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なぜかアクセスの多いトークLIVE [ひとりごと]

先月から今月にかけての、
このブログのアクセス数の内訳をみていて、
???と思ったことがある。

それは8/31に書き込んだ
「はりけ~んず前田・バッファロー吾郎木村オタクトークLIVE」
のアクセス数が異常に多いことだ。

たしかにこのイベントの雑感は、
いつも不思議なくらいアクセス数があるのだが、
今回は盛岡での桑島さんの朗読夜に匹敵するアクセス数となっている。

それにしても不思議なのは、
自分はいつもこのLIVEに、
時間の関係で前半だけか後半の途中くらいまでしかいにもかかわらず、
これだけ読まれているということと、
あのLIVEに来ている有料入場者数よりも、 
圧倒的にアクセスしている人が多いということだ。

ためしにGoogleで
「はりけ~んず前田・バッファロー吾郎木村オタクトークLIVE」
とかけてみたら、
信じがたいことにそのトップに、
あの阿佐ヶ谷Loft Aや前田さんや木村さんのサイトを差し置いて、
このサイトの該当項目がきていた。

なぜこんなことがおきているのかは不明だが、
おそらくほぼ毎回欠かさず見に行っては、
つたないとはいえ感想をそこそこ書いてるからかもしれない。

しかしこうなるとこれからは最後までなんとかいなければならないのかと、
正直プレッシャーというより、
読んでもらっている方に申し訳ないという気がしてきた。

まだ次回の予定はでていないようですが、
このあたりちょっと念頭においておきたいと思います。

とはいえ、なかなか最後までいると翌日がちときつい年齢なのです。
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しかしこのブログは… [ひとりごと]

ここまで六百を超える事柄が並んでいるけど
正直我ながらなんのブログかよくわからない。

一応「アニメ」というテーマにはなっているので
アニメや声優の項目がたしかに全体的には多い。

だけどクラシックやジャズをメインにした
音楽もかなりの量にのぼっているし、
スポーツやその他ジャンルも
けっこうあちこちに顔を出している。

だからといって毎日欠かさず更新されている
日記的なものでもない。

つまるところこのプログは
アニメ&声優と
クラシック&ジャズをメインにした音楽
(そのクラシックはこのブログの親サイトの本館で
 けっこういろいろとやってるので
 こちらではかなり抑え目になっている。)
の二つの柱を軸にした
多ジャンルブログといったものなのだろう。

そういった気ままで
統一感の無いブログなのに
気付いてみると六百以上の項目に
五十人以上の皆様から百以上の「nice!」をいただいている。
ほんとうにありがたいことです。

その御礼も兼ねて下記に4月に続き
2009年7月開始アニメのOP&EDの簡単な表を製作しました。
こちらもよろしければご利用ください。

ところでほんとうはこの時期
6月最終回を迎えた作品の感想を書くのですが、
今回はかなり継続されたものが多い。
特に帝国軍がらみはほとんど継続ものとなっている。
また「アスラクライン」のように
もう今秋から第二期が開始決定のものもあるので
なんか今感想を書くのも…になってしまうものがあります。

唯一「ポリフォニカ」くらいが
自分がよくみていたもので今回最終回となっていました。
この作品。
一時話が大きくなりすぎてちょっと心配していましたが、
これはなんかうまくまとまっていて
続きもOKも終了もOKという
バランスのいい最終回となっていましたし、
後味もそこそこいいものになっていました。

それにしてもワンクールものが多い影響か
アニメのOPやEDの発売が早い早い。
あるお店の方の話だと
このタイミングでCDを出されると
本編はもちろんOPやEDすらみるまえに
何枚発注するか決めなければならないので
正直辛いというより無理があると嘆いていました。

この不景気
より効率のよい商品オーダーが求められるので
その嘆きはかなり深刻だったようです。

最近アニメCDがランティスからの発売が増えてきているので
ランティスにはこのあたりちと一考を要してほしいところですが
ランティスにもランティスの事情があるようですし…。

といったところで最後はアニメがテーマとなっているブログなので
こういうネタで〆です。

しかしこのブログは…
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「コッペパン」雑感 [ひとりごと]

