SSブログ

「倒産 栃木・湯西川の老舗高級ホテル 風評被害が追い打ち!」とその後わかったこと。 [震災]

東京商工リサーチ宇都宮支店によると、栃木県日光市の湯西川温泉で300年近い歴史を持つ「伴久ホテル」(客室数109、伴久盛社長)が26日までに宇都宮地裁に破産申請し、手続き開始決定を受けた。負債総額は約30億円。不況に東日本大震災と福島第1原発事故に伴う風評被害が追い打ちをかけ、4月はほぼ「開店休業状態」だったという。
 同ホテルは平家の落人の末裔(まつえい)、伴家が1718年に創業したという。民間旅行関連会社の全国調査でも常に上位にある人気ホテルで、同支店によると、ピーク時の95~96年には年間20億円台の売り上げを計上した。
 震災で施設の被害はなかったが、福島県に近いため、原発事故を理由にした予約キャンセルが続出した。
 同支店は「日光や那須など県内のホテルはどこも厳しい状況」とし、今後も倒産が続く可能性を指摘している。【泉谷由梨子】

以上 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110426-00000037-maip-soci

それにしても酷い。
どこかの知事の自粛発言だけの問題ではない。
箱根もよくないといってるけど、
その理由がわからない。

たしかに避難所をみていると
自分たちだけ遊んでていいのか?となるけど、
国が活性化しないと復興もままならないのだ。

ただ理由のひとつが福島県が近いという、
これまた頭の弱い理由がでてきてもうこっちが倒れそうだ。
これ日本の人じゃないですよね。
もし日本人だったらよっぽど「ゆとり」しまくって、
義務教育をほとんど流していたか、
それとも地図を読める友達すらいなかったかというところだろう。

すでに言ったがとにかく福島県はバカデカイ。
大きさは四国四県全体の75%もあるのだ。

形は長方形に近いかんじで、
原発はその地図でみると右端のしかも一番海よりにあるのだから、
その正反対方向にあたる左端の山沿いという、
その巨大な福島県の一番長い距離をはさみ、
さらにそこからより地図でいう左下に外れている遠隔地で
いったい原発関係でどういうことがおきてるのか、
こっちがほんと聞きたいくらいだ。
というよりそこで放射能汚染か深刻だったら、
もう東京にも退避勧告がでてる状況だろう。

だいたい原発から那須まで何キロだと思ってるのだろう。

だいたいだか100キロは離れている。
そしてこの湯西川温泉に至っては、
おそらく140キロは離れているはずだ。
これだと東京から静岡、もしくは加古川から彦根くらいの距離だ。

それに太平洋側からの海風もここまではそうは来ないし
むしろ山から吹き降ろす風の方が強い時期の方が多い。

現在随時この地域の状況をみることができる。
http://www.city.nikko.lg.jp/gyousei/jishin/taiki.html

これで深刻な影響がでてたらチェルノブイリ以上の騒ぎだろう。

これはもう駄目だ。
早くマスコミがこういう位置関係とか
ガンガン流さないと深刻な状態になってしまうだろう。
これやらないのはもうマスコミの怠慢だ。

原発もいいが、そろそろこういう風評被害を
全面的に叩き潰すくらいの覚悟で時間をさき、
徹底的にしつこいくらいこういうことを放送してほしい。

まあ7月8月のように暑くなったら
「節電のために那須にいこう」みたいなかんじで
ある程度は挽回できるかもしれないけれど、
それまでがこれではちともたない。

とにかくここは早急になんとかしててほしいものです。

このサイトも今まではほとんど震災だったけど、
GWに入ったら極力この話題は避けていこうと思う。

もちろん被災地のことを忘れたわけではないが、
少しはこちらもそういうことを心がけないと、
別の意味で駄目になってしまうことに、
自ら手を貸してしまいかねないからだ。

4月28日は震災から49日にあたる。
GWは自粛モードから本格的復興モードに切り替える、
ひとつの区切りの時期なのかもしれません。

(お詫び)2011/9/29

http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1910/2011/09/1910_092714.pdf

というものが文部科学省から発表された。

これをみて衝撃を受けた。

ようするに3月の水蒸気爆発は、はっきりいって大爆発だったということだ。

ここまで被害深刻だということを何故公表しなかったのだろう。

マスコミや政府のそれを信じた自分が馬鹿だったということだし、
風評が風評ではなかったということが証明されてしまったということだ。

たしかに場所によっては深刻ではないのかもしれないけれど、
一部ではかなり高濃度の部分が郡山や栃木そして群馬にもある。

ほんとうに情けないというか、自分の甘さが許せないものがある。

ほんとうに申し訳ありません。深くお詫びいたします。

この記事は自戒の意味をこめて削除せずここに残します。


(追加)

その後伴久ホテルは、「ホテル湯西川」として再生、
2015年7月にグランドオープンしました。
http://www.itoenhotel.com/search_hotel/hotellist/848_yunishikawa/tabid/470/Default.aspx
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

福島のことを知らない人たちによる風評のこと。 [震災]

以前海外ニュースをみていたら
今回の原発のニュースをやっていた。

が、その画像が凄かった。
それほど大きくない日本地図に
おそらく福島県あたりであろうところに、
とてつもなくデカイ赤丸で「FUKUSIMA」と書かれたものを
司会者の横に出していた。

ただこれがまるで福島県と茨城県を足したくらいの丸印で、
それこそこの原発があたかも
この二県全体くらいの大きさがあるのかというくらいの
おかしな誤解を与えかねないもので、
「これだったら日本全体が強烈に汚染させられたようにかんじられるわ」
と、風評の根本が各国のマスコミにあることをあらためて再確認させられた。

だがこれをみてふと思った。

海外の各国もそうだけど
福島第一原発ってみんなどこにあるのか知ってるのだろうか?
またそこから主要都市までの距離を
日本人でもどれくらいかわかっているのだろうかということが、
じつに気になってしかたがなかった。

よくテレビでやる街頭インタビューで
宮城、福島、茨城の三県のボードをつくって
「福島第一原発ってどこにあると思いますか?」
とやったらけっこう「あらら」みたいなことになるのではないか、
そんな気がしたからだ。

あるところで
「東北新幹線は放射能汚染のため永久に開通できません」
という書き込みすらネットにあったとか。
ここまで誤ったというより
ほとんど自分で風評をつくって面白がるかのような輩や、
福島から来たというだけで
放射能がうつるといっていじめていた頭のよくない子供とか、
福島だから行きたくないと
原発から百キロ以上はなれたところなのに行くことを拒んだ
おかしな運送会社があらわれるに至っては、
海外の風評報道をこれじゃ抗議できないよと、
ほんとうにこちらの頭がいたくなってしまったほどだった。

