311から三年がたちました。 [震災]
そういうわけでちょっとこの機会にいろいろと歩いてみました。
まず三年前に横浜から戸塚まで歩いたコースをもう一度歩いてみました。
横浜駅東口をスタート。あのときはもう午後四時半をすぎてました。
この橋で津波が上流に逆流していくのをみました。
ここで当日地震に遭遇した万里橋手前の交差点。
ここでポールと信号機につかまって揺れに踏ん張ってました。
地震直後、その横のこの通りの中央まで人が出てあたりを見回してました。
あの日初めて歩いたコースでしたが、こういう案内板はものすごく役に立ちました。
停留所も然り。しかもバスのルートや次の停留所からだいたの位置関係もわかります。
こういう歩道橋のそれもいい目安。携帯がダメなときは大きな武器です。
保土ヶ谷駅がみえる。当日はもうこのあたりでかなり暗くなってきてました。
JRはもちろん全線運行休止。
この影になってる保土ヶ谷駅近くの停留所。
当日はここに大行列、車がまったく動かないため、
停留所に来ていた満員のバスもドアをあけたまま動けず。
そしてここも大渋滞。信号が死んでたので警察の方が交通整理をしていました。
またパトカーがダメなのでやたら白バイが多かったです。
こういう大きな建造物もある程度位置の目安になります。
旧東海道が途中から国道1号に合流。
旧東海道沿いにはこういう場所を明記してくれるものが多く助かりますが、
夜間は暗くてまったく見えず役に立たないのが難点です。
余談ですが、こういう粋なマンホールや、宿場跡を示すものもあります。
いつか旧東海道を歩いてみたいと思います。
因みに下のそれは戸塚宿跡のそれ。戸塚到着、横浜から約二時間半ちょっとです。
今あらためて歩くといろいろヒントがあったとはいえ、
よく間違えずに歩いたというのが正直なところです。
しかも保土ヶ谷すぎに、ひとつ間違えるとぜんぜん違う方向に行く道もあるので、
当日はそういうことがよくなかったと、運にも感謝です。
そして今年の311当日。大船から鎌倉まで歩きました。
円覚寺。
建長寺に行く途中に、なんと仏像盗難の手配書。
ああ、もう最高に罰当りです。なんとか戻るとよいのですが…、
国外に出ちゃうとみつかっても却ってこないケースがあるし…ほんとに心配です。
建長寺
鶴岡八幡宮
この日は311の追悼復興祈願祭が行われたようです。
八坂大神
巽神社
二つとも小さな神社ですが長谷寺に行く途中こちらにもお参りしてきました。
長谷寺。
ここには巨大な長谷観音があります。私がいちばん強く心を動かされ仏像です。
お参りして展望台に出たら、
「本日は311のおきた2時46分から一分間の黙とうをお願いします」
というアナウンスが境内に流れる。
そして2時46分、長谷寺の鐘もその間に数度ならされました。
自分も海の方を向き黙とう。
風が急に強くなる。
そしてさっきまで鳴いていたとびも急に鳴き声をとめた。
それにしても黙とう時の一分というのは意外に長く感じる。
だが311当日の揺れの時間は一分どこではなかった。
たしか三分以上は揺れていたとどこかで見た記憶がある。
いかに長い時間激しい揺れにみまわれたかあらためて痛感させられた瞬間だった。
それにしても復興も原発の収束もまったく終わりがみえてこない状況だ。
この間に政権が変わったが、こちらの期待とは遠い状況のようだ。
いまだ仮設住宅で不自由な暮らしを余儀なくされている方々が大勢いる。
しかも先に光がなかなかみえてこないという状況のままだ。
311でこれだけひきずっている現状をみると、
東南海や首都直下等の地震が起きたとき、
日本そのものが復興など果たしてできるのかと正直心配です。
首都直下型地震の発生確率はM7クラスで30年以内に70%。
そして東南海地震の30年以内の確率も70%。
つまり日本には30年以内に少なくとも二つの超巨大地震が70%の確率で来る。
それを思うと、今日の各社寺における自分の祈りも、
来るべき巨大地震に対して、
なんとか最小限の被害で収束できますようにという、
そちらの方も強く願わずにはいられなかった。
はたして来年の311を日本はどういう形で迎えられているのでしょうか。
まず三年前に横浜から戸塚まで歩いたコースをもう一度歩いてみました。
