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井上道義指揮大阪フィルハーモニー東京公演に行く [演奏会いろいろ]

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(会場)東京芸術劇場
(座席3階K列21番
(曲目)
ショスタコーヴィチ/交響曲第11番 ト短調 「1905年」作品103
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番 ニ短調 「1917年」作品112


井上道義さんと大阪フィルのショスタコーヴィチを聴いた。

かつての日比谷公会堂での連続演奏会以来。

大阪で同プロを二回行い、
その後二日開けてのこの東京公演。

オケはそのためこの曲に対し、
ある程度慣れみたいものがあり、
それがいい意味で表情の練れとなってあらわれていたが、
オケの蓄積された疲弊は後半いろいろとあわれていた。

これだけのハードなプロを立て続けにやったのだから、
さすがにノーミスでやれというのは無理な話なので、
仕方ないといえば仕方ないのだろう。

やってるのはサンクトのフィルハーモニーでもなければ、
シカゴやベルリンのオーケストラでもないのだ。


前半の11番は抑制のきいた演奏で
第一楽章から弦を中心とした音楽の集中度が素晴らしい。

ただ井上さんのショスタコーヴィチは、
ラザレフのような劇場型でもなければ、
北原さんのように王宮広場での事件を、
聴き手にその現場に立たせ目撃者とさせることもない、

それはまるで圧倒的に巨大な壁画に、
細部までその顛末を、
そこにいる人間の阿鼻叫喚や嘆きと絶望を含め、
とことん心血注ぎ込み描き込んだかのような演奏となっていた。

これにより音楽に込められた情報もかなり濃密かつ圧倒的で、
聴き手に強い集中を結果強いることとなった。

このため演奏する方にとっても聴き手にとっても、
かなりタフな演奏会となったようだ。

その為劇的な部分では怒涛の如く大音響が当然ながらオケに要求され、
それはそれで聴き応えがあるにはあったが、
第三楽章の冒頭の低弦のピチカートの深い響きからはじまる、
その静謐な部分の音楽の方がさらに秀逸で、
強く心に刻み込まれるような強い求心力がそこには働いていた。

ショスタコーヴィチの音楽のある意味真髄のようなものが、
垣間見られたような気がするほどだった。

20分の休憩の後、後半の12番。

正直この曲は11番より力を入れっぱなしに近いものがあり、
金管を中心にオケにかなりきているものが感じられた。

しか井上さんの音楽の激しさは、
11番よりさらに強熱的なものがあり、
その押しては引くような感情の怒涛の大波が
凄まじいばかりに第一楽章から吹き荒れていた。

その後第二楽章にためにためたエネルギーが、
第三楽章を上り詰めて第四楽章で一気に爆発するあたりで、
井上さんはこの日の二つの交響曲分のまとめをするかのような、
きわめて強大なエネルギーを音楽に注ぎ込んでいた。

大阪フィルもそのため音は濁りミスもかなり散見されたが、
井上さんにしてみればノーミスのような綺麗ごとは二の次で、
むしろそういう部分を乗り越えて放出される、
感情のふり幅やエネルギーこそこの曲に必要であって、
そこに傷だらけになりながら、
それこそ足元もふらつきよろけながらも、
自分たちの信じる明るい未来を勝ち取った人たちの姿を、
そしてじつはその後に決してそれが明るい未来ではなかったことも、
すべて描き出すことができると考えていたような気がした。


それはかつて日比谷で井上さんが聴かせた、
あの13番における姿勢とどこか重なるものがあった。


圧倒的な輝かしい音楽で幕を閉じたかのように聴こえてはいたが、
その割に歓声等が意外に少なかったのは、
ただこの重量級のプロに疲れたというだけではなかったのではないか。

何かそんな感じが最後に気持ちのかたすみに残る演奏でした。



ただ自分とってこれほどの演奏であったにもかかわらず、
この演奏会の感銘はいまいちだった。


今回のホールと自分はどこで聴いても以前から相性は悪い。
なので一番安価な席で聴いていたけど、
その割にいいかんじで聴けたのはありがたかったものの、
相性の悪さは依然としてそのままだった。

できれば日比谷公会堂で聴きたかった。


ただそれ以上にまいったのは、
演奏中に前半後半関係なく間断なく続いたある「ついてない事」。


終演後井上さんのマイクがあったようだけど、
自分は拍手鳴りやまぬ早いうちに退席したのは、
疲れたというだけではない、

今回のこの「ついてない事」は、
自分がコンサートから一時遠ざかった要因のひとつだが、
これによりまたしばらく遠ざかることになりそうだ。

これは運もからんでいてもうどうしようもない、
むしろこれから増えていくことなのかもしれない。

それを思うと
自分にとってもう演奏会は来るべき所ではないのかもしれない。


もっともこれほどの演奏を聴けたのなら、
これを最後としても悔いはあまり残らないという気もするのですが…。


最後に。

クラシック音楽はここ十数年の間に、
井上さんやラザレフによって、
超弩級のショスタコーヴィチが数多く日本で演奏された。

他にもアレクセーエフや北原幸男さんによる演奏も素晴らしかった。

特に最初の二人は良好な録音が少なからずあるのが嬉しい。

今後これらの演奏は歴史的名演として、
その録音とともに長く語り継がれることになると思う。

それはかつてのヨッフム、チェリビダッケ、朝比奈、ヴァント、
さらにその他多くの指揮者によってブルックナーの名演が多く演奏された、
日本の二十世紀最後の十数年の時代のそれと同等といってもいいと思う。


伝説的名演もすべて今のその目の前にあるひとつの演奏会からはじまる。
そしてそれと真摯に対峙した人たちによって、
後世へと誠実に語り伝えられる事でその幕があがる。

そんなこともあらためて感じさせられたこの日の演奏会でした。

尚、今回の公演も録音されているということなので、
今後もある意味生きた記録として残されるのは本当にありがたいことです。

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阿伊沢萬

いい演奏だったですけど、できれば日比谷みたいにもう少し小ぶりでデッドな所で聴きたかったです。なんかホールの空間のど真ん中に音響の澱みみたいなものがあるような感じがしたもので。

banpeiyu様、コミックン様、nandenkanden様、nice! ありがとうございました。

by 阿伊沢萬 (2017-02-24 00:26) 

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