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アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団(7/18) [演奏会いろいろ]

(会場)サントリーホール
(座席)2階C9列14番
(曲目)
ブラームス: ハイドンの主題による変奏曲
ベルク: ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
(Vn) フランク・ペーター・ツィンマーマン
ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 op.68


早朝になでしこジャパンのまさかまさかの世界一ではじまったこの日。乗っている電車でもどこか他の人たちの表情が明るい。

そんなこの日の演奏会。ニューヨークフィルの現役音楽監督がこの状況下にわざわざ来日してくれる演奏会。たしかに向こうでもいろいろと震災直後にしてくれたことは知っているし、母が日本人ということもあるかもしれないが、それでもとにもかくにも来日してくれたことそのものがうれしい。

そのせいだろうか。前日は満員札止。そしてこの日は前売りが約百枚ほどあるということだったが、そのためか当日券希望者がこの日に集中。チケット発売から三十分後、つまり開演三十分以上前に並んだのに、まだ五十人近く並んでいる。正直これはもう駄目だと思ったが、チケットがもっと多かったのだろうか、並ぶこと二十分以上でなんとか購入することができた。ただ自分の後にもあと二十人は並んでいた。はたしてチケットは全員に行き渡ったのだろうか。自分のみた空き席状況のそれはかなりやばい雰囲気ではあったのですが…。

サントリーホールは今年初めてだが、やはり照明は暗かった。ただ空調はそこそこきいていたので暑いということはなかった。むしろトイレがあいかわらずだった。女性を増やし男性を減らしたたもののとにかくどちらにとっても圧倒的に数が少ない。あいかわらずの大渋滞にこのホールが昭和に出来たホールであることをあらためて痛感した次第。平成以降にできたホールはこのあたりがじつはかなり違うのだ。このホールの数少ないウィークポイントであり、じつは自分がこのホールを避けている理由がこれなのだ。

そんなごったがえし状態を横目でみながら着席、そして開演。ここでいろいろと場内アナウンスがあった。最近も酷い目にあっただけにこのアナウンスにはなんともいえないものがあるが、これが今までおきたホールでの出来事によるものからきていることを思うと、ほんと聴衆のレベルというか質が変わってきているということを思い知らされたものだった。

こうしてはじまったこの日の演奏会はとにもかくにもギルバートに感心しまくる演奏会となった。

冒頭のハイドン変奏曲。ロマンティックな息遣いを盛り込んだ主題の木管に続いたその響き、弦を12型に刈り込んだがそんなことおかまいなしのとんでもない重厚さにまず驚いた。しかもただ重ったいのではなく、キレと見通しのよさ、明快でクリアな音質、そしてビジョンの確かさがそれに加わっている。このためこ変奏曲がまるで透かし彫りのように見事に、しかも極めて重厚に響いてくるのだから素晴らしい。しかもときおり聴かせる豊かな表情づけにより無味乾燥に陥ることもない。

じつにしっかりとした音楽づくりだ。最近彼と同年代でしかも同じ北米で活動しているメキシコの指揮者、カルロス・ミゲル・プリエトが来日しなかなかの演奏を聴かせたが、彼もやはり同じようなコンセプトをもった指揮者だった。北米大陸で活躍するこの世代の指揮者はこういうタイプの指揮者が多いのだろうか。

ただ考えてみると、キレと見通しのよさ、明快でクリアな音質、そしてビジョンの確かさ、さらにそこに熱い音楽の語り口とストレートな音楽への見据え方というのを加えると、ニューヨークフィルにひとつの時代を築いた前任者である、バーンスタインやトスカニーニとどこか通じるものがある。ギルバートはそういう意味で、ただニューヨーカーというだけでこのオケに選ばれたわけではないということが、こんなところからも垣間見れるものがあった。

続くベルク。ここでもギルバートのよさが光る。特に清澄な響きが随所でものをいっている。自分はこの曲を実演で聴くのは34年ぶりだ。そのときは濃密な弱音の世界が延々と展開された記憶があるが、今回のそれはこれが同じ曲かというくらい趣が違っていた。とにかく立体的でしかもクリアな響きが全体を支配しており、この曲を初めて聴く方にもそれなりの楽しめだのではなかろうか。(もっとも自分のお隣に座られていたご婦人はすっかり夢の中で船を漕がれていたようですが…)

しかしそれにしてもこの曲はよくブラームスの交響曲と組み合わせられる。34年前はブラームスの交響曲第4番だったし、自分は聴けなかったのですが、以前庄司紗矢香さんとチョンさんがこの曲を演奏したときも後半はブラームスの交響曲第2番だったとか。自分は勉強不足なのですが、ここになにか理由があるのでしょうか。

演奏終了後ツィンマーマンがアンコールでバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番から サラバンドが演奏されたが、これはベルクのそれがバッハがらみということか。

休憩時間ホールの外へ出てぷらっと歩いてて驚いた。それはしばらく歩いたところに地下と一階に売り場のある酒屋さんがあり、そこではお弁当やパンも販売していて、小腹が空いたときなどはそこで買い物をしていのですが、そこが跡形も無くなくなっていた。もう一年近く行ってなかったのでいつそうなったかはわからないのですが、これにはショックでした。またひとつの時代が終わってしまった…。もう一度あそこでパンを食べたかった。

後半の交響曲も以上の特長が出た重厚明快、そして熱い演奏となりました。ただしドラマティックとか情念剥き出しのようなそれとは違い、もっと音そのものだけで勝負したような、潔いくらい渋みのない爽やかで豪快なブラームスとなっていました。ギルバートはまだ四十代。まだまだこれからの指揮者ですが、今のこの好調時を持続しながら、ぜひこれからもいい形で円熟していってほしいものです。ほんとに素晴らしい指揮者をニューヨークはトップにすえたものです。2009年にこのニュースを聞いたときは正直無謀とさえ思ったものでしたが…。

都響もよくそれにこたえており、いまや日本でもトップクラスにあるオケとしてのそれを遺憾なく発揮していたように感じられましたし、もはや世界でも充分すぎるくらい通用する演奏を聴かせてくれていました。

今だからいいますが、自分がかつて日本のオケに不信感をもったのは1975年に文化会館で聴いた他ならぬ都響の演奏でした。それがいまや日本のオケを代表するような名演をするようになったことに、ほんとうになんともいえない感慨を覚えます。シンフォニー・オブ・ジ・エアが来日し今年で56年。かつてN響のホルン奏者の方が、シンフォニー・オブ・ジ・エア来日時に「孫の代には追いつきます」といったその言葉が、まさに今花開いたというべきなのかもしれません。

ギルバートにはぜひまた都響の指揮台に立ってほしいものです。それにしてもギルバートの顔。かつて昭和の東宝映画でよくみかけた俳優の小杉義男さんによく似てるなあ。
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