横浜駅東口をスタート。あのときはもう午後四時半をすぎてました。
この橋で津波が上流に逆流していくのをみました。
ここで当日地震に遭遇した万里橋手前の交差点。
ここでポールと信号機につかまって揺れに踏ん張ってました。
地震直後、その横のこの通りの中央まで人が出てあたりを見回してました。
あの日初めて歩いたコースでしたが、こういう案内板はものすごく役に立ちました。
停留所も然り。しかもバスのルートや次の停留所からだいたの位置関係もわかります。
こういう歩道橋のそれもいい目安。携帯がダメなときは大きな武器です。
保土ヶ谷駅がみえる。当日はもうこのあたりでかなり暗くなってきてました。
JRはもちろん全線運行休止。
この影になってる保土ヶ谷駅近くの停留所。
当日はここに大行列、車がまったく動かないため、
停留所に来ていた満員のバスもドアをあけたまま動けず。
そしてここも大渋滞。信号が死んでたので警察の方が交通整理をしていました。
またパトカーがダメなのでやたら白バイが多かったです。
こういう大きな建造物もある程度位置の目安になります。
旧東海道が途中から国道1号に合流。
旧東海道沿いにはこういう場所を明記してくれるものが多く助かりますが、
夜間は暗くてまったく見えず役に立たないのが難点です。
余談ですが、こういう粋なマンホールや、宿場跡を示すものもあります。
いつか旧東海道を歩いてみたいと思います。
因みに下のそれは戸塚宿跡のそれ。戸塚到着、横浜から約二時間半ちょっとです。
今あらためて歩くといろいろヒントがあったとはいえ、
よく間違えずに歩いたというのが正直なところです。
しかも保土ヶ谷すぎに、ひとつ間違えるとぜんぜん違う方向に行く道もあるので、
当日はそういうことがよくなかったと、運にも感謝です。
そして今年の311当日。大船から鎌倉まで歩きました。
円覚寺。
建長寺に行く途中に、なんと仏像盗難の手配書。
ああ、もう最高に罰当りです。なんとか戻るとよいのですが…、
国外に出ちゃうとみつかっても却ってこないケースがあるし…ほんとに心配です。
建長寺
鶴岡八幡宮
この日は311の追悼復興祈願祭が行われたようです。
八坂大神
巽神社
二つとも小さな神社ですが長谷寺に行く途中こちらにもお参りしてきました。
長谷寺。
ここには巨大な長谷観音があります。私がいちばん強く心を動かされ仏像です。
お参りして展望台に出たら、
「本日は311のおきた2時46分から一分間の黙とうをお願いします」
というアナウンスが境内に流れる。
そして2時46分、長谷寺の鐘もその間に数度ならされました。
自分も海の方を向き黙とう。
風が急に強くなる。
そしてさっきまで鳴いていたとびも急に鳴き声をとめた。
それにしても黙とう時の一分というのは意外に長く感じる。
だが311当日の揺れの時間は一分どこではなかった。
たしか三分以上は揺れていたとどこかで見た記憶がある。
いかに長い時間激しい揺れにみまわれたかあらためて痛感させられた瞬間だった。
それにしても復興も原発の収束もまったく終わりがみえてこない状況だ。
この間に政権が変わったが、こちらの期待とは遠い状況のようだ。
いまだ仮設住宅で不自由な暮らしを余儀なくされている方々が大勢いる。
しかも先に光がなかなかみえてこないという状況のままだ。
311でこれだけひきずっている現状をみると、
東南海や首都直下等の地震が起きたとき、
日本そのものが復興など果たしてできるのかと正直心配です。
首都直下型地震の発生確率はM7クラスで30年以内に70%。
そして東南海地震の30年以内の確率も70%。
つまり日本には30年以内に少なくとも二つの超巨大地震が70%の確率で来る。
それを思うと、今日の各社寺における自分の祈りも、
来るべき巨大地震に対して、
なんとか最小限の被害で収束できますようにという、
そちらの方も強く願わずにはいられなかった。
はたして来年の311を日本はどういう形で迎えられているのでしょうか。
makimaki様、teftef様、eniguma様。ふだんですとお返しのコメントなどをさせていただくのですが、311がらみだとなかなか個人的にしづらいものがあります。申し訳ありません。nice! いつもありがとうございます。
by 阿伊沢萬 (2014-03-17 00:01)