だいたい福島県がどんだけ広いかということを
ほとんどの人がわかっていないと思う。

じつは福島県は
北海道を含めても全国で三番目に大きな都道府県で
関西では和歌山、京都、滋賀の三つを合わせたより大きいだけでなく、
関東でいえば埼玉、千葉、東京、神奈川の四つを合わせたより大きく、
あの四国全体の3/4もあるじつに巨大な県なのだ。
このことをTVで放送したことが一度でもあっただろうか。

福島第一原発はこの巨大な県の最も海側にある端の場所、
福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22番地にある。
最寄のJRの駅である大野駅から車で15分、
5キロほどのところにある海沿いの場所だ。

ただその大野という場所もどれくらいの方が知っているのだろうか。
まず大野から茨城県の水戸までだが
これがだいたい140キロ離れている。特急で二時間近く離れている場所。
そして東京からは250キロ、特急で三時間以上かかる場所なのだ。

さらに最寄の新幹線の駅である郡山までは
距離にして約60キロのところにあるだけでなく
途中に鎌倉岳(967m)を含む阿武隈山地があり、
大野と郡山を通る国道でさえ海抜五百メートル以上のところをとおるという、
距離以上にいろいろなものが原発との間に存在している。
(※ただ、いまのところ安全とはいえこの郡山の放射線は、場所によっては海風の関係で距離的に近いいわき市よりかなり高いです。この大事なことを欠落させていました。片手落ちで申し訳ありません。因みにそのいわきは神奈川県川崎市の約四倍程度。じつはこの程度なのですが。)

また原発に近いといわれ風評に苦しんでいるいわきだが、
ここのいわき駅だって大野から40キロ以上は離れており特急で30分もかかる。
(大雑把に言えば、京都-大阪くらいだろう。)
しかもここは常磐線もすでに開通しており運行している。
すぐにとまることで有名なJRが大手をふって、
しかもここより先まで運転しているのですから、
本来はここも安全なはずなのですが…。

最低でもこれくらいのことが頭に入っていれば
福島だから云々というのがいかに無知から派生しているものかということが
よくおわかりになられると思う。

にもかかわらずこのざまだ。

もちろん距離だけが問題ではない。
地形等からくる風向きやその日の風速などで
一概に何キロ以上だからOKというわけにはいかない。
放射能はそういうところはたしかに手強い。
だがそれでも距離というものは決して無意味でない。
ある風が吹いても何キロ以上は飛ばないということは当然あるからだ。

だからもしそれでも騒ぐのであれば、
各地にある検量計等でその数値をみ
それからだろうといいたい。
パソコンでみれば各県や市町村でそれがみれるはず。
それくらいはせめて心がけてほしい。

ところでこの風評
福島県にとってはその名称も悪いと思う。
毎日「福島」「福島」と連呼されるのはやはりまずい。
今後誰でもいいから
「福島北原第一原発」もしくは「北原原発福島第一」
もし可能なら「北原原発」という名前に名称変更できないものだろうか。

たしかに地元北原の方々にとっては許せないかもしれないが、
今のままこの位置関係に対してこれといった説明がないままでは、
福島そのものが観光や農作物の風評被害で復興に足かせをおってしまう。

とにかく「福島」という名前をなんとかしてほしいと
強く願う次第です。

もっとも今からでも遅くないですから、
この位置関係をもっと徹底してくれるなら、
こんなことを言わずにすむのですが…。

なんとかしてほしいなあ。

(2011 6/10)

と、いろいろ書いていたが
この間にとにかくでるわでるわで
東京電力の隠蔽体質がここにきて炸裂している。
数字も事実もいい加減を極めている。
これでは風評の多くが事実ではないかとさえ思えてきてしまう。

ただ反面関東の放射線はかなり落ち着いた数字にまで落ちてきている。
ただしあちこちで放射能の値に厳しい数値がでたりしている。
これが毎日の積み重ねで増えてきているのか、
それとも3月の爆発によるそれによるだけなのか、
そのあたりが自分にもよくわからない。

このあたりは本当は政府や関係機関が
随時情報をわかりやすく精査し提供すべきだと思う。
そうしないと正直こちらも何がなんだかわからないし、
何を信用していいのか正直わからない。

風評をこれ以上深刻にしないためにも、
このあたりはきちんとした「まとめ」をぜひ提示してほしいものです。


(2011 8/4 追加)

これを書いてから三ヶ月以上が経過した。
正直に言うとこの時期以降状況がかなり変わってきた。
というより知らなかったことが明確化してきたといっていいと思う。

最大のそれは3月の福島原発での水蒸気爆発。
これが想像以上のものだったことがハッキリしてきた。
まあそれまでの情報の出所が嘘吐き東電上層部だったことも、
わかっていながら信じてしまったこちらも悪いといえば悪い。
このため現状の認識をかなり間違っていたようだ。
そういう部分に関しては正直自分もお詫びわしたいと思います。

それにしてもたしかに風評はまずいが、
こうも後から後からだとこちらもどこまでが風評で
どこからが本当なのか正直わからなくなってきている。

ただ個人的にはだんだん悪くなってきているというより
最初の爆発がいかに深刻だったかがわかってきたという感じだ。

たしかに昭和三十年代も核実験で大量の死の灰が全国に降り注いでいたが
だから今がそのときに比べればマシというのもいささか納得しがたいものがある。

正直テレビでこのあたりを再度仕切りなおしで、
「ほんとうのところはどうなんだ」というところを総括してほしい。

ほんとうに昭和三十年代よりマシなのか。
最初の爆発の規模は正直どうだったのか。
基準が厳しすぎるのかそうではないのか。
現在の汚染状況は3月爆発以降悪いのかいいのか。

このあたりをすべてはっきりとさせてほしいものです。
後からの積み重ねばかり放送されても
その根の部分の認識があまりにも不透明になっているため、
これではこちらもどうとらえていいのかわからない。

ぜひなんとかしてほしいものです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

声優さんたちの大震災 [震災]

以前自分は声優さんのブログいろいろを拝見していた。
別に書き込むことはしないけれど
そこから情報とかいろいろと収集をしていた。

で今回また久しぶりにいろいろのブログをみてまわった。
それはあの震災の当日
みなさんがどうその日と向き合ったかという、
それを知りたかったのと、
そこからこういう大災害に対しての
何かの心構えや教訓がないものかということを
知りたいこともあったからだ。

まず当日、ほんとうにいろいろな状況で、
みなさん震災に直面していということに、
声優のたいへんさをあらためて知った。

これから仕事場に行こうとした方。
仕事場で地震にあわれた方。
仕事場からちょうど帰ってきた方。
オフで家にいたかた。
オフで近くに出かけていた方。
イベントの打ち合わせをしていた方。 
海外にいた方。
今まさに離陸する飛行機に乗られていた方。
仕事の移動中に電車にとじこめられた方。
車の移動中にあわれた方。
これから稽古場へ向かう方。
公演直前という方。