さきほどテレビをみてたらコッペパンがでてきた。

コッペパン

給食の主食として給食開始当時からずっと食されてきたとのことですが、
自分の小学校低学年当時には
○コッペパン(ひとつ)
○食パン(二枚)
○ソフト麺(一袋)
というこの三種のローテーションとなっていたし、
一番多かったのは食パン二枚だったことを思うと、
コッペパンが食される比率が
少しずつ下がっていた時期だったのかもしれません。

コッペパンというと当時給食に出ると
一緒に出されたマーガリンやジャムを塗る!
ということを自分はせず
パンの横っ腹を先割れスプーンで切れ目を入れて
そこにマーガリンやジャムを塗りこんで食べる、
ということをよくしていました。

で、風邪で学校を休むと友達が家まできて
給食に出たコッペパンを届けてくれたりし、
それを家にあった乾パンと見比べ、
大きさや硬さは違うものの
なんとなくその雰囲気が似ているように感じたことから、
「コッペパンって乾パンをでかくしたものなのかなあ?」
と思って、乾パンを水でふやかしてから
再度焼いて食べてみようと思ったりしたことなど、
いろいろと懐かしい思い出がコッペパンにはあります。

ところでコッペパンのことをいろいろとネットで調べると
けっこういろいろな方が同じことを考えていることを知りました。

「コッペパン」の「コッペ」とはどういう意味?

というのがそのひとつ。
で、話を総合してみるとどうやら以下のようになるようです。それは…

コッペパンは太平洋戦争中
食糧配給制のときに主食としてつくられたものとのこと。
乾パンも陸軍が軍用の食料として開発したものということを思うと
大きさや硬さはかなり違うものの
子供のときなんとなく似ていると感じたことは
あながち間違っていなかったようです。

ところでこのコッペパンの「コッペ」。
これのことですがこれは
フランスの「切られる」という意味をもつ「クーペ」
というパンが語源とのこと。

でも当時敵対していたフランスのそれを
日本の主食に名付けるってちょっと?なのでは思い、
もう少しいろいろみていたら
この「クーペ」から名前をとったドイツのパンで
サツマイモを山形に切ったような
「コッペ」(山頂の意)というものがあることに出くわしました。

なるほどドイツならOKだろうなということで
自分の中でこのとき納得&解決ということになりました。

で、その後Googleで
「クーペ フランス パン」と「コッペ ドイツ パン」
で検索をかけてコッペパンと見比べてみたら
「うーん…」
となった次第。

今度時間があったらクーペやコッペを直に見、
そして食してみたいと思った次第。

ところで最近自分がよく食べているパン
よくよく考えてみたら
みなコッペパンにジャムやらハムカツなどを挟んだものだったし、
今はあまり食べなくなったけど
学生時代お世話になった焼きそばパンも
考えてみればコッペパンに焼きそばを挟んだものだった。
呼び方は違うけどコッペパンって想像以上に主食として根付いているなあと
このときあらためて感じた次第。

最後に、
コッペという名前が山頂という意味だったら、
競技などで優勝を狙う人などはカツを挟んで食べたら
それこそ最高の縁起ものになるのでは?と思ったのですが、
そういうこと言うと高校球児のみなさんから
ここいちばんでの分厚いヒレカツを食べるチャンスを奪いかねないのでこれは×。

というところで〆です。
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時効って… [ひとりごと]

今日、毎日jpをみたら「時効」の是非を問ううな記事があった。

たしかに時効って何のためにあるのか、
いろいろ言われてるけど大いにその存在に疑問を感じていた。
特に殺人事件。
被害者の遺族や関係者には
永遠に消えない悲しみと怒りがあるだけに
時効ですべてチャラにされるのは
例え民法云々という手が若干その後あるにしても
これではあまりにも救いがないのではないか。

正直殺人事件の時効は
日本の警察の能力の限界と
被害者に対する上から目線のあらわれという気がしている。

現在死刑云々の論議がある中
時効というのはあまり論議されてないということが上の毎日jpにはあった。
正直それは無いだろうという気がする。
これじゃあ被害者軽視も甚だしいし
殺され損の常識化を促しているような気がしてならない。

