SSブログ

ユロフスキー指揮ベルリン放送交響楽団を聴く。(3/25) [演奏会いろいろ]

brso01.jpg
brso02.jpg

ユロフスキーは2017年にロンドンフィルと初来日したが、
その時はまるで某ピアニストの協奏曲ツアーに伴奏で同行したかのような、
そんな雰囲気のものだったため、
来日前に急速に興味を失い行くことを諦めた。

そして翌年のロシア国立響との来日公演には同行せず、
今年(2019)のベルリン放送響との来日まで待つことになった。

だが今回もまたソリストにユロフスキーは泣かされた。

ピアニストの故障により曲目を変更したため、
ブラームスとマーラーというプロの骨子が崩れてしまった。

また諏訪内さんとも来日前のベルリンでやっと初共演ということもあり、
こちらも正直危惧されたところがあった。

だが自分が行った今回の新宿公演は、
当初の予定曲目が変更されることもなく、
また演目も日本に来てすでに演奏していたためか、
指揮者もオケもある程度いつもの実力を出せる状況で迎えられた。


因みに今回来日したこの団体は古くはアーベントロートとの録音、
そしてレーグナーやヤノフスキ―との録音や来日公演で知られる、
かつて旧東ドイツのベルリン放送響と呼ばれたオケで、
フリッチャイ、マゼール、シャイーとの演奏で知られ、
旧西ドイツの一時RIAS響とも呼ばれたベルリン放送響は、
現在ベルリン・ドイツ交響楽団という名称になっている。

編成はブラームスが12型対抗配置。
(第一Vnは10人にみえた)
後半のマーラーは16型対抗配置。
オケが大編成になったためか、
オーケストラピットを設置するあるあたりの前四列を外し、
舞台として拡張していたようにみえた。

それとも人の入りの関係だったのだろうか。
正直満員御礼とまでいう入りでは無かったようなので。


前半は諏訪内さんとの協奏曲。

冒頭の音を聴いてまず思った事は、
とにかく懐かしいということ。

かつてレコードで聴いたレーグナーのそれのようで、
おかしな例えで申し訳ないけど、
水彩画のような水墨画的な音色をもった、
しかもそれが弦管一色に一枚岩的に統一された、
なんとも心落ち着く佇まいの響きだった。

これがこの曲の雰囲気にあったことは言うまでもないけど、
面白かったのはそれとは明らかに異質な諏訪内さんの音。

真っ白に輝くしなやかな一本線のような音が、
じつに濁りなく輝くように響いてくる。

しかもフレーズを大きく繋げながら、
どちらかというと細かく音を刻むような所まで、
弧を描く様に安定した伸びのある音で聴かせてくる。

これが前述したオケの音と、
本来は相いれない感があるはずなのに、
実際はこのため両者のコントラストが際立ちながらも、
不思議なくらいひとつの音楽として成り立っていた。

それはあまりにもタイプが違う音ではあるものの、
ともに濁りの無い響きであったことから、
このような絶妙かつユニークなものとなったのだろう。

ただ第三楽章になるとユロフスキーがかなりしかけてきた。

それまでもときおり強いエッジを効かせた響きを、
要所要所で使用していたけど、
ここではそれプラス跳躍的ともいえる音の運びと、
ティンパニーの轟くような打ち込みで、
かなり攻撃的ともいえる熱い音楽となった。

もっともテンポをむやみに上げて煽情的に描くという、
そういうあざとい効果を狙うような事はしておらず、
しっかりと地に足をつけたものになっていた。

この後ろからバシバシ押してくる音楽のせいか、
諏訪内さんのソロもここにきて熱くなるというより、
より表情を大きくするようなそれが目立ち始め、
かなりスケール感のあるものとなっていった。

聴き終わった後、
なんかブラームスというよりチャイコフスキーを聴いたかのような、
そんな不思議な印象もあったけど、
ソロもオケも大いに聴かせるとても愉しい演奏でした。

