SSブログ

ジョン・アダムズ「ハルモニーレーレ」を聴く。(5月11&12日) [演奏会いろいろ]

※二日目の感想を足しました。

N_SP_POPUP_OL-05_img.png

NHK交響楽団第1912回 定期公演 Aプログラム
2019年5月11日(土)NHKホール
開場 5:00pm 開演 6:00pm

◎ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
(P):ロナルド・ブラウティハム

◎ジョン・アダムズ/ハルモニーレーレ

指揮:エド・デ・ワールト


後半のアダムズのこの曲は1985年の作品ではあるけど、
内容的にはバリバリの先鋭的現代音楽というよりは、
現代音楽の古典派といっていいかもしれない。

そう考えると今回のこれはモーツァルトのピアノ協奏曲と、
ストラヴィンスキーの「春の祭典」による組み合わせのプロと、
じつは感覚的にそんなに違わないのかも。

と、そんな事を考えながらこの日の演奏会に行く。


前半の「皇帝」はとても穏やかで清澄。

バランスのとれたそれでいて爽やかな歌心に充ちた、
なんともいえない気持ちのいいベートーヴェン。

この穏やかで流線形的なそれを聴いていると、
途中からベートーヴェンの4番の協奏曲を聴いているような、
そんな不思議な感すらしてしまった。

このため第一楽章は人によっては食い足りなく感じたかもしれないが、
第二楽章などはとても秀逸な美しさに彩られており、
これはこれでなかなか楽しめる「皇帝」となりました。

オケは12型(のようにみえた)。

そしてアンコールにブラウティハムが弾いたのが

「エリーゼのために」

弾き出した時観客席が一瞬さわついたのは、
あまりにもスタンダードすぎる曲だったからか。

ただ演奏はすこぶる上品かつロマンティックで、
ベートーヴェンの生きた時代が、
シューベルトやショパンの生きた時代が重なっている事を、
どことなく感じさせられるそんな演奏でした。


この後20分の休憩後アダムズの大作。

この曲はシェーンベルクのオマージュといわれているが、
前回NHKホールで行われた定期公演で、
後半シェーンベルクの「ペレアス」だったのは偶然か?


舞台には四管の大編成。

3月のドゥダメルとLAPOによるジョン・ウィリアムズに匹敵する、
これまた超大編成。

マーラーの交響曲以外で、
これほどの大編成というのもなかなかお目にかかれないかも。

全体は三部構成。

第一部は、

「サンフランシスコ - オークランドベイブリッジ を横切って走っていたら、水面の石油タンカーが突然直立してサターンVロケットのように離陸する」

という作曲者のみた夢が着想らしいが、
これがかなりファンタジーにとんだ音楽となっている。

今回指揮するのはこの曲を初演したデ・ワールト。

おそらくこの曲ともっとも付き合いの長い指揮者かもしれないけど、
そのせいかこの曲を完全に掌握しきった指揮ぶりだった。

自分はミニマル音楽ということで、
もっと精緻でフォルムに磨きをかけた演奏をするかと思っていたが、
音のひとつひとつがとてもハッキリ聴き取れはするものの、
実際はとにかくファンタスティックかつロマンティックで、
しかもじつによく歌っている。

それはミニマル音楽という背景の前で、
視覚的ともいえるほどの作曲家の夢を描き出したような、
まるでジョン・ウィリアムズの映画音楽を聴いてるかのような、
そんな感じの音楽がそこにはあった。

もちろんリズムはしっかり刻まれているし、
シンプルかつ単純とも複雑ともいえる繰り返しにより、
次々と微妙に変化していくそれもおざなりにはしていない。

とにかくこの曲に込められているありとあらゆるものを、
とことんまで開陳したかのような演奏で、
この曲の情報量の膨大さを視覚的にみせられているような感さえあった。

曲の終盤に向かっていくににつれ高まる高揚感、
そして手に汗握るような緊張感も素晴らしい。

まさに圧巻の音楽でした。


第二部「アンフォルタスの傷」は随所にマーラーとワーグナー、
そしてシベリウス風の音楽が伺えるもので、
特にマーラーは10番や1番でも聴かれるそれがストレートに使われていて、
これがまたなんともユニークでしたが、
聴いていてデ・ワールトが録音したマーラーのそれがどことなく想起させられ、
マーラー指揮者としてのデ・ワールトの本領も、
こんなところで活かされているのかと思ったりしました。

