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『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』を読んで。 [アニメ]

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かつて一代の風雲児とも、
またいろいろと黒いうわさもあった稀代のプロデューサー、
西﨑義展氏のことを描いた、
いわゆるドキュメント風の一代記。

その異常とも思えるその生き様と行動が、
この本にはかなり細かく描かれている。

正直そこには常識とか謙虚の欠片も無い、
自らの夢を商売とリンクさせながら、
ひたすら自己満足に重きを置き、
一本道をあらゆる手段を用いて、
全力で突っ走ろうとした男の姿がそこにはあった。

自分以外はほとんど誰も信用しないし、
利用価値のある使い捨ての道具にしかみていない、
それでいて人一番孤独を嫌い、
常に誰かを側に置き、
そして動き、そして喋り続けていなければ、
突如として不安に陥ってしまうという、
そういう脆さも持ち合わせた、
ひじょうに人間のもつ我欲と弱さを、
わかりやすく持ち合わせた人物像が、
そこには描かれていた。

それにしても西﨑氏のそれはほとんど狂気に近い。

だがその狂気に誰もが傷つけられながらも、
なぜかそれにいつのまにか引き込まれ、
そしてそのペースにのまれていく。

その結果があの「ヤマト」だった。

そして西﨑氏は「ヤマト」とほとんど心中するかのように、
最後まで「ヤマト」を自分の懐からはなそうとせず、
そのまま小笠原に消えて行った。

この本ではそのあたりの顛末、
そして西﨑氏にとっての「ヤマト」が、
いかなるものだったかまで言及している。

そんな西﨑氏の姿をみていて、
自分はもうひとりの人物が浮かんできた。

大島幹雄さんがその著書「虚業成れり」で描いた人物。

神彰

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その人だ。

大島さんの言葉を借りれば、

「昭和29年秋、東京。ふと口ずさんだロシア民謡からすべては始まった。何ももたない青年がドン・コザック合唱団の来日を実現し、ボリショイバレエ、レニングラード・フィルなど「幻」と思われたアーティストを次々と招聘して旋風を巻き起こす。栄光、破産、そして居酒屋経営での再起。「戦後の奇跡」神彰の波瀾の生涯を描く。―――」

これをみると、
どこか西﨑氏と神氏が重なってこないだろうか。

もちろん神氏もかなり破天荒だし、
手段を選ばないし人を傷つけまくってはいたが、
さすがに西﨑氏ほどではない。

だけど破天荒さやひとつの狂気あればこそ、
道なき場所に道をつくり、
前例のないものを実現し、
その業界に爆弾を放り込んで、
慣例も常識もぶっ壊して新しいものが呼び込める。

この二人をみていると、
何もないとろころに新しいものを打ち立てる、
閉塞した世界に新しいものを打ち立てるという、
そういうことには、
規格外の破天荒さや、
狂気にも似た常識からかけ離れた考えと行動力が、
絶対に不可欠なのかもという気がしてならなかった。

