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クラウス・マケラ指揮パリ管弦楽団を聴く。(10/15) [演奏会いろいろ]

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2022年10月15日(土)
東京芸術劇場 16:00開演 

ドビュッシー:交響詩《海》
ラヴェル:ボレロ
ストラヴィンスキー:春の祭典

指揮:クラウス・マケラ


ある意味、今世界で最も注目されている指揮者かもしれないマケラが、初めて自らのオケとともに来日公演を行ったその初日に行ってきました。因みにテレビ等の収録があったようにみえた。

この日は開演前にプレトークが若い人向きにおこなれたりしていた。若い層の開拓という意味ではとてもいいことだと思う。自分の若いときにこういうのが無かったのが本当に残念。

しかし海外から16型のオケが来日するなんて本当に昨年までは夢のような話。このままコロナが終息に向かってほしいと願わずにはいられなかった。ホールはすでに飲食が解禁されていたのが嬉しかった。

会場は満員とまではいかなかったがかなりの盛況。ただマケラをもってしても満員にならないというのはいったいどうしたことか。彼のここ数年の状況をみると、ちとこれは信じ難いものがあった。こちらが想像する以上に日本での知名度が低いのだろうか。

前半最初は「海」。

これはなかなかの問題作だった。

冒頭から弦管ともにとんでもなくクリアで、しかも弦がやや乾き気味に響いていたせいか(ホールのせいかもしれないけど)、イメージとしてあるドビュッシーの「しっとり感」がまるでなく、とにかく音そのものがクリアに響いて来るといった感じになっていた。

このため聴きようによって音のみで勝負したような、それこそハイドン風ドビュッシー、もしくは新古典派ドビュッシーとすら形容したくなるようなものだった。

だが表情付けがその割に細かく、ちょっと後期ロマン派を引きずったかのような趣もときおり感じられるなんとも独得な演奏だった。

オケの方もこのひじょうに独特な要素をもったためなのか、頭では分かっていてもひじょうに慎重にならざるを得ない部分があったように見受けられ、推進力ある部分でもどこか慎重な足運びを音楽に感じた。

そのせいかどこか聴いていて弱音の美しさや強音の豊かさの素晴らしさはあったものの、どこかオケがいまいち音楽に踏み込んでいないような手探り感があった。ただこれはおそらく回を重ねるごとに解消するようにも感じられた。

この時、ひょっとして日本での全公演で「海」をやるのは、マケラがパリ管に自分の音楽の昇華能力を見定めるために企てたためなのかもと、ちょっと深読みしたくなってしまったほどでした。

岡山や大阪公演あたりまでにこの「海」がどう煮込まれていくのかちょっと楽しみなのですが、自分はそれを聴くことができないのがなんとも残念。


続いての「ボレロ」。

こちらは逆にオケにとって会心の演奏。というかここまでオケ自らが本領を発揮したパリ管の演奏というのを自分はあまり聴いたことがない。

かつてのプレートルとの同曲のそれはオケの魅力を「引きずり出された」的な演奏だったのですが、この日はマケラによって「引き出された」的な演奏で、オケ全体も靡くような動きがはっきりとみてれ、パリ管が本気でのっているという感が強かった。

特に、初めて管弦がいったいとなってテーマを演奏した瞬間、鳥肌が立つくらいの筆舌に尽くしがたいほどの絶妙な響きが醸し出され、思わずこの曲で涙腺が緩みそうになったほどでした。

オケも最後途方もなく強大な響きを築き上げ、これはこの日の白眉というくらい盛大な拍手を受けていました。

久しぶりに聴いた「聴かずに死ねるか」級の演奏でした。

しかし二十代半ばパリ管からここまでその音楽を引き出すだけでもとんでもない指揮者です。


この後休憩。

ホールの係りの人が「会話をお控えください」というボードをもって歩いていたが、みなマスクしていてもそれをやるということは、それってこのホールの換気の悪さを証明してることなのでは? と意地悪く思ったりしたものでした。

