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アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団(3/15) [演奏会いろいろ]

(会場)サントリーホール
(座席)2階LA6列24番
(曲目)
スクリャービン:ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20(P/浜野与志男)
ショスタコーヴィチ:交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」


ラザレフと日本フィルのコンビがこんなに長期にわたるとは思ってもみなかった。だがその成果はとてつもなく大きく実り豊かなものとなっている。それは今回の公演でも如実に示されていた。

最初のスクリャービン。ラザレフが1993年に当時首席客演指揮者をつとめていたBBC響と、デミジェンコをソリストに迎え録音したことがあるので、スクリャービンファンだけでなく、ラザレフファンでもご存じの方が意外と多かったのではないかという曲がまず演奏された。

ほんとうに日本フィルがうまくなった。その不純物をできるかぎり除去したような静謐な響きから、ちょっと日本の映画音楽を思わせるようなメロディが、じつに自然に紡ぎだされていた。ピアノの浜野さんも好演だったが、一楽章終了後、ラザレフと浜野さんの間だろうか、いろいろと舞台上でやりとりがあった。何かあったのだろうか。

休憩後、ショスタコーヴィチ。かつてラザレフが日本フィル初登場時に、同じショスタコーヴィチの交響曲第11番を聴いてのけぞった方々には、このコンビのレニングラードはまさに待望の一曲といったところだろう。そしてそれはまさに期待に違わぬものとなった。

冒頭から充実しきった響きも見事だったが、例の戦争のテーマの扱いがちょっと面白かった。例の小太鼓のリズムのそれを次第にクレッシェンドしていくのではなく、三段階くらいに区切って、そこで一段一段と音量をあげ、最後の段になったところでようやくクレッシェンドをかけていくというやり方をしていた。このため戦争のテーマの部分がいくつかのドラマに区分けされたような独特な表情をもち、しかも流れも寸断されることなく極めて劇的な、ただし標題的なものはほとんど目もくれないような、極めて純交響楽的なもったいき方に終始していた。

ラザレフのことだからドラマティックなものにするだろうと思っていたが、予想したものよりは、じつにストレートな表現となっていた。

ただあいかわらず音楽のメリハリが凄まじく、音に対する動体視力の凄さからくる音の変転の正確さ、弱音のものすごいまでのコントロール、最強音でのバランスの確かさと、音の濁りを驚くほど排した響きのクリアさが尋常ではない、しかもオケから無尽蔵といえるくらいのエネルギーを引き出しにかかる手腕も相変わらずで、聴いていて感心することしきりだった。

しかし日本のオケもとうとうここまでホールを鳴動させるような、地力のある演奏をできるようになりましたか。なんとも感慨深いものがあります。

だが今回いちばん驚いたのは、その木管の表情。ショスタコーヴィチ独特の、いわゆる音が剥きだしで飛び出してくるような木管のソロを、随所でその響きと表情を絶妙にコントロールし、絶対剥きだしにさせない、だけど全体からみるとちゃんと浮かび上がるようにソロが聴こえてくるという、その設計感覚の確かさと、計算能力の凄さともいえるようなそれに、ちょっと仰天してしまいました。

これはおそらくオケのソロ奏者にとってもかなりの負担になったでしょうが、今の日本フィルはラザレフの考えていることをかなりの所まで理解できている団体のようなので、この厳しいハードルをうまく超えていたのではないかと思いました。

とにかくこの日のショスタコーヴィチはじつにラザレフらしい細かい表情の上に成り立った、それでいて外連味の無い真正面からの演奏というかんじでした。

それにしてもなんかこの演奏を聴いていたら、「そういえばラザレフは311のあの日、このホールにいたんだっけ。」と、急にそんなことを思い出してしまいました。おそらくこの演奏のもっていた前向きなエネルギーと、標題的なものを外して聴いた時のこの曲のもつ苦難に対して打ち勝つエネルギーの、その二つの相乗効果のようなものが、311とその後のそれにダブって感じられたのかもしれません。

とにかくなんとも凄い演奏を聴かされたこの日の演奏会でした。
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