とにかくひとつの職業で
平日の午後三時前にこれだけいろいろな局面にあう職業など
そんなにはないと自分は思う。

またその後の対応もいろいろで、
歩いて帰った方、
帰宅難民となり各所で泊まった方、
知人のところに泊めてもらった方、
そして自転車を購入し帰宅した方と、
これまたみなさん苦労しきっていたようだった。

それぞれのブログには当日自分はどうだったか、
親族知り合いは大丈夫だったか、
テレビのニュースに心を痛めたこと、
そして
「みなさん大丈夫ですか?自分は大丈夫。」
というものだった。

ただ誰のそれをみても
キーボードを打ち込んでいるとき、
個人差はあれどかなり動揺していることがよみとれた。

なんとかリラックスさせようと面白いことを書いている方、
いつもと同じことをできるだけ書き平静を装っている方、
そして率直に続く余震等に不安を感じている方と…。

だがそれでもみなさんかなり毅然としていた。

冷静をよびかける人、
節電をよびかける人、
チェーンメールに対して憤りを感じている方、

とにかく自分達が情報源となり
少しでもよい方向へ行くようにしていこうという、
「みられている側」を強く意識し
それを最大限に活かしてのそれが目についた。

だがその反面、
自分たちに何ができるのかということを、
そのテレビでの圧倒的な津波の破壊映像をみるにつけ
祈ることと希望しか発信できない自分達に、
一抹の焦燥感と無力感を感じている方もいたことはたしかだった。

ただ何かをとにかくしたいというその気持ちだけは、
そこからも強く伝わってきた。
声優さんも自分たちなりに
311のその日からいろいろな状況に直面しつつ、
行動し悩みそして発言していたのだ。

中にはほんとうにこちらも考えさせられることもあった。
あと「ああそうなのか」ということもあった。
その中のひとつが履物のこと。

女性声優の方はときにはヒールなと履いて仕事場に入ることもあるが、
たしかにこれでは長時間歩くことは無理だ。
しかももし今度関東に震源地が近い大地震がおきたら、
これはかなりしんどい事態になるだろう。

因みに自分は立ち仕事が多いこともあるが
以前ちょっとした事故で踵(かかと)がずれたことから、
それの痛みの再発も防ぐこともあって
少し大きめの革靴を履き
その中にスニーカー用の中敷を入れている。
これをしておくとみかけは革靴だけど、
何時間歩いても足の裏に何の痛みも来ないのだ。
自分が革靴のまま四時間かけて自宅に戻れたのは、
こういうことがあったからだ。

声優さんは自分などよりもふだんから身体を鍛えているから、
何時間歩いても体力的には問題無いかもしれないけれど、
もしヒールを履いて仕事にいくのなら、
なにかに備えてもう一足、
長距離歩行が可能な靴かグッズを常備しておくべきだろう。
また男性でも革靴等使用されている方は
上の自分のそれを参考されることをお勧めしたい。

とにかく今回声優さんのブログをみていろいろと感じことがあった。
Twitterをみたらさらにいろいろとあったかもしれないが、
とにかく上述したように
みなさん自分から何とかしたいという気持ちで、
いろいろと発信されていたし、
そのためにはいかなる努力も惜しまないという姿勢だった。

この姿勢には自分も深く感心させられたものでした。
自分のブログなどはどちらかというと、
文句を言うことの方が多かったような気がする。
「おちついて」とか「節電をしよう」とか、
そういうことを言っていなかったことに今更ながら気づきました。

声優さんの中には
貴重な電力を使って自分のところを読んでもらっているという感謝や、
節電のため更新を決まった曜日で週三回にしますというものもあった。
自分なんかよりよっぽどまわりを考えている。
もう見習わなくてはいけないと反省しきりです。

とにかく声優さんのブログを読んでいて
教えられることばかりでした。

最後にひとつとても心に残ったことばがあった。

それは

「大丈夫です。きっと。人間はそんなに弱くない。」

自分もそれを信じましょう。
そしてそれを必ず乗り越えられることを。

あと不謹慎な余談ですし、
本人はそれどころじゃなかったことは百も承知ですが、

やっばり少佐の「すみません!降ります!!」」は聞きたかったなあ。
その車両に「攻殻」のファンがいたら
百年の疲れも全部ふっとんだことでしょう。
まあただ、ついてるんだかついてないんだかそれはわかりませんが…。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

普代村のこと、そしてこれからのこと。 [震災]

今回の震災で
岩手県下閉伊郡普代村がこの大津波から助かったという
その話はすでにしたと思う。

その後この話がいろいろとTVやネットでも
情報として伝わったきた。
当初じつはこの普代村も壊滅したと伝えられていた。
その後それが誤報、
どうやら大丈夫だったということが確認された。

だがそれはかなり綱渡りだったという話も聞いた。
停電で高さ15メートルの巨大水門が閉まらなくなり
急遽手動で閉められことなきをえたこと。
そしてその水門を1mほど超えて津波が侵入、
水かさが増える前に津波がひいたため事なきを得たことなど。

いろいろとその詳細が伝わってきた。
だがとにもかくにも村は救われた。

ここに航空写真がある。
上は巨大水門を中心とした写真で
水門を境に地上の雰囲気が一変しているのがわかる。

ZZZ2.png

また下の15mの防潮堤も、
堤の内側の市街地が健在なのがみてとれる。

ZZZ1.png

だがこの水門と堤防をつくるのはたいへんだったらしく、
ここまで巨大なものが必要なのか、
そこまで巨費を投じる必要がほんとうにあるのかと、
当時いろいろと批判がでたらしいが、
当時の村長が15mで押し切ったというのだ。

民主党政権発足当時だったら
絶対仕分けではじかれただろうし、
当時の国民もそれを正論としたことだろう。
自分もそうだったと思う。

それに完成した以降も、
景観はにはよくないし
かといってギネスにのるわけでなく、
観光になるわけでもない。

夏は海からの風もブロックするため
蒸し暑くなった可能性があるし、
道路からみると巨大防潮堤で市街地がみえないという、
あまりみてくれもよくない部分がある。

防潮堤も水門も今回の震災までは
決して風あたりがよくはなかっただろう。
もっとも村長の方は15mでも高さに妥協していた可能性がある。
三陸津波では場所によっては
高さ三十m以上の津波がきていたことから考えて、
ひょっとすると二十mは最低でもほしかったのではないだろうか。

だがとにかく15mの高さは村長の正しさを証明し、
そして多くの村民の人命と財産を守りきったのだ。
三年寝太郎ではないが、
一日にしてこのふたつが村の救世主となったのだ。

これを思うと経費節減と災害対策って
絶対つりあわないものという気がした。
だけどもし岩手から外房にかけて
随所に15mの防潮堤を10兆円かけてつくり、
高台にその住居の多くがつくられていたら、
今回の震災の被害は遥かに少なかっただろうし、
結果的にはおつりがきていたことになるだろう。

