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アニメ聖地雑感 [聖地巡礼(Seichi Junrei)]

大洗に行きだして四年半、
沼津も初めて「聖地」として訪ねてから1年程たつ。
ここまででちょっと「聖地」について纏めを書いておきたいと思う。

かなり長く、
しかもとっちらかった内容なので、
飽きたらそこでもう終了していただいてけっこうです。

それでは始めます。


自分は以前「聖地」に対して、
二次元と三次元を繋ぐ鎹という意味で、
「声優」とその立ち位置が酷似していると言った事がある。

その事はいくつかの聖地に通い、
そこでの発信や反応をみていくにつれ、
よりそれらを強く感じられるようになっていった。


また聖地の多くはその作品や土地柄によって、
その取り組み方捉え方がいろいろと違うため、
各地状況がいろいろと多様化しているものの、
訪れる多くのファン側の感覚としては、
アイドル声優に対するそれと同じような、
それこそ聖地をひとつのアイドルとして捉え、
聖地巡礼はアイドルのコンサートに出かけるそれと同じと、
最近そう思えるようになってきた。


訪問者の見る目がそういうものになっていると、
当然聖地そのものにも変化がではじめる。

ビジターの訪問とそういう感覚による行動が起き始めると、
それにより聖地となった現地の人達が、
次第に状況の変化に気づき始める。

当然最初は当惑するだろうが、
次第にその原因が分かり始めると、
それらを活用する…というより、
自分達に何ができるのかという事を探り出す。

そこでビジターとの会話が生まれるが、
これらは最初からそれが目的というより、
お店等では接客における日常のそれによるものなので、
このあたりは会話が好きな人達と長けた人達による、
多くは自然発生的に生じた日常的なものといえるだろう。


こういうときの普段着での接し方がうまくいくと、
それが顧客づくりへとうまく連動、
結果その人達がリピーターとなってくれる。

その後そういうリピーターとの
さらなるそこでの会話の中身などから、
自分たちが何をするべきかをさらに洗い出し、
その過程で自分たちの仕事や街の良さを再発見、
何が「売り」になるかを見極めながら、
そこに磨きをかけ粧いを施す事により、
次第に街本来のある力によって、
自分自身の力で勝手に活性化されていくというのが、
アイドル化した聖地がとるひとつのケースだと思う。


ここで誤解してほしくないのは、
聖地のアイドル化は無理して場違いに着飾ったり、
厚化粧を華美に施すというものを指しているわけではない。

上記したように、
あくまでも自分達本来の売りや魅力を、
ビジターからの情報も吸い上げ最大限に活かし、
そこを磨き上げ発信するという事であって、
無理していろいろと花火をあげろというわけではない。

無理なイベントや場違いなそれは、
ビジターにとって虚飾ととられかねないし、
そうなるとかえってアイドルとしての魅力も低下してしまう。

こういう時のファンのそれはかなりシビアなものがあり、
最も忌み嫌う部分でもある。

ビジターが期待しているものと、
街が行ったイベント等の内容にギャップが出るのは、
極力避けねばならない要素でもあるのです。
(そのためには前述したビジターとの会話とその分析はとても大切なのです。)

なのでこういう事で一度失望してしまうと、
それっきりとなる危険性が高い。
(このあたりも声優に対するファン気質と似ている所がある)

一度失ったビジターを呼び戻すのは至難の業なのです。


また幸いにしてそうならなかったとしても、
無理したり犠牲を強いたりするイベントを続けても、
それらは決して長続きしないし、
また持続的な部分での成果も思うようにはでないだろう。


