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ハンス=マルティン・シュナイト指揮神奈川フィルハーモニー(2/17) [演奏会いろいろ]

(会場)神奈川県立音楽堂
(座席)20列10番
(曲目)
Rシュトラウス:メタモルフォーゼン
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

今回の演奏会に先立つ15日に、公開練習を見学してきました。都合により午後からの見学となりましたが、会場に着いたときはちょうどみなお昼の休憩ということでシュナイト氏も楽員の方もくつろいでいらっしゃる最中ということで、そばの梅園で梅の香りを堪能した後再度会場へとなりました。演奏はこの日の快晴の天気を思わせるような晴朗なものでしたが、その練習がけっこう興味深いものがありました。でシュナイト氏は朝からの練習ということもあり、少々お疲れ気味のようでしたがお元気そうにみえました。指揮台に立つと相変わらず精力的で、その情熱にはほんとうに頭が下がるおもいがします。

 この日午後の練習曲目はRシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。冒頭なかなか表情がうまくでていないのか、何度かその音楽を伝えてはその確認の繰り返し、でひとつの歌が単体から唱和に発展し、それを次に引き継ぐところでそれがうまく伝達されていないところでまた確認。(あと音程にも冒頭若干不安定に感じられる部分がありましたが、意外にもこれは本番でもそのままでした。ここの舞台裏は異常に冷えるので、それが指にも影響したのかもしれません。)

 と、しばらくこういう歌から唱和へのまとまりとその流れの伝達という、ひとつ流れのパイプを冒頭部でつくりあげると、あとはもう一気に最後までノンストップで演奏をしてしまいました。ただそこでの音楽はかなり充実したものがなり響いており、練習というよりもういきなり本番に入ってしまったような、そんな気がするほどのものになってしまいました。

 で、演奏終了後シュナイト氏の補足というか大事なお話があった後、午後の練習はあっという間に終了してしまいました。これをみているとシュナイト氏と神奈川フィルの関係が、とてもよくわかったような気がしたものでした。

 昨年見学したブルックナーでもそうでしたが、シュナイト氏は川(ここでいう曲の全体像)とその流れをつくり、神奈川フィルはその流れを、川のまわりを見渡しながらどれがより自然なのかを考えながら漕ぎ進める船のような、そんな関係で音楽を創り上げているというふうに感じられたものでした。

 この日の冒頭であれほど時間をかけたのは、その流れをつくるためのシュナイト氏の作業であって、音楽が意味を持って歌が伝達されることにより出来た流れを、オケがつかみそして漕ぎだしたら、あとはそのベストの流れをつかみその感覚を覚えさせることに重きを置いたというこの日の練習であったようでした。このためこの日の演奏は最後までいった一回で終了となったのでしょう。細かい表情の微調整は多少あったかもしれませんがそれ以上によほどいい流れができた現れかもしれません。

 これをみているとシュナイト氏と神奈川フィルの関係は、自分が聴きはじめた最初の頃とはかなり違ってきており、オケが指揮者に追従するだけではない、しっかり指揮者の考えに則した自己主張をする段階になっていることをあらためて感じさせられたものとなっていました。

 この練習の二日後にこの日の演奏会となったのですが、前半のシュトラウスは練習のときほどの高揚感はなかったものの、より深い情感を呈したものにしあがっており、特に終結部付近のコントラバスによる「英雄」の葬送行進曲のテーマあたり以降の深遠な響きはじつに底知れないものを感じたものでしたし、指揮者とオケの素晴らしい一体感を聴くおもいがしたものでした。また中間部のまるで「ジークフリート牧歌」を想起させるような森のような響きは、戦禍により消えていったヨーロッパの自然や文化そして多くの人々の生命を悼むかのようで、あらためてシュナイト氏がこの大戦を少年期の多感な時期に体験されていたことを感じさせられてしまったものでした。(尚、終演後聴衆の長い沈黙がありましたが、じつは15日の練習でも同じことが起きていました。)

 因みにシュナイト氏はこの一曲目、オケのメンバーと一緒に舞台に登場しましたが、これは「メタモルフォーゼン」が「23の独奏弦楽器のための」という副題があることから、独奏者と指揮者の関係という形での登場だったのでしょう。(自分はこの曲の実演は今日が初めてだったのですが、他の指揮者もこういう登場の仕方をこの曲の場合行っているのでしょうか?)