しかし音楽の彫りが深い。
説得力も半端じゃないくらい強い。


そして第三部。

「自身の生まれたばかりの娘エミリー(愛称クエッキー)が、中世ドイツの異端の神秘主義者エックハルトの肩にちょこんととまり、恩寵(おんちょう)について囁(ささや)きながら、大聖堂の天井画のごとく天空を飛翔する、というイメージに基づく」

とN響の公式サイトにも記されているように、
まさにハートウォームとスペクタクルが同居したような音楽で、
最初は思わず涙腺を刺激されるかのような詩的な音楽、
そしてそれが次第に高まりをみせ、
最後はもうこれでもかというくらい、
壮麗壮大な圧巻な頂へと上り詰めていく。

曲の雰囲気は違うけど、
ちょっとレスピーギの「教会のステンドグラス」の第四曲、
「偉大なる聖グレゴリウス」を聴いた時に似た感じを受けた。


今回のワールトの指揮はまさに曲そのものといった感じで、
そういう意味では手堅いものかもしれないけど、
鳴ってる音楽はかつてこのホールで大昔に聴いた、
マゼールとクリーヴランドの「幻想交響曲」や、
ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチやチャイコフスキーにも匹敵する、
とんでもないほどに圧縮されたエネルギーの、
その圧倒的な解放のような凄まじいものがあり、
最後はNHKホールが鳴動しているかのようにさえ感じられました。

その質量ともに常軌を逸した程の音量と
そこに作曲家のみた夢を描き切っているという視覚的な素晴らしさ、
それを両立させるだけのとんでもない音楽の情報量、
圧倒的な高揚感と飛翔感、
単純な音の繰り返しからくる絶大な緊張感と、
もうこれでもかというくらいのてんこ盛り状態。

このため終盤はこれらによる膨大な音符の数々によって、
NHKホールの中がまるですし詰め状態になっているかのようで、
最後は完全に圧倒され尽くしてしまいました。


ただその割にもっと観客が沸いていいような気がしたのですが、
これが現実なのか、N響定期会員の気質なのか、
それともあまりにも圧倒されまくって反応が鈍くなったのかは分かりませんが、
ちょっとこのあたりは物足りなく、そして意外でした。


最初に言いましたように、
個人的にはもっと音楽細工のような緻密なそれを想像していたのですが、
終わってみたら「濃厚」「壮麗」「幻想的」
そして「スペクタクル」といった感じの、
ある意味ハリウッドの極上の映画音楽にも近しいような、
そんなこの日の演奏でした。


しかしここまで「聴く」というだけでなく、
「観る」そして「体感する」という演奏会は初めてでした。

なかなかたいへんな曲なので、
そうそう簡単には演奏されないでしょうが、
できれば三十年に三~四回しか演奏されないような、
そんな状況をこの機会にできれば改善してほしいなと願う次第です。

ただこの曲。

ひょっとするとクラシックファンより、
アニメや特撮、さらには映画音楽ファンの方が受けがいいかも。

金管の低音などちょっと「ゴジラ」っぽかったですし。

じっさいそういう人達はこの曲にどういう印象を持つのでしょう。

とても興味がありますが、
まずその前にもっと知名度を上げないと。

なかなかこのあたりたいへんですけど、
それだけに定期の放送枠があるN響が取り上げた意義は大きく、
そこの部分は賞賛に値すると思います。

考えれば前月の定期ではヴァインベルク、
今月後半にはトゥビンの交響曲がN響によって取り上げられます。

これは以前にはあまり無かったことなので、
こういう傾向は大歓迎です。

因みに来年(2020)の4月には、
今度はアダムズのサクソフォーン協奏曲を、
なんとソロにブラフォード・マルサリスを迎えて行うとか。

これからのN響、かなり侮りがたいです。


因みにもうあまり覚えている方はいないかもしれないけど、
デ・ワールトがロッテルダムフィルを指揮したラヴェルの「ボレロ」が、
1982年にホンダ・プレリュードのCMに使用され、
それを収録したLPがかなりのセールスを叩きだしたとか。
https://www.youtube.com/watch?v=Z2976WIXn0U

この曲のデ・ワールトの盤もそうならないかなあ。

そんなデ・ワールトも来月で78歳。

いつの間にかです。


そして翌二日目。

この日は後半のアダムズのみ聴く。

場所は初日が三階正面後方ということで、
音が直撃する位置での鑑賞だったけど、
この日は若干前方の、ただし端の方で聴く。

これは音が直撃されない位置ではどう聴こえるかという、
そこの部分を確認したかたったため。

予想通り音が進むセンターラインを外れると、
音への体感感覚は多少弱まる。

こちらも二日目ということで、
衝撃度や新鮮度という点で落ちているので、
そこの部分も当然加味されるため、
この感覚がすべてということはないだろうけど、
とにかくここではそう感じられた。

