SSブログ

「響け!ユーフォニアム2」「#3 なやめるノクターン」をみて。 [アニメ(2016放送開始)]

ようやく自分の吹奏楽に対する疑問、
そしてコンクールというものに対して、
このアニメは語りだしたようだ。


自分は以前も言ったけど、

「吹奏楽と吹奏楽コンクールは別物」
「吹奏楽コンクールのための吹奏楽は音楽ではない」

というのが持論。


いきなり真っすぐに言ってしまうが、
吹奏楽コンクールの吹奏楽は、
スポーツの全国大会と同じで、
あれは音楽をするのではなく、
競技するために音楽が手段になってるだけだと思ってる。


まあ青春の汗と涙の一頁としてのそれを、
真向否定しようとは思わないけど、
正直音楽で何を表現しようとしているのか、
それが全然みえてこない。

確かに正確な音楽というものは、
それだけでも存在価値は一応あるが、
そこから先がどうしても自分には、
コンクールがからむとまったく見えてこない。


だけど今回はそんなことよりも、
あそこでの練習の仕方が物凄く疑問。

今回のあの練習のしかた。

野球の「千本ノック」と同じで、
たしかに体の力が抜けるとか、
これだけ練習し、
悪い所も指摘されてるのだからそこを注意すればという、
そういう自分への自信と言い聞かせはできるけど、
それだけでは先にも上にもなかなか行けないのではと思えてしかたがない。

まあ基礎練の部分が大きいので、
どうしてもこうなってしまうのかもしれないけど、
だとしてもひとつここでいいたいのは、
練習した後、
翌日はこのステップより上から、
この人たちはスタートを確実にできるかという、
そういうビジョンがこの人たちに具体的にあるのかというのが、
ずこく疑問。


例えば十回同じ曲を練習したとしよう。

そのとき例えば七回目がよかったといわれたとき、
それを再現できるだろうか。

おそらくできないだろう。


というよりそれ以前に
そのとき学生たちは、

「なぜ成功したか、なぜうまくいったか」

ということを演奏ごとに、
他のメンバーに説明できるほど考えているのだろうか。


確かに失敗したときの指摘とかは、
先生もいろいろとしているけど、
うまくいったときの説明、
もしくはそれを学生自身が考え、
それを他者にわかるように説明できるだけのそれを、
はたして各自意識考察しているかということ。


これができないと、
うまくいったのがいつまでも偶然の産物になってしまい、
次のときも、
また最初の位置からの練習になってしまいかねない。


もしうまくいったときのそれを、
他者に説明できるほど理解していれば、
次は少なくとも、
そのうまくいったときの演奏開始時より、
少し上のステップからスタートできるはずだ。


それをしないと、
またさっきと同じ下のステップからはじめなければいけないし、
うまくいったときと同じレベルまでいけない可能性もある。


身体で覚えるのもけっこうだが、
こういう部分も深く考えないと、
ただやみくもにやってるだけで、
ほんと自己満足のみという気がしてしかたがない。

というよりもったいないでしょ。

ただひたすらやるのも、
自分たちがいいならそれでもいいけど、
正直そこのところがお留守になってしまうことは、
とてつもなくもったいないという気がする。

ここができていれば、
七回目がよかったといわれれば、
逆算してその七回目を再現できる可能性が高いし、
その後なぜうまくいってないかも、
当然わかってくるはずだ。

つまりうまくいったときのマイルストーンを、
つくろうとしていないのだ。

これは教える方も悪い。

減点方式の発想だからこうなるのだろう。

プロならいちいちそういうことをしなくてもいいけど、
相手は学生だ。

ただ機械的に指摘ばかりするのではなく、
考える力を養うことも、
教育の一環として大事なのではないだろうか。

学校の部活や吹奏楽コンクールは、
ロボットを生み出すためのものではない。

達成感も大事かもしれないけど、
その過程を無味乾燥なものにせず、
より分厚く確実なものにするという意味でも、
このあたりの欠落はほんとうにもったいない。


もっともこういうやり方、
これはコンクールの採点のそれもあるだろう。

なのでそういう傾向になるのは、
ある意味いたしかたないのかもしれない。


でも今言ったことを考えていれば、
絶体今より効率があがるし、
そこから自分たちの個性や特長もみえてくる。


意味のある音、
ちゃんとした説明できる裏付けのある音を出せれば、
指と心は絶対ひとつになってくるはずだ。


だから繰り返していいますが、
みていてものすごく残念にみえてしかたないのです。

しかしどこの学校もこういう教え方なのだろうか。



それともうひとつ。

コンクールが審査員の好みで決められるのが嫌というセリフ。


これを聞いたとき、
なんと健全な考えなんだととても安堵した。

また麗奈の自分の音楽を聴いてもらえるからうれしいというのも、
これまたすごく健全でわかりやすくいい意見だった。

たしかにそうなんですよね。

趣味嗜好だけで決められちゃたまらない。

ある演奏家が快心の演奏をし、
聴衆の大部分から支持をされても、
一部評論家からボロクソいわれ、
それが雑誌に載ってしまうことで、、
それによりその演奏会の評価が決まってしまうことなど、
音楽の世界ではよくあることだ。

コンクールの場合、
もっとそれが極端かつハッキリあらわれるのだから、
こんなに演奏する側から納得できないものはないだろう。


しかもコンクールの賞は、
それだけで決まるとはかぎらない。

正直もっとドロドロとした、
とてつもなく理不尽なものがそこに関わることもある。


それを思うと、
青春の汗と涙が理不尽なもので評価されるというのも、
なんだろうねという感じなのです。


このアニメみてると、
そういう意味で正直ちと鬱になってしまうものがあるけど、
キャラがみんなそれを真正面から悩み考えているそれをみると、
なんかやはり目が離せないというか、
放っておけないものがある。


確かにドロっとした人間関係も描かれているけど、
みんながそれぞれ、
喜怒哀楽いろいろあるにせよ青春を謳歌しているのをみると、
それはそれでみてる方も

「がんばれよ」

と声をかけたくなってしまうのが人情。


鬱にもなるし、
文句もいいたい砲台撃ちたくなるけど、
それ以上に結局はなんか心に残ってしまうこのアニメ。


本質的には青春というか、
人生肯定がベースにあるから、
そう感じるのだろうか。


というところで、
言うだけ言ったので中途半端に〆

これぞ自己満足。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0