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「WUG」新章の第一話をみて。 [アニメ(2017放送開始)]

「Wake Up, Girls!新章」がはじまった。
WUG.jpg
http://wakeupgirls3.jp/

本来は歓迎されて然るべきところだけど、
放送前の声優さん達の発言や、
今回はそれまで監督をされていた山本寛監督が降板された事や、
声優さんたちの発言対して激しい物言いをされた事で、
そういう部分のそれは吹っ飛んでしまった。

自分はいわゆるワグナーではないし、
最初の劇場版と一期はみたけど、
その後の前後編の劇場版は未だ見ていない。

なので立ち位置としてはかなり冷めた、
しかもコンプリートしてない状況でのそれなので、
些か公平さや精査性に欠く部分が少なからずでてきますので、
そのあたりは最初にお断りしておきます。

で、この放送前の一連のやりとりを、
自分はツィッターで以下のように呟いている。

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「WUG」一期はいい作品だったけど、田中さんや他の方の発言には個人的に何の違和感も不快感も無かったし「その気持ちは分かる」とすら感じた。正直それも有りだなというところ。ただ山本監督と声優さん達のベースの部分で信頼関係が成立していない上での発言だったらこれからちょっと大変かなあと。

あと田中さんのいうスタイルの「WUG」を押し進めると、これからはラブライブをはじめとした多くの「キラキラとした作品」と同じ土俵に上がる事になるので、いずれそれらの作品と比較され精査されていく事になると思う。そこのところを自覚し自信をもっての発言ならむしろ応援してみたい思う。

それにそこにはそのベースをつくったのが他ならぬ山本寛監督という部分もありますから。

また例えロコドル要素の強いアクアに触発され、あんなかんじに弾けたいという「焦り」や「羨望」があっての発言でも自分はそこを責める気はないけど、そのために一期をまったくリスペクトせず単純にリセットしたいという意味だったらさすがにそこに複雑なものを感じるなと言う方が無理。

だって一期は出演していた声優さんも監督をはじめとしたスタッフも、一期に関わっている間はそこに自分の人生の一部を全力で注ぎこんでいたわけだから、どちらの立ち位置に自分がいても、そこの部分を無かった事にするという事はさすがにできない。過去に囚われるのとリスペクトするのとは違うと思う。

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というもの。

声優さんたちからみると、
ここまで培ってきたものを、
山本監督がいなくなった状況ということもあり、
まったく新しい可能性に賭けてみたいという、
そういう気持ちになってもそれは無理からぬことだし、
むしろそれくらいの気概が無いと拙いと思う。


ただ言いたいことは分かるけど、
今回はあまりにも言葉が粗いという気がする。

状況的なものも手伝ったのかもしれないけど、
それを受け取った側がどう反応するかということを、
まったく考えていなかったか、
もしくはどう受け取られてもご自由にだったかは分からないが、
少なくとも山本監督と、
ある程度の信頼関係があってのそれではなかったようだ。

それはその後の山本監督のそれが物語っている。

最後はあまりしっくりとしない関係だったのだろうか。


ただとにかくそうは言っても、
もう後戻りできないところまで事は動いているし、
「ラブライブ」や「アイマス」あたりと同じ土俵に上がってしまうという、
そういう状況になりつつあるので、
あとはやるしかないといったところか。

声優さんには声優さんの理由があるだろうし、
自分たちの一度しかない人生もかかっているという部分もあるだろうけど、
山本監督も人生の一部をそこに削り込んでやっていたことだけは、
ちゃんと考えておいた方がいいと思う。

あれだけの事をブログ等で書いたということは、
言い方云々は人によって受け取り方があるかもしれないけど、
いかにいい加減なやっつけ仕事ではなく、
精魂込めて作品に自らのそれを削り込み注ぎ込んでいたかという、
そのあらわれでもあるのですから。

またそこには演じている声優さんの事も思ってのそれも、
当然あった上でないと成り立たない部分もあるので、
分かれとは言いませんが考えるくらいはしてほしいかと。


そんなあまり楽しくない気持ちで新章をみた。


一言でいえば、
見事なくらい能天気で明るく屈託のない、
いい意味でお気楽なつくりの作品だった。

最初の劇場版や一期とはまったく雰囲気もつくりも違う、
そんな作品だった。

自分はこれを見た直後にツィッターで以下のように呟いている。


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「WUG」の新章をようやくみた。印象としてはエメリッヒ版「ゴジラ」のWUG版というところか。WUG抜きでみればこれそのものとしては面白いけど、一期を観なくてもいいかというとそうもいかないつくりで、じゃあ一期を観た人に文句なく受け入れられるかというとさあどうだろうか…というところ。

なんというか、より幅広い層を狙ったのはわかるけど、そのためにかつての「売り」を削いた部分があるので、結果として一話だけみると、むしろ狭い層がターゲットになってしまったような感じがする。一期のファンもあまり引っ張れてないし、新しいファンにもやや不親切というかんじ。

意気込みは感じられるけど、二話以降このあたりを綺麗に整理していかないと、下手するとTV版「艦これ」になってしまうかも。あと一期の時ほどじっくりWUG個人が描かれないままスタートしてるのでこれを今後どうするか、そこのところを一期におんぶにだっこさせてしまうと「新章」と言う名前が…。

あとはこれからのそれということで…。

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文中でWUG個人とは、
もちろん七人個々のそれという意味。