両方を平行して話し合うならいざ知らず
やはりこれは自分としては納得できない。

被告の死刑廃止終身刑導入を論ずるなら
捜査における科学技術の向上もあるというし
ここは同時に殺人事件の時効の見直しも論ずるべきではないだろうか。
なんかこのままでは被害者の関係者の方々の憤りが大きくなっていくような、
そんな気がしてならないのです。

悪い奴ほどよく眠るではないが
凶悪事件に限ってでも(何をもって「凶悪」に指定するかがむつかしいですが)、
時効の撤廃もしくは延長をすべきではないだろうか。
(たとえば時効を50年にするとか)

来年からいよいよ裁判員制度が開始される。
裁判をする時点で自分たちが時効云々に直接関わることはあまりないかもしれないが、
一人の犯人がAは時効成立、Bは時効がまだということが起きた場合、
そこで我々は法の現実と被害者の心情に直面し、
判決云々とは違った意味で苦しむことになるかもしれない。
自分はそういう状況での裁判員は正直強く辞退したいものがある。

ぜひ今後時効というものを、
真剣に多くの有識者の方々に徹底的に論議しあっていただきたい。

ほんとお願いします。


去る2010年4月27日に一部殺人事件の時効が撤廃されました。
たしかにまだベストの内容ではないし
まだまだ煮詰めるところは多々あるとは思うけど
少なくとも泣き寝入りする被害者の関係者の方は多少救われることになると思う。
これからのこの動きを見守っていきたいと思います。
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秋葉原の事件から一週間 [ひとりごと]

秋葉原の事件から一週間がたった。
すでに多くの方々がこの件についてコメントをだしている。
だが正直あまりのことに自分はコメントをいまだ出せないでいる。

だがその中でひとつ気になることがある。
それは「歩行者天国」廃止の件だ。

たしかにこういうことがおきても
「歩行者天国」を淡々と続けられるのもあれだが、
これを機に廃止というのはさらに納得できないものがある。

これではまるで事件に巻き込まれた方々を
結果的にとはいえ利用したように思えて仕方がないのだ。

巻き込まれた方々には
今の秋葉原が好きだったからあの時あの場所にいた方もいらっしゃっただろう。
それを思うとここでの「廃止」は
この方たちに対しても酷だし
しかも廃止の理由のひとつに組み込まれるような形にされたのでは
ご本人たちにもはなはだ不本意なのではないかと思えて仕方が無いのだ。

もちろん本当は廃止を言い出している方だって
そんな気はさらさら無いことはこちらだってわかっている。
廃止を言い出している方だって立場は違えど秋葉原を愛している。
だからそういうことを言い出しているのだ。

因みに自分は今回の「休止」は正解だと思っている。
再開は早くて亡くなられた方の四十九日がすむ八月以降、
場合によっては一年後でもいいとすらおもっている。
それくらい今回の事件の与えた傷は重く深い。
それだけに歩行者天国の件をそう簡単にやってもらっては
秋葉原を愛している人同士の問題解決のそれとしては悲しすぎるのだ。

とにかくこの機会にこの問題を一度
賛成する側も反対する側も深く腹を割って話すべきだろう。
被害にあわれた方々のためにもここはこの機会を大切にすべきではないだろうか。

それにしてもほんとうに酷い事件だ。
多くの人の将来が一瞬にして後先考えない凶行によって閉ざされてしまった。
今我々ができることはただただ亡くなられた方々のご冥福を祈り、
怪我をされた方々の一日も早い全快を祈り、
そして深い傷を負った秋葉原とその人々の心の回復を願うことだろう。
これ以上の悲しい傷のつけあいだけは絶対避けなければならないのだ。

最後にあらためて今回の事件で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。

合掌。
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結石と黒酢もずく [ひとりごと]

