SSブログ

アレクサンドル・ガウクのインタビュー [クラシック百物語]

1958年4月。

ソ連指揮者界の大御所、
アレクサンドル・ガウク(1893-1963)が、
病気の弟子、ムラヴィンスキーに代わって、
レニングラード・フィルハーモニーの指揮者として来日した。

彼はその時、
招聘元だった朝日新聞のインタビューにいろいろと応えている。

それを以下に記しておきたい。



私の理想的な指揮者といえばアルトゥール・ニキシュである。

彼の私に与えた最初の印象はいつまでも残るであろう。
特に彼に教えられたことはオーケストラというものが、
ピアノのキイのような機械でなく、
生きている人間によって作られているということである。
たまに音楽の解釈について
オーケストラとの相違があり得るということを知らなければならない。
そこでオーケストラを圧迫してはいけない。

十九世紀後半から二十世紀にかけて指揮者に二つのタイプがあらわれた。
その一つはグスタフ・マーラーのタイプで、
もう一つはニキシュのタイプである。

マーラーは偉大な指揮者であったが、
私は残念ながら彼に会ったことがないが、
彼がオーケストラを圧迫するタイプであるという話をきいた。

一生懸命に練習してもオーケストラを圧迫すると、
演奏会当日、せっかくの練習の三割ぐらいは消滅してしまう。

ニキシュの場合はすべてを微笑をもって
オーケストラに納得させて全然圧迫することがなかった。
またクレンペラーのような指揮者も実にすばらしい演奏会をやったが、
練習の時には必ず何か大騒ぎなしにはすまなかった。
それに反してブルーノ・ワルターは
彼のやさしい指揮ぶりと微笑をもって
オーケストラを自分の思うままにさせることに成功している。

ニキシュに与えられた印象が非常に強かったとはいえ、
別に彼をまねしようとは思っていない。
特に彼のあまりにもやわらかい女性的とでもいえるような性質は
今日のわれわれの感覚にはむかない。
例えば「悲愴交響曲」の時にも聴衆を泣かすのみでなく
自分も指揮台で泣いたくらいであった。
しかし、われわれは今日、
この同じチャイコフスキーの曲をもっと堅い古典的な解釈で演奏するようになった。


ニキシュは必ず譜面をおいて指揮したが、
二十世紀になって二、三十年このかた暗譜で指揮するのがはやってきた。
私は大阪で指揮した時、
チャイコフスキーの第四番の交響曲は譜面なしであったが、
悲愴交響曲の時は譜面をおいた。

譜面をおいても実は音楽を暗記してよくのみこんでいるのはもちろんであるが、
やはり場合によって細かい点をたしかめるために譜面をおきたい時もある。
また音楽を十分に知っていても原則として必ず譜面を使う指揮者もいる。
チェコスロヴァキアの有名なターリヒもその例である。



私は現在モスクワ放送交響楽団の常任指揮者を勤めているが、
レニングラード交響楽団とは昔から深い縁があるので、
ムラビンスキー氏が急病で旅行できなくなった時、
こんどの指揮を喜んで引き受けた。
レニングラード交響楽団は世界中の有名な指揮者のもとに演奏したことがあるが、
なかでもニキシュ、フリート、クレンペラー、
ターリヒ、アンセルメ、モントゥ、ワルター、
などの名前を特にあげたい。

この交響楽団は
ソ連のオーケストラの中で一番演奏の仕上げられた団体だといえよう。
その音響が美しく、ダイナミックで熱があり、
演奏表現が細かく、またレパートリーが極めて広い。

彼らの特徴は勉強ずきで、
各楽器の技術上のことはグループが仲間同士で
首席奏者の指導のもとに細かく練習しているから、
指揮者が出てくる練習の時には、もはや技術的な問題はなにも残らず、
ただ音楽をするだけである。

このような方法では三、四回の練習で
他のオーケストラ七、八回の練習を必要とする同じ成績があげられる。



日本の聴衆はたいへん熱心で
演奏会場はまことに寺院のような静けさで感心した。
日本人は音楽が好きで、特にチャイコフスキーは人気があることを知ったが、
演奏中はピアニシモの時だけでなく、
フォルティシモの時でさえなんの音もせず、
ただ熱心にきいていてくれる。
このような聴衆は演奏する音楽家のためにも
すばらしいインスピレーションを与えてくれる。
たまには演奏中、写真機の音やフラッシュがじゃまになったが、
日本に来ている客としてあまり苦情はいうべきでないと思う。