こうなると結果論かもしれないけれど、
政府だけでなく、
我々人間そのものが痛い目にあうまでは、
じつはそれがかけがえのないものであっても、
それを無駄としてしかとらえないという、
そういう生き物なのかもしれない。

貞観地震から千年の間、
最初の頃は多くの人たちにより、
この未聞の震災を語り伝えてきたのだろうが、
多くの人たちは三陸やペルーの地震で
この地に到来した津波を上書きしてしまい、
結果その規模を小さくしてしまった。

だがこれからは違う。
今回はこの震災をいろいろな形で記録しているし、
それ以上にあまりにも大きな犠牲をだしてしまった。
復興はもちろんですが、
これからも周期的に来るであろう宮城県沖や三陸沖の地震だけでなく、
遅くともまた千年後にはくるであろうこの大地震に対しても
じっくり世代をまたぎながら再度つくっていきたいところです。
そして千年後の大地震のときはこういわれたいものです。

「巨大津波の被害無し。人類の千年におよぶ英知、ついにその実を結ぶ。」と。


※(4/24追加)

今日この普代村のことをあるTVで放送していた。 
今回のそれではなんと津波は20メートル以上の高さだったとか。
これはまったく衝撃的だ。
そういえば水門の内側のやや山よりの一部の地面が変色している。
やはりとんでもない大津波だったのだ。

そんな番組の中
そこでとんでもない事実誤認がひとつあった。

それはここの村民の方がけっして堤防だけに頼ってはいない、
高台へ市街地をうつすという、
高いところへの避難という心構えをすでに住居を構える地点でもっていたということ。
ここのところを欠落させたまま放送してまったのだ。

たしかに堤防に頼らず常に避難路云々といのもわかるが、
足止めとしての堤も必要だし
台風時の高波のための堤防はどうしても必要だろう。

だけど少なくともこことは堤に依存しまくっていたわけではなかったのだ。
それに高齢の方はすぐに移動はできない。
そのことをコメンテーターの方がこれまた欠落させていたようだ。

このあたりをちゃんとまとめれば
コメンテーター諸氏の話もより説得力があっただけになんとも残念。
中途半端な番組づくりは何も得るものがないという教訓だけがのこりました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

震災から一ヶ月 [震災]

戦場カメラマンとして有名な渡部陽一さんのブログ
「戦場からこんにちは」
というものがある。

http://yoichi4001.iza.ne.jp/blog/
※2016年現在みれなくなってますので以下をご覧ください。
http://matome.naver.jp/odai/2130201947970620501

これを読んでいくと
渡部さんが地震発生から十日後あたりから
約二週間にかけて被災地をレポートしたものがある。

それはTVてみるより
はるかに厳しい現実がそこに写し出されていた。

渡部さんはこのブログで
「言葉を失った。背筋が凍り付いた。」
「世界中の戦場や地震取材でも見たことのない惨劇が、延々と広がっていた。」
という発言をしている。

あの世界中で多くの戦場や被災地をみているはずの渡部さんをして、
ここまで言わせるというだけど
自分はその凄まじさの一端をうかがい知ることができたような気がした。

それを思うとマスコミだけでなく
自分達被災地以外の人間もこの震災の凄さをほんとうはわかっていないで、
いろいろと政府を無責任につねしているのではないかという、
そんな気がしてきた。
だいたい日本史上天災で何百キロもの海岸線で
日本史上最大の大津波が発生し、
そのため被災者が何十万人にものぼり、
救助や復興のために自衛隊を十万人も投入するといった事態を
過去誰が経験し予想しただろうか。

もちろんだからといって今の政府に合格点などあげる気はさらさらないが、
無責任な発言をはたして被災者でもない自分達がすることが、
はたしてどうなのよいう気がしてしかたがない。
今政府を叩けば俺は勝ち組、みたいな馬鹿な考えは
今の段階ではちょっと違う話だろうという気がしたものでした。

あとこれとは違うけど
やはりそれはちょっと違うだろうという話があった。

それは最近被災地に野次馬見物で車で乗り入れ
渋滞をひきおこしゴミまで現地にすてていく輩がいる。
このため現地では通行証を発行し対策をたててるとのこと。

これは酷いよ。

いったいどれだけの災害があったと思っているのだろう。
しかもボランティアでもなければ、
何か物資を届けてくれたわけでもないのだ。

どんだけ他人の不幸が楽しいのかと、
ちょっと呆れてあいた口がふさがらない。

まあたしかに観光でやっているところなどは、
今までのように来てくれるのはうれしいし、
それが復興にも繋がっていくことなので、
これはこれで大歓迎なのだろうけど、
こいつらはそうではない。

ただどんだけものがぶっ壊れているか、
船が陸地にあがり家の上にのっかってるのをみてやろうとか、
そんなのばっかで、邪魔者以外の何者でもないのだ。

これを知ったときはさすがに悲しくて涙も出なかった。
貴重なガソリン使っていったい何やってんだよ!だ。

時間がたつにつれ
被災地とそうでないところの温度差が
こういうところにもあらわれてきたような気がする。

原発の近くに住まわれていた方々は
いまだに復興への手順すらふめないままでいる。
それに大震災当日に亡くなられた方は
まだ四十九日も迎えていないのだ
少しはそういうことまで考えろよといいたい。

まだ被災地の多く、そしてあの福島の原発では、
いまだ多くの人たちが懸命に作業をつづけている。
そして風評被害は被災地だけでなく、
海外での日本を避けるそれにもあらわれている。

正直これは今年中は続くだろう。
外国からみれば小さな島国日本というイメージが
超巨大地震、大津波、そして放射能の駄々漏れで、
その国全体が埋め尽くされたと錯覚することに繋がっても
これは無理からぬ話だろう。

自分だってもしパリに旅行していて
そのとき同じような事故がおきたら、
たとえそれがパリから百キロ以上離れていようが、
すぐ帰国しちゃうだろうし、
しばらくはフランス産のものは食さないと思う。

もうすぐ震災発生から一ヶ月ということですが
とにかくまだまだ復興への道ははじまったばかり。

とにかく自分にできることをやり、
そしてこの困難をのりきるよう心がけましよう。
「がんばれ」は言いません。
だってみんなせいいっぱい、もうかんばっているのですから。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

大津波と巡視船まつしま [震災]

最近東日本大震災の映像がよくUPされている。
なかには悲しくてみてられないものもあるが、
今回ご紹介するこれはひとりでも多くの方にみてもらいたい。

それは巡視船「まつしま」が福島沖五キロの地点で今回の震災の大津波に遭遇、
この危機を回避すべく津波に対し直角に相対し、
十メートル以上の津波を乗り越えて沖に退避しようという、
その模様を艦橋からビデオで撮影されたものだ。