イベントを企画するならあくまでも無理せず、
自分たちも楽しめる範囲でやらなければ長続きしないし、
リピーターも生まれにくくなってしまう。

そこのところは勘違いしないでほしいし、
今のアイドルの「売り方」をみていれば、
そのあたりはけっこうお分かりいたただけるのではないだろうか。

アイドルがネットで普段の自分の生活や仕事、
そして趣味を頻繁に発信しているのはそういう事が、
ベースとして大事というふうに理解しているからに他ならない。

それらと同じ事なのですから。


自分が訪問した事がある土地で、
「鷲宮」「豊郷」「秩父」「大洗」「沼津」なども、
それらに該当するように感じられた。

もちろんこれには作品内容とそのパワーも関係しているけど、
上記したように現地の対応のしかたによって、
けっこう左右されてしまう部分がある。

上記五つは中でもそれらがある程度うまく機能し、
それによってスーパーアイドル化したように思われる。


特に大洗と沼津は、
いきなり特定の街の名前が前面に出たという事で、
他の多くとは若干内容が異なるが
それでもこれらは順調にアイドル化したわけではなく、
当初は他の聖地同様かなり試行錯誤し、
決してうまくすべてが運んでいるようにはみえなかったが、
今では自分たちの本来の売りとパターンがみえてきたのか、
ひじょうにいい方へいい方へと活況を呈し、
今ではそれに商店や役所も積極的に絡み、
かなり大規模になった事でさらに多くのビジターを呼び込み、
リピーターを増やしながら現在に至っている。

それは普段着姿の売りと、
特別な日を設けてのサービスをからめての、
いろいろな装いを施す事によってビジターを飽きさせない、
そういう地道な「アイドル活動」も含めた努力の賜物だろう、

現在行っている会話や接客、
またいろいろな面での鮮度への意識や、
ネットを中心とした情報発信の数々、
これらも常に多くの人からみられているという裏返しで
みな「アイドル活動」の一環といっていいと思う。


またこれらの聖地は、
聖地としての受け入れ処とそれとは無関係という所が、
ある程度うまく住み分けができているのも特徴で、
それがまた「アイドル」という処を、
明確に浮き上がらせているのかもしれない。

また大洗と沼津は、
等身大パネルとラッピング車輛を積極的に展開している。

A012.jpg

前者は大量の等身大パネル、
後者はラッピングバスやタクシーが、
街の多くの場所で活躍しており、
これが街のアイドル聖地化というだけでなく、
本来アニメのキャラである作品のキャラが、
あたかも地元に根付いた新手のゆるキャラのような、
それこそロコドルみたいな感じで、
地元に認識されるという事も生じている。

沼津で当のラッピングバスに乗った時、
そのバスをみる人達のリアクションや、
バスに乗って来た人達のそれをみると、
よりそれが強く感じられたものでした。


だがそれらはすべての人達に、
決して好意的に受け入れられてるわけではない。


街が聖地になった事で「アイドル化」していく事に、
強い不満をもつ人達も存在している。

これらの人達は昔からその街を知っている人で、
聖地化する事によりアイドル的な人気を博し、
それ目的で大勢のビジターが訪問するうちに、
その街がかつての姿と違う形に変貌し、
ビジターに対し媚びた装いを行っているようにみえる事が、
我慢ができなくなっているという事がある。


確かに今まで見慣れた風景に、
いきなり異質なものがそこかしこにあふれたら、
それをいきなり受け入れろというのは無理がある。

だがだからといって、
自分が気に入らないからとそれを否定するのは、
さてそれはどんなものだろうという気が強くする。

もちろんそこに住む人達にとって、
迷惑このうえないというのであれば、
それは一考し対応を協議するのは当然だが、
地元にとっても活性化のひとつとなっていた場合、
恩恵を受ける人達が限定的になったとしても、
実害が起きていない場合、
それらを頭ごなしに否定するのはやはり問題だろう。

(ただこの実害というものにもいろいろと各人の基準というものがあり、一概にどうこうと決めつけられないものがある事も、この問題を複雑にしている事は確かだと思う。)


またこれらに対して拒否反応を起こし否定する人は、
なぜそう思うのかという事を、
自分自身に対しその要因を精査した事があるだろうか。


この土地は昔から変化や変貌を積極的に拒絶してきた街なのか。
ここの人達はこれらの変化をどう考えているのか。
これらを拒否する考えは自分を納得できるか否かだけの問題ではないのか。

