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佐村河内氏のドキュメント映画「FAKE」を観た。 [佐村河内事件]

去る6月4日(2016)から公開された、
佐村河内守氏のインタビューを軸につくられた、
森達也監督のドキュメンタリー映画「FAKE」をみた。

index_main.jpg
http://www.fakemovie.jp/
※公式サイト

上映時間107分ということだが、
ひじょうに旨くつくられていて飽きることなく、
それこそ一気にみせられてしまった。

途中ちょっと冗漫に感じられたところもあったが、
そのあたりのフォローもしっかりしていた。

ラストは森監督自身、
とても気に入っているといっていたが、
正直自分は思わず「クスっ」と笑ってしまった。


そして何でだかわからないけど、
観終わった後、
ちょっと楽しい気持ちになってしまった。

それは今でも理由は分からない。


映画は最初聴覚の異常の話がメインとなっているが、
とにかくこの話の根が意外と深い。

そしてマスコミを利用しての「FAKE」、
マスコミがつくる「FAKE」の現場というのを、
ここでちょっとみせてくれる。

それはマスコミの本質だから仕方が無い部分があるが、
見ている人によってはえげつないものに見えるだろう。


そして後半は、音楽についての話になってくる。

ここでいくつか今までの報道とはかなり違うものが提示されてくる。

確かに聴覚の部分でもそういうものが少なからずあったが、
こちらの方は

「じゃあ今まで報道されていたのは何?」、

という感じすらしてくる。

佐村河内氏に

「ならば音楽でつくった借りは音楽で返せ」と、

ここのところをみて思わず言いたくなってしまったほどだった。


それにしても「FAKE」というタイトルは秀逸だ。


この映画の描いている「FAKE」とは実際何なのか、
ひょっとするとこの映画そのものが「FAKE」ではないのか、
と観ていていろいろなことが覆されていくそれをみていると、
正直何もかも疑ってしまわなければダメという、
そんな感じがしてしまう。


因みに初日の舞台挨拶で森監督は、

「今、佐村河内守はマンションの一室でおそらく、うずくまっています。椅子に座ってぼーっとしていると思います。多分、これからも」と紹介。さらに「同時にそういう人は日本だけでもいっぱいいます。助けを求めている人。苦しんでいる人。もだえている人。僕らがちょっと気付けば助けられる人はいると思います。いろんな所で苦しんでいる人はいると思います」と、訴えかけるように語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160604-00000080-nksports-ent

それもこれも身から出たものということで、
正直同情はしないけど、
ただこれに随分いろいろと付加されたりしたものだという気がした。

因みに当時自分はこの事件のことをけっこう書いてるけど、
特に以下の項に詳しく意見を述べている。
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2014-02-07
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2014-02-11
http://orch.blog.so-net.ne.jp/2014-03-27

当時自分もひっかかった一人ではあったけど、
その後のマスコミや一部の評論家のそれには、
かなり疑問や不誠実なものを感じていた。

ただたがらといって今回の映画をみて

「俺の言ったことは正しいだろう」

という気はじつはぜんぜんしてこない。


というのもやはりこの映画で、
自分はいくつもの思い違いをしていたことを、
かなり痛感させられたからだ。


たしかにそれらの事も含めて、
この映画がとらえたものが果たしてほんとうに真実なのか、
それともタイトルそのもののFAKEなのかが、
自分の中でもまだ判然としてはいないものの、
それだけによりそういう事を言う気がしないのだ。


このへんは佐村河内氏に、
あの事件発覚時にマスコミの貼ったレッテル、
そしてそれを既成事実として強く自分の心に刷り込んだものが、
なかなか前提として強固にできあがり、
この映画を正面から受け取れないでいるという部分も影響している。

とにかくこの映画をみていて、
疑惑が晴れるどころか、
何が真実で何がFAKEでというより、
何を信じていいのか分からなくなっていくという、
とにかくそういう部分がとても大きく感じられた。

でも何故かそれでも最後笑ってしまった。

それは自分のそういうことへの足掻きに対する、
照れ隠しのあらわれなのかもしれませんが…。



ところでこの映画でもはっきり言われているが、
とにかく事の発端は佐村河内氏自身にある。

それは本人も映画の中で認めている。

そしてそのつけがとてつもなく大きく、
しかも他人の分まで払わされているのが現状なのだろうし、
それがこの人の犯したことへの罰なんだろうなあと、
自分は考えているし、それは間違ってはいないと思う。


あのとき騙されたといって憤慨していた人は百や千ではないのだから。

そこの所は動かし難い事実であり、
避けて通ってはいけないところだ。


だが正直いうと、
残念ながら肝心のそこのところが、
この映画ではかなり抜けていたように感じられた。


自らの今までの発言や行動の否は認めても、
それによって巻き込まれた人への思いというのは、
ついぞ明確に聞かれることはなかった。


もちろんだからといって、
これに便乗して詐欺まがいの行為をしたという、
そういうとんでもない指揮者のことまで、
これに乗じて佐村河内氏に負わせようとは思ってはいないが、
やはりこのあたりのことは、
もう少しなんとか描いてほしかった。

