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フェドセーエフの1975年のショスタコーヴィチの5番 [クラシック百銘盤]

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ウラディーミル・フェドセーエフが初来日したのは1975年の1月。
モスクワ放送交響楽団(チャイコフスキー記念交響楽団)の来日公演が最初だった。

このオケは1972年にロジェストヴェンスキーとネーメ・ヤルヴィ、
この二人とともに来日したのが最初。

この公演は当時のショスタコーヴィチの新作交響曲第15番の日本初演。

ロジェストヴェンスキーが三度目の来日にして、
初めて自らのオーケストラと行うコンサートツアー。

そして放送響自身の初来日ということで話題の公演となった。

そのせいか再来日の報が早くもその二年後には告知された。
指揮者はもちろんロジェストヴェンスキー。

だがそれから間もなくしてロジェストヴェンスキーはこのオケの地位を辞し、
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となった。

このときこのオケの後任人事がけっこういろいろとあったらしく、
それは一時同行指揮者が二人発表されたところにもあらわれていた。

ひとりはマリス・ヤンソンス、そしてもう一人がフェドセーエフだった。

結局1975年1月のモスクワ放送響再来日は、
1974~1975年のシーズンから音楽監督になった、
このフェドセーエフひとりによる来日公演となったが、
そのためこの公演は旧ソ連のオーケストラの来日公演で、
指揮者がひとりで全公演を指揮する初めてのそれとなった。

(この公演以降、このオケの来日公演は、ごく一部の例外を除き、フェドセーエフ一人の指揮で全公演が行われている)

このツアーは1/17~2/21まで行われたが、
一人でやるにはかなりの強行軍となった。

日程と曲目は以下のとおり。


1月17日:東京文化会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月20日:名古屋市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月22日:神戸文化ホール
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

1月24日:フェスティバルホール
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月25日:和歌山県民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第5番

1月27日:金沢観光会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月29日:東京文化会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

1月30日:藤沢市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

2月4日:八幡市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月5日:福岡市民会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

2月7日:宮崎市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月8日:熊本市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

2月10日:フェスティバルホール
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月12日:東京文化会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月14日:宮城県民会館
チャイコフスキー/ロミオとジュリエット
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

2月15日:青森市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月16日:函館市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

2月17日:苫小牧市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ウラディミール・クライネフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月18日:札幌厚生年金会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
グリンカ/幻想的円舞曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
チャイコフスキー/交響曲第6番

2月19日:北見市民会館
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

2月21日:新宿厚生年金会館
チャイコフスキー/交響曲第5番
チャイコフスキー/交響曲第6番


というかなりのもの。

しかもこの時期、
まだ新幹線も東京~新大阪間しか開通しておらず、
そのたいへんさは今よりもかなり大変だったと思われる。

この強行軍ツアー終了後、
フェドセーエフにとって最初のシーズンが終わる少し前の四月に、
モスクワで放送響とレコーディングが行われた。

曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。

じつはこの曲は1972年の来日公演ではロジェストヴェンスキーとヤルヴィ、
そして直前の来日公演ではフェドセーエフが指揮している。

特にフェドセーエフは日本で八回も指揮しているので、
ある意味この曲の録音の下準備は充分すぎるほどできていたともいえる。

とはいえいろいろとフェドセーエフにとってプレッシャーのかかる、
これは録音であったかもしれない。

何しろ超個性的な前任者が十年以上いたオケを、
赴任してから半年ほどの時期だったため、
まだまだ前任者の色が濃い状態のオケを指揮すること。

またショスタコーヴィチがまだ存命中ということもあり、
地元モスクワでの録音で下手な事は出来ない。

そして彼がアシスタントを一時つとめたという、
あのムラヴィンスキーもまだバリバリやってたし、
同じモスクワのフィルハーモニーには、
これまたやはりショスタコーヴィチと親交のあった、
名匠コンドラシンが指揮台に立っていた。

これらの事を考えると。
確かにやりがいもあったかもしれないけど、
この曲を録音するということは、
今よりもかなりプレッシャーがあったような気もするけどどうなのだろう。

そんな状況下で録音されたこの演奏。

まず録音が1975年にしては些かローカルで、
同じ時期の他の欧米の録音と比べて物足りないが、
それが当時のメロディアらしいといってしまえばそれまでか。

録音のバランスもときおりちょっと不思議なところがあるし、
ホールの響きにソロ楽器が埋没してしまうところもありと、
ちょっと不思議な部分があるが、
その反面下品なほどの金管の割れんばかりの咆哮が、
これまたメロディアの昔のLPを聴いてるみたいで、
今のまとまりのある録音に耳が慣れた人には不満爆発かもしれないが、
かつてのメロディアの響きに慣れ親しんだ人には、
妙な懐かしさを感じるかもしれないような響きが横溢している。