等々。

特に最後に書いたそれは、
下手をすると自己全否定になりかねないので、
そう簡単においそれとできるわけはない。

でもそのあたりをしていかないとこの話は先に進まない。
大事なのは自分ではなく現地そのものである事を思うと、
そんな事は二の次三の次なのだ。

精査されつくしていない自分の考えや価値観を、
その街と心中させてはいけないのです。


あと今の聖地のアイドル化がダメな人で、
「昔」のその街のイメージを大事にしたい人は、
自分がもっとも強くイメージを刷り込まれたその時代から、
脱する事ができないのだろう。

もちろん好き嫌いはその人のそれだから、
それは全然かまわない。

だがそれが理由で、
その価値観を押し付けるのはやはりいけない。

好き嫌いと良し悪しは、
自由と無秩序のように異なるものだ。

価値観をおしつける前に、
この時代のこの街はこうだった、
そして聖地だったころのこの街はこうだったと、
それを見つめ記録し、
そこで起きた変化から学び街とともに前へ進むのが、
本筋というべきではないだろうか。

そうでないと街本来の進むべき道が、
アイドル化するしないに関わらず、
不自然に曲げられた道へと進んでしまうかもしれない。

変化しないことによる不自然な変化は、
ひじょうに誰も気づかない事が多いのです。


とにかく街が変化をしていくとき、
その過程でいろいろな事が起きる事を、
過去がああだったからと否定ばかりしていては、
その先に街が進む事はできない。

また失敗も成功も山の上り下りみたいなものなのだから、
前へ進むためへのそれと思わないと、
これまた前へ進む事はかなわない。

もちろん街の伝統等を守るのはけっこうだし、
大事な事ではあるけれど、
それを自分の中の慣習や刷り込みと取り違えてはいけない、
それは街にとっても迷惑だし不幸な事だと思うし、
そんな事をしたら、
将来の展望すら開けてこないのではないだろうか。

(ただ聖地化に否定的な人たちの中には、それ以前の聖地になる前のその街に「憧れ」、また違った意味でアイドルとして見ていた人達もいるんじゃなかろうかという気がしています。アイドルには好き嫌いはつきものですから、当然といえば当然なのかも。)


ところでアイドルというものにもいろいろある。

短期間に強烈な輝きを放ち消えていったもの。
長期間に渡り輝き続け今もなお光を絶やさないもの。

等々。

聖地の多くは後者を目指し、
前述した事を地道に続ける事により、
今をできるだけ長く紡ぎながら、
同時に種を撒き次の時代に備えていく。


おそらく沼津も大洗も、
「ラブライブ」や「ガルパン」が静まった後の、
街の将来の展望も視野に入れているだろうし、
この景色も長い年月における、
ひとつのそれとすでに考えていると思う。

だから尚更街にとって否定ばかりして、
立ち止まる事は決して得策ではないのです。

今やれる事をやり、
次に備える…もしくは種を撒く事をはじめる事は、
本当にとてつもなく大事な事。

そしてそのひとつの過程として、
街のアイドル聖地化も利用し糧としているのです。


繰り返しますが、
聖地のアイドル化は街本来の活力を呼び戻したり、
地元も忘れていた街本来の魅力の再発見に繋がったりと、
これはある意味街の棚卸をしながら、
いろいろと多くの副産物がそこに生まれてくるという、
街にとってとても大切なイベントなのです。

沼津の「のっぽパン」の売り上げ増なども、
そのいい例だと思います。


聖地となった街は、
そこに住む多くの人達によって、
今日もアイドルとしての鮮度を保ちつつ、
(鮮度を保つのもまた粧いの一種だと自分は思っている)
多くのビジターを受け入れている。

自分はそういう活動を高く評価したいし、
そんなアイドルたちがこれからどうなっていくのか、
それらがしっかりとした成果に結びつく事を祈りながら
自分も可能な限りそれを見守り続けていきたいと思います。


ただそれだけに、
何度も何度も繰り返すようで申し訳ないですが、
最近よくみかける「聖地協会」のようなものが、
観光ばかりに特化せず、
聖地となった街の悩みや問題への相談の窓口となったり、
過去に起きた事への参考のようなものを閲覧できたり、
聖地同士の横の繋がりのパイプ役になったりと、
そういう部分の事にも力を注いでいかないと、
いつの日か聖地観光も廃れてしまうかもしれないと危惧している。