 なお、日本の聴衆について私をびっくりさせたことは
五月十四日、一万四千人のために行う予定の大衆音楽会についてのことである。
この場合むしろ軽いプログラムを作ってシンフォニーを入れないでおいたところ、
聴衆の代表がわれわれを訪ねて、
チャイコフスキーの第四番の交響曲を入れてほしいと申し出てきた。
これは何よりも日本の音楽を楽しむ聴衆の高い教養を物語っていると思う。

尚、このとき余談として


夜中の二時にホテルの近所で、なにか食べ物を売って車を押している人が、
オーボエみたいな楽器をならしていた。


というコメントをしていました。

ガウクとレニングラードフィルが来日したこの時代、
都心のど真ん中の国際的ホテルの側で、
深夜二時に屋台のラーメン屋さんが営業をしていた時代だったことを知ったとき、
最新鋭のジェット機でやってきたレニングラードフィルと、
古きよき時代の屋台のラーメン屋さんというこのコントラストが、
なんともちょっと不思議かつ微笑ましく思えたものでした。


1958年レニングラードフィル日程
指揮者:
アレクサンドル・ガウク、
クルト・ザンデルリンク、
アルヴィド・ヤンソンス


4月15日:フェスティバルホール(指揮/ガウク)
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第4番

4月16日:フェスティバルホール(指揮/ガウク)
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第4番

4月18日:フェスティバルホール(指揮/ザンデルリンク)
チャイコフスキー/ハムレット
プロコフィエフ/協奏交響曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ブラームス/交響曲第4番

4月21日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第4番

4月22日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
グラズノフ/ライモンタ゜、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

4月24日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
チャイコフスキー/ハムレット
プロコフィエフ/協奏交響曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ブラームス/交響曲第4番

4月25日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
チャイコフスキー/ハムレット
プロコフィエフ/協奏交響曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ブラームス/交響曲第4番

4月27日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

4月28日:新宿コマ劇場(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

4月29日:新宿コマ劇場(指揮/ヤンソンス)
ドヴォルザーク/交響曲第9番
プロコフィエフ/交響曲第7番
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月1日:フェスティバルホール(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

5月2日フェスティバルホール(指揮/ヤンソンス)
ドヴォルザーク/交響曲第9番
プロコフィエフ/交響曲第7番
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月3日:フェスティバルホール(指揮/ガウク)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
グラズノフ/ライモンダ、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

5月5日;八幡製鉄体育館(指揮/ヤンソンス)
グリエール/青銅の騎士、偉大なる都への諸歌
グリンカ/イワンスサーニン、ワルツとクラコヴィアック
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
グラズノフ/ライモンダ、組曲
カバレフスキー/コラブルニョン、序曲
ハチャトゥリアン/バレエ音楽からの組曲
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月6日:福岡スポーツセンター(指揮/ヤンソンス)
ドヴォルザーク/交響曲第9番
プロコフィエフ/交響曲第7番
チャイコフスキー/イタリア奇想曲

5月8日:名古屋市公会堂(指揮/ザンデルリンク)
ラフマニノフ/交響曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第5番

5月11日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
ベートーヴェン/エグモント、序曲
モーツァルト/交響曲第39番
チャイコフスキー/交響曲第6番

5月12日:日比谷公会堂(指揮/ガウク)
チャイコフスキー/交響曲第6番
グラズノフ/ライモンダ、組曲
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ

5月14日:東京体育館
グリンカ/ルスランとリュドミラ
チャイコフスキー/白鳥の湖、序曲~白鳥の踊り~ワルツ(以上指揮/ヤンソンス)

チャイコフスキー/ロココの主題による変奏曲(VC/ロストロポーヴィチ)
ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第15番
ハイドン/弦楽のセレナーデ
ブラームス/ハンガリー舞曲第1番(以上指揮/ザンデルリンク)

チャイコフスキー/交響曲第4番(指揮/ガウク)


尚、全公演終了後20日に帰国するまでの数日間、
オケは箱根を中心に日本での余暇をたのしみ、
ありとあらゆるところで、楽器、電化製品、服、絵葉書等のお土産を買い、
その量はトラック二台分になったそうです。
(特に広島では絵葉書を買い求める団員が多かったのですが、そのうちの一人が「こんな美しい街が一瞬に消えたことは恐ろしいことだ」というコメントを残しています。)



このときの来日公演のCDのひとつ。
08_l.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0