またその反面弦の弱音などはかなり丁寧で、
思わずじっくりと聴きこませるほどのものがあります。

そしてオケ全体の音。

やはり前任者の影響が強いせいか、
フェドセーエフは端正でハッキリとした響きを要求しているのだろうけど、
上記した金管のそれもかなりのものだけど、
随所に前任者が聴かせた摺り足的ともいえる粘るような歌いまわしが聴かれ、
結果的にどす黒いともいえる雰囲気と、
しかも低めに重心を置いた凄みを感じさせる、
フェドセーエフにしては情念的ともいえる、
やや異色な出来ともいえるものになっている。

ただオケそのものは同曲を再録音した、
1991年盤より管楽器などかなり粗いが、
全体的にはこちらの方が弦を中心として地力が上に感じられる。

それは1991年時には、
モスクワの放送響を含む主要オケの多くが、
新規に創立されたロシア・ナショナル管にメンバーを抜かれ、
メンバーに変動が急遽起きてしまったことと、
当時のソ連の雰囲気がいろいろと影響していたのかもしれない。

それはクーデター云々部分以外の事も含めてです。

ただ同年6月の同オケの日本公演では、
すでにメンバーの移動が起きてはいたものの、
この録音よりはずっとまとまりのあるいい状態だったので、
後者の方がより大きな影響をオケに与えていたのかも。


演奏時間は、
17:26、4:56、14:16、9:40。

因みにフェドセーエフの同曲再録音となった1991年盤は、
16:47、5:04、14:40、10:42

尚、コーダは1991年盤同様、
「四分音符=188」説に沿った快速テンポで押し切っているが、
多くの指揮者と違い、
最後までそのテンポ緩めることなく。
厳しいほどにそれに徹し一気に走り切ってしまう。

旧ソ連の指揮者でこのテンポでやる指揮者は珍しいが、
最後テンポを落さないというのは、
「四分音符=88」説に則した演奏という違いはあるが、
ムラヴィンスキーの演奏と共通しているといっていい。

とにかく録音も演奏もやや粗い部分はあるものの、
今となってはなかなか貴重な演奏といえるし、
どす黒い凄みの有る響きによるショスタコーヴィチということで,
いろんな意味で聴き応えのある演奏といえると思います。


しかし1975年の来日公演で、
こういう最後超快速コーダのショスタコーヴィチを聴いた聴衆は、
当時どう思った事だろう。

バーンスタインの旧盤あたりの録音も含め、
そこそここういう傾向の演奏はあったから珍しくはなかったろうけど、
やはり旧ソ連オケがこういう演奏をするとは思ってもみなかったことだろう。

特に1973年に来日したムラヴィンスキーの同曲の演奏は、
NHKのテレビやラジオでも放送されていたので、
その印象で聴きに来ていた人も少なからずいたのではないだろうか。

だとしたらその衝撃はかなりのものだったろうし、
フェドセーエフの来日公演を聴かないでこの音盤を当時初めて聴いたら、
やはり同様に驚いたことだろう。


と、この録音を久しぶりに聴いたら、
そんなことをいろいろと思い起こしてしまいました。


尚、あとは余談ですが、
この公演、じつはその後あまりにも話題性のある公演が、
春先から初夏にかけて立て続けにあったため、
そちらに話題をそっくり持っていかれてしまいました。

3月
ウィーン・フィルハーモニー(二年ぶり五回目)
指揮、カール・ベーム/リッカルド・ムーティ

5月
BBC交響楽団(初来日)
指揮、ピエール・ブーレーズ/チャールズ・グローブス

レニングラード・フィルハーモニー(二年ぶり三回目)
指揮、エフゲニー・ムラヴィンスキー/アレクサンドル・ドミトリエフ/エドワルド・セーロフ

バイエルン放送交響楽団(十年ぶり二回目)
指揮、ラファエル・クーベリック

6月
サンフランシスコ交響楽団(七年ぶり二回目)
指揮、小沢征爾


またフェドセーエフは翌年読売日響に客演するため再来日しました。

8月17日:東京文化会館
カバレフスキー/コラ・ブルニョン、序曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番(P/ルドルフ・ケレル)
チャイコフスキー/交響曲第6番

8月24日:厚生年金会館[協奏曲の夕べ]
メンデルスゾーン/フィンガルの洞窟
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲(VN/天満敦子)
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン(VN/天満敦子)
ショパン/ピアノ協奏曲第1番(P/佐々木弥栄子)
ショパン/華麗なる大ポロネーズ(P/佐々木弥栄子)

8月25日:神奈川県民ホール[協奏曲の夕べ]
モーツァルト/フィガロの結婚、序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(VN/前橋汀子)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(P/弘中孝)
ショパン/華麗なる大ポロネーズ(P/弘中孝)

というものでした。

この後フェドセーエフが日本の地を踏むのは、
ビクターによりモスクワで多くのJVCデジタル装置による録音が行われ、
それによる知名度と評価があがった1986年の5月。

じつに10年後のゴルバチョフ政権の時代まで待つことになります。



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阿伊沢萬

じつは今頃になってこのCDが入手困難な盤だと分かりました。悪いタイミングで取り上げてしまいました。このあたりなかなか再発売されないのでしょうか。ちょっと残念です。

soramoyouさま、nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2019-03-05 02:55) 

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