映像は約10分ほどで画像は舳先と海の様子がノーカットでとらえられている。
また音声は艦橋内の生々しい会話が収録されている。

「まつしま」は海上保安庁の巡視船で、
排水量 総トン数980トン
全長 77.8m 全幅 9.6m 吃水 3.4m 深さ 5.3m
速力 20ノット 乗員 40人 という巡視船だ。

この映像は東北から関東沿岸を襲った津波の恐ろしさと巨大さを
恐ろしいまでに間近からとらえている。
特に水平線付近に横一直線にみえる不気味な黒い水の壁と、

A.png

最初の波を越えるときに
海面が異常な雰囲気を呈していることに恐怖させられるが、
驚いたのは乗り越えた後思ったほど船が下を向いていないことだ。

つまり波の後ろがふつうの海面となっているのではなく、
津波台地のような形で海面が広大に隆起したまま
大波の後ろに続いていたということだ。
しかもその津波台地の上にも津波が存在し、
それを何度も乗り越えていかなければいけなないという、
おそろしくとんでもない状況だし、
その上で「これも十メートルある」ということは、
すでに陸上にあがる前からこの津波が十メートルをはるかに超える、
とんでもない高さをもった津波であり、
しかも巨大な津波台地をともなっての到来ということで、
そのエネルギーの巨大さはもう想像の域を超えたものとなっていた。

この映像は今後の研究資料としてもたいへん貴重なものとなったと思うし、
これが貞観地震以上かつ日本有史上最大の地震がおこした津波の、
その正体に迫る記録のひとつとして大きな意味をもつものになると思う。

とにかくこの大津波の正体をぜひひとりでも多くの方にみてほしいものです。

http://www.youtube.com/watch?v=4-mkzcxnJS8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=8ZNJBOhY5Uw&NR=1

それにしても乗組員の動揺することなく、
冷静に対応しているそれは
当然と言われればそれまでですが、ほんとうにたいしたものです。

尚、以下にもう少し仙台よりで津波超えをした船の記録もリンクしておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=euJTeN_YvnA&feature=related
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

シーシェパードがみた大震災。 [震災]


南極海の調査捕鯨を1カ月早く切り上げて帰港し、東日本大震災の救援物資船となった日本船団の母船「日新丸」(8044トン)について、捕鯨中断に追い込んだ米国の反捕鯨団体、シー・シェパード(SS)は25日、「われわれの努力が震災犠牲者への支援を生み出した」とアピールする声明を出した。(佐々木正明)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110326/dst11032611220024-n1.htm

まあたしかにそうかもしれないし、
実際そこにいるはずのない船がいたことで、
かなりの被災者が助かっていることを思うと
否定はできないかもしれないけれど…。

やっぱ自分で声明だす類のものではないでしょう。
これじゃあ、どんなものでも利用して、
とにかくなんとか名声をあげようとしているかのような、
そんなふうに感じられてしかたがなかった。

ただこれなどはまだ次のものに比べるはるかに微笑ましい。


SSは東日本大震災の発生後、震災について頻繁に言及。代表のポール・ワトソン容疑者(60)=傷害容疑などで国際手配中=は、海の神が怒ったとする趣旨の「Tsunami(津波)」と題した詩を発表し、物議を醸している。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110326/dst11032611220024-n1.htm
(の中段あたり)

いやこれはもうコメントのしようがない。
何万人もの被災者すべてをネタにするその神経が?です。

というよりも動物の命を大切にする団体の長が
動物が生きるのなら人は死んでもいいんだということを口にする。
人も動物も命の重さは変わらないというところから
この団体の理念がきているはずなのに
それを真っ向否定するようなことを団体の長が詩にするという矛盾。

これに対してシーシェパードの他の方たちはどう考えているのだろうか。

だが以下のそれは少し違っていた。


  環境保護団体を標榜(ひょうぼう)するシー・シェパードのメンバー6人が11日、岩手県の三陸海岸にある大槌町で、地震と津波に遭遇していたことが分かった。「イルカ保護のため」として、同地を訪れていた。6人全員が無事だった。リーダーのスコット・ウェスト氏は手記を発表し、甚大な被害に驚き、心を痛めると同時に、自分たちに向けられた「日本人の親切さと温かさ」を強調した。

  津波が押し寄せた時、メンバーらは、イルカ処理施設を見ることができる高台にいた。そのため、巨大な津波が街を破壊する様子を目の当たりにした。夕方になり、残骸(ざんがい)の上で漂流する女性が助けを求めている悲鳴を聞き、ロープを投げるなどしたが届かず、道路に出て消防車を呼んだ。消防隊員が救出しようとしたが成功せず、女性が乗る残骸は海の方にゆっくりと流されていった。あたりは暗くなり、女性の声も聞こえなくなった。ウェスト氏は「ショックだった。信じられなかった」とつづった。

  11日夜は、メンバーが乗ってきた自動車の中で過ごした。外気はセ氏0度程度に冷え込んだが、ガソリンが十分にあったので、凍えることはなかったという。夜明けごろに山火事が発生し、人々が逃げてきた。周囲の道路は自動車が走行できる状態ではなかったので、徒歩で脱出した。その後、安全な内陸部に向かうことにしたが、警察官に事情を話したところ、遠野市にあるホテルを手配してくれた。約50キロメートルの道のりだったが、歩くしかなかった。大槌町の市街地は壊滅状態で、レンタカーを利用することも、不可能だったという。

  すると、住民男性のひとりが、遠野市に向かう自動車2台を手配してくれた。運転してくれたのは、経営していた商店が津波で流されてしまうなど、「すべてを失った人だった」という。ウェスト氏は「この日、われわれに向けられた親切と寛容さを、書きつくすことはできない」、「日本の人々は暖かくて親切だと、これまで以上に確信することになった」と記した。

  ただし、クジラやイルカ漁に反対する立場は変わらず、「イルカなどの虐殺をやめれば、日本は海洋保護のリーダーになる可能性が大いにあるのだが」との考えを示した。(編集担当:如月隼人)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0316&f=national_0316_109.shtml

十日以上前のことなのでもうご存知の方も多いと思う。

シーシェパードが日本に来ていたことは知っていた。
映画の第二段でも撮影しにきたのかなと思っていたが、
なんとあの津波に遭遇していたという。
大槌町は釜石から電車で北で20分ほどいったところだ。
そこで今回被災したという。

正直この短い文面だけでも
当日の悲惨な光景がうかがえる。
というより短いことが
さらにその印象を強くしているところがある。

最後にちょっと本人のプライドがみえたけど、
おそらくこの本人も仲間も
二度と遭遇することのない大災害に立ち会ったことは、
いろいろな意味で自分の心の中に残るだろう。