自分は腎臓結石を長年患っている。
一昨年は救急車
昨年は破砕手術と経験した。

だがここ二年変わったことがある。
数日前も一度に二つ石を排斥したのだが
救急車以来じつはあの結石につきものの地獄の痛みが来ないのだ。

たしかに違和感があったり
血尿が出たりということはあるものの
腰痛や石が尿管で引き起こす激痛がここ二年まるで無い。

考えられるのはひとつ。
じつは身体にいいということで
二年前から黒酢もずくを朝と晩の食事に一緒にとっていること。

これ以外は二年前から変えた食生活は何も無い。

この件については
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-06-30
にも過去書いていますが、
その後も痛みが来ず
しかも一度の痛みも無く石を排出しているところをみると、
どうやら自分にはこれがうまく作用しているようだ。

すでに二年以上続けているということは
単純に数えても約1500パックをここ二年で食したことになるので
なんらかの効用があればあらわれてもおかしくない数ではある。

まあたんなる気持ち的なものなのかもしれないが
あの痛みがでないのはとにかく助かる。

ただ石が溶けたり無くなるということは無いようで
今でも最低一日二リットル以上の水分もとっているが
前述したように相変わらず石も出るし血尿も出る。

まあ頼るほどではないにせよ
助かっていることは事実でして
これからも黒酢もずくは食していくつもりです。

ただサインとしての腹痛が無くなるというのも
ちょっと怖いという気がしますし、
それによってより腎臓に負荷がかかるような事態になったら目もあてられません。

いくら黒酢もずくがいいかもしれないとはいえ
やはり病院での健診だけはサボれないようです。

身体に無害で副作用もなく
結石が一発で溶ける薬とかできないものでしょうか。

(追伸)
去る9月27日に直径8mm以上ある石が排出された。
これそのものは驚くほどではないのですが
これが出るまでに違和感や血尿こそあったものの
激痛はついに一度も無かったというのが驚きで、
これにはほんとたすかったというかんじでした。

手元にこのときの石がありますが
これの痛みが来てたら気絶してただろうなと
あらためてゾッとしております。


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裁判員制度2 [ひとりごと]

じつはこのサイトができたときの初日に
すでにこの問題について自分は触れている。
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2005-04-11-4

Googleで「裁判員制度」を検索すると
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6+&lr=
と、とにかく膨大にヒットしてくる。
これはこの問題に対する関心の大きさと深さを示しているひとつのあらわれだと思う。

Wikipediaでは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6
これについてわかりやすく書いてありますが
自分はその中で
「裁判員の匿名性・安全の確保」「裁判員の秘密保持義務に関する問題」
そして
「権力と一体化したメディアスクラムの可能性」
の項目が特に気になった。

これは読んでいただければお分かりかもしれませんが
ようするに自分はこれらに直面しながらも
なおかつ人を裁けるほどの人間かという
ものすごい不安がじつはあるのです。

たとえばある事件でTVの報道があると逮捕というだけで
もう完全にその人は犯人というふうにちらは思ってしまう。
でもじつはそれは逮捕であって有罪確定ではないので
じつは容疑者であるものの
完全に犯人とは決まったわけではないからです。
(と、自分は認識しています。間違っていたらすみません。)

この容疑者を犯人にするかしないか
それを見極め有罪か無罪かの決定を下す一人を自分が担うというのは
正直とても怖い気がします。
それにどう転んでも容疑者側か被害者側のどちらかに煮え湯を呑ませなければいけない、
(裁判の翌日自分達はまた元の仕事や生活に戻ることができますが、
裁判の当事者の方々はそうならない。これもまたとても辛い…。)
しかも場合によっては報道等によってはその事件に関して
ある意味既成概念ができている場合もあるのでこれもまたある意味怖いものがあります。

それに最近のマスコミやネットの力を考えると
こういう裁判に裁判員として参加した場合
その実名を含む個人情報がはたして漏れないという確証があるのかというのも
これもまたとても心配です。
法で裁いた人間が、一夜で力によって裁かれるといのはあまりにも悲しすぎます。

そういえばこれはまた聞きですが
裁判官の現住所というのは極めて厳しく情報管理をされ
一般にはわからないようになっているようですが
そういうことには無防備な一般の人間が
一度とはいえ裁判官のようなものになるのもとても不安です。