自分が上で

「音楽でつくった借りは音楽で返せ。」

と思ったのはそういう部分の欠落からくる苛立ちもあった。


とにかくこの映画はいろいろと思うところがあったけど、
映画としても個人的にはなかなか面白かった。


この事件でふりまわされた人、
そして特に佐村河内氏と直接この事件が起きる前に会った人たちには、
ぜひこの映画をみてほしい。

そしてそういう人たちの感想もぜひ聞いてみたいものです。


因みにこの映画、
事件の起きた2014年の秋から翌年の夏くらいまで
かなり長期にわたって撮影されている。

※実際は2015年冬(初め)から2016年冬(初め)と、FAKE様からコメントがありましたので、訂正をかけさせていただきます。ありがとうございました。



最後にこれだけはFAKEではないことをひとつ。


佐村河内家のネコがかわいい。


以上です。


公開している映画館が少ないのが惜しい。



(参考)

因みに佐村河内氏の耳の状態について以下のような記事が当時あった。
あのときテレビではあまり報道されていなかった部分といえると思います…、
というより声の大きな大手マスコミに、
かき消されマスクされた状態だったのかもしれませんし、
自分もかなりそちらの方向に流され、
気づかなかったんだなあということが分かりました。

弱いです。



公表した診断書の右48・8デシベル、左51・3デシベルの聴力は「中度難聴」の域にあり、普通の会話が聞き取りづらいとされる。都内の耳鼻咽喉科専門医によると「補聴器をつくるかどうかのギリギリのレベル」で、補聴器をつけることで問題なく会話できる人もいるという。

 また、「感音性難聴」とも診断されており「語音聴力検査」の最高明瞭度は右71%、左29%。「音は聞こえるが、言葉は結構不明瞭。“カニを食べた”が“ワニを食べた”と聞こえるような感じ」(同専門医)で、個々の症状によって聞こえ方は違ってくる。

 感音性難聴は、内耳や聴神経などの障害が原因で、一般的には医学的治療は難しいとされる。聴覚障害者支援をしている言語聴覚士の女性は「この程度の聴力がある子供たちは通常学級に通うことが多い」としながら「何デシベルという聴力だけで聞こえ方を診断するのは困難」と話した。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/03/08/kiji/K20140308007731400.html
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阿伊沢萬

とにかく不思議な…というか一筋縄ではいかないけどつくりはシンプルなこの映画。この事件の後日談でもあり、あの事件にもうひとつのウラがあった可能性を示唆するような、そんな映画でした。ただこれはやっぱり見た人ひとりひとりに感想を委ねるべき作品だっと思います。このためネタバレをほとんどしてないという、自分にしては珍しい書き方になりました。

banpeiyu様、剛力ラブ様、mangahara様、nandenkanden様、dougakunen様、shingeki様、モグラたたき様、宝生富貴様、mentaiko様、コミックン様、nice! ありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2016-06-10 01:21) 

FAKE

映画の終盤に登場する海外ジャーナリストの記事を読むと佐村河内氏に取材する前に新垣氏に作曲について取材をしています。佐村河内氏をに的確な質問ができるだけの準備はしているわけです。
ちなみに佐村河内氏の取材は2015年1月で映画のラストシーンの撮影は2016年1月なので、ラストの「アレ」は1年ががりの成果な訳です。
1年あれば、新垣氏なら他の仕事をしながら長大な交響曲出来る訳で、ラストの「アレ」は佐村河内氏の限界が露呈しているわけです。
by FAKE (2016-06-13 12:51) 

阿伊沢萬

海外の取材のそれについては自分はそこそこいいとこついてると思いましたが、でもやはり巻き込まれた人についての言及は映画ではなかったので、そういう不満はやはりありました。ただしそれは取材陣にというより映画そのものに対してですが。

ラストのあれが一年がかりというのは、映画がということでしょうか、それとも「音楽をやらないか」と言ってから一年ということでしょうか。話のながれから前者とは思ってはいますが。

ただどちらにしても佐村河内氏の限界というより、新垣氏ほど作曲技術が無いというのは、あれをみててもよく分かりました。曲全体があのとき聴いたものなのか、それとも一部かは分かりませんが、監督が今はまた部屋でボーとしていると言っていることからみて、あの状態が持続されていないことは印象として分かりました。

それをひっくるめて「限界」というのはとてもよく分かりますし、FAKE様の秀逸なひと言だと思いました。そのとおりだと思います。ただそれでも「音楽でつくった借りは音楽で返せ」と自分は強く思っています。残酷な物言いかもしれませんが、それだけのことは彼はしてますから。

あと撮影期間を最後は夏の終わりくらいかと思ってたら、冬だったんですね。ここは訂正しておきます。

貴重で有意義なご指摘およびコメントありがとうございました。
by 阿伊沢萬 (2016-06-13 21:33)
by 阿伊沢萬 (2016-06-13 23:13) 

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