自然の力の物凄さというものを痛感したことだろうし、
かといって自分達に
いつものような事が何もできなかったことも、
またショックと無力感をも感じたことだろう。

もちろんこれで活動を自粛することはないだろうけど、
これから自分のたちの住むこの世界が
少しちがってみえてくるかもしれない。
じっさい自分もそんなところがあるし…。

シーシェパードの行動はたしかにあれだし、
それを続けるのも自分はいろいろな意味で否定的だが、
これからはその守ろうとする自然の一面に、
こういう顔が存在しているということと、
その自然に対していかに人間は相対し、
そしてその中で活きているのかということを、
あと少しだけ考えてほしいと願った次第です。

そう、考えるだけでも…です。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

ぜんぜん駄目な一部マスコミにさすがに怒りました! [震災]

もうなんだろうと呆然としてしまった。
ある番組での話のこと。

そこでは福島原発についての話があった。
なかなかよくならないということと、
ほんと作業の人は大丈夫なのだろうか、
という不安がここでも募った。

だが続いて耳を疑う会話がはじまった。
それは自主避難の意味がわからない、
これでは地元が困惑すると言うことを、
延々と非難し政府に噛み付く内容だった。

だーかーらー!

そうじゃないんだよ。
それじゃあ避難されている方と同じ。
一緒になってパニック起こしてどうすんだよ。
だからそこから先までやるのが報道でしょ。

わからない、意味不明、
そう感じたらそこのところを質問するか、
もしくは自分達でその真意を考え
「これこれこうだから、こういうことなのですか?」
「だったらこのあたりの問題はどうするのですか?」
という質問を関係各位に質問するなり、
毎日会見している官房長に会見時直接聞くなりして、
それわかりやすく伝えるのが報道でしょ。
そこで問題があったら
どんどん修正するよう再考を促しチェックするのも、
ある意味マスコミの努めなのです。

今未曾有の非常時なんです。
わかってるんすかね。この人たちは?
噛み付く暇あったら
被災者に有意義な報道を少しでも心がけるべき。
おかしいおかしいじゃ今は駄目なんです。
そこを噛み砕き政府と意思の確認をし、
それを被災者に誤り無く統一して伝えるのも、
大手マスコミの非常時の責務ではないでしょうか。

それができないから
より政府のことが意味不明になってるんじゃないのですか?
頼りない、顔が見えない、大丈夫?、はみんなわかってます。
ならあなたたちまでそれと同一のレベルで、
事を処理してていいのですか?
そんなレベルの人が今の政府を非難できるの?

以前もいいましたが
口ばっかりで気持ちは今が未曾有の天災にあったという、
そういう自意識がこれっぽっちもない。
みんなでなんとかしようというのなら、
あんな噛み付くだけの生産性の無いコメントが
延々と垂れ流される番組など放送しないはずだ。

ゲストの専門家の方も
こんなレベルの話でいいの?という困惑をみせていた。

今の政府は危機管理能力がなってない!
それはわかりました。
だったら今から以降どうするの?
あなたたちはその疑問を質問としてぶつけましたか?
そして納得できる回答が得られるまで質疑応答しましたか?
そしてそれを噛み砕いて国民に報道しましたか?

ほんと一番危機管理ができてないのはマスコミですよ。
地震おきて何週間たったと思ってんの?
停電してない地域に会社があるからって、
少し地震報道に飽きてきたんじゃないですか。本音のところどうなんですか?

正直これからが正念場なんですよ。
生きるも朽ちるもこれからが勝負なんです。
それに対してできること考えられることはやろう。
非難する前に疑問は質問し納得できるまでやりとりをしよう。
そしてそれをわかりやすく被災者そして国民に伝えよう。

そういうシンプルな姿勢や考えがなぜとれない!
めんどくさいこといってるんじゃないんです。

被災者の疑問や苦難を解決させるために、
政府と被災者とのシンプルかつ妥協の無い架け橋となってほしい。
ただそれだけなんですよ。

今のような非難ばかりじゃ駄目なんです。
もちろん番組で指摘するのはいいです。
だけどそれで終わってどうするの?なんです。

非難もする、だけどフォローもする。
言っときますけどこのフォローというのは、
政府に対してではなく、被災者に対してということなのです。
それができないなら、みんなでがんばろうなんてスローガン、
今すぐとっとと外してください!です。

建設的な考えといいますか被災者の身になった考えがてきないマスコミ。
これじゃいくら募金募ってもその何割かはドブにすててるのと同じです。

少しは考える力と被災者のためになる努力を創意工夫してほしいです。
被災者にとって報道がどれだけの支えになっているか。
特に今回のマスコミはもっと真摯にこの問題を見つめなおし、
根底から再考し直してほしいものです。
考える事を放棄したマスコミは死んだも同然ですから。

因みにどの番組でそれがあったかは言いません。
今は個人攻撃で吊るし上げるときではありません。
そんなことしたら、
それこそあの酷い番組をたれ流した、
某マスコミと大同小異にこちらがなってしまいますから。

今民主党政府を叩けば俺は勝ち組みたいな、
そういう幼稚な発想をこの時期にもってほしくないなあ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

東電と石棺 [震災]

東電上層部の醜態は日に日に酷くなっている。
おそらく指揮系統はズタズタで、
ほとんど機能してないのではないだろうか。

これは早急に専門家チームを現地に派遣し
東電を上からコントロールした方がいいと思う。
あのチェルノブイリでも十日前後で収束したことを思うと、
この二週間たっても出口がみえないそれは、
かなり深刻といっていいと思う。

すでにスリーマイルなど比較にらなず、
チェルノブイリと比較されるようになったこの事故、
ひょっとすると東電はもっと大きななにかを隠蔽しているのだろうか?

だいたいチェルノブイリと比較するようになりはじめた時点で
かなりヤバイというのは誰にもわかっていることだし、
基準値を大幅に踏み越えた測定値がでているのだから、
いくら健康には問題ないといわれても、
これでは風評がたちまくってもしかたがない。

中には自分は原子力に関係していると偽り
ネットであることないこと書きまくって
不安を煽る人までいるというのだからたまらない。
(一説には外国からの書き込みらしいけど事の真偽は不明)

ただそれもこれもすべて東電上層部の拙劣な対応がすべてだ。
それにふりまわされて初動で失態を犯した政府も駄目だけど、
とにもかくにも東電上層部が
今回の大地震に手を貸し日本全体をぶっ壊したといっていい。

諸外国に対する日本からの輸入品への警戒。
東北各県の被災者への全力救済への妨げ。
原発近くの津波の被災者の捜索と復興の停止。
福島県全体の農作物への風評被害。
日本各地の観光産業の大打撃。
そして各種イベント産業の被害。
輪番停電による経営圧迫、
通勤通学の不便、医療関係の対応の深刻さ等々。