そして二人ともその夢が実現すると、
その勢いを持続することができず、
ついには会社も無くし自らも表舞台から消えてしまった。

なんとも不思議な共通点のある二人だ。

ただ神氏の方はその後「居酒屋」で復活を果たすが、
西﨑氏はその復活途上志半ばで倒れてしまう。

ここの差は、
この両者の他者に対する接し方と扱い方、
そしてどこまで信用することができたかの差が、
そのままあらわれたような気がしてしまう。


とにかくこの本はそんな西﨑氏、
そして当時のアニメ業界の断面を顧みることができる、
かなりの力作となっている。

また西﨑氏の時代はネットどころか、
最初の「ヤマト」の本放送時には、
アニメ専門誌さえなかった時代だ。

コミケももちろんまだ開かれていない。

そんな中でどのように情報を発信し、
それをエネルギーに西﨑氏は転化していったか。

そしてそれが後にどう変容し、
ファンの間に影響が及ぼされていったかも、
ここでは分かりやすく明記されている。

このあたりもひじょうに興味深く参考になるものがある。

この本を読んでいると、
今のアニメ業界に足りないもの、
そして今後もやってはいけないものというのが、
かなり明確に感じられると思う。

もっともそこにはいいことだけではない。
悪い例も書かれている。

そういう意味で、
西﨑氏はまさに成功例と失敗例を、
多くの人々にあまりにも分かりやすく、
それらを結果的に提示していった。

このように、
内容的には西﨑氏の一代記かもしれないが、
そこから読み取れることが、
じつに多い一冊となっている。

特に自分のように最初の「ヤマト」本放送から、
その一連の流れをよこからみてきた人間には、
じつにいろいろと当時のそれが思い起こされ、
懐かしさもこみあげてくるものがある。

この本はそんな部分も踏まえているため、
「ヤマト」という日本のアニメにとって、
エポックメーキングとなったこの不朽の作品が、
いかにして生み出され、
そしてそのときどのようなことが周りでは起きていたか、
その歴史的瞬間をもじつによく描いている。

そういう意味では資料的価値もある、
そんな内容にもなっている。

いろいろな意味でとにかくこれはひじょうに面白く、
そして強く印象に残る一冊となりました。

350頁近くありましたが、
半日で一気に読んでしまいました。

字もそこそこ大きさがあるので読みやすいです。

とにかく興味のある方はぜひ一読をお勧めします。


それにしても西﨑氏。

正直に言って人の使い方が下手。

ようするに人とのコンタクトの仕方が下手なので、
結果すべてを自分が仕切らないと安心できないし、
自分自身も動けないという、
そういう部分がじつに強く感じられた。

確かに個人プロデューサーで、
資金も自分持ちという部分があるからかもしれないが、
それでもあまりにも駒の動かし方が下手だ。

これでは常に自分が100の力を出さないと、
100以上のものができないし、
まだその伸び代も小さいものになってしまうだろう。

クルーザーで外国にあらわれたのも、
そんな自分の名前を売り、
自らを広告塔として知名度をあげ、
箔をつけ売り込む手段としたかったのかもしれないが、
やはり個人商店的な限界がそこには見え隠れしてしまう。

またその狂気と激しやすい粗暴な性格のため
直言されても、
それを受け止めたり受け入れるだけの、
そういう器用さももちあせていないため、
結果イエスマンしかまわりにはいなくなる。

イエスマンは話し相手にはならないし、
腹を割って話すこともできない。

そしてますますひとり孤立し孤独となり、
反動としてその狂気と激しやすさに拍車がかかり、
さらに個人商店的色合いが濃くなってしまう。

これらを不器用と片づけるのは簡単かもしれないが、
なんかそこに自分はこの人の、
なんというか悲劇性も感じてしまう。

その原因のようなものもこの本には書かかれてあるが、
この本を読まれた方は、
暴君や風雲児という一面だけでなく、
そんな部分にもちょっと気持ちをもっていってほしいと、
最後思った次第です。


人を信じきれなかった人、
ただひとつ信じたのが「ヤマト」だった。

たしかにこれはものすごい悲喜劇かもしれないけれど、
まだひとつ信じられるものがあっただけ幸せだったのかもしれません。


人の狂気はとことんいくと、
人を魅了し惹きつけそしてその人もまた狂わす。

だけどそれがひとつの世界の問題点も浮き彫りにする。


以上で〆。
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阿伊沢萬

これを読んでると、ほんと当時のことを思い出してしまいます。映画館前の長蛇の列、公開前夜のオールナイトニッポン枠で「ヤマト」の生ドラマ等の特番をやって盛り上げたりと、当時西崎氏もこの放送に生出演していたと思いますが、ほんといろいろと後々参考になることを手掛けていった凄い人だと思いました。人間としてはあれですが、その閃きは賞賛に値すると思います。

ハムサブローさま、nice!ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2015-10-23 02:36) 

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