アイドルが輝くにはプロデュースする力が必要だが、
それはただ話題づくりだけという事ではない。

こういうバックアップシステムのようなものも形成しないと、
そのうち「こんなものいらない」という事が、
いつか大きな不満となって各地で炸裂してしまうかもしれない。

それだけに「~協会」というものをこしらえるのであれば、
そういう足元を踏み固めるという事にも、
地味だし継続というなかなか辛抱を強いられる事ではありますが、
ちゃんと力を注いでほしいと最後にここで言っておきたい。

特にこのあたりの風潮は、
今のアニメ制作現場に通じる「悪しき」ものも感じられるので、
より強く念押しで最後に言っておきたいと思います。


長文拙文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

深謝。


[余談1]

自分は大洗や沼津に行くと、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団や、
ウィーンやベルリンのフィルハーモニー管弦楽団のような、
長い歴史を持った楽団を想起する事が多い。


これらのオーケストラは19世紀やそれ以前からある団体だ。

多くのオケは自分たちの伝統や良さを守るべく、
いろいろな努力を長年し続けてきた。

だが楽員は年年歳歳、引退と入団が常に繰り返される。
それによって使用している楽器も変わる事だってあるし
今まで使用していたホールが何等かの理由で使用できなくなり、
新しい響きのホールでその後演奏しなければならない事もある。

他にもガット弦から金属弦への変更や、
常任指揮者の交代によって生じる奏法の変更、
さらに教育システムや楽団の方針変更等もあり、
多くのオーケストラは昔からのサウンドを、
そのままの形で維持できているわけではない。

なのでオーケストラによっては楽器を代々受け継いだり、
奏法を代々受け継がせるといった、
そういう形で伝統を守っていく団体もあったが
それでも完全にそのままというわけにはやはりいかない。

そのためそれらによって生じた変質や変貌を、
昔からのファンは全てを受け入れる事ができず、
「昔はよかった」
という言葉で片づけてしまうケースが少なくない。


ただ個人個人の技術は今の方があがっており、
そのためあきらかに今の方が、
オケ全体としても上手くなっているケースも多く、
音質や音色等は変貌したが、
むしろ今の音の方が好みというという人も多くいる。

ハッキリ言ってしまうと、
どういう理由で生じたにせよ何かを得れば何かを失う、
だから変質や変貌が起きる。

それの細かい積み重ねの変化が必然のオケの場合、
自分がいつの時代にそれに慣れ親しみ、
そして影響を強く受け刷り込みとなったかで、
けっこうこのあたりの感覚や価値観は変わってしまうと、
自分はそう思っている。

むしろ1950年代のこのオケはこうだった、
2000年代のこのオケはこうだったと考える方が、
よりその時代時代のそれを明確にとらえ、
そして愉しめるのではないかと自分は考えている。
(これはゴジラにも言える事かもしれない。)

昔はよかったばかりでは、
今ある良さを愉しむどころか、
これからの可能性をも殺しかねない危険性があるのです。

かつて数百年の歴史を誇る、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団について、

「ゲヴァントハウスの運動をおこし、育てていったものは常に各時代の進歩的勢力であった。」

という言葉があった。

この言葉、
自分は今の沼津や大洗にもあてはまると思っています。


[余談2]

大洗の変化は2013年春と2017年夏では、
もう街の雰囲気そのものが場所によっては大きく変わっているし、
また全然変わっていないところもある。

おそらくこれから全然変わっていないところも変わっていくだろうし、
逆に今大きく変わった所はこれからしばらく変わらないだろう。

そんな今の時代にこの環境で育った人には、
今この時代が何十年後の「昔はよかった」の「昔」になってしまう事も、
じゅうぶんありうる事。
(そこには今から少し前に消えた景色は含まれていない)

そしてそれは今の沼津にもあてはまると思う。


そんな繰り返しが過去現在未来と繰り返されていくのだろうし、
そこで生き続けていくいろいろなものは、
その時代時代で必要とされていたからなんだろうなあと、
大洗や沼津をみるたびにいろいろと感慨にふけってしまいます。

そんな事を考えながら、
これからも自分は聖地を歩く事になるでしょう。



A012.jpg
※マリンタワー前の広場とステージ。
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