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ハンス=マルティン・シュナイト指揮神奈川フィルハーモニー(2009年5月16日) [お悔み]

去る5月28日に逝去されました、指揮者ハンス=マルティン・シュナイトさんが最後に神奈川フィルハーモニーを指揮した、

シュナイト音楽堂シリーズVol.17「シューマン・シリーズIV」

の別の所に書いた当時の感想をここに転載します。


シュナイト.jpg

(会場)神奈川県立音楽堂
(曲目)
シューマン:マンフレッド、序曲
シューマン:ピアノ協奏曲(P/ダニエル・シュナイト)
シューマン:交響曲第4番


シュナイト最後の音楽堂は、大曲「ヨハネ受難曲」から一週間というタイトなスケジュールの中行われた。以前ドイツレクイエム公演後から一週間もあけずに演奏会を行ったとき、その直後に倒れられてしまったことがあった。このことからこの公演にはかなり危惧するものがあったが、心配された通りシュナイトの体調は予想以上に最悪だった。

五分ほど押した後に開演。その冒頭のマンフレッドは、練習不足なのかやや散漫な響き。最後こそうまくまとめていたけど、こういうところにも以前と違うシュナイトのそれを感じてしまった。だがそれ以上に驚いたのは指揮台を下りる時、シュナイトが突然膝から崩れ落ちそうになったこと。すぐに石田さんや他の団員の方が助け起こしたが、これには心配どころのものではないものを強く感じてしまった。おそらくこの時点で石田さんはある意味完全に腹をくくったように感じられたのですが、そのことにつきましてはまた後ほど。

たしかにここ数年のシュナイトの体調は決して芳しくないし、練習中に体調を崩し緊急帰国をしたり、公演が中止になったこともあった。じっさいある日の公開練習時など、休憩のため外に出てきたときに、疲労困憊といった表情をされていたこともあった。だが公演中にこのような姿を見せたことは少なくとも自分は記憶に無い。

続く協奏曲では幾分持ち直したものの、ソロをとる子息ダニエルはそれどころではなかったようだ。目前で指揮者の父が崩れ落ちる瞬間を目にしたこの若いピアニストに、平常でソロだけを心がけろというのはやはり無理で、随所に心ここにあらずのような瞬間が散見された。プロだからそんなことに左右されるなという声もあるだろうし、演奏後派手にブーイングが飛ばされていたが、日本滞在中も自分のことだけに集中できない状況であったことを考えると、自分は単純にその否を声高に指摘することはできなかった。なかなかいい音の持ち主だけに、次回はピアノに集中できる環境でぜひ聴いてみたい人だったのが救いだった。

このあと20分の休憩後に交響曲。シュナイトはこれでブラームスに続きシューマンの交響曲を全曲演奏することとなった。この休憩でだいぶ持ち直したのか、交響曲冒頭から素晴らしく風格豊かで密度の濃い音楽が鳴り出した。特に主部の弦のうねるような巨大な響き、そして終盤のテンポが遅いにもかかわらず、その弦の推進力のある表情から、異例なほどの爽快感をともなった見事な流動感がじつに素晴らしかった。特に後者の感覚は今回の演奏で初めて感じたもので、シュナイトの天才的ともいえる感覚が見事に表出された瞬間だった。コーダの追い込みも素晴らしい。

第二楽章は一転粘らず、あまり遅く感じさせないように音楽を運んだものとなっていました。ですが続く第三楽章は一転して個性爆発。トリオにおいて他のシューマンの交響曲でも聴かせた大リタルダントがここで炸裂。オケが表情をつくるのに賢明だったのが印象に残った。

そして終楽章。雄大ながらも多少抑制された序奏の後主部に入ると、低音が俄然強く切り込んできて、まるでそれは巨人の歩みさえ感じさせるほどのものがありました。オケも分厚くじつに充実した音楽が熱気と勢いをもって奔流のように押し寄せてくる、まさにシュナイトと神奈川フィルならでは音楽が形成されていたそのとき、突如としてシュナイトの体調に異変が生じた。

シュナイトが左手を指揮台後ろにある手すりをつかんで放さない。しかも棒をもった右手はときおりだらりと下がったりして、次第に動きをなくしていった。シュナイトは若干半身になりやや前傾の姿勢をとったままほとんど動かなくなってしまった。ふつうならもういつ演奏が止まってもおかしくない状況だが、このオーケストラには石田泰尚というコンサートマスターがいる。そしてこういう事態が起きる以前にこのコンサートマスターはもう腹をくくっていた。シュナイトが自分で止めるかもしくはそれ以上の緊急事態が起きないかぎりこの演奏を最後までやりぬきオケを引っ張るということを。たしかにこれもまたあたりまえの心構えかもしれないが、今回そう決断したのはそれだけではない。目の前でシュナイトの今の状態をみてしまっているということもあるが、この演奏会が極めて特別なものであり、そのためシュナイトがふだんなら演奏会をキャンセルしてもおかしくない体調であるにもかかわらず、演奏会を強行したことを石田さんは感じていたのだろう。もちろんシュナイトの性格というものをよく知りつくした上で。

このため最後の数分間、石田さんはシュナイトが最後まで指揮台にいることを信じて全力で演奏しオケを引っ張った。オケ全員もよくついていった、というより皆が一致して最後まで音楽を演奏し続けた。今の神奈川フィルは、ひとつの勢いがつくと誰にも止められないほどの力をもつことがある。幸運なことに今回シュナイトがその事態に陥るとほぼ同時にオケはその勢いがついた状態に突入していた。これもシュナイトがこのオケから引き出したもののひとつだった。

シュナイトはこのとき、動くことのできなくなった自分を支えている石田さんをはじめ、賢明に演奏しつづける神奈川フィルに自分の持つ音楽が、自分からこのオケに譲与されたことをあらためて感じていたのかもしれないし、自分が何年もその持てる力の多くを注ぎ込み、育て、そして過去から現在にかけての自分の知識を分け与えたことによって、神奈川フィルがもうひとりの「自分」になっていたこともあらためて感じていたのかもしれない。

シュナイトは最後の数分間、自分が創り育て上げた音楽によって、自分自身が支えられていたのだった。

最後。それまで動けなかったシュナイトが渾身の力をこめて棒を振り上げ音楽をまとめた。そしてその瞬間、オケの全ヴァイオリン奏者の弓が上に向けて弾き抜かれた。それはまるで全員で高々と天を指し示しているようにさえみえた。シュナイトの言う「心から心へ」という音楽への総意が、それこそ天に向かって捧げられたような、そんなかんじに一瞬見えた、それは一瞬だったが、じつに稀有な、そして生涯忘れることのできない光景だった。

演奏終了後シュナイトはもはや立つ力は残されておらず、楽団員や舞台裏から小走りに駆けて来た係りの人たちに、まわりから抱きかかえられるようにして退場していった。だが演奏終了後からの拍手と歓声は鳴り止まず、オケが異例ともいえるほど早い段階で観客に一礼し退場した後も、スタンディングで延々と続いた。

もちろんこの拍手はこの日のシュナイトの壮絶なまでの音楽に対する姿勢にだけではなく、今まで何年もこのオケとともに素晴らしい、それこそ「神奈川フィルに奇跡をもたらせたのは誰だ」というほどの音楽を聴かせてくれたことに対する、聴き手の例えようのないほどの感謝の意も含まれている。

しばらくして舞台袖の椅子に座ったシュナイトがあらわれた。ひょっとするとシュナイトの健康が許せば、それこそ何時間も続きそうな拍手が続き、花束も渡された。これは3月のみなとみらいの最終定期ではみられなかった光景だ。

そう、あのときの観客の多くは、音楽監督として最後の公演であり定期であった3月公演ではなく、今回のこの音楽堂公演こそが特別の、そして最後の「定期」公演であると位置づけていたのだ。それがこの拍手ではっきりと感じ取られた。それがわかっていたシュナイトには、この日がいかなる体調であろうともこの特別な公演をキャンセルするという選択肢など無かったのだ。それに対し石田さんも全楽団員も腹をくくったのだ。そして結果神奈川フィルは最後ほんとうの意味でシュナイトの音楽を譲与されたオーケストラとなった。

椅子に座り照明を受け、延々と拍手を受けるシュナイトに、なぜか自分はシュナイトがこの公演で音楽のすべてを搾り出し尽くしてしまったような感じがし、その姿が演奏開始前よりひとまわり以上も小さくなったように感じられてしまった。9月にシュナイト合唱団との最終公演があるのに、何か指揮者としてのシュナイトが今日ですべて終わってしまったようにさえ感じられてしかたがなかった。そしてその小さくなった姿をみていて急にこみ上げるものを抑えることができなくなってしまった。シュナイトさんにはたっぷり休養していただきたい。ほんとうに今までありがとうございました。

こうしてシュナイトと神奈川フィルはひとつの関係を終えた。神奈川フィルは今後定期公演でいろいろな指揮者と共演していく。特に秋から来春にかけての定期公演では、現田さん、湯浅さん、トゥルノフスキーさん、金さん、下野さん、と毎月違う指揮者がその指揮台に立つ。ここで神奈川フィルがどう演奏していくのかほんとうに興味がつきない。特にシュナイトから譲与されたものがこれからどうこのオーケストラの資産となっていくのか。そこのあたりもファンの方はぜひ見守っていってほしいものです。

余談ですが、シュナイトさんが神奈川フィルとアートホールで練習されているとき、昼の休憩時間をかならずホール内の喫茶店、その窓側の決まった席で食事も兼ねて過ごされていました。そこは外を背にした席で、冬などはけっこう背中などあたたかそうな席ではあるものの、なんで外の景色とか観ないのかなと思っていたのですが、その視線の先に練習場となるホールの入り口、そしてフロアで談笑する楽団員の方々がみえたとき、自分はシュナイトさんの音楽とこのオーケストラに対する気持ちの一端を垣間見たような気がしたものでした。もうそれも観られないかと思うとじつに寂しいものがあります。

それはとても厳しくちょっと気難しい、だけどどこか穏やかで温かさも感じられる空間でした。


以上です。

あらためてシュナイトさんには心から深謝です。合掌。
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