この後、諏訪内さんがイザイの曲をやったけど、
ブラームスの後にやってもあまり違和感がなかったのは、
そういう部分もあったからなのかもしれない。

※アンコール曲
イザイの「無伴奏バイオリン・ソナタ」第2番~第一楽章。


この後20分間の休憩。


そして後半のマーラー。

冒頭から音がとにかくホールによく拡がる。

このホールはフルで1800というキャパなので、
サントリーより広くはないが、
多目的ホールということで、
そんなに豊かな残響をもったホールでもない。

だがとにかく音がよくホールに響いた。

これはこのオケの音質にもあるのかもしれない。

第一楽章前半、
一部管楽器にナーバスになったように感じられる所があったけど、
この日はとにかく弦が絶好調。

最高にまとまりのある、
それでいてじつに指揮者の要求に俊敏かつ熱く応えており、
この流れとユロフスキーのコントロールの上手さによるせいか、
管楽器も次第に好調になっていき、
第一楽章終盤ではオケが一体となって猛烈な音楽をつくりあげていった。

第二楽章は「花の章」が演奏されたが、
かつてこういう通常版に「花の章」を差し込むやり方は、
「拙速案」とか「指揮者の不勉強」となじられたものだけど、
ユロフスキーはこれを「ハイブリッド版」とよんで決行した。

じっさい聴いていてここにこの楽章が差し込まれても、
今回の演奏に関して自分は不自然には感じられなかったし、
トランペットのソロも落ち着いた音色と音質のそれも好ましく、
なんとも言えないいい雰囲気の演奏だった

ここで面白いなのはユロフスキーとオケの関係。

ユロフスキーはどちらかというと見通しのよい、
クリアでやや細かい表情を随所に計ったように施すという、
ある意味メンゲルベルクと感覚が似たような部分があるが、
本来こういうタイプの指揮者は、
全体で一枚岩のような落ち着いた響きで統一されたオケとは、
それほど相性が良くないのではないかと思われるけど、
このマーラーでは互いの個性がまるで損なわれることなく、
しっかりとひとつになって強固な音楽を築きあげていた。

2017年から始動したコンビにもかかわらず、
早くもこういう状況になっているのは、
やはりユロフスキーの実力だろう。

2021年からペトレンコの後を継いでバイエルンに行くのも納得。


「花の章」からそのまますぐに第三楽章へなだれ込む。

この効果は抜群だったけどそれ以上に弦の響きが強烈で、
物凄く強烈なアタックとうねる様な表情が凄まじく、
オケ全体がなびいているかのようにみえるほど、
全員が身体を一緒に大きく動かしながら演奏していた。

表情も生々しいくらいのものがあり、
緩急のつけかたもかなりのものだったけど、
それでいてオケの音の基本線は揺らいでいないので、
濁ることも見通しが悪くなることもない。

第一楽章終盤のようなかなりの盛り上がりでこの楽章が終了。


ここでコンマスが立ち上がり再度オーボエに指示を出しチューニング。

それを低い指揮台の上で後ろに手を組んだまま、
じっと待っているユロフスキーの後ろ姿が妙に印象に残る。

この間、なぜかこの指揮者を初めて聴いた時の、
ロンドンフィルとのマンフレッド交響曲の音盤を思い出した。


第四楽章。

ここで冒頭のコントラバスのソロを8人全員で弾いていたけど、
それでもこれはこれで自分は有りだと思った。

ひじょうにこれも随所に表情の凝らされた演奏で、
特に第三楽章からエンジン全開になった木管が、
ここでもかなり頑張って素晴らしい演奏を聴かせていた。

そしてそのまま第五楽章になだれ込む。

このとき第二と第三楽章をアタッカで繋げたのと重なったのと同時に、
かつてこの曲が

第1部 青春の日々から、若さ、結実、苦悩のことなど
第1楽章 春、そして終わることなく
第2楽章 花の章
第3楽章 順風に帆を上げて

第2部 人間喜劇
第4楽章 座礁、カロ風の葬送行進曲
第5楽章 地獄から天国へ

と第二稿時に二部に分かれていたことを思い出した。

このフィナーレも予想通りかなり強烈なものになり、
ホルン全員が起立して吹奏したあたりから、
最後猛烈にテンポを上げて嵐のように終わるまで、
まさに怒涛のような演奏となった。

