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ハンス=マルティン・シュナイト指揮神奈川フィルハーモニー(1/21) [演奏会いろいろ]

(会場)みなとみらいホール
(座席)3階C5列4番
(曲目)
ブラームス:ドイツ・レクイエム


 自分にとってブラームスのドイツ・レクイエムはあるときを境に特別な曲となっている。それは2003年の9月15日。すみだトリフォニーで聴いた、林達次指揮京都・大阪ゲヴァントハウス&同志社混声合唱団による演奏会を聴いてからだった。この演奏会は指揮者の林氏にとって最後の演奏会となってしまったのだが、このときのブラームスは演奏終了後、舞台上のすべての音楽家に対して深く頭を下げるほど、言葉で表現できない感銘(という言葉が正しいかどうかはわからないが)を自分は受けた。それからこの曲はもう実演ではしばらく聴かない、もしくは聴けない曲となってしまった。それから3年以上たった1月21日。ようやくこの曲を再び聴くこととなった。

 シュナイト氏を聴くのも久しぶりだ。昨年の三月以来だからもう十ヶ月以上経っている。昨年春以降シュナイト氏は体調を崩し帰国。その後秋に来日し活動を再開されるものの今度は自分が体調を崩し聴くことがかなわなかった。そういうこともあって今回この曲を聴くことにした。

 冒頭、オケのまるでパイプオルガンのような低音の強い響きと粗い木目のような音質にのって、じつに悠揚とした足取りで音楽が運ばれる。そして次第に厳粛な趣を保ちながら音楽が高揚していくのだが、じつにそれは第三曲の「主よ、教えてください」の最後に向かってひたすら雄大なスケールをもって唱われていく。この音楽の密度の濃さと集中力は尋常ではないが、それ以上にこの前半三曲を巨大なひとつの音楽として奏でられたのには驚いた。(ここでオケのチューニングが入る)

 第四曲と第五曲は一転美しい詩情感と爽やかな響きが交錯する音楽へとなるが、このあたりの切り替えと対比の巧さがその後の第六曲における力感に富んだ雄大な響きと、清澄な音楽へと次第に音楽に極められていく第七曲への大きな布石となっていくのがさすがで、ただ遅いだけの演奏とは完全に一線を画している。

 しかしこんな巨大なドイツ・レクイエムはまれという気がする。なにか最初の三曲を第一部、後半の四曲を第二部とした、まるでマーラーの交響曲第8番にも、バッハのヨハネ受難曲にも感じられる演奏だった。これはじつに稀な体験となった。

 ところでこの日のブラームス。じつはもう正直これ以上あまり語ることがない。というより、ここまで素晴らしいともう何を書いても逆に演奏の本質から外れていってしまうような気がし、これ以上語るのは指揮者はもちろん演奏者やその音楽に対しても失礼な気がしています。ですからこれ以上はあまりも今回は語りませんが、最後にひとつだけ。この曲が終了しかなり長い沈黙の後、指揮者が譜面台の楽譜を静かに閉じた後に、この日は拍手がおきたのですが、しばらくして自分はこみ上げてくるものが抑えきれないくらい万感胸に迫るものを感じました。かつて演奏中にそういう気持ちになったことは多々あるものの、演奏終了後拍手をしているうちにそういう感覚に襲われたのはこの日が初めてでした。これもまた一生忘れることの出来ないブラームスのドイツ・レクイエムとなりました。

 舞台上のすべての音楽家に最高の敬意を表したいと思います。
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