あと二年ほどで施行されるこの制度。
もう避けて通れないので諦めてはいますが
呼び出しがかかったときはたしてどうなってしまうのか。

人それぞれにいろいろと考えはあるでしょうが
とにかく今の自分にはこの制度はとても「不安で怖い」存在です。


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天才 [ひとりごと]

このひとつ前にクリフォード・ブラウン
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/2006-06-25-2/trackback
のことを書いてますが
これを書いて思ったのが「天才」という言葉。

考えてみると天才というのは年齢に比してとびぬけた才能を早熟的に開花させた人…
のことをさすのが多く
そのため二十代位までの人に対して使うことが多いような気がするのですが
問題は天才も大人になればただの人みたいに
中にはそこまで行く前に才能が枯渇してしまったり
それとも壁にぶち当たったまま潰れてしまう感じの人が多く
けっきょくは一時の話題づくりで終わってしまう人が多いということです。

またそうでなくとも天才といわれつづけた人の多くは
その最中になんらかの形で早逝してしまう方も多く
そう思うと「天才」って完成しないまま潰れるか亡くなるかしてしまう
もしくは完成しているものの完結していない
ということと同義語ではないかと…

つまり一度天才と言われてしまうと
時代を駆け抜けていったという閃光のように鮮烈さをもつものの
ただしついには悲劇的な結末を迎えるか
もしくは天才というその言葉に押しつぶされ
ついには弾き飛ばされるようにして舞台から姿を消すか
といういずれかの選択肢しかその人になくなってしまう
という気がしてしかたがないのです。

ですからクリフォード・ブラウンも
またブラウンととても自分にはよく似た存在に感じるジネット・ヌヴーも
だから天才として伝説に名を残したのでは?という気がしていますし
そうでなくその後も恙無く活動し現在に至るまで活躍していたとしたら
天才という言葉は冷たく彼らを見放し、その場を去っていったことでしょう。

ただブラウンもヌヴーも子役が大人になっても大成しないというような
天才過ぎればただの人になったという気がじつは正直しません。
ではどうなっていたのかというと
今は亡きジャンボ鶴田さんが言われていた言葉
「天才にして大器晩成」という言葉のように
「大器晩成」に自然移行していったような気がします。

でもこう呼ばれるのはほんとうに稀に見る一握りの方たちでしょうし
じっさいブラウンもヌヴーも天才からの移行の前に天に召されています。

ほんとうにそれを思うと「天才」と言う言葉は
それを言われた本人には後々運命的に厳しくのしかかる
いわば「十字架」のような感じもしてしまいます。
ですから自分はあえて
現在の多くのジャンルにおける若手の優れた方を
誰一人として「天才」とよばないようにしているのです。

「天才」と言う言葉。
じつにポピュラーで、気軽に多用されてはいるものの
これほど罪作りかつ恐ろしい言葉が他にあるのかという気がしてしかたありません。

怖い言葉です、ほんとうに。

(追伸)

ただしこれが「天才的」というふうに
そこに「的」が入るとまたこれは違うものをさしてくるわけでして
かならずしもその人に直ちに不幸をもたらすわけではないようです。
この「的」という一文字。命をつなぎとめる大事な一文字なのかもしれません。


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開かずの踏切 [ひとりごと]

ニュースで鶴見の踏切であわや接触事故というものがあったという話を知った。

鶴見と子安の間にあるこの踏切はとにかく長い。
横須賀線、京浜東北線、東海道線、京浜急行線、それに貨物線があるため
その長さが半端ではないのだ。

実際にはこれと平行して歩道橋があるにはあるが
エレベータは(今はわからないが)無いし
風雨の強いときはまったくもって使用できないようなかんじで
普段このあたりを使用している人はどうするんだろう
と心配になったものでした。

じつは自分も一度この踏切に閉じ込められそうになったことがある。
渡って中央付近にさしかかったときに
突然警報機がなりだしたのだが
まったく中央付近だったのでどちらに行くかためらっているうちに閉まりそうになったため
しかたなく中央付近にある「中洲」のような部分で立ち止まろうとしたところ

