しません。

というのも自分はいいんですが、
(正直言うとそんなに良くも無いですが…)
受験生が時期的にここを偶然みてしまうと、
けっこう人によっては気にする人もいるようなので…。

というところでご報告まで。
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荒れる演奏会場 [クラシック百物語]

「東条碩夫のコンサート日記」にこういうページがあった。

http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-2301.html

この最後のところに、

「ところで、これは不愉快な話だが、毎回のように演奏開始ぎりぎりになって大きな荷物を携えて1階最前列の席に入って来る人の行動は、目に余る。
 今夜のように、オーケストラが既にテューニングを始めているにもかかわらず、悠々と当然のようにその前を歩いて席につくなどという態度は、演奏家に対する敬意を著しく欠いているだろう。
 先日のトリフォニーホールでも、メネセスがバッハを弾くために出て来てお辞儀をしているその前を横切って歩いていたが、言語道断、演奏者に対して無礼も甚だしい。猛省を促したい━━といっても、彼がこんなブログを読んでいるわけはないだろうから、ここで何を言おうと詮無いことであろう。見たところ、客席前方に知人もよくいるようだから、だれかまず知り合いの人が注意したら如何なものか。 」

というものがあった。

東条さんが個人に対しこのようなことを書くのは極めて異例だ。

自分もこの人物を知ってはいるが、
見苦しいという以外はそれほどのものを感じていなかった。

おそらく近年その振る舞いが酷くなってきたのだろう。

これに対しこのサイト史上最高ともいえる、
たいへんな量のコメントがついているが、
そけを読むとどうも問題はこの人だけではないようだ。

一部の聴衆に歓声や拍手、さらにはその行動が、
演奏者にではなく、
自己満足のためになってることを自覚していないという、
はなはだ残念な人たちがいるということだ。


自分の気持ちを聴衆に伝えるのは勝手だが、
それに夢中になって他の人の迷惑を顧みないなど言語道断、
聴き手に上下関係や優劣など存在してなどいない。

音楽の前ではすべての人が平等なのだ。

一部の人の自己満足のために、
その他大勢が我慢を強いられたりするなどあってはならないことだ。

自由と無秩序というものの区別がこの人たちにはついてないのだろうか。


人の犠牲があたりまえになったり、
声のでかい者が幅をきかすような、
そんなことがまかり通るようになったら演奏会はもうおしまいだ。

高齢化により柔軟な考えができない、
頑迷な人たちが増えてしまったためなのだろうか。


そういえば大洗でも、
見るに堪えない酷い行為があったということを最近ネットで目にしたが、
それらも若い人ではなく、
いい中高年だったのにはさすがに言葉もなかった。


かつてはあまり感情を表に出すのが下手といわれた日本人だが、
下手という意味ではいまだにそれは変わってないようだ。


これからどんどんこういう事が増えていくのだろうか。

なんか憂鬱です。


一度この件で評論家や演奏家、
それにホールの関係者や一般の聴衆を集めてシンポジウムでも開いてみたら?

例えば5月の有楽町で。



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マイニンゲン宮廷楽団のこと。 [クラシック百物語]

マイニンゲン宮廷楽団。
この名前をご存知の方がどれくらいいるだろう。

1690年に創設され、
19世紀の後半に当時の大指揮者、
ハンス・フォン・ビューローにより一時代を築き、
リヒャルト・シュトラウスを繋いだのち、
当時最大のブラームス指揮者といわれ、
作曲者本人とも親交があった、
フリッツ・シュタインバッハが赴任していたときは、
1885年にはブラームスの指揮で、
彼の最後の交響曲となった第四番を初演している。

この時期のこのオケはかなりの精鋭が揃っていたようで、
ブラームスを中心とした音楽祭、
さらには街にも本人を招聘したりなどして、
かなりの活況をオケも街も呈していたようです。

だが二十世紀にはいり、
シュタインバッハがケルンに去ると、
その隆盛にも影がみえはじめ、
マックス・レーガーが赴任した頃には、
かなり状況が捗々しくない状態で、
オケの存立のため必死に活動したレーガーも、
1914年それが原因だったのか急死してしまう。