そして後半。

この「春の祭典」もまた前半の「海」と似たような感じの演奏となっていた。

ただ「海」よりもオケがもっとマケラの音楽をしっかり掌握していたせいか、あれよりはかなり音楽が前向きに進んでいた。ただこちらも回数を重ねればさらに聴き応えのある演奏になるだろうなという印象は「海」と同じで、大阪公演あたりではそれはそれはより素晴らしいものになっているのではと予想。
(もっとも器用なインサイドワークを身に着けてる人は、「回数を重ねれば」みたいな事はあまり感じさせないケースがあることを思うと、マケらそういうことに無関心な指揮者なのかもしれないし、価値をあまり見出していないのかも)

演奏全体としてはかつてのバレンボイムの猪突猛進でも、ビシュコフの重戦車系とも違う、音の輪郭が視覚的にみえてきそうなくらい、クリアで音の動きが細部まで聴きとれるような、この曲に施したストラヴィンスキーの仕掛けをひとつひとつ開帳していくかのような、ちょっと新鮮な演奏でしたし、彼独特の解釈が随所に見受けられたなかなか個性的ともいえる部分が感じられた演奏でした。

あとこの曲で特に痛感したのはマケラのとても冷静というか「さめた」音楽への対峙の仕方。

ただ冷静といっても他所事他人事のようなものではなく、熱狂や興奮もすべて冷静にコントロールされた中で行われているような、そういう頭のキレというか幅の広さと深さを凄く感じさせられた。

それはかつてのLAPO時代のメータとも相通じるものがあるけど、メータがどちらかというとブレンド感に拘ったのに対し。マケラはクリアさ見通しの良さに拘った感があった。
(このあたりは今夏に聴いたポベルカ、さらにバッディストーニとも相通じるものがある。ひょっとしてこの世代はそういう傾向の人が多くいる世代なのだろうか)

そんなこの「春の祭典」も終わってみればこれまた観客からの盛大な拍手を呼び起こした。


最後に雑感。

一部の古い音楽ファンは未だ「バリ管の全盛期はミュンシュ時代」と言ってはばからない人がいるようだけど、自分は近いうちにこれ等の人達も「今が全盛期」と思うようになるのではないかと、この日のマケラを聴いていて強く感じられた。特に「ボレロ」などは二十代半ばの指揮者かパリ管相手にやってしまったことがすでに仰天物で、いったい今後このコンビ、そしてマケラはどこまで成長し進化していくのだろうかと思ってしまったほどでした。

できればマケラの半世紀後を聴いてみたいがさすがに自分にそれはできない。

若い人たちはムラヴィンスキーやチェリビダッケの実演を聴けたから羨ましいと年長者に羨望の念を感じるかもしれないが、自分にしてみればマケラやポベルカ、それにフルシャやバッティストーニと同じ時代を歩んで生ける今の若い人達の方に強い羨望の念を感じてしまうものがあります。

というわけで〆。

因みにアンコールはパリ管で聴くのは初めての名曲、ムソルグスキーの「モスクワ河の夜明け」でした。これもまた新鮮な演奏。ただしその選曲はかなり意味深。
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サンフランシスコ人

マケラはすごい指揮者なんですね?

http://www.sfcv.org/articles/review/guest-conductor-klaus-makela-elicits-refined-shostakovich-tenth-sf-symphony

http://www.sfsymphony.org/Data/Event-Data/Artists/K/Klaus-Makela-conductor

半年前、サンフランシスコ交響楽団を振りました...
by サンフランシスコ人 (2022-12-01 04:52) 

サンフランシスコ人

「ある意味、今世界で最も注目されている指揮者かもしれないマケラが」

2024年3月、ニューヨークのカーネギー・ホールに登場...

http://newyorkclassicalreview.com/2023/02/carnegie-hall-to-examine-music-of-weimar-era-in-massive-2024-festival/

"Young star conductor Klaus Mäkelä will make his Carnegie debut and lead the Orchestre Paris in The Rite and The Firebird, March 16..."
by サンフランシスコ人 (2023-03-01 03:46) 

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