もうこれらすべてが東電上層部の大甘&隠蔽体質が招いた結果だ。
正直政府は1200億の契約上の保証金も
罰金として支払いを拒否してもいいのではないだろうか?
というよりこれを受け取ったら東電も
どういう神経してるのかと少々その正気加減を疑ってしまう。

あと四日で今月も終わるが
これが四月までずれこんだら
正直こちらも覚悟をしなければならないかもしれない。

ところでチェルノブイリだが
ここは半径30キロは未だ立ち入り禁止区域となっている。
もし福島のそれが最悪のそれをたどった場合、
やはり同じことになる可能性が高いと思う。

ただチェルノブイリの凄まじさが福島と違うことは
漏出ではなく爆発だったということ。
このため一説では何千人もの人が事故当日即死したというから、
チェルノブイリのそれは想像以上に凄まじいものだったようだ。

もっともだからといって福島が良好というわけではない。
この未曾有の大事故と比較しなければならないことそのものが
すでに異常だということをわかってほしい。

事故当日はたいしたことないと言っていた専門家も
今は何人かはもうテレビに出てこない。
彼らは別に間違っていたから出てこないのではない、
彼らもまた東電上層部にはめられたのだ。
東電上層部には彼らの最低限の常識すら持ち合わせていなかった。
だから話す次元の違う事態に
話すことがなくなってしまったのだ。
それ以前のことすら東電上層部は知らないし出来てなかったのだ。

これはきっかけは天災だけど、完全な人災だ。
ではこれからどうすればいいのだろう。

まずは原子炉を安定させなけれはいけない。
電気が通ったのはいいが、
大量の高濃度の放射能漏れがおきている。
これを取り除き、多くの補修をしなければならない。
そして最後はチェルノブイリのように
巨大な石棺でいくつもの原子炉を封印することになるのかもしれない。

そこまでいくのにどれくらいの月日がかかるのかはしらないけれど、
なんとかそこまでできるかぎり滞りなくすすんでほしいものです。
もちろん一人の犠牲者を出すこともなくです。

それからはおそらく捜索と復興、
そして可能な部分は土壌の入れ替え等を行うことになるだろう。
現在チェルノブイリは半径30キロは立ち入り禁止となっていると言ったが、
じつはこんなものがあった。
http://www.japanese-page.kiev.ua/jpn/chernobyl-tour-main.htm
もうびっくりである。
もしこれを福島でやったら
個人的にはちょっと許せないものがあるけれど、
だけどこれをそのまま地元復興や被災者の支援にまわせたら、
それはそれでいいのかもしれないとも思った。
二十年後は誰もそれはわからないです。

またある人は
今回の津波や災害の映像のビデオを記録映画としてDVDにして、
世界でそれを発売しその収益金を震災の義援金にしようと言ったとか。

これもまたなんといいますか、
たしかにお金は集まるけどはたしてそれは道義上どうなんだろう。
それでも地元被災者の皆様が了承するというのなら、
それはそれでいいのかもしれないけれど…。

おそらくその答えは自分の中にはでないと思います。

ただその前にほんとうになんとかしてほしい。
東電が石棺製作に踏み込まなければならないのか、
それともその手前でなんとかするのか。
醜態続きだけにここで汚名挽回をしてほしいものです。


最初はかなり凄いことを最後書いてしまいましたので、
少々内容をそこのところだけ変えました。ご了承ください。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

貞観地震とこれからのこと。 [震災]

今回の地震を1000年に一度の大震災とよくいう。
これは貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)に
今の東北から北関東にかけておきた
貞観地震とひじょうによく似ていたからというのがそれだ。

貞観地震について東北大学大学院理学研究科教授の箕浦幸治氏が
概説的にわかりやすくこの地震のことを書いている。

http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi16/mm16-45.html

これをみて驚いたのは、
この度の震災とこの地震がうりふたつということだ。
この箕浦氏の文は今回の震災前に書かれている。
だから今回のそれをなぞったわけではない。
これを読ん本当に愕然としてしまった。

そういえば以前自分も貞観地震について読んだことがあるが、
それはまもなく来るであろうと言われていた
宮城県沖地震の少し強いものくらいしか考えていなかった。
だから津波が来るとしても10メートルくらいのものしか考えていなかったし、
今は三陸には巨大な堤防がいくつも存在していることから、
それがあればかつての奥尻島の悲劇的な津波災害のようなものは
充分に避けられると思っていた。

だが事実は違った。
というより貞観地震に対しての認識が間違っていたのではないかということに
このときはじめて気がついた。

貞観地震ばM8.3くらいのものだと一時いわれてきた。
これだと明治三陸地震のそれと同等だし、
今度の宮城県沖のそれと変わらない数値だ。
だが明治三陸のそれは仙台平野を水浸しにはしなかったし、
どう考えても貞観地震の方が巨大なものに感じられてしかたがなかった。

そうなると貞観地震はそれを上回るものとなるのですが
かつて日本を襲った最大級の地震である、
濃尾地震や明治三陸のそれがどうしてもひとつのピークと考えしまうのだろうか、
その発想が誰にもなかったような気がします。

あの東海・南海・東南海連動型地震でも最大M8.7と推定しているのですから、
無理からぬことだと思います。
(※貞観地震をM8.7と推定している方もいたそうです。)

ただ上記リンク先にもありますように、
貞観地震以前を地質調査をすると、
仙台平野には三千年の間に三度この平野を大海原に変えた
大きな地震があったということがわかったとのこと。
つまり今だから言えるのでしようが、
明治維新の頃から東北一帯は貞観地震の再来がおきる
危険な状態になっていたということなのです。

とはいえ貞観地震がおきた時代は平安時代、
たしかに記録は残っていますが、
今の方々にはオーバーで不確実な記録としかうつらないと思います。

ですが当時の人たちは当時の人たちなりにその惨状を書きとめ
そして将来に伝えようとしたと思います。
地質調査でも裏付けられた千年に一度の異常現象を
自分も含め、皆どこかおろそかにし
そして勝手に常識の範囲の解釈の中に
それらを押し込めていたのかもしれません。

今回は貞観地震の警告にあまり我々は耳を貸しませんでした。
ですが自分には今注意されている地震以外にも、
このように古来に書き留められた地震の記録や、
地質調査からでてきたことによる発見の中に、
まだ自分達が知らない未知の大地震の警告があるのではないかと、
そんな気がするようになりました。

これからはどんな些細なこと、
もしくはそんな馬鹿なと思ってしまうような事柄でも、
より注意し、そして情報を細かくみていきたいと思います。
日本でペルー地震のようなM9.5の地震が今後起きないと
誰が言い切れるでしょうか。
それらに備えていろいろと準備をしていかなければいけない、
そんな時期に入ってきたのかもしれませんね。