踏切近くの作業員の方が手招きしているので
なんとかかろうじて外に出れたものだった。
ほんとうはあっさりどちらにも抜けられたのかもしれないが
予期せずいきなりあのクソ長い踏切中央で警報機が鳴り出すと
はたしてどの電車が接近しているのかまるでわからないし
どちらに抜ければ安全なのか一瞬判断に窮し
ちょっとしたパニックになってしまうということがこのときわかった。
だから今回のあわやという件も他人事ではないし
その人の気持ちも痛いほどわかる。

けっきょくその時も踏切はついにあがらず
歩道橋を通ることとなったのだが
それ以来もうあそこは渡らないようにしている。
(じっさい迷惑をかけてしまっているので、二度目をやってはならないし)

ただあの踏切が結んでいるところはけっこう便利だし
しかも鶴見の総持寺が側なので
そこを通って京浜急行の京急鶴見に行く人も少なくないような気がする。

じつは横浜と東戸塚の間にも開かずの踏切があった。
ここの長さは鶴見のそれよりは短いものの
東海道線、横須賀線、相鉄線の三つがあること
また横浜駅が近いため上下線とも速度が低めということ
しかも相鉄に至ってはその隣の平沼橋という駅と横浜の距離が短いため
このあたりの電車の滞留時間がかなり長めとなっていることがあり
ここままた開かずの度合いが半端ではなかった。

だが横にエレベータやスロープ付きの歩道橋等ができたことから
最近この踏切は廃止となった。

また子供のとき京王井の頭線の神泉駅。
ここの渋谷駅との間にある踏切もまた朝のラッシュ時はやはり開かない。
ここが現在のような構造になる前は
駅の改札が片方にしかなかったため
特に渋谷駅に向かって右側の道路から来る人間は
一度踏み切りを渡りそこで駅の改札を抜けた後
また平行して構内にある踏切を渡るという
とんでもない無駄な時間をこの時強いられた。
待ち時間が長くなると電車が通過した瞬間、遮断機をくぐり
すぐ側にあるこの構内の踏切を通って
ホームに直接行くという人も少なくなかった。
かなり危険ではあるがどうしようもなかったのだから仕方が無い。
自分も申し訳ないがここを利用した1年の間に2~3回それをやっている。

ほんとうに開かずの踏切というのはしんどいものがある。
おそらくこれからそういう類の踏切は消えていくことになるだろうけど
それまでに今後事故がおきないことを強く願わずにはいられない。


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イソップ童話 [ひとりごと]

グリム童話やアンデルセン童話というのがある。
子供のときよく読んだり聞かされたりした話で
どれがどれだか忘れてしまったけど
とにかく童話といえばこのあたりがすぐ浮かんできたものでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0%E7%AB%A5%E8%A9%B1
(ウィキペディア(Wikipedia)の「グリム童話」の項目)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%B3
(ウィキペディア(Wikipedia)の「アンデルセン」の項目)

このグリムとアンデルセンのそれは皆19世紀に書かれたもので
メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リスト、が音楽で
ミレー、コロー、クールベ。などが絵画で
マルクス、ユゴー、デュマ、などか哲学や文学等で活躍していた時代でした。
そして日本では大塩平八郎の乱や黒船来航などを挟んでの幕末動乱期にあたっていました。

そんなとき
そういえば「イソップ童話」というのもあったなあ、ということで
同じ頃の人なのかなと思って調べてみたらこれがとんでもない大間違い
なんと紀元前の人で、キリスト誕生より五百年も前の人でした。
詳細はウィキペディア(Wikipedia)の
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%83%E3%83%97
を参照していただくとして
正直驚いたのは
「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」「北風と太陽」「金の斧銀の斧」
「狼少年」「鶴と狐の食事」「金の卵」といったところの起源が
そこまで太古の事だったということです。

たしかに後世の人が原作にいろいろと脚色していったのだろうけど
けっこう現在の教訓的なことの大元となっているこれらのことが
なんとまあ大昔から語り継がれていたことかということには
ほんとうにただただびっくりです。

なんかこれからイソップ童話の見方読み方が大きく変わってきてしまいそうです。


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