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ゴジラ(1954)最初の一週間 [ゴジラ]

1954年の「ゴジラ」、
じつはこれがいつ起きたかという日にちが、
作品中明確に描かれている。

ひとつは、
8月13日19時05分の栄光丸遭難の報。
そしてもうひとつは、
8月20日16時30分にゴジラが観音崎沖にいるという放送。

今回はここからゴジラのこの最初の七日間をみてみる。


8月13日。

栄光丸遭難の報。19時05分。
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続いて備後丸も遭難する。


8月14日。

大戸島の漁船が生存者を救助という報を発表。
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ちとわかりにくいけど時計の針が8時をさしている。

おそらく朝の8時だろう。

このあとこの日の夕方近くで政治が大戸島に漂着。


問題はここからでかなり無理があるけど、
8月20日から逆算する形で以下のようになると思われる。


8月15日。

シケ続き、古老がゴジラかもと発言、取材陣が来て、夜の神楽。
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※政治の回復が早すぎるのが難。

そしてゴジラついに大戸島上陸。
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このことから、
ゴジラの上陸は8月15日の終戦記念日のようです。


8月16日

大戸島の陳情団が国会へ。
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※大災害の割に到着早すぎという点に難。


8月17日

朝、東京から大戸島へ。
竹芝~大島くらいの距離なら六時間ほどで着くと思われる。
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そして午後、ゴジラ出現。
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緊急事態のため空路帰京したと思われる。


8月18日

国会でゴジラ審議、夜、遊覧船横にゴジラ出現。
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8月19日

ゴジラ東京上陸(一回目)
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8月20日

16時30分観音崎沖にゴジラがいることが放送される。

ゴジラ二度目の上陸。東京炎上。
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という感じになっており、


8月21日

芹沢邸でオキシジェン・デストロイヤーの使用を懇願。

という流れになる。


このあとはわからないがゴジラが三度目の上陸が描かれていないことと、
オキシジェン・デストロイヤーを砲丸大の量生産していることから、
数日後に東京湾でゴジラと対峙したとみるべきなのかも。

それを考えると十日ほどの間に、
ゴジラの物語は起こったことになる。


ただ正直※印でも書いたように、
かなり無理のある部分もあるので、
あくまでも明記されている二つの日付を軸に推測したという、
そういうものとお考え下さい。

もっとも8月20日の方は実際は「20日」としか言っていないので、
ひょっとすると9月20日かもしれません。

もしそうだとかなり大戸島と東京間の移動、
政治の回復なども無理なく運びそうですが、
ただそうなるとゴジラが大戸島から東京まで、
一か月近くかかって移動するということになるので、
今度はそれもまたどうなんだろうという気はしますが、
さてじっさいはどっちなんでしょう。


以上です。


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