ただもちろん風評には惑わされては駄目です。
「常識ではありえないこと」と「根も葉もないこと」とでは、
天と地ほどの差がありますから。

あくまでも「備えあれば憂い無し」、
冷静にいきましょう。

※以下3/27追加。

東日本大震災で大津波が直撃した東京電力福島第1原発(福島県)をめぐり、2009年の審議会で、平安時代の869年に起きた貞観津波の痕跡を調査した研究者が、同原発を大津波が襲う危険性を指摘していたことが26日、分かった。東電側は「十分な情報がない」として地震想定の引き上げに難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張。津波想定は先送りされ、地震想定も変更されなかった。この時点で非常用電源など設備を改修していれば原発事故は防げた可能性があり、東電の主張を是認した国の姿勢も厳しく問われそうだ。危険性を指摘した独立行政法人「産業技術総合研究所」の岡村行信活断層・地震研究センター長は「原発の安全性は十分な余裕を持つべきだ。不確定な部分は考慮しないという姿勢はおかしい」としている。

http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032601000722.html
(共同ニュース)

なんと東電はこの貞観地震のことを国会で質問されていたという。
これ質問した人はなかなかですが、
だとしたら「想定外」とはどういうこと?

まさに人の話なんか聞いちゃいない。
嘘吐きと言われてもこれはもう仕方がありません。もはや最悪です。
これは事故当時、絶対原子炉を熟知した専門家は現地にいなかったですね。
だって人の話を聞かない人間が、そんなことするわけないでしよう。

現在被害を受けている多くの方々はもちろん、
命けずって現在修復作業をしている多くの人たちに、
東電幹部はこれをどう説明をするのだろう。

(4/20 補足追加)

東日本大震災のマグニチュード(M)9・0の地震で起きた津波は、仙台平野の海岸線から5~5・5キロ・メートルにまで達し、過去最大級だった「貞観地震」(869年)の大津波を超えていたことが、東北大学災害制御研究センターの調査でわかった。


 同センターの菅原大助博士研究員らは仙台市内の約300地点を調査。海岸から5キロ・メートル以上離れた4地点でも水田のわらや漂流物のごみなどを確認した。

 貞観地震の頃の海岸線は現在より約1キロ・メートルほど内陸側で、津波は海岸線から3~4キロ・メートルまで押し寄せたことがわかっている。

 また、コンピューターで貞観地震の大津波と、今回の津波を再現したところ、貞観の津波の高さは海岸線から1・5~3・4キロ・メートルで約2・5メートルだったのに対し、今回は海岸から2~3キロ・メートルで高さ約2・8メートルと推定され、高さでも貞観を上回っていた。

(2011年4月17日01時43分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110416-OYT1T00595.htm

そこまで凄かったのかというのが今の偽らざる心境です。私達は日本の歴史上最大の大地震と巨大津波に遭遇してまったということです。おそらくことの重大性を自分達が掌握できるのはまだ先のことになるのかもしれません。恐ろしいことです。

あとこちらに津波から助かった岩手県の下閉伊郡普代村のことを記しました。

http://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-04-09-1

[最後に]

2011年3月11日(金) 15時26分 三陸沖 M7.5 震度4
2011年3月11日(金) 15時15分 茨城県沖 M7.7 震度6弱
2011年3月11日(金) 15時12分 福島県沖 M6.1 震度5弱
2011年3月11日(金) 15時8分 岩手県沖 M7.4 震度5
2011年3月11日(金) 15時6分 三陸沖 M6.4 震度5弱
2011年3月11日(金) 14時58分 福島県沖 M6.4 震度5弱
2011年3月11日(金) 14時54分 福島県沖 M5.8 震度5弱
2011年3月11日(金) 14時51分 福島県沖 M6.8 震度5弱
2011年3月11日(金) 14時46分 三陸沖 M9.0 震度7

2011年3月11日(金) 7時44分 三陸沖 M4.8
2011年3月11日(金) 1時55分 三陸沖 M5.3

2011年3月10日(木) 20時21分 三陸沖 M5.1
2011年3月10日(木) 18時2分 三陸沖 M5.2
2011年3月10日(木) 17時8分 三陸沖 M5.7
2011年3月10日(木) 8時37分 三陸沖 M5.1
2011年3月10日(木) 6時23分 三陸沖 M6.8 震度4
2011年3月10日(木) 3時45分 三陸沖 M6.1
2011年3月10日(木) 3時16分 三陸沖 M6.2

2011年3月9日(水) 20時28分 三陸沖 M5.2
2011年3月9日(水) 17時2分 三陸沖 M5.2
2011年3月9日(水) 16時56分 三陸沖 M5.0
2011年3月9日(水) 15時25分 三陸沖 M5.1
2011年3月9日(水) 13時46分 三陸沖 M5.1
2011年3月9日(水) 13時37分 三陸沖 M6.1
2011年3月9日(水) 13時32分 三陸沖 M5.1
2011年3月9日(水) 13時6分 三陸沖 M5.5
2011年3月9日(水) 12時19分 三陸沖 M5.3
2011年3月9日(水) 12時8分 三陸沖 M5.9
2011年3月9日(水) 12時2分 三陸沖 M5.2
2011年3月9日(水) 11時58分 三陸沖 M6.0
2011年3月9日(水) 11時45分 三陸沖 M7.3 震度5弱

2011年2月26日(土) 23時41分 三陸沖 M5.1
2011年2月22日(火) 18時54分 三陸沖 M5.0
2011年2月16日(水) 4時7分 三陸沖 M5.3
2011年2月16日(水) 4時1分 三陸沖 M5.3

2010年12月10日(金) 1時21分 三陸沖 M5.3
2010年8月10日(火) 14時50分 三陸沖 M6.2 震度4

以上、震度に関しては最大震度3以下は省略。

これは3/11の大地震以前に三陸沖でおきた
M5以上の地震のだいたいの一覧だ。
今だから言えるけど2月以降、特に3/9以降のそれは明らかに異常だった。
さらに3/11の7:44を最後に震度1以下もあの瞬間まで発生していない。
この突然静寂を保ったのはまさに最後の猶予だったのか。

そして3/11はこの巨大地震発生から35分間に起きたそれを明記した。
とんでもない規模の大地震がこの短時間に
なんとこれだけおきていたのだ。
M7以上が最初のその後じつに三回。
しかもすべて阪神淡路大震災時のマグニチュード以上のものばかり。
正直愕然としてしまった。

そしてこの地震のちょうど一ヵ月後に

4月11日(月) 17時16分 福島県浜通り M7.0 震度6弱

これまた巨大な余震である。
その後5/7の15:35まではM7クラスのそれは起きてないが
だからといって気を緩めることはできない。

このデータもまたこれから解析されていくだろう。
次の大地震に間に合うようにぜひ役立ててほしいところだ。
天災はまったなしなのですから。

あと関連項目として
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2011-05-07
↑「貞観地震の後に起きた仁和地震のこと」 もよろしければご覧ください。
nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感