また随所に聴かせる弱音も強い持続力を保持したことで、
よりその強弱の幅が増大したこともそれに拍車をかけた。

あととにかく弦が凄い。

この楽章でここまで弦がはっきり聴き取れ、
しかも説得力のある表情を聴かせた演奏というのは、
極めて稀という気がした。

これもまたこの演奏にとてつもない表情の幅を与えていた。

圧巻。


最後圧倒的な幕切れで終了。
全体の演奏時間は六十分前後だったような気がします。


この直後ホールが沸きに沸いたのは当然だけど、
自分はこのとき今回のそれはマーラーにしては随分健康的で、
マーラー独特な陰鬱感や死生観というものは希薄なものの、
結果若き日のマーラーの情熱とファンタジーを前面に出したことで、
ベートーウェン風の骨太で強靭なマーラーが出来上がったような、
そんな感じがとてもした。

それはまたワルターがNYPOを指揮した七十代の頃のそれを、
どとこなく彷彿させるものがありました。

そういえばユロフスキーの今回の来日公演のもうひとつのメインは、
マーラー版のベートーヴェンの7番。

このあたりひょっとして本人に何か思う所があったのかも。

それとも「ハイブリッド」というキーワードが、
この日のマーラーの「巨人」だけでなく、
どちらのプロのメインにもかかっていたのだろうか。


この後アンコールで
ワーグナー「マイスージンガー」第三幕への前奏曲が演奏。


このときこの演奏会全体を通じて、
弱音がじつにものを言ってた事をあらためて再確認させられた。



今回ユロフスキーを初めて生で聴いて、
予想通りその素晴らしさに自分は感心しました。

ただその実力に比して日本では何故か人気も知名度もいまいち。

バイエルンの歌劇場と来日すれば、
そのときようやく日本でも認知されるようになるのかもしれません。

ただそういうのってはたしてどうなんだろうと、
この国のクラシックファンの価値観というか尺度に、
自分は今回も些か不可思議なものを感じてしまいました。

そういえばラトルもバーミンガムと来日した時は、
文化会館でマーラー「巨人」を含むプロを、
土曜の午後六時から演奏という好条件にも関わらず、
ホールの半分も埋められないくらいガラガラの事があったけど、
当時イギリスでは連日満員御礼だったとか。


この公演はNHKでも収録放送されたけど、会場の方にあまりカメラを向けていなかったように感じられるほど、とにかくこの公演は不入りでした。もっともこれでさえ、1994年の同コンビが人見記念講堂で行った演奏会よりはまだ入っていたのですから、本当にラトルのバーミンガム時代の来日公演はときおり可哀そうと思われる程のものがありました。


ちょっとそこのところは腑におちなかったけど、
内容的には大満足のそれとなりました。

次回の来日が今からもう楽しみです。

できれば次回はもっと多くの人に聴きに来てほしいです。


あとユロフスキーもそうですが、
この世代の指揮者は新しい指揮者というより、
むしろ先祖返りしたかのような所が見受けられます。

演奏者の演奏スタイルには、
かなり長い年月をかけて一周するような傾向があるので、
自分たちがモノラルやSP録音で聴くことのできた世代の、
そのころのスタイルに近しいものに戻りつつあるのかもしれません。

もっともそれは単なる当時のコピーというのではなく、
それを基にしての新しいスタイルといっていいのかもしれませんし、
それこそかつてジャズでいわれた
「新伝承派」
というものになっていくのかもしれません。

このあたりの見極めはこれからのお楽しみということで。




nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 1

阿伊沢萬

とてつもない指揮者でした。次はどこと来るのかとても気になります。ただ次はアクシデントなく来日してほしいです。

soramoyouさま、はじドラさま、nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2019-03-31 04:55) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント