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ムラヴィンスキー来日(1981、1986) [ムラヴィンスキー]

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※クリックすると、もう少し鮮明になります。

5月29日:神奈川県民ホール
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

6月1日:群馬県民会館
モーツァルト/交響曲第39番
プロコフィエフ/交響曲第6番

6月4日:東京文化会館
モーツァルト/交響曲第39番
プロコフィエフ/交響曲第6番

6月17日:名古屋市民会館
モーツァルト/交響曲第39番
プロコフィエフ/交響曲第6番

6月20日:福岡サンパレス
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

6月23日:フェスティバルホール
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

6月26日:NHKホール
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番


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9月25日:昭和女子大人見記念講堂
[ショスタコーヴィチ生誕80周年記念演奏会]
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月1日:シンフォニーホール
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月19日:サントリーホール
チャイコフスキー/交響曲第5番
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

じつはこの来日公演の前、
「ウィーンのムラヴィンスキー」
という1978年に楽友協会大ホールで収録された、
LP四枚分のライブ録音が登場した。

音質は些か残念なレベルではあったけど、
それでも久しぶりのステレオによる新録音で、
しかも曲目も定評のあるものばかりということで、
コンサートに行っていない人たちにも、
近年のムラヴィンスキーの円熟ぶりを知らしめた事もあり、
この時の来日公演は久しぶりに話題性の高い公演となりました。


ですがご存じのように、
この1981年はオーケストラそのものが来日中止。
代わりにシモノフとキタエンコ指揮のモスクワフィルが来日。

ただこれではあまりにも役不足となったためか、
この公演の中止により長らくレニングラードフィルを招聘元し続けた、
新芸術家協会が倒産。

このため秋のカラヤン指揮ベルリンフィルの来日公演が、
あわや吹っ飛ぶのではないかと危惧されましたが、
これを別の所が代行し事無きを得るという、
かなり荒れた展開が繰り広げられてしまいました。


この来日中止は日本のモスクワ五輪ボイコットが理由といわれていますが、
1979年の亡命事件時に当局とムラヴィンスキーが、
売り言葉に買い言葉で「言ってはいけない」言葉を両者が発し、
このため党員でなかったムラヴィンスキーに、
オケのメンバーの多くに渡航ビザを発給しないという、
あり得ない蛮行を直前に当局がしかけたというのが、
公演中止の実情だったようです。


その後ムラヴィンスキーもレニングラードフィルも来日の予定はなく、
来日がありそうだった1983年も来日は無く、
正直この時点で個人的にはもう来日は無いと覚悟はしていました。

ですがその後ゴルバチョフ政権になると、
それまで途絶え気味だったソ連のオーケストラの来日が活発化し、
1986年には、

モスクワ放送交響楽団が11年ぶりの来日。
ソビエト国立文化省交響楽団が初来日。
そしてレニングラードフィルが7年ぶりの来日。

しかもそこにはムラヴィンスキーの名前もあり、
これが最後だろうという事もあって、
同時期にヨッフム指揮コンセルトヘボウや、
チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル、
そして結局は小澤征爾に変更になったものの、
カラヤン指揮ベルリンフィルの来日があったものの、
それらと比べてもこの前評判はかなり高いものがありました。

そしてこの当時、
メロディア系を中心とした、
ステレオ録音のCD14点をカタログにあげていたビクターは、
当時販売していたVHSとVHD用に、
この公演の収録も予定していました。


ですが残念ながら1985年頃から体力の衰えが見えだしたムラヴィンスキーが、
この来日前に体調そのものも好調とはいえないこともあり、
結局来日取りやめとなってしまいました。

本人はその後コンサートを開けるぐらい回復したものの、
日本行きはやはり負担が大きすぎるということだったのでしょう。

その後翌年三月に行われたコンサートを開くも、
体調は芳しくなく、
晩秋に予定されていたコンサートも結局キャンセル、
翌1988年1月19日に亡くなられました。

このときはNHKのニュースにもなり、
また毎日新聞はかなり大きな訃報を当時掲載しています。

翌年レニングラードフィルは、
1989年にテミルカーノフとマリス・ヤンソンスの指揮で、
ムラヴィンスキー没後初めて来日しますが、
その演奏は全体的にどこかちぐはぐで、
決して誉められたものではありませんでした。

ですがムラヴィンスキーのレパートリー中、
彼が特に得意として何度も演奏された曲を演奏すると、
その時だけムラヴィンスキーの音が突然鳴り出すという、
驚くべき事にも何度か出会いました。

それを聴いた時、、
最後にもう一度だけムラヴィンスキーを聴く事ができたようで、
オーケストラに深く感謝をしたものでした。


その後メンバーも大きく入れ替わり、
都市名の変更ととものにオケの名前もかわり、
文字通り「レニングラードフィル」は消滅しましたが、
その時の録音がいくつも記録して残っているのはありがたいことです。

今後はヨーロッパ各地での録音が発掘され、
耳にできる機会が増える事を願ってやまない次第です。


以上で〆


2018年1月19日。ムラヴィンスキー40回目の命日に寄せて。
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