 さて後半の「英雄」ですが、こちらは正直いろいろとあった演奏となってしまいました。

 まず第一楽章。とにかく楽想ごとにテンポも表情も変化の連続で、まるで交響詩かなにを聴いているようで、シュトラウスの「英雄の生涯」がオーバーラップさせられてしまうほどのものがありました。こういう演奏は自分もかつて古い録音で聴いたことがあるので、そんなに意外とは思わなかったのですが、実演で聴くのははじめてで、あらためてこの楽章のもつ膨大な情報量というものに圧倒させられてしまったものでした。ふつうはまずこの楽章の要素をとりあげすぎてしまうと、全曲が下手すると竜頭蛇尾になりかねないものがあり、まず寸法を決めてそれから表情付けというものが演奏の主流を成しているようですが、今回のシュナイト氏はその逆で細部から音楽を決めていき、それから全体を設計していくという感じのものになっていたのか、第一楽章のこの多彩多様な要素を表出することからはじまったこの交響曲の全体は、けっきょく約一時間の演奏時間を要するほどのものにまで巨大化してしまいました。

 それだけにこの最初の楽章の出来が全体の出来を左右する部分が大きいタイプの演奏だったのですが、正直オケがその表情の変化等を消化しきれていなかったため、随所に表情と表情の間に不自然な流れができてしまっていました。(この件についてはまた後でふれる事といたします。)勢いと熱気はなかなかのものがあっただけに、じつに残念なものがあります。

 続く第二楽章は、分厚く極めて激しい感情を内に秘めた濃密な響きに貫かれており、その慟哭ともいえる終盤のオケの響きにはまったく声を失ったほどでした。

 第三楽章は一転して快活にして跳躍に富んだ晴朗な演奏となり、この雰囲気は終楽章にそのまま受け継がれ、楽聖の心の内にある飛翔感とも躍動感ともいえるものにじつに心躍るものがあり、最後には堂々としたスケールで見事に締めくくられた演奏となっていました。

(ここから後は、読んでいて気分を害する部分も含まれると思いますので、読まれる方はその点ご了承ください。)

 ふつうならこれでこの日はOKといいたいところですが、正直今日の自分にはそういう気持ちは微塵も起きませんでした。

 なぜか?それは前述した第一楽章の表情の消化できなかった件のことです。たしかにあの楽章をああいう表情付けされたらすぐ理解しろというのはなかなかむつかしいかもしません。ですが、このオケはかつて若杉さんのマーラーや、アファナシェフの運命や英雄でも、その表情の変化にも見事についていたことをおもうと、ひょっとして「できなかった」のではなく「しなかった」のではないか、という気がして暗くなってしまったものでした。またこの楽章の最後の和音もそうでしたが、随所で不安定かつ力の散漫になった音が響いており、なんかこの楽章だけやっつけでイージーに仕上げたのではないかと、とにかく納得のいかないことだらけの印象が残りまくってしまいました。(たしかに全体的に勢いと熱気はなかなかのものがあるにはあったのですが…。)

 中間二つの楽章はそのあたりを払拭する見事な出来だったのですが、終楽章の後半で今度は均衡を逸する瞬間。これなどはこれだけでのことなら「またか」ですんだのかもしれませんが、最初の楽章でのそれと考えあわせると、どうも「またか」という事故ではない、この曲に対してよく知っている曲ということで、安易に取り組んだ部分がオケの一部にあったのではないかと思えて仕方がありませんでした。

 これは昨年のすみだでの演奏会におけるホールの感覚との差異によるとまどいからの混乱とは次元の違うものですし、この日前半のシュトラウスの冒頭部での不安定な響きともまた違うものがあります。ようするに「わかろうとしない」もしくは「なんとなくわかればいい」と言う次元で音楽が見切り発車で演奏されてしまい、しかもそれが音程やらバランスやらにまで最終的に波及していったという感じなのです。

 この日の演奏がどうしてこういうことになったのかはわかりませんが、まさかシュナイト氏が音楽監督になったことで安心した、もしくはこれで自分達にも箔が付くと安堵したためにこうなったわけではないでしょうが、4月からのシュナイト体制にも正直一抹の不安すら感じてしまいました。

 シュナイト氏が監督になったことで、これからが正念場なのに、これをゴールとか安住の場所と考えている方がいらっしゃるとしたら、これはほんとうに残念な話です。無理して背伸びしてまで演奏してくれとはいいませんが、過去に出来たことが出来ない、もしくはしないというのは、やはり正直納得しづらいものがあります。たしかに体調や気候、さらにはホール等の理由で起きてしまったものは仕方ありませんが、そうではない部分でこういうことが起きはじめているとしたら、やはりこれは問題なのでは?という気がします。

 あと指揮者が音楽的に極めて攻めの姿勢をもっているのに、オケがときおりまるで意味も無く素に帰ったような、じつに自信の無い守りに入ったような音を出し、不安定な音を出している部分も散見され、いったい何が起きているのかと、ほんとうに信じられないという気持になった瞬間もありました。正直ミスしてもいいですから、もっと指揮者とそれ以上に自分自身を信じて演奏してほしいものです。そうでないと聴く側もオケを信じて聴くことなどできないと思うのですが…。

 この日の英雄がはたしてこの日だけのものなのか、それとも今後もこういうことが起きたり、さらにその占める割合が増えていくのかはわかりませんが、来月のこの組み合わせの演奏会、今まで違った心境で聴きに行くことになりそうです。
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