それとエメリッヒ版「ゴジラ」の例え。

これは「ゴジラ」が好きな人なら分かってくれると思う。

「ゴジラとしてさえみなければ作品としては面白い」

と言われた作品だ。


ということで、
第一話は見ていて話としては面白いけど、
それは一期とかをみているおかけで、
それまでの設定や話が分かっているから入れるのであって、
そうでない人にはかなり分からない部分がある。

ようするに世界観がハッキリと説明されていないのだ。


これから見ようという人には、
何が何だかよくわからないまま勢いだけで出発したという感じで
そういう意味では上でも言っているけど不親切極まりない。

一期のリスペクトもしていないけど、
新たにリセットしたという感じもしないのは、
そういう部分もあるからだろう。

一期にそういう部分を頼っているのは、
そのあたりはいろいろと仕方ないかもしれないけど、
逆にそうならざるを得ないくらい一期はよく作り込まれていたことを、
このときあらためて思い知らされたものでした。


とにかく第一話そのものは潔いくらいサバサバしてるけど、
初めてみる人にはいろんな意味で置き去り感満点で、
二話以降ここをどう整理整頓していくのか、
予想したものよりは悪くなかったので
このあたりの中途半場な部分を今後どうするのか。

二話以降お手並み拝見といったところでしょうか。

あと絵がちょっと…。

もっとも絵はこんなものなのかなあ最後まで。



今の所は以上です。




〇余談


考えてみるとWUG一期が放送されていた時は、
「ラブライブ」一期の放送が微妙な余韻を残して終了、
大詰め二期が始まる前の放送という事で、
μ'sとは違う存在感と内容が一期は印象として強く残った。

もちろんその後のμ'sとWUGの人気は、
それこそI-1clubとWUGくらいの差になったが、
ロコドルとしてのWUGはかなりのそれは持っていたように思う。

だがAqoursが似たようなロコドルとしてのベースをもち、
それがμ'sほどではないにせよ、
大きな話題と人気をもったことは、
WUGにとってあまり楽しいものではなかっただろう。

第一話で2015年は「アイドルの祭典」で優勝したけど、
2016年はダメだったというエピソードが語られた時、

「そういえばAqoursは2016年から放送されてたなあ」

と思ってしまったのは自分だけだっただろうか。


μ'sとは住む世界が違ったけど、
Aqoursとは住む世界がベースの部分でかなり似ていただけに、
Aqoursがこっちの世界に乗り込んできたのならということで、
今回の新章がこうなったのも、
そのあたりの事があってのそれなのかなあと、
いろいろと勘繰ったりしてしまった。

たた正直言うとAqoursの道も決して平坦ではない。

こちらはこちらでデビュー以来、
絶対王者μ'sとことあるごとに比較され、
さらには次のグループがすでに発表されるという、
これまた正念場に早くもなっている。

そのへんをすっ飛ばして、
隣の芝生は…みたいなかんじだったらちょっと…。

そんなAqoursとMUGの新シリーズが、
なんの因果か同時期に放送が開始された。

MUGの土俵に上がり善戦はしているものの、
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会に追われる立場になったAqoursと、
山本監督と袂を分かち、
こちらはμ'sの土俵に上がり新装開店で勝負に出たMUG。

若干乱撃戦の様相を呈しているようにもみえる、

「MUGとAqoursの明日はどっちだ!」

などと言ったら怒られるだろうか。


しかしこの二つ。

どちらも前回大会がいまいちの結果だったという
そんなところから話が始まってるのも面白い。

とことん比べられてしまうだろうなあ。この二つ。




自分が最も強く印象づけられている、
一期第9話「 ここで生きる」。

この第9話については自分かつて、

「自分などは311はすでに年に一度しか来ない日であり、かなりそれらのことが記憶や記録となりつつあるのだが、ここでは311はまだ現在進行形であり、朝起きれば311がまだ多くの人の生活の上に、いまだにのしかかっていることを実感させられていることに、あたりまえだが強く思い知らされたものだった。」

と書いている。

そしてWUGが仙台のグループであることにさらに重みを与え、
再認識させられる話だった。


「新章」ではたしてWUGは、
こういう地元とのそういう部分を今後ちゃんと描けていけるだろうか。

「売り」を削ぐというリスクを冒しているだけに、
このあたりを希薄にさせると根無し草になってしまう可能性がある。

そうなったらはたしてWUGはどこへ行ってしまうのだろう。

大きな世界に羽ばたくのはけっこうだけど、
糸の切れた凧にはなってほしくないものです。



地名をいくら作中で連呼しても、
それが作品の本質と結びつかないと正直あまり効果はない。
このあたりも多少意識してほしい。



あと見ていて新顔の中学性トリオの方が印象が強かった。
実際ダンスのシーンも印象は中学トリオの方が強く、
この三人は真っ新なので動かしやすいこともあるだろうけど、
これがWUGにとってどう影響がでてくるのか。

しかも三人ということでコンパクトなことと、
かなり性格もハッキリわかれているので、
初めて見た人にはこの三人の方がとっつきやすいかも。

まさかこの三人を将来一人立ちさせるという、
そんな目的も含んでの登場…というわけではないだろうけど、
結果そうなってもおかしくないくらい、
この三人はいろんな意味でいいかんじに動いていた。

WUGもμ'sの土俵に上がったらいきなり、
Aqours同様後ろから追われる立場になったのだろうか。

上で自分がそこそこ面白く感じたのは、
じつはそこの部分が大きかった。

この三人けっこう面白いかも。



終り
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