さらには同年音楽を含む芸術に理解のあった、
ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク2世も死去。

そして第一次世界大戦の勃発と、
オケにとって解散も余儀なくされる事態となった。
(一説には事実上解散状態で、楽員も生活に困窮するものもいたとか。)

第一次大戦後、
ザクセン=マイニンゲン公国が廃止され、
新たに成立したテューリンゲン州が、
同楽団を所有する形で存続となり、
その後いくつかの危機的状況を乗り越え、
現在に至っているという。

因みに1999年から2004年には、
かのキリル・ペトレンコもここのオケに赴任している。


というかんじなのですが、
正直、自分はこのオケは、
すでに音楽の表舞台にその名前をみかけることもなく、
録音もみかけないという状況だったということもあり、
第二次大戦前にすでに消滅していたと思っていました。

ですが現在もかつてのようではないものの、
演奏活動を続けているということを聞いたとき、
俄然このオケの今に興味がわいてきたものでした。

ですが来日するわけでもなく、
話題にもまったくのぼらないこともあり、
なんともどうしようもなかったのですが、

2009年に前年に
マイニンゲンから車で一時間ちょっとのところにある、
フルダ大聖堂でのライブ録音が発売された。

曲目はブラームスのドイツ・レクイエムで
フランツ=ぺーター・フーバー指揮
マイニンゲン宮廷楽団
フルダ大聖堂聖歌隊
ナターシャ・ユング(S)
ペーター・シェーネ(Br)
2008年10月25日録音

というもの。

0834_Brahms_neu.jpg

おそらく現在日本で入手ができる、
同オケ唯一のCDだろう。

で、これを聴いてみたのですが、
どちらかというと、
最初これは合唱団を聴くためのものかな、
というかんじだった。

静堂の美しい響きと、
なかなかしっかりとした清澄なコーラスが、
じつにこの曲にマッチしており、
なんとも心洗われるブラームスとなっている。

これに比してオケはあまり印象に残らない。

素朴で力強いというくらいだろうか、
正直録音のせいもあるかもしれないが、
一部の管楽器はちょっとその音の汚れと、
ややイージーとも感じられるそれに、
ちょっと疑問を感じてしまった。

だが曲がすすむにつれ、
オケ全体のもつひたむきさというか、
非常に芯のある意志の強い響きのようなものが、
しだいに地味ではあるがあらわれはじめ、

「ひょっとするとこれがブラームス本来の響きかも」

と感じられるところすらあった。

確かにベルリンやウィーンのような、
ああいう行き届いた極上のそれとは違うが、
素朴で飾り気のない、
そんなブラームス像がこの演奏から、
なんとも強く感じられるものがあった。

とくにときおり聴かれる
渋い弦のビブラートがなんともいい味出してます。

演奏時間は70分にも満たないものですが、
決して急ぎ足の演奏というわけではなく、
むしろじっくり聴かせるタイプの演奏という、
そんなかんじのものとなっているのも面白い。

清澄で癖のない合唱が見事なだけに、
余計このオケの特長が聴き取れたのかもしれないが、
とにかくなんとも心穏やかな響きに満たされた、
そんなかんじのオケに聴こえたものでした。

ただこれにはオケの人数の少なさも、
要因としてあるのかもしれません。

ハッキリとは分かりませんが、
CDをみると8プルトくらいで、
全体50人前後くらいの編成でしょうか。

しかしこのCDを聴いてると、
一度このオケを生で聴いてみたいと、
とにかく思ってしまいますが、
ちょっとそれはやはりいろいろと無理なのかも。

光藍社あたりなんとかしてくれそうな気がするのですが、
どうなんでしょうか。

また来日が無理なら、
せめて初演したブラームスの第四交響曲を、
CDに録音してくれないものでしょうか。

ただ交響曲だとオケの粗がもっとでちゃうかなあ。

なんとも最後は複雑な物言いで〆

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