ただ衝撃が弱まった分冷静に音に接することができたせいか、
4000人の大ホール内の空間に、
無数に放出される音符がまるでパズルのピースのように、
次々と組み合わされながら次第にその全容が姿をあらわすかのような、
その独特な音の形成の仕方がこの日はより強く感じられた。


このとき遠くからではあったけど、
休憩時間に舞台袖下から観ることのできた、
第一Vnの譜面台に置いてあった、
「ハルモニーレーレ」のスコアの一部を思い出した。

それはおそろしく単調な音型が整然と並んでいて、
みているこちらが一瞬気が遠くなるような、
そんな気持ちになったほどだった。

※(因みにN響のメンバーの方がSNSで、演奏していてスコアが3Dのようにみえてくるとおっしゃっていた。これはある意味すごく怖い)


この日の演奏そのものはオケが少し慣れたせいか、
より音楽の表情が前日より大きくなったように感じられた。

攻撃的な分は多少抑制されたように感じられたけど、
音楽の巨大な高揚感はあいかわらずで、
この日もこの曲の巨大さに圧倒されてしまいました。

聴衆の反応は前日よりよかったものの、
入りは逆に少し減ったように感じられたのは残念。


これは「ハルモニーレーレ(和声楽)」というタイトルが、
聴く前から「意味不明」「難解」というイメージを、
多くのこの曲を知らない聴衆に与えた事も否定できないだろう。

自分も最初このタイトルを聞いた時、
「実験的な難解な曲」「不協和音と不愉快な音の連続」
というイメージが先に立った。

もしこの曲が

三つの幻想的大交響詩「ハルモニーレーレ」

と枕詞がついていたらこの印象はかなり変わっていたと思うし、
「ならば聴いてみようか」と思った人もいたと思う。

このあたりはしかたない事かもしれないけど、
ここ半世紀ほどに書かれた曲のついてまわる話なのかもしれない。

おそくらこの曲の本当の人気は、
この演奏会がNHKで放送されてからになるのかも。

これが放送された時どのような反応が起きるのか、
もしくは起きないのか、
このあたりを今度注目したいと思います。

しかし本当に楽しい二日間でした。
因みに自分がN響の公演を二日続きで聴くのは、
演奏会に通い始めて半世紀近くなりますがじつは今回が初めて。

それくらいの大注目の演奏会でした。


デ・ワールトさんに本当に深謝。
そしてオケの皆様には本当にお疲れ様でした。


帰りは、外で「タイフェスティバル」をやっていた。

とにかくものすごい人出。

途中この人混みに巻き込まれ、
おもわず自分が「ハルモニーレーレ」のスコアの中に突入したような、
そんな感覚をもちながら人混みの中渋谷へと向かう。

でもさすがにこれは「ハルモニーレーレ」のように心地よくない。

帰宅後ネットで「ハルモニーレーレ」を、

「まるで麻薬のような音楽」

というそれを見かけた。

言いえて妙と思わず感心。


この二日間、下町は令和最初の神田祭で盛り上がってたけど、
ここ渋谷のNHKホールは「ハルモニーレーレ」による音の祭典。

じつに楽しいひと時を二日間過ごさせていただきました。


大満足の余韻の中、これで〆。


後日、
ふと同日行われていた神田祭の神輿を思い出した。

多くの神輿が各々多くの担ぎ手に担がれ、
単調な掛け声をかけながら次から次へと通りにあらわれると、
その掛け声が幾重にも重なって物凄い迫力を生んでいた。

さらにそれにお囃子がのるとそこに色彩が加わっていく。

今考えると、
あれも一種のミニマル音楽なのかもと思ってしまった。

どうなんだろう。

アダムズ氏に聞いてみたいところです。

nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 1

阿伊沢萬

soramoyou様、はじドラ様。

この演奏会は夏にテレビでやるようですが、とにかく音の饗宴というかんじの演奏会でした。ただ上にもあったように、ちょっと麻薬感覚もあるので、下手すると癖になるかも。

nice! ありがとうございました。

by 阿伊沢萬 (2019-05-18 04:07) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント